母が入院するということは、初めて。生まれてから、私たち兄弟を生んだ時だけだったんです。だから病気という病気はしたことはなく、また、病院嫌いの母。病院へは行く…
認知症の父母が亡くなり、いろいろなことがありました。順序だてではありませんが、どんなことがあったか、認知症というものがどんなものかということを知っていただければと書いていきます。
現在、実家は、売却に入りました。しかし、ごみを片づけるのは、大変。いまだに片付けが、終わらず。もう、業者に任せるのがいいのだと思っています。しかし、家にある…
ごみの分別問題、本当に難しいことだと思います。父がしていた分別を母に代わってから、きちんとできなくなりました。母は、まったくやったことがなかったというのが本…
もっと簡単な手続きにしてほしいと何度も思ったものでした。認知症という話をすると初めのうちは、銀行など止められてしまうと話を聞いていたのでそういう話は、しない…
リブログの転送届の失敗談は、介護する皆さんも注意した方がよいということです。本人確認の書類などは、自宅にしか届かないということなんです。これには、参りました…
近所の人たちの手助けがなければ父と母の生活は、今、考えるとどうなっていたかわかりません。同じところに何十年も住んでいてそれで周りの人たちからの見守り。これに…
父と母の認知症は、症状が大幅にちがいましたが、それでも記憶の時間がどんどんと短くなっていったのが顕著になっていくのがわかりました。しかし、本人たちは、自分の…
お友達と認知症の話をすることも多々あるようになって。よく言われるのは、初めは、どうだったといわれるんです。認知症は、徐々にというと。そうだよねとなるんです。…
父も母も認知症で亡くなりました。まあ、亡くなった原因は、母は、老衰。そして、父は、コロナで亡くなりました。認知症の症状が進んでいく中で亡くなっていきました。…
この間、最後のプルーンを捨てることができました。何年も経ってもあるプルーン。母が亡くなってからは、5年以上が経っています。もう、多分、出てこないとは思います…
このリブログのブログを書いたのは、1年以上前。この頃とは、本当に変わってきました。今、マスクをしている人、していない人、それぞれで個人の判断となってきました…
ふたりともコロナ禍の中で亡くなりました。だから、面会時間も少なく、最後の時も一緒に過ごせませんでした。父と最後に会ったのは眼鏡が壊れたとき、それも夜中に眼鏡…
家に帰りたいとは、いつも言っていました。初めのうちは、家に帰りたいことが増長され、それでパニックには、ならなかったのですが、どうしようもない時は、私の所へ電…
現在の現金封筒、すごく簡素化していますね。昔は、のりで何重にも貼って。印をたくさん押してそして、いくら入っているかの記載。現在のものは、封筒も軽くなって、簡…
昨日、庭掃除を一日のうちに何回もなんて話を書きましたが、これが、大変だったんです。何しろ、年は、80歳を過ぎている父。外の気温なんて気にしていない父でした。だ…
パニックが落ち着くと本当に楽になりました。自宅に暮らしていた時には、あんなにもひどかった認知症のパニック。一番、すごかったのは、なんていっても特養に入る日。…
認知症になると記憶の時間が短くなっていくんです。これは、父も母もそうでした。父の場合は、気が付いたときには、もう、1時間もなくなっていました。それでも母が父…
母は、お魚は、好きではなかったと書きましたが、考えたら、おでんの材料のほとんどは、魚のすり身。このおでんの材料を買いに電車に乗って買いに行っていたんです。必…
1日のご飯の時間、これは、亡くなるまで覚えていたようです。食べる時間は、しっかりと覚えていて特養で話されたことを思い出しました。一日の中でご飯の時間は、とて…
父は、お料理が好きだと書きましたが、私は、母に料理を教わったというよりも父に料理を教わりました。包丁の切り方に始まり、何しろ、キャベツの千切りは、うまくでき…
大変さは、いつもでした。でもね。この入院のときは、本当に大変でした。病院と特養。まあ、日中は、家に誰もいないのですが、それでも入院中の母の所へ行ったり、区役…
病院でもらってきた薬、余った場合、皆さんどうしていますか?父と母がそうでしたように、余った場合には、減らしてもらえればよいんだということが最後までわかっても…
現在、認知症の薬は、父の頃よりも良いと言われています。ただ、認知症になった場合には、病気が進むのを遅らせるということだという話も聞いたことがあります。だから…
