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日々これ好日 https://shirane3193.hatenablog.com/

57歳で早期退職。再就職研修中に脳腫瘍・悪性リンパ腫に罹患。治療終了して自分を取り囲む総てのものの見方が変わっていた。普通の日々の中に喜びがある。スローでストレスのない生活をしていこう、と考えている。そんな日々で思う事を書いています。

杜幸
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2023/03/09

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  • 別れの音楽

    この世から別れたときにどんな音楽が流れたら自分は嬉しいのだろう。そんなことを考えるのは今自分がこうして入院をしているからだろう。それは重篤な病ではなく、酒席でひどく酔い道路で倒れて頭を打った、そんな笑い話にならぬ、なんともお粗末な顛末だった。頭骸骨は固く、脳を守ったがそれでも外傷と内部に血腫が出来た。外傷性くも膜下出血と言う名前を医師は口にした。この血腫の行く末を見るために一週間ほど入院が必要となった。 病棟は心臓血管内科と泌尿器科の患者だった。そこに道路で転倒し頭に傷を負った人間が同居している。苦しそうな声が四人部屋に響き、痰のサクション、下半身洗浄、そんな音が聞こえる。廊下を歩くとある部屋…

  • 小さな行政

    高原の町に引っ越してきた翌日に転居の手続きをした。住民票登録、国民健康保険、マイナンバーカード、運転免許証、一通り変更が必要だった。 自分の住む市は二十年ほど前に周辺の町や村が合併して出来たものだ。烏合の衆と言っては失礼だがそんな小さな集団の結束の名残だろう、当時の町役場や村役場が今は市役所の支所として残っている。今でもそんな支所はどこかアットホームな雰囲気がある。 自分の住んでいる市の人口は4万4千人、そして町の人口は5千9百人という。市内の外国人人口は約2%にあたる865人という。そんなつまらない質問にも職員さんは最新データを調べ答えてくれるのだった。ちなみにこの地に転居前に住んでいた横浜…

  • 功と罪 テレキャスター

    身を取り巻くもの。自分を豊かにするものにも罪がある。しかし罪ばかり書いても仕方ない。功もあろう。功罪とはセットだから。 * * * ネットの楽しみ方の一つに趣味の情報を得ることがある。年齢を問わず好きなこと興味のあることはこんな脳みそでも真新しいスポンジのように吸収してくれる。それはありがたいが時に迷惑でもある。興味のあるモノはやがて手に取れるのなら欲しくなる。あるいは欲しくなったからネットで検索するのかもしれない。どちらが先かは分からない。最近自分がよく調べているものは何だろう・・・。まずはアコースティック・ベース。アコギ同様に今ではピエゾ素子のピックアップを内蔵した箱型のアコベが色々と出て…

  • 1800キロカロリーの日々

    入院したおかげで再び病院食を味わうようになった。味は悪く無い。そして量も丁度よい。強いて言えばご飯が多い。普段の二倍は出る。メインにはメンチカツも生姜焼きも煮魚も出てくる。そして生野菜が多いということもない。多くは煮物でありおひたしや酢の物だった。必ずしも一汁二菜ではない。味噌汁はつかないがミネストローネの時もある。零汁三菜の時もある。その分副菜にバリエーションがあり僕は御膳の蓋を開けるのが楽しみだ。 ご飯や麺などは口にしない、それは糖質ダイエットを試していた友人から学んだ。実際彼はそれで十キロは痩せて今もそれを維持している。体重を落とす良い機会だと3年前の入院で僕もそれを実践していたが即座に…

  • 図書の旅45 旧約聖書を知っていますか

    ●旧約聖書を知っていますか 阿刀田高 新潮文庫 1994年 スパイ大作戦、またはミッションインポシブル。人によっては、格好良すぎるトム・クルーズ演ずるイーサン・ハントの嘘のようなアクション映画を思い出すだろうし、あるいは渋いピーターグレイヴス演ずるチームリーダーのジム・フェルプスとメンバー達が活躍するテレビドラマだろうか。こちらのチームメンバーは個性あふれ魅力的だった。性格俳優マーティン・ランドゥ演ずるニヒルな変装者ローラン・ハンド、紅一点として美貌を用い色仕掛けもして相手の懐に攻め入るシナモン。力持ちのウィリー、電子・機械に精通したバーニー。見事なチームワーク。自分はテレビドラマをかなり熱心…

  • 功と罪 潤滑油

    お、気づいた?え、どちら様? そう言ったそうだ。僕はその飲み会を楽しみにしていた。新しい社会で新たに作った人間関係。お酒を飲みたいと思う相手が居るとする。そしてそんな時が来る。そんな飲み会は酒は進む。齢六十を過ぎているのだから酒との付き合い方など心得ているはずだ。 余程楽しかったのだろう。さんざん笑い空いたジョッキと杯は増えていく。トイレに行くときの立ち眩みが飲み過ぎかなと思わせる。あれ、会計はしたっけ? 払ってもらい返したかな?そうなってくると途端に怪しい。 気づけば自分は白く明るい部屋で横たわっていた。頭が痛い。枕に血痕がある。この無機質な部屋はよく分かる。病院か。友と彼の奥様の顔、そして…

  • アイルランドの音と香り

    会社員時代のオフィスは東京都内は山手線の中にあり時に外にもあった。安い家賃を求めて流浪したのかもしれない。品川区にあったオフィスはひどく臭いどぶ川とそれに沿って咲く桜並木と言う不思議な組み合わせの街にあった。一昔二昔前は低層階の建物や工場の街だったがいつかオフィスビルと高層集合住宅の街になっていた。そんな一角にアイリッシュ・パブがあった。仕事帰りにワン・パイントで一、二杯引っかけるのだった。ビールは当然「アレ」だ。アイルランドのビールと言えばきめ細かな泡立ちの黒ビール・ギネスになるのだろう。初めて飲んだときは強いコクに反して炭酸の薄さに物足りなさがあった。当時日本にはドライやラガーなどの下面発…

  • 地図を読める人・読めない人

    自分は読めると思っていた。山登りをするのだから地図が読めないとは登山の資格がないと言っても良いだろう。当然カーナビ画面もノースアップだろう。画面上が北を示す訳だ。それを頭の中の地形図に重ね合わせてゆくのだ。そんな一連の行為は知らない場所を走る際の醍醐味だろう。しかし今は車の進行方向に矢印が向いている方がやりやすい。脳の作業領域の中で行う方位の転換が出来なくなった。パソコンでいえばCPUの動作不良か、長年使い続けたせいでメモリ領域にゴミが溜まってしまったのだろう。 仕事先は広い森の中に広がっている。そこを小さな冊子を手にしてお客様がやってくる。しかし多くの場合こう聞かれる。「この建物にはどう行け…

  • ちゃんと燃やしてくれよ

    「どうもこの持ち主は俺を上手く使ってくれないな。」そんな不満が聞こえてくる。それはそうだろう、中々火が燃えぬとやたらに扉を開けるのだから。すると火勢は強くなるが同時にモワッと煙が出てくる。香付けチップは無いもののいつか部屋の中は燻製づくりの様相を呈する。 しばらく放っておいてくれれば良いものを。やたらと扉を開けるな彼は。まずは炉内に上昇気流が出来るまで焦らずにやってくれよ。そんな声が届くのか届かぬのか、ブツブツ言いながらやたらに扉を開けては咳き込んでいる。全く仕方のないヤツだ。薪ストーブはアウトドアマンなら冬の暖房装置として憧れるのはまあ分かる。チロチロと燃える火を育てる。ロックグラスに入った…

  • コロネーション・アンセム

    コロネ―ション・アンセムという曲がある。高揚感漂う壮麗な曲。単語を直訳すれば「戴冠式賛歌」となろうか。戴冠式とは王の即位を祝う式。あらためてこの曲を調べてみれば作品番号にして四つに及ぶ曲と知った。自分はCDに入っていたままを通して聴いていたせいか、四つの曲と聞いてもピンとこない。通して聴いても一貫性があり不自然ではない。 一曲目は華やかな勇壮感がありそれは興奮を呼ぶ。もしかしたらサッカーファンには馴染みがあるのかもしれない。サッカーには疎い自分でも何処かで聞いたように思う。「UEFAチャンピョンリーグアンセム」という曲がそれらしい。UEFAとは欧州サッカー連盟と言う事らしい。そのチャンピョンシ…

  • 功と罪 白い容器

    身を取り巻くもの。自分を豊かにするものにも罪がある。しかし罪ばかり書いても仕方ない。功もあろう。功罪とはセットだから。 * * * コンビニのレジに並んでいた。会計中の先客は八十歳に近い女性だった。この高原台地に住む高齢者はだれもが元気に見える。腰も曲がらずピンとしているのは農作業や庭仕事、身を取り囲む沢山のやる事とそれに伴う喜びのお陰だろうか。が彼女はなぜだが恥ずかしそうに後ろを気にしているのだった。そんな事はないのかもしれないがそう思えた。もし自分がその立場だったら、無意識でそうするだろうから。 そこはスーパーではなくコンビニだった。出来合いのお弁当はスーパーでも買えるようになった。いまや…

  • 趣味の雑誌

    本屋の縮小、撤退が相次いでいる。確かに文庫などはキンドルなどの電子書籍で読む方が多いのか。実は自分はよく分からない。便利そうに見えるのだが文庫本でも新書本でも雑誌でも、まず本を開き印刷と紙の匂いを嗅がなくては気が済まない。流石に古本はかび臭いだけだが新しいものはグラビアの有無やカラーの有無などで匂いが異なる。週刊漫画はまた独特の匂いがある。簡単にいうなれば紙とインクのにおいが好きなのだ。電子書籍ではそんな楽しみは味わえない。 本屋の縮小は悩ましい。すべての東海道新幹線が停車する駅は東京・品川の次は新横浜駅だ。丸善・紀伊国屋・三省堂・・このあたりが書店では老舗だろう。新横浜駅の高層駅ビル・ホテル…

