働く重機 [写真]
陽が落ちても、まだ頑張って轟音を立てて働いている重機。
重機好きのあっしは、迷わず駆け寄り、撮り収めやした。
駆け寄り、といっても、ぼんぼちはきちっと規則を守る人間なので、工事現場の敷地の外側の道から撮りやした。
主役の重機の位置のみならず、遠景に光る二つの丸い光や、手前の建物を少しフレームインさせたところも、あっしなりにでやすが気に入ってやす。
重機、、、何故好きなのかというと、なんか怪獣みたいだから。
怪獣って、子供の頃、大好きだったんでやすよ。
ぼんぼちは18才~26才まで母親を養うために画家をやってたわけでやすが、子供の頃、よく絵を描いていたかというと全然そうではなくて、友達やいとこに「ぼんぼちちゃん、何か絵を描いてよー!」って頼まれると、「え〜?!何描こう?、、、あ、そうだ、怪獣が好きだから怪獣を描こう」と描くと、友達やいとこは、「すごーい!」と言って、わーっと持って行っちゃう、っていう、そんな感じでやしたね。
新宿・紀伊國屋書店ビルに入っていたブティック「レネ」 [ファッション]
私が中高生時代の1970年代後半は、私がみぢんも好きにはなれないファッションが大流行していた。
中学生の時はニュートラ、高校生になったらサーファーとハマトラ。
決して大げさな表現ではなく、若い女性に石を投げたらそのいずれかのファッションの人に当たる、というほどに、それはもぅ大大大流行していた。
自分の思春期青春期に自分の大嫌いなファッションが流行しているほど不自由な事はなく、それらと真逆な方向性で、かつ誰も身に着けていない様なファッションアイテムを探すのは、ネットもなかった当時は非常に困難で、私は、都内の繁華街という繁華街を歩き回り、「ここにもない」「ここにもない」と、探しあぐねた。
とーーー
毎日、足を棒の様にして探せば、アンチ流行のファッションを売っている店というものも存在してくれているのに出逢えるもので、原宿のアンティーク風に作られた服を売るインディーズブランド店と、同じく原宿の古着屋数店、そして、新宿の紀伊國屋書店ビルの1階に入っていた「レネ」というブティックがそれで、私は、砂漠で水にありつけた駱駝さながらに安堵に包まれた。
原宿の店店は、学校帰りにゆっくり物色するには帰りが遅くなってしまうので、日曜日に通う事にして、新宿なら学校から近く出やすかったので、私は学校帰りにしょっちゅうレネに立ち寄り、何点もの服やアクセサリーを求めた。
あまりに頻繁に訪れるので、レネのお姉さん達に顔を覚えられ、「また来てくれたのね!」と、よく声を飛ばされたものである。
レネは、インディーズブランドが何ブランドも入っている複合ブティックだった。
複合ブティックといっても、間仕切りや衝立はなく、なんとなく幾つもの島があり、テイストが違うからここからは別のブランドなのね、と判る感じだった。
売られているブランドの方向性はーーー
アンダーグラウンド、ロック系、後染め(仕立ててから染める製法)のアンティーク風などだった。
私が購入したものの中で憶えているのはーーー
漆黒のくるぶしまでの丈の十二段くらいのティアードの巻きスカート、バロッキー(指輪と腕輪が手の甲でつながっているアクセサリー)、後染めのくすんだ紫色のガーゼのように薄くふんわりゆったりとしたレースのブラウス、などなどだった。
学校も部活も少しも楽しくなかったし、友達はいるにはいたけど、心を開けたり心底話しの合う子もいなかったので、私は終学のベルが鳴るや、レネへ一直線!という日が殆どだった。
レネは、「ここに来れば欲しい服やアクセサリーがある!」というのみならず、当時の私の精神のオアシスでもあったのだ。
プランターの多肉植物 [写真]
木製のプランターに植えられた多肉植物。
二段になっている横線を強調しようと、横位置の構図にしやした。
上の段のプランターの下のタイルは、元は肌色で、多肉植物もこんなに赤くはなかったのでやすが、ぐっと赤味を上げる加工を施して、鮮やかさも見せ所の一つとしやした。
特別変わった写真ではありやせんが、まあ、成立したので、ここに公開しやす。
多肉植物といえば、、、
もしかしたら憶えておられるかたもいらっしゃるかも知れやせんが、ぼんぼち、だいぶ前に、緑の枝だけみたいな多肉植物を部屋に吊るしていたんでやすが、あっしの住む共同住宅が外装工事を行って、全く陽が入らなくなったために、枯れてしまいやした。