最近の事情なのでしょうが、この本人確認が一番、大変だった気がしています。何しろ、本人が電話に出て確認している最中に自分がやっていることを忘れてしまったり、株…
父のお土産は、このほかにも色々あったなあと。そういえば、北海道は、まりも羊羹がありましたが、函館に行くと買ってきたものがバター飴。これをあまりにも買ってくる…
詐欺対策電話というのを知っていますか?リブログの電話で対処とありますが、一番初めにこの電話録音されますというんです。そうすると変なところからかかってくる電話…
いつから、このようなことが起こったの?と言われてもわからない事だらけ。たぶん、考えると私もそうでしたが、いつ頃からおかしかったんだろうとどうしても考えてしまい…
母がつじつまを合わせ、うまい具合に話しを作っていく。それが、どんどんと膨らんで。まあ、初めのうちは、そのことを信じていた母の友達たち。でも、そのうちにおかし…
認知症は、難しいことが多いです。父の場合、本当にお散歩が好きでした。健康のためにといって毎日歩かなければならないと思っているようで。それが、母以外の人間にと…
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母が入院するということは、初めて。生まれてから、私たち兄弟を生んだ時だけだったんです。だから病気という病気はしたことはなく、また、病院嫌いの母。病院へは行く…
母一人の生活から、私たち家族との同居。少しは前から考えてきましたが、突然、やってきた同居。どうしようもなくなっての同居でした。まあ、これも長い間ではなかった…
母との同居は、突然のことだったんです。看護婦さんから、体重が急激に減っていますとの話が。認知症の母。その前からもだんだんと一人暮らしは、無理との話を聞いてはい…
高齢になると車は、高齢者教習があり、なんとなく安心はしているのですが、でも、この間、前を走っている車がすごくゆっくりで。私は、50CCのバイクだけ運転してい…
今は、スマホの時代になりましたね。ガラケーは、ほとんど見かけなくなりました。しかし、これも大変だと思う人もたくさんいるのではと思います。私の友達でさえ、スマ…
徐々にと書いていますが、本当に周りの人にわからない徐々にだったんだと思います。同じことの繰り返し、しかし、私たちも考えてみれば同じ話をすることがあります。わ…
母の最期は、特養の中でのことでした。父は、隣の部屋にいましたが、母のところに入り込み、ちょっと目を離すと母のところに行っていた父。でも、母が老衰となり、調子…
父は、自分の記憶が短くなっていることに初期のうちはわかっていたようです。いつも行く内科の先生には、あとでわかったのですが、相談をしていたようで薬も出してもら…
コロナという変なウィルスが出てきてからは、私たち家族も何もできなく、そして、あんなに簡単に人に会うことができていたのにそれもできず。こちらもどうしてよいかも…
先月実家の片づけをして荷物は、なくなったのですが、その時、びっくりしたことがありました。それが、梅酒。大量に出てきたんです。それも、片づけが終わったと思った場…
実家には、梅の木が2本。それがたわわに実って。今年も少しですが、取ってきて梅干しと梅酒を作りました。最後に父が梅の木に登ろうとしたときには、冷や汗ものでした…
認知症の人と話をしていると自分までおかしいのではと感じることがあるんです。何回も同じ話をするのですが、それを否定すると父は、怒ることが多かったので話をそらして…
アルツハイマー型認知症は、脳の海馬の萎縮。段階も父の場合、最低だったんです。海馬の萎縮度が最低だった父。この状態だと普通は、動けなくなる人も出てくるといわれ…
特養に父が入ってから電話魔になった父。それまでは、そんなに電話はしていなかったような気もしていましたが。この父と母の会話がおかしかったことを思い出しました。同…
父が特養に入ってから忘れなかったことは、母のこと。これは、もう、何十年も一緒に暮らしていたのだから。そんな記憶の中で記憶の後退とその場その場で覚えていること…
人が変わるというのは認知症の場合、父も母も変わりました。一見すると特に変化はないように感じますが、父の場合は、パニックと昼夜逆転。これは、記憶時間が短くなった…
この記事を読み直してそうそう!!と思ってしまいました。本当に母の好みは、変わりました。そして、以前、食べなかったようなものも食べるようになった母。あんなに好…
