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  • 一休をファインダー越しに眺め

    天皇の落胤としての出自、外に出された母親への想い。応仁の乱。ライバルとの確執、どこまで真に受けて良いのか晩年の盲目の森女との関係。時代が変わってとんちの一休さんに変じ、仕舞いにはアニメとなる。これほど様々な解釈をされ、これほど利用されまくった人物はいないだろう。先日の一休フォーラムは満員だった。小四で読んだ『一休禅師』おかげで生きるということは死に近づくことだ、と知らされたことを制作中の今に至って気が付いた。この破戒僧に騙されてはいけないと思いながら、このままでは済まされないという思いもある。結局今までやって来たようにやるしかないのだろう。一休をファインダー越しに眺め

  • 眉に唾して

    小学四年で読んだ『一休禅師』の一休和尚のイメージそのままの雲水姿の一休に取りかかる。背景も撮影した。まさかこの爺さんの〝門松は〜“が、あれもこれも作りたかったのに、と悔やみながら死ぬに決まっている。と私を何十年もウンザリさせ続けて来たとは思わなかった。雲水姿の一休を作っていて突然気が付いた。『狂雲集』での、あからさまな一休にも及ばない訳には行かない、来年一月には冠動脈に何やら突っ込まれる目に会うというのに遠慮などしていられるいるか、と思う反面、書いてることを鵜呑みにして爺いに一杯食わされるのではないか?一筋縄ではいかない。眉に唾して

  • 三島由紀夫命日

    三島作品に登場する死の場面を本人にやってもらう。これは三島にウケるだろう。これ以外、三島に関しては何一つやりたいことはなかった。2020年の『三島由紀夫へのオマージュ椿説男の死』(ふげん社)で初めてやり尽くし感を味わった。江戸川乱歩と共に中学時代授業中も読んだ谷崎潤一郎をやりたくはあったが、椿説男の死ほどの歯応えがあるとは思えなかった。長らく続けた作家シリーズだが、三島でやり尽くし感を感じていなかったら、未だ作家を作っていた可能性はある。薔薇十字社版『男の死』の出版の噂に怯えながらの10年2回に渡った。趣旨違えど一日でも早くと、結果出版5ヶ月前に開催出来た。薔薇十字社版は、自決直後の出版を楽しみにしていた三島があまりに哀れで未だに未見のままである。F104椿説弓張り月三島由紀夫命日

  • 筋書き書いてるのは和尚あんたなのか?

    一休が『狂雲集』に書いていることは解釈が色々あるし、風狂僧のいうことを鵜呑みにして良いものか。80近い老人が盲目の美女と、あんなことを。かといって一休禅師を描こうという時に、避けて良いものか。といってどう発表するのか?一休の〝門松は〜目出度くもなし“このおかげで小学生の私は、生きれば生きるほど冥土に近づくことを教えられ、おかげで死の床であれを作れば良かった、これを作れば良かった、と後悔に苦しむに決まってる、と長年恐れ続ける原因となった。そう考えていたら来年冠動脈に何やら突っ込まれる羽目になっている。なのにグズグズいってられるか。それこそ後悔することになる。と思っていたら『ゲンセンカンの女』から電話。話すのは何年ぶりか?「今日は風邪気味で。ところで一休のことで今度相談があるんだけど。」筋書き書いてるのは和尚あんたなのか?

  • タダでは済まされず

    来週、風邪か治っていれば、一休宗純の背景を撮りに行くことにする。雲水姿の一休は、竹竿にシャレコウベと朱鞘の大太刀を持ち替えたり、あるいは何も持たず。この今後、一休作品の基本となるだろう。まさに小四で読んだ『一休禅師』のイメージである。この一休の〝門松は〜目出度くもあり目出度くもなし“が、実はあれもこれも作れば良かった、と死の床で後悔に苦しむことを恐れ続けた原因だったとは。小四で和尚に生きれば生きるほど冥土が近くなることを教えられてしまった訳である。しかしその対抗策に、一日も後戻りしたくないよう変化を続け、やって来た。結果的にこれで良かった。しかしそうと判ればこの一休和尚はただでは済まされない。今後大いに働いてもらわない訳には行かない。タダでは済まされず

  • 桂雀々さんご逝去

    97年、浅草にあった土蔵を改造したギャラリーで作家シリーズの初個展を行った。その時関西TV『痛快!エブリデイ』で書生みたいな扮装してレポートしていただいた。気球に乗る江戸川乱歩を「これは誰ですか?」と聞かれ「コロムビアトップです。」とボケそうになった記憶がある。永井荷風の人形を持って撮影風景を撮影したが、カメラが遠い二人だけの所でも気遣ってくれた。人形を国定忠治の刀のようにささげ持ち撮影することから〝名月赤城山撮法“と人知れず呼んでいたのを雀々さんに初めて話した。今ではスマホで誰でもやっている。ご本人、東京で知られていないと思い込んでいたようで、我が家での撮影で書棚に雀々さんが載ってる本を見つけて驚いていた。苦労人らしい気遣いの人だったが、後に著書『必死のパッチ』で苦労し過ぎ、と驚いた。随分経って独演会に...桂雀々さんご逝去

  • どうする蓮

    最近、どうも偏った話ばかりであるが、ひとえに一休和尚が原因である。制作中に初めて入院し、よくある手術ではあるものの心臓の手術をすることになり、思いの外平静でいられたのは、長年変化を続け、先週にさえ戻りたくないくらいを心掛けて来たおかげであり、なぜそうして来たかというと、一休の門松は〜のせいだった、という、なんとも奇縁としかいえないものを感じている。そして昔入手し、既読だったものの、まさか一休を作ることになるとも思わず処分してしまった『狂雲集』を再読している。小四の時に読んだ『一休禅師』に始まり、まさに締めとなるものであり、〝どうするどうする“との掛け声がやかましく聞こえてならないのである。どうする蓮

  • 生と死の振幅の大きい一日の思い出

    小四で知った一休の“門松は~目出度くはなし”の影響だったろう、年寄りが笑ったり買い物カゴぶら下げて歩いているのが、もうすぐ死んじゃうのに平気でいるのが奇妙に見えた。中一の時だった。母方の祖父が亡くなり、学校に連絡が来て帰宅した。数日前にもう長くないというので顔は見ていたが、祖父の家で祖父が寝かされていた。死体を見たのは幼い頃以来であった。割烹着姿の近所の方々が忙しそうにしており、私など邪魔なので別棟の叔母の家に行っていろ、と。明るい午後であったが、日本テレビ系で『性教育を考える』という番組でスエーデン制作の性教育番組が放映されることを私は知っていた。美術のデッサンのシーンで男女の裸体がボカシなく映され、何よりハイライトは出産シーンであった。つまり一日で人間の出産から骨になるまでを目撃することとなった。その...生と死の振幅の大きい一日の思い出

  • 一休単独で?