切り花はあまりにも早くダメになってしまうので、年末年始以外は買わないことにしてて、でもやっぱり部屋に植物ほしいなー、って気持ちもあって。
いろんなかたのブログを拝見してると、多肉植物を上手く殖やしているかたもおられて「すごいなー!」と思いやすが、あっしにそれが出来る自信はありやせん。
んー、せめて、エアープランツでも買おうかな、、、
タグ:多肉植物
シークエンスとは [映画・演劇雑記]
みなさん、映画評などを読んでいると「シークエンス」という言葉に出逢う事がしばしばあると、お察しします。
今日は、この「シークエンス」とは何なのか、を、簡単に説明したいと思います。
シークエンスとはーーー
シーンより、も一つ大きなひとまとまりの事です。
具体的に、私が創作したシナリオの一部を表記して説明するとーーー
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⑯○△デザイン事務所
「お疲れ様でしたー!」の声が飛び交う。
ミキ、パソコンを閉じ、帰りじたくをする。
スマホチェックをすると、トオルから「今夜、空いてる?」というメール。
ミキ、「うん、空いてるけど」と返信。
速攻、「じゃ、いつもの場所で7時に待ち合わせね♡」と返ってくる。
ミキ、「了解」と返信。
⑰電車の中
ミキとトオル、並んで吊り革を握っている。
ミキ「今日、どこ行くの?」
トオル「いつもの店だよ!」
と、自信満々に親指を立てる。
ミキ「ふうん」
⑱小洒落たイタリアン
ミキとトオル、向かい合って前菜を食べている。
トオル「でさあ、来週、ミキちゃんの誕生日じゃん。だけど、オレ、来週、出張なんだよね。だっかっらー!今日は一週間早い誕生日プレゼント!!」
トオル、リュックから包みを取り出す。
ヴィトンの包みである。
トオル「(ミキに差し出しながら)ジャンジャジャーーーン!!」
ミキ「、、、、、私達、出逢ってもう1年近く経つよね。、、、トオルさんって、私の事、何にも見てないし、何にも聞いてないんだね。、、、、、もう二度と、メールも電話もして来ないで(その口調は抑えられているが、ナイフの如く冷ややかで怒りに満ち満ちている)」
トオル「へっ?!、、、、、(ポカンとする)」
ミキ、席を立ち、店を出る。
ホール係り「お待たせいたしました。カルボナーラでございます。ご注文通りアルデンテに仕上げました」
ヴィトンの包みの横で湯気を立てているカルボナーラ。
⑲○△デザイン事務所
「おはようございます!」の声が飛び交う。
ミキ、自分の席につく。
スマホを開く。トオルから6件、メールが入っている。
6件とも内容を見ずに消去し、パソコンに向かう。
⑳同日・焼き鳥屋のカウンター席
ミキ「じゃあ、次は、ボンジリとセセリと鶏皮、1本づつ、塩で!」
大将「おっ!おねえさん、ツウだねぇ〜!へいっ!ボンジリ、セセリ、鶏皮ね!」
カウンター席の初老の男性客二人組、口々に
客A「おじょうさん、カッコイイねー!」
客B「1人で楽しんでるねー!」
ミキ、焼き鳥の一粒をむしり食い、ゴキゲンに「んふふ〜」と、串をタクトの様に振る。
㉑わいわいと更けてゆく焼き鳥屋の遠景。
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ここで、ワンシークエンスに相当するのは、⑯〜⑱、⑲〜㉑になります。
これが、シークエンスと呼ばれるまとまりです。
DVDを購入すると、トップの画面に「チャプター」というのが出て来ますが、おおかた、チャプターはシークエンスに非常に近いもの、と解釈して間違いないでしょう。
赤い丸テーブル [写真]
真っ赤な丸テーブルと金属の波板と濃い灰色の腕もたせだか背もたれだかよく解らないものの3要素だけの空間。
道からふつーに撮れたので、まあ、テラス席ということになるのでやしょう。
これも、春に、英ちゃん主催のオフ会で行った、代々木ののんべ横丁の一角でやす。
あえてこれだけの数少ない、単純なモチーフでの構成も面白そうだぞ!と、平面構成を制作する観点から、切り取りやした。
なので観てくださるみなさんも、これらが何であるか、ではなく、平面構成を鑑賞する感覚で楽しんでいただけると本望でやす。
テーブルといえば、、、
