ブログランキングに参加しています 神社・仏閣ランキング ポチポチしていただけると喜びます 前回の広島城の続きで
スピリチュアルに特化しないウンチクの多いブログを書き綴っています。遠くはハワイ、近くは市内、全国各地の訪れた神社をひたすら淡々と、時にはクドクドと紹介。
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城が建てられた一帯がその昔「己斐浦(こいのうら)」と呼ばれていたことから、別名、鯉城(りじょう)とも言われる広島城を見学。日清戦争の際に設置した大本営跡もこの広島城内にあり、当時の面影を残しています。
御朱印 広島護国神社(ひろしまごこくじんじゃ) 〜広島県広島市〜
広島護国神社の御朱印のご紹介です。全国に護国神社はありますが、御神紋は一律同じではありません。そのあたりも注目していただきたいところです。
広島城の敷地内にある広島護国神社を訪れました。広島城がある地域はその昔、己斐浦(こいのうら)という地名であったことから、「己斐(こい)」→「鯉(こい)」の当て字から別名「鯉城(りじょう)」とも呼ばれていました。境内のシンボルが鯉なのはそのためです。
広島県広島市にこじんまりと佇む白神社(しらかみしゃ)。この白神社は、元は海上の岩礁にあったとされる。現在でもその岩礁の上に社殿が立っていることを確認できる。御朱印には御神紋はなく神璽印というのが珍しい。広島県広島市にこじんまりと佇む白神社(しらかみしゃ)。この白神社は、元は海上の岩礁にあったとされる。現在でもその岩礁の上に社殿が立っていることを確認できる。御朱印には御神紋はなく神璽印というのが珍しい。
この辺り一帯が海だったその昔、海面から突き出ていた岩礁に船の衝突防止として”白い紙”を建てたのが起源とされる白神社(しらかみしゃ)。後に、広島城の初代城主である毛利輝元により社殿が建立されました。原爆の熱線を耐えぬいた広島原爆遺跡の狛犬や灯籠がある神社です。
広島平和記念資料館(ひろしまへいわきねんしりょうかん) 〜広島県広島市〜
広島県に訪れたら「広島平和記念資料館」は寄って欲しい。教科書なんかで教わるような薄っぺらいものではなく、自分の生まれ育った国で起こった悲惨な出来事を、もっと身近に、もっと実態を持って触れてみてほしい。その時に自分は何を思うのか。
世界遺産にも登録されている厳島神社の御朱印のご紹介です。御神紋についても詳しく説明をしていますので、興味のある方はぜひご一読ください。
厳島神社シリーズも今回で最後。締めくくりに夕陽に照らされる、美しい大鳥居を見ることができました。昔の人もきっとこの景色を見て心を癒していたのでしょう。今も昔も、人が心を奪われるものは不変なのかもしれません。
厳島神社(いつくしまじんじゃ)・其の伍/長浜神社(ながはまじんじゃ) 〜広島県廿日市市〜
厳島神社シリーズも5回になりました。摂末社紹介とグルメレポートも混じえながら、海に立つ夕陽に照らされる大鳥居を見るため、時間潰しをしつつ島内巡り。
豊臣秀吉を祀る豊国神社(千畳閣)の御朱印をご紹介します。御神紋は豊臣秀吉の家紋の「五七桐」。「五七桐」は身分の高い人にのみ使用を許されている家紋です。
厳島神社(いつくしまじんじゃ)・其の肆/千畳閣(豊国神社) 〜広島県廿日市市〜
宮島は厳島神社以外にも見どころがたくさんあります。その一つ、「千畳閣」へも行ってきました。「千畳閣」は豊臣秀吉が安国寺恵瓊に建設を命じて造らせていましたが、秀吉の死後、恵瓊は建築を中止し、現在も未完成のままとなっているお堂です。
厳島神社の社殿はとても広く、その周辺にも摂社や末社が点在しています。西松原には厳島神社を現在の社殿様式(寝殿造)に建て替えた平清盛を祀る清盛神社、更に東へ行くと香川県から勧請された金刀比羅神社、その他、島の中心部にも摂末社が点在しています。
前回の続き、安芸の宮島、厳島神社の其の弍。ここからは社殿に入り回廊を一巡します。満潮時と干潮時の二つの顔を持つ厳島神社で、昔の人が能を楽しみながら過ごしていたことを思うと、合理性ばかり求める現代だからこそ逆に憧れさえ感じます。
やっと念願の世界文化遺産、厳島神社へ。干潮の鳥居と満潮の大鳥居の欲張りセットプランが叶いました!天気も良く、とても美しい景色にも出会え、神の島と呼ばれたこの宮島を思う存分堪能してきました。
ブログランキングに参加しています 神社・仏閣ランキング ポチポチしていただけると喜びます 始まりました、広島シ
博多の総鎮守として親しまれている櫛田神社の御朱印の紹介です。櫛田神社では主祭神の大幡主大神(櫛田大神)の御神紋「三盛亀甲に五三桐紋」の他に、合祀されている天照大御神の御神紋「大和桜紋」と、素盞嗚大神の御神紋「木瓜紋」が幕などには掲げられています。
ブログランキングに参加しています 神社・仏閣ランキング ポチポチしていただけると喜びます 前回に引き続き、櫛田
福岡県は博多の総鎮守で、地元の方に親しまれている櫛田神社。5月の「博多どんたく」、7月の「博多祇園山笠」、10月の「博多おくんち」では大いに賑わう神社です。楼門の天井には、珍しい干支恵方盤が吊るされています。