    死の床であれも出来なかったこれも出来なかった、と後悔に身を捩ることを長年恐れ続けて来た原因が、小4で読んだ大人向け『一休禅師』の〝門松は冥土の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし“だった、と気付いたのは2年前にシャレコウベを竹竿に掲げた一休を作った後のことである。そして対処法として、これを作っていなかった先週にさえ戻りたくない、くらい変化を続けることを心掛け、初めての入院でその効果を知ることとなった。それが一休を制作中であったことが、また出来過ぎな話しであった。自分の成すことが〝自分とは何か“という命題に取り組むことになるのであれば、次の次は、一休宗純の個展もありか、と早めに寝床にこもって。一休単独で?

  • 読書で一日

    7、8年ぶりの風邪ひき。こんな時は読書に限る。どうもパンツを履いていない感じでスースーするので粘土を注文した。そうとしかいえない気分である。米櫃の米見て安心する人あれば、金庫の金見て安心する人もいるだろう。先の制作予定は3体までと決めている。浮かんでしまうのは止められないが、何が起こるか判らない。作り残して苦しむ可能性を減らすための策である。まずは浄土宗の寺用の法然と大燈国師の頭部の制作を始めたい。もう一人、宗教家でない人物が浮かんでいたが、少々先走り過ぎ。代わりに一休宗純の坐禅姿を作ることにしたい。ついでに一休のもう一つ別バージョンも考えてはいる。読書で一日

  • 瞬間湯沸かし器

    人物を元に作品を作る場合、常に考えているのは見てみたい物である。仕事で依頼されない限り存命者を作らなかったのは、わざわざ私が造形せずとも、生きているなら実物を使えば良いと思うからである。一休和尚には、シャレコウベ枕に酔い潰れてもらった。そこまでやったなら、坐禅像も見たい。琵琶湖辺りのススキっ原の中に座らせて画になりそうである。琵琶湖湖畔にススキ原があるのかどうかは知らないけれど。そういえば蘭渓道隆と一遍上人の鎌倉の出会いも、異形の一遍上人が作れる、と立ち上がりそうになったが、事実でないと知りがっかり。こういうことになると瞬間湯沸かし器と変じるのであった。瞬間湯沸かし器

  • 風邪気味な日

    人はただ無闇に学べば良いというものではないだろう。博物館に行っても、作られた物が、時代とともにだんだん良くなって行くとは限らないのは、そこに問題がありそうである。独学我流者である私は、やりたいことが浮かばないならまだしも、常にあるし、他人にはそれはわからないから相談のしょうもない。余計なことを学ばず、自分を守ることに勤めた。一度入ったものは出ていかない。モチーフは変われど自分の中から湧いてくる物にずっと向かい続けて来た。それが結果、自分とは何か、ということに向き合うことになるなら結構なことである。そんな私なりの手段を持っているので、坐禅する人はをいくつ作っても、私はすることはないだろう。高僧の肖像画や彫刻は、大抵、椅子に座ってすましている。一休和尚の坐禅姿は近いうちに作ることになるだろう。風邪気味な日

  • 手近な人材に頼りすぎ

    昨日、十年ほど前に出した泉鏡花の『貝の穴に河童の居る事』(風濤社)で笛吹の芸人を演じてもらったMさんにお付き合いいただき、母のホームに顔を出した。母も何かとお世話になった。その後木場のサイゼリアで飲み、夜になりT屋ヘ行くが閉まっていた。T屋のカミさんには『貝の穴』で、Mさんの女房役をやってもらったし、長女には河童に尻を触られそうになる娘を。また店の屋上で、カミさんに頭から水をかけてもらいながら『潮騒』の初枝もやってもらった。本日、昨晩留守にしていたT屋の主人から電話をもらった。三女が検査入院した私を病院で見かけ、心配してくれていたらしい。その三女とカミさんには『牡丹燈篭』のお露とお米をやってもらった。三遊亭圓朝は木場の娘に起こった実際の事件を元に書いた。まさに木場のお露である。三女は今その病院に勤めている...手近な人材に頼りすぎ

  • 狂雲集に一休がそう書いてる

    作家シリーズで最初に浮かんだのは尻はしょりして屋根裏に潜んでいる江戸川乱歩であった。私と目が合い「キミ、よそでいっちゃ困るよ。」と乱歩はいった。先日『一休と女性たち』というフォーラムに参加したが、どこで発表するか、をともかくとすれば、一休と女性との、ある場面が浮かんではいる。〝そうしていながら“一休は、例の横目で私の方を見ている。坐禅一つしたことがない私のような人間からすると、一休宗純の存在というのは禅宗の懐の深さを体現している人物に見える。かつて三島由紀夫を糞尿運搬人の青年にした時は「だって『仮面の告白』で私が彼でありたいって三島が書いてるんだから。」三島が見たら「キミは随分ヒマなんだねえ」といいながらガハハハと笑いながら喜ぶに決まっている。鈴木邦男さんにもそういわれた。一休の場合も、「だって『狂雲集』...狂雲集に一休がそう書いてる