  • ダッシュ・50mX4本

    ファンフォン・・警笛ではなくそれはタイフォンだ。すると彼は一瞬身を低くする。車影が視界の一部に飛び込む遥かその前から彼は臨戦態勢だがそれを僕が抑えている。視界に飛び込んでくると同時にリードを緩める。彼はすぐさま走り出しウサギの様に飛翔する。僕はリードを抑えながら・・そうしないと転倒するから・・追走する。駅舎で行き止まりとなる。その距離は50メートルか。彼は走り足らぬと息を荒立てながらも周囲を警戒する。 タイフォンを鳴らしながら入線してくるのは新宿から来る、あるいは松本から来る特急あずさ。いつの間にJRの特急車両がこんな小田急ロマンスカーや名鉄パノラマカーの様な間の抜けたタイフォンを使うようにな…

  • 霧と森の珈琲

    前線が停滞したのだろうか、海抜九百メートルの高原に飽きるほどに雨が降っている。雨音に気付いて遅くおきた日。まだベットの中でもう少し眠りたい。十一月の雨か。荒井由実の歌は一カ月後だったか、と苦笑する。今日は晴耕雨読だ。こんな日は庭仕事も取りやめて部屋にこもり本を読もう。何か良い日本語を識り、表現を学び、感受性は刺激され何らかのヒントも貰えるだろう。 何もしないのに午後など直ぐにやってくる。そうだ、たまには珈琲でも。そう思い立ち家内を誘い犬を抱いた。くたびれた登山用ウェアを引っ掛け農作業用のゴム長を履いて車に乗った。八ヶ岳山麓には犬連れには優しい店が多い。しかし多くはテラスやデッキまでなのだが店内…

  • 不遇な右目

    朝日を左手に浴びながら職場に向かっていた。ハンドルを切ると陽の光は目の前から射す。眩しい。右目がおかしい。危うくハンドル操作を誤りそうだった。とうとう再発したか、とショックだった。 高齢になったからか若くてもそうなのか分からない。紫外線が目にきつく感じるようになった。六十四機撃墜で太平洋戦争時の帝国海軍トップエースの一人だった故・酒井三郎氏。氏の最初の空戦記録である「酒井三郎空戦記録」またその後書かれて欧米でも読まれたという「大空のサムライ」、そのどちらか忘れたがこんな事を書いていたと記憶する。米軍パイロットは誰もサングラスをかけている。だから必ず死角が生じる。日本人の黒い瞳にはそれは不要だ。…

  • 期待膨らむバジル

    バジルを庭に植えたのは六月だっただろうか。しっかり育ってくれた。嫌になるほど多くの葉に成長し、その横を歩くだけで香りで足が止まるのだった。何度も摘んでパスタに入れたりしていた。十一月の声を聴いたころ生き生きとしていた葉も緑色から黒ずんできた。葉のほとんどを摘んだ。沢山になったので袋に入れて友人宅へ持っていた。友人はとうぜんだがバジルを植えておりもうすべて葉を取り茎も処分したといわれた。確かに我が家に園芸を教えてくれる友人宅にバジルが無いはずも無かった。うかつだった。聞いてみた。バジルの葉が沢山。何に使いますかと。ジェノベーゼソースだねと彼は言う。処分とは勿体ないが・・。一年草だよと友は教えてく…

  • デュッセルドルフ

    聴きたいんだけど、何故デュッセルドルフにはあんなに日本人が多いのかな? そう聞かれてしまった。確かに商社からメーカーまで多くの日本の会社のドイツ法人なり欧州本部がその街にあるのだった。 職場には一体一日何人の来場者があるのだろう。ざっといって五百人は下るまい。当然外国人も多い。何やらきょろきょろしているのを見ると話しかけてしまう。中国や韓国人も多い。英語は通じる事もあればそうでないこともある。ニホンゴワカリマスと返されることも多い。大学生の時には第二外国語の習得が必要だった。ドイツ語を選んだのは響きがカッコよかったからだが講義時間を間違えたりで二・三回講義を欠席したらもう分からなくなってしまい…

  • 好きになりたい猫嫌い

    学生時代の友人は今も言う。お前は猫が嫌いだったなと。履いていたサンダルをそのまま「ロケット弾じゃ」と言いながら猫に飛ばしていたよね…。そう、自分は猫が苦手なのだ。なによりも円形ではなく縦型の瞳孔が不気味だ。山羊の四角い瞳孔もかなり不気味だがともかく縦長はないだろう。たとえば好きになった女性の瞳孔が縦長だったら多分逃げるだろう。そして気まぐれにぷいと居なくなるという不思議な習性にはつきあいきれない。地域猫とも言われるのだろうか複数の家でそれぞれの名前で飼われている一匹の猫もいる。意味不明だ。恩知らずとも言いたい。カラスの様にジィッとして動静を伺っている。近づくと逃げる。またあの鋭利な爪。引っかか…

  • 小さな贅沢

    760円だった。この位良いではないか・・・。 毎週金曜日は胸が弾む。週に一度の贅沢日だから・・・。煙たなびく屋台。それは焼き鳥屋だった。 焼き鳥を初めて食べたのはいつどこでだろう。小学生の頃何処かのス―パーか、あるいはバス停近くの埃っぽい道路沿いにあった精肉店の店先で売られていたのだろうか。昭和四十年代にそんなものを売っていたのかは定かでないが母親がそれを買ってきたことを覚えている。まだまだ怪しげな肉が多かったのだろうか。ゴニョゴニョした食感のものがあった。その表面にはプチプチとした突起があった。不気味で呑み込めずに吐き出した。 焼肉屋に行っても食べるものはカルビとロースになる。どうも内臓肉や…

  • ハイキング手袋

    山歩きで手袋は必須だろう。自分はルート上の岩場や急な下り坂に手がかり足がかりがあればそれらをよく握り手を突くほうだ。何も掴まずにひょいひょい歩くことは出来ない。加齢とともにまずは恐怖心が先に来るのだから。前回の山歩きで手袋を持参せずに手にささくれでも刺さらぬかと不安だった。軍手は流石に山には不向きだ。濡れると乾かずに寒いだけとなるから。百円ショップの手袋を探してが庭仕事用のもので表面はゴムだった。これが良さそうに思えたが手が蒸れる事が分かった。思いのほか手は汗かきだった。これではまさに「手に汗握る」ルートのある山歩きには不向きだった。 値段は張るがやはりハイキング用のグローブが一番良い。これま…

  • 図書の旅44 深い川 遠藤周作

    ● 図書の旅44 深い川 遠藤周作 講談社 1993年 遠藤周作は自分にとっては、北杜夫がどくとるマンボウであったように、狐狸庵先生であり軽妙洒脱なエッセイストだった。しかし北杜夫が繊細な感性を持った作家であったように遠藤周作もまたキリスト教徒として人間の持つ罪を描いた作家だったと思う。原罪を書いた作家遠藤周作の本は重く、中高生の自分には重かった。 重たそうな題だな。しかし何かを得られるだろう。そう手に取った。 小説は五人の独立したストーリーを描き始める。 妻を癌で失う男。死の間際に妻は言い残す。私はどこかで生まれ変わるからどうか探してほしいと。 ある男はビルマのインパール作戦の生き残りだった…

  • 戦意喪失

    自分の様な軍用機ファン、それは決して戦争肯定論者ではないが・・メカとしての飛行機にたまらない魅力を感じる人間にとり第二次世界大戦のプロペラ機を中心とし朝鮮戦争やベトナム戦争、そして今日の軍用機へと、銀翼には憧れが尽きない。 米軍機も戦後はジェットとなりF86セイバーからF4Fファントムへ。いつしか映画トップガンで有名となったF14トムキャット、そして未だに航空自衛隊でも幅を利かすF15イーグル、シングルエンジンのマルチロール機F16ファイティングファルコン、空母艦隊の主力機F18ホーネット、そして自衛艦にもとうとう艦載されるというF35ライトニングIIへと、空軍や海軍の戦闘機も代替わりしている…

  • プラハ

    東ヨーロッパ諸国と呼ばれていた社会主義国家群が消滅したのは1980年代のベルリンの壁崩壊と前後していた。独裁政権は崩壊しルーマニアではそれまでの国家指導者が捕らえられ犯罪者として処された。それはまさに激動の時間でリアルタイムに映像を見ているとはらはらした。 プラハという街は多分東ヨーロッパが崩壊しなければ行く事も叶わなかっただろう。神聖ローマ帝国の首都がおかれた古くて美しい街と聞いていた。社会主義が崩壊しチェコスロバキアは西郡のチェコと東部のスロバキアに別れた。チェコ人とスロバキア人の統一国家だったが両者の経済格差が原因だったとネットにあった。ユーゴスラビアが辿ったような流血もなく無血で国家が…

  • 別れと抱擁

    パリにはいくつものターミナルがある。ピカルディ地方やその先国境を越えてイギリス、ベルギーに向かうのならノルド駅。アルザス、ロレーヌからドイツ・オーストリア方面ならばエスト駅。ノルマンディなどの北西に行くのならサン・ラザール駅。マルセイユなどの地中海そしてスイスに向かうならリヨン駅。ボルドーなど南西部を訪れるならばモンパルナス駅。スペイン方面ならオステルリッツ駅。どの駅も終端駅だ。リヨン駅は明るく光に溢れ大きい。パスポートコンコロールのあるノルド(北)駅はまるで空港のようだ。モンパルナスは近代的。比べてサン・ラザールはモネが絵に描いたままの風景を残す。エスト(東)駅はどうだろう。この駅に関しては…