宮地嶽神社の御朱印は、通常の御朱印の他に、神事ごとの限定御朱印や、季節ごとの限定御朱印などがある上に、台紙の色を選べたりもしてバリエーションが豊富です。コンプリートは至難の技ですが、参拝の度に御朱印をいただく楽しみがあります。
宮地嶽神社では2月と10月の数日間にのみ、貴重な景色に出会えます。「光の道」と名付けられたその黄金に輝く参道は、見る者の心を完全に奪い去るような神々しさ。幸運にも、今回は地元の方でもなかなか出会えないその景色をカメラに収めることができました。
109. 宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)・前編 〜福岡県福津市〜
福岡県福津市にある宮地嶽神社。以前、日本航空のCMで使われて一役有名になった「光の道」。一年のうち、2月と10月にだけ、この宮地嶽神社の参道から見ることができます。今回はその貴重で神々しい景色も後編でご紹介します。
全国の宗像三女神を祀る神社の総本社、宗像大社の御朱印の紹介です。今回は辺津宮のみ。宗像大社の御神紋は、表紋の菊の御紋と、裏門の宗像大社の御神木の楢の木を元にした楢の葉紋の二つです。
108. 宗像大社(むなかたたいしゃ)・後編 〜福岡県宗像市〜
福岡県宗像市にある宗像大社の後編。宗像大社の辺津宮には、田心姫神(たごりひめのかみ)を祀る第二宮と、湍津姫神(たぎつひめのかみ)を祀る第三宮があり、この二社を詣でることで宗像三宮(辺津宮・中津宮・沖津宮)を参拝したのと同等になると信仰されてきました。
108. 宗像大社(むなかたたいしゃ)・前編 〜福岡県宗像市〜
太宰府天満宮に次ぐ知名度がある福岡県の宗像大社へ行きました。ここでも戦国の武将たちや歴史の著名人がこの神社の維持に貢献していました。また、宗像大社と広島県の不思議な繋がりも発見。毎度の答えの出ない考察ですが、歴史はこれが面白い。
ブログランキングに参加しています神社・仏閣ランキングポチポチしていただけると喜びます「敵国降伏」を楼門に掲げる、筥崎宮の御朱印を紹介します。
筑前国一の宮、筥崎宮(はこざきぐう)。筥崎宮の楼門には亀山天皇の宸筆「敵国降伏」が掲げられており、勝負の神様とされた筥崎宮は、戦国の名だたる武将達も篤く信仰してきました。筥崎宮では鳩の餌も販売されていて、もれなく鳩に囲まれることができます(笑)
御朱印 天開稲荷社(てんかいいなりしゃ) 〜福岡県太宰府市〜
福岡の太宰府天満宮の末社である天開稲荷社の御朱印をご紹介します。御神紋は「抱き稲紋」の中に天開稲荷社の「天」が描かれたものが3つ合わせたもの。一括りに「稲荷神社」と言っても御神紋も様々で面白味があります。
太宰府天満宮の奥には天開稲荷社という、”十二支の干支参り”ができる、全国でも珍しい神社があります。「九州最古のお稲荷さん」とも呼ばれている歴史の深い神社です。天開稲荷社へ行く途中には、第92代内閣総理大臣の麻生太郎さんの曽祖父が造ったトンネルも。
御朱印 太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう) 〜福岡県太宰府市〜
福岡県太宰府市の太宰府天満宮の御朱印をご紹介します。日本で唯一の「菅聖庿」である太宰府天満宮は、今でも菅原道真公を慕うたくさんの人々で日々賑わっています。
太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう) 其の肆 〜福岡県太宰府市〜
太宰府天満宮の記事は今回が最終回。瑞垣の外の摂社・末社、そして本殿の北側にある天開稲荷社など、見どころたくさんの神社でした。菅原道真公のお膝元で賑わう参道では太宰府名物の「梅ヶ枝餅」や、「飛び梅」に因んだ梅味のソフトクリームも味わえます。
太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう) 其の参 〜福岡県太宰府市〜
いよいよ、1100年以上もの歴史を紡ぐ太宰府天満宮の瑞垣の中へ!日本三大怨霊の1人としても名を轟かす菅原道真公を祀るお社は、この日も合格祈願に来る親子連れで賑わっていました。怨霊ではなく学問に強く才能豊かな神様を慕う人々の天神信仰は今日も続いています。
太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう) 其の弍 〜福岡県太宰府市〜
太宰府天満宮の約400mの参道は、商店が立ち並ぶエリアを過ぎると、日本庭園のような景色が広がります。楼門の手前にある麒麟像は素晴らしいもので、その横の鷽像も可愛らしい。手水舎では石板の底を注意深く覗くと縁起の良い神亀を確認することができます。
太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう) 其の壱 〜福岡県太宰府市〜
福岡県で有名な神社といえばやはりここ、学業の神様・菅原道真公を祀る太宰府天満宮!境内の規模もそうですが、参道の賑わいも大したもの。それだけ、多くの方に篤く信仰されてきた神社であることが伺えます。また明治維新の策源地もあり、見どころ盛りだくさん!