  • タイミングの調整

    いつ心筋梗塞を起こしてもおかしくない、という話だったので来週にでも手術かと思っていたが、一回目の手術は来年一月に決まった。一時間ぐらいかかるという。一休和尚を画になるタイミング?で完成させようと思っていたのだが、歩数を間違えたハードル選手の如し。次回の展示のスケジュールがなかなか決まらないのだが、神経痛の後遺症で一時は杖を使っていたが、ようやく脚に力が入るようになって来たので、一休の背景を近々撮影に行こう。『蘭渓道隆天童山坐禅図』良くこんなタイトルをつけるな、という作品は、背景を手の平に乗るサイズの石で創作し、今回唯一2メートル超のプリントを予定しているが、背景の滝だけは仮に本当の滝を使った。ここに至ってそれはないだろう。2年前に考えた作り方で滝をそろそろ作ってみよう。臨済宗もこの頃はまだ壁に向かって坐禅...タイミングの調整

  • 一休宗純

    今後、様々なシチュエーションで活躍してもらうために、一休和尚には白髪や髭を増やしたり剃ったり、竹竿に骸骨や、朱鞘の大刀を持ってもらうつもりでいる。まずは雲水姿の右の肩に、酒の入った瓢箪を乗せてみた。これは幼い頃TV時代劇で、八名信夫が無頼調に肩に乗せた瓢箪から、酒をゴクゴク飲んでいた記憶を採用した。検索すると東映フライヤーズの選手から東映の俳優に転じて間がない『紅孔雀』の〝五升酒の主水“という役であった。順番が逆になったが、竹竿にシャレコウベを掲げた一休が正月の京の街を“門松は冥土の旅の一里塚、目出度くもあり目出度くもなし、御用心“と嫌味なことして挙句にシャレコウベ枕に寝てしまったところは二年前に作った。一休宗純

  • 幻聴を引き起こす物質

    大燈国師はとびきり偉い人物だが、五条橋の乞食の中で20年という、一休宗純が尊敬した人物である。それを作ると考えただけで、幼い頃からお馴染みの快感物質が筑波山の蝦蟇の油の如くジワリジワリと滲み出すのを感じる。アル中になってしまった知り合いは、幻聴や幻覚に悩まされているが、三島由紀夫が著作中で描いた死の場面を本人に演じてもらうという、様々な理由で危ないと二つのギャラリーで断られた個展の一度目がようやく決まった時、喫茶店で、止めるべきだ、と友情を持って説得されたことがあるが、その言葉が私の耳には妙なる音楽のように聴こえ、ウットリしたのをハッキリ覚えている。幼い頃から私を支配し母を悩ませた、あの物質の作用であるのは間違いない。鈴木邦男をぶっ飛ばせ!より2011年12月1日会場にて幻聴を引き起こす物質

  • 一休フォーラム(一休と女性たち)

    主催花園大学国際禅学研究所。白隠フォーラムに続き2回目の参加。会場の学士会館のホールは満員.さすが一休和尚である。この間の初入院時『狂雲集』を携えて行ったが、一休と女性、どこまで踏み込んで良いか、と思っていたところだったのでタイムリーなテーマである。盲目の美女は実在し、地獄太夫は架空の人物だと知った。今後一休を軸に進めたい。白隠禅師に対抗して、蘭渓道隆と同様に、国宝の頂相を元に、リアル版乞食大燈像も作ろう。私がやらなければ今後も誰もやらないだろう。今号の『タウン誌深川』にも書いたところだが、実在した特定の人物に様々な面相を持った人物像があるのが私の〝渡世上“どうしても我慢ができない。私なりの五条橋辺りを好物のマクワウリを持って立つリアル版乞食大燈像を作る。〝彼でありたい“と『仮面の告白』で書いた三島由紀夫...一休フォーラム(一休と女性たち)

  • 人の連なり

    作家シリーズの最初は江戸川乱歩、澁澤龍彦、谷崎潤一郎、村山槐多、永井荷風、泉鏡花、稲垣足穂だったが個展タイトルは『夜の夢こそまこと』でご存命だった乱歩のご長男の平井隆太郎先に許可もいただいた。最初の出版も『乱歩夜の夢こそまこと』(パロル舎廃版)だった。寒山拾得で個展をやった時は、もう実在の人はほぼ卒業する気でいたが、実在した人物を作るのは大変ではあるけれども、やはりその面白さに、すぐに戻ってしまった。そう思うと、作家シリーズの江戸川乱歩にあたるのが、一休宗純になるのではないか。そんな気がしつつ、一休和尚に人を紹介されるかように、次の人物が膨らみ続けているし、その人物からは、宗教家でない人をすでに紹介されてしまっている。人の連なり

  • 自分の都合

    世の写真家、写真マニアはレンズの描写だ何だと写真機材を取っ替え引っ替え忙しい。それは確固たる質感を有する既存の事物を被写体としているからである。その点私はというと、その質も自らが作っているので、何もそこまで描写せずとも。むしろ必要のない余計なことはしてくれるなよ。陰影を排除し、切り抜いて配するようになってからは、レンズの味なる物も邪魔になり、もっぱらカメラに着いて来た広角系ズームレンズ一本である。しかしこれは造形家として不器用で雑だから、と考えた手法ではない。なのにまるで私の性格、懐具合まで考慮したような手法に至っている。経験上頭を使わず考えるな感じろで行かないとこうはならない。※テーブルに味の素が置いてある食堂の暖簾。自分の都合

  • 博物館で学んだ事

    博物館に行くと、師匠から弟子、親から子へと教えが伝えられた割に〝だんだん良くなる法華の太鼓“とは必ずしも行かないのが判る。であれば独学我流でも構わない、と思った。そこへ持って来て、人間も草木同様の自然物、肝心なものはあらかじめ備わっている。他人の作品見て感心しているより、自分の中から何が生じるかが肝心だろう。一度入った物は出て行かないことも恐れ、出不精に拍車がかかり美術館なども行かなくなってしまった。おかげでチョッと教われば済むことに時間がかかったが、余計な情報から身を守ることにもなり、さらに考えるな感じろでやっていたら、とりあえずは、幼い頃、頭に浮かんだイメージはどこへ消えて行ってしまうのだろう、という問題に対処することだけはほぼ可能となった.それで良いはずである。博物館で学んだ事

