会社を辞めたい気持ち。よくわかります。僕の時代は退職代行なんてサービスはなかったので、上司に直接「辞めたいです。」と言いました。意外にもあっさり認めてくれた上司。その結果、良い方向に進展しました。事務的に退職する前に、参考にして下さい。
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会社を辞めたい気持ち。よくわかります。僕の時代は退職代行なんてサービスはなかったので、上司に直接「辞めたいです。」と言いました。意外にもあっさり認めてくれた上司。その結果、良い方向に進展しました。事務的に退職する前に、参考にして下さい。
いつも日曜日に来店するゲンさんが、平日に来た。元気がない。何かあったのかな。熱いコーヒーを淹れる。「参ったよ。」ゲンさんが話しはじめた。
いつも日曜日に来店するゲンさんが、平日に来た。元気がない。何かあったのかな。熱いコーヒーを淹れる。「参ったよ。」ゲンさんが話しはじめた。
骨盤骨折リハビリ体験記。Part.8【フラッシュバック/移乗試験】
リハビリ病院の病室の夜。もうすぐ日付が変わる。怪我してもう1カ月経つんだな。と思ったら、墜落の瞬間に意識がフラッシュバックした。またか。もういいよ。抑えようとしても再現映像は止められない。 急角度で迫る地面。足から落ちたら両足とも骨折する。
2003年。39歳。ロサンゼルス空港。エコノミークラスの列に並んでいる僕らの横を歩いて行く男性2人。ファーストクラスのチェックインを済ませて振り返ったのは、日本を代表するロックスターだった。
2013年。49歳。パリ。不思議のメダイの聖母の聖堂。英語がわからなくて困っていた日本人観光客を助けたら、メダル売り場のおばあちゃんに手招きされた。
noteで出会った人に前世を視てもらった。「どんなことを言われるんだろう。江戸時代くらいまで遡ったりするのかな。」軽く予想してたけど、語られた過去世は想像を遥かに超えていた。
新大阪駅から新幹線に乗ったら、隣の席に黄色法衣の僧が座った。1時間迷って、宗教への悩みを打ち明けた。
骨盤骨折で大学病院からリハビリ総合病院へ転院して10日目。プレート接合手術から3週間経った。左足への荷重練習が始まった。くしゃみするだけでカミナリみたいな電流が走るのに、痛そう。できる気がしない。嫌だな。
綺麗に数字が並ぶ瞬間に、何を祈るか考えている。 「全ての命が、心穏やかに過ごせますように。」は、叶いそうもない。 今日も肉食動物は狩りをするし、草食動物は草を食べる。 お腹が空いたら心は穏やかじゃなくなるし、食べられる方は、それどころじゃな
12人兄弟の3男として生まれた父は、生まれつき身体の弱い人だった。
今日、見れますかね。マンタ。「見れると思うよ。9割は見れるから。ここ。」期待っすね。 強い日差し。潮風。白い波しぶき。エアタンクを固定したデッキが揺れる。ポイントへ向かう船の上で、男性インストラクターが答えてくれた。 40歳くらいかな。日焼
1982年5月3日。ラジオの深夜放送「中島みゆきのオールナイトニッポン」。番組の最後に読まれたハガキ。出したのは17歳の女の子。僕と同じ歳だ。
2022年の紅白歌合戦。なんとなく観ていたら、驚愕のDANCEパフォーマンスに釘付けになった。King and Princeの「ichiban」えっ?こんなに踊れるの?
都会の小学生はこの先、どんな人生を歩むんだろう。こんな世の中だけど、生きにくい世の中だけど、楽しんで生きて欲しい。彼らの未来のために、僕らができることって何だろう。
あいつが店を出て20分。電話が嫌な音で鳴った。「店長~?コケた~」声と息遣いでわかる。転倒した直後だ。「バイク起こさなきゃ。」大丈夫だから座ってろ。動くなよ。身体さえ安全な場所に移せば大丈夫。これから起こることを伝える。「何でわかったの?」
双子の兄から電話。バイクの修理依頼。「転倒したので修理してもらえますか?」双子の弟から電話。「転倒したので修理してもらえますか?」一緒に走ってたの?「いいえ。今日は別々でした。」壊れ方同じなんだよ。ほら。「本当だ(笑)」こんなことある?
