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2024/08/31

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  • 「兵庫~岡山・JR旅一泊二日⑨」ホテル一泊・岡山から姫路へ

    久しぶりの一泊旅行。岡山城からホテルへ帰って少し休んだ後、夕食目当てで外へ出ました。事前に調べておいた所があったのですが、スマホで探しても店に辿り着けず、散々歩いたものの代わりの店も決められず、周辺を見ただけで結局ホテルへ戻りました。そのホテルの入り口の外から入る中華のお店があり、そこへ入りました。選べるミニコースの定食にしました。ちょっとお飲み物も追加。お酒に弱い私は、ちょっと顔を赤くしてホテルへ戻りました。窓から夜の岡山城を見ると、ライトアップされていました。一日目はこれで終了です。朝食はちょっとしたバイキング。好きなものだけ、でもないかな。食べ始めてから撮りました。すみません・・・。朝の岡山城。これにておさらばです。路面電車に乗りました。岡山駅から新幹線で姫路へ向かいました。二日目の城巡りスタートで...「兵庫~岡山・JR旅一泊二日⑨」ホテル一泊・岡山から姫路へ

  • 「兵庫~岡山・JR旅一泊二日⑧」岡山城・・・その3

    岡山城のつづきですが、今日はもう一台のカメラの画像を載せます。路面電車の乗ってやって来たホテルです。ホテルの部屋の窓から岡山城が見えました。さっそく岡山城へ。烏城みち。後楽園の方。カメラを交代しながら撮ってます。ここからの天守の姿もいいですね。それなりに人も多かったです。この姿がいいです。もちろんお城へ入りました。最上階からの景色。後楽園ですね。今回、後楽園には寄りませんでしたが、少しでも遠望が見れたのでヨシとしましょう。金のシャチホコ?名古屋城ではないですね。こうした自動販売機は、史跡とか城跡で時々見かけますね。黒い姿が岡山城らしいということかな。天守を沢山撮りましたね。ホテルへ向かいながら、堀の外側からも撮りました。岡山城御城印。収集第五十四号の御城印です。一日目の城巡りは、これで終了です・・・。「兵庫~岡山・JR旅一泊二日⑧」岡山城・・・その3

  • 「兵庫~岡山・JR旅一泊二日⑦」岡山城・・・その2

    これが見たかった岡山城だ。・・・ちなみに前回の最後の岡山城の画像とはちょっと違う。どうでもいいかな。南側から下りました。こうした城跡は、歩いているだけで幸せです。こんな所の隣に住みたい。自動販売機までおしゃれです。目安橋から烏城みちへ出て、ホテルの方へ向かいました。外へ出ても史跡は多くあります。あちらも史跡ですね。・・・たぶん。夕方になっています。まだ岡山城が見えます。見えます。見えます。見えます三連発。建物の間からも石垣が見えます。ここからも岡山城。城主に池田氏の名前もあったね。ホテルが近くなりました。最初の石山公園の反対側の歩道から。すぐにホテルが見えました。ホテル付近です。路面電車。泊るホテルです。つづく・・・。「兵庫~岡山・JR旅一泊二日⑦」岡山城・・・その2

  • 「兵庫~岡山・JR旅一泊二日⑥」城№489・・・岡山城・・・その1

    本当のところ、車で全国を回って小さな城跡も含めて沢山回りたいけれど、もう年なので車を運転しての遠出は難しい。行けるのは、東海三県周辺に限られてしまいます。なので、こうして電車に乗って、コツコツと城跡を巡る。まあそれでもいいかな。赤穂からJR線で岡山へやって来ました。最初はコンパクトデジカメで撮った画像で岡山城を紹介します。岡山と言えば、桃太郎。いえ、私は岡山城です。私の住む町と同じで路面電車が走っています。ホテルまでは、赤穂城の時のように歩いてでも行ける距離でしたが、赤穂でタンと歩いたので、迷わず路面電車に乗ってホテルへ行きました。チェックインしてすぐ、ホテルに大きな荷物を置いて岡山城へ向かいました。岡山駅、ホテル、岡山城とほぼ延長線上にあるので初めてでも、簡単にたどり着けます。最初に到着したのは、岡山城...「兵庫~岡山・JR旅一泊二日⑥」城№489・・・岡山城・・・その1

  • 「兵庫~岡山・JR旅一泊二日⑤」赤穂城から播州赤穂駅へ・・・途中で昼食も

    赤穂市は岡山県との県境にある瀬戸内の街。再び訪れることはないかもしれないので、出来る限り写真を撮りたい。そう思って赤穂城を回りました。石垣も多く、堀も巡っていて、城跡鑑賞としては非常に満足できる城跡です。歴史博物館は、城跡の北東側にありました。残念ながらここはスルーして、城跡を後にします。正面側(三の丸)に帰って来ました。お城通りを駅に向かって歩きます。昼食は、駅が近くなった所にあったお蕎麦屋さんにしました。坂越(さこし)かき。坂越湾で獲れる牡蠣とのこと。それなりに有名なんだろうな。ちなみに牡蠣は大好きでございます。二階へ案内されました。私はカキ天ざるです。奥方様はアナゴ天ぷらの暖かいそばだったかな?坂越カキ、大きくて美味しかった。もう二度と食べられないだろうなあ・・・。赤穂城訪問終了。播州赤穂駅の観光情...「兵庫~岡山・JR旅一泊二日⑤」赤穂城から播州赤穂駅へ・・・途中で昼食も

  • 「兵庫~岡山・JR旅一泊二日④」赤穂城・・・その3

    奥方様も見て歩けるお城だとついてきます。説明版を読んだりするのは私より熱心です。私はとにかく画像をいっぱい撮りたいと、ササっと読んで次へ次へと進んで行くので、時々先の場所で待っていたりしています。お城にはそれぞれの見方、楽しみ方があるので気にしません。とにかく天気が良いとこうしてゆっくり見て撮って歩けるので満足できます。天候に恵まれるのは日頃の行いが良いからでしょう。・・・どちらの?赤穂市は初めて来ました。調べたら人口44000人を超えるくらいの街でした。大きなビルも少ないし、人混みも車の交通量も少ないので、こんな所で暮らしたいな、なんて思ったりします。本丸も広いです。狭間から外を覗くのも面白いです。テレビでお城の番組をやっていると、ここから攻めてくる敵を狙い撃ちすると言っています。天守台の下までやって来...「兵庫~岡山・JR旅一泊二日④」赤穂城・・・その3

  • 「兵庫~岡山・四城JR旅一泊二日③」赤穂城・・・その2

    背にはリュック、空いた両手にカメラを二台持って歩きました。赤穂市は初めてなので、いろいろ撮りたいと思っての装備です。駅前には大石内蔵助の像。忠臣蔵のドラマや映画は何度か見たことがあります。ちなみに私の県には吉良があります。播州赤穂駅。ここから赤穂城まで1㎞ほどを歩きました。忠臣蔵ってこの時期なんですね。この時はもう過ぎていたけど…。お菓子屋さんです。正月休みかな?お城には青空が似合いますよね。黙々と進んで行きます。大石神社は賑やかでした。本丸へやって来ました。奥方様は元気に歩いていましたが、私はすでに足裏が痛い状態でした。普段は山城とかも行っているのになあ・・・。赤。奥方様、入城・・・。コンパクトデジカメ(キャノン)画像、つづく・・・。「兵庫~岡山・四城JR旅一泊二日③」赤穂城・・・その2

  • 「兵庫・岡山・四城JR旅一泊二日②」№488・・・赤穂城・・・その1

    播州赤穂駅へ着きました。赤穂と言えば、忠臣蔵ですね。赤穂城へはおよそ1㎞ほど、余裕で歩けるでしょ。その向こうは瀬戸内海か・・・。静かな街です。奥方様と散策しながらゆっくり歩きました。堀部安兵衛(赤穂浪士)。赤穂藩の藩主は、池田家、浅野家、永井家、森家と続きました。忠臣蔵は、浅野家の時です。小野寺十内(赤穂浪士)。向こうに何かあります。先へ進みます。お城通り。堀と櫓が現れました。お城のような建物は、お菓子屋さんでした。枡形門。大石神社。大きな神社です。遺構はいろいろあり、まだ調査中ではないでしょうか?赤穂城。ここから本丸跡です。天守台跡です。山に赤穂の文字が・・・。ぐるっと一回りして、最初の隅櫓へ戻りました。以上一台の一眼カメラ(ニコン)で撮った画像でした。次回は、コンパクトデジカメ(キャノン)撮ったものを...「兵庫・岡山・四城JR旅一泊二日②」№488・・・赤穂城・・・その1

  • 「兵庫~岡山・四城JR旅一泊二日①」行き車窓

    今年の1月5日から6日に一泊二日で奥方様と兵庫県から岡山県の四城へ行って来ました。今回の旅行、以前から行きたかった城巡りを奥方様の了解を得て、計画を立てました。g…マップや路線情報を調べて、寄りたい四城をどういうルートで行くかを練りました。やはり距離があるので新幹線を利用。朝早くやって来た豊橋駅の新幹線ホーム。ワクワクしながら新幹線を待ちました。名鉄やJRの電車を眺めて待ちました。やって来た新幹線。いつものように私が窓際です。名古屋駅で乗り換えて、姫路まで向かいます。名古屋駅出発。京都。今日と出発。・・・東寺ですよね。新大阪。電車が見えると撮影。地元では見れない電車は楽しい。新神戸で乗り換えたっけ?姫路駅到着。姫路城へ行きたいなあ・・・。JR山陽本線(播州赤穂行き)へ乗り換えます。乗ったことのない電車です...「兵庫~岡山・四城JR旅一泊二日①」行き車窓