  • 一休禅師と大燈国師の時代を超えた共演

    大燈国師が悟りを開いたにもかかわらず、さらに師の指示により乞食に混じって二十年修行をした五条橋は、今の五条大橋とは場所がいくらか違うが、往来も多く物乞いも多かったらしい。坐禅をしていたのは橋の上で、なので私が大燈国師を知る前に一休をイメージしたのは雨宿り図なので橋の下である。イメージが被ることはなさそうである。それはそれとして、一休の思いをくんで?大燈国師と時代はズレているがどうしても共演させたい。手前の橋の下に雲水姿の一休禅師。橋の上には乞食状の大燈国師。橋の上と下でさりげない共演が面白そうである。当然大燈国師は国宝の肖像より若く痩せているべきであろうが、橋の上の人物が大燈国師であると判ってこそ面白いので、いやに恰幅の良い乞食となる。手には大好物のマクワウリを持たせよう。例によって、一人で何を嬉しそうに...一休禅師と大燈国師の時代を超えた共演

  • 伝記、人物伝

    アマゾンより大燈国師の伝記が届く。何はともあれ、まずここから始めなくてはならない。小学校に入学し、図書室と出会って以来、一体何人の伝記、人物伝を読んで来ただろうか。引越しして大量の本を捨てた後悔もあり、制作もしない人物の伝記は読まない、入手しないことを誓った。残された時間を考えると、もう取り入れるより吐き出す方に注力すべきである。小学四年になる時、そんなに好きなら、と産休の代理教員としてお世話になった田中先生に内緒で頂いた『世界偉人伝』をずっと探している。何が良いといって一人一頁、挿絵がイラストレーターや人形作家が描いたような物ではなく、線描ではあったが、昔の絵が使われていることであった。いずれ嘘ばかり見させられるのだから子供には嘘を見せてはいけない。私は魔力的挿絵の『星の王子様』とディズニーの写真絵本以...伝記、人物伝

  • 背中を押してくれた三島由紀夫

    日々制作することが、自分とは何か、に直結するとしたら、こんな良いことはない。2011年に一回目の三島由紀夫へのオマージュ展を開いた。三島由紀夫が喜ぶとしたらこれしかないと考えたのが三島の著作中の死の場面を本人にやってもらうことだったが、その後入手した芸術新潮の三島特集で本人が様々な死に方を演じ篠山紀信に撮らせていたことを知った。趣旨は違えど、本家が出る前に発表しなければならない。しかし半分ぐらいしか届かなかった。それが2020年にふげん社で、再び手掛けられる事となり『椿説男の死』とした。それは三島没後40周年のことで、篠山版『男の死』が海外で出版される5ヶ月前だった。これは三島にウケることだけを考え取り組んだ、私への三島からの褒美だと本気で考えている.またこれ以上歯応えのあるモチーフは作家ではもうない。そ...背中を押してくれた三島由紀夫

  • 背景の事

    陰影を排除した手法の場合、日本画に見られるように、背景は無地でも不自然ではない。背景に余計な意味を持たせたくない場合はそうする。背景が必要な場合でも、中国の仙人が住まいそうな岩山など、手のひらサイズの石を使ったが、作るのが面倒な場合、というと身も蓋もないが、作るより実景を使った方が結果が良いと思われる場合は実景を使う。竹竿にシヤレコウべを掲げる一休和尚は、正月の京の街を、時に門の間からシャレコウベを突き入れたそうで、街中に立っているべきなので実景を撮影する予定である。昔のように人形を手持ちで撮り歩く必要がないのは何よりである。大燈国師用の五条大橋は、現存の物とは違うし、記録も絵画くらいにしか残っていない。芭蕉記念館に納めた芭蕉庵は木材で作ったが、元々不器用な私が一カットのために五条大橋など作らない。こちら...背景の事

  • 雨宿り図

    以前構想を書いたが、様々な人達が一緒に雨宿りしている英一蝶『雨宿り図屏風』をヒントに、一休と乞食や芸人などが、橋の下で雨宿りしている『一休和尚雨宿り図』を考えた。その直後、一休和尚つながりで、二十年五条大橋の辺りで乞食生活をした大燈国師を知った。雨宿り図は、たまたま軒下でなく、橋の下を考えていたのでイメージ設定が被ってしまう。『一休和尚雨宿り図』は様々な人物を橋なりに横に並べようと考えており、ロールペーパーを使って横に数メートルというのも良い。二人は時代的にズレているので、背景は同一、メンバーが違う、という二作品も可能であるし、いっそのこと、その中に一休禅師、大燈国師もいて、単に『雨宿り図』としても良い。中に布袋尊など紛れ込ませて、イメージ作品である、とするのも良いだろう。雨宿り図

  • ムシロを日に晒す

    やれることはやれる所までやっておくと、後悔がない、というのは初めての入院で証明された。作り残しに対する恐れの原因が、一休和尚の門松は〜目出度くもあり目出度くもなしで、なので無理すれば完成したはずの和尚の完成は退院後にしよう、という余裕もあった。最近加わった策は先の予定を立てず、中途に終わる可能性を低めることで、せいぜい3人までと考え3人はすでに決まった。一人は一休の尊敬する大燈国師。20年乞食生活をしてしたという、白隠禅師が『乞食大燈像』を残しているが、私は国宝の頂相を元に、もっとリアルな乞食大燈像を目指す。それに備えて人形用ムシロを風雨天日に晒すため、ベランダに放り出した。結局これでは足りないと番茶や紅茶で煮込むことになるだろうけれど。ムシロを日に晒す