父と母が認知症になり、父がまずは、認知症。その後、母も認知症を発症してダブル介護となりました。父と母が認知症で影響を受けたのは、やはり、私の家族たち。父と母は…
父は、頑固になりました。これが、パニックの一つの原因にもなっているのですが。今までも家族の中心は、僕だという考え方は、同じだったのですが、人の話を聞いてくれな…
現在も私の家には、大型犬が1頭います。父が生きていた時にまだ、たぶん、認知症を発症していなかったときになぜ、犬なんて飼うんだ。と父と母に言われたことがあるん…
母は、最後は、老衰で亡くなりました。亡くなるちょうど2ヶ月ほど前に母の様子を老人ホームの職員の方からお電話。その頃から、老衰の症状は始まっていたのかもしれませ…
母は、亡くなる少し前までコロナ禍の中で特養に入っている時も髪の毛を染めていました。ちょっとでも白髪があると気になったらしく。化粧のほうは、何か行事が特養の中で…
父と母が仲が良いのは、うれしいことなのですが、共同戦線をはられると。一番困った共同戦線は、いつ起こったかというと、父が特別養護老人ホームに入るときのことでした…
父と母は、二人とも認知症だったのですが、あとで考えると笑ってしまうことが。それは、父と母の共同戦線でした。ヘルパーさんなどが来て会議をすることがあるのですが、…
認知症は、人それぞれといいますよね。本当にその症状が人それぞれちがうんです。でもね。今まで書いてきたことの中で同じことは、忘れるということ。記憶力の低下、記憶…
食べられるということは、母の介護を通して大切なことだとつくづく思っています。冷凍食品を解凍しても食べられるので本当によかったのですが、その後、母は、物を食べな…
昨日、書いていた母の料理、それで思い出したことがあります。現在の冷凍食品って本当に便利ですね。昨日は、うどんのことを書きましたが、今、思い返すと冷凍食品は、解…
母の料理の中で、前は電子レンジを使っていたのですが、こちらも使わなくなっていったんです。そして、その中で困ったことは、よくうどんを食べていたようなのですが、冷…
母と父が年をとっていき、ガスでの料理が危ないと思い、IHに変えました。その後何年かして、そのIHが壊れたことも気が付かず、料理をしていた母。この時は、もう、認…
昨日、久しぶりにお友達と話し、いろいろな話が出た中に介護認定の話も。やはり、みんな、あの介護認定は、介護者のことをあまり考えていないと。本人中心。でも、それが…
母の行動には、おかしなことはなかったんです。普通でした。でも、この行動の中で話が上手な母、そこで問題も起こりました。それが、母は、多彩な人。友達が多いと書いて…
母も同じ話が多かったです。でもね。それが、だんだんと作り話になっていくんです。話しの内容がおかしいんですが、普通の人が聞くと特におかしい点はないんです。何しろ…
父も母も認知症。1番はじめに気がついたのは、父の食べ方がおかしかったからなんですが。同じ話が多かったのも確かです。父は、こだわりもあったので物に対する執着が凄…
昨日も書きましたが、なぜ、父を一人にして出かけるのか?その疑問は、父が特別養護老人ホームに入るまで続きました。今までも長年、そのような暮らしをして来たのだとは…
父も母も最期は、特養に入り、そこでなくなりましたが、しかし、認知症になっても自分は、普通だと主張していた父と母。自分たちの状態は、わかっていなかったんだと思い…
父が特養に入り、母が一人暮らしになった時、その頃には、認知症を発症していました。でもね。父の様子をずっと見てきたまみちゃん。父に比べれば母ならば認知症を持って…
母も兄弟姉妹が多く、7人兄弟でした。こちらは、女が3人いるのですが、母を含めてこの3人だけがなくなっているんです。男の兄弟は、全員生存。女の方が寿命が長いとい…
今まで父と母が特養に入っている頃から、実家には娘に住んでいてもらっていました。なぜかというと人が住んでいないと、どんどんと家が朽ちていくという話を何度も聞いて…
父の兄弟は、何度か書いていますが、長男(生まれてすぐ死亡)次男(現在老人ホームに入所)3男(父)4男(癌で死亡)5男(老衰)6男(癌で死亡)7男(元気)です。…
一人は、入院、一人は、特養。そういうことでいろいろと動けましたが、それでも病院からも何かと手続きとそして、母が実家で暮らしていたのでその整理。そして、時々、父…