大学病院から転院した病院でリハビリが始った。ベッドの端に腰かけて食事、マッサージ。車椅子でリハビリ室に移動して平行棒。両腕で支えて右足で立ち上がる。なんとかできるけど、何をするのも痛い。痛み止めは効かない。こんなんで歩けるようになるのかな。
2018年。54歳。イタリア。ミラノ中央駅。帰国しようとスーツケースを引いて歩いていると、人懐っこい黒人に声をかけられた。「日本人ですか?」
パラグライダー場で誰よりも楽しそうに練習する男性と、微笑んで見守る女性。光輝くその笑顔に一目ぼれして一緒に昼食。「ネパールから帰国したばかり。」「パラグライダーの練習に来るのは久しぶり。」その理由を聞いて、笑顔が輝く理由がわかった。
医療タクシー。 転院の朝が来た。病室を出て、病院の廊下をストレッチャーで運ばれてる。自動ドアが開く。外に出た。 蝉が鳴いてる。暑い。あの日は梅雨の中休みだったのに、すっかり夏になってる。ドクターヘリで運ばれた大学病院を見上げる。救命処置室、
彼女が、助手席のドアを閉めた。いつもなら「ありがとう。気をつけてね。」って手を振るのに、今夜は、開けた窓の外から僕を見てる。「上がってく?」いいの?「うん。」 彼女の家に上がるってことは、ご両親にお会いする。のかな。ご挨拶の言葉、考えてない
大学病院の一般病棟2日目は日曜日。PTさんは休みだ。看護師さん2人に支えてもらって車椅子用トイレを使わせてもらう。思ったより大変。しばらくはポータブルトイレにしよう。ソーシャルワーカーさんが転院手続きを進めてくれた。抜糸後に受け入れてくれるらしい。
1983年。19歳。パイロットを諦めてCMクリエイターを目指していた僕は、素敵なCMに出会った。「さすがだな。サントリー宣伝部。」CM曲もヒットして、2年後映画化。素晴らしい映画でした。Youtubeで発見したので紹介します。いい時代でしたね。
「昔はどうしてたんですか?外で人と会う時。スマホも携帯もなかったんですよね。無理じゃないですか?」 待ち合わせ。 確かに昔は、「今〇〇駅のホーム。〇分くらい遅れそう。中で待ってて。」なんて連絡はできなかった。 先に到着して、腕時計を見る。1
1988年。24歳。初めてバイクで転倒した。痛い。夜の国道に横倒しになったバイクを見ていたら、車が停まって4人のヒーローが降りてきた。
骨盤骨折リハビリ体験記。Part.3【集中治療室/3回目の手術】
3回目の手術の日が来た。ベッドでレントゲン撮影。腰下に固いプレートを指し込まれて折れた骨盤がズレる。手術から目覚めると酷い痛み。でも「1.2.3!」移動時の痛みはなくなった。嬉しい。辛い導尿。折れた前歯の治療。そして一般病棟へ移る日が来た。
骨盤骨折リハビリ体験記。wife side story.(1)
夫のパラグライダー。車で休んでいたら、窓を叩く音。「奥さん、旦那さんが落ちた。」夫が草むらで呻いている。ドクターヘリで飛んで行ってしまった。普段車の運転はしない私だけど、山道を走って大学病院へ行かなきゃ。レントゲン写真は骨盤骨折。重篤?
骨盤骨折リハビリ体験記 Part.2【手術/集中治療室/天国】
長い夜が明けた。入院2日目の朝。腰椎の圧迫骨折が見つかって緊急手術を受ける。集中治療室では尿道カテーテルで自動排尿。でも大きい方は?朝の着替え。深夜の熟創予防。全て痛い。辛すぎる。でも看護師さん達は凄い。こんな状況でも天国を作ってくれるんだ。
骨盤骨折リハビリ体験記 Part.1【墜落/ドクターヘリ/重篤】
パラグライダーで墜落。地面に叩きつけられた。腰に激痛。「これ、助からないな。」死を覚悟する。仲間が走って来た。救急車。ドクターヘリに乗せられて大学病院。処置室で骨盤骨折と告げられ緊急手術。目覚めるとEICU(緊急集中治療室)に寝かされていた。
2004年。40歳。ゴールドコーストでのダイビング。透明度5mと聞いてがっかりした僕に、「楽しいですよ。」と自信満々のインストライター。一緒に潜る女性はここが楽しくて何度も来ているらしい。騙されたと思って潜ってみたら、すごく面白い。楽しい!