  • 「リベンジ・ザ・山城・・・その8」嵩山の蛇穴

    リベンジではないのですが、ほぼ記憶にない小学校の遠足で来た所へ寄りました。左京殿城の西側にある小学校から国道362号を越えて旧道へ。そこから三ケ日方面へ向かい、山道になる手前で再び国道362号を潜り、坂道を上がりました。すぐに分かれ道があり、右へ入って旧道から外れて歩きました。さらに池の脇を通ってしばらくすると、登り口に辿り着きました。ほんの少しあった記憶とは全然違う現場でした。こんな所を登って行ったんだ、まったくその覚えがない。とにかく上がって行きました。岩壁です。上がって来ました。こんな姿だったのは記憶にありますが、思ったより小さい気がしました。嵩山の蛇穴。名前自体を忘れたことはありません。ただ蛇がいる洞窟だというような所のように思っていました。それも大蛇が・・・。縄文時代の人が居住していたなんて、小...「リベンジ・ザ・山城・・・その8」嵩山の蛇穴

  • 「リベンジ・ザ・山城・・・その7」左京殿城

    月ヶ谷城と同じ時にやって来て、月ヶ谷城と同じように入っていけなかったのが、左京殿城です。見た目高い山でもなく、こんもりとした森のような感じでした。遺構があるのか?ないのか?情報は不十分でした。入り口と言う情報で行きましたが、雑草が生い茂っていて入れませんでした。その後、外回りの道で向かいました。入れる場所も分からず戻り、結果遠望中心の訪問画像となりました。さあ、今回はどうなったのか・・・?城跡西側の小学校です。グランド手前の神社の駐車場から上がって来ました。再び遠望からスタートです。回り道を進んでみました。ここではいきすぎです。畑の隅に上がれる場所がありました。最初からやや段差があります。道があるような、無いような。それでも進んでみました。堀のようにも見えます。確かに・・・。また一段高くなっています。それ...「リベンジ・ザ・山城・・・その7」左京殿城

  • 「リベンジ・ザ・山城・・・その6」月ヶ谷城②

    何処まで行っても森の中。山城で不安になるのは、この先に本当に城跡があるのか?彷徨っているだけなのか?やはり目印がないと困ります。登山やトレッキングみたいなことをしているわけでもなく、得意じゃない。城跡がたまたま山にあるので目指しているだけ。高い山でも登城道が整備されていればいいけれど、さほど有名でない山城は特に不安だ。あったあ!入り口と同じような木碑だ。ここが主郭で山頂なんだね。ホッとしたな・・・。遺構のような所もあるみたいだ。息を整えるために散策中。さあ、下山しようか。目印もちゃんとあります。迷っていません。あったよね。山の中へ入っても、これくらいの山なら迷わないかな。帰り道を間違えることはなかったからね。無事に帰ってまいりました。月ヶ谷城もリベンジ成功です・・・。「リベンジ・ザ・山城・・・その6」月ヶ谷城②

  • 「リベンジ・ザ・山城・・・その5」月ヶ谷城①

    2021年10月に訪問した豊橋市嵩山町にある月ヶ谷城。その登城口まで行って戻った山城です。登城口は見つけました。城址入口を示す木碑もありました。しかし誰も通っていないような、草ボーボーの登城道に心が折れて、入山を断念しました。遠望を撮ってあの山が月ヶ谷城だとして訪問終了。何としてもリベンジしたい。そう思って再度やって来ました。整備されたのか?12月だからなのか?道がある・・・。希望をもって登城開始。矢印がある。すぐにたどり着けるのかな?千両かヤブコウジか、向かい入れてくれました。目印にはなるかな。地面を指す矢印。道なのか?矢印合ってる?黄色いのもあった。しっかりしろ、矢印!道なのか?水が流れた後なのか?どこかにある矢印を頼って進みます。信用できるのか?頼むぞ矢印!斜面になると落ち葉で足が滑ります。倒木をジ...「リベンジ・ザ・山城・・・その5」月ヶ谷城①

  • 「リベンジ・ザ・山城・・・その4」赤岩寺と赤岩城②

    赤岩城跡を越えて、尾根を歩いている状態と思い引き返しました。この辺りは遺構だと思います。堀切?土塁のようにも見えます。石は関係ないのかな?下って行きます。戻って来ました。ここが三の曲輪なのかなあ?広場から下がります。砂防ダムの方へは戻らず、南西方面展望台へ向かいました。道はいくつか分かれていました。途中に銅像がありました。近藤寿市郎像です。愛知県議員、衆議院議員、豊橋市議員、豊橋市長となった方です。知らないと思ったら昭和16年(市長)でした。さらに下って行きました。どんだけの分かれ道じゃ!通って来ました。そうです、展望台です。少しはしょったら、展望台到着です。豊橋市です。豊橋南部、田原方面かな。展望台訪問終了。赤岩城。牧野氏もしくは戸田氏の居城。お寺へ帰ります。最初の分かれ道へやって来ました。駐車場へ戻り...「リベンジ・ザ・山城・・・その4」赤岩寺と赤岩城②

  • 「リベンジ・ザ・山城・・・その3」赤岩寺と赤岩城①

    2021年10月に訪れた赤岩城。赤岩寺を少し見て、砂防ダムへ向かって坂道を上がり、そこの脇から赤岩城跡を目指しましたが、結局中間点くらいで挫折して下山しました。今度こそは・・・。仁王門脇を通り過ぎ、赤岩寺の駐車場へ入りました。今回は時間の余裕もあるので、赤岩寺も少し見て回ります。龍が好きです。・・・なんで?1300年か、そうすると時代は・・・?脇道へ出て、まずは前回同様砂防ダムまで坂道を上がって行きます。砂防ダムと展望台(前回は行っていない)の分かれ道。そんなにきつい坂道ではありませんが、私にとっては坂道は坂道、楽じゃない・・・。砂防ダムまでやって来れました。一先ず休憩。気分は登城終了。いよいよ赤岩城へ。前回はそこまで行ったと思います。岩が多い。赤くはないけど・・・。落ちたくない。こんなに先だったかなあ・...「リベンジ・ザ・山城・・・その3」赤岩寺と赤岩城①

  • 「リベンジ・ザ・山城・・・その2」比丘尼城②

    やって来ました比丘尼城。ここで終了と思いましたが、まだ道が続いていたので遺構などがあるかと先へ行ってみました。この先へ行ってみます。何だこれは!?そういえば、上がってくる途中で愛の鐘とか書いてあった。この先が下山への回り道かな?この池より下へ行ってみたけれど、しだいに足元も見ないような草むらとなり、危険を感じて元のルートで戻ることにしました。城址碑の所まで戻って来ました。もう一度登城の証拠を撮って、いよいよ下山です。別ルートがありますが、何処へ行ってしまうか分からないので、もとの道を帰ります。東屋まで戻って来ました。あんなに苦しんだ道も、下山は楽ちんでした。下山道は少し違う所を歩きました。無事帰ってまいりました。山城・比丘尼城登城成功です。まあ、やろうと思えばこんなものです・・・。(頑張って良かった・・・...「リベンジ・ザ・山城・・・その2」比丘尼城②

  • 「リベンジ・ザ・山城・・・その1」比丘尼城①

    いくつもの山城(そんなに高い山でもないけれど)に挑戦して、途中断念した過去を持つ私。次こそはと思いつつ避けてきた山城へもう一度行ってみた今回の「リベンジ・ザ・山城」、ここからスタートです。2022年5月末、新城市中宇利岡の登城口から細い山道を上がる山城、比丘尼城へ行きましたが、途中の岩場辺りで運動不足の体力を悲しみながら断念した最初の登城。女性登城者に追い抜けれても、ユリの写真でごまかし、訪問終了としてしまった自分を奮い立たせ、再びやって来ました2023年12月下旬。今回は何としても本丸の頂上へと意気込み登城スタートです。山裾の道路から少し上がった登城口駐車場に車を置いて、比丘尼城の登城口へやって来ました。今回は絶対に登りきるぞと心に誓い、歩を進めました。こんな景色だったと余裕で進んで行きます。桜が咲いて...「リベンジ・ザ・山城・・・その1」比丘尼城①

  • 「掛川・菊川南部自然と歴史ドライブ⑧」モンターニュ竜王店

    横須賀城から帰る時、また国道150号へ向かいます。そしてこの通りには見ないふりして走り過ぎるのがつらい店があります。国道150号を走り、掛川市から袋井市、そして磐田市に入ります。天竜川が近くなる前の左手に、帰り道にどうしても寄りたくなってしまうようにケーキ屋さんがあります。それがモンターニュ竜洋店。我慢して通り過ぎる時もありますが、この日はしっかり目に入ってしまったので寄ってしまいました。いつものように分け合えたので、多少太ってしまうのは仕方がない。お土産なので・・・。「掛川・菊川南部自然と歴史ドライブ」終了です・・・。「掛川・菊川南部自然と歴史ドライブ⑧」モンターニュ竜王店

  • 「掛川・菊川南部自然と歴史ドライブ⑦」横須賀城

    もう何度訪問しただろうか?近くを通ると寄りたくなってしまう横須賀城。清水邸庭園から西へ数百メートル、行きや帰り道にこの道を通ることも多いので、ついつい寄ってしまう好きな城跡です。さっそく駐車場から登城です。何度も来ると、同じような写真も撮りたくないし、かと言って好きなアングルもあるので、撮りためて比べてみようかな。また同じような写真を撮ってしまう。もっと時間をかけて広く回りながら撮らなくちゃね。いつも回る場所が多くて一ヶ所一ヶ所の滞在時間が不十分なんですよね。その原因の性格から変えないと、と思いつつ、全く変わらない性格です。さあ、帰ろう・・・。「掛川・菊川南部自然と歴史ドライブ⑦」横須賀城

  • 「掛川・菊川南部自然と歴史ドライブ⑥」清水邸庭園

    県道69号まで南下して、西へ向かって走りました。横須賀城が近づいて来た所で右手に、何度も横目で見てきた屋敷があります。中身がどんなものかも知らなかったので寄ってみることがありませんでした。駐車場から恐る恐る(怖い所でもないのに、一人だから・・・)入って行きました。清水邸庭園。清水家は江戸元禄時代に回船問屋を営み、藩の御用達を勤めるなどして栄えた旧家です。(掛川市資料より)お茶はの見ませんでしたが、庭園は一人でも楽しめました。手入れは無理だけど、こんな庭園のある家で余生を過ごしたい・・・。現実に戻って、次へ行こう・・・。「掛川・菊川南部自然と歴史ドライブ⑥」清水邸庭園