福岡県の博多では、「華味鳥」で福岡名物の水炊きに舌鼓。〆のちゃんぽん麺まで美味しくいただける!駅ビル「博多シティ」には、初代福岡藩主の黒田長政とその父である黒田官兵衛に仕えた母里太兵衛の銅像があり、当時の逸話をそこに伝えていました。
2022年に佐世保市制施行120周年を迎えた長崎県の佐世保市。明治時代から日本海軍の要となり、造船および軍港の町・軍都として発展してきました。「佐世保バーガー」や「レモンステーキ」などアメリカ文化が入り混じる食文化も佐世保ならでは。
九十九島観光公園(くじゅうくしまかんこうこうえん) 〜長崎県佐世保市〜
長崎県佐世保市の九十九島(くじゅうくしま)は、日本本土最西端に広がるリアス海岸と大小208の島々で、この全域が1955年に西海国立公園に指定されました。エメラルドグリーンの海にポコポコ浮かぶ島影が美しく、人気の夕陽スポットでもあります。
長崎県の佐世保湾の海に点在する島々は九十九島(くじゅうくしま)。この九十九島のひとつに淡島神社があります。海に囲まれてぽっかり浮かぶ島の神社では、とても穏やかな時間が流れていました。夕陽が沈む時間帯には、また違った風景に魅せられることでしょう。
熊本県の特産品をご紹介。名産として有名なデコポンを使ったぽん酢しょうゆ「火の国ぽん酢」が美味!デコポンの爽やかな香りとまろやかな甘みが料理を引き立ててくれます。製造会社は明治39年から続く熊本の老舗、「ホシサン」。熊本の味を今に伝えます。
熊本城内にある加藤神社は、熊本城の築城主、そして初代熊本藩主である加藤清正公をお祀りする神社です。肥後国の領民に慕われ続けた清正のため、慶応4年(明治元年)、当時の熊本藩主・細川韻邦公の弟である長岡護美公の建議によって、加藤神社が創建されました。
熊本県宇土市には「御輿来海岸(おこしきかいがん)」という、”日本の渚百選”にも選定されている絶景の海岸があります。その自然のアートが織りなす神秘的な砂紋は、第12代・景行天皇が九州遠征の際、あまりの美しさに輿を駐めてご覧になった、という伝説があるほど。
熊本城の一角には、秀吉の家臣で築城名人とも謳われた加藤清正公を祀る「加藤神社」があります。規模はそこまで大きくはないものの、昔から「せいしょこさん」と県民に慕われてきた神社。初代熊本藩主として過ごしたこの場所で、今日も参拝者を見守っています。
九州の特産のお茶といえば「八女茶」を思い浮かべる方も多いと思いますが、宮崎県の高千穂にも古来からの”釜炒り製法”で作られる「高千穂茶」があります。今回はその高千穂釜炒り茶をご紹介します。
九州の旅3泊4日。1泊目は宮崎県の高千穂に泊まり、そこから長崎県の佐世保へ移動する途中、熊本県の熊本城に寄りました。特別史跡に指定されている熊本城は3重6階、高さ32.5mで日本で4番目に高いお城。石垣の美しい熊本城は築城名人・加藤清正による築城。
102. 天岩戸神社・東本宮(あまのいわとじんじゃ・ひがしほんぐう) 〜宮崎県西臼杵郡〜
宮崎県の天岩戸神社には、天安河原へと繋がる道がある西本宮と、天岩戸がある河岸側の社殿、東本宮があります。多くの方は西本宮と天安河原だけを参拝して終えますが、ぜひ静かに佇む東本宮へも合わせて参拝していただきたいです。
日本神話の地、高千穂。ここには、天岩戸隠れの際に八百万の神々が集まり、相談をしたと伝えられる洞窟「天安河原」があります。実はこの「天安河原」も御朱印があって、天岩戸神社西本宮でいただくことができます。
天照大御神が隠れたという天岩戸を御神体とする、天岩戸神社。その奥にある「天安河原」。ここは天照大御神が隠れた際に、八百万の神々が相談したとされる洞窟。岩戸川の渓流を遡ったところにある天安河原は、俗世間から切り離されたような神聖さを湛えていました。
御朱印 天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ) 〜宮崎県西臼杵郡〜
天照大御神が閉じこもったとされる岩戸を御神体としてお祀りする、天岩戸神社の御朱印をご紹介します。神話は息づく日向国へ、ぜひ訪れてみてくださいね。
100. 天岩戸神社 西本宮(あまのいわとじんじゃ にしほんぐう) 〜宮崎県西臼杵郡〜
神社巡り100社目は、偶然にも天岩戸神社!天岩戸神話が伝えられるこの地に、とうとうやってきました。この神社の奥には天安河原があります。そこが今回の旅の一番の目的。一体そこでどんな景色に出会えるでしょうか!?
日本神話好きなら誰しも「一度は行ってみたい!」と憧れる高千穂。そこに鎮座する高千穂神社の御朱印をご紹介します。高千穂神社の御朱印帳はとても綺麗なデザインで、旅の記念にオススメです!