  • 万歳三唱

    バンザーイ!これを三回繰り返し都度両手を上げる。これを表の拍とする。一人は万歳の裏拍で腰を折る。万歳とお辞儀はセットなのだろうか。 三十年以上も昔。学生時代の友人の結婚式に出た。奴とは四年間いつも一緒だった。彼は僕のアパートに来て寝泊まりし僕は彼のアパートに行き、まこと無駄で豊かな時間を過ごした。一年間が七百三十日、それが四年間あるように思えた。互いに見初めた女性相手に「恋の病」にかかりそれどころではない時もあったが、今度は進捗報告会だった。いずれもしょっぱい失敗談だった。 彼の式の最後にそれでは二人の前途を祈って万歳三唱を、と司会の方が言われた。これは困った。スマヌと口にして唱和はしたが手を…

  • 読めない文字

    文字の起こりはなんだろう。間違えなく象形文字だろうか。昔の壁画にもそれを見ることができるだろう。今見ても意味はわからぬ形だがそのようなものを用いて人間は意思疎通を行い何かを後世に残した。 頭の癌を取り除いたあと脳外科のベッドの上で自分が残した文字がある。小さなノートに一体何を書いていたのだろう。その手帳の表表紙にはこう書いてある。「お釣りで生きる人生ノート」と。しかし中を開くと象形文字ばかりだった。何かを残そうと必死だったのだろう。文字は時に強く書かれ鉛筆の芯は折れていた。何も読めぬ。ただ生きようとする必死さがそこにあった。 新しい職場に新しい職員が入ってきた。その仕事の定年は年齢不問で彼は後…

  • こんな奴だから仕方がない

    ああ、今日から三連勤か。そうやや重い心で僕はコーヒーを飲んでいる。出勤時にコンビニで昼食を買うついでにコーヒーを買いタイムカードを押せる時間になるまでは車の中で待機する。ここ最近はコンビニの珈琲も美味しいもので街中のカフェに負けていない。狭い場所で飲むコーヒー。その時間はとても好きだ。そこで書きかけの原稿にどう手を入れるか、次の稿の案はないだろうか、そんな事を考え浮かんだキーワードをメモ帳に落とす。 職場の扉を開けた。あれ、今日は勤務じゃないでしょう?そう言われる。信じられない事だが勤務表も月半ばで変わることもあるのだ。見落としてはいないはずだが・・。 更衣室へ向かう間、僕は同僚達と話す。彼ら…

  • 盆地のムスタング

    それはストラトキャスターですか? 無造作に隣席にカバンとともに置かれたギターのソフトケースに見入った。小ぶりな袋のヘッド周りはストレートだった。ギブソンのギターではない。フェンダーだろう。テレキャスターか?と言おうと思ったが、ぶっきらぼうなコードワークが似合うそのギターではなくもう少し繊細な音が似合いそうに思えた。彼の風貌はなぜがストラトキャスターを思わせた。果たして答えはムスタングだった。 僕は中央線で都心に向かっていた。とある駅で隣に座った男性は野球帽にTシャツ一枚だった。 ムスタング!ショートスケールだね。日本にも有名なムスタングを使うギタリストが居るよ。 チヤーだね。 もうこれで僕たち…

  • 朝どれ野菜

    よく国道沿いの販売書や道の駅で見かける。あるいは都心のスーパーの一角に木の枠で飾り付けられたコーナーもある。無農薬野菜や農家さん直送の野菜販売場所。野菜は確かに元気であり時に育てた農家さんの似顔絵がセロファンパッケージに描かれている。決して値段は安くはない。赤札の付いた疲れた野菜ばかり買う我が家には少し手が届かない。 もうそろそろ穫る時期だね、そんな話をしていた。自分は二日に一回程度だが妻は一日三回は畑を覗きに行くのだ。ならばと朝方に畑を見たら確かにとても重たそうに成熟していた。 キャベツ二個、わずかの枝豆、幼稚園児の陰茎程度の大根だった。これ以外には葉脈だけとなり葉が全て虫に食われたキャベツ…

  • 阿吽の焚き火

    ついたついたもう少しこれを動かして上のこのぶっとい奴に移れば良いね煙いけど、はたこう。団扇で すると新聞紙をこよりにしたものから火は焚き付けの乾いた小枝に燃え移る。その上の枝木に燃えつくまでは気が抜けない。燃え尽きそうになるとエスビットのカケラでも放り込む。固形燃料はたちまち強く太い火を放つがこれは禁じ手だろう。、ともかくも太いあの木に火がつかなくては。 メラメラと燃える炎を前に僕はH先輩のことを思い出していた。彼は会社の一年先輩だった。工学部卒業の先輩は物事へのアプローチが文系の自分とは違っていた。例えば直観と理論がある。あるいは帰納法と演繹法がある。どちらも相対しながら共存する。しかし自分…

  • 霧に沈む日々

    夜半に目が覚める。トイレを済まし冷たい炭酸水を飲む。ドレープのカーテンを開けてみる。漆黒だ。しかし暗闇が動いている。霧が渦を巻き浮遊しているのだった。 この土地に住む前、霧の中で生活することなどを考えたことがなかった。縦走登山の幕営地。テントを開けるとフライシートが冷たく重くなっている。開けた隙間から粒子が遠慮なくテントの中に入ってくる。そしてテントは星空もない唯霧の中に全てが沈んでいる。意を決してヘッドランプを点け意を決してテントの外に出る。霧の中を泳いでトイレに向かう。帰り道は覚束ない。 霧の中を泳いだことは幾度もあったがそれは山でのテントの夜だけのことだった。海抜九百メートルではそれが日…

  • 冬への備え

    高原の地へ引っ越してきたのは五月の連休明けだった。新しい家は内装は無垢板で壁紙も貼らぬようにした。扉を開けた時の木の香りは忘れられない。これからここに住む、そう背筋を思わずただした。ここは海抜九百メール。住み慣れていた港町の家は海抜五十メートルの丘陵地にあった。新しい山の家は標高にして八百五十メートル高い場所になる。海抜と気温の関係からそこは単純に言って港の街より常に五度は低い事になる。冬の朝は氷点下だ。夏はせいぜい上がっても二十八度あたりだろうか。しかし今はそこに地球温暖化現象という新しいパラメータが加わっている。その影響で今年の夏は高原でも三十二度まで上がった。が幸いにそれは昼だけで、エア…

  • 図書の旅43 女のいない男たち

    ● 女のいない男たち 村上春樹 文芸春秋社 2014年 自分にとっては三冊目の村上春樹になる。図書館の棚には知らない作家ばかりとなったが足が止まる条件とはこんなところだろうか。知っている作家の場合。知らなくともその本の題名に目が留まった場合。もちろん村上春樹は知っている。自分でもその題を知っている「ノルウェイの森」を手に取ろうとしたらその横にあった。本の題名に惹かれた。つまり図書館の棚で足が止まる二つの条件を満たしているのだった。 「女のいない男たち」か。それは自分には想像できない。アダムとイブの時代から男と女はこの世にいる。地球がやや傾いた軸を中心に西から東へ自転するように、風が高気圧から低…

  • 追憶のハイウェイ101

    県庁所在地の街まで所用があった。用事が終わると町は夕暮れだった。引っ越した山梨の地。県庁所在地がある甲府盆地はどこも交通量が多く時間帯によってはひどい渋滞も起きる。よくある地方都市と雰囲気は変わらない。高崎、宇都宮、水戸。何処も駅前にはショッピングビルがあるがかつての繁華街は空きが目立ち郊外型のショッピングモールが幅を利かせている。 県の北西部の自分の住む高原まで数十キロの距離。そんな高原と盆地を結ぶルートは幾つもある。中央高速が便利だが一般道で事足りる。自分が好きな道はなによりも信号が無い事、そしてヘアピンカーブが無い事だった。対向一車線の普通の県道だがそれは地形に無理をせずに作っているので…

  • パッシー墓地と鎮魂歌

    八ヶ岳音楽祭というサブタイトルがあり計三回の演奏会が地元のホールで行われている。初回はピアニストによるバッハやモーツァルトの演奏会、二度目はビゼーの歌劇「カルメン」。三度目はオーケストラと合唱と題されドボルザークの八番とヴェルディのレクイエムという聴き応えのある演目が並んでいた。ヴェルディのレクイエムは演奏時間は九十分を越える。曲中のディエス・イレ「怒りの日」が頻繁にテレビドラマやCMに登場するので自分はややそれに食傷気味だった。同じレクイエムでもモーツァルトの「怒りの日」も負けず劣らずにテレビで流れるが、モーツァルトのそれは全曲通して好きな曲だ。それは彼の白鳥の歌でもあるからかもしれない。ど…

  • 酸性かアルカリ性か

    仕事から帰宅して、着替えてやりかけの庭仕事を続けた。北風の吹き下ろす日暮れにそれをやろうというのは少しでも早くあの憎きアレを退治したかったからだ。 その仕事は除草剤を撒く事だった。我が家の庭はスギナが滅多矢鱈に生える。これは地下茎で増えるのだから抜いても抜いてもすぐに生えてくる。嫌われる雑草のナンバーワンだろうか。地下茎は三十センチは潜っているのか。好き放題に伸びてたちが悪い。クワで土を掘り起こしてもこちらが疲れるだけだった。 とうとう除草剤に手を出した。ポンプによる蓄圧式の肩掛けタンクを用意した。そこに除草剤を入れて散布する。スギナ憎しの気持ちが強すぎてホームセンターにあった最強力と言う奴を…

  • 少し勉強してみるか

    英語は基本的なビジネスツールだった。大学受験までは英語もよく勉強した。私立文系。現国・古文、地理、そして英語の三科目だけに絞っての受験だった。なんとか大学生になったがそこから先、全ての学習結果は頭から消えて行った。しかし何故だろう社会人になると自分は海外営業部というはなはだお門違いの部門に配属された。社会人の最初のハードルは電話対応だろうが、自分もおそるおそる受話器を取った事だろう。するとそこからは英語が流れて来た。思わず横に居た女性社員に受話器を渡してしまった。デビュー戦はそんな風にしょっぱいものだった。 怠惰な学生生活のお陰で高校時代の成果すべてを忘れていた。仕事を教えてくれたK先輩はモン…

