去年の教え子、ドイツ人のセリナから「東京にいる」とメールが来ました。
たしか今は大学生でバイオテクノロジーを専攻しているはず。両親と日本に観光旅行に来ているそうです。
「先生をびっくりさせようと思って学校に行ったのに、バケーション中なんですね。今、どこにいますか。いつ東京に戻りますか」とのこと。
この春まで教えていた日本語学校、私は辞めたつもりなんですが、とりあえず休職中ということになっています。雑誌の廃刊を休刊と言い替えるようなものですが、長期休暇が当たり前のドイツ人のセリナは休暇を取っていると思ったのでしょう。
セリナは両親と汐留のホテルに泊まっており、夕食に招待されました。
富裕層の子弟が多い学校でしたから、家族で日本旅行ということもよくあります。
学生の両親に会うとなると、英語の会話が不安でした。
「高い授業料を払っているのに、こんなにレベルの低い教師が教えているとは」と父兄にあきれられるんじゃないかと恐れていたのです。幸い、アメリカ人とイギリス人の学生は少ないため、ネイティブのスピードで一気に話しかけられることはめったにありません。それに学生は親の前で、おぼえたばかりの日本語で私と会話したがるため、日本語、学生の母語、英語の3か国語が混じる会話となり、なんとなく間が持ちます。
欧米の若者は、あっという間に大人になります。あどけない少女だったセリナでしたが、大学進学のために一人暮らしを始め、ぐっと大人っぽくなっていました。
セリナの両親が選んだレストランは汐留のディンタイフォン(鼎泰豊)。
台北の店には行ったことがありますが、東京の店はどこも長い行列。本場で食べればいいと、わざわざ行くことはないと敬遠していました。セリナの両親はホテルのコンシェルジェを通して予約したそうです。
セリナのお父さんは世界的な総合化学メーカーのエグゼクティブで、お母さんはレストランのシェフ。「台湾に行く予定がないから、東京でここの小籠包を食べてみたかった」とのことです。
「ここの店の名前は、中国の古典から取られたものです。その本は、ドイツ人の中国研究者によって翻訳されました」と私。
ウィルヘルム訳の『易経』はユングに大きな影響を及ぼし、「シンクロニシティ」の概念が生まれました。東洋の英知である易について、西洋人と語りたいといつも願っていたのです。
火風鼎(かふうてい)、地天泰(ちてんたい)、雷火豊(らいかほう)。易の六十四卦から、おめでたくて発展しそうな卦を3つ選んでつけた店名。その効果は抜群で、今や台湾だけでなく世界的なレストランチェーンに成長しています。
この3年間、悩み苦しみながら日本語学校の教壇に立っていましたが、こういう形で報われるなんて感無量でした。
毎年、当たり前のように花見をしていますが、日本語を学ぶ外国人学生にとっては、花見は大きなあこがれです。春を前に帰国する学生たちは「次はきっと、桜の季節に日本に来ます」と言います。セリナはその言葉通り、春に再び来日できました。