今、ぼんぼちは、肋骨の左側が痛くて仕方がありやせん。
一週間ほど前に、絨毯の上に置いてあった映画のチラシを踏んづけて滑って、テーブルの縁に肋骨をしたたか打ち付けてしまったからでやす。
夜なんて、普段から睡眠薬を常用しているのでやすが、痛くて途中で目が覚めて、追加で飲んで、また床につくほどでやす。
だけどこの記事は、公開の3週間前に予約投稿で書いているので、みなさんがこれをお読みになる頃には、多少は良くなっているのではないかと、思いやす。
書く事に小さな自信がついたきっかけ [独り言]
私・ぼんぼちは、2009年からブログを通じて、「書く」という手段で、一人でも多くの方に、自分の身の回りに起こった事、自分の気持ちを吐露している訳ですが、今日は、「書く事で伝わるんだ!」と、私自身の中で小さな自信へつながったきっかけを、お話ししたいと思います。
小学生の時ーーー
作文や詩作の授業は嫌いではありませんでした。
しかし、出来上がった私の作文や詩を読んだ教師の言葉は、決まってこうでした。
「小学生なのに大人びていて、子供らしい天真爛漫さがない」。
私は心も身体も大人になるのが早かったのですが、それは自らの意思でそうしているのではないのだし、そもそも何故、「大人びている」事がいけない事なのだろうか???
私は教師からの負の批評を受ける度に、唇をかんで黙ってうつむいていました。
小学5年の時ーーー
ラジオの深夜番組に、二度投稿したら、ニ通とも読まれました。
ーーーあぁ、ラジオ番組というのは、学校の授業と違って、年令も容姿も関係なく、面白いと判断された作品が取り上げられる実力の世界なのだ! と、一人、心の中で飛び上がって歓喜しました。
中学へ入り、、、
中学受験も終わり時間が出来たので、散文詩を何十作か作って、現国の若い女教師に見せました。
するとその女教師は、パラリと目を通しただけで、「大人の様な詩を書くのね。 だけど、詩作はテストには出ません。テストに出る授業中の勉強だけをやりなさい!」と、ピシャリと会話の門戸を閉じられ、私は、詩作をやめました。
年月は経ち、34才で一度目の結婚をした時ーーー
主婦をやった経験がある方はよく解ると思うのですが、主婦というのは、ハンパな時にチョコッと時間が出来てしまうのですよね。
その時間を何か有効活用は出来ないものかと考えた時、小5でラジオ番組で二度読まれた嬉しさを思い出し、再び、投稿の世界に出場してみようと思いました。
ラジオ番組、週刊誌、映画・コンサート情報誌、ファッション雑誌、漫画雑誌、料理雑誌などのリスナー、読者投稿のコーナーに、ヒマがあると、面白い!と自己判断したネタを送りました。
掲載されたページを元ダンナに見せると、「えー!また載ったのー! で、打率はどのくらいなの?」と目を丸くされたので、「7割5分だよ」と答えると、「えーーっ!! 7割5分って、ものすごくいい成績だよ!すごいよー!!ぼんぼちちゃん!」と、驚かれ、お褒めの言葉を与えてくれました。
そっか、7割5分って、すごくいい成績なんだ、、、ルンルン!!
私は、何十年かぶりかに、再度、飛び上がって、あの時よりもっと歓喜しました。
そこで得た小さな自信が、今のぼんぼちのブログにつながっている、という訳です。
網越しの鉄板 [写真]
休憩日の工事現場の、重ねられた鉄板にカーテンのように仕切られていた網。
鉄板が無秩序に重ねられている所と、網につなぎ目がある所に面白味を感じ、それらが活きる切り取り方をしやした。
加工は、白黒ハイコントラストを施しやした。
抽象的な版画の様な仕上がりになってくれた所が、あっしなりにでやすが、なかなか気に入ってやす。
網といえば、、、
あっしの弟が幼稚園の時、行事で千葉の海で地引き網をやって、捕れた魚を夕飯で食べたそうで、帰宅してから弟は、「こんなにおっきな魚が捕れてね、それを食べたんだよ!すっごく美味しかったよ〜!」と、喜びに満ち満ちた顔で一生懸命に語ってやした。
内陸にしか住んだ事のないあっしら姉弟にとって、海や活きた魚というのは、憧れの地・ものなのでやす。
あの時の弟の、手に取る様に伝わってきた喜びの感情は、今でも忘れられやせん。
一徳バンドでゴキゲンなロックに酔いしれた一夜 [感想文]
先日の7月21日、私・ぼんぼち、吉祥寺のマンダラ2に、一徳バンドのライブを聴きに行ったよ!
