たか女綺譚
ある日わたくしがいつものように『風知草』の頁を繰っておりますと、笑吉という方が短い随筆を書いているのが目にとまりました。題も何もなく、おそらく埋め草として書かれたのでしょう。何とはなし目をやると、妙なことが書いてあるのに気がつきました。それは、僕の妻は当代きっての痴女である、僕の寝ている間に近所の女人とこそこそ会っては妙なことをしているそうだ、彼奴は僕が気づいているのをまだ知らないようだが皆様も十分お気をつけられよ、とかいうもので、わたくしの事に違いないのです。わたくしは、以前なみ子様が「お気をつけなさいね」とおっしゃっていたのを思い出しました。わたくしは直ぐこの記事を草干に突きつけました。すると草干はかえって私を罵るのでございます。そうして、
「以前から考えていたんだが、養子を貰ったらどうだ」
と意外なことを言うのでございます。
わたくしどもには子供がおりませんでした。それはわたくしども夫婦が特殊だったためでもありますが、草干は夫婦仲が上手くいかないのは子供のないせいだと言うのです。たしかに子は鎹と申しますし、跡継ぎのないということはたしかにいくらかでも悩ましいことではありました。がわたくしが養子を貰おうと決心しましたのは草干がかな女様を引き合いに出したからでございました。あの時草干はふいに、
「かな女もこの間養子を貰ったそうだよ」
などと言ったのです。かな女様と零余子先生のご夫婦仲は俳壇きっての鴛鴦夫婦として有名でございましたが、零余子先生のお体のお悪いことと、お子のないことが悩みであるように見えました。かな女様のご生家を探しに出かけてしまうほどの私でございます、「我が家も同じ俳人夫婦として長谷川家を見習おうじゃないか」という草干の言葉は、わたくしにはこのうえなく甘く響いたのでございます。それで母に話をしますと、母はいたく喜んで、それが良い、丁度親戚に子が生まれそうなのがいるからひとつ掛け合ってみよう、と言ってくれました。ですがそれから間もないうちにわたくしが母や草干とお別れすることになりましたのは、いったいいかなる因縁にございましょう。
しばらくして、私は沙代を連れて浦和の親類の家にご挨拶に出かけました。不思議と風のない日でした。かな女様のご養子も浦和のお生まれだと聞いておりましたので、何か縁起が良いようにも思われました。その親類というのは私とは従姉妹でございまして、面識はあまりなかったのですけれども、はちきれんばかりのお腹や、彼女の肉付きの良い首まわりなどを見ておりますと、何か卑しいような心持ちになるのでございました。生まれて直ぐというのはたいへんだろうけれども、とにかく一年経ったら迎えにあがるということで話はまとまりました。他人様のおなかの中にいる赤子が自分の子になるというのは何か実感の湧きにくいものでしたが、そんなことを考えながらとりとめのないお話をしたような気がいたします。そのとき唐突に、隣家のご主人が座敷へ駆け込んできたのでございます。何事かと思いますと、わたくしの家が火事だという電話があったらしいのです。
焼け跡からは母と草干となみ子様の遺体が出てきました。見知らぬ女の死体が出たということで、口さがない方はやっぱりあの噂は本当だったなどと言ってわたくしを妙な目で見るのでございます。わたくしはその場に立ち尽くして、ぼんやりと庭の柘榴の木を眺めておりました。わたくしは柘榴が好きで、その前の秋にも柘榴の実を口いっぱいに頬張って、なみ子様と種の飛ばし合いをしたのでございました。ふとそんなことが思い出されて、わたくしは、ああ、と小さく息を吐きました。そうして、矢張りわたくしは住まいを引き払わねばなりませんでした。
実石榴を吐けるをかしき顔なりし たか女
秋蝶やきのふ残れる塗火鉢
しみじみと納豆こぼれ鳳仙花