とうとうやってきました、日本神話の舞台、日本の始まりの地、高千穂。山間にひっそりとある高千穂町の高千穂神社は、神武天皇の兄である三毛入野命(みけぬのみこと)が創建した神社で、約1900年前とされています。悠久の時を感じる神社。
九州は福岡県、筑後国一の宮である「高良大社(こうらたいしゃ)」の御朱印を紹介します。高良大社は高良山の中腹に鎮座しており、晴れていればここからの筑紫平野の景色を一望できるスポットでもあります。夜には133段もある階段の両脇の灯籠に明かりが入り幻想的。
九州シリーズ第1弾は、福岡県の高良大社(こうらたいしゃ)。筑後国一の宮。社殿創建は西暦400年という、歴史の深い神社。社殿は久留米藩主第3代・有馬頼利(よりとし)公の寄進九州最大を誇る。高良山の中腹に鎮座する高良大社からの筑紫平野の景色は素晴らしい。
江差・松前1泊2日弾丸の旅のラストは、松前藩屋敷です。実際にここにあったのではなく、テーマパークという趣旨ですが、江戸時代当時の松前の様子を垣間見ることができます。松前漬けを買うなら、この施設内にある「あさみ商店」で是非。
道南の松前城にある松前神社の御朱印をご紹介します。小さめながら、紅白の花を付ける珍しい御所錦という梅の花が咲く神社です。
松前町の松前城の奥に「松前神社」があります。御祭神は松前氏の祖である武田信広公。松前城の背後から、この松前町を見守るように武田信広公がお祭りされています。境内には、紅と白の花を同じ枝に咲かせるとても珍しい「御所錦」が植えられています。
北海道唯一の日本式城郭、松前城をご紹介します。嘉永2年に改築された松前城は、明治維新後にその殆どが取り壊されてしまい、築城当時から残っているものは本丸御門、本丸表御殿玄関、旧寺町御門のみで、現在ある他の部分は復元されたもの。松前城は桜の名所でもあります。
御朱印 姥神大神宮(うばがみだいじんぐう) 〜北海道檜山郡〜
北海道最古の神社と言われる、姥神大神宮(うばがみだいじんぐう)の御朱印をご紹介します。松前藩の家紋から汲んだものなのか、社紋は花菱。
96. 姥神大神宮(うばがみだいじんぐう) 〜北海道檜山郡〜
北海道最古と言われる神社、姥神大神宮(うばがみだいじんぐう)のご紹介。北前船とニシン漁で栄えた江差町に姥神大神宮はあります。370年以上の歴史を誇る「姥神大神宮渡御祭」は北海道指定無形民俗文化財に指定されていて、毎年、江差町を活気で満たしています。
旧中村家住宅と旧関川家別荘は江戸時代末〜明治の近江の豪商が住んでいた家屋です。当時、北前船が本州と北海道の漁港をぐるりと廻り荷物を売買しながら往来していました。北前船はこの江差の港にも寄港していて、賑わっていた町の豪商の生活の様子を伺うことができます。
江差町歴史巡り、2日目の初っ端は旧檜山爾志郡役所・江差町郷土資料館。江差町の発掘品などもあって意外と充実した内容になっています。開陽丸が沈没する姿をここで眺めていた土方歳三が悔しさに嘆いて叩いたお陰で幹が曲がって成長してしまった、「嘆きの松」はここです。
江差町歴史巡り、2日目の初っ端は旧檜山爾志郡役所・江差町郷土資料館。江差町の発掘品などもあって意外と充実した内容になっています。開陽丸が沈没する姿をここで眺めていた土方歳三が悔しさに嘆いて叩いたお陰で幹が曲がって成長してしまった、「嘆きの松」はここです。
江差町歴史巡りの途中ですが、江差町の特産・名産をご紹介します。港町なので、海産物はもちろん良いもの揃いですが、ここ江差でしか手に入らない”美味”に出会いました。
江差町歴史巡りの途中ですが、江差町の特産・名産をご紹介します。港町なので、海産物はもちろん良いもの揃いですが、ここ江差でしか手に入らない”美味”に出会いました。
新撰組・鬼の副長の土方歳三と艦隊を率いる榎本武揚が北海道に乗り入れた開陽丸。1868年に江差町で沈没した開陽丸が復元され、1990年にこの江差町の港に還ってきました。現在の開陽丸は博物館となっていて、海底から引き上げた品々を見学することができます。
新撰組・鬼の副長の土方歳三と艦隊を率いる榎本武揚が北海道に乗り入れた開陽丸。1868年に江差町で沈没した開陽丸が復元され、1990年にこの江差町の港に還ってきました。現在の開陽丸は博物館となっていて、海底から引き上げた品々を見学することができます。
北海道檜山郡江差町には幕末ファンにはたまらないスポットがあります。特に新撰組・鬼の副長、土方歳三が好きな方にとっては胸熱ポイント。江差町は小さな町ですが、実は意外に歴史を感じられる場所で、道内の方にもおすすめしたい町です。
北海道檜山郡江差町には幕末ファンにはたまらないスポットがあります。特に新撰組・鬼の副長、土方歳三が好きな方にとっては胸熱ポイント。江差町は小さな町ですが、実は意外に歴史を感じられる場所で、道内の方にもおすすめしたい町です。
北海道内でも有名な半島、積丹(しゃこたん)半島の美国(びくに)神社へ行ってきました。美国神社がある積丹町は”積丹ブルー”の海と天然ウニが有名で、夏場には道外からの観光客も訪れる町です。美国神社の例大祭の「天狗の火くぐり」は迫力満点!
藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)・瀬田遺跡(せたいせき) 〜奈良県橿原市〜
奈良シリーズファイナル。最後は藤原京跡と瀬田遺跡へ。飛鳥時代の都、藤原京は風水の「四神相応(三閉南開)」に準えて築かれていました。大和三山に囲まれたその場に立ってみると、藤原京がどれほど大規模だったのかを実感することができます。
神武天皇陵(じんむてんのうりょう)・御陵印 〜奈良県橿原市〜
念願だ叶って、初代天皇である神武天皇の御陵を訪れました。太古のロマンを求めて訪れたつもりが、「そんな過去があったとは!」と調べるうちに少し暗い気持ちに…歴史は深いです。
春日大社の若宮十五社の第15番納札社である金龍神社の御朱印をご紹介します。春日大社シリーズはこれにて最後。奈良の旅もそろそろ終わりが近づいてきました。
春日大社の摂社、『若宮十五社』の一つでもある夫婦大国社の御朱印をご紹介します。ここに祀られるのは大国主命のアイテムとしてよく描かれる”打ち出の小槌”について、少しだけ掘り下げてみると、ナント大国主命と関わりが深い少彦名命に繋がっちゃいました!
春日大社の御祭神四柱のうち、天児屋根命と比売神様の御夫妻の御子、天押雲根命(通称、若宮様)をお祀りする若宮神社の御朱印をご紹介します。
世界遺産の「古都・奈良の文化遺産」に指定され、全国およそ3000社の春日神社の総本社でもある春日大社の御朱印をご紹介します。
春日大社シリーズ、最終回の今回は春日大社境内にある水谷九社と、その他末社などをご紹介します。全5回で春日大社の魅力は網羅したつもりですが、やっぱり実際に足を運ぶのがイチバン!このブログはあくまでも参考としていただき、ぜひいつか春日大社へ参拝にあがってみてくださいね。
春日大社の回、第4弾!春日大社本殿の回廊から飛び出して("飛び出す"という感じでもないけど)、今回は春日大社の摂末社の「若宮十五社」をまわります。「若宮十五社めぐり」をするには、夫婦大国社で受付を済ませる必要があります。
94. 春日大社(かすがたいしゃ) 其の参 〜奈良県奈良市〜
春日大社では毎年節分に「万燈籠」という一大行事が行われます。節分にしか見れない「万燈籠」ですが、回廊内の『藤浪之屋(ふじなみのや)』で「万燈籠」を再現したものを見ることができます。春日大社へ参拝に行ったらぜひ『藤浪之屋』で神秘的な風景を体験してみてください。
94. 春日大社(かすがたいしゃ) 其の弐 〜奈良県奈良市〜
前回からの春日大社の続きです。春日大社といえば映える朱色の中門が有名ですが、他にも見どころがたくさんあります。摂末社だけでも61社もあったり、燈籠は吊り燈籠と石燈籠を合わせて約3000基もあったり…。今回も、そんな魅力たっぷりの春日大社をくまなくご紹介していきます。
94. 春日大社(かすがたいしゃ) 其の壱 〜奈良県奈良市〜
今回は”古都奈良の文化財”の一つ、春日大社のご紹介です。春日大社は鹿で有名な奈良公園の中にあり、東大寺の南側にあります。西暦768年に開かれた春日大社は境内がとても広く、春日大社の御神宝、国宝や重要文化財が収蔵されている国宝殿もあります。「万燈籠」の風景が再現されている『藤浪之屋』は必見!
橿原神宮の末社、長山稲荷社(ながやまいなりしゃ)のご紹介です。稲荷社特有の連なる朱の鳥居が素敵な神社。お祀りされている大宮能売神(おおみやのめのかみ)繋がりで、『古語拾遺(こごしゅうい)』を編纂した斎部氏(忌部氏)についても少しだけ解説。長山稲荷社正面には深田池があり、鳥も人も一休みできる空間となっています。
92. 畝火山口神社(うねびやまぐちじんじゃ) 〜奈良県橿原市〜
奈良の旅2日目は、朝から天理市の石上神宮、橿原市の橿原神宮、そしてその背後にある畝傍山登山をし、畝傍山東北の麓にある「畝火山口神社」へ。畝傍山東側の登山口にある「東大谷日女命神社」との関係性、住吉大社との関係性が謎を呼ぶ神社です。
91. 東大谷日女命神社(ひがしおおたにひめみことじんじゃ)・畝傍山 〜奈良県橿原市〜
東大谷日女命神社の謎をちょっと紐解きつつ、橿原神宮を抱く畝傍山に登ってきました。畝傍山は「大和三山」と称される3つの山のうちの1つ。この大和三山に囲まれるように、中心に藤原京が栄えていました。199.2mという標高ではあるものの、山頂からは大和三山の耳成山なども望むことができます。
橿原神宮の御朱印のご紹介です。神璽印の右に捺された日本の紀年法、「神武天皇即位紀元(じんむてんのうそくいきげん)」についても少し詳しく説明を書き添えました。
奈良3日目、石上神宮の次に訪れたのは、橿原市の橿原神宮です。初代天皇の神武天皇をお祀りする神社。神この地は武東征で日向から大和へ辿り着いた神武天皇が長髄彦との戦いに勝利し、皇居を建て、初代天皇として即位した場所です。背後には大和三山の一つ、畝傍山があります。
