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2022/10/30

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  • 腰痛にもかかわらず二日連続で都心を歩き回っている

    2日連続で都心を歩き回っている。腰痛は痛いからと言ってじっとしているのもいけない。昨日は友人と田中一村展を再訪して1万歩近く歩いた。さすがに疲れて今朝起きると筋肉痛と腰痛でどうしようと思案したが少し動いているうちに歩けそうになったので銀座コリドー通りのNTTデータ時代のとあるプロジェクト同窓会に出席する。出席者の最高年齢94才をはじめ86、85、83、82、80、79、78と76のわたしが最年少の高齢者集団だが皆さんお元気で話が面白い。帰宅するとやはり腰は痛い。風呂に入って温めると軽減した。日比谷公園こんなポスターも。過疎化が大変なんだと。交詢社通り本日の会食スタートはこれ。趣のあるステンドグラス。昨日の上野駅上野の東京文化会館精養軒へ向かう階段地下道にあった。腰痛にもかかわらず二日連続で都心を歩き回っている

  • 今日のChatGPT ある意味人間くさいごまかしのテクかも

    友人Tさんとの会話でわたしの住んでいる玉川学園に遠藤周作がかつて住んでいたという話から次の話の紹介があった。しかしこの随筆の名前を聞き忘れて帰宅してから調べてみた。遠藤周作が玉川学園に銀座からタクシーで帰る途中タクシーの運転手から「私人を殺したことがある」と言われた話の随筆は?とChatGPTに聞いて見た。確かに玉川学園へとタクシーで帰る途中は非常にわかりにくい道を通る。次の回答が帰って来たのでちょっと凄いと思った。ここまでの回答が返せるのだ。ただしこの随筆に本当に掲載されているのかは未だ確認していない。そのうち図書館に行ってついでに眺めてみることに。それにしても今でこのレベルの回答を返せるのだから10年も経てばすごいことになりそうだ。ただし現時点では手放しで賞賛はできない。今後が楽しみだから今から付き合...今日のChatGPTある意味人間くさいごまかしのテクかも

  • 田中一村 追記

    手安の弾薬庫跡昭和7年に旧陸軍により構築された弾薬庫。二重壁の構造。戦時中は、陸海空軍の弾薬貯蔵補給基地、終戦とともにすべての弾薬は大島海峡沖に廃棄された。高倉のある春景昭和35年(1960)頃田中一村記念美術館藏。バリを彷彿。「漁樵對問」昭和34-35年(1959-60)頃田中一村記念美術館蔵奄美初期に色紙とともに送られてきたといい、千葉寺風景の連作と同じ川村家の書斎の額絵用サイズの作である。旅人的視線で千葉へ向けた内容といえ、ガジュマルの木と高倉を背景に当地の風俗を、古来の文人画の画題になぞらえ、画中に題し、ややコミカルに描いている。(田中一村展カタログ)人生最後の日々を過ごした「和光の借家」車で、中心市街地側から和光トンネルを抜けてすぐの和光園を右に見ながらしばらく走り、住宅街の細い道を山に向かって...田中一村追記

  • 「うつろとからっぽ」谷川俊太郎 詩と空観

    小6の娘の勉強を見ているときに次の文章が目に入った。こんなもの小6の娘に解けるのかなと感想を持ったが、同時にこの詩は仏教の難問である空とはなにかをうまく説明しているとも。流石に谷川俊太郎、詩人の心で空を直感的に把握している。「心という入れものは伸縮自在空虚だったり空だったり無だったり無限だったり」つまり空は空虚の反対であり、無の反対で無限なのだということを表現している。次の問題を読んでうつろとからっぽのように似ているようで違うことばを挙げ、その違いを100字以内で説明しなさい。「うつろとからっぽ」詩:谷川俊太郎心がうつろなとき心の中は空き家です埃だらけクモの巣だらけ捨てられた包丁が錆びついている心がからっぽなとき心の中は草原です抜けるような青空の下はるばると地平線まで見渡せてうつろとからっぽ似ているようで...「うつろとからっぽ」谷川俊太郎詩と空観

  • バリ島のサカ暦ウク暦と赤米210日などで仮説を

    バリの暦にサカ暦がある。ほぼ1年の周期なのだが閏月などで5年に一度修正する。この詳しい説明はさておきわたしはサカは釈迦からきているのだろうとぼんやりと思っていた。しかし全く関係がなかった。紀元前にインドにサカ族が一世風靡し、その頃に中央アジアやインドさらにはギリシャの文明を融合して暦もあった。それがヒンドゥを通じてバリに伝わりサカ暦と呼ばれるようになったとか。ガルンガンが正月に当たる。他の暦ウク暦がある。ニュピの日はウク暦の正月に当たり210日毎に新年を迎える。なぜ210日周期なのだろう。バリ人に聞いても昔からそうだということ以外に答えは返ってこなかった。日本の210日の連想から稲作周期に関係があるのか、収穫時期の台風シーズンを教える指標でもあった。ひょっとして稲作周期は210日か?そんな仮説を立てて見た...バリ島のサカ暦ウク暦と赤米210日などで仮説を

  • 今日のタイソン戦を見た

    友人:「マイク・タイソンの試合どう思った?」私:「正直、ちょっと見てられなかったなぁ。動きがさ、やっぱり高齢って感じがして…」友人:「いや、あれだけの年齢でリングに立つのはすごいけどね。でも、プロスポーツの世界だと“引き際の美学”が大事だよな。」私:「そう!自分が一番わかってるはずだよね。でも、興行としてのマネーを考えたら、まあ納得する部分もあるかも。」友人:「そうだな。アメリカってそういうのに寛容な国だし。でも、日本の大相撲でさ、58歳の力士が土俵に上がるなんて絶対ないよね。命に関わるし。」私:「ほんとに。タイソンも少し前に飛行機で倒れたとか言ってたし、本人も少し危険を感じてたのかな?それともショーとして割り切ってるのかもね。」友人:「そういうのって、商業主義に寛容かどうかでスポーツが二分できる気がする...今日のタイソン戦を見た

  • 宇宙人が地球の人間を見て報告した(ジョーク)

    ゴルフを始めてみた宇宙人宇宙人A:「おい、あの地球人たち、一体何やってんだ?」宇宙人B:「なんか棒で球を叩いて、遠くまで飛ばしてるな。」宇宙人A:「それで?」宇宙人B:「…またその球を追いかけてるぞ。」宇宙人A:「なんでわざわざ遠くに飛ばして、また追いかけるんだ?」宇宙人B:「うーん、効率が悪い文明だな…エネルギーを無駄に消費しているようだ。」宇宙人A:「もしかして、彼らにとってはこれが“娯楽”なんじゃないか?」宇宙人B:「娯楽?文明がここまで進化しても、未だに玉転がしなのか…」宇宙人A:「まあ、我々も“星”を転がすのが趣味だから、人のことは言えないか…」スマホを始めてみた宇宙人宇宙人A:「おい、列車の中で地球人たち、一体何をやってるんだ?」宇宙人B:「なんか手に小さい板を持って、それをじっと見つめてるな...宇宙人が地球の人間を見て報告した(ジョーク)

  • ニンニクの植え付け

    三日前にお風呂でひっくり返った際に腰を打ったらしくギックリ腰になっている。徐々によくなっているがやはり中腰は辛い。しかしあんまり動かないのもよくないと聞く。奄美で入手したニンニクが芽出しをして根も出てきた。ちょっとづつ無理の無いように移植を。まだだいぶあるがこのあたりで本日は終了。玉ねぎも芽が出るのかな。スペースが無くなってきたぞ。酔芙蓉も強剪定して枝を縛って出す。結構な重労働だ腰が痛くなってからよく働く。ニンニクの植え付け

  • ヴァンス副大統領 マルコ・ルビオ国務長官 クリスティ・ノーム国土安全保障長官 トム・コットン上院情報委員会委員長 マイク・ウォルツ安全保障担当の布陣でどのような変化が

    ChatGPTで米国の今後の政策を。ChatGPTさてどの程度の予測力か検証の意味も含めてメモ。ヴァンス副大統領に加え、マルコ・ルビオ国務長官クリスティ・ノーム国土安全保障長官トム・コットン上院情報委員会委員長マイク・ウォルツ安全保障担当>この布陣でどのような変化が予想されるか新たな政権の主要メンバーとして、以下の人物が就任しています:副大統領:J.D.ヴァンス国務長官:マルコ・ルビオ国土安全保障長官:クリスティ・ノーム上院情報委員会委員長:トム・コットン国家安全保障担当:マイク・ウォルツこの布陣により、以下の政策変化が予想されます:1.外交政策の強硬化マルコ・ルビオ国務長官は対中強硬派として知られ、中国に対する圧力強化や同盟国との連携強化を推進する可能性があります。ブルームバーグ2.移民政策の厳格化クリ...ヴァンス副大統領マルコ・ルビオ国務長官クリスティ・ノーム国土安全保障長官トム・コットン上院情報委員会委員長マイク・ウォルツ安全保障担当の布陣でどのような変化が

  • 田中一村 かそけき光の彼方 書き抜き

    患者の置かれた状況の悲惨さに心を痛めたが、一村の興味はすでに小路の両側に迫りくる植物の有様に奪われていた。いったい何種類の植物が、この森の植生をかたちづくっているのだろうか。中心が空洞になったアコウの巨木が並んだ道の向かいには、これまた大きなイヌビワが青々した葉を茂らせている。人が隠れられるほど大きな緑葉を丸テーブルのように広げているのは、不喰芋だ。「その小判のような模様は、シダの葉が落葉した痕なのです。幹と見えるのは、細い根が多数絡み合ったもので、空気中から水分を吸収します。ここまで巨大に育つのは、この島が高温多湿であるからです。ヒカゲヘゴは、奄美大島から南の南西諸島や台湾、フィリピンに自生していますが、一億年前の姿を、そのまま現代に留めているといわれています」「ここに群生しているのが、キダチチョウセン...田中一村かそけき光の彼方書き抜き

  • 長風呂にご用心 20分以内に

    「お風呂の王様」にいき、前回は20分でジャグジーを出たが今回は35分で出た。パンツを履いた後に立ちくらみで椅子に座ろうと移動したら途中でひっくり返る。ほんの少し気を失ったらしい。仰向けでしばらく寝ているとなんだかおでこが痛いが気分は悪くない。「お風呂の王様」のスタッフが来て後頭部のチェックをしてくれる。血が出ていますよといい、「救急車呼びましょうか」と問いかける。後頭部から血が出ているとなれば呼んでもらった方がいいので「お願いします」と。やがて救急隊が3名やってきてチェックしてくれる。後頭部はおでこの血が後ろに回ったということで後頭部の打撲は無し。病院には行かずそのまま帰ることに。夜に吐き気とか頭痛が起きたら救急を呼んでくださいと言われ、紙にサインをしたあと帰っていった。それにしても「お風呂の王様」のスタ...長風呂にご用心20分以内に

  • 家庭菜園2

    菜園で重要なのは堆肥作り、最も本音は生ごみ削減、さらに言えばエコサイクル。みなさん生ごみ堆肥ではいろいろ工夫されている。ポイントはいくつかある。腐敗ではなく手早く発酵、臭い防止、小蠅防止です。発酵にはぬか少々、納豆の残り利用、ヨーグルト残り利用、米の研ぎ汁利用で十分ですね。藁カゴでバケツと2重にすることで繰り返し利用する藁カゴに付着し繁殖した発酵菌(白く見える)を利用できる。黒い菌は腐敗菌で白い菌は発酵菌だとか。実はこの藁カゴとの二重構造は優れものだと自負している。藁カゴから空気を十分取り入れる表面積が増え、好気性菌の繁殖を助ける。かき混ぜるが軽く混ぜるくらいで十分なようだ。さらに水分の多い生ごみは菌の繁殖にはあまり良くないのだが藁から抜けるのでベトつかずいつもさらっとしている。蓋をすれば完全に小蠅の発生...家庭菜園2

