2024年11月の明日できること今日はせず 新着記事 - にほんブログ村
chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 感謝と鬱憤晴らし

    一休宗純を軸に制作してみよう、と考えていたが、昨日ブログを書いていて、男ばかり制作してきた私からすると、一休は男の種々相を描くにはうってつけであり、その点からも良い。最後、具体的な誰でもなく、男の種々相を描くのに羅漢像を作り続けるのが良いのではないか、と考えていた。その際、4人だ6人だ五百羅漢だなどと目標は決めず。それはいうまでもなく一休和尚のせいで恐れ続けた途中挫折を避けるためである。しかし恐れの原因が明らかになった今、その原因で鬱憤を晴らすべきではないか。結果的にはおかげ今で制作している物が人生上の最突端である、とやって来られたのであるから、感謝しながら鬱憤も晴らすという、一筋縄ではいかない和尚には、そんな心持ちを抱えてアプローチして丁度良い気がする。感謝と鬱憤晴らし

  • 死にとうないと一休和尚

    冥土の旅を前に〝作り残し“に苦しむだろう。と長年ウンザリしてきた。それに対処するため変化を続け、これが出来ていなかった先週、昨日にさえ戻りたくないよう心がけてきた。結果的に一休和尚のおかげといって良い。そんな時〝死にとうない”と美女の膝枕を涙で濡らす和尚を作ろうと思った、というのが何だか可笑しい。一休の首を横にして眺めると、すでにそう見える。長い間男ばかり作ってきたが、一休という人物、シャレコウベ掲げて歩いて良し、女の膝枕を涙で濡らして良し、男の種々相を描くには最適な人物といえそうである。ただし食わせ者の和尚に乗っかって、陰中より水仙花の香り、などと調子に乗るのは禁物である。うかつに手を出すと巴投げを食いそうである。膝枕でなく手のひらだが。死にとうないと一休和尚

  • 一休 水仙花の香り

    中学入学後、授業中も江戸川乱歩と谷崎潤一郎を読み耽った。『鍵』の若い妻への嫉妬心を利用して回春を企てる老作家の心情など、中学生には理解すべくもなかったが『痴人の愛』のナオミが歳上だったのに、気が付いたら『瘋癲老人』の背中がすぐそこに見える年齢になってしまった。そう考えると『狂雲集』における一休の性への執着、喜寿から米寿にかけての盲目の美女との出来事が事実であれば見上げたものである。淫乱だ色狂いだと言い募ると、嫉妬しているようで癪に触るのでいわない。美女の膝枕で「死にとうない」と涙した一休。私が手掛けるに値する場面である。〝美人の陰に水仙花の香あり“爺ィ何をいっていやがる、という話だが、水仙花の香漂わせる表現力が私にあるかは不明だが、水仙花がどんな香りなのか機会あれば嗅いでおきたい。一休水仙花の香り

  • 一休をファインダー越しに眺め

    天皇の落胤としての出自、外に出された母親への想い。応仁の乱。ライバルとの確執、どこまで真に受けて良いのか晩年の盲目の森女との関係。時代が変わってとんちの一休さんに変じ、仕舞いにはアニメとなる。これほど様々な解釈をされ、これほど利用されまくった人物はいないだろう。先日の一休フォーラムは満員だった。小四で読んだ『一休禅師』おかげで生きるということは死に近づくことだ、と知らされたことを制作中の今に至って気が付いた。この破戒僧に騙されてはいけないと思いながら、このままでは済まされないという思いもある。結局今までやって来たようにやるしかないのだろう。一休をファインダー越しに眺め

  • 眉に唾して

    小学四年で読んだ『一休禅師』の一休和尚のイメージそのままの雲水姿の一休に取りかかる。背景も撮影した。まさかこの爺さんの〝門松は〜“が、あれもこれも作りたかったのに、と悔やみながら死ぬに決まっている。と私を何十年もウンザリさせ続けて来たとは思わなかった。雲水姿の一休を作っていて突然気が付いた。『狂雲集』での、あからさまな一休にも及ばない訳には行かない、来年一月には冠動脈に何やら突っ込まれる目に会うというのに遠慮などしていられるいるか、と思う反面、書いてることを鵜呑みにして爺いに一杯食わされるのではないか?一筋縄ではいかない。眉に唾して

