今回は、「小夏駅」前に屋台ラーメン店がオープンしましたので紹介します。皆様のご来店をお待ちしております!
この度、我が家のDL機関区にTOMIX製のDD13-600形が新規配属されましたので紹介します。DD13-600形は「駆動部品の一部がDD51と共通のものに変更された300形」に重連総括制御を追加した形式です。先ずは形式写真から↓ DL機関...
昭和40年代の鉄道写真の最終回からご無沙汰していましたが、久々にNゲージネタをアップします。少々「しょぼい」ネタではありますが、グリーンマックス製の車両洗浄機と洗浄台を購入し、若干の塗装を行い設置してみました。ヤードに設置 右から2番線また...
前回、前々回に続き、昭和48年(1973年)における関西本線のD51を紹介します。今回は笠置駅周辺で撮影したD51で、モノクロ写真ですのでわかりにくいですが、桜の季節に撮影していました。ScannerScannerScannerScanne...
前回に続き、昭和48年(1973年)における関西本線のD51を紹介します。今回は加茂駅周辺で撮影したもので、トップ写真と次の写真は加茂駅から奈良方面へ発車する D51 499号機で、トップ写真の右側にはすでに加茂小学校に静態保存されていた ...
昭和48年(1973年)、現役の蒸気機関車が消えゆく中、関西本線の大河原駅周辺で最後の活躍を撮影していました。トップ写真と次の写真は後補機を従えて大河原駅を発車するD51 944号機Scanner大河原駅から笠置方面の山間から撮影した後藤式...
前回に続き、昭和48年(1973年)3月に七尾線を訪れた記録を紹介します。今回は七尾駅と輪島駅での記録です。トップ写真は七尾機関区で休む C56 124号機。次の写真は七尾駅構内の様子。ScannerScanner輪島駅にてScannerS...
七尾線には何度か訪れていますが、今回は昭和48年(1973年)3月に訪れた記録を紹介します。現在はJR西日本とのと鉄道に分離され津幡駅から穴水駅までとなっていますが、当時は輪島駅までの路線でした。トップ写真と次の写真は和倉駅(現在は和倉温泉...
奈良機関区(奈良運転所?)所属のD51のデフには「つばめ」「かもめ」「ピース」「三ヶ月と鹿」などの飾りが付いていました。関西本線、奈良線、片町線(現在の学研都市線)の3路線が乗り入れる木津駅にて奈良機関区のD51を撮影していました。トップ写...
昭和47年(1972年)~48年頃、関西本線では主に奈良機関区所属のD51による「伊賀号」が運転されていましたが、昭和47年10月に開館した梅小路蒸気機関車館所属のD51 1号機による「伊賀忍者号」も運転されました。どの程度運転されたかは記
我が家のNゲージレイアウト「銀次機関区」にSL2両が新製配属されました。1両はKATO製C12で少年時代に西舞鶴で出会った51号のナンバーを取付けました。もう1両も同じくKATO製のC56の160号機です。大型蒸気のような迫力はありませんが
昭和47年(1972年)10月に梅小路蒸気機関車館が開館しましたが、館内の多くのSLは現役状態でした。その中でC62 2号機も本線運転できる状態で昭和47年~48年に京都ー姫路間の臨時列車「白鷺号」を牽引し、往年活躍した東海道本線・山陽本線
昭和47年(1972年)10月10日に梅小路蒸気機関車館が開館しました。その翌月に訪れた光景を紹介します。まずは D51の1号機ですが、後に関西本線の臨時列車「伊賀号」などで活躍しますが、元気一杯の状態でした。 Scanner Scanne
昭和47年(1972年)に京都駅にてキハ82系の「まつかぜ」と「かもめ」、EF65牽引の「日本海」を撮影していました。その当時「まつかぜ」は京都から大阪−福知山線−山陰本線経由で博多まで運転されており、「かもめ」は京都から東海道本線→山陽本
昭和47年(1972年)10月、白新線・羽越本線の電化により大阪-青森間の全線電化が完成し、特急「白鳥」がキハ82系から485系電車に置き換えられるという情報を得て、8月に京都駅にてキハ82系の白鳥を撮影していましたので紹介します。トップ写