  • 家庭菜園を再開した

    40年も前に電電公社世田谷中町社宅で小さな庭が割り当てられていた。そこでささやかな菜園を営む人もいて見よう見まねで野菜作りを始めた。その後その社宅を後にしてからは菜園からは遠ざかっていた。現在のマンションに住んでから2年ほど菜園を復活したが中断していた。バリ滞在のせいでもあり、他にブログ執筆などの遊びに目が向いたこともある。この夏の暑さで庭が雑草におおわれ、なんとか整備をおえた。生ゴミを週2回朝8時30分までに出すことも億劫になってきた。年に2回海外で長期に過ごすのもそろそろ打ち止めで国内旅行に切り替えた。そんな理由もあって菜園作りに再び取り組むことにした。生ゴミ堆肥作りを自家製コンポストで作り初めて20日ほどたつが劇的にゴミが減り始めた。確実に半減している、いやそれ以上かも。しかし何を今作るのか、時期的...家庭菜園を再開した

  • 第50回衆議院議員総選挙の結果分析をChatGPTのサポートで試みる

    ChatGPTのサポートで第50回衆議院議員総選挙の結果を分析してみた。なかなか的確に答えている。ただし鵜呑みにしては危険でいつも疑ってみることが大事だ。時折とんでもの答えを返してくるから。今回の衆院選で各党の獲得と前回選挙との推移を教えて2024年10月27日に実施された第50回衆議院議員総選挙の結果は以下の通りです。政党名得票数(万票)獲得議席数得票効率(万票/議席)自由民主党1,4581917.63公明党5962424.83立憲民主党1,2001488.11日本維新の会1,0503827.63国民民主党5002817.86日本共産党400850.00れいわ新選組300933.33参政党150350.00日本保守党150350.00分析:効率の高い政党:自由民主党と立憲民主党は比較的効率が高く、それぞ...第50回衆議院議員総選挙の結果分析をChatGPTのサポートで試みる

  • 明日は大統領選挙投票日 AIの信頼性を占う最上の機会かも

    明日の2024年11月5日に予定されているアメリカ大統領選挙で従来の予測手法とAIの予測をChatGPTのサポートで比較してみた。ただしChatGPTは、自然言語処理に特化したAIモデルであり、特定の事象に対する確率予測を直接提供する機能は備えていないという。ここでAIの予測とは「ポリティカル・フォアキャストAI」のことでありChatGPTの予測ではないことを念のために申し添えます。こうして直前に各種の予測をメモしておくことで今後の役に立つのではと思い、メモしてみた。最新の予測市場「ポリマーケット」では、トランプ氏の勝利確率が61.3%「エコノミスト」は、トランプ氏の当選確率を69%と予想していまる。選挙予測の専門家であるネイト・シルバー氏は、トランプ氏の勝利確率を51.5%と分析。アメリカン大学のアラン...明日は大統領選挙投票日AIの信頼性を占う最上の機会かも

  • MJB 来年まで大谷翔平の活躍が見れなくなってちょっとロスっぽい

    ここ数年続くある種のロス症候群かも。MJBのシーズンが終わりWSの熱狂も終わりなんだかちょっとしたロスっぽい。10月まで毎朝の恒例は朝食をとりながら試合内容をチェックすることと実況を見ること。まあこれだけ世界のファンのアドレナリンをアップする、ドーパミンを噴出させる、そして熱狂させる大谷翔平に出会えるのもラッキー、ハッピーだ。MJB来年まで大谷翔平の活躍が見れなくなってちょっとロスっぽい

  • 森村誠一展 町田ことばランドに行ってきた

    森村誠一さんは生前玉川学園の南口付近で時折見かけた。わたしも南口からの家路なので坂をおりるあたりでも出会うことがあった。面識はないので挨拶はしないがアイコンタクトはしていた。(気がする)あるときは今は閉店した増田屋でおそらく編集者達と一緒の場に遭遇したこともあった。北口から近い喫茶店には森村ブレンドがあった。そんなご縁もあり没後一周年森村誠一展に行ってきた。大きなパネルには氏の小説に対する思いが書かれていた。推理小説も人を描くことが大事で推理の構想の中に人をはめ込んではダメだとあった。推理小説は現代のリアルを追求するものであり、法医学と刑事訴訟法がベースになるとあった。ケルンの一石を乗っけて行く。人のなしたことに少しだけ小石を積む。崩れ落ちてしまうこともあるが。いずれももっともなことだと思った。森村誠一展町田ことばランドに行ってきた

  • 赤瀬川原平の生原稿

    赤瀬川原平の生原稿

  • 奄美紀行 田中一村肖像画原画に出会う。

    奄美では蝶は霊だと。Tさんのお家にあった田中一村の肖像画の原画。なんと奇遇な事だ。東京都美術館で開催中の一村展で印象に残っていた作品。Tさんに似ている。かつて奄美に「なんでも鑑定団」がやってきて出品したとのお話を伺った。鑑定額は250万円だった。同じくTさんのお家にあった田中一村の肖像画の原画。一村は東京で個展を開くために肖像画を描いて金を貯めたが個展は叶わなかった。奄美の本屋で購入した小説・田中一村。2024年9月10日とあるので出版されたばかりの本だ。Tさんに勧められ、さてどんなものだろうと買ってみたが実に興味深い内容で一気に読んでしまった。奄美では変人の絵描きで通っていたとか。子供がからかって石を投げることもあったらしい。菜食主義者で野菜を作り5年間で60万円を貯めそれを元に三年間働かずに絵に没頭し...奄美紀行田中一村肖像画原画に出会う。

  • 奄美紀行 補いなど

    順不同で補足。小名瀬の歩道で見かけた棒切れ先だけ赤く塗られていた。一体なんだろうと興味を唆る。7つがめ7つがめの説明平家の落人なのか「七つガメ」説明があったのだが写真から文字を読み取れない。残念。読み取れるだけ文字にすると。「小名瀬には代々伝えられている伝があります。・・・すぐに山から下ろしてくれ」と(ノロの)お告げがあり、場所を動した。するとその日あった山がくずれたらそうです。カメはのちに十二に増えた。バスの便はこんな感じ。ほう伊勢海老などがいる。洋々閣にて。洋々閣の塀。何も塗っていない。風雪に洗われた肌がいい。こんなところでワーケーションしたい。福岡から福吉に向かう電車の風景。若者が本を読む姿に感銘を受けた。車窓から海が見えてきた。田中一村館で。その時折角心に芽生えた真実の絵の芽を涙をのんで自らふみに...奄美紀行補いなど

  • 奄美紀行 ほのほし海岸の丸石

    奄美名物を昼食に食べてホノホシ海岸へ。荒波によって丸石が出来上がる。世界でも珍しいのではないか。晴れ間に見える美しい海。亜熱帯らしい樹木。弾薬庫入り口。弾薬庫内部入り口。弾薬庫通路。説明書。ススキがことのほか美しい。バリでも見かけた。湾に係留されたヨット。晴れ間に見事なブルーの海。苔の緑に惹かれて。シュロが元気いっぱい。奄美固有種かな。黒うさぎの糞かな。奄美紀行ほのほし海岸の丸石

  • 奄美紀行 田中一村終焉の地を

    なんと田中一村の知り合いの子孫の方を紹介していただいた。まさかの縁で驚いている。一村終焉の地しかし10日住んで料理中に倒れた。かん抜きを抜いて中を覗かせていただく。手前のシートの場所で寝泊まりを始めている。ガジュマルの木が。1人住まいだが狭い。それでも大喜びだったとか。この肖像画は今開催中の田中一村展でも観て印象に残っている。この家で飾ってある原画を見れるとは。同じく。途中こんなのも。平家の落人伝説。こんな木に惹かれる。海に注ぐ川にこんな鴨が眠りに入る時刻。今宵の宿の向かいの景色。座って眺めているとこんな大きな魚が。奄美紀行田中一村終焉の地を

  • 奄美へ

    唐津でうどんの昼食をとる。食堂の親父がテレビ画面の囲碁中継を見ながら「碁は好きかどこから来たか私は秋田から唐津にきた」と話かける。碁会所まで往復1万円使ってくる爺さんもいる、一緒に碁をうつのが楽しいなどとにこやかに語り続ける。そのせいか友は携帯を忘れる。忘れた携帯に電話をかけると「電話忘れてるよ」とあの爺さんの元気な声が帰ってきた。旅はこう言う触れ合いが楽しい。どこかで見たような屋号があったのでメモ代わりに。翌日は朝7時5分と早いので福岡空港の近くに宿をとった。しかし距離的には近いのだがパーキングや道路でさえぎられて辿り着けない。近くを通りがかった若い親子ずれに尋ねると「結構ややこしいのでよかったら乗せていきましょうか」と言ってくれるではないか。ありがたい、福岡の人は親切だ。旅の情けは身にしむ。翌朝は5時...奄美へ

  • 糸島紀行

    姫路を8時3分にたって10時3分に博多到着。福吉に向かう電車。海が見えてきた。福吉に到着。桜の大木焚き火福吉ビーチ朝日こんな倉風の家も福吉の山並み福吉の突堤福吉で見かけた巨大なトンビ猪捕獲用不思議な山道刈り入れ古い馬小屋を改造したレストランなるほど馬小屋だ。ここでワーケーションが宮大工の建てた古屋はこんな風に。玄界灘松林が延々と続く。マイヨールの映ったポスター。洋々閣の廊下洋々閣の部屋から唐津オクンチ唐津の商店街日曜日糸島紀行

  • 40年前に通った滴水釜を訪れた

    NTTデータに勤務していた当時ひとときの休息と楽しみを求めて通った陶芸窯を訪れて見た。40年前のノスタルジーにひたる小さな旅。芦屋川沿いに向かう。阪急芦屋川は変わっていない。向かう道にも見覚えが。どんどん登って行くと風景が変わる。芦屋の邸宅が。おお陶芸教室だ。40年前に通った滴水釜を訪れた

  • 佐々木閑氏の仏教感は興味深い

    わたしは紀野一義氏の仏教觀が大好きだ。氏は大乗の法華経を中心にする伝道者だが時には念仏を唱え観音に祈り、時にはキリスト教の神父やプロテスタントの牧師と共感を覚え合う。宗派に属さず偏頗な不寛容な信仰を極端に嫌う。氏は既に故人になられた。最近はYouTubeで佐々木閑氏の話を聞く機会が多い。氏は原始仏教を中心とした仏教学者だ。氏は何故に日本で圧倒的な大乗を避けて釈迦の時代の仏教を学ぶのか。その理由が面白い。古舘氏との対話でその理由を明かしている。佐々木閑氏は大乗は解脱が簡単なので好きじゃない、難しい方が好きなんだと。こんな理由もあるのかと驚いた。佐々木閑氏の仏教感は興味深い

  • 初めて期日前投票に行き さらにその足でJR「大人の休日•ジパング倶楽部」のチケット購入に向かう どうも同じ役所的発想を感じるぞ

    投票日当日は旅行中なので期日前投票に行ってきた。この年で初めての体験。コミュニティセンターの投票所に向かうと住所氏名などを書いて投票室に。腕章を巻いた男性がパソコンの前に座り何やらチェックをする。どうも顔認証をしているようだ。あとはいつもの投票手順と同じ。感想いつもの投票所より駅近でアクセスに便利だ。これならいつも期日前投票でいいかな。ちょっとだけ気がついた点:住所氏名などを書く机が腰を曲げて書くので一工夫いるかな。それとパソコンの前に座りチェックをする手順で一人しかいないためボトルネックが生じて待ち行列ができている。投票用紙を渡す場所や監視する人は過剰なほど人がいるのにね。「原則投票所で投票日に行う行為を期日前にする人はちょっとだけ不便を忍んでもらう」そんなにおいを感じてしまった。さらに「大人の休日•ジ...初めて期日前投票に行きさらにその足でJR「大人の休日•ジパング倶楽部」のチケット購入に向かうどうも同じ役所的発想を感じるぞ

