7月中旬にしては驚くほど涼しい1日。昨日は一晩中家の前の背の高い樹がざわざわと風に揺れてまるで波のような音を奏でていたが、それは実に気持ちが良くて心が和んだ。眠りにつきながら私はまるで緩い波に身体を任せて揺れているような錯覚に陥り、覚えて頃居ないけれどとてもよい夢を見たようだ。いつだって朝はもっと眠っていたいと思うけれど、それとは別に一種の満足を感じながら目を覚ました。7月にしては珍しいことであった。夏休みまで後1週間と思うと知らずと興奮する。それは行き先が何処であってもありえることで、毎年のように訪れているブダペストであってもアメリカであっても、それから単にボローニャに居残りであっても。ところが今年は帰省とあって興奮度は桁外れだ。私は世間の人が驚くほどあまり帰省をしない人。別に帰りたくない訳ではない。様々な理由と状況から結果的にそうなってしまっただけだ。けれども昨年の終わりから私は妙に家族と故郷が恋しくて、そんなことから様々な状況と理由を他所に帰省を決めた。その途端に分かったこと。私がどんなに日本に帰りたいと思っていたか。日本の小さなこと、些細なことを恋しいと思っていたか。まあ、そういう訳でここ数日の興奮ときたら大変なのである。私がアメリカの海のある町に暮らしていた頃、私と相棒がまだ結婚をして居なかった頃、私達はブリジットと言う名の女性と一緒にアパートメントをシェアしていた。彼女はイタリアのイオニア海に面する町から来た人で、ブロンドヘアと焼けた肌、それから細くて長い足と明晰な頭脳が魅力的な人だった。彼女は既にアメリカに暮らして十何年が経っていて、普段は決してそんな素振りを見せなかったがある日イタリア行きの航空券を購入したと言って興奮しながら帰宅した。色んなイタリア人を知っていたが彼女はその中でも飛び抜けて帰省しない人だった。どうしてなのかと訊ねたことがある。そうしたら彼女が教えてくれた、家族と上手くいっていないのよ、と。ファシズムに大きく影響された父親、そして全てのことを指図したがる母親。自由奔放に生きることを愛する彼女にとっては両親の元に帰るのは私が想像するよりも気が重いものだったらしい。しかしそれで居て彼女は恋しかったのだ、彼女のそんな両親と幾つか年下の弟、そして自分に良く似た自由奔放の叔母とか美しいイオニア海とか、故郷の空気とか。それである日彼女は航空券を購入して、今までに無くご機嫌だった。あら、あなた。一緒にワインでも頂きましょうよ。などと言って。そうして私達はキッチンに集合して上等の赤ワインの栓を抜いた。彼女はそれが大好きだった。ワインはやっぱり赤でなくてはね、と言って。彼女はそうして故郷に帰り、また私達の元に戻ってくると今度は彼女の母親が追いかけるようにやって来た。母親が長い滞在を終えてイタリアに帰ってしまうと、彼女はまるで置いてきぼりにされた小さな子供のように小さく丸まって泣いた。あれから十何年も経って彼女の気持ちが理解できるようになった。ブリジットはあれからあっという間に病いに罹り私達の目の前から姿を消してしまったから、もう彼女とそのことについて語り合うことはできない。やっと彼女の気持ちが分かったというのに。私はこの頃、帰省することに心を弾ませてはあの日のブリジットのことを思い出すのだ。今日は思いがけず涼しい1日だった。風がさわさわと木の枝を揺らし、遅い夕方にもなると涼しすぎるほどになった。遅い夕食に上等の赤ワインを抜いたのは涼しくて気持ちが良いからだけど、遠くの何処かから私達を眺めているに違いないブリジットと一緒に帰省する喜びを分かち合いたかったからだ。彼女なら私の今の気持ちを良く理解できるに違いない。
暫く雑記帖の更新がなかったのは、旅行していた訳でもなければ健康不良だった訳でもない。7月に入った途端にログインが難しくなり、最近は遂にログインできなくなってしまったからなのである。
新しい場所はこちら。
ボローニャに暮らす
本日は奇跡的にログイン出来たので、この場を借りて引越しの報告と、それからエキサイトブログさんに長いこと良くして頂きましたことをお礼申し上げます。場所は変りますが今まで同様にお付き合いお願いします。