昭和47年(1972年)当時、東海道本線草津駅から関西本線柘植駅に至る草津線ではD51牽引による旅客列車や貨物列車が運転されていました。トップの写真は東海道本線草津駅ホームで待機する貨物列車(昭和47年8月)草津駅の東方には草津運転区があり
前回(No.54)紹介した倉吉線を訪問した後、山陰本線の米子機関区と安来駅を訪問していました。トップ写真は米子駅ホームから撮影した米子機関区の様子です。機関区には集煙装置付きの C57 12号機が休んでいました。(写真は全て昭和47年(19
昭和47年(1972年)の夏休みに友達数人で山陰本線香住駅近くの海岸へキャンプの旅に出かけました。その合間に1人抜け出して倉吉線を訪れていました。倉吉線は山陰本線の倉吉駅から山守駅までをを結んでいた路線で、昭和60年(1985年)に廃線にな
その当時、越美北線にはハチロク(8620形)の貨物列車が運転されており、2度訪れていました。トップ写真と次の写真は昭和47年(1972年)7月に越前高田-市波間で撮影したものです。 Scanner Scanner Scanner 次の写真
関西本線の「亀山-関-加太-中在家信号所-柘植」間は勾配の難所で「加太越え」と呼ばれていました。昭和47年(1972年)3月に加太-中在家信号所間で撮影した写真を紹介します。現在はかろうじて1時間に1本程度のキハ120が運転されている状況で
昭和46年(1971年)当時は581系または583系の特急「つばめ」が名古屋−熊本間で運転されていました。昭和47年に山陽新幹線岡山駅開業により、「つばめ」は岡山駅−博多駅・熊本駅間になるということで京都駅と山科の築堤でその姿を撮影していま
山陰本線用のC57達も引退し、カマの火が消えて「つわものどもが夢の跡」状態になっていた梅小路機関区に突然、全国からSL達が集まってきました。梅小路蒸気機関車館の開業は昭和47年10月ですので、それより1年前の出来事でした。かすかな記憶ですが
昭和46年(1971年)10月、京都発奈良線経由で行き先不明の「ミステリー列車」が運転されました。奈良機関区所属 D51 1007 と 竜華機関区所属 C58 201 の重連で運転されました。トップ画像と次の画像は梅小路貨車区近辺にて Sc
昭和46年(1971年)、山陰本線に臨時列車SL「ひまわり号」が運転されました。運転区間は覚えていませんが、No.45で紹介した「汽車ポッポの旅号」と同じく福知山機関区所属の C57 41 が牽引しており、二条駅や保津峡駅周辺で撮影しました
昭和46年(1971年)4月に山陰本線京都口から蒸気機関車が引退してしまいましたが、京都市周辺では国鉄奈良線の貨物列車を牽引する奈良機関区所属のC58がかろうじて活躍していました。その年の8月に国鉄奈良線の桃山駅周辺でその姿を撮影していまし
昭和46年(1971年)8月に七尾線を訪れました。トップの画像は金沢駅で出発待機するC58140「ふるさと列車おくのと号」です。金沢から七尾線を経由し能登線(現在は廃線)の珠洲まで運転されており、金沢-七尾はC58が牽引し、七尾-珠洲はC1
昭和46年(1971年)4月25日に山陰本線京都口(現在の嵯峨野線)から蒸気機関車による定期列車が廃止となりましたが、翌5月には臨時列車「汽車ポッポの旅」号が運転されました。牽引機は福知山機関区所属の C57 41号機で運転区間は覚えていま
No.37で我が家のNゲージレイアウトの「小夏駅前」を紹介しましたが、今回はその横にある「小夏公園」と「小夏車庫」を紹介します。 トラムエリアの全景 小夏ちゃん [鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 40-811 TV1 ユニトラム基
昭和46年(1971年)4月25日に山陰本線京都口(現在の嵯峨野線)から蒸気機関車による定期列車が廃止となり、梅小路機関区所属のC57達もその役目を終えました。その翌月(5月)に機関区の様子を撮っていましたので紹介します。長年にわたり現役の