  • 幼馴染

    久しぶりに地元の幼稚園からの友人と話した。私は中身が昔から変わらない。これが久しぶりに会う友人を戸惑わせることを知っているので気を付けているが、彼は独身で美容室を経営するせいか、相変わらずの調子で話せる。彼の家に遊びに行った時、弟を抱えたお母さんがお宮参りに出かける所に出くわしたのを覚えているが、その弟が還暦だというし、お母さんも今年亡くなったそうである。脊椎狭窄症を患って彼は来年店をたたむという。美容学校時代、パーマの練習台にさせられ酷い目にあったことを思い出した。店名は私の命名である。技術に自信はあっても、センスが時代に付いていけないという。そう考えると私の場合は、見る人にどう見えるかはともかく、新作が未だ人生上の最突端だ、と思えるのは座頭市のセリフとは真反対に〝良い渡世だなぁ“と思うのだが、目が慣れ...幼馴染

  • 奇妙な現象

    昔からお馴染みの奇妙な現象である。部屋を片付けよう、と頭の隅に、ちょっとよぎっただけで、創作意欲が溢れ出し、作り始めずにいられなくなる。これは生まれついてのもので、鼻が低いとか足が短いと同様、私にはまったく責任はない。粘土を切らしたタイミングで部屋の片付け。よって粘土購入を我慢し注文せず。来月は浄土宗の寺のために法然と、臨済宗の大燈国師の頭部を同時に作り始めようと考えている。2人ともふっくらした人物である。目が慣れるのを防ぐためにも複数の人物を並行して作った方が良い。となればもう一人、流れから作ろうと思ったばかりの僧侶ではない人物も考えたい。風に吹かれて思わぬ方向に行きがちだが、それもまた良し。考えるな感じろである。奇妙な現象

  • 私とは何ものか?

    先日の初入院、オペ室に向かうエレベーター内で看護師に「検査ですか手術ですか?」と訊ねるくらい呑気であった.死の床で、あれを作れば良かった、これも作れば、と苦しむことを長年恐れていた。その策として日頃変化を続け、先週にさえ戻りたくない、となるよう心掛けて来た。その恐れの原因が、小四で読んだ大人向け『一休禅師』の〝門松は冥土の旅の一里塚〜”であったことにも最近気が付いた。その時イメージした雲水姿の一休が完成直前で、これで何かあったらあまりに話が出来過ぎている。と完成させずに入院した。2年前の40周年記念『Don’tThink,Feel!寒山拾得展』(ふげん社)以降〝私とは何ものであるか“という命題に急速に向かっている実感がある。入院はあと2回を要する。私とは何ものか?

  • 反省点も己の内側から

    いずれ作ることになるであろう大燈国師は「衣類や食物のために修行するな、理屈ではない。ひたすらに打ち込め。伽藍や経本、熱心な読経や長時間の坐禅、質素な食事などに禅があるのではない。野外でたった一人、ボロ小屋で野菜の根を煮て一日を過ごしたとしても、自分とは何かを明らかにする者こそが私の弟子である。」そう思うと、需要などお構いなしに、ボロ小屋で野菜の根を煮るように、やっては来た。独学我流でやっているうちに、人間も草木同様自然物、肝心な物は備わっている。考えるな感じろで行くことに決めていた。禅の修行は外から教えてもだめで、その人の内側から目覚めてこなければ本当の力にはならないという。禅の修行も坐禅もする気はないけれど。初めての入院を期に、ギアを一段上げることは決めていた。反省すべきことさえも禅の修行同様、外から教...反省点も己の内側から

  • 乞食大燈像

    坐禅もしたことない私だが、大燈国師に対し、日々興味がつのっている。白隠禅師が『乞食大燈像』を描いているが、臨済宗中興の祖に対し失礼だが、文人画的な絵画作品は私の好みではない。禅画の味わいというのは判るのだが、ホントのことをウソのように描きたい私としては、まずは何を置いても、実像にこわりたい。となると、蘭渓道隆の時と同様、国宝の頂相を立体化して、リアル版乞食大燈像こそ私の出番だろう。ちょっと汚な過ぎではないか?との意見が出たなら、その時は、白隠禅師の作を示し、だって中興の祖がこう描いているのだから、といっておこう。乞食大燈像

  • 退院後を想定したプラン

    小四で読んだ大人向け『一休禅師』は朧げながら風采がやたらが汚いというイメージが残っている。一休が尊敬する人物に大徳寺の開山、大燈国師がいる。五条大橋の辺りで乞食の中で20年暮らした人物で、一休は中身は偉大だったり高貴なのに、敢えてそんな境遇の中で生きるような人物が好きである。あの汚さは憧れの国師に準じたのではないか。横目の肖像画の謎も、先日書いたようにおそらく大燈国師の横目の頂相をミーハー的に真似したと思しい。そんなことを考えていたら、ラインが見えて来て、もう一人作るべき、僧侶ではない人物が浮かんだ。何んでも後回しにグズグスしているのに、こんな決断だけ瞬時に決まる。こうして枝葉を伸ばし、気が付くと予定と違う知らない街角に一人立っている、という私の人生上、お馴染みのことになりそうである。初の入院経験をきっか...退院後を想定したプラン

  • 一休と同じ見解

    『一休「狂雲集」の世界(柳田聖山人文書院)に達磨大師が少林寺の巌窟で、面壁坐禅をしていると、雪積もる中、後に第二祖となる慧可が弟子入りを志願する。しかし達磨大師は相手にしない。そこで慧可は、自分の左腕を肘から切断し、決意のほどを示す。この話は普通は慧可の側から見るのだが、一休の受け取り方は違い、雪の中に一晩中立ち尽くす弟子の求道心の厳しさ、その清潔さよりも、寒い岩壁に座り込んで、慧可が来ても振り向きもしない、この男はなんという冷血漢だろうといっている。に笑った。私も雪舟の『慧可断臂図』を見て、同じことを思い、達磨大師を振り向かせたからである。さらに慧可は、その場で己の腕を切り落とす決意の割に泣き出しそうな顔をしているのも納得がいかなかった。一休は一方で開祖達磨大師に尊敬の念を表している。一休と同じ見解

