クリストファーさんとサリーさんのイイダ夫妻と半日過ごした時、「ロスト・イン・トランスレーション」から映画の話になりました。
フィンランド人に、よく「東京物語」について話します。「あなたの国のアキ・カウリスマキは、『東京物語』を観て、映画監督を目指した」と。
イイダ夫妻に「東京物語」の話題を出したのは、カズオ・イシグロへとつながっていくからです。5歳の時に海洋学者だった父の研究のために一家で渡英し、イギリスで教育を受けたカズオ・イシグロは、日本語はほとんど話すことなく、結婚相手もイギリス人女性です。初代イイダさん、息子のミノルさんの人生に重なる部分があり、クリストファーさんが興味を持つかと思ったのです。
「古い映画だけど、機会があったらぜひ観てください」とおすすめしました。
「カズオ・イシグロの小説がお好きなら、きっと小津安二郎の世界も気に入るでしょう」と。
「尾道で『東京物語』を思う」でも紹介したこの本に、カズオ・イシグロは1950年代の日本映画から最も影響を受けたと書かれていました。
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「東京物語」と小津安二郎: なぜ世界はベスト1に選んだのか (平凡社新書)
- 作者: 梶村啓二
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2013/12/16
- メディア: 新書
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紀子の「できすぎた嫁」に痛みを感じたとき、別の「できすぎ」の人物を思い出した。
カズオ・イシグロの『日の名残り』の老執事スティーヴンスである。
父が死につつあるとわかりながら、書斎で行われている政界の密議にお茶をサーブすることを優先させた。
執事とは、お茶をサーヴすることで、国際政治の重要な決定に寄与する職業なのだと。私生活の事情で、その重要な責務を放棄することは一流の執事としては失格だと。執事にとって最も重要なDignityを失うことなのだと。
しかし、現実には、彼が仕えたダーリントン卿は国際政治においてはアマチュアであり、短慮でナイーヴな対ナチ宥和者として第二次大戦後、政治的誤謬を厳しく指弾され失墜する無能者にすぎなかった。
サリーさんは映画「日の名残り」を観たことがあり、アンソニー・ホプキンスが演じた執事のことをよく覚えていました。老境にさしかかり、執事という仕事に捧げた一生を誇りに思いたいと願うスティーヴンス。しかし、現実は残酷です。
スティーヴンスに心を揺さぶられた人は、「東京物語」の紀子にも感情移入します。
文化の違いを超えた普遍的な人間の悲哀を描いたからこそ、「東京物語」は世界の映画関係者からナンバー1に選ばれたのでしょう。
私自身について思いを巡らせると、ライターという職業に就けたことは幸運だったし、時代がよかったから、多くの原稿を書いてきました。東洋占術という専門分野を持ったこともあり、多くの同業者が廃業に追い込まれる中、なんとか仕事は続いています。20年ほど遅く生まれていたら、活字のライターは職業として成り立たなかったかもしれません。
組織に属さないフリーランスだったのも、私にはぴったりの働き方でした。
しかし、書く仕事といっても、村上春樹の言うところの「文化的雪かき」が多かったし、自分の名前を出さずゴーストライターの仕事もこなしてきました。
それでも、私の職業人生は何らかの意味があったと思いたい。
アイルランドの日本庭園の記事を書いたことから、イギリスのイイダ一族との縁ができて、小津安二郎とカズオ・イシグロについて語る私。これだけでも、ささやかな達成ではないかと思った日でした。
稚内港の北防波堤ドーム。爆弾低気圧の影響でフェリーもJRも動かず、礼文島にも豊富温泉にも行けなかった10月の稚内旅行。それでも、強く心に残る旅でした。できれば来年、違う季節に稚内を訪れるつもりです。