石上神宮には、境の外に末社があります。こじんまりとはしていますが、手入れの行き届いた神社です。一番古い記録は江戸時代の元禄。当時から300年以上、この地域の人々を見守ってきた神社です。
今回は、大神神社に並び、日本最古の神社である石上神宮の2種類の御朱印をご紹介をします。神社へ参拝をする際は、御朱印もいただくことをオススメします。その理由は…
88. 石上神宮(いそのかみじんぐう) 後編 〜奈良県天理市〜
大神神社と同じく日本最古、石上神宮の後編です。楼門には、明治維新や日露戦争などで歴史的に有名な人物である、山縣有朋の直筆による木額があったり、国宝も多くある神社。今回も神職さんからたくさん貴重なお話を聞かせていただきました。
88. 石上神宮(いそのかみじんぐう) 前編 〜奈良県天理市〜
今回は、大神神社と同様に、”日本最古”の神社である石上神宮へ行きました。参道では神鶏が出迎えてくれます。参拝を忘れ、ついつい神鶏たちと戯れてしまうトラップがあるので気をつけなければいけません(笑)。少し長くなりますので、前編と後編に分けています。
纏向遺跡⑥ <メクリ1号墳> 柿本人麻呂屋敷跡 〜奈良県桜井市〜
纏向遺跡ツアーの最後を締めくくるのは、「メクリ1号墳」!この古墳は現在は全貌は見えないものの、増築時期には珍しい「前方後方墳」でした。時代の移り変わりを示唆するような古墳です。「メクリ1号墳」の近くにある「柿本人麻呂屋敷跡」にも立ち寄りました。
纏向遺跡⑤ <纏向遺跡辻地区大型建物群跡> 〜奈良県桜井市〜
見どころたくさんの纏向遺跡。中でも一番見応えがあるのが「纏向遺跡辻地区大型建物群跡」です。「卑弥呼が居住していた場所ではないか?」という説もある遺跡。「卑弥呼」や卑弥呼がいたとされる「邪馬台国」についても様々な憶測があるので少し考察してみました。真相は如何に!?
纏向遺跡の古墳群、今回は「勝山古墳」と「纏向石塚古墳」を訪れました。古墳の多くは原型をとどめていませんが、それであっても出土品の多くから時代を調べることができ、古代の人々に思いを馳せることができます。今回の二つの古墳についても、私たちのご先祖様の軌跡に触れることができました。
纏向遺跡ツアーの続きです。今回は、卑弥呼の墓という説もある「箸墓古墳」から北西方向に歩いて10分ぐらいの場所にある「東田大塚古墳」と、そこから更に北へ10分歩いたところにある「矢塚古墳」のご紹介です。長閑な風景の中に太古の遺跡が溶け込んでいました。
纏向遺跡探訪その2。茅原大墓古墳の次に訪れたのは、纏向遺跡のメインでもある「卑弥呼のお墓」とも噂される箸墓古墳(大市墓)。この古墳の主は一体誰なのか?というのは古墳愛好家の間でも長年の議論の的ですが、いつか発掘を開始される日が来るのでしょうか?
奈良には神社の他に古墳などの遺跡も数多くあります。今回は纏向(まきむく)遺跡を訪れました。この辺りで有名なのは「卑弥呼の墓では?」という説もある箸墓古墳(大市墓)ですが、その前に国の史跡とされている「茅原大墓古墳」に立ち寄りました。
「元伊勢」とも呼ばれる桧原神社の御朱印の紹介です。桧原神社は大神神社の摂社の一つで、三輪山向かって左の山裾にある神社。天照大御神を宮中から連れ出し、現在の伊勢神宮より前にこの倭笠縫邑にお祀りした天照大御神の御杖代である豊鍬入姫のお社もあり、御朱印もいただけます。
87. 大神神社(おおみわじんじゃ) 其の拾壱 〜奈良県桜井市〜
大神神社の摂社・末社を徒歩で巡り続け、いよいよ最後の摂社「元伊勢」と呼ばれる桧原神社へ。そこには伊勢神宮に繋がるエピソードがありました。太古の昔、私たちの祖先はこの大和の地でどんな風景を見ていたのでしょうか。途中、初代・神武天皇が即位された時に皇后とした媛蹈鞴五十鈴媛と出会った場所にも立ち寄ります。
87. 大神神社(おおみわじんじゃ) 其の拾 〜奈良県桜井市〜
大神神社の摂末社シリーズ、其の拾!このシリーズも終盤に差し掛かりました。今回ご紹介する摂社は、大神神社の主祭神である大物主命の子孫であり、大神氏の始祖にあたる大直禰子命(おおたたねこのみこと)をお祀りする大直禰子神社です。 境内には田道間守に倣った橘の木と、役小角に倣った吉野桜が植えられています。
大神神社の末社、久延彦神社(くえひこじんじゃ)の御朱印をご紹介します。こちらの神社は”知恵の神様”とされる久延毘古命がお祀りされており、合格祈願に訪れる参拝者が多い神社です。境内から大和三山と大神神社の大鳥居を眺めることができます。
87. 大神神社(おおみわじんじゃ) 其の玖 〜奈良県桜井市〜