  • 「掛川・菊川南部自然と歴史ドライブ⑤」高天神城麓へ寄り道

    イチョウ並木からは帰り道なので、吉岡彌生記念館は、行く時と同じ道を戻って、能ヶ坂砦の標柱の横を通り過ぎ、大東北運動場を過ぎた所で左へ入りました。そこから南へ少し下り、西へ走ると高天神城があります。もうナビがなくても来られる感じになっています。駐車場を出て南へ向くと、前方に登城口があります。駐車場の横の道路脇にある看板です。今度行ってみようかな。けっこう来ていますね。たぶん登城者だと思いますが・・・。本当にちょこっと寄ってみただけです。先を急ぎます・・・。「掛川・菊川南部自然と歴史ドライブ⑤」高天神城麓へ寄り道

  • 「掛川・菊川南部自然と歴史ドライブ④」掛川市吉岡彌生記念館

    以前この前まで来たことがりました。こんな立派な記念館がある人、いったいどんな人なんだろう?そう思っていたので寄ってみました。入ったら誰もいませんでした。休館なのに開いてたの?いや開館中だったから入ったんだ。しばらくして事務所から受付の人が出てきて館内を見学しました。吉岡彌生。日本の近代医学史に大きな足跡を残した。静岡県掛川市出身の女性医師。東京女医学校(現在の東京女子医科大学)を創立した他、さまざまな要職を務め、女性の社会的地位向上に大きく貢献した。(ネット資料より)全く知りませんでした。ごめんなさい。展示やビデオなどで生涯を知りました。何処へ向かっているかというと、見学する順番で展示室から上にある移築生家へ向かっているのです。長屋門を潜って中へ入って行きました。受付へ戻って見学終了、駐車場へ戻りました。...「掛川・菊川南部自然と歴史ドライブ④」掛川市吉岡彌生記念館

  • 「掛川・菊川南部自然と歴史ドライブ③」平尾イチョウ並木

    昨年1月には葉っぱ一つ無い並木道となっていた平尾のイチョウ並木。12月初めならどうだろう・・・?能ヶ坂砦の標柱を発見し、気分も良くなったところで、坂を下りて行き、道なりに東へ進みました。すぐに掛川市から菊川市へと移り、西平尾公民館の手前の四つ角を左折して北上しました。すぐに左手にイチョウ並木が見えて来ます。わお!まただ。この辺りは暖かいから落葉するのが早いのかな?それでも一人で歩いて見よう。秋冬の並木道と言うと、冬ソナの並木道を思い浮かべます。ただチェさんとペさんが歩いた並木道は、メタセコイヤと言う針葉樹らしい。とても高校生に見えなかったペさんですが、並木道を歩き、授業をサボったことで焼却場の掃除をして、二人の距離が縮まったシーンへと続いて行ったと思います。そうではなく、黄色い葉っぱが散っているような並木...「掛川・菊川南部自然と歴史ドライブ③」平尾イチョウ並木

  • 「掛川・菊川南部自然と歴史ドライブ②」再訪能ヶ坂砦

    偶然のめぐり逢い(人とめぐり逢ったわけではありません)、いえ、ただ気が付かなかっただけなのかもしれません。大浜公園から北側麓の貞永寺方面へ山を下って県道38号へ出ました。そのまま北上して行き、昨年1月に訪問した菊川市の平尾のイチョウ並木を見るために(前回は葉っぱ一つありませんでした。今回も時期的にどうなのかわかりませんが・・・)向かっていましたが、途中六砦の一つである能ヶ坂砦の山が見えました。昨年1月撮影。昨年1月撮影。昨年1月撮影。「ああ、上がる所も分からず、ただ山や森の姿を撮っただけだったなあ・・・」そう思いながら、交差点をそのまま直進して行くと、下り坂になった右手に何かがあって車を停めました。何だか気になります。とりあえず見に行こう。高天神城跡まで2㎞は分かります。その右に見える白い突起物です。何か...「掛川・菊川南部自然と歴史ドライブ②」再訪能ヶ坂砦

  • 「掛川・菊川南部自然と歴史ドライブ①」再訪三井山砦

    昨年12月、浜松市の国道1号線から国道150号線へ移って、磐田市南部、袋井市南部を抜けて掛川市へ入りました。川を渡ってすぐのイオンタウン大須賀の手前で左折して北上、西田町の交差点で右折してさらに東へ進みました。その県道69号を進んで行き、野中の交差点で斜め左へ入り、山側を東へ。そのまま走って行くと現れる大浜公園入口の交差点を左へ入り、そのまま山へと上がって行きました。左へ大きくカーブする山道の右手にこの橋が見えます。この右手が三井山砦です。ここを通過して頂上の大浜公園まで上がりました。頂上にある展望台です。周辺を散策しました。前回の訪問で、三井山砦に向かう側の観音様は見て回ったので、今回は展望台側の観音様を少し見て回りました。今回はここまでの訪問でしたので、前回2022年11月に高天神六砦の一つとして訪問...「掛川・菊川南部自然と歴史ドライブ①」再訪三井山砦

  • 「浜名湖湖北五山巡り+二寺・・・その10」ブラックサンダー(有楽製菓)

    普門寺から南へ下って、県道401号へ出て南下。さらにコンビニのある交差点で右折して立岩街道を二川に向かって走り、すぐ先にある歩道橋の手前のT字路を左折して東海道本線を越えます。大きな会社が立ち並ぶ中原町の県道402号をそのまま南下して行き、新幹線の高架を潜りその先の原町のT字交差点を右折して進みます。そのまま進んで行くと国道1号線に出ますが、交差点を右折してしばらく走ると見える左側の工場の駐車場へと入って行きました。他の人たちも一緒に向かっているのは・・・。ここです。ブラックサンダー。今は全国区のお菓子になっていますかね?豊橋鉄道の市内電車でもブラックサンダーのラッピング車両が走っていたと思います。売店で買って帰りました。色々ありましたよ。「浜名湖湖北五山巡り+二寺」終了。歴史を知るにはお寺を回れ。そんな...「浜名湖湖北五山巡り+二寺・・・その10」ブラックサンダー(有楽製菓)

  • 「浜名湖湖北五山巡り+二寺・・・その9」普門寺

    気が向いたら普門寺。浜名湖からの帰り道なら寄っていける静岡県と愛知県の県境に近いお寺です。もう何度も寄っているので紅葉も初めてではありませんが、散策はけっこう楽しいからまた歩きます。駐車場から参道を歩いて行きます。門の近くにあるヒマラヤザクラ。腕は悪いけど、写真の撮り甲斐があるといいなあ。写真を撮っている人を撮る。・・・つもりではないのですが・・・。撮り方を工夫はしているんですけど、みな思っているのと違う結果に。肉々しい。人は多かったですね。多少なりとも、紅葉の写真らしいものは撮れたかな?そう思うだけでも来た甲斐はあったのかな。さあ、一人で来たのでお土産を考えねば・・・。「浜名湖湖北五山巡り+二寺・・・その9」普門寺

  • 「浜名湖湖北五山巡り+二寺・・・その8」本興寺

    浜名湖周辺で知られているお寺と言えば「本興寺」でしょうか。湖西市鷲津にあります。本光寺は今川氏や家康とも関りがあったようです。参道がまっすぐ伸びていて歩きやすい感じです。さあ、散策です。真っすぐですね。振り返っても・・・。上手く撮れてるかな?参道の左右に歴史を感じる風景が続きます。お寺には良い石垣があります。上も見なくてはいけません。茅葺屋根の本堂は、国の重要文化財だそうです。戻ります。紅葉も少し愛でることの出来た本興寺。近くを何度も車で通り過ぎていましたが、今回が初めての訪問でした。お寺もいいなあ・・・。「浜名湖湖北五山巡り+二寺・・・その8」本興寺

  • 「浜名湖湖北五山巡り+二寺・・・その7」三河屋

    摩訶耶寺から食べる所を探しながら三ヶ日町を南へ進みましたが、奥方様の気に入った所がなく、国道301号を湖西市方面へ向かった走りました。瀬戸トンネルを潜ると三ケ日から湖西市に移ります。浜名湖沿いを少し走った所で、右手の看板を見て駐車場へ入りました。昼食の定番、回転ずし、ラーメン屋、うどん屋の中のうどん屋さんです。三河屋さんです。この前の道はよく走っているので、何度も外の看板は見て来ましたが、入るのは初めてです。私は天ぷらが好きなので、天重にしました。奥方さまがうどんです。奥方様の方が多くない・・・?「三河屋さんは、何処の出身だい?岡崎?吉田(豊橋)?田原?いえいえ御先祖様ですよ。徳川様と一緒にこっちへ来たんですかね?え、関係ない?じゃなんで三河屋なんです?え、つべこべ言わずに早く食べろ?食べますよ。なんで三...「浜名湖湖北五山巡り+二寺・・・その7」三河屋

  • 「浜名湖湖北五山巡り+二寺・・・その6」摩訶耶寺

    三ヶ日町福長にある大福寺から南へ数分走ると五山目のお寺に到着。ここは城好きから言うと、千頭峯城の南側にあるお寺です、と説明出来る場所にあります。駐車場に湖北五山の案内図がありました。龍潭寺、宝林寺、方広寺、大福寺、そして摩訶耶寺です。古いお寺のようです。庭園も観音像などもあるようです。ここもまた一人で散策。・・・急いで。調べていなければ読めません。摩訶耶寺高麗門は、吉田城の城門だった!!庭園までは見れなかったけれど、お腹が空いて気が立っているかもしれない奥方様の待つ車へ戻り、おやつの時間に近くなった時間の昼食を何処で頂こうか?探すのに苦労したくないなあ・・・。「浜名湖湖北五山巡り+二寺・・・その6」摩訶耶寺

