「覚えていないし、すぐに実践しないけど、意味あるのか?」仕事関係の書籍を読みながら、こう思うときがある。物事の理解という刺激は、確かにある。それも一時的なもので、何かむなしい。どうしても時間と費用の対価を求めてしまう。 ページにかかわらず、頭に残らないのは歳のせいではないと思う。
2024年11月
仕事関係の書籍を読みながら、「読書って意味あるの?」と思うときが時々ある
「覚えていないし、すぐに実践しないけど、意味あるのか?」仕事関係の書籍を読みながら、こう思うときがある。物事の理解という刺激は、確かにある。それも一時的なもので、何かむなしい。どうしても時間と費用の対価を求めてしまう。 ページにかかわらず、頭に残らないのは歳のせいではないと思う。
勉強ができなくても生きていけるけど、勉強する習慣と実感はあった方がいい
人生でもっとも勉強したのは高校受験だった。親と交わした「公立に合格すれば、ピアノを習わせてくれる」との約束をかなえるためだ。結果はあえなく不合格。合格者の5%しか枠がなかった県外受験だったこと以上に、学力が足りなかった。 成績は中の中。勉強よりも、吹奏楽、ゲーム、推理小説に夢中だった。
想定外の手戻りや業務追加が発生したとき、胸が苦しくなる。明らかにストレスである。着手する前に要件を確認して取りかかっても、高確率で手戻りが発生する。少しずつ慣れてきたものの、快く受け入れられていない。 「それなら始める前に言ってほしい」という気持ちでいっぱいなのだが、そうはいかない事情もあるようだ。
営者が考えているほど、従業員は経営理念や行動指針を意識していないと思う。「現場主義」「顧客最優先」「誰もが幸せになれる会社に」のような言葉は、サービスを提供している以上、当然のことだ。あえて共有することもない。もっともらしい言葉を掲げて、従業員に共感を求めるのは、経営者の自己満足ではないか。
先月からライティング系の講座に通っている。思考の硬直化を少しでも防ぐのが目的である。無難な切り口、慣れた論理展開、手垢のついた文章表現は自覚しているつもりだ。他人から指摘されることがなく、もし指摘されても素直に聞けない性格のため、少しでも耳を傾ける機会を定期的につくるようにしている。
睡眠時間で生産性が変わる。せっかく早起きが習慣になっても、寝不足であれば考えもまとまらない。気分も落ち込みやすい。目覚まし時計よりも自然に早く起きるようになって、そういった日が増えてきた。寝不足だから、気絶するように眠ってしまう。今もまさにそのような状態だ。いや、夜だけではない。四六時中、頭にもやがかかっている。
ブログの書き方に迷う~頻繁に行替えする? 段落のまとまりを意識する?~
ブログ開設からまもなく3年が経つ。今さらながら、レイアウトによる読みやすさを考えている。紙媒体のように掲載スペースが決まっているわけではない。その自由さが、かえって私を悩ませる。一文ごとに行替えしたらいいのか。それとも行替えせず、段落を一つのまとまりとして考えたらいいのか。両者を組み合わせたらいいのか。
2024年11月
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「覚えていないし、すぐに実践しないけど、意味あるのか?」仕事関係の書籍を読みながら、こう思うときがある。物事の理解という刺激は、確かにある。それも一時的なもので、何かむなしい。どうしても時間と費用の対価を求めてしまう。 ページにかかわらず、頭に残らないのは歳のせいではないと思う。
人生でもっとも勉強したのは高校受験だった。親と交わした「公立に合格すれば、ピアノを習わせてくれる」との約束をかなえるためだ。結果はあえなく不合格。合格者の5%しか枠がなかった県外受験だったこと以上に、学力が足りなかった。 成績は中の中。勉強よりも、吹奏楽、ゲーム、推理小説に夢中だった。