  • 映画からChatGPTで作ったアニメイラスト 結構楽しい

    こんなことも素人の私にできる。数年前には全く考えられなかった。大変だな、この業界の人たち。こんなAIとコンペしなくてはならないとは。以下は映画から作ったアニメイラストでいずれも名の通った作品から。元の映画がわかればあなたは相当な映画通です。(見出し画像はライジング・ブル)スペルが間違っていたりするのはご愛嬌です。ちなみに以下の作品はChatGPTで作ろうとしても他人には絶対同じものが作れない100%オリジナルと言って良い、したがって著作権は私にあるとChatGPTは説明していた。映画からChatGPTで作ったアニメイラスト結構楽しい

  • ご近所の昭和薬科大学薬草園に行ってみた 薔薇の名前を思い出しながら

    薬草園は我が家から10分のところにあり、しょっちゅう散歩で通るが入園するのは初めて。散歩「薔薇の名前」で薬草がずらずらと書き連ねてあった。一体何のために?との疑問をもったことを思い出した。そうなのだ、薬草の名は人々の長い歴史で記号であり続けたのだとようやく思い当たった。自家製薬草辞典を記録しておきます。ご近所の昭和薬科大学薬草園に行ってみた薔薇の名前を思い出しながら

  • CO2排出と地球温暖化をChatGPTで分析してみた 果たして多数派と少数派どちらが正しいか

    CO2と地球温暖化問題は強い因果関係があるとするのが学者でも多数派だ。我らがノーベル賞受賞者真鍋淑郎の気候モデルもCO2温暖化説を支持している。一方でマイナーな意見ながらCO2と地球温暖化は科学的に正しくないとし、背景に陰謀論めいた考え方を支持する意見もある。一体どちらが正しい、あるいは支持すべきか。大いに悩ましい。CO2が地球温暖化の元凶だとする人が多数派だ。産業革命以降のCO2増加と気温は確かに同期して強い相関がある。(ただ、産業革命以降少しの期間だけ気温が下降しているのは留意する必要がある。)そして科学的に100%立証できなくても予防学説としては十分な説得性がある。たとえ50%くらいの確率で当たっていてもいなくても、当たった場合のリスクが取り返しがつかないので予防として対策を考えるという大いに説得性...CO2排出と地球温暖化をChatGPTで分析してみた果たして多数派と少数派どちらが正しいか

  • なんだか有権者を馬鹿にしていないか 比例復活

    投票日が旅行と重なるので期日前投票をすることに。それで小選挙区と比例を眺めているとおかしなことに気がついた。東京の比例では19人の枠がありそれを各党が獲得比で分け合う。ここまでは理解していた。従い各党は比例候補を最大でも19人にプラスアルファくらいを上乗せするのかなと思いながらリストをみてびっくりした。自民党でなんと28名も名を連ねている。順位があって上位19名が順位1とある。そうか順位1は小選挙区でも立候補していて落選した際の復活枠なのか、だから実際には小選挙区で当選した比例のメンバーは抜けて行き一見過剰なリストも意味を持つのかとようやく合点した。(今頃何を言ってるんだとのツッコミもあるかも)それにしても小選挙区でノーと言われた候補が政党の都合で復活するのはしっくり来ないな。有権者からみて落としたいとし...なんだか有権者を馬鹿にしていないか比例復活

  • 木の周りにひっそりと咲く摩耶蘭を撮ってきた なんと絶滅危惧種だと。

    あるSNSで紹介されていた路傍の絶滅危惧種マヤ蘭が我が家の近くに咲いていると聞き及んで夕方の探索に行った。確かにこれは摩耶蘭だと思う。おそらくクヌギ科の木の周辺にひっそりと咲いている。気がつかなくて通り過ぎたが引っ返して見つけた。それほど目立たない15センチほどの花だ。不思議な花で菌が木の根から栄養をもらいこんなに育つという。きのこの仲間?茎が光合成をする。だから茎がほのかに緑だ。六甲山の摩耶で牧野富太郎が発見した。だから摩耶蘭。木の周りにひっそりと咲く摩耶蘭を撮ってきたなんと絶滅危惧種だと。

  • 名を知らないが実に美しい実だ あまりの気持ち良い天気にご近所散歩

    名を知らない。すまん。でも実に美しい。見慣れた木にもブルーの花が折々のはなに慰められる。この坂の街に35年住んでいる。しんどいが楽しい。坂の街を味わって歩く。10月半ばに満開の酔芙蓉。例年より一月遅い。名を知らないが実に美しい実だあまりの気持ち良い天気にご近所散歩

  • 袴田冤罪事件の深刻さ 映画レ・ミゼラブルを見て

    ジャン・バルジャンを追い続けた警部、ジャヴェールが川に身を投げた理由は、彼が抱えていた倫理的葛藤と価値観の崩壊に起因する。ジャヴェールは、生涯にわたって「法は絶対であり、正義を守るためには規則に従わなければならない」という強い信念を持ち続けていた。彼にとって、罪を犯した者は無条件に裁かれるべき存在であり、ジャン・バルジャンもその一人だと信じていた。しかし、物語が進むにつれて、ジャン・バルジャンが変わり、自らの罪を償い、他者を助ける人間に成長していく姿を目の当たりにする。最終的に、ジャヴェールはバルジャンに命を助けられるという出来事が起こり、ここで彼の信念は大きく揺らぎ法と正義という絶対的な基準に従って生きてきた自己と、バルジャンの「人間性や慈悲」が対立しジャヴェールはこの二つの価値観の間での激しい葛藤に耐...袴田冤罪事件の深刻さ映画レ・ミゼラブルを見て

  • MLBの気になる相関 年棒と勝率 をChatGPTのサポートで分析してみた

    MLB全チームの2024年データで年俸総額と勝率のデータを表示した。URL:SpotracMLBSalaries年俸総額と勝率を正規化した後の相関係数は0.38となりました。これは、弱い正の相関を示しており、年俸総額が高いチームは勝率もやや高い傾向にあることを意味しますが、完全に一致するわけではなく、他の要因も勝率に影響を与えていることが考えられます。わたしのような統計の素人には相関係数0.38が一体どの程度なのか。こういう場合は例示してもらうと理解の助けになる。勉強時間とテストの成績の相関と同じだと例示されるとなかなかの相関だとわかる。**相関係数0.38**は「弱い〜中程度の相関」と解釈されるため、関連性があるものの、他の要因も影響している場合の例を挙げることができます。以下は相関係数が0.38程度に...MLBの気になる相関年棒と勝率をChatGPTのサポートで分析してみた

  • 2024年ノーベル賞受賞は40年前の仕事からうっすらと理解できる。多次元のデータを扱う高度なインデックス付けを高度に発展させたものらしい

    2024年のノーベル物理学賞はジョン・J・ホップフィールド氏とジェフリー・E・ヒントン氏に授与された。ホップフィールドは「ホップフィールドネットワーク」を提唱し、記憶とパターン認識の理論を構築した。一方、ヒントンは「逆伝播法(バックプロパゲーション)」を提案し、ニューラルネットワークの訓練を飛躍的に効率化した。「ホップフィールドネットワーク」は、複数のノード(ニューロン)から構成され、それぞれが他のノードと双方向に結びついている。「エネルギー関数」と呼ばれる数学的な指標が設定されており、ネットワーク全体のエネルギーを最小化することが目的。ホップフィールドネットワークが部分的な「A」の入力を受け取ったとき、部分的な情報から完全なパターンを復元する、これは「記憶されたパターン」に基づいたパターン補完機能。ホッ...2024年ノーベル賞受賞は40年前の仕事からうっすらと理解できる。多次元のデータを扱う高度なインデックス付けを高度に発展させたものらしい

  • カンボジア紀行 3 トレンサップ湖

    トレンサップトンレサップ湖は、東南アジア最大の淡水湖であり、カンボジアの生活と文化において重要な役割を果たしている。乾季には、その広大な面積はおよそ2,500平方キロメートルにまで縮小し、琵琶湖の約4倍の大きさになるが、雨季にはメコン川の逆流によって面積が約6倍に膨らみ、16,000平方キロメートルに達する。この大規模な水の循環は、湖周辺の人々の生活を支え、豊かな魚介資源や農業用水としての恩恵をもたらしている。2006年4月に訪れたときは乾季であったため、湖の水位はかなり低くなっていた。この時期、湖の周囲は乾燥した土地が広がり、水が減ったことで湖畔の草地や泥が露出していた。水は茶色く濁り、乾燥期特有の風景が広がっている。写真に映る水鳥たちが集まる浅瀬は、まさに乾季の特徴を映し出している。おびただしい数のア...カンボジア紀行3トレンサップ湖

  • カンボジア紀行 2 バンテアイ・スレイ寺院

    バンテアイ・スレイ寺院の門の石枠を通して見た景色がフレームに収められてる。背景には、長い参道のような通路がまっすぐに伸びており、その両側には等間隔に石柱が立っている。これらの柱は、バンテアイ・スレイ寺院特有のもので、かつては神聖な空間への道筋を示す役割を果たしていたものと思われる。石柱の先には寺院の建物が見える。バンテアイ・スレイ寺院の窓格子(バラスター)で石で彫られた縦長の柱状の構造物。バラスターは窓や開口部に配置され、装飾的でありながら、外部と内部を隔てる防御機能を果たしている。このバラスターのデザインは、均整の取れた美しい曲線と、リズミカルな線が特徴で円柱状の形が滑らかに連続し、一定の間隔で並べられている。バンテアイ・スレイ寺院のプラサート(塔堂)の一つを捉えたもので、アンコール遺跡群の中でも特に美...カンボジア紀行2バンテアイ・スレイ寺院

  • カンボジア紀行 1 アンコールワット&アンコールトム

    18年前のアンコールワット紀行を回想した。なお、アンコールワットとアンコールトムをひとまとめにしてアンコールワット紀行としている。アンコールワットは寺院でアンコールトムは王宮の意だ。アンコール朝の中興の祖ジャヤーヴァルマン7世がチャンパに対する戦勝を記念して12世紀末ごろから造成に着手した。石の積み方や材質が違うことなどから、多くの王によって徐々に建設されていったものであると。建造物部分に仏像を取り除こうとした形跡や、ヒンドゥの神像があることから大乗寺院が後にヒンドゥー化したと考えられる。1933年の調査によって、中央祠堂からブッダの像が発見された。昭和45年11月25日、この日に三島由紀夫は自衛隊にクーデターを呼びかけ、生命尊重以上の価値の所在を見せてやると切腹した。それほどたくさん読んでいたわけではな...カンボジア紀行1アンコールワット&アンコールトム

  • ブロックチェーンのメタファで輪廻や色即是空・空即是色が少しわかった気になるが

    紀野一義氏は輪廻について多くを語っていない。ご自分の両親についての成仏を確信していると述べられていることが記憶に残るくらいかな。このことから紀野一義氏は輪廻をごく当たり前に受け止められていると思う。佐々木閑氏は物理学者大栗博司氏との対話で「輪廻はない」というずいぶん思い切った発言もする。あるいは業によって輪廻すると「ミリンダ王の問」を解説するが、あくまで解説でありただしご自分は信じていなくて輪廻はないと言う。仏教学者にしてこうも大胆な発言する背景はなんだろうと気になるが輪廻の定義によってそう説明しているのだろう。魂のようなものあるいはアートマンが実体として続いていくということを輪廻とするならば、そう言う意味での輪廻はないと言っているのだろうか。このお二人はともに信頼できる方で、紀野一義氏は一時期学者であっ...ブロックチェーンのメタファで輪廻や色即是空・空即是色が少しわかった気になるが