  • 「浜名湖湖北五山巡り+二寺・・・その5」大福寺

    方広寺から山を下りてロータリーに出ました。左に行けば井伊谷経由で遠回り、右に行けば直線距離では近い山道。どちらにしようかと思ったのも一瞬、ナビでの位置は右の先に向かっていたため右折して行きました。けっこうな山道となり、思った以上に井伊谷回りより、走る距離はあったような気がします。奥方様も山道に不安を隠せません。しか~し、私は山城巡りでそんな難所も経験済み、いつか着くだろうと走るのみ。やって来ました大福寺。無事到着出来れば、あの道で良かったと思い込みます。方広寺までで散策も終了気分。奥方様を残して一人で写真を撮りに走りました。大福寺でした。もうお腹が空いて腹が立つくらいでしたが(奥方様?)、もう一ヶ所済ましてからにしようと、先を急ぎました・・・。「浜名湖湖北五山巡り+二寺・・・その5」大福寺

  • 「浜名湖湖北五山巡り+二寺・・・その4」方広寺②

    方広寺のつづきです。奥山方広寺の鎮守の神様、「奥山半僧坊大権現」。宗教やお寺については詳しくないので説明はしません。戦国やお城、武将に関連していたら少しは書けるかもしれませんが、画像中心になります。回廊や長い階段があるのは、広いからこそだと思います。歩くの大変!何処を見ても絵になる感じです。本堂はもちろん、大庫裡、大慈閣、三笑閣、観音堂、鐘楼などいろいろな建物がありますが、本当は下から歩いて総門を通ってくるといいんでしょうが、私たちは上まで車で来てしまいます。一回り(していませんが)して三重塔の駐車場に戻ります。まだまだ建造物はたくさんあるので、また来てみてもいいかな。駐車場へ戻りました。奥山城のある山は写っていたんだろうか?とにもかくにも、方広寺は広い。また来よう・・・。山を下りて、次へ向かいました・・...「浜名湖湖北五山巡り+二寺・・・その4」方広寺②

  • 「浜名湖湖北五山巡り+二寺・・・その3」方広寺①・・・城№487・・・奥山城

    宝林寺から再び井伊谷へ戻り、以前御城印を購入したお菓子屋さんの前を通って(県道303号)西へ向かいました。途中右手山の方に竜ヶ岩洞、その先左手に奥山館跡を見ながら走って行き、引佐町奥山の駐在所の前を通った先の奥山の交差点を左折してしばらく走ると、右手にロータリーのような場所があり、その左手の坂道を上がって行きました。途中大きく右に回って三重塔の駐車場に入りました。以前、先ほど書いた大きく右に曲がって、という場所まで来て、駐車場がいっぱいだということで、訪問をキャンセルした経験がありましたが、今回は無事到着しました。よく読んでいなかったので、改めて見ると経営者だからまたお参りに来なくちゃいけないかな。方広寺です。「おんな城主直虎」の時にここへ来る目的だったのは、方広寺の北東辺りに奥山城があるからでしたが、今...「浜名湖湖北五山巡り+二寺・・・その3」方広寺①・・・城№487・・・奥山城

  • 「浜名湖湖北五山巡り+二寺・・・その2」宝林寺

    龍潭寺から東へ向かい、国道257号へ出て南下し井伊谷を出ました。そして国道362号を東へ進むと、細江町中川の山側(北側)に宝林寺と言うお寺があります。駐車場に湖北五山の看板がありました。全部回れるのかな?とりあえず少し坂を上がって、宝林寺を散策です。何だかおしゃれなお寺ですね。宝林寺。近藤家の菩提寺。江戸時代初期に建立されたようです。金鳴石が有名みたいです。やっぱりおしゃれですね。どんな杉なのか?こんな杉です。山門ですかね。すぐ下が国道です。駐車場に戻ります。広くて明るい感じのお寺でした。次は、また井伊谷の方へ向かいます・・・。「浜名湖湖北五山巡り+二寺・・・その2」宝林寺

  • 「浜名湖湖北五山巡り+二寺・・・その1」龍潭寺

    昨年11月末、奥方様と紅葉でも見れればと、浜名湖の湖北五山を回って来ました。ちなみに「浜名湖湖北五山」とは、奥浜名湖地域にある国指定重要文化財を有する5つの寺院の総称です。浜名湖の西側から時計回りに走り、国道301号、瀬戸佐久米線、国道362号を経て、県道320号で井伊谷の龍潭寺へやって来ました。龍潭寺は度々来ています。奥方様とも二度目の訪問です。以前大河ドラマ「女城主直虎」を見ていた頃に、奥方様と有名な龍潭寺庭園は見ていますので、今回は外を回るだけにしました。井伊谷宮を経て駐車場へ戻りました。売店にも寄って、ここで直虎と直政の武将印を買ったと自慢話?をしました。予定が五山巡りなので、すぐさま次のお寺へ向かいました・・・。「浜名湖湖北五山巡り+二寺・・・その1」龍潭寺

  • 「出張!お城EXPOin滋賀・びわ湖2024」へ行って来ました!

    昨日「出張!お城EXPOin滋賀・びわ湖2024」へ行って来ました。米原市です。一週間前くらいにネットで情報を得て、急遽予定に入れ、奥方様と米原市へ行って来ました。4月の名古屋に続いて2度目のお城EXPOです。滋賀県立文化産業会交流会館と米原学びあいステーションの2会場でした。9時半開場の会館前は、このような行列でした。なんとか数十分で会場入り出来ました。パネル展示や各ブースが並んでお城の紹介などをしていました。小和田さんの講演会もありましたが、会場を回って御城印などを手に入れ会場を後にしました。史跡やお寺にも行って来ました。かなり歩きましたが、今日は何ともありません・・・?「出張!お城EXPOin滋賀・びわ湖2024」へ行って来ました!

  • 「どうする桶狭間・・・追加版⑩」善照寺砦と御城印(砦印)

    鳴海城の西、中島砦の北北東にあるのが善照寺砦です。丹下砦と共に鳴海城を囲んでいます。善照寺砦御城印(砦印)。収集第五十二号の御城印(砦印)です。砦公園となっています。実際はもっと高くなっていて、鳴海城が見えていたのかな?善照寺砦。画像は2022年2月訪問時に撮影したものです。「どうする・・・・」関連の史跡巡りも過去のものになってしまいましたね。「どうする桶狭間・・・追加版」終了です・・・。「どうする桶狭間・・・追加版⑩」善照寺砦と御城印(砦印)

  • 「どうする桶狭間・・・追加版⑨」鳴海城と御城印

    鷲頭砦から北東に進んで名鉄鳴海駅を越え、橋を渡って坂道を上がり、その先で左折すると公園に突き当たります。鳴海城御城印。収集第五十一号の御城印です。名古屋市緑区鳴海町城の鳴海城城址公園です。鳴海城。桶狭間の戦いでも、鳴海城は織田軍を寄せ付けず、桶狭間で討たれた今川義元の首と引き換えに城を明け渡し、静岡市の臨済寺に葬ったそうです。左折する前の右手には神社があり、そこに城址碑があります。右左折せずにそのまま坂道を上がり、最初の細い路地を左折して進んで行くと、東福院と言うお寺があり、その山門が鳴海城の廃材を使った移築城門です。東福院の向かい側にある細い道を上がって行くと、城址公園まで行けます。鳴海城でした・・・。「どうする桶狭間・・・追加版⑨」鳴海城と御城印

  • 「どうする桶狭間・・・追加版⑧」鷲津砦と御城印(砦印)

    丸根砦から新幹線を左に見て、そのまま数百メートル北にあるのが、鷲津砦です。鷲津砦御城印(砦印)。収集第五十号の御城印(砦印)です。平山城の半分は住宅地になっている感じです。砦跡は公園にもなっています。鷲津砦。丸根砦と同様、信長が築いた砦です。2023年2月、大河ドラマ「どうする・・・・」の影響で訪れました。鷲津砦でした・・・。「どうする桶狭間・・・追加版⑧」鷲津砦と御城印(砦印)

  • 「どうする桶狭間・・・追加版⑦」丸根砦と御城印(砦印)

    桶狭間古戦場観光案内所で購入した御城印はまだあります。丸根砦御城印(砦印)。収集第四十九号の御城印(砦印)です。丸根砦。名古屋市緑区大高町丸根にあります。小山になっているので分かりやすいです。信長が築いた砦です。丸根砦でした・・・。「どうする桶狭間・・・追加版⑦」丸根砦と御城印(砦印)

  • 「どうする桶狭間・・・追加版⑥」中島砦

    丹下砦から南へ下り、名鉄鳴海駅の手前の扇川を渡る前の本町交差点を左折、この道は東海道です。そのまま東へ進むと扇川を渡ります。その先に砦跡があり、2月にも訪れていますが、城址碑のあるお宅を見つけられませんでした(写真を撮った中の一軒はそのお宅でした)。今回はg…マップでしっかり調べてきたので、ぐるっと回って扇川と分かれた水路沿いに城址碑を探しました。ありました。中島砦。ここも鳴海城包囲のために造られた砦です。あれ?城址碑ありますよね?中へ入れば良かった。城址碑は見えていたと思います。確か・・・?中島砦御城印(砦印)。収集第四十八号の御城印(砦印)です。訪問はこれで終了。・・・ですが、手に入れた御城印がまだありますので、過去画像と共に載せて行きます・・・。「どうする桶狭間・・・追加版⑥」中島砦

  • 「どうする桶狭間・・・追加版⑤」城№486・・・丹下砦と御城印(砦印)

    大高城から北へ向かい、国道1号線を越え、名鉄も越えて名古屋市緑区鳴海町丹下の光明禅寺へやって来ました。光明禅寺。一国山光明禅寺。御本尊は、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)です。丹下砦。今川方の鳴海城を囲むために信長によって築かれた砦の一つ。光明禅寺の北背後の丘陵に築かれていたということで、少し奥まで行ってみました。後でネットで調べているうちに気付いたのですが、ここの東側の道を北に進むと住宅の脇に、丹下砦の説明版がありました。もう少し周囲を散策すれば見つけられたのに、今になって後悔しています。撮れ高が違うので・・・。丹下砦御城印(砦印)。収集第四十七号の御城印(砦印)です。この日はもう一ヶ所行きました・・・。「どうする桶狭間・・・追加版⑤」城№486・・・丹下砦と御城印(砦印)