想定外の手戻りや業務追加が発生したとき、胸が苦しくなる。明らかにストレスである。着手する前に要件を確認して取りかかっても、高確率で手戻りが発生する。少しずつ慣れてきたものの、快く受け入れられていない。 「それなら始める前に言ってほしい」という気持ちでいっぱいなのだが、そうはいかない事情もあるようだ。
営者が考えているほど、従業員は経営理念や行動指針を意識していないと思う。「現場主義」「顧客最優先」「誰もが幸せになれる会社に」のような言葉は、サービスを提供している以上、当然のことだ。あえて共有することもない。もっともらしい言葉を掲げて、従業員に共感を求めるのは、経営者の自己満足ではないか。
先月からライティング系の講座に通っている。思考の硬直化を少しでも防ぐのが目的である。無難な切り口、慣れた論理展開、手垢のついた文章表現は自覚しているつもりだ。他人から指摘されることがなく、もし指摘されても素直に聞けない性格のため、少しでも耳を傾ける機会を定期的につくるようにしている。
睡眠時間で生産性が変わる。せっかく早起きが習慣になっても、寝不足であれば考えもまとまらない。気分も落ち込みやすい。目覚まし時計よりも自然に早く起きるようになって、そういった日が増えてきた。寝不足だから、気絶するように眠ってしまう。今もまさにそのような状態だ。いや、夜だけではない。四六時中、頭にもやがかかっている。
ブログ開設からまもなく3年が経つ。今さらながら、レイアウトによる読みやすさを考えている。紙媒体のように掲載スペースが決まっているわけではない。その自由さが、かえって私を悩ませる。一文ごとに行替えしたらいいのか。それとも行替えせず、段落を一つのまとまりとして考えたらいいのか。両者を組み合わせたらいいのか。
文章と向き合う時間が年々減っている。仕事で書く機会が少なくなり、文量や精度も求められなくなった。腕も、頭の回転も確実に鈍くなっている。生活には困っていないものの、自分の存在意義が薄れるような気がして怖くなるときがある。自宅に、業界紙記者時代に書いた新聞のバックナンバーを保管している。
毎日惰性で過ごしている自信がある。気持ちが上がることもやってみても、どうも面白くない。不満があるわけではない。こうやって余計なことを考えるのも、きっと暇なのだろう。以前は楽しかった楽器も、読書も、仕事も、筋トレも、心が躍らない。自分の殻に閉じ困ったまま癖で、グルグルと同じことを繰り返しているに過ぎない。
ダイエット中の外食は、たいてい決まっている。サブウェイ、蕎麦、うどんだ。ハイカロリーでなければ、ラーメンも食べる。少ないストレスで長い戦いを乗り切るためには、程よく自分を許すことが大切である。蕎麦の中でも「ざるそば」がいい。油揚げや天ぷらのような余計なものが入っていないし、出汁を飲み過ぎることもない。
できるだけヘルシーに、低予算で済ませる。 そのようなことを考えながら、毎食のメニューを決めている。3日分作り置
締切と業務量から逆算して、スケジュールを組み立てる。ほぼ想定どおり物事が進む達成感を久しぶりに感じている。「できて当たり前」と思われる年齢になり、人から褒められる機会が減った分、せめて自分で自身の行動を認めてやらねばと思う。 転職したことで、業界紙記者だった頃のように、自分で行動予定が立てやすくなった
季節の変わり目は、どうも気分が沈む。具体的な理由があるわけではない。日々の生活に楽しさを見出だせないだけだ。規則正しく眠れている。食欲もある。仕事のタスクもそれなりこなしている。家があって、仕事がある。生活に困っているわけではないし、誰かには相手にしてもらえる。ただ、ふとした瞬間に孤独を感じる。
40年生きても、自分のことが分からなくなるときが結構ある。似たようなことで失敗するとき、指摘を素直に受け止められないとき、明るく話しているつもりでも「目が笑っていない」と言われるときなどがそうだ。感情のコントールできないとき、1、2時間後に「自分ってダメだな」と後悔することが多い。