  • 三島由紀夫命日

    三島作品に登場する死の場面を本人にやってもらう。これは三島にウケるだろう。これ以外、三島に関しては何一つやりたいことはなかった。2020年の『三島由紀夫へのオマージュ椿説男の死』(ふげん社)で初めてやり尽くし感を味わった。江戸川乱歩と共に中学時代授業中も読んだ谷崎潤一郎をやりたくはあったが、椿説男の死ほどの歯応えがあるとは思えなかった。長らく続けた作家シリーズだが、三島でやり尽くし感を感じていなかったら、未だ作家を作っていた可能性はある。薔薇十字社版『男の死』の出版の噂に怯えながらの10年2回に渡った。趣旨違えど一日でも早くと、結果出版5ヶ月前に開催出来た。薔薇十字社版は、自決直後の出版を楽しみにしていた三島があまりに哀れで未だに未見のままである。F104椿説弓張り月三島由紀夫命日

  • 筋書き書いてるのは和尚あんたなのか?

    一休が『狂雲集』に書いていることは解釈が色々あるし、風狂僧のいうことを鵜呑みにして良いものか。80近い老人が盲目の美女と、あんなことを。かといって一休禅師を描こうという時に、避けて良いものか。といってどう発表するのか?一休の〝門松は〜目出度くもなし“このおかげで小学生の私は、生きれば生きるほど冥土に近づくことを教えられ、おかげで死の床であれを作れば良かった、これを作れば良かった、と後悔に苦しむに決まってる、と長年恐れ続ける原因となった。そう考えていたら来年冠動脈に何やら突っ込まれる羽目になっている。なのにグズグズいってられるか。それこそ後悔することになる。と思っていたら『ゲンセンカンの女』から電話。話すのは何年ぶりか?「今日は風邪気味で。ところで一休のことで今度相談があるんだけど。」筋書き書いてるのは和尚あんたなのか?

  • タダでは済まされず

    来週、風邪か治っていれば、一休宗純の背景を撮りに行くことにする。雲水姿の一休は、竹竿にシャレコウベと朱鞘の大太刀を持ち替えたり、あるいは何も持たず。この今後、一休作品の基本となるだろう。まさに小四で読んだ『一休禅師』のイメージである。この一休の〝門松は〜目出度くもあり目出度くもなし“が、実はあれもこれも作れば良かった、と死の床で後悔に苦しむことを恐れ続けた原因だったとは。小四で和尚に生きれば生きるほど冥土が近くなることを教えられてしまった訳である。しかしその対抗策に、一日も後戻りしたくないよう変化を続け、やって来た。結果的にこれで良かった。しかしそうと判ればこの一休和尚はただでは済まされない。今後大いに働いてもらわない訳には行かない。タダでは済まされず

  • 桂雀々さんご逝去

    97年、浅草にあった土蔵を改造したギャラリーで作家シリーズの初個展を行った。その時関西TV『痛快!エブリデイ』で書生みたいな扮装してレポートしていただいた。気球に乗る江戸川乱歩を「これは誰ですか?」と聞かれ「コロムビアトップです。」とボケそうになった記憶がある。永井荷風の人形を持って撮影風景を撮影したが、カメラが遠い二人だけの所でも気遣ってくれた。人形を国定忠治の刀のようにささげ持ち撮影することから〝名月赤城山撮法“と人知れず呼んでいたのを雀々さんに初めて話した。今ではスマホで誰でもやっている。ご本人、東京で知られていないと思い込んでいたようで、我が家での撮影で書棚に雀々さんが載ってる本を見つけて驚いていた。苦労人らしい気遣いの人だったが、後に著書『必死のパッチ』で苦労し過ぎ、と驚いた。随分経って独演会に...桂雀々さんご逝去

  • どうする蓮

    最近、どうも偏った話ばかりであるが、ひとえに一休和尚が原因である。制作中に初めて入院し、よくある手術ではあるものの心臓の手術をすることになり、思いの外平静でいられたのは、長年変化を続け、先週にさえ戻りたくないくらいを心掛けて来たおかげであり、なぜそうして来たかというと、一休の門松は〜のせいだった、という、なんとも奇縁としかいえないものを感じている。そして昔入手し、既読だったものの、まさか一休を作ることになるとも思わず処分してしまった『狂雲集』を再読している。小四の時に読んだ『一休禅師』に始まり、まさに締めとなるものであり、〝どうするどうする“との掛け声がやかましく聞こえてならないのである。どうする蓮