  • 「どうする桶狭間・・・追加版④」大高城と御城印

    春光院から緩い坂道を進み、保育園の角を曲がって行きました。2011年8月に歩いた道です。すでに大高城の高台の位置と同じくらいですかね。同じ景色だったのか?今回はここまででした。なので、まず2011年訪問時の画像の一部を載せて振り返ります。大高城。「大高城の兵糧入れ」は家康のエピソードの一つですね。この時は、城址碑もあまり記憶になく、全体的に殺風景な城跡だと思いながらの急いだ訪問だったと思います。2023年2月の訪問時は、北側の住宅地からの登城でした。2011年より整備されて綺麗になっていた感じですし、「どうする・・・・」の影響なのか発掘調査もされていて、城跡の価値もかわっていくのかなあ?大高城御城印。収集第四十六号の御城印です。サクサクッと次に向かいました・・・。「どうする桶狭間・・・追加版④」大高城と御城印

  • 「どうする桶狭間・・・追加版③」城№485・・・向山砦

    正光寺砦跡推定地から西へ進んで行きましたが、なんだか調べていた所から外れて、目的地の西側まで行ってしまいました。柵の向こうに目的地のお寺があります。砦跡ぽい場所ではあります。お寺の入口へ来ました。駐車場に車を停めて散策してみました。春光院です。向山砦。ここも桶狭間合戦時に大高城を包囲していた織田軍の砦跡です。大高城はすぐ近くです。春光院の前の道を東へ進むと、その北側に大高城があります。さあ、行ってみよう・・・。「どうする桶狭間・・・追加版③」城№485・・・向山砦

  • 「どうする桶狭間・・・追加版②」正光寺砦

    桶狭間関連の砦には、昨年2月にも行っていますが、改めてまだ行っていない所と、砦印(御城印)の一部の砦跡などを調べて行きました。名古屋市大高町正光寺、この辺り区画整理の様で新しい道路や住宅が出来ている最中でした。正光寺砦。詳細は不明ですが、中学校の西側辺りが推定地です。桶狭間の戦いの時に今川方の大高城を押さえるための、織田方の砦だったようです。桶狭間関連の史跡は、まだまだ多くありそうなので、また調べたいと思います。次の訪問地は、ここからすぐ近くの砦へ行ってみます・・・。「どうする桶狭間・・・追加版②」正光寺砦

  • 「どうする桶狭間・・・追加版①」桶狭間古戦場観光案内所

    昨年11月末の休みに、再び桶狭間(名古屋市緑区桶狭間)へ行って来ました。まずは観光案内所で砦印をゲットだぜ。また信長殿がお出迎えです。ど~も・・・。臨時のプレハブ?ではなく、建物の一角に入っていました。古戦場印と砦印を手に入れて、少しだけ回って行きます。次は、どうする?どこ行く?「どうする桶狭間・・・追加版①」桶狭間古戦場観光案内所

  • 今年の彼岸花2ヶ所・・・その1」西尾市吉良町の彼岸花

    最近あちこちへ出かけると、彼岸花をよく見かけます。先々週の休みに西尾方面へ出かけた時、目的の史跡を探していたけど見つけられず、グルグルと周辺を回っていたら彼岸花が高台にある畑ののり面に咲いていて、写真を撮る人がいたので便乗しました。彼岸花の花の色って、何色くらいあるのかな?今まで赤と白しか見たことなかったけれど・・・。ピントが他へ行ってる。老眼のせい?またしても・・・。一週間後、また同じ所へ行ったので、また寄ってみました。少し花が多くなっていました。何色ありました・・・?今年の彼岸花2ヶ所・・・その1」西尾市吉良町の彼岸花

  • お祭りへ行って来ました。

    ケーキ屋のニシノさんがある大清水町でこの土日にお祭りがあり、花火が上がるということで初めて行ってみました。近くの駐車場に車を置いて、奥方様と歩いて小学校へ向かいました。何処から入るか分からず、校庭の外側の道を歩いていると、手筒花火を上げていました。久しぶりに見ました。最後の音が大きくてビックリしました。ぐるっと回って小学校へ入り、校舎側の観覧席の後ろで見ました。綺麗に写っているかも分からないまま撮りました。大玉ではないですけど、近くで見たので大きな音で迫力もありました。同じように見えて、さっきのとは違う花火です。協賛者の花火や誰かの祝いの花火などいろいろです。スマホを手に老眼の目で画面を見ながら撮っています。豊橋では有名な手筒花火を、上げる機会はあったのですが、臆病者の私は参加しませんでした。・・・大きな...お祭りへ行って来ました。

  • 「湖西市のお城と木製御城印・・・その9」ニシノ

    湖西市から国道23号バイパスを走って、大清水ICで降り、側道を通って渥美線を越えた左先にケーキ屋さんがあります。何度か寄っていますが、二週間の城跡探しを頑張ったので、自分へのご褒美(実際はただの手土産)です。ニシノさんです。どれを食べたか覚えていません。こうして見ると全部食べたいです・・・。「湖西市のお城と木製御城印」珍しい木製の御城印を手に入れることが出来ました。おわり・・・。「湖西市のお城と木製御城印・・・その9」ニシノ

  • 「湖西市のお城と木製御城印・・・その8」おちばの里親水公園

    隠之城のある造成地から下っては入り口の道へ戻り、その道(オレンジロード)を三ケ日方面へ走って多米街道も横切って進み、途中オレンジロードロードと分かれる左の道へ入って行き、さらに愛知県側の山の方へ向かうと公園に行きつきます。公園の駐車場へ入りましたが、その前に駐車場入り口の先にあった説明版が気になったので、まずはそちらへ行きました。この道を通って豊川稲荷へ行っていたんだ・・・。私は無理です。おちばの里親水公園へ戻りました。季節的に中途半端な時期なのに、意外と人が多くいました。移動して散策します。北側には見るべきものもなく、人もいませんでしたが、最初から気になっていたのは、駐車場側の場所でした。何やらここだけ花畑があり、写真を撮っていたりしています。何の花?フジバカマか。初めて見た気がします。もしかしてこれ?...「湖西市のお城と木製御城印・・・その8」おちばの里親水公園

  • 「「湖西市のお城と木製御城印・・・その7」城№483・・・隠之城

    宇津山城から国道301号へ戻り北上、多米峠入り口で左折して進んで行きました。ネット情報で今回の六城を目指しましたが、実際の場所をg…マップで示していたのは、境目城と宇津山城だけ。その二つはすでに訪問していたので場所を調べなくても分かっていましたが、他の四城は、他の方のブログやネット情報をかき集めて、住所、画像などでこの辺りかとおおよそ決めて行っています。山城で城址碑の画像はあっても、住所もなく、遠望だけだったり、登城口ではなく、山への侵入口だったり、はっきりしない情報でした。鉄塔の2番目だとかあったのですが、複数あると決めきれません。とにかく行ってみました。山へ入って行き、その山道から撮った石積み。この辺りが城跡なのか?城址碑を探してみる。ない、見えない・・・。舗装されている山道を進んで行き、結局奥の山へ...「「湖西市のお城と木製御城印・・・その7」城№483・・・隠之城

  • 「湖西市のお城と木製御城印・・・その6」宇津山城

    国道301号をさらに北上して、太田の交差点を右折して浜名湖側へ向かって走ります。半島の先へ向かうように県道333号を走って行くと、正太寺と言うお寺があり、裏手の山が城跡です。奥の道からグルッと上がって行くとお墓があります。そこの奥側に説明版とかがあります。三度目の訪問なので、少しだけ散策しました。浜名湖も見えます。宇津山城。今川氏(長池氏)、小原氏、朝比奈氏、松平氏が城主でした。画像が少ないので、こちらも2022年7月に訪問した時の画像を載せます。この時は、正太寺から歩いて行きました。遺構らしい姿を見ながら散策しました。もう少し先まで行けたのですが、途中で引き前しました。もう少し一つ一つの城跡をゆっくり回りたいものです・・・。宇津山城御城印。収集第四十四号の御城印です。次もまた見つけるのに苦労した城跡です...「湖西市のお城と木製御城印・・・その6」宇津山城

  • 「湖西市のお城と木製御城印・・・その5」岡城

    境目城から東へ少し移動し、国道301号へ出て北上しました。しばらく走ると右手に知る人ぞ知るさわやか湖西浜名湖店があり、その先の左手にガソリンスタンド、右手にうどん屋さんがある交差点を右折して(何だかこの交差点の説明を前にしたような気がします)、その先の新所と言う地域に城跡があります。・・・とネットの情報にありました。丘の方へ上がって行き、城域と記されていた画像の場所を探しました。似たような場所ばかりですが、同じ場所ではないような気がしてウロウロ・・・。あっちか?こっちか?この辺りか?いや、こっちかも・・・。ここじゃないか?さっき見た場所か?どこだ?向こうにお寺があるようだ。こんな感じの所じゃなかったような気がする。関係ないだろうなあ?ここにしておこうかなあ?これでもいいか?遠くまで見えるいい場所だ。また同...「湖西市のお城と木製御城印・・・その5」岡城

  • 「湖西市のお城と木製御城印・・・その4」境目城

    清源院から東へ出て北上しながら、鷲津の町を西へ抜け、東海道本線の南側の吉美地区へ入りました。境目城は再訪だったので、隣にある妙立寺へ寄ってみました。このお寺も城跡と関りがあったようです。そして豊田佐吉さんとも・・・。とりあえず城跡へも行ってみました。境目城です。三河を統一した徳川家康に備えるため、今川氏真が造らせたようです。今回はこれだけで次へ向かいました。少し淋しいので2022年7月に訪問した時の、城跡の画像を載せます。民家の脇にある入口です。以上、2022年7月訪問時の画像でした・・・。境目城御城印。収集第四十二号の御城印です。次はちょっと苦労した残念な訪問です・・・。「湖西市のお城と木製御城印・・・その4」境目城