1986年。22歳。田舎者で金もないのに都心の大学に通う僕は、高級マンションから徒歩で通う同じクラスの女の子に声をかけられた。
2000年。36歳。本社に異動後のストレスで大切な何かが見えなくなった僕は、水槽のイルカに会いに来た。「こんな狭い所に閉じ込めてごめんなさい。退屈ですよね。」申し訳ない気持ちになる僕をぼんやり見てる貴方が、大事なことを思い出させてくれた。
1993年の夏の終わり。29歳の僕は、オートバイで旅に出て、不思議な雰囲気の彼女と出会った。「天国にいた頃を思い出しちゃった。」という彼女。僕と同じオートバイに乗って、初対面なのに僕のことを全部知ってる。「天国の話」を聴いてみることにした。
夏祭りの帰り。付き合い始めたばかりの彼女と歩いていたら、夜空に星が流れました。 似たようなことはあったのですが、こんなにロマンチックではないので、エッセイではなく小説にしました。 残念ながら、フィクションです(笑)
1997年。33歳。不思議な猫と出会った。いつも同じ時間に帰ってくるわけじゃないのに、アパートの階段を登る時にどこからともなく現れて一緒に部屋に入ってくる。何でもわかっているような目で僕を見て、ソファに転がる僕の上で一緒にくつろいだら、ふいっと出て行く。でも、急な転勤で引越すことになった。
ブログはWordPressの前にnoteをお勧めしたい。その理由。
WordPressに1記事も書けずに挫折した僕が、noteは1年続けることができました。ブログを何から始めるか迷ってる方にはnoteをお勧めします。ブログ初心者でも続けられるnoteの仕組みと優しさ。ご紹介します。
1999年。35歳。650ccのオートバイで初めての北海道ツーリングに出た僕は、いつものように宿を決めずに気ままに走っていた。夕方になってから今夜寝る場所を探したけど空いてない。走りながら探しているうちに森の中。完全な暗闇になってしまった。
2013年。49歳。何か大事なことを忘れているような気がする。社用車から空を見上げていたら、ラジオの曲に涙が出そうになった。「そうだ。俺は、飛びたかったんだ。」子供の頃からの空への憧れを押し殺して生きてきた。このまま老いぼれるのは嫌だ。
新卒で入社した会社に34年勤めました。いろいろあったけど「働くって何?」って聞かれれば、やっぱり「好きなことをやり続けること」だと思います。自分で選んだ会社です。辛くても辞めないのは、この会社にいたいから。自分の選択です。言い換えれば「好きな場所」。
綺麗に数字が並ぶ瞬間に、何を祈るか考えている。 「全ての命が、心穏やかに過ごせますように。」は、叶いそうもない。 今日も肉食動物は狩りをするし、草食動物は草を食べる。 お腹が空いたら心は穏やかじゃなくなるし、食べられる方は、それどころじゃな
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会社を辞めたい気持ち。よくわかります。僕の時代は退職代行なんてサービスはなかったので、上司に直接「辞めたいです。」と言いました。意外にもあっさり認めてくれた上司。その結果、良い方向に進展しました。事務的に退職する前に、参考にして下さい。
いつも日曜日に来店するゲンさんが、平日に来た。元気がない。何かあったのかな。熱いコーヒーを淹れる。「参ったよ。」ゲンさんが話しはじめた。
いつも日曜日に来店するゲンさんが、平日に来た。元気がない。何かあったのかな。熱いコーヒーを淹れる。「参ったよ。」ゲンさんが話しはじめた。
リハビリ病院の病室の夜。もうすぐ日付が変わる。怪我してもう1カ月経つんだな。と思ったら、墜落の瞬間に意識がフラッシュバックした。またか。もういいよ。抑えようとしても再現映像は止められない。 急角度で迫る地面。足から落ちたら両足とも骨折する。
2003年。39歳。ロサンゼルス空港。エコノミークラスの列に並んでいる僕らの横を歩いて行く男性2人。ファーストクラスのチェックインを済ませて振り返ったのは、日本を代表するロックスターだった。