  • 久しぶりに江ノ島散歩

    このところ三日ほど猛烈に蔓延った雑草刈にいそしんでいた。ようやくカタがついてきたらなんだか歩きたくなって江ノ島へ散歩代わりに出かけた。中国人の旅行者が増えている。陶製の東海道五拾三次は気に行っているのでいつも写す。曇り空だがそれなりにお面白い。青銅の鳥居にかかる額の字体が気になった。柱に刻まれた寄贈者の面々になぜか時の移ろいを思う。店先に岩があり非常に面白いので。色々な看板が気にいる。藤沢で昼に食べた煮干しラーメン、美味いのだがみてくれの透明感が欲しいね。13000歩歩いた。久しぶりに江ノ島散歩

  • ベトナム紀行 4 メコンデルタ

    ダナン周辺には、かつてのフランス植民地時代やベトナム戦争の名残である要塞や砲台跡が点在して残っている。ハイヴァン峠(HaiVanPass)にある砲台跡。ハイヴァン峠は、ベトナム中部にあるダナンとフエを結ぶ山岳地帯の峠で、標高500メートル以上の高さに位置している。ベトナムは19世紀末から20世紀半ばまでフランスの植民地であり、フランス軍はこの地域の防衛を強化するために砲台や要塞を建設した。ハイヴァン峠は、北ベトナムと南ベトナムをつなぐ重要な交通路であり、戦略的な防衛地点として利用された。1960年代から70年代にかけてのベトナム戦争でも、ハイヴァン峠は重要な軍事拠点となり、南ベトナム軍とアメリカ軍によって利用された。峠の砲台やトーチカは、敵の動きを監視し、ダナンの港を防衛するために使用された。写真に見られ...ベトナム紀行4メコンデルタ

  • 自民党総裁選挙 特に決戦投票に民主主義を揺るがす違和感を覚える

    今回の自民党総裁選挙はこれまでになく関心を持った。特に決選投票で逆転したことに違和感を持った。果たしてこれで民意が反映されるのだろうか。「1回目の投票で一位の人が過半数が取れなかった。決選投票では石破さんが高市さんを破った。民主主義の過半数原則に乗っているこのやり方のどこがおかしいのか」そんな反論も聞こえてきそうだ。民主主義の過半数原則は納得だ。多くの国で採用されている。では何が違和感か。一つは党員なるものが意味を持つのかということだ。なぜ全国で105万5839人いる党員が国民に選ばれたわけではないのに民意を代表できるとみなすのか。日本国民の大多数は党員の顔も意見も知らない。その人たちが我々の総理総裁を決める半数を持つ。そんなおかしなことが議院内閣制の名の下に行われている。二つ目には百歩譲って仮に党員が民...自民党総裁選挙特に決戦投票に民主主義を揺るがす違和感を覚える

  • ベトナム紀行 3 フエ皇宮

    蒸し暑いベトナムの午後、寺院の前には一人の旅行者とガイドが立っていた。旅行者は白い帽子を手にし、首に巻かれた黒いストールが軽く風に揺れている。彼の表情には、神妙さが浮かぶ。背後には赤い柱と漢字が描かれた額縁が掲げられ、寺院の穏やかな静寂がそのまま空間に満ちている。大きな青銅の香炉が二人の間にあり、その古めかしい佇まいは、この場所に長い年月を感じさせた。ガイドは白いシャツで、礼儀正しい表情で旅行者に語りかけていた。非常に装飾的で、彩色された彫刻や龍のモチーフが用いられており、これは典型的なベトナム皇室建築の特徴。フエ皇宮の敷地内にはこうした装飾的な門がいくつか存在し、その多くが宮廷儀式や宗教的行事の際に使われた。複数のアーチを持つ門のデザインは、フエ皇宮で頻繁に見られる特徴。木製の階段や梁のデザインも、フエ...ベトナム紀行3フエ皇宮

  • ベトナム紀行 2 カイディン帝陵

    川のほとりに立つレストランから眺めるトゥボン川の風景は、ベトナム中部の穏やかな時間を映し出している。水面は、遠くホイアンの街並みを経て、ゆっくりと南シナ海に注いでいく。風に揺れるバナナの木の葉音や、川辺の竹のざわめきが、静けさの中に自然のリズムをもたらす。ランタンの明かりが吊るされたテラスの上で、濃い緑に包まれた川岸の風景は、一見、のどかで牧歌的だ。しかし、ここにはベトナムの長い歴史の記憶が息づいている。トゥボン川は、かつてチャンパ王国とインドとの交易を支えた重要な水路でもあり、その流れはかつて異国の文化や商人たちを運んできた。水の香りに混じる泥のにおいは、長い歴史の記憶をも引きずっている。遠くに見える漁師のボートは、静かに川の中央に佇んでいる。ボートの周りに広がる蓮の葉が、ベトナムらしい風景を描き出して...ベトナム紀行2カイディン帝陵

  • ベトナム紀行 1 ミーソン遺跡

    ミーソン遺跡は仏教、ヒンドゥ、イスラムの交代が相次ぐ舞台で多くの未だ解明されていない歴史が秘められた場所だ。ポルポトの大虐殺でこのあたりのチャンパは60万人が13万人まで減ったという凄惨な歴史を持っている。これにより多くの遺跡も失われた。5世紀頃からインドネシアとの交流もあり、おそらくバリのヒンドゥとも繋がっているのではないか。解明される日が待たれる。ベトナムのフエからホイアン経由でミーソン遺跡に向かう。ベトナムは仏教国だがこのミーソンはヒンドゥー教シバ派だという。ミーソン聖域はサンスクリットによる正式名称をシュリーシャーナバドレーシュヴァラといい、チャンパ王国の宗教(ヒンドゥー教シヴァ派)の聖域であり、聖山マハーパルヴァタを望むクアンナム省ズイスエン県ミーソン圏谷にある。(bywiki)ミーソン遺跡(ベ...ベトナム紀行1ミーソン遺跡

  • バルセロナ紀行 6 サグラダファミリア&食べたもの

    受難のファサードジュセップ・マリア・スビラックの彫刻受難のファサード謎の魔方陣。縦横斜めいずれを足しても33になる。何を意図しての魔方陣か。33はキリストの死亡した年齢。ジュセップ・マリア・スビラックの彫刻。(裾で隠れている数字は15)受難のファサードジュセップ・マリア・スビラックの彫刻。ガウディの独特な建築様式が強く表れた構造。窓は、楕円形や円形を多用した幾何学的なデザインが特徴的で円形の窓は、ガウディのデザイン哲学である自然の曲線美を強調し彼の建築に頻繁に登場する。窓のデザインに見られる複数の丸や細長い楕円は、外から差し込む光を拡散させ、建物内部に柔らかい光を届ける。写真に写る石の部分は、細かい彫刻や装飾が少なく、シンプルな石材の質感が際立っている。これは、サグラダ・ファミリア全体の複雑で装飾的な部分...バルセロナ紀行6サグラダファミリア&食べたもの

  • バルセロナ紀行 4 サグラダファミリア

    サグラダファミリサグラダ・ファミリア大聖堂の「降誕のファサード」に立ち、目に飛び込んでくるのは、中央上部に鎮座する「生命の木」だ。この糸杉の木は、永遠の命を象徴し、その枝に止まる白いハトは、神のもとに集う信者たちを表している。アンティ・ガウディはこの象徴を愛し、自らの手で細部にわたるまで監修した。ガウディは31歳の若さでこのプロジェクトの主任建築家に就任し、人生の大半をこの大聖堂に捧げた。73歳のある日建築現場からバルセロナの街へ歩いて帰る途中に路面電車にはねられ人生を終えた。質素な身なりをしていた彼は、事故後すぐには誰からも気づかれることなく、貧しい老人として扱われたという。未だにこの聖堂は完成を目指して建設が続けられている。ガウディにとって、サグラダ・ファミリアは信仰の結晶であり、彼が生涯をかけて表現...バルセロナ紀行4サグラダファミリア

  • バルセロナ紀行 4 グエル公園

    グエル公園2日目のバルセロナ観光は、ガウディの独創的な世界が広がるグエル公園へ向かった。地下鉄を乗り継いで中心部から住宅街へと移動したのだが、手元のガイドブックが混乱の原因に。1冊は徒歩15分、もう1冊は20分かかる駅を推奨しており、どちらが正しいか悩んだ末に、徒歩15分と記されていたVallcarca駅で降りることにした。しかし、この決断は予想外の展開を迎えた。駅を降りた後に待っていたのは、写真のようにかなり急な坂道。途中にエレベーターがあって助かったものの、かなりの運動量で、登り切ると公園の一番上のエリアにたどり着き、そこからはバルセロナの街を一望できる素晴らしい眺めが広がっていた。ただ、ガウディのモニュメントが集まるエリアに行くためには、さらに坂を下らなければならなかった。この経験から言えるのは、グ...バルセロナ紀行4グエル公園

  • バルセロナ紀行 3 カタルーニャ美術館 カタルーニャ音楽堂

    カタルーニャ美術館バルセロナのエスパーニャ広場は、この街の歴史と文化を象徴する重要な場所だ。この写真に写る二本の塔は、「ベネチアの塔」として知られており、1929年に開催されたバルセロナ万国博覧会のために建てられた。モデルとなったのは、ヴェネツィアのサン・マルコ広場にある鐘楼だ。この写真の背後に見えるのが、ムンジュイックの丘の上にそびえる国立宮殿(PalauNacional)でカタルーニャ美術館がある。1934年にこの国立宮殿内に旧カタルーニャ美術館が設立され、1990年にはそれまでのロマネスク、ゴシック、バロックの美術コレクションに加え、19世紀から20世紀の美術作品も統合されたことで、現在のカタルーニャ美術館としてリニューアルされた。バルセロナのエスパーニャ広場に立つこの巨大なモニュメント1929年に...バルセロナ紀行3カタルーニャ美術館カタルーニャ音楽堂

  • バルセロナ紀行 2 カサバトラ

    カサ・バトリョの室内に飾られた、この一風変わった灯りは、まるで海底から浮かび上がってきた奇妙な生物のようだ。複雑に入り組んだ装飾と、渦を巻くような形状は、まさに自然界の神秘を思わせる。だが、驚くべきことに、この灯りはアントニ・ガウディが手掛けたものではないという。ガウディがこの建物全体を設計し、曲線と自然の形態を随所に取り入れたことは周知の事実だ。しかし、この灯りは、彼が直接デザインしたものではなく、後世のデザイナーや職人によって制作されたものだ。それでも、ガウディの意図を受け継いだかのように、このデザインは建物全体と見事に調和している。海底生物を思わせるその独特なフォルムは、まるで海の深淵から光を放つ未知の生物のようだ。ガウディが好んで使った自然のモチーフと共鳴し、まるでこの建物が自然そのものの一部であ...バルセロナ紀行2カサバトラ

