軽井沢からしなの鉄道で2つ目の信濃追分駅へ。R18に出て寄り道しながら蕎麦や「ささら」で「おしぼりそば」。おしぼりみたいにぎゅっと絞ったかたちで出てくるんじゃない?とわりと本気で話していたらお隣のご婦人方に「だいこんおろしのしぼり汁で食べるのよ」。お好みでと、味噌も添えてある。おろし汁に味噌とかつおぶしとねぎも試してみたが醤油のほうが好き。そば団子は香ばしく焼いてあっておいしい。
満腹落ち着いて向いの古本屋「追分コロニー」へ。(勝手に)思っていた印象とは全く違って立派な建物。店主は、中仙道にあった建物を復元するプロジェクトのひとつであるこの建物を借りて、追分を愛した立原道造がこの地を芸術家のコロニーにしたいと構想していたことに共感して店名を決め、エコロジーとエコノミーに関連する古書を中心に扱う追分の古本屋として開業とのこと。初めから用意された背高の本棚、随所に置かれた椅子、椅子、静かに流れるクラシック、長居の条件が揃っているがじぃとしてるとまだ寒い。入り口を締め切っていてはちょっと入りにくいと思ったがそうかまだ寒いんですね。宇野信夫さんの落語本など。
斜め向かいの堀辰雄文学記念館へ。無理していろいろ建てなければいいのに。記念に楕円形の便せん。帰って早速使ったが折るには紙が厚すぎて、付属のシール貼ってもそのままでは不安定でポストに投函できなかった。喫茶休憩、寄り道しながら北国街道と中仙道の分岐点「追分の分去(わかさ)れ」まで。歩けばすぐ。ここ追分宿には元禄のころの記録によると旅籠は71、茶屋は18あったそう。先に追分宿郷土館でみた戦前のこのあたりの写真がいい。(たぶん)白いワンこがここにたたずみ北国街道を振り返っていた。行ってみればなんてことないY字路なのだ。「さらしなは右 みよしのは左にて月と花とを追分の宿」。手前にある常夜燈は背後の樹木に埋もれて、車の通りも多いのに慣れた小学生がランドセルに体操着袋を重ねて走ってゆく。私たちは右、その先の緑地の中のシャーロック・ホームズ像へ。翻訳家の延原謙さんが油屋旅館の離れを仕事場にホームズを翻訳したことが由縁らしい。博物館で見た古い地図の中の刑場はこのあたりか。実際の銅像より随所に配された看板がいい。通りを一本入った細い道を中軽方面へ。追分文学散歩道との表示。墓地に添う。”飯盛り女”を弔う墓や野仏も。追分の一里塚に出る。道をはさんで左右にこんもり塚が残り、ここは江戸から40番目。
(↑追分の通り沿いで見た家。黒く小さな石をモコモコと積んだ石垣は随所で)
そして中軽の「お料理とぎゃらりー室町」へ。オーナー夫妻が媚びずひるまず自分たちが考える最高のホスピタリティを目指しできる限りを丹念に尽くしている実に気持ちのいい店、というより、場。コースメニューの一番のウリは真空調理による牛肉ステーキで独特の食感は圧巻。でももっとおいしいというか食の楽しさを一瞬で得たのはふろふきトマト。食材+調理法+器+サービス+ネーミングの組み合わせが、"室町劇場"の象徴的な一品と感じる。