日本酒を造る酒蔵の軒先に吊られている杉玉。実は大神神社がルーツでした。これを知ると日本酒の味わい方も少し変わりそう。日本の伝統を辿るとだいたい同じ原点にたどり着くようになっていて、そういうことを知れるのも神社巡りの楽しみのひとつかもしれません。
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城が建てられた一帯がその昔「己斐浦(こいのうら)」と呼ばれていたことから、別名、鯉城(りじょう)とも言われる広島城を見学。日清戦争の際に設置した大本営跡もこの広島城内にあり、当時の面影を残しています。
広島護国神社の御朱印のご紹介です。全国に護国神社はありますが、御神紋は一律同じではありません。そのあたりも注目していただきたいところです。
広島城の敷地内にある広島護国神社を訪れました。広島城がある地域はその昔、己斐浦(こいのうら)という地名であったことから、「己斐(こい)」→「鯉(こい)」の当て字から別名「鯉城(りじょう)」とも呼ばれていました。境内のシンボルが鯉なのはそのためです。
広島県広島市にこじんまりと佇む白神社(しらかみしゃ)。この白神社は、元は海上の岩礁にあったとされる。現在でもその岩礁の上に社殿が立っていることを確認できる。御朱印には御神紋はなく神璽印というのが珍しい。広島県広島市にこじんまりと佇む白神社(しらかみしゃ)。この白神社は、元は海上の岩礁にあったとされる。現在でもその岩礁の上に社殿が立っていることを確認できる。御朱印には御神紋はなく神璽印というのが珍しい。
この辺り一帯が海だったその昔、海面から突き出ていた岩礁に船の衝突防止として”白い紙”を建てたのが起源とされる白神社(しらかみしゃ)。後に、広島城の初代城主である毛利輝元により社殿が建立されました。原爆の熱線を耐えぬいた広島原爆遺跡の狛犬や灯籠がある神社です。
広島県に訪れたら「広島平和記念資料館」は寄って欲しい。教科書なんかで教わるような薄っぺらいものではなく、自分の生まれ育った国で起こった悲惨な出来事を、もっと身近に、もっと実態を持って触れてみてほしい。その時に自分は何を思うのか。
世界遺産にも登録されている厳島神社の御朱印のご紹介です。御神紋についても詳しく説明をしていますので、興味のある方はぜひご一読ください。
厳島神社シリーズも今回で最後。締めくくりに夕陽に照らされる、美しい大鳥居を見ることができました。昔の人もきっとこの景色を見て心を癒していたのでしょう。今も昔も、人が心を奪われるものは不変なのかもしれません。
厳島神社シリーズも5回になりました。摂末社紹介とグルメレポートも混じえながら、海に立つ夕陽に照らされる大鳥居を見るため、時間潰しをしつつ島内巡り。
豊臣秀吉を祀る豊国神社(千畳閣)の御朱印をご紹介します。御神紋は豊臣秀吉の家紋の「五七桐」。「五七桐」は身分の高い人にのみ使用を許されている家紋です。
宮島は厳島神社以外にも見どころがたくさんあります。その一つ、「千畳閣」へも行ってきました。「千畳閣」は豊臣秀吉が安国寺恵瓊に建設を命じて造らせていましたが、秀吉の死後、恵瓊は建築を中止し、現在も未完成のままとなっているお堂です。
厳島神社の社殿はとても広く、その周辺にも摂社や末社が点在しています。西松原には厳島神社を現在の社殿様式(寝殿造)に建て替えた平清盛を祀る清盛神社、更に東へ行くと香川県から勧請された金刀比羅神社、その他、島の中心部にも摂末社が点在しています。
前回の続き、安芸の宮島、厳島神社の其の弍。ここからは社殿に入り回廊を一巡します。満潮時と干潮時の二つの顔を持つ厳島神社で、昔の人が能を楽しみながら過ごしていたことを思うと、合理性ばかり求める現代だからこそ逆に憧れさえ感じます。
やっと念願の世界文化遺産、厳島神社へ。干潮の鳥居と満潮の大鳥居の欲張りセットプランが叶いました!天気も良く、とても美しい景色にも出会え、神の島と呼ばれたこの宮島を思う存分堪能してきました。
ブログランキングに参加しています 神社・仏閣ランキング ポチポチしていただけると喜びます 始まりました、広島シ
博多の総鎮守として親しまれている櫛田神社の御朱印の紹介です。櫛田神社では主祭神の大幡主大神(櫛田大神)の御神紋「三盛亀甲に五三桐紋」の他に、合祀されている天照大御神の御神紋「大和桜紋」と、素盞嗚大神の御神紋「木瓜紋」が幕などには掲げられています。
ブログランキングに参加しています 神社・仏閣ランキング ポチポチしていただけると喜びます 前回に引き続き、櫛田
福岡県は博多の総鎮守で、地元の方に親しまれている櫛田神社。5月の「博多どんたく」、7月の「博多祇園山笠」、10月の「博多おくんち」では大いに賑わう神社です。楼門の天井には、珍しい干支恵方盤が吊るされています。