  • 田中一村展に行ってきた

    7月10日のコロナ発症とそれに続く酷暑日のせいで家で過ごす時間が多く久しぶりに都心に出かけた。本日9月19日でなんと4ヶ月ぶりの都心詣となった。今日は超久しぶりに気温が少し下がり雨がパラつくなどして都美術館往復は苦にならなかった。あまりの嬉しさに上野構内の讃岐うどん屋で天ぷらをつけて肉うどんナミを食べた。(嬉しいのとうどん食うのどんな関係があるのか、つっこまれると窮するが)都美術館では今日から田中一村展が始まった。このような絵を描く画家だ。こんな絵も描く。千葉から奄美大島に渡り、一人で紬の絵付けをして日銭を稼ぎ、69才で晩飯を作っていて倒れ死んだ。今でいう孤独死だ。死ぬまで無名だったが死後NHKが「日曜絵画」で取り上げて一躍脚光を浴びた。ある事情からこの絵を気に入り奄美大島の名瀬にある田中一村美術館に是非...田中一村展に行ってきた

  • バルセロナ紀行 1 カサバトリョ

    ユーレイルパスを手に、次なる冒険に心を弾ませていた。イタリアからスペイン、バルセロナへの列車の旅を決意した。イタリアの魅力に既に浸り次の章はスペインだ。ボローニャの駅に切符を買いに行くと、予想外の返答が待っていた。予定していた土曜夜の寝台列車はすでに満席で金曜日の出発に変更し、個室寝台を確保したはずだった。長い道のりを思い描きながらほっと一息した。ところが実際にミラノから19時50分発の列車に乗り込むと期待していた個室ではなかった。目に飛び込んできたのは、広々とした一等車のビジネスクラス風の座席が並んだ空間だった。椅子は斜めに倒れるが個室とはほど遠い。思わずため息をつきながら車掌を探し出し、何とかならないかと訴えたが、「今日は満席で変更はできない」とのことで現実を受け入れるしかなかった。列車をよく見渡して...バルセロナ紀行1カサバトリョ

  • マチュピチュ紀行 5 遺跡の温泉に浸かる

    花崗岩の石切場は、観光客の目が集まる有名な遺跡とは異なり、自然と人間の手が静かに交わった場所だ。石を切り出すための無骨な作業の跡が、この場所にはそのまま残っている。無造作に積み上げられたように見える岩の群れだがインカの人々は巨石を切り出し、それを使って壮大な建築物を築き上げた。この石切場が持つ魅力は原初的な力にある。花崗岩がむき出しになっているその様子は、古代のインカの石工たちの存在を感じさせる。彼らはこの地で黙々と作業し、その手で巨大な石を切り出し、完璧な形に整えていた。時間も労力も惜しまずに、一つの石にかける情熱と集中力が、この場所の石たちに刻み込まれている。この石切場には「未完の美」が感じられる。切り出されかけた石がそのまま放置され、自然と一体となって時を経ている。未完成だからこそ、その過程にこそ意...マチュピチュ紀行5遺跡の温泉に浸かる

  • マチュピチュ紀行 4 遺跡のリャマ

    ワイナピチュへの入り口に立つと、青い標識が私を迎えている。その色は鮮やかだが、古びて錆びつき、長い年月が過ぎたことを物語っている。石段の隙間にしっかりと根付いたこの標識は、あまり目立たない場所にありながらも、私を先へと誘うようだ。大勢の観光客がこの標識を目にし、ワイナピチュへの道を歩んでいったのだろう。その足跡が、この場所に刻まれているように感じる。周囲には、インカの石組みがしっかりとした壁を作り上げており、その自然と一体化した佇まいは、何世紀にもわたってこの地に留まってきた。石は少しずつ苔に覆われ、湿った空気の中で生きているようだ。これらの石は、ただそこにあるだけではなく、古代からの歴史を静かに見守ってきた証人であるかのように、力強い存在感を放っている。この小さな入り口には、壮大な冒険への入り口という雰...マチュピチュ紀行4遺跡のリャマ

  • マチュピチュ紀行 3 遺跡の花

    視界10メートル先は、ただ霧に包まれている。濃い霧の中、何も見えない、音も消されたかのように静かだ。私は、その霧の中に立ち、目の前の世界が消えていくのを見つめる。まるで、時間や空間がぼやけて、すべてが一瞬のうちに過去に飲み込まれていくような感覚だ。先が見えないということ。それは、自分の内面と向き合わざるを得ないということでもある。目を凝らしても、前に進んでも、同じ霧の中にいるだけ。今、この場所にいる理由や、ここまで来た道のりが頭の中に浮かんでくる。しかし、この10メートルの霧は、物理的な障害であると同時に、心の中に積もる疑問や迷いを象徴しているかのようだ。背後に見える巨大な岩は、何世紀もの間この霧の中に存在し続け、変わらぬ姿でここに立ち続けている。それに対して、私はただの通り過ぎる存在。霧の向こうに何が待...マチュピチュ紀行3遺跡の花

  • マチュピチュ紀行 2 遺跡に分け入る

    バスが通ってきたウルバンバ川を眼下に見下ろす地点に立つ。山々がうねりながら続く壮大な景観の中に、太古の地層が剥き出しで浮かび上がる。流れる川は遥か下を通り、山々は、険しく切り立つが深い緑がその厳しさを少し和らげている。雲が低くたなびき、遥か遠くにそびえる山頂が一瞬見える。ここまでバスでやってきたのかと険しい道のりを思い返し感慨に耽る。マチュピチュの壮大な遺跡を目の前にした時、まず目に飛び込んでくるのが、この驚くべき段々畑だ。急斜面を見上げると、石組みの技術がいかに精緻であるかが分かる。石の大きさや配置は、単に建築的な美しさだけでなく、崩れにくい構造を実現するための知恵が詰まっている。下層に大きな石を敷き詰め、上層になるにつれて徐々に小さな石を用いる技法は、地震の多いアンデス山脈地域でも、斜面が崩れることな...マチュピチュ紀行2遺跡に分け入る

  • マチュピチュ紀行 1 クスコからアグアス・カリエンテスまで

    2007年3月に訪れたマチュピチュの紀行です。すでに17年が経っているが記憶は鮮明で、つまりそれだけ印象が深かったということでしょう。1911年、アメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムがインカ帝国の「失われた都市」を探すため、ペルーのアンデス山脈の奥地へと踏み込んだ。その彼が目指していたのは、「ビルカバンバ」と呼ばれる都市で、インカ帝国滅亡後も残された抵抗勢力が隠れ住んだとされる謎の場所だった。しかし、ビンガムが見つけたのは、彼の期待をはるかに超える壮大な遺跡であった。それがマチュピチュである。ビンガムがその発見を導いたのは、ペルーの地元住民の言葉と、古い記録に書かれていた「非常に高い山の頂にあり、巧妙な技術で建てられた建物がそびえ立つ」とのヒントであった。彼は草に覆われた段々畑を登り、やがて雲の上に現れた...マチュピチュ紀行1クスコからアグアス・カリエンテスまで

  • イタリア紀行 22 ボローニャぶらり

    サン・ペトロニオ聖堂ボローニャのマッジョーレ広場にそびえ立つサン・ペトロニオ聖堂は、未完成のファサードがその歴史的背景と街の複雑な過去を物語る、特別な存在。1390年にその建設が始まった当初、聖堂はさらに大規模なものとして計画されていたが、様々な困難に直面し、現在の形に落ち着くことになった。聖堂は、5世紀にボローニャの司教を務めた聖ペトロニウスにちなんで名付けられている。彼は街の守護聖人として、ボローニャの人々から深い敬意を集めていた。サン・ペトロニオ聖堂の内部は132メートルの長さ、60メートルの幅、そして45メートルの高さを持ち、約28,000人もの人々を収容することができる。未完のファサードが象徴するように、完成に至らなかった「永遠の途上」の雰囲気が漂っている。私がこの場所を訪れ感じるのは、この「未...イタリア紀行22ボローニャぶらり

  • 大統領選討論をみた

    あれじゃ互いに言いたいことだけ言って議論にまるでなっていない。真摯な討論はまるで期待していない。民主主義もこうしてみると案外脆いものだな。トランプは終始大人の態度をキープすることを続けた。ハリスはそれに対して挑発的な視線とニヤニヤ笑いとでトランプの怒りを誘う作戦に出たようだ。トランプは一切視線を合わさない。これもバイデンの時とは反対で、目をあわしてあのニヤニヤ笑いをみるとカッとなって自制が効かなくなることを恐れたのだろう。経済政策ではハリスは住宅補助を行うといい、トランプは関税引き上げだという。不法移民対策はトランプの圧勝の感ありだ。ハリスの言うところのトランプが法案を潰したとの反論は、いったい3年半も何やってたんだの言葉には虚しいな。中絶問題はハリスにぶが悪い。さて今現在そこにある危機ウクライナ侵略では...大統領選討論をみた

  • イタリア紀行 21 アレーナ・ディ・ヴェローナのアイーダ

    アレーナ・ディ・ヴェローナアレーナ・ディ・ヴェローナでのオペラ観賞は、時空を超えた体験だった。2006年6月ボローニャからヴェローナへの一泊旅行で、ヴェルディの『アイーダ』の公演を観るために訪れた。当時携帯の着メロまで「アイーダ」に設定するほどお気に入りのオペラを、1世紀末に造られた古代ローマ最大の円形劇場で鑑賞する、何とも特別な贅沢であった。思い返せば1989年の夏、ベネツィアからミュンヘンに向かう列車の中で初めてこの劇場の存在を知った。ヴェローナの駅で多くの日本人乗客がスーツケースを持って降り立つ光景を見て、いったい何があるのだろうと疑問に思い、周囲の乗客に尋ねてみた。毎夏、ここヴェローナで行われる野外オペラの祭典がその理由だ隣席の乗客に教えられた。その時から、いつか訪れてみたいという思いが心に宿り、...イタリア紀行21アレーナ・ディ・ヴェローナのアイーダ

  • イタリア紀行 20 サン・マルコ聖堂は旅の一大イベント

    サン・マルコ聖堂サン・マルコ広場に座り、目の前に広がる壮大な風景に圧倒されながら、私はゲーテやマキャベリ、そしてアンデルセンがヴェネツィアをどのように感じ、どのように言葉にしたかを思い浮かべていた。この場所は彼らにとっても、私にとっても歴史が織りなす「生きた記念碑」であり、一つの文化、一つの民族が作り上げた芸術作品だ。ゲーテが『イタリア紀行』で語ったように、この場所は「一君主の作り上げたもの」ではない。ここにあるもの全ては、無数の人々の努力と情熱が積み重なってできたものであり、その一つ一つが時間を超えて私たちに語りかけてくる。特にサン・マルコ大聖堂の壮麗さは、ヴェネツィアの過去の栄光を今に伝え、海洋都市としての強さを象徴している。フィレンツェとヴェネツィアについて塩野七生が記したように、この二つの街は同じ...イタリア紀行20サン・マルコ聖堂は旅の一大イベント

  • 「あの世に行っても楽しいことがある」スティーブ・ジョブズ「誰も死にたくない。しかし、死はおそらく、人生で最大の発明なのです。」

    生きていることは楽しいがあの世に行っても楽しいことがある。紀野一義氏はいつもそう思っていたという。死んだら過去の時間もひょっとしたら未来の時間も無くなるのでいろんな人に出会える。歴史上の有名人や自らの多くの先祖にも出会って楽しい話ができる。一見能天気な話に聞こえ、出鱈目も大概にしろと言いたくなりそうな人もいるだろうがご本人は60を過ぎたお年の頃から何回も何回も講演で本気になってそう話し続けていた。そして91歳の大往生を遂げられた。紀野一義氏は自らの体験で心からそう信じているのでわたしもだんだんそんな感じに思えるようになってきた。誰も逝って帰ってきた人はいないのだから世間でいう証拠はない。あとは本気で信じる心があるかないかだけだ。合理的な説明など誰にもできない。仏教でもキリスト教でも良い、心から信じ切れるの...「あの世に行っても楽しいことがある」スティーブ・ジョブズ「誰も死にたくない。しかし、死はおそらく、人生で最大の発明なのです。」