東京駅から京都駅に戻る新幹線の車内で嬉しそうな声が聞こえる。 「こんなところでお店広げちゃって悪いね」 初老の男性が、同じシート列に座る別の乗客に一声かけたようだ。 私の斜め後ろに座っているため、チラッとしか見えていないが、座席のテーブルにはお弁当とビールが置かれていた。
最適な答えは状況によって変わる。前後関係が単純明快なことは少なく、「ケースバイケース」で片付けられることがほとんどではないか。誰かに教えてもらうとき、必ず質問してしまう私にとって「それはケースバイケースだから…」で済ませられる答えは、どうにも納得がいかない。ケースが多岐にわたり、発生する条件も複雑なのだろう。
組織運営において、役職が重要な役割を果たす。方向性を定めるにも、迷ったときに修正するにも、集団である以上はリーダーが必要だ。 自分がその位置に立たされたとき、個人的な理由で動けない不自由さが生まれる。言葉や行動によって、まわりに少なからず影響を与えている可能性があることを自覚しているつもりだからだ。
曖昧な指示にストレスを感じている。とくに、具体的な期日を言わず、「なるべくはやく」「なるはやで」といった解釈次第で食い違いが起こるような場合だ。「そっちの都合も分かるけど、こっちの状況を察して優先度上げてね」。うがった見方だが、指示する側のそういった気持ちが透けて見えるようでならない。
後悔する場面がいくつかある。調子に乗って自分のことを話しているとき、組織への文句、意にそぐわないことに対して言い返しているときだ。 仕事では、質と効率のバランスを考えながら進めている自負があるため、思いつきのような他人の発言には過剰に反応してしまう。
帰宅途中の電車でブログを書いている。5カ月間続けてきた定期投稿で学んだのは、思い立ったときに書き始めることの大切さだ。手段が目的になっていることは承知している。ただ、自らきっかけを作らなければ、直接的な利益を生まない行為が続くわけがない。
YouTubeや同僚の影響で、旅行に行く機会が増えた。取材以外で遠出することがなかったことを考えれば、年間に7
『冬の派閥』は、徳川慶勝の姿を通じて、転換期のおける指導者の在り方を問いかけている作品だ。本作品は「熟察」という言葉が頻繁に登場する。半信半疑のまま行動しない。朝廷と幕府の関係を深め、徳川慶喜の尻ぬぐいをしながらも、真意が理解されず苦悩する。時代の大きな流れに、不本意ながら立場上、動かざるを得ない辛さが伝わってきた。
1930年1月に実施された金解禁を推し進めた浜口雄幸と井上準之助の生きざまにスポットを当てている。内閣総理大臣と大蔵大臣が成すべき取り組みは、緊縮財政と行政整理による金解禁にあった。国難に生命をかける姿勢もさることながら、異動で不本意な立場に置かれながらも、逃げ出さずにやるべきことに取り組む姿勢に学ぶ点が多かった。
ログ開設から2年10カ月で、ようやく投稿数が100本に達した。始めた当初は「1年間で100本投稿できたらいいな」と思っていたものの、仕事の多忙さを言い訳に投稿しない日々が続いた。ブログ初心者向けの指南サイトには、「まず100本投稿しよう」と教えているものもある。分かりやすく、コツコツと頑張ればできる目標だ。
タイトルどおり、ライティングスキルが書かれているわけではない。パラっとめくって読むだけで分かったので、購入をためらっていた。買ったのは、書くことに対して億劫な気持ちだったり、身構えなければ書けないことを自覚していたからだと思う。この一冊を読み終えた後、「もっと気楽に書いていいかも」と考えられるようになった気がする。
転職活動がまったく進まない。書類選考さえ通過できないとなれば、「市場価値がない」と言われているに等しい。「総合的に判断したけど、うちがほしい人材じゃないよね」ということだろう。分かっているけど、世の中の厳しさを改めて感じる。
毎週日曜、吹奏楽団の練習に参加している。練習よりも教えている時間の方が圧倒的に長い。技術レベルがいきなりアップしないことは分かっているが、相手が中々理解してくれないことにイラッとすることもある。年月が経つにつれて、教えることに対する考え方も随分変わった。