  • 「湖西市のお城と木製御城印・・・その3」松田城

    新居町の関所方面へ向かい、途中右折して関所の方へ行かずに国道301号を北上、東海道線と並行にしばらく進みます。左手のしまむらを過ぎた先の交差点(清源坂)の手前で右折してお寺へやって来ました。曹洞宗短蛇山清源院。神亀年中(724~728)の創立らしいです。松田城。織田方の松田修理が居城。この裏手の台地に自動車学校があり、このお寺の一部と自動車学校辺りが城跡のようです。お寺を出発。東側に回って城跡を眺めてみました。城跡のようにも見えて来ました。松田城御城印。収集第四十一号の御城印です。今回の城巡り、再訪のお城もあります。場所を知っていたり、迷子になったりです・・・。「湖西市のお城と木製御城印・・・その3」松田城

  • 「湖西市のお城と木製御城印・・・その2」白須賀城

    おんやど白須賀で御城印を手に入れ、さっそく城跡を目指しました。正直調べても場所がよく分からないお城もあり、おんやど白須賀の受付の方にも聞いたりして、近辺を確認しながら行こうと思ってスタートしました。おんやど白須賀の近くから見た景色ですが、左の山辺りかな?旧国道1号線の潮見坂を下って行きました。ネットで調べた所、このアングルの山が点燈山で城跡らしい。これ?別の所から見ましたが、どれだか分からなくなりました。たぶんあの山です。白須賀城。曳馬城の支城だったようです。白須賀城御城印(表裏)。収集第四十号の御城印です。結果、一日では探しきれなかった城跡もあり、2週分をまとめた投稿となります。それでは、湖西市を北上して行きます・・・。「湖西市のお城と木製御城印・・・その2」白須賀城

  • 「湖西市のお城と木製御城印・・・その1」おんやど白須賀

    昨年10月後半の休み、奥方様とちょこっとドライブに行きました。まず道の駅潮見坂に寄って散策。続いてその先の太平洋を散歩。次に豊田佐吉記念館へ行ったのですが閉館中。仕方なくその先の車返しの坂で撮影。「車返しの坂」・・・豊田佐吉さんが故郷山口の家に帰る時、鷲津駅から人力車に乗っていたのですが、いつも途中の急坂の村境の切通しを通る時、必ず坂の前で降りて歩いたそうです。ある時車夫が「家までお送りします」と言うと「山口村は私を育ててくれた所。村人が汗水流して働いている中を平然と通ったら罰があたります」と答えたということで、坂で車を返すことから「車返しの坂」と呼ばれるようになったそうです。次に浜名湖のガーデンパークへ行ってかなり歩きました。そして帰りに新居町のうなぎ処かねはちで、うな重を頂きました。チャンチャン・・・...「湖西市のお城と木製御城印・・・その1」おんやど白須賀

  • 「安城・西尾・寺と食と御城印⑩」武将印

    西尾市資料館で購入した武将印です。①富永伴五郎忠元武将印。武将印三号・・・正直知らない武将でした。東条吉良氏に仕えた武将で、桶狭間の戦い後に織田信長と手を結び、三河制圧に乗り出した松平元康(徳川家康)と戦ったそうです。②今川義元武将印。武将印四号・・・駿河および遠江の守護大名。今川氏第11代当主。桶狭間の戦いで織田信長に敗れる。③本多正信武将印。武将印五号・・・徳川家康の家臣で、秀忠の時にも権勢を振るった。三河一向一揆では一揆側につき出奔、その後帰参した。④松平広忠武将印。武将印六号・・・岡崎城主で家康の父。武将印も少しずつ増えています。城跡の場所によってだぶる武将もあるかもしれませんが、増やしていきたいと思っています。「安城・西尾・寺と食と御城印」終了です。「安城・西尾・寺と食と御城印⑩」武将印

  • 「安城・西尾・寺と食と御城印⑨」圓融寺

    東条城の前の県道を東へ走って行くと、やがて県道41号と合流しますが、その手前にお寺があります。圓融寺と言うお寺です。何度かこの前を通っていて、何やら説明版があるのを見かけていましたが、城跡ではないので寄っていませんでしたが、説明版が気になったので寄ってみました。星野勘左衛門。調べたらすぐ東側に生誕地とありました。弓の名手で尾張藩に仕えていたそうです。西尾市指定の天然記念物で吉良の五本松とありましたが、今は二本が残るのみでした。清水一学。赤穂浪士による吉良邸討ち入りの際に討ち死にしたそうです。やはりお寺にも歴史があり、その歴史に関わった人たちもいるんだと、改めて実感しました。「安城・西尾・寺と食と御城印」で寄った所はこれで終了です。でもオマケがありますので、次回も続きます・・・。「安城・西尾・寺と食と御城印⑨」圓融寺

  • 「安城・西尾・寺と食と御城印⑧」東条城と御城印

    東条城は何度か訪問していますが、以前は物見櫓が遠くからでも見えて、城跡の存在が分かったのですが・・・。南側の田んぼの間からやってくると、城山はこんな姿です。北西側にある登城口です。・・・ですが、まず駐車場へ。県道側にある駐車場。県道側の登城口。南側の太陽が眩しい。三の丸へやって来ました。そのまま本丸へ。三の丸を覗き込むとこんな感じ。振り返れば八幡社が見えます。八幡社が二の丸のようです。以前は復興大手門があったのにな・・・。本丸を散策。物見櫓もあったなあ・・・。戻ります。東条城。西尾城と同じ足利義氏の築城、その後吉良氏の祖となったようです。三の丸を見て終了です。2012年2月撮影の東条城です。門や櫓いつなくなったんだろう・・・?東条城御城印。収集第三十九号の御城印です。これは西尾城の資料館で手に入れたもので...「安城・西尾・寺と食と御城印⑧」東条城と御城印

  • 「安城・西尾・寺と食と御城印⑦」カフェ・エナ

    奥方様との帰り道は、西尾城から南へ走り、国道247号へ出て一色町へ向かいました。そしてその国道が東へ折れ曲がる手前の喫茶店へ寄りました。カフェ・エナ。スイーツがあるのかな?ケーキセットを注文しました。美味しかったです。奥方様と出掛けると、昼食も午後カフェもあるので、そこがいいですね・・・。食ばっかりで終わってはいけないので、お城とお寺も寄って帰ります・・・。「安城・西尾・寺と食と御城印⑦」カフェ・エナ

  • 「安城・西尾・寺と食と御城印⑥」西尾城と御城印

    西尾城は奥方様と寄りました。何度も来ているので、その変化も見て来ましたが、改めて奥方様とじっくり回って見ました。そして御城印なども・・・。駐車場に車も多くありまし。この櫓は奥方様も初めてでした。駐車場から時計回りに散策してみました。西尾市らしい自動販売機です。資料館に入って展示関連のお城の御城印と武将印を手に入れました。久しぶりに丑寅櫓へ行ってみました。けっこう見晴らしが良かったです。今のこの歴史公園の景色も、初めて訪問した頃には見られなかったんですね。そんなことですら歴史を感じてしまうほど年を取っちゃったのかな?こちらで西尾城の御城印を購入しました。西尾城は足利義氏の築城。後の城主に酒井氏や田中氏など。じっくり回って西尾城を満喫できたかな・・・。西尾城御城印。収集第三十八号の御城印です。次はまたスーツ?...「安城・西尾・寺と食と御城印⑥」西尾城と御城印

  • 「安城・西尾・寺と食と御城印⑤」もみの木

    今回の投稿は、一人でこのコースを回った時と奥方様と一緒に回った時の二回分を一緒にしています。一人で出かけた時の手土産のために、西尾に入ってから店を探して市役所方面へ走りました。熊味町の信号交差点を過ぎた先に、ケーキ屋さんがありました。もみの木と言うイートインのあるケーキ屋さんです。シュークリームを三人分。ケーキ、タルトを三種類。何処で買っても美味しいと思ってしまう甘党です。次はお城です・・・。「安城・西尾・寺と食と御城印⑤」もみの木

  • 「安城・西尾・寺と食と御城印④」本證寺城と御城印

    安城市桜井町から西尾方面へ走り、田畑に囲まれた地域に入って行きます。そこは安城市野寺町です。その野寺町を北から南へ走り抜ける途中、町の中心であるかのようにすぐに目につく本證寺。その駐車場に入りました。堀もあり、土塁もあり、見るからに城郭の様相を見せるこのお寺が好きです。近くを通る時は用がなくても野寺町を走り抜けます。この時の目的が御城印だったので、先に庫裏へ行って御城印を手に入れました。なので少しだけ散策。三河一向一揆で知られているこのお寺は、西三河へ来たら寄って行きたい場所の筆頭です。駐車場へ戻って次へ向かいました。本證寺城御城印。収集第三十七号の御城印です。この年二回目の訪問でした・・・。「安城・西尾・寺と食と御城印④」本證寺城と御城印

  • 「安城・西尾・寺と食と御城印③」麺四郎

    一人で日帰り城巡りをする時は、ほぼ昼食なしです。奥方様と出掛けた時は、昼食ありです。堀内公園から名鉄西尾線を越えて西へ走ると、堀内公園西の信号交差点の角にラーメン屋があり、即決で昼食にしました。味噌ラーメン専門店でした。順番待ちで少し時間が掛かりましたが、他を探すよりラーメンを食せるならと待ちました。麺四郎、よかラーメンでした・・・。「安城・西尾・寺と食と御城印③」麺四郎