  • イタリア紀行 19 イタリアンを喰う

    食い物ナポリに根付く「真の味わい」は日本と少し異なる。ナポリでは、ピザ生地が高温の薪窯でわずかに焦げるまで焼かれることが一般的だ。これは、焼けた生地が持つ独特の香りと、風味豊かなトマトソース、オマール貝など新鮮な海産物とのバランスが絶妙であり、ナポリの食文化の核にある「シンプルな食材を最大限に活かす」を反映している。日本でのピザの焼き加減は「焦げは発がん性を持つかもしれない」という現代的だがナポリの人々にとっては、美味さを犠牲にしてまで気にしません。むしろナポリっ子は「完璧に焼けた生地」の焦げ部分を「生命の炎」と捉えている節がある。ピザの生地はその焦げ目がカリカリとしていて、内側は柔らかくモチモチしているのが理想。オマール貝の新鮮さと、トマトの酸味が混ざり合う。ナポリの長い食文化の歴史と情熱の一皿になる。...イタリア紀行19イタリアンを喰う

  • イタリア紀行 18 ベネツィアぶらり街歩き

    ぶらり街歩きヴェネツィアの街角で、ふとした瞬間に立ち止まる。観光名所を巡るのではなく、ただ街を歩く、そんな時間が何よりも贅沢に感じられる。つれあいのショールは、明るい陽射しを浴びて風に揺れ、そのパープルの模様が、街の色と自然に溶け込む。ムラーノガラスの店先に、二人で立ち寄っては、ガラスの中に閉じ込められた色彩や模様に目を奪われる。小さなグラスや瓶の中のどのガラスも、職人たちが一つ一つ丁寧に作り上げたものであり、その細やかな手仕事に感心する。光が透過し、輝くガラスの奥に息遣いも感じられる。ヴェネツィアは、眺めるのも良いが、こうして触れんばかりに近寄り感じ取るものなのかもしれない。歩くたびに新しい発見があり、その一つ一つが街に息づいているのを感じ記憶にしっかりと刻み込まれていく。写真に撮ったのはムラーノガラス...イタリア紀行18ベネツィアぶらり街歩き

  • イッキ見 アンチ・ヒーロー 検挙率99.9%を異常値と感じないことの違和感

    netflixで10エピソードを一気見した。筋はネットでたくさんあるのでそれらを参考にしてください。日本の検挙者有罪率は99.9%だと繰り返される。それをわたしもぼんやりと日本の警察と検察がしっかりしているからだと思い込んでいた。いや疑おうともしていなかった。でも99.9%の検挙率は異常だと思わないといけないのだろう、普通の判断力を持っていれば。きっと相当数の冤罪が含まれているに違いない、そう教えてくれるドラマの秀作でしたね。司法が政治家と検察、警察の権力指向で歪むことはなきにしもあらずだなと正面切って思わせるこのドラマ。冤罪と思われる事件を見る目が変わりました。同時にドラマのような現実はほぼ99.9%期待できないこともわかりました。明墨弁護士など現実にはいそうもないと長い人生ではわかるからで、だからこそ...イッキ見アンチ・ヒーロー検挙率99.9%を異常値と感じないことの違和感

  • イタリア紀行 17 ベネツィアでカサノバ回想録

    ドゥカーレ宮殿この写真は「嘆きの橋(PontedeiSospiri)」でドゥカーレ宮殿(PalazzoDucale)とその向かい(写真では右)にある旧牢獄を結ぶために作られた。この橋は、1600年頃に建築家アントニオ・コンティーノ(AntonioContino)によって設計され、白い石材が使われている。この橋は、ドゥカーレ宮殿の裁判所から新しく建てられた牢獄(PrigioniNuove)へと続く通路として使われ、囚人がこの橋を渡るときに外の景色を最後に見ながらため息をついたことからきている。ヴェネツィアの著名な冒険家であり、カサノバ回想録の作家としても知られるジャコモ・カサノヴァも、嘆きの橋を渡ってはいないもののドカレ宮殿内の牢獄から脱獄したことで世の記憶に残る。彼の大胆な脱獄はヴェネツィアの歴史に刻まれ...イタリア紀行17ベネツィアでカサノバ回想録

  • イタリア紀行 16 ベネツィアのゴンドラを目の当たりにみると黒い棺と言う言葉が

    ベネツィアと言う運河の街に足を踏み入れるたびに、その美しさに心を奪われる。水面に映る古い建物の影、ゴンドラが静かに進む音。そんなベネツィアも、近年は厳しい現実と向き合わざるを得なくなっている。2018年10月29日、サン・マルコ広場が閉鎖されたというニュースを耳にしたとき、私は驚きを隠せなかった。観光客たちは急ごしらえの高床式の歩道を歩き、地元の人たちは懸命に水をくみ出していたという。水位が観測史上4番目に高い1.5メートルに達し、この歴史ある広場が水に沈む光景は、かつてのベネチアを知る者にとって、痛ましい。14世紀から続く驚異的な技術がある。木の杭を無数に打ち込み、その上に石を積み重ねた基盤は、自然の猛威に屈せず、時には地震にも耐え続けてきた。しかし気候変動による地盤沈下や海面上昇という新たな脅威に直面...イタリア紀行16ベネツィアのゴンドラを目の当たりにみると黒い棺と言う言葉が

  • イタリア紀行 15 ベネツィアのクッキーショップ

    大道芸人の独白。夕暮れのベネツィア。私はまた、この街角に立っている。ここに来るのは何度目だろうか。どの街も私にとっては同じだと思っていた。どこへ行っても、私はただの通りすがりの異邦人に過ぎない。私は今日もパントマイムを演じる。この芸は私にとっての言語だ。誰もが理解できるし、誰もが私を理解してくれる。だが本当は、この静かな動きの中に、私の孤独の声を隠しているのだ。私は故郷の家族、友人、かつての自分を思う。それらはすべて、私が手を伸ばしても決して届かない場所に行ってしまった。旅を続ける理由があるのか、私は何を探しているのか、自分でもよくわからない。終わりが近づいてきた。私の演技が終わる頃、少しの疲れが襲ってくるが、それは心地よい疲れだ。私はやっと、自分自身を演じきったような気がする。観客は拍手をするが、その音...イタリア紀行15ベネツィアのクッキーショップ

  • イタリア紀行 15 ベネツィアのクッキーショップ

    大道芸人の独白。夕暮れのベネツィア。私はまた、この街角に立っている。ここに来るのは何度目だろうか。どの街も私にとっては同じだと思っていた。どこへ行っても、私はただの通りすがりの異邦人に過ぎない。私は今日もパントマイムを演じる。この芸は私にとっての言語だ。誰もが理解できるし、誰もが私を理解してくれる。だが本当は、この静かな動きの中に、私の孤独の声を隠しているのだ。私は故郷の家族、友人、かつての自分を思う。それらはすべて、私が手を伸ばしても決して届かない場所に行ってしまった。旅を続ける理由があるのか、私は何を探しているのか、自分でもよくわからない。終わりが近づいてきた。私の演技が終わる頃、少しの疲れが襲ってくるが、それは心地よい疲れだ。私はやっと、自分自身を演じきったような気がする。観客は拍手をするが、その音...イタリア紀行15ベネツィアのクッキーショップ

  • イタリア紀行 14 ナポリで古代ローマの食卓を想う

    ナポリナポリの霧がかった港に船が静かに滑り込む。あの丘の上に広がる街並みが徐々に現れるのを見つめながら、私の胸には幼少期の記憶が甦ってくる。ポッツオーリの狭い路地、海の香り、喧騒と活気に満ちた市場。そう、私はここで育った。ナポリは私の魂、私の原点。どんなに遠くに行っても、心の中にいつもこの街がある。私の名前は世界中に知られるようになったけれど、私の心の中にはいつもナポリの娘がいる。生きるために戦わなければならなかったこの街で、私の強さが鍛えられた。ナポリはただの美しい街ではない。ここには深い愛と激しい怒り、笑いと涙が混在している。まるで私の人生そのもの。ナポリは優しさと危険を併せ持つ街。私たちナポリの女は、笑いながら泣くことができる。私もそうだった。カモッラの影、貧困、そしてその中での生存。けれど、それが...イタリア紀行14ナポリで古代ローマの食卓を想う

  • 日本が返り咲くために、世界のESGのためにIOWN・光電融合と液浸半導体ではないか

    生成AI暗号化通貨、スパコンこれが日本の、あるいは世界の命運を分ける3大キーなのは多くの人が言うところです。この三つに共通する壁は電力であり、地球温暖化であることもおそらく異論のないところでしょう。生成AIのためのデータセンターは原発1機分が必要だとか、真偽の程は別にして地球規模の電力消費であると言います。暗号化通貨もマイニングのための電力消費はレベル的には同じようなもので地球規模の消費がいることになるそうです。スパコンの稼働も地上6階のビルを占有するほどの大きさで、これが世界中で使い出すととんでもないことになりそうです。つまり電力消費が地球の近い未来のシンギュラリティーを阻んでいると言って良いでしょう。この問題を抜本的に変える技術があるのだそうです。一つはNTTのIOWNで光電融合半導体で電子の移動では...日本が返り咲くために、世界のESGのためにIOWN・光電融合と液浸半導体ではないか

  • イタリア紀行 13 パラティーナ礼拝堂の黄金の間に痺れるわたしは俗物か

    パラティーナ礼拝堂(CappellaPalatina)は、パレルモのノルマン王宮内に位置する、12世紀の建築物だ。この礼拝堂は、1130年に建設が始まり、1143年に完成した。シチリア王ルッジェーロ2世(RogerII)の命により建設されたこの礼拝堂は、その美しさと複雑さにおいて、当時の芸術的および宗教的な頂点を象徴している。日本の平安時代と比較してみるとその凄さがわかる。ノルマン、ビザンチン、イスラムの要素が見事に融合し、この建築物は文化的交差点としての役割を果たしている。ノルマン王朝がシチリアを支配していた時期、特にルッジェーロ2世の治世下では、さまざまな文化が共存していた。彼の宮廷には、ノルマン人、ギリシャ人、アラブ人、ラテン人など、多様な民族が集まり、それぞれの文化的背景が礼拝堂の建築に反映された...イタリア紀行13パラティーナ礼拝堂の黄金の間に痺れるわたしは俗物か

  • イタリア紀行 12 ボローニャ ハム屋の記憶街の記憶

    ふと視線が古い建物のファサードに止まる。そこに刻まれているのは、威厳ある表情で前方を見据えるひげをたくわえた男性のレリーフ彫刻だ。石の中に永遠に閉じ込められたかのようなその顔は、静かな威圧感を放ちつつも、どこか物悲しさを漂わせている。この男性は誰だったのだろう。何世紀も前に生き、ここボローニャの街で重要な役割を果たした人物かもしれない。彼が見ていた世界は、今とはまったく異なるものであったに違いない。戦乱の時代にあって、人々の生活は常に不安定で、彼もまたその中で苦悩しながらも、自分の役割を全うしたのだろう。石に刻まれた彼の顔は、時の流れと共に風雨にさらされ、周りから少しずつ削られていく。彼のように何かを成し遂げ、誰かの心に何らかの影響を与えることができたなら、この場所に永遠に晒され続けていいのだろうか。石に...イタリア紀行12ボローニャハム屋の記憶街の記憶