  • 落ち葉

    最近始めた仕事がある。そこは深い森の中に在る食品工場だ。そこの製造ライン見学や売店を目当てにそこそこの観光客も見える。そんなこともありアカマツとブナの林に囲まれた工場敷地内は清掃が行き届きあまり散らかっていない。しかし丁度ブナが落葉の季節だった。ここ数日の気まぐれな風はブナの葉を落とすには十分だった。 そんな落葉樹の落ち葉が道路に散っている様は嫌いではない。中学生のころから何度読んだか覚えていない石坂洋二郎の小説「陽のあたる坂道」の一シーンを思い出すのだった。妾腹に生まれて裕福な家庭に引き取られた主人公は何かと劣等感を持っているがそれを跳ね飛ばそうと生きている。そんな彼とは血のつながりが無い義…

  • お宮参り

    あれはおくるみと言うのだろうか。白いガーゼ地にくるまれている。その上に肩から羽織る着物。青字の生地に刺繍が鮮やかだ。丁寧という漢字を十枚重ねても足りないといった風の、限りない柔らかさの中に包まれている。 日が良いのだろう。幾組もの人達がいる。太鼓を叩いて神主が子の名前を読み上げ祝詞が奏上された。これで氏神様にこの子の誕生が報告され、健やかなる成長が祈られたのだろう。 自分もかつて二度ほど地元の神社でやったはずなのにあまり思い出すこともできない。強いていえば我が子が意外に軽くて、同時にひどく重いようにも感じたことを思い出した。そんな我が娘もまた子供を産んだ。昔日は風のように過ぎていった。 孫は目…

  • ノーベル平和賞

    ふるさとの街焼かれ、身寄りの骨うめし焼土に…。 こんな歌があったらどんな気分になるだろう。どんな気持ちで歌えばよいのだろう。 新聞を取らなくなって久しい。全国紙は入れ替わり何種か取っていた。やがて一応は日経新聞の読者になった。電車の中で読んだがトップニュースと業界の記事ばかり読んでいた。スマホで読めるようになってからはそれもやめた。 立ち寄ったコンビニで新聞が目に留まった。ノーベル平和賞と書かれている。誰が受賞したのだろうか。が新聞は二つ折りになってラックに刺さっているのだから肝心の受賞者がわからない。 手に取ってみた。ああ、そうなんだ。しばらく記事を眺めてみた。じっくりと読みたくなり本当に久…

  • いたずら

    コスモスが咲ているのよ。そう細君は嬉しそうだった。 コスモスなんて植えていないのに何言ってるんだろう。半信半疑で庭に出た。ノリウツギとドウダンツツジの間に確かにピンと伸びた茎がありピンク色の花が付いていた。さだまさしが山口百恵のために書いたという曲。「秋桜」という漢字は当て字だろうが秋に綺麗に咲くその様は桜のイメージがあるのかもしれない。歌にうたわれた通りにここ数日この高原では「小春日和の穏やかな日」が続いている。山の木々と野草だけの我が家の庭にそれはひどく異質に見えるかもしれぬが、堂々と根を張っていた。 八ケ岳山麓のこの地は風が強い。八ケ岳下ろしとも言われるそれは家の北側の八ケ岳から吹いてく…

  • 全て自家製で

    数か月前にホームセンターで手にしたポット植え。すでに香りが良かったので試しにと買ったのだった。それを庭の片隅に植えた。野草類も共に植えている。季節を終えて花が枯れてしまったものも、作業中に誤って踏んだり折ってしまったものもある。そんな中でその横を歩くだけで匂いが漂ってくるのだった。まるで、こう言っているように思える。「植えっぱなしとはひどいね。今は賞味時だよ。ここで葉を取ってくれないと来年困るんだよね」と。 確かに伸ばしっぱなしでは栄養が行き届かないのかもしれない。樹木ならその一部を伐採することで光を潤沢に得ることが出来、下草もそして樹木自身も成長するという。伐採の大切さは草花とて同じだろう。…

  • 世渡り上手

    渡る世間は鬼ばかり、そんな題のテレビドラマがあった。世間とは渡るものなのだろうか。するとそれは海か川なのだろうか? 三十五年務めた会社を早期退職してから数ヶ月はハローワークに通った。一息ついて職に就いた。キャリアカウンセラーという仕事は人々のセカンドライフを支援する仕事だったが、実務に入る前に辞めた。ガンという病がそうさせた。今度は体を治す必要がある。社会活動を最小として家に籠もる生活だった。それも悪くはない。体は整い頭の中も整理できた。 非正規従業員と言う形で三たび社会に入った。新天地に転居してからは四度目の社会だった。非正規。その時給など都会の高校生のアルバイトよりも低いだろう。が自分が欲…

  • ダートフォードとカーナビー通り

    高速道路のサービスエリアだった。新宿から首都高速道路を西へ向かう。高井戸料金所から先は中央高速道路と名を変える。調布から八王子までは正面に高尾の山々を見る事になる。戦時中は陸軍航空隊が駐屯し首都防空の要だった調布飛行場。それを過ぎるとビール工場と競馬場を確かに通り過ぎる。それは荒井由実が「中央フィリーウェイ」で歌にした風景。デート帰りの男女の甘く寂しい空気感を風景に落とし込むという、ユーミン超一流の世界がそこに在る。その先中央高速は高尾山の麓から峠を抜けて相模川の谷に分け入る。山梨県に入って直ぐに休憩を取った。 これまでも何度となく使っていたこのサービスエリアはここ数年、とくにコロナが明けてか…

  • 背後に川

    材料や道具をなどは準備できているのに何故か着手できていないことがある。もう十年以上前から用意だけはしている。なぜやらぬのだろう。どうしたらやるのか。 選ぶべき道は三つか。辞める。このまま成り行きに任せる。自分を鼓舞して無理やりにやる。 経済的には何が起きるのだろうか。辞めるのなら準備したモノは無駄になる。原材料ならば勘定としては棚卸資産なのだから破棄すればそれは損失となる。 成り行きに任せるのならば原材料はどうなるのか。買ったときの価値を保ち続けられるのか。こればかりはどうも近年価格は上がっている。しかし下取りしたら損が出るだろう。道具はどうする?買った時点ですでに治工具として計上しているはず…

  • ココ見ろワンワン

    心優しい老夫婦が居た。迷子の子犬がやってきた。すこし怪我をしているようでもある。まぁ何と可哀そうな。うちで育てましょう。子犬は直ぐに大きくなる。そして老夫婦が大切に耕している畑を前に鳴き始める。「ここ掘れワンワン」と。さあて掘ってみると・・大判小判がザックザック。 懐かしい昔話だ。頭をひねって思い出した。その題は「花咲じいさん」だっただろうか。確かこの話にはオチがあって、欲深い隣の家の老夫婦はマネをするが欲深さ故に天罰がくだるはずだ。 我が家の犬は二代目のシーズー犬。ペットショップで一目ぼれ、そんな初代シーズー犬はそれはそれは良い子だった。十二年での他界は短かったがいつも横に座って家族の成熟過…

  • ご不浄事情

    中学生の頃に熱中した小説があった。角川書店から文庫で出ていた横溝正史シリーズだった。「獄門島」が最初だった。クラスメイトの女子が面白いよと教えてくれたのだった。すこしでも女子と話すきっかけが欲しかったこともあり、さっそく手に入れた。寺の鐘のトリックは圧巻だったが、自分が一番楽しめたのは「八つ墓村」だった。懐中電灯を頭につけた狂人による村人の無差別殺人、たたりじゃ、との台詞、習俗にとらわれる住民の土着性、洞窟の恐ろしさ、もじゃもじゃ頭の金田一耕助の魅力。そしてなによりも主人公と遠縁の娘との洞窟の中のロマンスの甘美さ。舞台が瀬戸内海の島であり岡山であるというのも、香川で生まれ広島で中学高校時代を過…

  • からまわり

    インターネットが世に広く出て来たのは1995年頃ではないだろうか。マイクロソフト社が世に出したウィンドウズ95というOSはコンピュータをネットワークに容易につなぐことを可能とし世界を変えたと思う。日本独自のOSを持っていた国内のパーソナルコンピューターメーカーはマイクロソフトが提唱したOSをこぞって導入した。パソコン画面上のアイコンをダブルクリックしてソフトを立ち上げるというGUIはカリフォルニアのパロアルト研究所でゼロックス社が造り上げそれをアップルコンピューターが実用化したものだが、それはマイクロソフト社の手によりウィンドウズとして世の中に出てきた。 自分はウィンドウズの前のMS-DOSの…

  • 肌に刺さる風

    曇天だった。山の天気は変わりやすい。晴れた日でも午後には曇り時に雨が来る、そんな日が続いていた。今朝は朝から陽が射さず風が森を揺らしていた。それが時折霞むのは白い粒が流れているからだった。その粒を手に取ることはできない。近くで見れば粒子だが離れてみれば霧だった。雨になる前に、と犬を連れて森に出かけた。初めて通る小径だった。 畑の奥は思いのほかに広い林があった。そこに別荘だろうか?木造りの家がぼおっと建っている。知らない道はなぜか心がときめく。この先に何があるのだろうと。リードを引っ張っていた犬が足を止めた。何だろうと思うと辺り一面栗が落ちていたのだった。僕は霧の粒子の美しさに目を奪われ足元に目…

  • 渡り鳥

    この高原に引っ越してきてから多くの野鳥を見るようになった。パッと見ただけでは種類は分からない。夏にあれほど毎朝を賑やかにしてくれたホトトギスもカッコウも何処かへ行ってしまった。もう越冬地へ移動したのだろうか。ジョウビタキは一度だけ我が家の庭にやってきた。彼らは何処から来たのだろう、この地で冬を過ごすのだろうか。 渡り鳥か。小さな体の何処で季節を感じ、海を越えて越冬地へ飛び去るのだろう。コンパスもGPSも彼らには無いのに。 職場に行く途中自分はいつも国道のコンビニに立ち寄り紙コップの珈琲を買う。それをゆっくりと飲む。すると徐々に仕事モードへのスイッチがはいってくる。そんないつものコンビニの壁に二…

