習志野のソーセージ食うやいにしえのドイツ捕虜にや思いを馳せる
575の習作のため江戸川のほとりを散歩中の写真と俳句風、短歌風の言葉を載せます。自転車の日記「江戸川の畔」も書いています。
老犬の散歩は夏の苦行かな
かける声振り返る猫夏の朝
朝の雨恵の水玉咲く花や
講堂に太鼓の音や夏の風
釣具屋とつるむ短パン末広がり
誘惑の甘みあじわうアールグレイ
柘榴なる久方ぶりの朝散歩
夏の朝花萎れて胡瓜なる(普通に育てば曲がるが普通)
むくつけき男競うや紫清楚(近くにある柔道場の窓の下に咲くアバサンガズ)
沖縄の土産熟れたり爺さんか(沖縄みやげのパッションフルーツしわしわ、しかし中身すかすか。あたかも私のよう。)
天王洲猫なるバスや子がはしゃぐ(天王洲アイル、寺田倉庫)
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習志野のソーセージ食うやいにしえのドイツ捕虜にや思いを馳せる
愛子妃にちなんだバラや可憐なり(いつの日か、素敵な漢に恵まれん事祈る)
空蝉の花の空間あの世かな(チームラボ豊洲)
秋の日にプリムスで沸かすコーヒーや肩に留まるは赤とんぼかな
若き日の義父を思うや養老院(三島にて)
恐竜が我を手招き福井駅
同じ所作続けるとわかる年取る事
悠然と前を横切る長きヘビ里見の原は我が海かな、秋の日に蛇も優雅に散歩かな
スーパーの棚見て喜ぶ父の顔、思い出す棚見て喜ぶ父の顔、スーパーで棚見て笑顔父の目や思い出すのは押す車椅子
晴天の箱根元宮風つよしいつまで続くか同窓会や
夜の街経験つんだママ指導(新人の女の子を古参のママがしつける)
松葉ちり夏な終わりの嵐さる
増水に夏を流すか流木よ
朝の雨乾いた赤に施しか
風涼しそういえば台風秋の季語
暑き時行脚の旅に諭す僧(築地本願寺の親鸞像)
夜浮かぶ孤高の東寺にイカズチや(京都駅から)
散ってなお微かな香夏残心
車中泊自転車つるや夢の中
ややこ泣く夏の公園すずむ母
風に吹かれただ生きているだけで良い
太い蕎麦香りと食感野武士なり(印西のふくねで天ザルを食べた)
盃を傾け語る夢うつつ(輪友の家で語らう)
秋の身や十人十色頭よせ
入魂がなくても気高き観音像(東京芸術大学で研究摸刻の十一面観音を見る)
虫の声秋の夕暮れ密やかに
風はらみ腹一杯のネットかな(台風のような10mの南風に、建築中の防護ネットがはち切れそうだ。)
秋の朝生きてるだけでも素晴らしい(体の不自由な方が、コーヒーを飲みおえ、杖をつきながらやっとの思いで改札口へ歩いていく。)
秋晴や寅さん祭りの帝釈天
青山の枯葉輝く夕暮れや(学舎のかえり、赤坂御所まえの高い木の先端が輝く。)
革新のキュビズムのなかアフリカや(キュビズムのピカソはアフリカの民芸品に強い印象をを受けた。)
尾を寄せて夢中で啄む飯一碗
水分けて腕の力で選考会
あわだちそうススキ押しのけ河原占め
目立たぬ木秋には赤き実がつくや
黄色いと市内まわるや目立つなり
スライドショー作りながらの懐かしさ思い出すのは古き友なり
恥ずかしげ頭のぞかす秋の富士
秋の陽を首を伸ばして望む花
見上げるとカラスは見えず秋晴れや