  • 生と死の振幅の大きい一日の思い出

    小四で知った一休の“門松は~目出度くはなし”の影響だったろう、年寄りが笑ったり買い物カゴぶら下げて歩いているのが、もうすぐ死んじゃうのに平気でいるのが奇妙に見えた。中一の時だった。母方の祖父が亡くなり、学校に連絡が来て帰宅した。数日前にもう長くないというので顔は見ていたが、祖父の家で祖父が寝かされていた。死体を見たのは幼い頃以来であった。割烹着姿の近所の方々が忙しそうにしており、私など邪魔なので別棟の叔母の家に行っていろ、と。明るい午後であったが、日本テレビ系で『性教育を考える』という番組でスエーデン制作の性教育番組が放映されることを私は知っていた。美術のデッサンのシーンで男女の裸体がボカシなく映され、何よりハイライトは出産シーンであった。つまり一日で人間の出産から骨になるまでを目撃することとなった。その...生と死の振幅の大きい一日の思い出

  • 一休単独で?

    死の床であれも出来なかったこれも出来なかった、と後悔に身を捩ることを長年恐れ続けて来た原因が、小4で読んだ大人向け『一休禅師』の〝門松は冥土の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし“だった、と気付いたのは2年前にシャレコウベを竹竿に掲げた一休を作った後のことである。そして対処法として、これを作っていなかった先週にさえ戻りたくない、くらい変化を続けることを心掛け、初めての入院でその効果を知ることとなった。それが一休を制作中であったことが、また出来過ぎな話しであった。自分の成すことが〝自分とは何か“という命題に取り組むことになるのであれば、次の次は、一休宗純の個展もありか、と早めに寝床にこもって。一休単独で?

  • 読書で一日

    7、8年ぶりの風邪ひき。こんな時は読書に限る。どうもパンツを履いていない感じでスースーするので粘土を注文した。そうとしかいえない気分である。米櫃の米見て安心する人あれば、金庫の金見て安心する人もいるだろう。先の制作予定は3体までと決めている。浮かんでしまうのは止められないが、何が起こるか判らない。作り残して苦しむ可能性を減らすための策である。まずは浄土宗の寺用の法然と大燈国師の頭部の制作を始めたい。もう一人、宗教家でない人物が浮かんでいたが、少々先走り過ぎ。代わりに一休宗純の坐禅姿を作ることにしたい。ついでに一休のもう一つ別バージョンも考えてはいる。読書で一日

  • 瞬間湯沸かし器

    人物を元に作品を作る場合、常に考えているのは見てみたい物である。仕事で依頼されない限り存命者を作らなかったのは、わざわざ私が造形せずとも、生きているなら実物を使えば良いと思うからである。一休和尚には、シャレコウベ枕に酔い潰れてもらった。そこまでやったなら、坐禅像も見たい。琵琶湖辺りのススキっ原の中に座らせて画になりそうである。琵琶湖湖畔にススキ原があるのかどうかは知らないけれど。そういえば蘭渓道隆と一遍上人の鎌倉の出会いも、異形の一遍上人が作れる、と立ち上がりそうになったが、事実でないと知りがっかり。こういうことになると瞬間湯沸かし器と変じるのであった。瞬間湯沸かし器

  • 風邪気味な日

    人はただ無闇に学べば良いというものではないだろう。博物館に行っても、作られた物が、時代とともにだんだん良くなって行くとは限らないのは、そこに問題がありそうである。独学我流者である私は、やりたいことが浮かばないならまだしも、常にあるし、他人にはそれはわからないから相談のしょうもない。余計なことを学ばず、自分を守ることに勤めた。一度入ったものは出ていかない。モチーフは変われど自分の中から湧いてくる物にずっと向かい続けて来た。それが結果、自分とは何か、ということに向き合うことになるなら結構なことである。そんな私なりの手段を持っているので、坐禅する人はをいくつ作っても、私はすることはないだろう。高僧の肖像画や彫刻は、大抵、椅子に座ってすましている。一休和尚の坐禅姿は近いうちに作ることになるだろう。風邪気味な日

  • 手近な人材に頼りすぎ

    昨日、十年ほど前に出した泉鏡花の『貝の穴に河童の居る事』(風濤社)で笛吹の芸人を演じてもらったMさんにお付き合いいただき、母のホームに顔を出した。母も何かとお世話になった。その後木場のサイゼリアで飲み、夜になりT屋ヘ行くが閉まっていた。T屋のカミさんには『貝の穴』で、Mさんの女房役をやってもらったし、長女には河童に尻を触られそうになる娘を。また店の屋上で、カミさんに頭から水をかけてもらいながら『潮騒』の初枝もやってもらった。本日、昨晩留守にしていたT屋の主人から電話をもらった。三女が検査入院した私を病院で見かけ、心配してくれていたらしい。その三女とカミさんには『牡丹燈篭』のお露とお米をやってもらった。三遊亭圓朝は木場の娘に起こった実際の事件を元に書いた。まさに木場のお露である。三女は今その病院に勤めている...手近な人材に頼りすぎ