2013年。49歳。パリ。不思議のメダイの聖母の聖堂。英語がわからなくて困っていた日本人観光客を助けたら、メダル売り場のおばあちゃんに手招きされた。
noteで出会った人に前世を視てもらった。「どんなことを言われるんだろう。江戸時代くらいまで遡ったりするのかな。」軽く予想してたけど、語られた過去世は想像を遥かに超えていた。
新大阪駅から新幹線に乗ったら、隣の席に黄色法衣の僧が座った。1時間迷って、宗教への悩みを打ち明けた。
骨盤骨折で大学病院からリハビリ総合病院へ転院して10日目。プレート接合手術から3週間経った。左足への荷重練習が始まった。くしゃみするだけでカミナリみたいな電流が走るのに、痛そう。できる気がしない。嫌だな。
綺麗に数字が並ぶ瞬間に、何を祈るか考えている。 「全ての命が、心穏やかに過ごせますように。」は、叶いそうもない。 今日も肉食動物は狩りをするし、草食動物は草を食べる。 お腹が空いたら心は穏やかじゃなくなるし、食べられる方は、それどころじゃな
12人兄弟の3男として生まれた父は、生まれつき身体の弱い人だった。
今日、見れますかね。マンタ。「見れると思うよ。9割は見れるから。ここ。」期待っすね。 強い日差し。潮風。白い波しぶき。エアタンクを固定したデッキが揺れる。ポイントへ向かう船の上で、男性インストラクターが答えてくれた。 40歳くらいかな。日焼
1982年5月3日。ラジオの深夜放送「中島みゆきのオールナイトニッポン」。番組の最後に読まれたハガキ。出したのは17歳の女の子。僕と同じ歳だ。
2022年の紅白歌合戦。なんとなく観ていたら、驚愕のDANCEパフォーマンスに釘付けになった。King and Princeの「ichiban」えっ?こんなに踊れるの?
都会の小学生はこの先、どんな人生を歩むんだろう。こんな世の中だけど、生きにくい世の中だけど、楽しんで生きて欲しい。彼らの未来のために、僕らができることって何だろう。
あいつが店を出て20分。電話が嫌な音で鳴った。「店長~?コケた~」声と息遣いでわかる。転倒した直後だ。「バイク起こさなきゃ。」大丈夫だから座ってろ。動くなよ。身体さえ安全な場所に移せば大丈夫。これから起こることを伝える。「何でわかったの?」
双子の兄から電話。バイクの修理依頼。「転倒したので修理してもらえますか?」双子の弟から電話。「転倒したので修理してもらえますか?」一緒に走ってたの?「いいえ。今日は別々でした。」壊れ方同じなんだよ。ほら。「本当だ(笑)」こんなことある?
大学病院から転院した病院でリハビリが始った。ベッドの端に腰かけて食事、マッサージ。車椅子でリハビリ室に移動して平行棒。両腕で支えて右足で立ち上がる。なんとかできるけど、何をするのも痛い。痛み止めは効かない。こんなんで歩けるようになるのかな。
2018年。54歳。イタリア。ミラノ中央駅。帰国しようとスーツケースを引いて歩いていると、人懐っこい黒人に声をかけられた。「日本人ですか?」
パラグライダー場で誰よりも楽しそうに練習する男性と、微笑んで見守る女性。光輝くその笑顔に一目ぼれして一緒に昼食。「ネパールから帰国したばかり。」「パラグライダーの練習に来るのは久しぶり。」その理由を聞いて、笑顔が輝く理由がわかった。
2022年の紅白歌合戦。なんとなく観ていたら、驚愕のDANCEパフォーマンスに釘付けになった。King and Princeの「ichiban」えっ?こんなに踊れるの?
都会の小学生はこの先、どんな人生を歩むんだろう。こんな世の中だけど、生きにくい世の中だけど、楽しんで生きて欲しい。彼らの未来のために、僕らができることって何だろう。
あいつが店を出て20分。電話が嫌な音で鳴った。「店長~?コケた~」声と息遣いでわかる。転倒した直後だ。「バイク起こさなきゃ。」大丈夫だから座ってろ。動くなよ。身体さえ安全な場所に移せば大丈夫。これから起こることを伝える。「何でわかったの?」
双子の兄から電話。バイクの修理依頼。「転倒したので修理してもらえますか?」双子の弟から電話。「転倒したので修理してもらえますか?」一緒に走ってたの?「いいえ。今日は別々でした。」壊れ方同じなんだよ。ほら。「本当だ(笑)」こんなことある?