昭和46年(1971年)4月28日、ついに山陰本線京都口(現在の嵯峨野線)での蒸気機関車が牽引する定期列車が終焉を迎えました。悲しい日ではありましたが、多くの同業者に囲まれ撮影するのが精一杯の状態で感傷に浸る余裕も無かったように記憶していま
山陰本線京都口(現在の嵯峨野線)において、昭和46年(1971年)4月末で蒸気機関車が引退するということで、京都-丹波口間の築堤(現在の梅小路京都西駅付近)でも最後の勇姿を撮っていました。 京都から丹波口へ向かう C57 15 右手は梅小路
山陰本線京都口(現在の嵯峨野線)において昭和46年(1971年)4月末で蒸気機関車が引退するにあたり、3月~4月には自宅から自転車で良く通った花園駅周辺でも最後の勇姿を撮っていました。 Scanner Scanner Scanner Sca
当時のある鉄道雑誌の運用表を見て気づいたのですが、梅小路所属のC57の2機が同時刻に向日町運転所(現在の吹田総合車両所京都支所)へ回送されていることがわかりました。半信半疑で西大路と向日町の間の桂川橋梁に向かいその列車を撮影したのが、今回の
昭和46年(1971年)の4月末日をもって山陰本線京都口(現在の嵯峨野線)から蒸気機関車が引退するとの報道があり、中学生としての勉学や部活の合間に慌ただしく蒸気機関車を追っかけました。今回は1月から4月頃の嵯峨~保津峡~馬堀の旧線で撮った写
久々に我が家のNゲージネタをアップします。No.24の銀次機関区に続き、今回は雌の愛猫の名前を借りた「小夏駅」前の風景です。 愛猫の小夏ちゃん [鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 40-811 TV1 ユニトラム基本セット価格:16
前回の記事で紹介したように、昭和46年(1971年)3月に再び、木津駅と奈良駅を訪れました。しかしすでに同業者が多くなり奈良機関区への立ち入りは禁止となっており、やむなく駅からの撮影となってしまいました。上の写真は形式入りナンバープレートを
No.12の記事で紹介したように昭和45年(1970年)1月に関西本線・奈良線・片町線が乗り入れる木津駅を訪れていましたが、昭和46年3月にも木津駅を訪れていました。前回は奈良機関区を訪れた帰路に立ち寄ったため、貨物ヤードの入れ替え仕業が終
前回に続き、昭和46年(1971年)1月に西舞鶴を訪れた時の駅と貨物ヤードの様子を紹介します。 69653の発車シーン Scanner Scanner Scanner D51 254の発車シーン Scanner Scanner 29680の
昭和45年3月に西舞鶴を訪れはじめて「キューロク」に合うことができましたが、残念ながら迫力のある姿を撮影することができず、再度昭和46年(1971年)1月に西舞鶴を訪れました。今回はその時の機関区の様子を紹介します。次回には駅と貨物ヤードの
No.21にて昭和45年3月に舞鶴線の西舞鶴を訪れた記録を投稿しましたが、昭和46年(1971年)1月にも西舞鶴を訪れています。その途中に山陰本線と舞鶴線が乗り入れる綾部駅にて冬の光景を撮影していました。当時の綾部駅には貨物ヤードと給炭・給
山陰本線京都口(現在の嵯峨野線)の二条駅近辺にもよく訪れていました、駅の北方のカーブあたりに陸橋があり、撮影スポットの1つになっていました。最初の写真は昭和46年1月に雪が降った日の園部行のC57です。 Scanner 別の日に撮ったD51
C57の旅客列車やD51の貨物列車が活躍していた山陰本線京都口(現在の嵯峨野線)の花園駅には何度も訪れていました。昭和46年の1月のある日(たぶん日曜日)の朝、京都市内では珍しく雪が降っていました。その光景を見て急いで花園駅まで自転車で花園
昭和45年11月に片町線(現在の学研都市線)と城東貨物線(現在のおおさか東線)が合流する放出(はなてん)駅を訪れています。現在の放出駅の南には立派なタワーマンションが建てられ近代的な駅前となっていますが、当時は貨物操車場があり城東貨物線のD