サリーじゃないよ。 一徳バンドというのは、高円寺の焼き鳥屋さん「一徳」の大将・一徳さんが率いてるバンドなんだ。
焼き鳥屋さん「一徳」の店前は、以前からしばしば通っていて、通る度に、「わぁ!渋くてカッコイイ大将だなぁ」って思ってた。
そして、一徳バンドのライブの旨のポスターが貼られてるのも目にしてて、「どんなジャンルの音楽を演られるんだろう?」って、気になってたんだ。
と、先日のライブの何週間か前ーーー
「一徳」のすぐ近くに在る、行きつけにしている音楽カフェ「ヤミー」で、「一徳さん、またライブ演るそうで、このチラシ置いてゆかれましたよ。 一徳さんはすごいしゃがれ声で、憂歌団をかけたらすごく喜んでくれてましたよ」とスタッフさんから聞き、「しゃがれ声」「憂歌団好き」という二つのワードから、ぼんぼちは「これはもぅ行くしかないっ!」と、迷わず決断したんだ。
ライブスタート! 一徳バンドのメンバーがステージに登場した!
ボーカル&ブルースハープ(一徳さん)、ギター&コーラスが二人、ベース&コーラス、ドラムス&コーラス、サックス、ピアノの七人の大所帯バンド。
音が流れ出すやーーー
「わぁ!案の定、ぼんぼち好みの古めのロック、というか、ブルース寄りのロック!ゴッキゲ〜ン!!」と、みるみるノリノリになったよ!
高円寺という名称や、庶民的な食べ物を歌詞にした曲あり、これは店に来るお客さんを観察して作られた詞かな、ってのあり、ノリにノレるロックンロールあり、聴かせるバラードあり、、、
そのいずれにも唯一無二の個性を感じたし、何より一徳さんのしゃがれ声のボーカルに酔いしれてしまったよ〜!
あと、ぼんぼちの個人的嗜好から書かせていただくと、ピアノの人、好きだなあと思った。 ぐっと強く押し出すひき方で。
ぼんぼちは好きな音楽ジャンルの中にブギウギピアノもあるんだけど、そこに通ずる匂いも感じられて。
一徳さんが歌いながら次々とお客さんを指差して声をあげる、というパフォーマンスをやられる曲もあって、最前列の一番上手側に座ってたぼんぼちにも、二度、指を差して目線を合わせてくださって、最高にドッキドキ!嬉しかったなあ〜!
ぼんぼちは音楽に関してはズブの素人で、これはかなり生意気な発言になってしまうんだけど、一徳バンド、一徳さんの歌唱力も、各楽器も、コーラスのハモリも、ものすごくクオリティが高くて、何の前情報も知らない人に、あのライブを聴かせたら、「どこのプロダクションのミュージシャン?」「マネージャーさんはどこにいるの?」って、完全なプロだと信じて疑わないと思うんだ。 現実には、年に4~6回のライブ活動でCDも出されている、というスタンスなので、セミプロという事になるのだろうけど。
このブログを長く読んでくれてる人は知ってるように、ぼんぼちの父親はぼんぼちが3才までクラシックのバイオリニストだったんだよね。
だけど、クラシックのバイオリニストって食ってゆくのが大変で、ものすごーく家庭は貧しくて、父は意に沿わないテレビの歌番組のバックのオーケストラのバイトをしてしのいでいたんだけど、それでも生活は苦しくて、ぼんぼちが3才になった時、完全に音楽の世界から足を洗って、全然別の仕事を始めたんだ。
だからぼんぼちは、自分自身は音楽業界の人間じゃないけど、音楽一本で家族を養ってゆく事の厳しさ、音楽一本を生業とするなら、意に沿わないジャンルも演らなければならない理不尽さをよく知ってる。
音楽やるなら、一徳バンドのように、他に本業を持っていて、好きなジャンルだけを好きな時に演れるのが、最上級に幸せだよなぁ!って再認識したよ。
だって、一徳さん、ゴキゲンにノリノリで、幸せそうで、「死ぬまでやるっ!」って、言ってたもん!