  • 一皮剥けることなく退院

    初の入院は検査のつもりだったが、事に向かうエレベーター内で付き添いの看護師に「検査ですか手術ですか?」「まぁ手術です。」経験者から痛くないことは聞いていた。痛くなければどうということはない。とはいうものの、台に固定されながら、映画『フランケンシュタイン』の雷鳴轟くシーンが浮かぶ。助手が最低のボンクラであった。手首からパイプ掃除のワイヤーが繰り出されるような気配。2度ほど胸苦しい感じがあった。帰りはストレッチャーに乗せられながら天井眺め『ベン・ケーシーのオープニングだ!』一休の『狂雲集』を読んで、一皮剥けた顔で退院の予定は、そう簡単に剥けなかった。明日は燃えるゴミの日である。一皮剥けることなく退院

  • ホントのことをウソのように描く

    実景とフィクションを織りまぜてうたうのが一休禅師の詩の特色だそうである。私が初めてギャラリーで写真を発表した時、人間の実写と勘違いした編集者がいた。そこからまことを写すと称する写真に対して、長い時間をかけて抗い続けることになった。紛らわしい物を作っていると思われているかもしれないがウソをホントのように試みたのは、洒落でやってみた古今亭志ん生一度キリである。やってみた本人にも人間の実写に見えるが、そんなことは大したことではない。陰影を排除するようになりハッキリ判ったのは、私の目指すところは〝ホントのことをウソのように描く‘’ことである。そう考えるとAIなど実に野暮なものである。ホントのことをウソのように描く

  • 一休にひと休みの意味はない

    人生初の入院。最初に身長が縮んでいてショック。一人の爺さんが部屋を変えて、大部屋に私一人。検査入院のつもりでいたが、診療計画書を見たら『労作性心筋症』。治療になっている。症状の脚の浮腫は看護師が二人見に来た。間違いなく、パソコンの前に椅子座って作業を始めた翌日からなのだが。検索して出てくる胸の痛みなどの症状はまったくなかった。症状が出なかったから進んでしまったのか、早く見つかり良かったのか、はなんともいえない。一休宗純の、女性に対する独特な思慕や中身は立派なのにあえて過酷な境遇に身を置くボロボロな人物好き、などについて考える。消灯時間も迫り本日は早めにお開き。一休にひと休みの意味はない

  • 一休

    一休宗純、あと塗り直しのところで止める。完成させて入院『狂雲集』を読み一皮剥けた顔して退院、というプランを立てていたが、完成させておくと、妙な覚悟をしてるようなので、退院してから完成させることにした。背景の撮影場所も決めてある。一休完成で、展示予定の作品は終わる。その後、浄土宗の寺のために法然の制作に入る。しかし、臨済宗の頂相のような解像力?のある肖像は残されていない。もっとも古い、全ての肖像画の元になった肖像を私も参考にすることになる。極楽など私はまったく興味がない。画像まで制作する予定はない。一休

  • 肖像

    尊敬すべき人物の、大事な頂相が何種類もあり、顔がまちまち、立体像にしても同様。何百年間もそうしてきたのだろうけれど。信じることこそ大事なのだ、ということなのか、真実は人の数だけあるというし。しかし、師の面影、姿形を教えそのものである、という意志のもと、克明に制作した絵師、画僧の想いは?と思うのである。そこに打たれて、禅宗の頂相が人像表現の究極、と考えるようになった。鎌倉の円覚寺の開山無学祖元は木像を一目見るなり、その説得力に、これが無学祖元だ、と他の頂相の類を一切見ることなく参考に制作した。つまりあくまで私の主観でしかないのだが、私としても40数年作って来た渡世上の決め事というものがある。私としては、あくまでそれに準じるしかない。肖像

  • 全て自分自身に

    92、3年頃、初めて写真作品を発表するために、自分の作った人物像を撮影していた。それは盲目のブルースマン、ブラインド・レモン・ジェファーソンだった。外光が三角形を描き面白い。念の為、人形三脚全てそのままにして、翌日同じ頃に、同じ自然光の入り具合で撮ろうとファインダーを覗いたが、何も変わっていないはずなのに何かが違う。初心者の私は理由が判らず首を傾げた。そして、あれから食事もしたし酒も飲み、テレビも観たし風呂にも入り就寝もした。つまり昨日と変わったのは私自身だ、と気が付いた。シャッターチャンスも外側になく自分の中にある。写真を始めた最初の段階で、すでに何かが芽吹いていた。そうこうして作家シリーズに転向した頃には、外側にレンズを向けず、眉間に当てる念写が理想、と何十年もいい続けることになった。しかしそこまでい...全て自分自身に

  • 一日

    母のいるホームは病院を併設している。先日ワクチン接種の予約のメールが着ていた。それまでは自動的に打つことになっていた、しかし打っても何回か陽性になった。無症状ではあったが。ところが理由は判らないが、そこの病院はワクチンを扱わないことになったので、打つ人は他の機関で、なんてメールが着た。シャレコウベを竹竿の先に掲げる一休、京の街をご用心ご用心と歩き回り、門の間から突っ込んだりしたらしい。正月に迷惑な話である。背景の撮影場所を決めた。今後作家シリーズでの江戸川乱歩のような立ち位置になりそうである。しばらく一休和尚を軸に制作を進めることになるだろう。一日

  • 今夜はスーパームーンだそうだが、まるで興味がない。夜道を歩いていて今夜は皆既月食だったな、と思いながらも見上げないくらいである。なのに夜空を描く時は、隙間があると、つい満月を掲げたくなる。訳の判らない空間に地球が浮かんでいるなんて考えたくない。昔は死ぬことと宇宙の果てについて考えないようにしていたが、死については、無邪気に作りたい物を作っていると、もっと怖い〝作りそびれ“があるので、それを避けるために寿命のことを意識する年頃になって来たので普通に馴染みのテーマとなった。夜空は相変わらず見上げない。例外といえば室内から、窓越しに見る月は安心である。月

  • 私の描いた絵図

    死の床で、あれやこれを作れば良かった、と身をよじり苦しむことを若い頃から恐れていたので、先の制作のことは、せいぜい3作程度にして、それ以上のことは考えず、途中挫折の可能性を低くする策を講じることにしたが、浮かんでしまうものは仕方がない。腹が減りゃ食いたいものが浮かぶのと同じで防ぎようがない。私の描いた絵図。雲水姿の一休和尚を完成させ入院。入院中一休の『狂雲集』を読む。一皮むけた顔して退院。次の段階の制作へ。奮闘努力の末、ここに至ったのはあの時入院したおかげである。と遠くを見る目をし、己の不摂生をノーカウント化。私の描いた絵図

  • まるで幽霊ではありませんか?