  • 失敗作

    ピザは比較的簡単に出来てそれなりに楽しめるメニューだろう。もっともピザ生地から作れば面倒になる。これまでは生地作りからやっていたが来客でもない限り気合が入らなくなってきた。家内と二人なら出来合いのプレーン生地で十分だ。市販のピザソースさえあればあとは手持ちの具材で何とでもなる。しかしプレーンのピザ生地も安くはない。二枚で三百円近くするのだから。そこでここのところはトルティーアを使っている。こちらは五枚で三百円程度。生地は薄手になるが色々な種類が作れて楽しいものだ。 とは書いたものの、おのずと種類は限られる。これまでさほど多くのピザを食べたわけもない。宅配ばかりだ。ピッツァならばやはり生地をくる…

  • 綺麗どころ

    庭仕事に忙殺されている。庭のデザインを描き植えたい樹を考えた。大まかなラフスケッチをベースにあとは造園屋さんに入ってもらった。レイアウトづくり、整地、そして大物の樹木植栽。このあたりはすべてユンボの出番だった。 いったんそれが入ると庭は効率良く変化していった。自分たちが考えた樹木が入った。小ぶりの木々や草木は山野草専門の草木園で仕入れ自分達で植えた。プロのやり方を見てはみようみまねだった。 自分の書いた庭のデザイン図は庭の中に小さな歩道をいくつか配した。そこにガーデン用のプラスチックの椅子やテーブルを配置すれば夏の木漏れ日を味わえると考えた。しかし植樹した樹木はまだ若く。旺盛な木陰を作るほどに…

  • 図書の旅41 小澤征爾 覇者の法則

    ●小澤征爾 覇者の法則 中野雄 文芸春秋社2014年 世界のオザワ。クラシック音楽に興味が無い方でも知っているだろう。日本人指揮者は沢山居るが少なくとも欧州と米国では小澤征爾は人気知名度の点で別格だろう。西洋音楽とは無縁の遥か東の国からやってきてかの地で受け入れられたのだから凄い話だと思う。パリで彼の指揮に触れることが出来た。フランス国立管弦楽団を振りベルリオーズとラヴェル、フランス物をやった。シャンゼリゼ劇場は満席でブラボーが飛び交いスタンディングオベーションは果てしなかった。日本人として誇らしく、自分は何故か泣けてしまった。 桐朋学園で斎藤秀雄氏のもとで音楽の基礎を学ぶ。そして二十四歳で単…

  • 開けるか開けぬか

    ジャズ喫茶、名曲喫茶。好きな音楽を素晴らしい音響設備で大きな音で聴くことが出来る場所。そこは自己の世界に深く耽溺できる。だからこそ会話厳禁という、一つ間違えば何かの道場のような雰囲気も漂う。 学生時代に友が住んでいた世田谷区・下北沢。狭い通りから細い路地を入るとそこには有名なジャズ喫茶があった。中は異様な世界だった。会社員になり千代田区は神田・駿河台下界隈を歩く事が増えた。裏通りには有名な名曲喫茶がある。余りにも息が詰まりそうなので入ったことはない。 - これはコルトレーンの「バラード」の一曲目だ。テナーが鳴いちょるじゃろ。- こいつは知ってるじゃろ?ビレッジバンガードのライブじゃ。エヴァンス…

  • 立てた親指

    仕事を終えてスーパーに夕餉の買い物に立ち寄った。そこは国道沿いの道の駅に併設されている。勤務先から近く、仕事帰りに立ち寄ると丁度割引シールが総菜に貼られるので重宝している。目を皿のようにして割引品を幾つも籠に入れていた。今日もそんな世帯じみたものだらけだった。国道に出ようとしたら目についた。日焼けした青年が手を伸ばして親指を真上に伸ばしているのだった。 - 何処に行くの?そう気さくに声を掛けた。…最寄りの駅、どこでもいいです。 ならば、と同乗を勧めた。我が家は中央線の駅まで近い。どうせ駅の横を通るのだから構わない。彼の足元には45リットルクラスのザックがあった。自分は助手席に散乱していた品物を…

  • 地に恵みあり

    パリには二つの中華街があった。南東部の十三区、それに北東部のニ十区にそれぞれチャイナタウンが形成されている。我が家はパリ市十五区にあったので二つ隣の十三区の中華街が近かった。十三区のほうが歴史が古いのか、街はやや古びていた。パリの北部はえてしてどこも治安が悪い。ニ十区のチャイナタウンはまだ新しいが、街全体に危ない空気感が漂い緊張した。しかしそこに何度も通ったのは安くて美味い中華料理店があったからだった。店はチープで小汚かったが炒め物は文句なしに美味かった。そんな店の看板料理が空心菜炒めだった。ニンニクのかけらに赤唐辛子が少し。あとは空心菜の粗切りを強い火力で炒めただけのものだった。以来この店の…

  • 良いとこどり

    二の腕を差し出す。ぐるりとカバーを巻いてそこに聴診器を挟む。丸いゴム球を何度も押すと水銀柱が上がっていく。腕が痛くなるほど固く締まるとゴム球についたダイアルを回す。空気が抜ける。125-75ですね、と医師は口にする。それが良いのか悪いのかも分からないがそれ以上医師も何も言わないので、こちらも忘れてしまっていた。 血圧が気になり始めたのは四十歳代だった。煙草は生まれてこの方吸ったことはないが酒は飲む。肥満体質でもある。父親は一日にハイライトを二箱吸うようなヘビースモーカーだったので、高血圧から狭心症へ心筋梗塞へとしかるべき道を確実に進んでいった。さらにその上に糖尿病と、生活習慣病の展示会の様だっ…

  • 明るく行きたいもの

    最近のスマホに搭載されているカメラも進化した。自分はユーザーではないがアイフォンならばプロ顔向けの写真が撮れるという。ずっとアンドロイドを使ってきたがそれでもメモ代わりの撮影には十分だ。絞りによるボケ、シャッター速度による動きの表現、露出調整による光の取りこみ方、すべてがカメラ任せ。しかも各種の自動レタッチ機能内蔵で背景を消し去るという事も出来る。カメラの動作原理などうでも良い。それで出来栄えが良ければ言うことなしだ。 スマホのカメラにははなから何も期待していない。それでも露出補正があるのはありがたい。フィルムカメラの時代は一眼レフにリバーサルフィルムを詰めていた。36枚しかないので露出をそう…

  • 讃岐の生まれ

    「元気なん?」叔母から電話がかかってきた。季節の挨拶だった。受話器を取った瞬間にわかる、故郷の言葉だった。おっとりと優しいイントネーションに自分の心は温まる。故郷と言っても自分が実際そこに住んだのは三歳までで、あとは毎夏休みに母親の里帰りに同行してひと月をその地で過ごした。高校生までそうしていたから延べ日数は短くはない。自分の郷里は何処だと聞かれたら迷うことなく香川と答える。 そんな故郷は香川県中部の港町だった。家から十分も歩けば瀬戸内海が広がっていた。南に少し足を延ばせば古刹・善通寺がありその南には金毘羅山がある。♪こんぴらふねふね 追い手に帆かけて シュラシュシュシュ… 金毘羅参りのあの歌…

  • 見知らぬ街と人々について

    プリンターに封筒をセットする。家庭用インクジェットプリンターだから分厚く重たい封筒など一枚一枚手差しかと思いきやそうでもない。B4封筒を十枚重ねて入れてもミスフィードなしに吸い込んでくれる。みるみる宛名印刷をした80枚の封筒が出来上がった。 自分はそこに印刷所から段ボール箱で送られてきた冊子を入れて封を取じる。封筒の右耳をハサミで切り落としていくのは「ゆうメール」で発送するからだった。中身が冊子や印刷物、あるいはCDなどのメディアであればこれを使う事で少しは安く送れる。右耳を切り落とすことで職員さんが中身を上から覗いて確認するのだった。 別に小銭稼ぎの内職をしているわけでもない。中身の冊子は登…

  • 大月駅

    中央線に大月という駅がある。そんな言い方をすると三遊亭小遊三師匠に怒られるだろう。なにせ長寿のテレビ演芸番組「笑点」では、彼の故郷の町は彼の言葉を借りるならば山梨にあるパリだという。そこで人々はフランス語を喋りクロワッサンとバゲットの朝食を食べるという。自分は色男である、色男とはフランス人、だから故郷の街はパリになるのだ、そんな師匠の鉄板だった。誰もが大喜利でその答えを楽しみにしている。 師匠の郷土愛はよくわかる。誰しも故郷を愛するから。実際の大月市は相模川の上流にあたる桂川沿いに開けた谷間の土地だった。列車の乗り継ぎで久びさに大月駅に立った。首都圏に住むハイカーにとっては大月は馴染み深い。手…

  • ザルにお金

    まだまだスーパーマーケットが世の中に普及する前、昭和四十年代は市場と呼ばれる個人商店が軒を並べた場所があった。アーケードなどもなく狭い路地にトロ箱のように並んだ個人商店の軒で雨風をしのぐ、しかし不思議な熱気に溢れる、そんな場所だった。八百屋や魚屋は会計の時にはザルを使っていた。そのザルは籐で編んだ平ザルでありその外周のうち三、四カ所にゴム紐が通りそれが店の梁からぶら下がっていた。ザルの中には札や硬貨が乗っていた。会計の度にザルは揺れるからそこから金が飛び出さぬかと子供心にも心配をした。 そんな風景もあっという間に消えた。まずは戦後のバラックを想像させるような市場も個人商店が減り、スーパーマーケ…