タグ:一徳バンド 一徳バンドライブ感想
リトルシガーのセルフポートレート [セルフポートレート]
愛煙しているリトルシガーを吸っているところを、1枚、遺そうと思いました。
撮影なので、実際には、吸っているフリです。
リトルシガーに合うイメージの服や小物は、と考えた時、すぐにこれらが浮かびました。
背景も、この服とサングラスなら英字新聞がキマるぞ!と、パッと浮かびました。
タバコを吸っているポーズというのは、ほぼ決まってくるわけで、今回は、このリトルシガーに合う表情をと、あれこれ試してみました。
結果、ものすごくアンニュイな表情のと、この、静かに微笑みながら目の前にいる人と話しをしている風の2枚が最終候補に残ったのですが、前者は、成立はしているもののあまりにも暗い印象を与えてしまう、という事で、静かに微笑んでいるこちらを決定写真としました。
世界一の美女・マリリン・モンローに関する私的考察 [映画・演劇雑記]
みなさんは、世界一の美女というと、誰を挙げますか?
リズ? ベベ? 李香蘭?
ーーー私は、誰が何と言おうと、マリリン・モンローです。
トロリとしたタレ目メイク、ぽってりとした唇、プラチナブロンドに染めた髪、飽満に張ったバスト、キュッとしまったウエスト、プリプリと揺れるヒップ、、、
幾度、彼女の映画やスチルを観ても、惚れ惚れとしてしまいます。
そんなモンローの生い立ちは幸せなものでなく、父はいなく、母親は精神に異常がありモンローを育てられなかった為に、孤児院で育ちます。
ーーー生まれた時から持ち合わせていたのは、その美貌だけだった訳です。
彼女は若くして女優を目指し、徐々に大きな役を手にしてゆきます。
醜く生まれた私としては、「結婚協奏曲」での脇役で、美人コンテストで優勝する美女の役をあてられた辺りで大満足して、「ああ、女優として食ってゆけるようになったし、何より『美しさ』を裏付けする役がまわってきたのだから、これでもう万々歳! これ以上望む事はないわ!」と悦に入るところですが、彼女はそうは思いません。
映画会社のお偉さんと愛のないベッドを共にして、11回も中絶を繰り返しつつも、トップスターを目指します。
「紳士は金髪がお好き」「ナイアガラ」で、見事、主役を射止め、ハリウッドを代表するセクシー美人女優へとのし上がります。
それでも彼女は満足しなかった。
アクターズスタジオに通いメソッド演技を学び、「演技派女優」と呼ばれる事を欲します。
結果、「バス停留所」で、さざなみの如く揺れ動く繊細な演技を披露し、ついに演技派と呼ばれる事にも成功します。
美しさも演技力も持ち合わせたハリウッドを代表する大女優になったのだから、もう他に欲しいものなんてないんじゃないの?と、私なんぞは思ってしまう訳ですが、プライベートでは、彼女は愛を欲し、ジョー・ディマジオ、アーサー・ミラーと、二度の結婚をしますが、二度ともあっけないほど短く失敗してしまいます。
二度も結婚に失敗したら、「あぁ、私って、結婚には向かない女なのね」と結論づけてもいいようなものですが、今度はケネディ大統領の愛人となり、夫人からケネディを奪い、自分が大統領夫人におさまる夢に向かって突っ走ります。
ーーーしかし、彼女は、国家秘密を知り過ぎた女として、事故に見せかけて暗殺されてしまうのです。
モンローは常に、これが手に入ったら次はこれ、と、欲望の果てしない女性で、その理由は、どの地点に登っても、常に精神的飢餓感を抱いていたからの様です。
一言でモンローの一生を語るなら、「美しさのみを与えられて産まれた努力家だったがために、不幸な人生を歩んでしまった女性」という事になるでしょう。
前述しましたが、私なんぞは、醜く産まれ、10代20代になるとますます醜いバケモノの様な顔になり、美しくなる事を人生の第一目標とし、美しくなれればあとは何もいらない、と日々その努力を続け、今現在は、あれほど醜かった顔がこの程度まで来られたのだからこれでいいんじゃない!と納得出来、幸せいっぱいな毎日ですが、それは、私は美しさ以外のものはおおかた与えられて育ったのに対して、モンローは、美しさ以外のものは何一つとして持たずに育ったからに他ならないからでしょう。
人間って、自分に欠落しているものを命がけで埋めて、完全な自分になることで、アイデンティティが満たされますからね。