    小学校入学以来、始業のチャイムを無視して図書室を一時出禁になってまで人物伝の類に夢中になり、その挙句に人物を40数年作って来たけれど、常に対象は他人だったから気が付かなかったが、結局は“自分とは何か?”が知りたかったんだ、と思うに至った。それもこれも今のモチーフを手掛けるようになり、先日大燈国師の言葉を知っての話である。死にそうになってガリガリになって退院して来た亡父が、スポーツ新聞を手に水戸黄門を観ていた時の違和感、ショックは、自分とは何か?などどうでも良さそうで、某漫画ではないけれど、それではまるで幽霊ではありませんか?という恐怖に近かった気がする。まるで幽霊ではありませんか?

  • 狂雲集の事

    映画などは、いつどこで、また誰と観たかによって印象が変わる場合があるだろう。私が初めて女性と映画館で観た映画は当時ライオンの食事風景が話題となった『グレートハンティング』(75)であった。初めての入院で何を読むべきか。一休宗純の『狂雲集』は引越しの際、一休和尚を作ることになるとは夢にも思わず処分してしまった。はらわたの奥まで好色で詰まっている、と本人がいってる一休の一面に触れるべきかグズっていたので、この際にと、別訳版を注文した。〝お経を読んでいさえすれば、坊主なんてものは一生食いっぱぐれない。適当に恥をかき、無知を承知でいれば大金は入る。そこへもってきて男色に遊び、ついでに尼さんをものにしていれば、陽春(堺の陽春寺)の一室でほとばしる「白雪」だっていつもピュッピュと飛ばせて気持ちいいことかぎりない”『狂...狂雲集の事

  • ナイスチョイスか否か?狂雲集

    一休和尚に草鞋を履かせる。小四で知った一休の〝門松は〜目出度くもあり目出度くもなし”が思いの外、死生観に影響を受けていたことに最近気付いた。自分のやることが〝自分とは何か“ということに繋がるのは結構なことである。ところで、先日の造影剤のCT検査の結果、来週、生まれて初めて入院することになった。私が二十代でもっとも熱中したジャズマンはチャーリー・パーカーである。今だにこの世の音ではない、と考えているが、当初、セッションに参加しても、ドラマーにシンバルを投げられたりしていたパーカーだが、レスター・ヤングのレコードを携え山にこもり、降りて来たら演奏が一変していたという。十字路で悪魔と契約したブルースマンの話を彷彿とさせる。私はというと、一休宗純『狂雲集』を携え入院しようと考えている。ナイスチョイスか否か?狂雲集

  • 私なりの人物像

    それにしても、たとえば寺の開山様が頂相や頂相彫刻がいくつもあって、そのいずれもが別人の如く顔が違う、人の数だけ真実はある、とはいうものの、手を合わせる側は、何で平気でいられるのだろう.と私はどうしても思ってしまうのである。作る対象が作家だろうと僧侶だろうと人間である限り、アプローチの仕方は変わらない。幼い頃から三遊亭圓朝を知る、鏑木清方が描く三遊亭圓朝が顔やプロポーションが写真と違うのは何故か、と迷えば気になって明治期の演芸誌をあさってみたり、写真がこうだからと、いって油断はしない。今後も日本人を騙し続けるだろうから、生きている間、ことあるごとにいってやろうと思うが、夏目漱石は痘痕だけでなく、鷲鼻を修正させていたし。という訳で、私如きがとは思いつつ、私なりの人物像を作って行きたい。私なりの人物像

  • 一休和尚

    一休禅師は、作家シリーズ以降で、様々な理由でポイントとなる人物になりそうである。小四からの行きがかりもあるし、その時目にした“門松は冥土の旅の一里塚”が私の死生観に多少影響を与えて来たらしいことも感じつつある。男専門で作って来たが、普通の顔ではないところもやり甲斐もあれば作り様もある。実像にこだわるのも顔の話であって、出来てしまえば私の描くイメージに合わせてもらいたい。一休はスズメを飼っていたそうである。確か名前も着けていた。一休と雀など絵になるだろう。最近雀を見ないな、と思っていたら、今日買い物帰りに目の前に一匹。興味がないから見逃していただけなのだろうが、改めて見ると上から見下ろすせいか頭が案外大きい。スマホを取り出す間もなかったけれど。一休和尚

  • 一休の横目

    横目でこちらを観る墨渓作といわれる一休像は、小四で読んだ『一休禅師』にも載っていた。〝門松は冥土の旅の一里塚〜“の一文と共に、当時活躍した俳優左卜全そっくりの顔は印象に残っているが、通常の頂相同様、目が前を向いていたならこれほど小学生の私にインパクトを残さなかっただろう。ところで最近、感銘を受けた禅僧が京都大徳寺の開山大燈国師である。一休が尊敬した人物だが、国師と入れ替わるように一休は生まれ、直接の交流はない。乞食と共に20年過ごしたという人物で、その国宝の肖像画が、これがまた横目なのである。一休が写真でいうと撮影者を凝視しているのに比べ、大燈国師の視線はさらに外を向いている、という違いがあるものの、しかめっ面と共に印象的である。あくまで素人考えだが、一休は尊敬する国師を真似て、そうしたということはないの一休の横目