  • イタリア紀行 11 マフィア発祥の地パレルモ

    パレルモの影18年前、ホテルの窓から見下ろしたこのスラム街の光景は、シチリア島の首都であるパレルモが抱える課題いやイタリアの課題を象徴している。崩れかけた建物、無造作に積み重ねられた廃材、荒れ果てた庭―これらは、長年にわたる貧困と無視されてきた地域の現状を物語る。18年前のパレルモは、まだ多くの地域で貧困が根強く残っていた。古い建物が立ち並ぶ地域は、長い間、都市開発の波に取り残されていた。このような地域では、犯罪率の高さや教育機会の限界が深刻な問題となり、地域の発展を阻む要因となっていた。それから18年が経過し、パレルモの一部地域では大きな変化が見られると聞く。観光業の発展やEUからの支援を受けた都市再生プロジェクトが進行し、かつてのスラム街が新たな命を吹き込まれつつあるという。荒廃していた建物が修復され...イタリア紀行11マフィア発祥の地パレルモ

  • イタリア紀行 10 アグリジェント 小さなホテルの主人はアーティストだった

    小さなホテル 巨大なシェパードの吠え声がするこのホテルの一角にはアグリジェントそのものを象徴する何かが感じられる。シチリア島の乾いた大地に立つこの街は、古代からの栄光と、歴史の荒波に耐え抜いた遺産を今に伝える場所であり、その背後には数千年にわたる壮絶な歴史が隠されている。アグリジェントの歴史は、紀元前580年に古代ギリシャ人によって築かれた植民都市アクラガスに遡る。この街は、マグナ・グラエキア(古代ギリシャの植民地)として、南イタリアやシチリア島一帯に広がるギリシャ文化の中心地の一つとして栄えた。特に、火・風・水・土の四元素説を提唱した哲学者エンペドクレスの出身地としても知られ、その時代には文化や知識が花開いた。しかし、紀元前406年、アグリジェントはカルタゴの攻撃によって破壊されることになる。第一次ポエ...イタリア紀行10アグリジェント小さなホテルの主人はアーティストだった

  • イタリア紀行 9 シチリア遺跡に根を張るオリーブの巨木

    巨大なオリーブ遺跡に生えるオリーブの巨木は蝋化したように見える幹と荒れ地に蟠る力強い根。見ているだけで生命の力が与えられる。シチリアの5月の太陽は、すでに真夏のような強烈さを帯びている。空には雲一つなく、照りつける光が大地を焼き付けるようだ。妻に借りて頭に巻いたスカーフでどうにかこの陽射しをしのぎながら乾いた地面を歩いていると、ふと目の前に現れるのが、一際存在感を放つ一本のオリーブの木だ。その幹の太さには驚かされる。通常見慣れたオリーブとは全く異なり、年輪を重ねた老木の幹はふしくれだってねじれ、曲がりくねり、大地と一体化するかのように根を張っている。オリーブの木は盤石のごとく屹立している。この厳しい大地は、人間にとっては過酷な環境だが、このオリーブにとっても同じだろう。この木は自然の力に屈するのではなく、...イタリア紀行9シチリア遺跡に根を張るオリーブの巨木

  • イタリア紀行 8 ジャルディーニ・ナクソス&タオルミナ 映画『太陽がいっぱい』

    ボローニャのボルゴ・パニガーレ空港からカターニアのフォンタナロッサ空港に着陸体制に入る前にエトナ山が姿を見せる。活火山で標高は3,326m富士に高さも姿も似ている。エトナ山が姿を現すと窓際にせりよって写真を撮る。その威厳ある姿はシチリアの守護者のよう。エトナ山のふもとに広がるジャルディーニ・ナクソスの町はシチリアの他の観光地とは一線を画する歴史と神話の場所だ。ジャルディーニ・ナクソスはギリシャのナクソスから名付けられた。テセウスに裏切られたアリアドネが、ディオニュソスと新たな愛を見つけたこの地で、私はナクソス神話が物語ではなく現実とどのように交錯するかを感じ取った。街を歩いていると、どこかに神々の足跡が残っている気さえする。アリアドネは、クレタ島の王ミノスの娘。アテナイの英雄テセウスがクレタ島にやってきた...イタリア紀行8ジャルディーニ・ナクソス&タオルミナ映画『太陽がいっぱい』

  • イタリア紀行 7 タオルミーナ古代劇場のアーチをくぐると

    古代ギリシャ劇場「胎内潜り」は日本の伝統的な宗教儀式の一つで、通常は神社や寺院にある洞窟や穴を潜り抜けることで、再生や浄化、そして新たな出発を象徴する。この儀式は、母親の胎内を再現し、それを潜り抜けることで新たな命を得る、という深い象徴性を持っている。タオルミーナの劇場を前にしたとき、この「胎内潜り」の儀式が頭をよぎった。古代のアーチをくぐるという行為は物理的な通過ではなく、精神的な再生をも意味しているのではないかと感じたのだ。この劇場のアーチをくぐることは、まるで一度死んで生まれ変わるような感覚を抱かせる。何世紀もの時を超えてこの場所に集った人々の魂が、このアーチの中で語り合い、訪れる者を浄化し、新たな視点を与えてくれる。タオルミーナの古代ギリシャ劇場にあるこのフリーズは、古代ローマの建築装飾の一例であ...イタリア紀行7タオルミーナ古代劇場のアーチをくぐると

  • イタリア紀行 6 イゾラ・ベッラとジャックマイヨール

    小さな島の頂上部にも別荘らしき建物が見える。イゾラ・ベッラ(IsolaBella)は、イタリア語で(Isola=島、Bella=美しい)イタリアにはこの名称の島は幾つかあるが、タオルミーナのイゾラ・ベッラは、フランス映画「グランブルーリュック・ベッソン監督1988年」のロケ地として使われた美しい小島。タオルミーナで開催されるフリーダイビング競技でエンゾ、ジャック、ジョアンナが出会う。主人公のジャックマイヨールもエンゾも実在のプロの素潜りダイバーだ。エンゾはダイブ浮上中に死亡した。この映画が作成されたあとジャックマイヨールはどこかの島で若い妻と結婚して暮らしていると聞いていたらその内自殺した。自殺の原因はいまだ分かっていない。以前に一度この映画は見ているが、ジャック・マイヨールが元気な時代のことだ。この映画...イタリア紀行6イゾラ・ベッラとジャックマイヨール

  • ウクライナ・ロシア戦闘動画とAIフェイク動画

    昼飯前にYouTubeで大谷翔平の活躍を見ることが楽しい習慣になっている。終了後に別の番組紹介画面に移り、ウクライナのロシアに対する反撃のシーンが動画が並ぶ。F16がロシア戦車や橋を破壊する映像が延々と続く。一昨日に娘が「それはAIフェイクだよ」と言った。「こんなリアルな動画だよ、AIフェイクなわけないだろう」「AIフェイクだよ、人物の動きが不自然だよ」娘の言うことが信じられないのでそのまま見続けることに。「そう言われてみるとちょっと不自然かなあ。でも画像を粗くするとこんな動きになるのかも」そう思い続けていたがふと気になってネットで調べてみることにした。するとAIフェイク動画の見分け方、戦闘場面のフェイク画像の見分け方などが目に飛び込んできた。でも一体何のためにAIフェイク動画を結構な費用をかけて流す必要...ウクライナ・ロシア戦闘動画とAIフェイク動画

  • イタリア紀行 5 フェラーリとフェラーラは違うの?

    フェラーリとフェラーラフェラーリ「こんにちは、フェラーラ!僕はフェラーリ、イタリアが誇るスピードの王者だよ。君も名前が似ているけど、もしかして僕と何か関係があるのかい?」フェラーラ「あら、フェラーリさん!残念ながらわたしたちは全然関係ないのよ。わたしはエミリア=ロマーニャ州の歴史ある街、フェラーラ。自転車が大好きで、街の人々は毎日サイクリングを楽しんでいるわ。」フェラーリ「え、自転車?あの、スピードゼロのやつ?僕は最高時速340kmで走れるんだけど、君の街はせいぜい何キロ出せるんだい?」フェラーラ「確かにスピードでは君に勝てないけど、わたしの街ではみんなのんびりとした生活を楽しんでいるのよ。それに、フェラーラの街を自転車で走れば、古い城壁や美しい大聖堂を見ながら風を感じることができるわ。フェラーリで通り過...イタリア紀行5フェラーリとフェラーラは違うの?

  • イタリア紀行 4 円形闘技場の血の臭い

    古代の闘技場に足を踏み入れたとき、胸の内に奇妙な感覚を抱いた。この場所はかつて、熱狂と血の匂いに満ちていたはずだった。しかし今はただの静寂が支配している。陽光が石柱の隙間から差し込み、草の匂いがかすかに漂っていた。回廊を抜け、大体育場へと進むと、彼は自分が遥か昔の人々と同じ道を辿っていることに気づいた。彼らもまた、期待と不安を胸に、戦士たちの命を賭けた戦いを見届けるためにここを歩いたのだろう。古代の観客たちは、興奮と歓声でこの場を満たし、今日の彼が感じることのない熱量を共有していたに違いない。目に映る遺跡は、ただの石と化した過去の残骸だが、その裏には生きた人々の物語が詰まっていた。ローマ帝国の威光の下、この場所は支配者と市民が一体となる場所であり、血が流れることで統治が正当化される場でもあったのだ。ローマ...イタリア紀行4円形闘技場の血の臭い

  • イタリア紀行 3 ベローナの遺跡幻想

    アディジェ川を渡り、ベローナの古代遺跡を訪れたときのこと。石造りの階段が私を誘うように、その先へと導いていた。階段を登るたびに、背後に広がる街の喧騒が徐々に遠ざかり、目の前には遺跡と自然が織りなす静かな空間が広がっていた。階段の両側には、古代ローマ時代の建築物の残骸が無造作に積み上げられ、まるで歴史そのものが生き続けているかのような錯覚に陥った。緑豊かな木々と植物が、崩れかけた石碑や壁と絡み合い、自然と人工の境界が曖昧になっている。その様子は、時代を超えて存在する場所のようで、異世界に足を踏み入れたような不思議な感覚を覚えた。階段を上り切ると、小さな広場にたどり着いた。そこには、古い邸宅が立っており、その外観はまるで堅固な城のように見えた。この建物が現代のものであることは明らかだったが、古代の遺跡と見事に...イタリア紀行3ベローナの遺跡幻想

  • イタリア紀行 2 ピッティ宮殿の調子の良いガイド

    若い元気なガイドが案内してくれる。22歳くらいかな。ちょっと軽いけどまあいいか。さあ、アルノ川を左手に、いよいよピッティ宮殿に到着だね!ここ、地元でも人気の観光スポットだけど、そんじょそこらの観光地じゃないんだ。歴史好きにはたまらない場所なんだ。フィレンツェっ子の僕らにとっても、メディチ家の物語を思い起こさせてくれる特別な場所なんだ。え、メディチ家って何だって。ううん、こいつを話し出すととんでもなく長くなるからね。実は僕もあんまり深く知らないんだ。さあ、行こう行こう。見てごらん、この石の外壁!でっかくてゴツゴツした石が積み重なっていて、まさに「力」を感じるだろ?日本にこんな建物ある?え、お城の石垣にあるって。へえ、日本てすごいんだね。一度行ってみたいもんだね。この宮殿、15世紀に建てられて、後にメディチ家...イタリア紀行2ピッティ宮殿の調子の良いガイド

  • イタリア紀行 1 ギベルティとブルネレスキの確執

    2006年のイタリア旅行を回想し紀行文にまとめました。58歳の時に行ったイタリア、スペイン、モロッコ、東南アジア、パタゴニア、マチュピチュなどの紀行はそのうち書けるだろうとたかを括って伸ばし伸ばしにしていたが既に76歳になってしまった。ブログとして写真中心のまとめは一応していたのだがやはり文章が少なすぎる。性根を入れて書かねばと決意しています。そしてアマゾンで電子出版を計画しています。長期にわたって連載の予定ですのでお付き合いしていただければ嬉しいです。ギベルティとブルネレスキのライバル意識が歴史に残る名作を生むことになる。ロレンツォ・ギベルティとフィリッポ・ブルネレスキは、ルネサンス期のフィレンツェで活躍した二人の天才芸術家であり、そのライバル関係は美術史における重要なエピソードとして知られている。ロレ...イタリア紀行1ギベルティとブルネレスキの確執