  • 狂雲集に一休がそう書いてる

    作家シリーズで最初に浮かんだのは尻はしょりして屋根裏に潜んでいる江戸川乱歩であった。私と目が合い「キミ、よそでいっちゃ困るよ。」と乱歩はいった。先日『一休と女性たち』というフォーラムに参加したが、どこで発表するか、をともかくとすれば、一休と女性との、ある場面が浮かんではいる。〝そうしていながら“一休は、例の横目で私の方を見ている。坐禅一つしたことがない私のような人間からすると、一休宗純の存在というのは禅宗の懐の深さを体現している人物に見える。かつて三島由紀夫を糞尿運搬人の青年にした時は「だって『仮面の告白』で私が彼でありたいって三島が書いてるんだから。」三島が見たら「キミは随分ヒマなんだねえ」といいながらガハハハと笑いながら喜ぶに決まっている。鈴木邦男さんにもそういわれた。一休の場合も、「だって『狂雲集』...狂雲集に一休がそう書いてる

  • タイミングの調整

    いつ心筋梗塞を起こしてもおかしくない、という話だったので来週にでも手術かと思っていたが、一回目の手術は来年一月に決まった。一時間ぐらいかかるという。一休和尚を画になるタイミング?で完成させようと思っていたのだが、歩数を間違えたハードル選手の如し。次回の展示のスケジュールがなかなか決まらないのだが、神経痛の後遺症で一時は杖を使っていたが、ようやく脚に力が入るようになって来たので、一休の背景を近々撮影に行こう。『蘭渓道隆天童山坐禅図』良くこんなタイトルをつけるな、という作品は、背景を手の平に乗るサイズの石で創作し、今回唯一2メートル超のプリントを予定しているが、背景の滝だけは仮に本当の滝を使った。ここに至ってそれはないだろう。2年前に考えた作り方で滝をそろそろ作ってみよう。臨済宗もこの頃はまだ壁に向かって坐禅...タイミングの調整

  • 一休宗純

    今後、様々なシチュエーションで活躍してもらうために、一休和尚には白髪や髭を増やしたり剃ったり、竹竿に骸骨や、朱鞘の大刀を持ってもらうつもりでいる。まずは雲水姿の右の肩に、酒の入った瓢箪を乗せてみた。これは幼い頃TV時代劇で、八名信夫が無頼調に肩に乗せた瓢箪から、酒をゴクゴク飲んでいた記憶を採用した。検索すると東映フライヤーズの選手から東映の俳優に転じて間がない『紅孔雀』の〝五升酒の主水“という役であった。順番が逆になったが、竹竿にシャレコウベを掲げた一休が正月の京の街を“門松は冥土の旅の一里塚、目出度くもあり目出度くもなし、御用心“と嫌味なことして挙句にシャレコウベ枕に寝てしまったところは二年前に作った。一休宗純

  • 幻聴を引き起こす物質

    大燈国師はとびきり偉い人物だが、五条橋の乞食の中で20年という、一休宗純が尊敬した人物である。それを作ると考えただけで、幼い頃からお馴染みの快感物質が筑波山の蝦蟇の油の如くジワリジワリと滲み出すのを感じる。アル中になってしまった知り合いは、幻聴や幻覚に悩まされているが、三島由紀夫が著作中で描いた死の場面を本人に演じてもらうという、様々な理由で危ないと二つのギャラリーで断られた個展の一度目がようやく決まった時、喫茶店で、止めるべきだ、と友情を持って説得されたことがあるが、その言葉が私の耳には妙なる音楽のように聴こえ、ウットリしたのをハッキリ覚えている。幼い頃から私を支配し母を悩ませた、あの物質の作用であるのは間違いない。鈴木邦男をぶっ飛ばせ!より2011年12月1日会場にて幻聴を引き起こす物質

  • 一休フォーラム(一休と女性たち)