宮地嶽神社の御朱印は、通常の御朱印の他に、神事ごとの限定御朱印や、季節ごとの限定御朱印などがある上に、台紙の色を選べたりもしてバリエーションが豊富です。コンプリートは至難の技ですが、参拝の度に御朱印をいただく楽しみがあります。
ブログランキングに参加しています神社・仏閣ランキングポチポチしていただけると喜びます「敵国降伏」を楼門に掲げる、筥崎宮の御朱印を紹介します。
筑前国一の宮、筥崎宮(はこざきぐう)。筥崎宮の楼門には亀山天皇の宸筆「敵国降伏」が掲げられており、勝負の神様とされた筥崎宮は、戦国の名だたる武将達も篤く信仰してきました。筥崎宮では鳩の餌も販売されていて、もれなく鳩に囲まれることができます(笑)
福岡の太宰府天満宮の末社である天開稲荷社の御朱印をご紹介します。御神紋は「抱き稲紋」の中に天開稲荷社の「天」が描かれたものが3つ合わせたもの。一括りに「稲荷神社」と言っても御神紋も様々で面白味があります。
太宰府天満宮の奥には天開稲荷社という、”十二支の干支参り”ができる、全国でも珍しい神社があります。「九州最古のお稲荷さん」とも呼ばれている歴史の深い神社です。天開稲荷社へ行く途中には、第92代内閣総理大臣の麻生太郎さんの曽祖父が造ったトンネルも。
福岡県太宰府市の太宰府天満宮の御朱印をご紹介します。日本で唯一の「菅聖庿」である太宰府天満宮は、今でも菅原道真公を慕うたくさんの人々で日々賑わっています。
太宰府天満宮の記事は今回が最終回。瑞垣の外の摂社・末社、そして本殿の北側にある天開稲荷社など、見どころたくさんの神社でした。菅原道真公のお膝元で賑わう参道では太宰府名物の「梅ヶ枝餅」や、「飛び梅」に因んだ梅味のソフトクリームも味わえます。
いよいよ、1100年以上もの歴史を紡ぐ太宰府天満宮の瑞垣の中へ!日本三大怨霊の1人としても名を轟かす菅原道真公を祀るお社は、この日も合格祈願に来る親子連れで賑わっていました。怨霊ではなく学問に強く才能豊かな神様を慕う人々の天神信仰は今日も続いています。
太宰府天満宮の約400mの参道は、商店が立ち並ぶエリアを過ぎると、日本庭園のような景色が広がります。楼門の手前にある麒麟像は素晴らしいもので、その横の鷽像も可愛らしい。手水舎では石板の底を注意深く覗くと縁起の良い神亀を確認することができます。
福岡県で有名な神社といえばやはりここ、学業の神様・菅原道真公を祀る太宰府天満宮!境内の規模もそうですが、参道の賑わいも大したもの。それだけ、多くの方に篤く信仰されてきた神社であることが伺えます。また明治維新の策源地もあり、見どころ盛りだくさん!
福岡県の博多では、「華味鳥」で福岡名物の水炊きに舌鼓。〆のちゃんぽん麺まで美味しくいただける!駅ビル「博多シティ」には、初代福岡藩主の黒田長政とその父である黒田官兵衛に仕えた母里太兵衛の銅像があり、当時の逸話をそこに伝えていました。
2022年に佐世保市制施行120周年を迎えた長崎県の佐世保市。明治時代から日本海軍の要となり、造船および軍港の町・軍都として発展してきました。「佐世保バーガー」や「レモンステーキ」などアメリカ文化が入り混じる食文化も佐世保ならでは。
長崎県佐世保市の九十九島(くじゅうくしま)は、日本本土最西端に広がるリアス海岸と大小208の島々で、この全域が1955年に西海国立公園に指定されました。エメラルドグリーンの海にポコポコ浮かぶ島影が美しく、人気の夕陽スポットでもあります。
長崎県の佐世保湾の海に点在する島々は九十九島(くじゅうくしま)。この九十九島のひとつに淡島神社があります。海に囲まれてぽっかり浮かぶ島の神社では、とても穏やかな時間が流れていました。夕陽が沈む時間帯には、また違った風景に魅せられることでしょう。
熊本県の特産品をご紹介。名産として有名なデコポンを使ったぽん酢しょうゆ「火の国ぽん酢」が美味!デコポンの爽やかな香りとまろやかな甘みが料理を引き立ててくれます。製造会社は明治39年から続く熊本の老舗、「ホシサン」。熊本の味を今に伝えます。
熊本城内にある加藤神社は、熊本城の築城主、そして初代熊本藩主である加藤清正公をお祀りする神社です。肥後国の領民に慕われ続けた清正のため、慶応4年(明治元年)、当時の熊本藩主・細川韻邦公の弟である長岡護美公の建議によって、加藤神社が創建されました。
熊本県宇土市には「御輿来海岸(おこしきかいがん)」という、”日本の渚百選”にも選定されている絶景の海岸があります。その自然のアートが織りなす神秘的な砂紋は、第12代・景行天皇が九州遠征の際、あまりの美しさに輿を駐めてご覧になった、という伝説があるほど。
熊本城の一角には、秀吉の家臣で築城名人とも謳われた加藤清正公を祀る「加藤神社」があります。規模はそこまで大きくはないものの、昔から「せいしょこさん」と県民に慕われてきた神社。初代熊本藩主として過ごしたこの場所で、今日も参拝者を見守っています。