  • 「安城・西尾・寺と食と御城印②」円光寺

    城巡りをしているとお寺へ行くことも多くあります。そこが城跡だったり、武将の菩提寺だったりするので、史跡としても見て回れます。それ以外でもお寺に寄ったりもしますが、御朱印を集めているわけでもないので、ササっと回って終わりです。せっかく行くならそのお寺の歴史をもっと掘り下げてみてもいいかな、とも思ったりします・・・。安城市桜井町を北から南へ走っていたら、「なんだかお城みたい」と車を停めました。和菓子屋さんでした。ちょっとだけお城風です。堀内公園を越えて進んで行くとお寺があり、またしても目に留まったものがあったので駐車場へ入ってみました。本證寺のように櫓っぽい建物だったので、写真を撮ろうと散策してみました。円光寺。調べたら櫓っぽいのにも意味がある様でした。三河一向一揆の時、一揆側の本證寺の空誓を名乗って身代わり...「安城・西尾・寺と食と御城印②」円光寺

  • 「安城・西尾・寺と食と御城印①」安祥城(安祥城址)と御城印

    ネットで御城印は何処で手に入れられるか?今も検索しています。安城と西尾の御城印を探しました。そして昨年10月後半の休みに、一人及び奥方様と行って来ました。安城市にある安祥城(安城城)は数度訪問していますが、今回は御城印を目指して訪問しました。駐車場から城址公園へ向かいます。最初に目につくこれは?・・・後程。まずは御城印を目指して安城歴史博物館へ。この時の催しものです。博物館です。博物館入口前にもありました。今回は御城印だけです。博物館に入って御城印を手に入れましたので、城址公園を散策します。光って読めないですね。何だったかな?こっちの方がよくわかる・・・。さらに進んで行きます。初めてじゃないのでササっと巡ります。城址公園の北東側にある大乗寺の前に城址碑があります。また移動しました。南側に八幡宮があります。...「安城・西尾・寺と食と御城印①」安祥城(安祥城址)と御城印

  • 「新城市御城印・・・その6」五葉城

    宇利城から県道81号を豊橋方面へ向かい、富岡の信号交差点を過ぎた少し先に、大原調整池の看板があり左折します。そのまま進んで行くと東名高速の高架(新城PAの脇)を潜り、坂道を上がって行くと調整池の東脇に出ます。駐車場に入る道路脇に城跡までの距離を示す標柱があります。駐車場から少し進むと分かれ道があり、左の道が五葉城へと向かいます。大きく回って右手の山へと行きますが、この先で車は通行止めです。どれかです・・・。先ほどの分かれ道の右を進むと、調整池の周回道路となり、中間点くらいの所にトイレ及び休憩所があります。五葉城址に星印があります。南側から見た調整池と奥の山。どこかが五葉城となります。あれかな?いやこれかな?どれかです、たぶん・・・。五葉城。西郷氏の支城。調整池から50分くらいと言うことで、私にはちょい無理...「新城市御城印・・・その6」五葉城

  • 「新城市御城印・・・その5」宇利城御城印

    新城市街地からすると、豊川を越えて南東側、静岡県の三ケ日に近い地域にある城跡です。新城市中宇利仁にあるお城は、宇利城です。2021年10月に訪問しました。順路に従って山の中へ入って行きました。熊谷氏の築城です。後に松平氏に攻められたようです。宇利城御城印。収集第三十四号の御城印です。もう一ヶ所です・・・。「新城市御城印・・・その5」宇利城御城印

  • 「新城市御城印・・・そん4」来迎松城

    川路城から県道へ出て、市街地方面へ少し戻り、茶臼山駅の手前で線路を北へ抜け、その右手に城跡があります。来迎松城です。設楽氏の居館の一つで、夏目氏が居城して守ったようです。土塁の上に社がありました。川路城も含めて2022年1月に訪問しました。来迎松城御城印。収集第三十三号の御城印です。もう少し続きます・・・。「新城市御城印・・・そん4」来迎松城

  • 「新城市御城印・・・その3」川路城

    新城城から市街地へ向かい、メイン道路(旧道)をさらに東へ進み、飯田線の茶臼山駅南側付近をさらに進んで行き、線路が近づいて来た所で右折します。川路城です。小川路氏の築城、後に設楽氏が居城。川路城御城印。収集第三十二号の御城印です。まだまだ続きますよ・・・。「新城市御城印・・・その3」川路城

  • 「新城市御城印・・・その2」新城城

    野田城から東へ進んで新城市街地に入り、豊川方面へ南下すると新城小学校があります。校庭の南東側に城跡があります。新城城。ここも2008年に訪問しました。新城城御城印。収集第三十一号の御城印。まだ続きます・・・。「新城市御城印・・・その2」新城城

  • 「新城市御城印・・・その1」野田城

    実際に訪問した深溝城の御城印とは、順番的には逆になりますが、前月(9月)に新城市設楽原歴史資料館で新城市にあるお城の御城印を購入してきていたので過去画像と一緒に紹介します。2008年に訪問した野田城。夕方だったので城址の中が暗く、ボケた画像しか撮れませんでした。野田城御城印。収集第三十号の御城印です。つづく・・・。「新城市御城印・・・その1」野田城

  • 「蒲郡~幸田町御城印巡り⑥」不相城

    ケーキ屋さんから蒲郡市博物館の方へ向かい、マリンロードを東へ進みました。竹島水族館の前を通り過ぎ、竹島園地の信号を右折してその先で左折して坂道を上がって行きました。お城みたいな蒲郡クラシックホテルです。不相城。城跡にホテルが建っています。鵜殿氏の築城。ホテルの客ではないので帰ります。子供の頃に母親の知り合いが三谷町(まだ蒲郡市に編入される前の話)に住んでいたので馴染みがあり、この辺りから船に乗って三河大島の海水浴場へ行ったことがあります。懐かしいなあ・・・。そのくらいしか憶えていませんが、竹島へ来たりすると、地元のような気分にもなります。そんなこんなで「蒲郡~幸田町御城印巡り」終了となります・・・。「蒲郡~幸田町御城印巡り⑥」不相城

  • 「蒲郡~幸田町御城印巡り⑤」ガトウ福寿軒

    幸田町から来た道を戻って再び蒲郡市博物館近くのケーキ屋へやって来ました。2回目です。三種類買って帰りました。ガトウ福寿軒。また来ることがあったら、喫茶コーナーに寄ってみたいな。(一人では無理なので、奥方様と来た時に)どれか一つなんて悲しいなあ・・・。帰り道をこのまま海岸通りに走ったので、一ヶ所寄って帰りました・・・。「蒲郡~幸田町御城印巡り⑤」ガトウ福寿軒

  • 「蒲郡~幸田町御城印巡り④」深溝城と御城印

    チョチョイのチョイ(曲がって曲がって数百メートル)で、幸田町郷土資料館から深溝城跡の前へやって来ました。深溝城。築城は大庭氏、その後松平氏などが城主になっているようです。こんな風になっていたとは、現状の周りを見ても想像がつかないなあ・・・。三度目の訪問なので、さほど目新しいものはないのかな?深溝城御城印。収集第二十九号の御城印です。今回の御城印はこれまで。帰りになるけれど、何処へ寄って行こうかな・・・。「蒲郡~幸田町御城印巡り④」深溝城と御城印

  • 「蒲郡~幸田町御城印巡り③」幸田町郷土資料館

    国道248号を岡崎方面へ進み、蒲郡市から幸田町へ移って、右折出来る交差点を探しながら走り、JR三ヶ根駅前を通り過ぎた先の深溝中池田の交差点で右折、三本目辺りの路地を右折して戻るように走り、その途中本光寺へ上がる道へ今度は左折、少し上がって右が本光寺の路地を左折した先が目的地です。幸田町郷土資料館です。ここは2回目ですが、前回は年末年始の休みで閉館中で、今回は開館中でした。あのポスターが貼ってあります。気軽に入らせていただきます。・・・・と言うことで、目的は御城印だったので、購入出来るか確認しましたが、記念イベント限定の非売品でした。・・・が余っていたので譲ってくれました。ありがとうございます!!資料館で展示品を見た後、前回も見て回った外の展示物を見に行きました。高台にある資料館です。幸田町郷土資料館でした...「蒲郡~幸田町御城印巡り③」幸田町郷土資料館

  • 「蒲郡~幸田町御城印巡り②」上ノ郷城と御城印

    ごめんなさい。蒲郡市博物館から手に入れた御城印のお城へ向かっていませんでした。なので寄ったつもりで2018年7月の画像を載せさせていただきます。上ノ郷城。鵜殿氏の築城。昨年の大河ドラマ「どうする・・・」関連でも紹介しているお城です。蒲郡市街地方面です。3回か4回訪問しています。近くは何度も走っています。上ノ郷城御城印。収集第二十八号の御城印です。蒲郡市博物館から競艇場方面へ走り、国道248号を北上して幸田町へ向かいました・・・。「蒲郡~幸田町御城印巡り②」上ノ郷城と御城印

  • 「蒲郡~幸田町御城印巡り①」蒲郡市博物館

    蒲郡市博物館へやって来ました。(昨年10月)ここは2回目です。ここへやって来たのは、御城印を手に入れるためです。中で蒲郡市にあるお城の御城印を手に入れたので、さっそくその城跡を目指しました・・・。「蒲郡~幸田町御城印巡り①」蒲郡市博物館

  • 「横浜散歩・・・小田原駅ビル」

    横浜散歩を終え、小田原駅へやって来ました。そして以前紹介したミナカ小田原の屋上へ行きました。屋上へ来たら小田原城を見なくちゃね。今回は城巡りでなかったからよけいに・・・。石垣山や手前の所の遺構らしいのも見て。海や電車も見て。東京方面も見て。もう一度小田原城を見て。展望エレベーターで降ります。宇宙人も見て!?ガンダムも見たので新幹線で帰りました・・・。おわり・・・。「横浜散歩・・・小田原駅ビル」