  • 義務を負う者

    車で一時間半あたりだろう、そんな地で演奏会が予定されていた。ずっと前からそのチラシを大切にしていた。しかしその前日から体の具合が悪くなった。翌日、どうしても車を一時間以上運転する気が出なかった。残念だが今日はパスしよう、そう思った。チケットは当日券を考えていたので取りやめても経済的な損失はないのだった。 バッハはカンタータを毎週日曜日の教会でのミサのために書いていた。王侯付き宮廷楽長であり、教会のカントルを歴任した。ミサのための曲を書くのはそんな彼の仕事としての義務だった。バッハのカンタータの譜面は多くが現存していないものの今でも二百曲は残っているというから驚きだ。週一回に一曲を書く。一年間は…

  • トマトのワルツ

    やあ、僕はすっかり大きくなったんだ。ここの家に来た時はまだ苗ポッドだったね。もう背丈は六十センチだからね。前にご主人が間違って僕の枝の一つを折ってしまった時、痛かったよ。だけどその分僕に栄養が回るね。おかげで、どう。立派でしょ。 そう話しかけられた。なるほど、防鳥ネットの向こうには緑色のタマがいくつも連なっている。まるで犬のふぐりのようでもあった。ポッドから土植えに変えて毎朝楽しみに見に行くのは妻の仕事だった。大きくなった、やれ枝が曲がっている。支柱を立てて沿わせよう。そんなに煩く言わなくても伸びるだろう、気にしない気にしない。野生の力を信じよう。いつも喧々諤々だ。 そんな日々が続いていたが、…

  • 朝の運動

    早起きをして空き地に駆けていく。町内会のおばさんがラジオを手にしている。何故わくわくしたのか。朝早くから友達に会えるからだろう。そして最後には首にかけた紙にハンコを押してもらう。皆勤賞迄あとわずか、と嬉しくなる。 事務所の扉を開ける。自分の社員証のバーコードをスキャンする。メンバーの一人がCDプレーヤーのボタンを押すと流れてくる。ピアノ演奏と元気の良い声が。 今の子供はわからぬが、日本人なら誰もが勝手に体が動いてしまうであろう、ラジオ体操。調べると1928年からNHKが放送していたとある。なんとも長い歴史があるようだ。 一旦ラジオ体操とは小学校卒業とともに別れてしまった。再会するのは社会人にな…

  • 松本礼賛

    旧制高校を卒業し仙台の大学医学部に進む若き作家の卵はこう書いている。「車窓から穂高の姿が消えると自分は汽車の座席に戻り、うつろに詩集を開いた」と。 軽妙なエッセイと純文学を残した作者は旧制松本高校で終戦直後の青春を過ごす。そんな疾風怒濤の時も終わり新しい街へと旅立つ日に、車窓から見る北アルプスを見ているのだろう。新しい世界へは期待があるはずなのになぜうつろだったのか。過ごした時間が余りに濃密だったからだろうか。昭和に大衆から人気のあった作家・北杜夫氏の作品である「どくとるマンボウ青春記」では一人の少年が多感な青年となり悩む時を経て文学と言う自らの道を見出していく。その文庫本は今も大切にしている…

  • お国言葉

    山梨県の北西部に引っ越してきた。周りの人との会話は友人や店先でのものだった。友人は移住組だった。JR駅や道の駅で職員さんと会話をしても、キッチンカーやワインバーでオーナーと話しても、皆さん共通語だった。聞けばやはり誰もが都心からの移住組であり、長い時を経てのUターン組だった。 もっと違うはずだと密かに楽しみにしていた。ご近所さんとの付き合いが深まり、更にこの地で働きだしてからようやく嬉しくなった。この地の方言に触れる事になったのだ。 ○○だろ、○○だろう、そんな時職場の同僚は「○○ずら」や「〇〇だら」と言うのだった。鳥肌が立つではないか。自分にとっては馴染深い言葉だった。静岡県は駿東地区、つま…

  • 黄金の曼殊沙華

    近所の野草園に出かけた。庭にロシアン・セージを植えようと思い買いに行ったのだった。太陽は南アルプスの真上を横断し信州の山並みに隠れようとしていた。 ああ、と声が出た。思わず車のブレーキを踏んでしまった。西から指す陽射しが実りの盛りの田を照らしているのだった。そしてなんだろう、その田と用水の境には曼殊沙華が見事に花開いているのだった。稲穂と曼殊沙華を写真に収めたくなった。車を停めて農作業をしている人に声を掛けた。どちらも写真に撮って良いですか?と。 どうぞと快諾された。四十歳代と思える女性だった。野良姿なのに肌は綺麗で顔も整っているのが不思議だった。無理矢理に汚れても良い格好をしているように見え…

  • 満ちる光

    一枚のCDを聴いている。自分が住む高原のコンサートホールでそれを手に入れてから何度再生した事だろう。そのジャケット裏にはサインがしてある。それは奏者自らが目の前でサインをしてくれたのだった。そして僕はその奏者の手を握るのだった。ぎこちなくしかし確実に差し出された右手に僕は触れ、握った。硬質とも思えた音なのに奏者の手も指も柔らかかった。固い音ばかりではない、時に力を抜き柔らかいタッチもある。それを可能にするのはそんな手指のお陰だろう、そう思った。 ステージの上に一台のピアノが置いてあり何気なくそこに会場の光が集まっていた。ピアノは見慣れたスタインウェイではなくベーゼンドルファーだった。ああ、これ…

  • ロールキャベツ

    挽き肉をこねて作る料理はあまねく好物だ。多少中身が異なるにせよどれも美味しい。ハンバーグに餃子など好きな二大料理だ。それぞれが七変化する。ハンバーグはピーマンに椎茸に詰めればそれぞれの肉詰めに。あるいは蓮根に挟めば挟み揚げに。小さく丸めたら肉団子に。鶏肉でやれば串に刺されつくねに。餃子は料理法では負けていない。焼く、蒸す、茹でる、揚げる。餡の量と皮を変えれば雲呑になる。 我が家の庭は十平米もない小さなものだ。酸性の赤土だったので土壌改良をしてもらった。培養土を埋め三列の畝を作った。畝作りも防草シート敷きもトンネル支柱を立て寒冷沙と呼ばれるビニールを被せるのも、初めてだった。全ては家内の指図で自…

  • 山梨カルテット 甲斐からの山・日向山

    山歩きは好きだが、三十年の間自分は一度度登った山に何度も繰り返して登ることは余りなかった。「山の広辞苑」とでも言うべき労作がある。厚みはまさに広辞苑と寸分たがわぬ。そこには国土地理院の二万五千分の一地形図全てに記載されている山の全て。加え地形図に記載なくとも登山対象の山として各地の人々に関わりの深い山の名前が網羅されている。地形図は四千四百枚以上に及ぶから数は膨大だ。それら全てに山の名前とその標高、緯度経度に加え歴史や謂れ、そんな地理学的な情報、歴史や地政学的な観点から山を調査している。何とそこの記載されたピークの数は二万五千に至る。まさに唯一無二な書物だった。自分はそこの本に記されている山に…

  • 漆黒のガラス瓶

    一度は飲んでみたいと思っていた。しかしそれは如何にも古めかしく、それを飲んでしまったら古い価値観を受け入れたことになる、そんな風に思っていた。 父親は昭和一桁代の生まれだった。戦争が終わった時には十五歳だから戦争の中を過ごしたことになる。彼からその当時の話を聞いたことはない。香川県中部という比較的長閑な場所に住んでいたのだから戦火にあまり会わなかったかもしれない。一方で、戦時下の教育を受けているのだから、あるいは自分も潔くお国の為に身を捧げるのだとでも思っていたのかもしれない。 自分は父親が三十三歳の時に生まれた。そんな昭和三十八年と言えばどんな時代だったのだろう。ネットを見れば情報は幾つもあ…

  • 風の悪戯

    森の中に一日車を停めていた。ボンネットに何か落ちているな。まぁいい、走ろう。しかしそれはボンネットから転がりワイパーで止まった。仕方ないなぁ、と車を停めてそれを車内に収めた。よく見れば左のミラーにもそれは引っかかっていた。 散歩の途中だった。足元のイガグリが目に留まった。幸いに車には踏まれていない。少し蹴ってみたらいつか割れた。持ち上げようとしたら棘が刺さり痛い。爪先で持ち上げて散歩カバンに入れた。 二つを机に並べてみた。まったく秋だった。ドングリが落ちるにはまだ早いようにも思えたが強い風でまだ色づかぬ枝葉ごと落とされたのだった。実際、実はまだ青かった。イガグリは何故落ちたのか。重くなりすぎて…

  • 結局僕は、果たせない

    ラジウム鉱泉の先にあるとある山小屋だった。そこは日本百名山の一つである岩の峰に登るには最も最適な場所だった。自分も又そこに車を停めて山頂を目指した。十一月の岩肌は冷たく数日前に降ったであろう雪が残っていた。陽が高くなると少しだけ空気は棘を失い雪も消えていった。山にはまだ悪くない季節だった。 山を終えて山小屋に下りた。下界に戻るバスはもう終わっていたのだろうか、バス停の近くに年老いた男性がいた。山靴を解きサンダルに履き替える。ザックから身の回りのものを取り出して助手席に置く。車に上半身を預けて下半身のストレッチをする。最後に落し物はないかを確認してから車に乗る。五分から十分かかるだろう。 エンジ…

  • 女神たち

    学生の頃、世の中の女性は全て女神に見えた。何と美しいのだろう、それは近づけない程に…。なかでも好きになってしまったひとは更に輝いていた。まさに高嶺の花だった。手を伸ばしても届かない。そもそも怖くて手が出ない。怖いのは自分が傷つくからか、恥ずかしいからか、それは定かではない。持てる全てのマイナス思考が自分がそんな行為に至ることを止めてしまうのだった。 しかし結婚生活を何十年もしているとわかる。女性も人間であると。しかし女性とは男性にとり、例え喧嘩をしてもいずれ還っていく安らぐ存在だ。年齢に関係なく男はいつも女神に憧れるように出来ている。それが無くなったらオスとしては終焉なのだろう。 花を第三人称…

  • 君は何を待つ?