    主催花園大学国際禅学研究所。白隠フォーラムに続き2回目の参加。会場の学士会館のホールは満員.さすが一休和尚である。この間の初入院時『狂雲集』を携えて行ったが、一休と女性、どこまで踏み込んで良いか、と思っていたところだったのでタイムリーなテーマである。盲目の美女は実在し、地獄太夫は架空の人物だと知った。今後一休を軸に進めたい。白隠禅師に対抗して、蘭渓道隆と同様に、国宝の頂相を元に、リアル版乞食大燈像も作ろう。私がやらなければ今後も誰もやらないだろう。今号の『タウン誌深川』にも書いたところだが、実在した特定の人物に様々な面相を持った人物像があるのが私の〝渡世上“どうしても我慢ができない。私なりの五条橋辺りを好物のマクワウリを持って立つリアル版乞食大燈像を作る。〝彼でありたい“と『仮面の告白』で書いた三島由紀夫...一休フォーラム(一休と女性たち)

  • 人の連なり

    作家シリーズの最初は江戸川乱歩、澁澤龍彦、谷崎潤一郎、村山槐多、永井荷風、泉鏡花、稲垣足穂だったが個展タイトルは『夜の夢こそまこと』でご存命だった乱歩のご長男の平井隆太郎先に許可もいただいた。最初の出版も『乱歩夜の夢こそまこと』(パロル舎廃版)だった。寒山拾得で個展をやった時は、もう実在の人はほぼ卒業する気でいたが、実在した人物を作るのは大変ではあるけれども、やはりその面白さに、すぐに戻ってしまった。そう思うと、作家シリーズの江戸川乱歩にあたるのが、一休宗純になるのではないか。そんな気がしつつ、一休和尚に人を紹介されるかように、次の人物が膨らみ続けているし、その人物からは、宗教家でない人をすでに紹介されてしまっている。人の連なり

  • 自分の都合

    世の写真家、写真マニアはレンズの描写だ何だと写真機材を取っ替え引っ替え忙しい。それは確固たる質感を有する既存の事物を被写体としているからである。その点私はというと、その質も自らが作っているので、何もそこまで描写せずとも。むしろ必要のない余計なことはしてくれるなよ。陰影を排除し、切り抜いて配するようになってからは、レンズの味なる物も邪魔になり、もっぱらカメラに着いて来た広角系ズームレンズ一本である。しかしこれは造形家として不器用で雑だから、と考えた手法ではない。なのにまるで私の性格、懐具合まで考慮したような手法に至っている。経験上頭を使わず考えるな感じろで行かないとこうはならない。※テーブルに味の素が置いてある食堂の暖簾。自分の都合

  • 博物館で学んだ事

    博物館に行くと、師匠から弟子、親から子へと教えが伝えられた割に〝だんだん良くなる法華の太鼓“とは必ずしも行かないのが判る。であれば独学我流でも構わない、と思った。そこへ持って来て、人間も草木同様の自然物、肝心なものはあらかじめ備わっている。他人の作品見て感心しているより、自分の中から何が生じるかが肝心だろう。一度入った物は出て行かないことも恐れ、出不精に拍車がかかり美術館なども行かなくなってしまった。おかげでチョッと教われば済むことに時間がかかったが、余計な情報から身を守ることにもなり、さらに考えるな感じろでやっていたら、とりあえずは、幼い頃、頭に浮かんだイメージはどこへ消えて行ってしまうのだろう、という問題に対処することだけはほぼ可能となった.それで良いはずである。博物館で学んだ事

  • 一休禅師と大燈国師の時代を超えた共演

    大燈国師が悟りを開いたにもかかわらず、さらに師の指示により乞食に混じって二十年修行をした五条橋は、今の五条大橋とは場所がいくらか違うが、往来も多く物乞いも多かったらしい。坐禅をしていたのは橋の上で、なので私が大燈国師を知る前に一休をイメージしたのは雨宿り図なので橋の下である。イメージが被ることはなさそうである。それはそれとして、一休の思いをくんで?大燈国師と時代はズレているがどうしても共演させたい。手前の橋の下に雲水姿の一休禅師。橋の上には乞食状の大燈国師。橋の上と下でさりげない共演が面白そうである。当然大燈国師は国宝の肖像より若く痩せているべきであろうが、橋の上の人物が大燈国師であると判ってこそ面白いので、いやに恰幅の良い乞食となる。手には大好物のマクワウリを持たせよう。例によって、一人で何を嬉しそうに...一休禅師と大燈国師の時代を超えた共演

