先月のオンラインイベント「開運虎の巻」で紹介した『自分の小さな「箱」から脱出する方法』。
続編と位置付けられていますが、前書の20年前という設定の『2日で人生が変わる「箱」の法則』。ユダヤ人とアラブ人の民族的対立がストーリーの軸になっています。
ユダヤ人とアラブ人が憎み合うのは、双方とも自分の「箱」から出ようとしないから。
相手を箱の外にいる「物」として見る。人類の歴史上、何度も繰り返された悲劇です。第二次大戦中のドイツではユダヤ人を「人」ではなく「物」として見ていたから、虐殺できたのです。そして現在、ロシア軍にとってウクライナ国民は「物」でしかありませんし、ウクライナ側もロシア兵をそう見るでしょう。
降伏した若いロシア兵が、ウクライナ住民からパンと温かい紅茶を差し出される画像に心動かされるのは、双方が「箱」から出たからです。「箱」から出るのは容易なことではないから、大きく報道されたのでしょう。
ところが、橘玲の『幸福の資本論』を読んでいたら「オーストラリアのアラブ人はユダヤ人が大好き」とありました。
オーストラリアでどうやって「箱」から出たのでしょう?
パレスチナからオーストラリアに移住したアラブ人は、手っ取り早く稼げるということで選びやすい職業は自動車修理工。最初は同胞のアラブ人が顧客となりますが、とにかく値切るし、無理な納期を要求してきます。「同じアラブ人同士じゃないか、そこんとこよろしく」とぐいぐい押してくるのでしょう。
ところがユダヤ人の顧客は適正な料金と納期で納得します。トラブルになったら大きなもめごとになるのは目に見えていますから、金払いもきれいです。
というわけで、アラブ人の自動車修理工にとってユダヤ人は大歓迎となるのです。
西側諸国にとってウクライナ侵攻前のロシアは「主義は異なるけれど、商売相手になれる」国でした。ロシアとの合弁事業を起こし、レストランや小売りチェーンも進出していたのは、経済面では共通のルールに従うという合意があったからこそ。
安倍晋三氏が「ウラジミール、君と僕は同じ未来を見ている」「ゴールまでウラジミール、二人の力で駆けて、駆けて、駆け抜けようではありませんか」というポエムまで作ったのに、今のロシアときたら…。撤退した外国企業の工場や店舗は国営化し、借りた飛行機は返さない。辛うじてドル建て国債の利払いはしたものの、いつまで払えることやら。たとえ戦争が終わっても、まともな商売相手と認めるわけにはいきません。
お金だけの関係なんてむなしいと思いがちですが、お金のやり取りをちゃんとできない相手とは、そもそも関係は結べません。
4年ほど前の日本語教師時代。欧米からは遊び半分の道楽息子・娘が多かったのですが、ロシア人学生は別格。モスクワ大学の優秀な学生が総仕上げのための留学で、本国できっちり日本語を身に付けていました。なぜか女子ばかりで、アナスタシアとかイリーナ、ナターシャといったいかにもロシア的な名前でした。「大学で日本語を専攻したかったのですが、点数が及ばずマーケティング専攻です」とくやしそうに語った学生もいました。マーケティングのほうがずっとニーズがあると思うのですが、ロシアでは外国語を学べるのは超エリートだけなのかもしれません。あの女子学生たちは今、どうしているのでしょうか。