  • 「横浜散歩・・・阪神タイガースショップ横浜店」

    バスに乗って谷戸坂を下り、横浜駅方面へ向かいました。何処を走っているのかは分からなかったですが、最終的にみなと大通りを過ぎた本町1丁目のバス停で降りました。そこから再び歩き、JR関内駅方面に向かって関内桜通りを進み、南仲通り、弁天通りなどいくつかの交差する通りを横切り、力尽きないうちになんとか到着しました。見て分かるように、阪神タイガース関連の店でした。阪神タイガースショップ横浜店でした。2階へ上がって行き、阪神タイガースファンの小学生の孫があれこれ買い物をしていきました。ショップを出てJR関内駅に向かって歩きました。途中横切る通りの向こうに横浜スタジアムが見えました。ちなみに、この一行にベイスターズファンはいませんでした。愛知県に住む私も地元チームのファンではありませんがね・・・。JR関内駅に到着。電車...「横浜散歩・・・阪神タイガースショップ横浜店」

  • 「横浜散歩・・・港の見える丘公園その2」

    一番上までやって気なのかな?暑さに汗を流し、足を震わせながら展望台付近へやって来ました。ポートヒル横浜と言うホテルです。後で調べたら三ツ星ホテルらしい。そんなホテル泊ったことがない。さあ、展望台へ行って景色でも楽しもう・・・。みなとみらい方面かな?あれがベイブリッジ?あれは?さっき見たやつ。「ガンダムだったな。こんなところで会うとは思わなかったぞ。アムロは元気か?」なんてことを言うはずもありませんが、いつだったか?公開の様子をテレビで見ました。ここで見られるとは思いませんでした。息子が小学校の頃、ガンプラを作ったものです。リアルガンダムよりも、デフォルメしたSDガンダムの方多かったですね。息子が欲しがるのをいいことに、ほぼ自分が楽しんでいました。時期ではないけれど、ローズガーデンがあったので、花を見て回り...「横浜散歩・・・港の見える丘公園その2」

  • 「横浜散歩・・・港の見える丘公園その1」

    食事を終え、また歩き始めました。少し港の方へ歩くと交差点の右奥が公園のようです。目的地である。訳も分からず連れてこられたけど、どんな公園なんだろう?谷戸坂。右折して公園の脇の歩道側に石柱がありました。知られている坂なのだろうか?クリーニング業発祥の地らしい。吾輩にも関係があった。それでは公園側へ。都会の中のオアシスのような場所なのだろうか?今度は何だ?日本で二番目にボーリング場が出来たのが横浜らしい。1864年(元治元年)だと!!中山律子さんが活躍していたころなのかと思った。・・・知りませんか?時代は変わったんだねえ・・・。都会の反対側は、長い階段だった・・・。(画像はその一部です)ここら辺は、港の見える丘公園の中のフランス山地区のようだ。井戸である。そしてこの先もうすぐ展望台らしい。孫に負けずに頑張ろう...「横浜散歩・・・港の見える丘公園その1」

  • 「横浜散歩・・・石川町元町」

    石川町駅で降りました。ここは何処?私はだあれ?ここから何処へ行くのか?港の方へ向かっているようです。本牧通りを横切って、元町通へ入りました。横浜に来た感が、人の多いことと、ベイスターズの選手で分かります。三浦監督!佐野選手!ちなみにベイスターズファンではありません。けっこう歩きました。さらに暑い。でもへこたれない爺様です。港が近くなったところで昼食です。娘たちが選んだ店は、イタリアンでーす。なんじゃこりゃ!!私はカルボナーラだったかな?お店からのサプライズ!9月生まれの人へデザートです。9月生まれは、奥方様でした。あー、美味しかった。また歩きます。宇宙人がいた!花も飾ってある通りです。通りを抜けて、港の見える丘公園へ向かいました・・・。「横浜散歩・・・石川町元町」

  • 「横浜散歩・・・新幹線・JR横浜線・JR京浜東北線(根岸線)」

    昨年9月16日、多少の雲はあったものの、暑くなりそうな日でした。豊橋駅を早目の新幹線で横浜へ向かいます。新幹線や電車を見ると、ワクワクする年頃です・・・?掛川に近づくとカメラの準備をして、窓に張り付きます。・・・見えて来ました。掛川城です。写真としては上手く撮れません。み、見えない!期待していたのに・・・。富士山は雲があって撮れなかったので、あっという間に新横浜?画像がどこだったか思い出せません。奥方様は、横浜へ行ったことがありますが、私は初めてです。だからワクワクです。JR横浜線で横浜駅へ。横浜駅から孫たちと合流して、JR京浜東北線・根岸線(よく分かりませんが)で最初の目的地へ。みなとみらいか!?何かぶら下がっている!UFOか?はたまたスキー場のゴンドラか?数が多い!!(ヨコハマエアキャビンらしい)横浜...「横浜散歩・・・新幹線・JR横浜線・JR京浜東北線(根岸線)」

  • 「井伊谷~二俣~天方御城印巡り⑪」入河屋

    森町まで来ると、どの道で帰ろうかと考えます。高速は使わないので、ナビで自宅を目的地にすれば、自分が寄りたい、通ってみたい道などを適切に選んでくれないので(自分がわがままだから?)、途中までは自分勝手に走ります。通常なら国道1号へ行けば早いかもしれないけれど、今回は来た道を戻るように進みました。磐田を通り越し、天竜二俣より少し南を走ってから、国道362号で都田、金指、気賀など天浜線沿いに進みました。三ケ日に入って近道を通らず三ケ日の中心部を通ってから浜名湖の西側を南下して行きました。少し下った左側に和洋菓子屋さんがあります。以前から知っているお店です。入河屋。ちなみにこの隣に長坂養蜂場と言うお店があります。名前の通りで蜂蜜などを売っているみたいですが、まだ寄ったことがありません。時々この前を通ると車も多く、...「井伊谷~二俣~天方御城印巡り⑪」入河屋

  • 「井伊谷~二俣~天方御城印巡り⑩」蔵雲院と天方城と御城印

    天方本城からほぼ東の川を渡った山裾にあるお寺へ向かいました。寺院が見えて来ました。蔵雲院。ここで御城印が手に入ると言うことでやって来ました。なぜここなのかは、矢印のある指示板で分かりました。これですね。蔵雲院は天方氏(山内氏)の菩提寺でした。散策しながら購入しに行きます。城主三代のお墓でした。お墓からお寺へ行って御城印を購入しました。遅くなっていたので、城跡へは向かわず帰路でした・・・。なので、2022年2月訪問時の画像を載せます。森町の中心地から県道58号に入って太田川沿いに北へ向かうと、右手に天方城の山が見えて来ます。山頂の中央に何かが見えます。山道を上がって頂上の駐車場まで行きました。展望台からの眺めも良かったです。天方城御城印。収集第二十七号の御城印です。帰り道で~す。もちろん土産を買って行きます...「井伊谷~二俣~天方御城印巡り⑩」蔵雲院と天方城と御城印

  • 「井伊谷~二俣~天方御城印巡り⑨」城№480・・・天方本城

    県道58号へ戻り北上すると、すぐに川を渡りT字の交差点に突き当たります。正面の山が城跡付近です。左折して麓の南側へ向かいました。天方本城。山内道美の築城。後に山内通秀が天方氏を名乗ったようです。この案内板の奥が城跡のようですが、まだ距離がありそうだったので、遠望を撮影のために東側へ移動しました。小学校の背後(右奥)の方が城跡の中心と思われます。少し奥へ行ってみましたが、余計に場所が分からなくなってしまいました。この辺で天方本城を諦め、天方城(新城)の御城印を目指して移動しました・・・。「井伊谷~二俣~天方御城印巡り⑨」城№480・・・天方本城

  • 「井伊谷~二俣~天方御城印巡り⑧」城№479・・・白山城

    家田城からトンネルを潜って磐田市から森町へ出ました。さらに東へ進み以前訪問した城跡の付近を走りながら、一度潜っていた第2東名の高架を再び潜って森町の中心方面へ。さらに途中天竜浜名湖鉄道とサヨナラして、太田川沿いを北上しました。以前見た景色で、太田川の東側にある天方城を見ながら県道58号を北上して行き、ネットで目印にしていた製茶屋さんへやって来ました。その製茶屋さん(右手側)の反対側(西側)を見ると墓地がありました。墓地の背後の山が城跡です。少し上がってみましたが、はっきりと分かる登城口は見つけられませんでした。もっと進んで行けばあったかもしれませんが、墓地の脇を歩いて行くのも気が引けるので、奥の山を撮影して終わりたいと言う気分にすぐになりました。白山城。g…マップの表示では、ここが城下大林寺墓地となってい...「井伊谷~二俣~天方御城印巡り⑧」城№479・・・白山城

  • 「井伊谷~二俣~天方御城印巡り⑦」城№478・・・家田城

    二俣(浜松市)から天方(森町)へ向かう間に磐田市があり、ネットで見つけた城跡があったので寄りました。2022年10月訪問(撮影画像)の仲明城(磐田市敷地)は、尾根の途中の突き出た所にある城跡でしたが、その北側にやって来ました。この右手の方の先に仲明城があります。北側にやって来ました。目の前まで来ました。家田城。仲明城の支城とも言われています。脇の道までやって来ました。トンネルがありました。右手が家田城側でしょうか。トンあるを抜けた所の家田城側です。城跡に入って散策出来るような感じではないので、ここはそのまま進んで行きました。さあ、今度こそ天方方面へ向かいます・・・。「井伊谷~二俣~天方御城印巡り⑦」城№478・・・家田城

  • 「井伊谷~二俣~天方御城印巡り⑥」鳥羽山城と御城印

    鳥羽山城は二俣城の西南側で、大きく蛇行する天竜川のカーブの先端辺りにあります。画像は2021年12月撮影分です。この時は2度目の訪問でした。最初の訪問時の記憶も画像もあまりなかったので、新鮮な雰囲気で散策出来ました。駐車場もあります。石垣も残っていました。遊び場でもありました。駐車場からの眺めです。市街地方面から鹿島橋を渡った先のトンネルのある山が鳥羽山城です。二俣はまた行ってみたい場所です。鳥羽山城御城印。収集第二十六号の御城印です。二俣城と鳥羽山城のある二俣から、遠州森町へ向かいました・・・。「井伊谷~二俣~天方御城印巡り⑥」鳥羽山城と御城印

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