本郷の菊富士ホテル跡に建つ石碑の背後はちょっとした崖になっていて、ホテルは地上3階、地下階もあったそうだがなるほど南から見たら4階にも5階にも見えただろうことが今でもよくわかる。碑の右手は広範囲で工事中だった。
↑このまちアーカイブス/
菊富士楼・菊富士ホテルより
創業者は岐阜県出身。
・岐阜県図書館/
東京、本郷旅館街の基礎を築いた 羽根田幸之助このホテルの主人、羽根田幸之助が安八郡川並村平(現在は大垣市)から上京したのは、明治28年のことでした。(中略)幸之助のアイデア、妻、菊江の人柄、奮闘によって、小さな下宿屋は客室50を超す洋風ホテルに発展します。東京大正博覧会のあった大正3年、本郷菊坂の高台に「菊富士ホテル」は誕生しました。その間、幸之助の成功を知った故郷の人々が続々と上京し、本郷一帯には西濃出身者が経営する下宿屋が相次いで誕生しました。これが、修学旅行生の宿としても親しまれる"本郷旅館街"のもととなったのです。現在、40軒近くある旅館の内、約半数が岐阜県にゆかりの経営者のものとのことです。その先駆となったのが羽根田幸之助夫妻でした。
創業者夫妻の三女、八重子さんのご家族を取材した記事がネットにあった。下宿人であった亀山一二青年と結婚、後に一二氏の故郷・関市に戻り一二氏は初代市長を務めたそうで、その娘さんとお孫さん、所蔵していた菊富士ホテルの台帳や家族写真も掲載している。
・和楽web/
文化人版「トキワ荘」には鬼が棲む?竹久夢二、谷崎潤一郎も愛した菊富士ホテル(里山企画菜の花舎 2021.2.16)
この記事にもあるが、八重子さんは上村一夫の『菊坂ホテル』にヒロインとして登場した方。
・上村一夫公式サイト/
菊坂ホテル ・松岡正剛の千夜千冊/
上村一夫「菊坂ホテル」 ・北川健次/
本郷菊富士ホテル 2024.11.2
・落合学(落合道人)/
落合地域と人が重なる菊富士ホテル
11月8日は「アパート記念日」だそうで、その由来は1910(明治43)年に日本で初めてできた木造アパート「上野倶楽部」だといろいろなところに書いてあるのだが、里山企画菜の花舎さんの「和楽」の記事によると、これを作ったのも羽根田幸之助だという。ネットで見ても後付けがとれる資料がなかなか出てこないので後日。
国会図書館 119回常設展示 日本の集合住宅 アパート、マンションに見る20世紀(平成14.4.1-5.31)の展示資料より
初の集合住宅:上野倶楽部
1. 共同住宅及びビルデイングに関する調査
東京市社会局 編 東京市社会局 1923(大正12) <518-16>
最初の木造積層住宅は、1910 年(明治 43)11 月に落成した上野倶楽部である。上野公園に隣接し、木造 5 階建の洋風の外観を持つ賃貸アパートで、洗面所や浴槽は共同で、入浴は居住者が実費で負担した。居住者は、官公吏、会社員、教師が主で、独身者はおらず、日本人だけでなく、ロシア人やフランス人もいた。
菊富士ホテル跡に建つ石碑に「主な止宿者」の一人として名が刻まれたセルゲイ・エリセーエフの実家の高級食料品店閉店の記事
・ロシア文化フェスティバル/【モスクワ通信】
120年の歴史に幕・・・食料品店エリセーエフスキー 2021.4
・エリセーエフ『赤露の人質日記』