  • 樹木の声を聞く

    「聖なる木の囁き」(フィクションです)バリ島のとある小さな村には、古くから「聖なる木」として知られる一本の大木があった。この木は村の入り口にそびえ立ち、太くねじれた根が大地をしっかりと捉えている。幹には白黒のボレンが巻かれ、村人たちはこの木に宿るとされる霊を深く敬っていた。この木には一つの伝説がある。かつて村を襲った洪水の際、木の根がまるで村を抱きしめるかのように隆起し、村人たちを守ったという。それ以来、木は村の守護神とされ、村人たちは日々、木の前で祈りを捧げ、花や果物を供えるようになった。木に巻かれたボレンは、善と悪、光と闇の象徴であり、木の神聖さを示すためのものだ。ある日、都会から訪れた若い旅人がこの村を訪れた。都会の喧騒から離れたくてバリ島を訪れた彼は、村人たちの優しさに触れ、この木の話に興味を持っ...樹木の声を聞く

  • 青空に聳える木と茜に輝く空

      青空に聳える木と茜に輝く空

  • バリ島の何気ない面白さ

    泊まった宿のプールサイドにあった陶器のパネル。これは確かテーブルを上から見た思わぬ図柄。サヌールの宿に向かう路地の角で。さりげなく上手い。お世話になった陶芸店の壁にかかっていた。陶芸窯1600度を覗き見ると。大人気の魚料理マクベンに仕入れの冷凍魚が到着。サヌール南端の宿近くに入った店で。バリ島の何気ない面白さ

  • バリならではのショップ ハングドラムを見かけた

    この画像に写っているショップは、バリにある「PANSASIA」という名前のお店でウィンドウには「432Hz」「440Hz」「HEALINGSOUND」といった文字が書かれており、思わず写真に撮った。440Hzは一般的に現代の標準音高(A=440Hz)でA4(ラの音)の周波数として知られている。一方で、432Hzは「癒しの音」として知られており、一部の音楽療法やスピリチュアルなコミュニティで使われ自然界の調和と共鳴するとされ、リラックス効果や精神的な安定感をもたらすと信じられている。ウィンドウ越しにハングドラムが陳列されている。この基準は、1939年に国際会議で採用され、その後、1955年に国際標準化機構(ISO)によって正式に標準音高として認められオーケストラや楽器製作において統一された音高が確立された。...バリならではのショップハングドラムを見かけた

  • 2024年チャンティック・ベスト5

    サヌールの浜辺で(読み人知らず)静かな波が寄せるサヌールの砂に足跡を刻む柔らかな風が髪を揺らし静けさの中に溶けていく海の向こうに広がる青遠くの島影が霞む心の波も穏やかにただ、今この瞬間を感じる砂に残る小さな貝殻時の流れを見つめていた過去も未来も溶けて今だけが優しく包み込むバリの風、サヌールの光ここにあるのはただの平和歩み寄る足音が消えていく潮騒の音が心に響くウブドの祈り(読み人知らず)静寂の中に響く心の声ウブドの古い寺院の前で一輪の花のように膝をつき祈りを捧げるその姿は、風のように優しい香の煙がゆらめき空へと溶けてゆく色とりどりの供物が神々へと届けられる石の彫刻が見守る中時は止まり、ただ祈りだけが流れる永遠の瞬間に包まれて心の安らぎが広がるウブドの地に響く祈り自然と一つになり心の深淵へと沈み込む祈りの静か...2024年チャンティック・ベスト5

  • ヴィジュアルなガラス窓に惹かれるらしい

    バリサヌールビーチにて。神戸異人館にて。神戸異人館にて。東京国立博物館にて神戸異人館にて。旅先にて。場所を忘れた。ヴィジュアルなガラス窓に惹かれるらしい

  • バリの人々

    ウブド近郊の滝で。デンパサールの葬儀で。ウブド近郊の奥深い滝で魚をつる少年。船の帆をつくろうおじさん。長く伸びた髪でバイクに乗るマンクー。サヌールビーチで坐禅する少年。バリの人々

  • ヴェネツィアングラスの記憶

     イタリア紀行の思い出の中にベネツィアのグラスがある。当時買い求めたものの一つはグリーンの取っ手がついた素敵なものだったが取っ手が折れてしまった。どうやって折れたものか記憶にないのだが、どうも都合の悪い記憶は遠くなるものらしい。ムラーノ島に渡り工房で手品のような吹きガラスの技を見せられた。中世のベネツィア共和国は、ガラス製造の技術が非常に貴重であったため、ムラーノ島にすべてのガラス工房を集中させた。ガラス職人たちは島から出ることを禁じられており、技術の流出を防ぐために厳重な管理が行われた。まるで鍋島の陶器みたいだ。職人たちは事実上、島に閉じ込められていたが、その技術を持つ者は高い地位を与えられ、家族にも特権が与えられたが技術を外部に持ち出そうとした者は厳しく処罰された。このため、ムラーノ島は「秘密の島」と...ヴェネツィアングラスの記憶

  • ティベリウスがカプリ島のヴィラ・ヨヴィスで遠隔統治を続けた理由

    ティベリウスはローマ帝国の2代皇帝だ。不思議なことにローマから遠く離れたカプリ島のヴィラ・ヨヴィスで統治を続けた。18年前にカプリ島を訪れて以来なぜそのような複雑な統治を行ったのかとの疑問が居座り続けた。現代的な視点から推測してみると面白い。ティベリウスがローマから遠く離れたカプリ島のヴィラ・ヨヴィスで統治を続けた理由は、いくつかの背景や要因が推測される。ティベリウスはローマ皇帝として権力を握っていたが、彼の治世には多くの政治的陰謀や暗殺の企てがあった。彼がローマを離れてカプリ島に移った一因は、こうした不安定な政治環境から自分を守るためであった可能性がありカプリ島は海に囲まれた孤立した場所であり、外敵や反乱者からの攻撃を防ぐには理想的だったとの解説を見ることが多い。またローマを離れることは、ある意味でティ...ティベリウスがカプリ島のヴィラ・ヨヴィスで遠隔統治を続けた理由

  • 日本では大理石の見事な建築物がないのはなぜだろう、異常な暑さが続く昨今、答えはすぐにわかった

    イタリアで何が印象に残っているか。なんといっても大理石の見事な建築物が磁力のようにわたしを惹きつける。しかし東南アジアや日本では石の文化はお城の城壁にはあれど、天守閣に至るまでは木造だ。なぜだろうとイタリア紀行をまとめるにあたって考えてみた。 昨今の暑さからすぐに答えはわかった。木造の家は、呼吸するように湿気を調整するので湿気を排する。これだけは日本やアジア特有であり、石の家では夏の湿気と暑さに耐えられない。バリでかつてエアーコンディションのない時代に石の家に住むなんて狂気の沙汰であり、竹や木造以外に考えられなかったに違いない。和辻哲郎の著書「風土」で半世紀も前に読んだ記憶が微かにある。和辻哲郎は「風土」で、日本の高温多湿について「高熱という温度の高さに対しては耐えることはできるけれども、湿度に対しては耐...日本では大理石の見事な建築物がないのはなぜだろう、異常な暑さが続く昨今、答えはすぐにわかった

  • シェイクスピアはヴェローナとギブアンドテイクの関係だとようやく納得

    ロメオとジュリエットのジュリエット邸の門に集まる観光客。右上のジュリエットの家のバルコニーはご丁寧にシェークスピアの悲劇の舞台とは関係がないとの注釈があった。18年前にイタリアのヴェローナを訪れ、ロメオとジュリエットのジュリエット邸がなぜイタリアのヴェローナにあるのかがわからずにそのまま年月が経った。ヴェローナの中心部にある「ジュリエットの家」は、13世紀から14世紀にかけて建てられた中世の邸宅で、この家にはバルコニーがあり、ジュリエットがロミオに愛を語る有名なシーンを連想させるため、多くの観光客が訪れ今ではヴェローナの重要な観光収入資源となっている。シェークスピアはヴェローナからインスパイアされヴェローナから恩恵を受けている。その恩返しにヴェローナに観光資源をお返ししたと考えるとギブアンドテイクの歴史的...シェイクスピアはヴェローナとギブアンドテイクの関係だとようやく納得

  • サヴォナローラ、ルター、「薔薇の名前」のパスカビルで学ぶ「急ぎすぎる」ことの危険性

    18年前のイタリア紀行をまとめていると心に残る思い出が蘇る。今回はサヴォナローラについて。エステンセ城の前にあるサヴォナローラ像(StatuadiSavonarola)。ジロラモ・サヴォナローラはフェラーラ生まれのドミニコ会修道士でフィレンツェで23歳にして神権政治を行った。しかし1498年4月8日サン・マルコ修道院に市民が押し寄せ、共和国もサヴォナローラを拘束する。彼は激しい拷問を受け火刑に処された。賛同する市民の熱狂に支えられ、持ち上げられて梯子を外されたとも見ることができる。(現代でもよく見ることができる熱狂的人間の悲劇の共通パターンとも見えてくる。ロシアでもあった。)サヴォナローラが火炙りに至るまでの経緯を眺めてみる。1494年にフランスのシャルル8世軍がナポリに進軍しフィレンツェにもせまってきた...サヴォナローラ、ルター、「薔薇の名前」のパスカビルで学ぶ「急ぎすぎる」ことの危険性

  • エステ家「ウーゴとパリジーナの悲劇」と光源氏と藤壺の差

    「ウーゴとパリジーナの悲劇」は、フェラーラのエステ家の歴史における非常に悲劇的な出来事であり、陰惨な結末を迎えた愛憎劇として知られている。この事件は、中世の政治と家庭内の複雑な関係を浮き彫りにし、当時の権力者たちがどのように家族内の問題に対処したかを示している。源氏物語での光源氏と藤壺の関係を思い浮かべる。ニッコロ3世はフェラーラの統治者であり、エステ家のマルケス(侯爵)として知られるニッコロ3世・デステはは数回結婚し、多くの子供をもうけた。ウーゴはニッコロ3世の庶出の息子であり、彼の継母であるパリジーナ・マラテスタと不倫関係に陥った。パリジーナはニッコロ3世の2番目の妻で、年齢も若く、当時21歳でウーゴは20歳であり、二人は年齢的にも近かったため親密な関係に発展した。二人の関係は1425年に発覚し、ニッ...エステ家「ウーゴとパリジーナの悲劇」と光源氏と藤壺の差

  • 2024/08/03

    このところヨーロッパやイギリスの大学それもとびっきり古い大学に何かと縁がある。18年前に訪れたイタリアの紀行をまとめている最中だがボローニャには11世紀ともいわれるボローニャ大学があって時折散歩コースとして訪れ往古のまま保存された図書館などに感銘を受けたことを思い出している。その場に佇むと歴史の時空を飛び越えてしまうような感に捉えられた。今現在高2の娘がオックスフォード大学サマースクールで10日ほどの雰囲気を味わっている。毎日追跡アプリで構内を観察しているが実に広大で歴史的建築に囲まれているのが推しはかれる。このオックスフォード大学もケンブリッジも12世紀ごろに設立というから実に気が遠くなる歴史を背負っている。鎌倉室町に設立されたという感じだが想像を絶する。古いから良いわけでは無いが10世紀などの歴史性と...2024/08/03

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