酒を飲んでばかりの日々。コロナの自粛期間も飲んでやり過ごしました。もしかしてアルコール依存症なのかと怯えていたのですが、2月半ばからぴたりと飲まなくなりました。
きっかけは父の死です。
入所している施設の看護師さんから「意識がはっきりしているうちに顔を見にくるように」と連絡があって神戸に駆けつけたものの半信半疑でした。
とりあえず喪服は40年近く前のものが実家にあり、母の葬儀もそれで済ませました。葬儀用の靴とバッグはあえて持参しませんでした。そんな用意をしたら父が本当に死んでしまうと子供じみた迷信のようなものに取り憑かれたから。一時的に危なくなっても、盛り返してあと数年は生きるだろうと信じたかったのです。結局、夫に頼んで宅急便で送ってもらいました。
実際に面会して、やっぱりこれは命の火が消えようとしているのかもしれないと実感が湧きました。
その夜からお酒が飲みたくなくなりました。
私がアルコールを飲むのは退屈な現実を忘れてふらふらと漂いたいから。
父の死という想像もしていなかった展開で、アルコールを飲む必要がなくなりました。酔っ払って意識をと飛ばし、酔いが覚めて父の死を再確認するのも耐えられないし。
葬儀をお願いしたお坊さんが「死者の魂は四十九日間、この世にいて、それから浄土に行く」という話をしたので、その間ははシラフで過ごすことに決めました。
飲まなければ飲まないで過ごせるものです。去年、伊豆のやすらぎの里で一週間過ごした時も、特に飲みたいと思いませんでした。
ただ、午前中の調子の悪さはあいかわらず。飲んでいた時はアルコールのせいだと思い込んでいたのですが、子供の頃から朝が苦手の宵っ張りでした。飲んでも飲まなくても朝はだるくてやる気が出ません。
そして夜の家事がはかどりません。アイロンかけなど面倒なことはアルコールで「面倒くさい」という気持ちを吹き飛ばして取りかかっていたのです。
熊本の「湯らっくす」でもサウナの後はオロポで決めました。オロナミンCをポカリスエットで割るサウナ―が愛飲するドリンクです。
これがないと生きていけないと思い込んでいたことも、なければないで済ませられるものです。お金や物への執着も同じように消すことができればいいのですが。