  • 伝記、人物伝

    アマゾンより大燈国師の伝記が届く。何はともあれ、まずここから始めなくてはならない。小学校に入学し、図書室と出会って以来、一体何人の伝記、人物伝を読んで来ただろうか。引越しして大量の本を捨てた後悔もあり、制作もしない人物の伝記は読まない、入手しないことを誓った。残された時間を考えると、もう取り入れるより吐き出す方に注力すべきである。小学四年になる時、そんなに好きなら、と産休の代理教員としてお世話になった田中先生に内緒で頂いた『世界偉人伝』をずっと探している。何が良いといって一人一頁、挿絵がイラストレーターや人形作家が描いたような物ではなく、線描ではあったが、昔の絵が使われていることであった。いずれ嘘ばかり見させられるのだから子供には嘘を見せてはいけない。私は魔力的挿絵の『星の王子様』とディズニーの写真絵本以...伝記、人物伝

  • 背中を押してくれた三島由紀夫

    日々制作することが、自分とは何か、に直結するとしたら、こんな良いことはない。2011年に一回目の三島由紀夫へのオマージュ展を開いた。三島由紀夫が喜ぶとしたらこれしかないと考えたのが三島の著作中の死の場面を本人にやってもらうことだったが、その後入手した芸術新潮の三島特集で本人が様々な死に方を演じ篠山紀信に撮らせていたことを知った。趣旨は違えど、本家が出る前に発表しなければならない。しかし半分ぐらいしか届かなかった。それが2020年にふげん社で、再び手掛けられる事となり『椿説男の死』とした。それは三島没後40周年のことで、篠山版『男の死』が海外で出版される5ヶ月前だった。これは三島にウケることだけを考え取り組んだ、私への三島からの褒美だと本気で考えている.またこれ以上歯応えのあるモチーフは作家ではもうない。そ...背中を押してくれた三島由紀夫

  • 背景の事

    陰影を排除した手法の場合、日本画に見られるように、背景は無地でも不自然ではない。背景に余計な意味を持たせたくない場合はそうする。背景が必要な場合でも、中国の仙人が住まいそうな岩山など、手のひらサイズの石を使ったが、作るのが面倒な場合、というと身も蓋もないが、作るより実景を使った方が結果が良いと思われる場合は実景を使う。竹竿にシヤレコウべを掲げる一休和尚は、正月の京の街を、時に門の間からシャレコウベを突き入れたそうで、街中に立っているべきなので実景を撮影する予定である。昔のように人形を手持ちで撮り歩く必要がないのは何よりである。大燈国師用の五条大橋は、現存の物とは違うし、記録も絵画くらいにしか残っていない。芭蕉記念館に納めた芭蕉庵は木材で作ったが、元々不器用な私が一カットのために五条大橋など作らない。こちら...背景の事

  • 雨宿り図

    以前構想を書いたが、様々な人達が一緒に雨宿りしている英一蝶『雨宿り図屏風』をヒントに、一休と乞食や芸人などが、橋の下で雨宿りしている『一休和尚雨宿り図』を考えた。その直後、一休和尚つながりで、二十年五条大橋の辺りで乞食生活をした大燈国師を知った。雨宿り図は、たまたま軒下でなく、橋の下を考えていたのでイメージ設定が被ってしまう。『一休和尚雨宿り図』は様々な人物を橋なりに横に並べようと考えており、ロールペーパーを使って横に数メートルというのも良い。二人は時代的にズレているので、背景は同一、メンバーが違う、という二作品も可能であるし、いっそのこと、その中に一休禅師、大燈国師もいて、単に『雨宿り図』としても良い。中に布袋尊など紛れ込ませて、イメージ作品である、とするのも良いだろう。雨宿り図

  • ムシロを日に晒す

    やれることはやれる所までやっておくと、後悔がない、というのは初めての入院で証明された。作り残しに対する恐れの原因が、一休和尚の門松は〜目出度くもあり目出度くもなしで、なので無理すれば完成したはずの和尚の完成は退院後にしよう、という余裕もあった。最近加わった策は先の予定を立てず、中途に終わる可能性を低めることで、せいぜい3人までと考え3人はすでに決まった。一人は一休の尊敬する大燈国師。20年乞食生活をしてしたという、白隠禅師が『乞食大燈像』を残しているが、私は国宝の頂相を元に、もっとリアルな乞食大燈像を目指す。それに備えて人形用ムシロを風雨天日に晒すため、ベランダに放り出した。結局これでは足りないと番茶や紅茶で煮込むことになるだろうけれど。ムシロを日に晒す

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、Kimiaki ishizukaさんをフォローしませんか?

ハンドル名
Kimiaki ishizukaさん
ブログタイトル
明日できること今日はせず
フォロー
明日できること今日はせず

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用