前回の呉線広駅での撮影後、糸崎に向かいました。お目当ては東京発(呉線経由)広島行の急行「安芸」の牽引機がヘッドマークを付けている勇姿でした。期待していたのはC62でしたが、あいにく当日はC59で少々がっかりした記憶があります。しかしヘッドマ
東海道本線や山陽本線で活躍したC62やC59の大型蒸気が第一線から退き、その当時も活躍していた呉線には一度は訪問したいと思っていましたが、昭和45年9月30日をもって呉線の蒸気機関車が引退するとの情報得て、急遽その年の8月に呉線への訪問を決
昭和45年~46年にかけ、山陰本線京都口(現在の嵯峨野線)で活躍するC57の旅客列車やD51の貨物列車を追っかけ、ここ嵯峨駅(現在の嵯峨嵐山駅)にも度々訪れました。現在は嵯峨野観光鉄道のトロッコ嵯峨駅も併設され多くの観光客が押し寄せています
昭和45年(1970年)7月に家族旅行で東北へ行きました。当時はまだ中学生でしたので1人で東北まで遠征などできず、観光がメインの家族旅行の合間に撮った写真が何枚か残っている程度です。 先ずはトップ画面ですが、京都から特急日本海で酒田駅に到着
昔の鉄道写真が続きましたので、ちょっと息抜きでNゲージネタをアップします。 私のNゲージの第一のコンセプトはやはり「少年時代に恋した蒸気機関車たちを手元に置いて楽しみたい」ということであり、扇形機関庫のある機関区は必須アイテムでした。ター
前回の亀山機関区を訪れ、京都への帰路に加太駅で途中下車しました。当時の関西本線には多くの貨物列車が走っていて「加太越え」としてD51が後補機を付けて活躍しており、この加太駅はマニアの聖地となっていました。「加太越え」の写真は後日撮影していま
鉄道雑誌で関西本線亀山にC50がいるとの情報を得て、昭和45年(1970年)5月に亀山機関区を訪れました。よくみると8620に似た機関車でしたが、初めて見る新形式でしたので少々興奮した記憶があります。主に操車場での入れ替えに使用されていまし
前回の福知山機関区を訪れた日(昭和45年3月)には西舞鶴にも立ち寄りキューロク(9600形)を初めて撮影しました。機関区を訪れましたが、キューロクの姿はなく、まずはC12やC58を撮影しています。 Scanner Scanner その後、庫
前回の福知山駅構内で「北丹鉄道 ハニ11」を撮影後、「D51 1018」の所属機関区である福知山機関区を訪れましたが、残念ながら「D51 1018」には再会できませんでした。SLを中心に多くの車両を撮影しましたが、ほとんどの写真の露出が悪く
昭和45年3月に初めて山陰本線の福知山機関区を訪れました。その時のフィルムはなぜかこの車両の写真から始まっています。当時は気動車なのか客車なのかも解らず、古そうな車両なので撮っておいたのだと思います。車番は「ハニ11」と読めるのでそれで調べ
今となっては悔やまれますが・・昭和44~45年頃の京都駅で撮影したフィルムはあまり残っていませんが、数少ないスナップ写真をアップします。トップ画像は山陰本線ホームの C57 5です。現在の山陰線ホームからは想像もできない光景で、当時は後ろに
今回は昭和45年(1970年)2月に訪問した吹田機関区のEL編の画像をアップします。当時はSL・DLが所属する第一機関区とELが所属する第二機関区に分かれていました。前回のDL編でも書きましたが当時の私は蒸気機関車にしか興味がなく、今となっ
前回の吹田機関区のSL編に続き、今回はDL編をアップします。 撮り鉄を始めた昭和40年代はすでに無煙化(DC・DL化、電化)が進んでおり、蒸気機関車を愛する自分にとってはDLやELは憎き存在で、あまり撮影したフィルムが残っていません。今と
No.9の記事で昭和44年11月に吹田機関区訪れた画像をアップしましたが、その後昭和45年(1970年)2月に再度訪れたネガフィルムが出てきました。前回より枚数が多いので、SL編、DL編、EL編の3編に別けてアップします。 まずは、形式入り