大学病院から転院した病院でリハビリが始った。ベッドの端に腰かけて食事、マッサージ。車椅子でリハビリ室に移動して平行棒。両腕で支えて右足で立ち上がる。なんとかできるけど、何をするのも痛い。痛み止めは効かない。こんなんで歩けるようになるのかな。
2018年。54歳。イタリア。ミラノ中央駅。帰国しようとスーツケースを引いて歩いていると、人懐っこい黒人に声をかけられた。「日本人ですか?」
パラグライダー場で誰よりも楽しそうに練習する男性と、微笑んで見守る女性。光輝くその笑顔に一目ぼれして一緒に昼食。「ネパールから帰国したばかり。」「パラグライダーの練習に来るのは久しぶり。」その理由を聞いて、笑顔が輝く理由がわかった。
医療タクシー。 転院の朝が来た。病室を出て、病院の廊下をストレッチャーで運ばれてる。自動ドアが開く。外に出た。 蝉が鳴いてる。暑い。あの日は梅雨の中休みだったのに、すっかり夏になってる。ドクターヘリで運ばれた大学病院を見上げる。救命処置室、
彼女が、助手席のドアを閉めた。いつもなら「ありがとう。気をつけてね。」って手を振るのに、今夜は、開けた窓の外から僕を見てる。「上がってく?」いいの?「うん。」 彼女の家に上がるってことは、ご両親にお会いする。のかな。ご挨拶の言葉、考えてない
大学病院の一般病棟2日目は日曜日。PTさんは休みだ。看護師さん2人に支えてもらって車椅子用トイレを使わせてもらう。思ったより大変。しばらくはポータブルトイレにしよう。ソーシャルワーカーさんが転院手続きを進めてくれた。抜糸後に受け入れてくれるらしい。
1983年。19歳。パイロットを諦めてCMクリエイターを目指していた僕は、素敵なCMに出会った。「さすがだな。サントリー宣伝部。」CM曲もヒットして、2年後映画化。素晴らしい映画でした。Youtubeで発見したので紹介します。いい時代でしたね。
「昔はどうしてたんですか?外で人と会う時。スマホも携帯もなかったんですよね。無理じゃないですか?」 待ち合わせ。 確かに昔は、「今〇〇駅のホーム。〇分くらい遅れそう。中で待ってて。」なんて連絡はできなかった。 先に到着して、腕時計を見る。1
1988年。24歳。初めてバイクで転倒した。痛い。夜の国道に横倒しになったバイクを見ていたら、車が停まって4人のヒーローが降りてきた。
3回目の手術の日が来た。ベッドでレントゲン撮影。腰下に固いプレートを指し込まれて折れた骨盤がズレる。手術から目覚めると酷い痛み。でも「1.2.3!」移動時の痛みはなくなった。嬉しい。辛い導尿。折れた前歯の治療。そして一般病棟へ移る日が来た。
夫のパラグライダー。車で休んでいたら、窓を叩く音。「奥さん、旦那さんが落ちた。」夫が草むらで呻いている。ドクターヘリで飛んで行ってしまった。普段車の運転はしない私だけど、山道を走って大学病院へ行かなきゃ。レントゲン写真は骨盤骨折。重篤?
長い夜が明けた。入院2日目の朝。腰椎の圧迫骨折が見つかって緊急手術を受ける。集中治療室では尿道カテーテルで自動排尿。でも大きい方は?朝の着替え。深夜の熟創予防。全て痛い。辛すぎる。でも看護師さん達は凄い。こんな状況でも天国を作ってくれるんだ。
パラグライダーで墜落。地面に叩きつけられた。腰に激痛。「これ、助からないな。」死を覚悟する。仲間が走って来た。救急車。ドクターヘリに乗せられて大学病院。処置室で骨盤骨折と告げられ緊急手術。目覚めるとEICU(緊急集中治療室)に寝かされていた。
2004年。40歳。ゴールドコーストでのダイビング。透明度5mと聞いてがっかりした僕に、「楽しいですよ。」と自信満々のインストライター。一緒に潜る女性はここが楽しくて何度も来ているらしい。騙されたと思って潜ってみたら、すごく面白い。楽しい!
1986年。22歳。田舎者で金もないのに都心の大学に通う僕は、高級マンションから徒歩で通う同じクラスの女の子に声をかけられた。
2000年。36歳。本社に異動後のストレスで大切な何かが見えなくなった僕は、水槽のイルカに会いに来た。「こんな狭い所に閉じ込めてごめんなさい。退屈ですよね。」申し訳ない気持ちになる僕をぼんやり見てる貴方が、大事なことを思い出させてくれた。