    リードにぐいぐい引っ張られながら走る。全力疾走だ。還暦を越えた自分が心配すべきは足がもつれて転倒する事だった。顔の骨でも折るだろう。 未だ幼稚園だった。最寄りの国鉄の駅には駅ビルが建っていた。その屋上には小さな遊具施設があった。親に連れられて何度か行った。しかし遊具よりも僕の目を引いたのは向かい側の駅前広場の向こうの踏切を駆け抜ける赤い電車だった。それは恐ろしく速く轟音とともに埃っぽい踏切を駆け抜けるのだった。まるで赤い矢か、それこそ火の玉のようだった。 京浜急行電鉄だった。その駅には国鉄と京浜急行の駅が広場を挟んで向かいわせにあった。とうの昔に京浜急行は高架駅になったが当時は踏切だった。三浦…

  • 武田橋・信玄橋 自転車一筆書き

    ずっと横浜に住んでいた。家は工業地帯を展望する高台にあり開港記念日には港の花火が見え、大晦日の夜には年が明けると一斉になる船の汽笛が除夜の鐘だった。そんな街から僕はひたすら一筆書きをしていた。自宅からサイクリングである所まで。すると次回はそこから次の街へ。ときには車を使い時には自転車を輪行袋に収めそこから走り出す。初めは気ままだったがそのうちに方向性が出てくる。僕は学生時代の友が住む東北の街を目指そうと考えた。横浜から武蔵野へ、所沢へ。熊谷へ、伊勢崎へ、佐野へ。そして栃木から鹿沼、宇都宮、黒磯へ。松尾芭蕉が歌った白河の関の西、棚倉という古い城下町が目指すところで、そこには懐しい友が住んでいた。…

  • 枝豆・ゆでタマゴ

    毎朝顔を洗う。肌に気を使う人ならばきちんと石鹸を使い手入れをするのだろう。自分は冷たい水でざぁっと数度手を往復するだけだ。高原の水道は冷たい。しょぼついていた目はすぐに覚める。 鏡を見てつくづく思う。歳をとったなと。そして人相も変わったな、と。小学校の卒業アルバムは坊っちゃん刈の間抜け顔。中学校の卒業アルバムは何故か紛失。高校のそれでは一応横分けをしている。そして大学のそれでは何を考えていたのか髪の毛の上部を短くカットしてピンピンと立たせようとしていた。さしずめ好きなロックヒーローの髪型の真似でもしたかったのだろう。それは決してジョニー・ロットンを目指したものではない。第一彼は超ガリガリだった…

  • ハイキング・グローブ

    しまったなあ、そんなふうに口にした。ゲルハルト・ヘッツェル氏がザルツブルグ近郊の山歩きで滑落死したのはバランスを崩した際に彼が指をかばい岩を掴むのを拒んだから、と報じられていた。 ・・しかし自分は何だろう。只の趣味の範囲だが一応自分も弦楽器奏者だった。フレットを押さえる左手の指五本、そして弦を弾く右手は親指・人差し指・中指まではフルに使う。右手の薬指と小指は不要かと言えばそうでもない。何気にバランスを取るの役立っているし弦全体にミュートする時はブリッジに手の平、特に小指を置いて弦の余分な響きを押さえる。また親指引きをする際に右手を固定し余分な弦を鳴らさぬよう残りの指全てでのミュートが必要だ。左…

  • ピクニックランド

    中央線に相模湖という駅がある。駅前に小さなバスロータリーと観光案内板がある。その西の藤野駅を以って神奈川県は終わり山梨県になる。東は高尾駅でそこは東京都だった。相模湖自体はその下流の津久井湖と同様に相模川をせき止めたダム湖だ。人造湖と言うと身も蓋もないが自然が作ったものではないから仕方ない。一応手漕ぎやスワンボートも有るがどれほど人気が有るのかはわからない。湖を前にした狭い市街地はかつては中央高速道路の渋滞を避けるための裏道の要所だった。実際オートバイで車で何度も通った。 そんな駅前で撮った色褪せた、いや記憶の中では鮮明な写真があった。若草色のサマーセーターを着た若い女性と、肥満した青年が写っ…

  • もう少しもたって欲しい

    8分音符があるとする。音符の位置で音が出ればよいがこちらはコンピューターではないのでそうもいかない。音符より少しだけ前で音が出るか、その通りで出るか、やや遅れるか、難しい。 スリーコードのブルースがあった。もう少しゆっくり目で、ノリを重たくして引っ張って欲しい、そうドラマー氏から注文があった。彼とは長い付き合いになるが言いたいことはストレートにきちんと言ってくれるので助かっている。以前から言われているが彼によると僕はいつもリズムが走ってしまうという。ライブハウスで実演となると誰もが走ってしまう。それは熱演のあまりテンポが速まるという意味だが、彼が言っているのは自分は何時も音の出が早いという事だ…

  • 中央線上り高尾行き

    中距離列車に乗るがロングシートだった。クロスシートの車両は、向い合せ席になるし収容人数が少ないからか、いつしか見なくなっていた。一両の長さが二十メートルに三扉だから一つのシートは長い。都心の通勤車両が同じく二十メートルで四扉なのに比べると、やはりのんびりとしている。 山を見ながら居眠りをしていると健康的な笑い声で目が覚めた。自分が乗った駅では手に届きそうだった南アルプスは遠ざかり、雲に隠れていた。自分から一つ置いて二人の女子高生が座っていた。向かいの席にも幾人もいた。笑い声はそこから湧いていた。先程まで乗っていたニキビの男子高生達はいつしか降りていた。今はカッターシャツやリボンの付いたブラウス…

  • 裏庭のヒマラヤ 甲斐からの山・編笠山

    「裏庭のヒマラヤ」。何のキャッチフレーズか広告か覚えていない。登山道具メーカーだったのか登山道具店だったのか。登山雑誌の広告か、カタログに書かれていたのかポスターか、ウェブサイトかもわからない。山はいつも身近にありますよ、そんなことを言いたかったのだろう。山好きにとり山が近いのは嬉しい。なかなか良く出来た台詞に思える。しかしヒマラヤが裏庭とはどんな処なのだろう。ネパールか、パキスタンか。 山道を登りながら考えた。あ、そうかここは裏庭の八ヶ岳だ、と。自分の住む街の駅舎は五、六年前に新しいものに建て替えられた。如何にものどかな昔の駅舎が好きだったが、近代的な駅舎内にはエレベーターもあり駅そば店から…

  • 焼き餃子

    おかずとして自分の好きな料理を三つ挙げろと言われたら? ロースカツ、ハンバーグ、そして餃子か。一杯・一皿で済むものならラーメンだ。「支那そば」と呼ばれる昔ながらの醤油ラーメンは外せない。何故かわからぬがインドカレーとスープカレー以外のあのどろりとしたカレーには関心がない。刺身も寿司も出てこないのだからなかなか安上がりに出来ている。しかもメタボリックシンドローム向きのメニューばかりだ。 揚げ物は自分では出来ない。温度管理もさることながらあの大量の油を考えると精神衛生上あまり感心しない。これはやはり専門店でサクッと揚がったものを頂きたい。ハンバーグも餃子もやはりステーキハウスや町中華が美味しいだろ…

  • 打ち止めです

    腱鞘炎という名前には憧れがあった。ピアノの練習のやりすぎ、野球で投げ込みすぎ、手首から上を湿布や包帯でくるんでいると、ああ、この人は一生懸命に自分の道に集中したのだな、羨ましい。なにちょっとやりすぎただろう、早く治ればよいな、そんな憧れが湧くのだった。 手首が痛くなった。親指の力は入る。腱鞘炎ではないと思うがとりあえず湿布を貼った。ピアニストでも美容師でも、野球選手でもないのに何故手首から親指の付け根が痛いのだろう。思い当たる節はあった。この数日間、ずっと集中していた。 それは庭造りだった。植樹とは別に庭の大まかなデザインを叶えるためには、石やレンガが必要だった。石は自宅の敷地を掘った際に幾つ…

  • ラーメンエレジー

    映画「男はつらいよ」が大好きだ。最後の二作品を別とすると実質的に故・渥美清が寅さんこと車寅次郎を演じた作品は四十八話になる。盆と正月に年二度のペースで上演されていて誰もがそれを心待ちにした、まさに国民的映画だったのだろう。細切れであるいは通して、一体自分はこの作品群を何度見て、飽くことなく何度涙をながしたか数えられたない。気に入った話だけをDVDで持っている。癌病棟に居た時にそれらを買った。ベッドでいつも嗚咽した。それは二十七本に及ぶ。癌が消えたのは寅さんのお陰かもしれなかった。泣く事で幸せホルモン・オキシトシンが活性化しがん細胞を蹴散らした、そう思っている。では二十一本が何故ないのか?まぁそ…

  • バーガーの悩み

    生まれて初めてハンバーガーを食べたのは何時だろう。そうか、高校生だった。そこは広島市だった。通っていた高校は市の西の端に出来た新設校で家から近くだった。家は瀬戸内海を見る高台にあった。特段の用事もない限り市の中心部に出ることはなかった。 唯一行くとしたらそれは塾だった。中学の頃通っていた塾は百貨店の立ち並ぶ繁華街の北側にあった。高校になってからは全国展開の塾に通った。それは新幹線の停まる駅前にあった。 路面電車の好きな自分は時折国鉄ではなくそれで塾から自宅に帰った。時間は倍かかるがゴトゴトと振動を楽しんだ。街一番の交差点にバスセンターを兼ねた大きな百貨店がある。そこには東京の大型書店が入ってい…

  • 図書の旅41 中国行きのスロウ・ボート

    ・中国行きのスロウ・ボート 村上春樹著 中公文庫1986年 自分はハルキストではない。何故人気があるのかも知らなかった。会社の同じ日本人駐在員から貸していただき唯一読んだのは長編小説「半島を出よ」だった。当時は活字としての日本語に飢えていた。まぁ面白いからと薦められたのだった。有事での日本人の危機管理や対応能力にストックホルムシンドローム的な要素をからめたストーリの上手さが印象に残った。村上春樹が稀代の人気作家とは知っていたが、何故だろうそこで止まってしまった。 何十年振りかに図書館通いをするようになってからも自分が借りるのは読み慣れた戦前からせいぜい昭和五十年代辺りまでの作家ばかりだった。新…

  • LKFって?