前回の山小屋の照明化に続きヤード部分の照明化を行いました。 DL庫あたりのアップ 次回から昭和40年代の鉄道写真にもどります。 【トミーテック TOMIX】TOMIX 3205 ヤード照明灯 LED価格:4628円(2024/8/14 14
No.7の記事でゼロからのスタートの記録としてレイアウトベース製作を紹介しましたが、それ以降の経緯を事細かに記載しても、Nケージの諸先輩方にとっては興味が無いと思われますので、一気に現在の姿をトップ画像で紹介します。現在は照明設備の工事中で
前回の記事で紹介したように、昭和45年1月に奈良機関区を訪問しましたが、京都から奈良に向かっていた途中の木津駅でハチロク(8620)を見かけましたので、帰りに木津駅で下車しました。 木津駅は関西本線、奈良線、片町線(現在の学研都市線)が合流
昭和45年1月には奈良機関区を訪ねています。当時は情報が少なく自宅近くの本屋さんで奈良市内の地図を見て奈良駅の西に扇状機関庫らしきものがあるのを確認して訪問した記憶があります。 当時の奈良機関区は梅小路機関区に引けをとらないくらいの立派な
現在は嵯峨野観光鉄道のトロッコ保津峡駅となっていますが、昭和44年当時は非電化単線であった山陰本線の駅として2線対面式ホームがあり、 旅客列車や貨物列車が交換していました。駅周辺には民家もなく、現在のように娯楽施設が少ない時代で休日には多く
昭和44年11月に吹田機関区を訪れています。毎回撮影日誌を書いていたのですが、その日誌が行方不明で、どんな経緯で訪れたのか思い出せません。この当時の吹田機関区はSLやDLの所属する第一機関区とELの所属する第二機関区に分かれていました。訪れ
前回に記事でレイアウトボードの製作を紹介しましたが、今回は初めてのレール敷設と入線機を紹介します。 レールの敷設 先ず線路メーカーの選定ですが、TOMIXさん、KATOさんともに優劣付けがたい製品を提供されていますが、私の場合次の2点でK
古いフィルムのスキャンと投稿もちょっと疲れてきたので・・・本ブロクのサブタイトルにも記載している「Nゲージ」に関する投稿を始めます。 Nゲージを始めるきっかけは初回の記事に記載していますが、始めるにあたっては諸先輩方のブログやYouTube
梅小路機関区の扇形機関庫は国の重要文化財に指定され京都鉄道博物館の一部として残っていますが、現在の本館あたりに立派なガントリークレーンと給炭槽がありました。そのいかにも厳つい重厚な姿は、かつて東海道本線の特急牽引機が配属されていた主要機関区
その当時はまだ鉄道ピクトリアル、鉄道ファン、鉄道ジャーナルなどの雑誌の存在すら知らず、No.3の記事で触れたように、山陰本線の車窓から梅小路機関区の姿を初めて見ました次第です。No.2とNo.3で紹介したように夢のような体験をさせていただい
京都市内の四条大宮から四条通りを西へ松尾橋までの間に京都市営のトロリーバス(通称:トロバスと呼んでいました)が走っていました。四条通りは四条大宮から西大路四条(阪急西院駅前)の間の壬生あたりで山陰本線が南北に平面交差しており、市電の敷設許可
梅小路貨車区からD51_1018のキャブに乗せてもらい嵯峨~保津峡~馬堀の多くのトンネルでの爆煙もなんのその、あっという間に亀岡に到着しました。機関士と機関助士の片にお礼を述べ、お名前をお聞きして後日お二人の写真を梅小路機関区に届ける約束を
このブログのタイトルでもあるD51_1018との出会いについて紹介します。 小学校の修学旅行で京都から草津線経由で伊勢志摩方面に行きましたが、途中のとある駅に止まっていたD51を見て、眠っていた何かが目覚めたような気がし、蒸気機関車の写真
鉄道と猫を愛する皆さんに情報発信するブログを開設しました。ド素人が始めますので、お見苦しいとは思いますが、よろしくお願いします。主に次の2つカテゴリで記事をアップしていく予定です。 昭和40年代の鉄道写真 私が小学生~中学生であった昭和4
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