    絵というレベルでもない。イラストにもなっていない。ただの幼童の落書きに近い。いや彼らのほうが純粋だから出来が良いだろう。世の中の清濁をある程度知ってしまった老童の書くものはやはり落書きだった。鉛筆、油性ペン、色鉛筆、水彩、どれを使っても、いくら描こうとも情けない程にセンスがない。しかし描くことは嫌いではない。幼稚園の頃近所の公民館で絵画教室に通っていた。小学生当時の日記がいまだに手元に幾冊もあるが、戦車と飛行機の絵ばかり描いていた。どんな頭の構造だったのだろう? どなたからか質問があった。時折ブログに文章と共に上げている自分の落書きの片隅に押されているハンコや書かれている三文字は何なのか?と。…

  • 台風シーズン

    この数日に台風が上陸し、それは日本列島をまさに横切るという。友人は既にウッドデッキの机椅子を畳んでいた。我が家は未だなにもしていない。大丈夫だろう、どこかで変に腹をくくっているのは痛い目に遭っていないからだろうか。。 台風について、中学生の時、理科教師がこんな事を言っていた。先日広島市の上空を台風が通過したね。ちょうど台風の目が市の真上を通った。何もなく空が良く見えたね。皆は見たのか? そんな話だった。自分が広島に居たのは1975年から81年までの六年間だった。中学は75から78年までだった。その三年間のどこかで台風が広島市に上陸したのだろう。海の見える高台に住んでいたが、埋立地の先の海が荒れ…

  • 顧みる時

    夕暮れに駅に散歩に出た。切符を買おうという名目が一応あった。犬を連れずに一人だった。つまらない事で家内と口げんかをしてしまった。独断的な自分はあまり人の言う事を聞かない。友人や他人の言葉ならばしっかりと聞く。しかし何故だろう、家内の言う事は聞き流す。その理由はわからないが何処かで男だからと優越感を持っていてそれが顔を出すのなら、限りなくつまらなく厄介な話だった。しかも自分は口が悪い。これまで何度彼女を傷つけたのかわからなかった。いつもは自分でそう認識できるほど明朗でおどけることが好きなのに、どんな拍子で全く違う顔が顔を出すのかはわからない。違う顔の後に自分を待っているものは決まって自己嫌悪だっ…

  • スカボローの市場

    スコップに足を乗せ一気に体重をかける。ブチブチと地下茎が千切れる感触が伝わる。梃のように返すと山盛りの土が出てくる。空いた穴に黒土と腐葉土を入れて混ぜる。そこに根包を、ポットから出た根の塊を埋めて周りに堰堤を作る。あとは水をぐるりとまいて池のようにしてしまう。 鍬で土を掘る、凹みに小砂利を敷いてたからレンガを載せる。足でふみ固める。レーキで砂利を掃く。そんなことの繰り返しだった。家の敷地に木を植え草花を植えた。そして庭の形を作る。レンガを敷いた。石を置いた。それが終わると畑づくりだった。培養土を敷き詰め畝を形作りビニールを被せた。穴から水耕栽培で育てた種子を土に入れた。覆いの支柱を立ててカバー…

  • 高原の花

    南アルプスの鳳凰三山だっただろうか。夏山の風景の中に鮮やかなピンク色が揺れていた。紫がそこに交じっていた。北アルプスの笠ケ岳を目指す沢沿いの道だっただろうか、広い沢の渡り返しでぽつんと赤紫色が夏空に浮かんでいた。欧州最高峰・モンブランを巡る長いトレッキングルートだった。イタリア国旗のたなびく小綺麗な山小屋で一夜を過ごし緩い下り坂で湿原に出た。背後には雄大な氷河があり凡そ日常とかけ離れた風景だった。その風景を深く頭に刻み込んでくれたのは、やはり湿原の縁に揺れる赤紫色だった。 ヤナギランは魅力的だ。夏の亜高山帯には欠かせない。青い空に生えるピンク色、いやそこに薄紫色が加わる。赤紫という表現があって…

  • 名前を書きましょう

    小学生になり最初に学ぶのはひらがなの読み書き、次に持ち物に名前を書きましょう、だったか。確かにランドセルの名札は別としても、ジャポニカ学習帳などのノートや教科書、ソプラノ笛などには下手くそな名前を書いていた事だろう。 何故名前を書くのか。それは所有権の主張だ。それがあれば自分以外は誰も手にしないだろうし無くしても戻ることもあるだろうから。 昭和四十年代、新興住宅地に住んでいた。父が買った土地は横浜駅からひどく離れた場所で、畑と切り開いた山があった。そこには幾棟もある真新しい県営住宅があった。横浜駅へ向かうバス乗り場は広場になっておりバスが転回するのでいつも埃が立っていた。そんな所に開かれた場所…

  • もう行くのか?

    庭に木を植えてから俄然来客が増えた。鳥だった。ホトトギスもカッコウも数か月前までは毎朝うるさいほどに鳴いて、自分を覚醒に誘ってくれていた。が、何時しか聞かなくなってしまった。彼らが鳴く理由がパートナーへの求愛であるならばそんな繁殖の季節は終わったのだろうか。あるいはそれは他の鳥の声に交じり目立たなくなったのかもしれない。 庭仕事の合間に何気なく空を見ると視界をさっとよぎる。それは庭に植わっているナンテンの枝を一時の休憩場所と選んだようだった。来訪者が多いので最近は300㎜レンズを付けた一眼をデッキに置いてある。狙って撮った。 植物にも動物にも自分は全くの素人で、見てもわからぬ、覚えても忘れる、…

  • 小さなお客様

    我が家に造園屋が入り庭木を植えて土地を整備してしてもらった。あとの細かい事は自分達が楽しみながらやるのだった。実際庭に出て野草の一つでも植えようものなら、砂利敷きを整備しようものなら、一時間の作業で精魂尽き果てるのだった。照り付ける陽射しは高原の夏とはいえさすがに厳しい。野良用の服はたちどころに汗まみれになった。少しづつしか進まない。 それでも少しだけ形になった庭を歩いていた。草刈り機で刈った草もそのままで朽ちるがままとしていた。実際枝も草も刈り取ってしまったらあっという間に腐敗していくのだった。そんな朽ちいく草ががさごそと動いているのだった。何だろうと近いづいた。 蟹だった。小さな蟹が懸命に…

  • レーグナーのチャイコフスキー

    自分がクラシック音楽を幅広く聴くようになったのはやはり会社員になってからだろうか。今の様にストリーミングもない時代、買うのならCDであり一枚三千五百円はそれなりの出費だった。自分で稼ぐようになってからだった。 1980年代から90年代にかけて、ヨーロッパ社会は揺れていた。1989年、ベルリンの壁が崩壊し誰もがそれをツルハシでぶっ壊し東ドイツ市民が西ドイツに流れ込み歓喜の輪が湧く、そんな映像をテレビで見た時にとても興奮した。鉄壁と思えた社会主義体制は一気に崩壊した。幸いに自分はまだ壁の向こう側だったポーランドとチェコスロヴァキアに出張で行く機会があった。米ドルが自国通貨よりはるかに強かった。ホテ…

  • 訪れ

    高原の八月は両極端だった。日差しがあればそこには夏があった。日が諏訪湖の方向に沈んでいくと代わりに地面から空から闇が湧いてくる。それはいつも使者を伴った。角張った空気だった。昼に摂氏三十度を超えても夕には二十度台に落ちる。夕暮れと闇が拮抗する時間、目の前の甲斐駒ケ岳が赤く焼ける。飽くことなく僕はその風景の流れを見ている。 町役場の人に、近所の人に、行きつけのベーカリーで、僕は聞いてみた。秋は何時から来るのですか?と。 お盆を過ぎると、風が変わりますよ。秋色になるのです。誰もが口をそろえる。 秋色の風か。どんな色なのだろう。なんとも詩的で素敵に思えた。 ついひと月前まではあれほどに美しかったアヤ…

  • 面接官

    だいたい電話でまず話すと、分かりますね。その人の人となりが。 そう言われてしまった。移住した地でやるべきこともあらかた済んだ。家の登記にかかわる事、インフラの整備、庭造り、冬への備え、飽きるほどにやることがあった。流石に三カ月以上をそれらに費やすと、あらかた先が見えてきた。 もともとこの地で好きな事をしてゆっくりと過ごそうという目論見だった。しかし有り余る時間を前にして、やるべきことを一通り終えてしまったなら、その後に自分を待つのは、何という事だろう「空虚」だった。それではいけない、自分にはやりたいことがある。何も着手できていない。しかし小さく蓄積した疲労はこんなときに顔を出す。やりたい事には…

  • 嫁入り

    高原に移住することを決めた時に、おぼろげに庭の案を考えていた。それは自宅の庭を里山の雑木林にしようというものだった。新緑から紅葉、落葉迄四季おりおりに表情を見せる落葉広葉樹は心から自分を癒してくれる。特に自分は地衣類が造り上げる美しい紋様を纏ったブナの木が大好きだった。ブナ信奉・偏愛者だった。草花もガーデニングの為のものではなく、自然にある野生のものが好きだった。幸いに自分の土地の東側には小さな沢があり、そこは深いミズナラの林だった。その林と自宅の庭が一体化すればよいと思うのだった。 もともとは畑だった土地には樹木らしいものは無かった。唯一カリンと南天が茂りそこにボケが加わっている、そんな土地…

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