  • 男の貌

    40数年間、男性特に中年から老人専門で作って来た。自分が男だから女性には責任が持てない。同じ製法、材質、サイズで、同じ土俵に男女を並べられる気がしないのである。初出版の『乱歩夜の夢こそまこと』(廃版)の時、丁度制作中、撮影でお邪魔した乱歩邸で、乱歩の蔵書を調査中の新保博久さんとその件でお話ししたおり、「黒蜥蜴ができる女性なんかおりますかねえ?」だよなあ。仕方なく女賊黒蜥蜴を作ったが男性像の2倍近い1メートルになってしまった。それはともかく。小四で目にした墨渓作といわれる一休和尚の顔は、何という顔であろうか。左卜全そっくりだと思った。実見して感銘深かった男の顔といえば、双眼鏡で眺めた来日公演のジョン・リー・フッカーである。床が揺れる観客の熱狂。それを椅子に座ったまま、まるで餌を求めて大騒ぎの池の鯉を眺めるか...男の貌

  • 方向音痴作、道開きの神

    電車に乗るのは数ヶ月ぶりである。先日CT検査をしたばかりで、腕には造影剤の点滴の跡が大きな鯉に付けられたキスマークみたいになっている。本日は結節があると肺。一年前だったろうか、膵炎の検査で来たところである。地下鉄出口1分というのに方向音痴を発揮、遅刻して2時間近く待つことになったので、念の為早く出発。なのに地図を忘れる。スマホを見たって判らない。迷った記憶だけが残る風景。しかしちょっとしたこと思い出し。40分前に到着。前回と今回の違うことが一つ。スマホの待ち受けに『半憎坊大権現』。海難、火事だけでなく様々な災難に霊力を発揮する。何より中国より帰国の禅師を荒れる東シナ海から無事九州まで導いだ半俗半僧の道開きの神である。知り合いのトラック運転手や韓国に旅行する友人、白内障手術する、なんて連中にも勧めた。本日ご...方向音痴作、道開きの神

  • 一日

    頭で考えたことはことごとく外し、感じたままで行くと必ず結果がよい。単純に頭の出来の問題といえばそれまでだが、どこに向かっているのかは判らなかったが、誰が書くのか何かシナリオめいた、筋道のような物が感じられた。そうこうして人間も草木同様自然物、肝心なものはあらかじめ備わっていると思うようになった。陶芸家を目指していた頃、狐の鳴き声が聴こえるような、岐阜の製陶工場に務めたり、茨城の4キロ四方人が住まない廃村に住んだことがあるが、慣れて仕舞えばどうということはなく、むしろのんびりしてしまい、創作意欲は薄れた。自分自身が自然物であるなら、何も周囲を自然に囲まれる必要はない。季節になり前の通りを祭りの神輿が通り「うるせえな。」なんて呟いているくらいが私にはちょうど良い。筋道の行先は、というと“自分とは何か?”らしい...一日

  • 書店の店先で一休禅師

    子供の頃、年寄りは何で平気で笑っているんだろう。もうすぐ死んじゃうのに?と思っていた私は、缶蹴りなどして入り込んだ下町の路地から見える、裸電球の下でガッチャンガッチャン機械で何か作っている老夫婦の背中が暗い寂しいものに見えた。考えて見ると、LED電球の下で一人、縁もゆかりもない、七百年前のツルツル頭を作る私はどう見えるだろう?とちょっと笑った。午後用事のついでに母の顔を見に行く。小3でお世話になった『世界偉人伝』を下さった田中先生が、学年主任に「子供の絵じゃない」といわれたのに戦ってくれたのは覚えていたが、◯子だったか◯代だったは覚えていなかった。大人向けの『一休禅師』を判る訳ないから、と止めたことは覚えており、やはり、買い物帰り、書店の店先で、店主と立ち話している断りにくい状態で私はねだっていた。書店の店先で一休禅師

  • 自分とは何か

    昨日、冠動脈の造影CT撮影。点滴の造影剤が熱いので、血の巡りが思いの外早いことに驚いた。いつ心筋梗塞になってもおかしくないといわれたし、一年前は膵炎を疑われたが、意外と平然としていた。寒山拾得以降、私はこれで良かったのだ、と確信を得ていたことが多分大きい。死の恐怖を遠ざける一番の方法が、日々変化し、上書きつづけることだと思って来たが、その理由が、小4で読んだ一休の〝門松は冥土の旅の一里塚~“が原因ではないかと最近気付いた。そして導かれるように、まさに今、その場面の一休和尚を完成させようとしている。自分の打ち込むことが、自分の正体を明らかにすることになる。人見知りの私は、発表などせず、遊びに来た友人に「どうだ、良いだろ?」なんて生きて行ければどれだけ良いか、と昔は思っていたから、トドのつまりは、その興味に尽...自分とは何か

  • 寒山拾得の前と後

    10年前の今日、Twitterで「いつか寒山拾得を作るつもりでいる。仕上げはオイルプリントで」と呟いたことが判明。当時は最後、主な作品をオイルプリント化して終えるものと考えていた。その後、夜の夢こそまことな私を写真上、自由を阻害しているのは陰影だ、と陰影を戦犯扱いし始め、年のふげん社〝三島由紀夫へのオマージュ男の死”展での無観客の飯沢耕太郎さんとのトークショーで、次は何を?の質問につい寒山拾得と答えてしまった。ずっと先に、というつもりだったから、ちょっと気の利いたことを?と口走った臭い。ところがふげん社が拾得が普賢菩薩の化身であるところから名付けられたことを知った。こういうのを意味ある偶然として、必ず乗ることにしている。2年後の寒山拾得展が果たして、初個展から40周年であった。寒山拾得の前と後

  • 一呼吸

    様々作っていたので、後回しになっていた一休和尚が最終仕上げに入る。これでようやく小学四年の時に、大人向けの『一休禅師』を読んでイメージした雲水姿の一休和尚が立ち現れることになる。足したのは肩に乗せた酒の入ったひょうたんだが、幼稚園児の頃か、TV時代劇で八名信夫が肩に乗せた瓢箪の酒を首を曲げグビッと飲んでいたのを採用。ウィキペディアによると『紅孔雀』か?禅宗の高僧の肖像画(頂相)は曲彔という椅子に座り沓を脱いで斜め45度ということに決まっていて、そのエピソードなどを絵画として描き残すという習慣はないらしい。なので視覚化されていない手付かずモチーフに溢れている。しかしだからといって頭に血を昇らせて、だったら私が、というのも。バレエを一度観ただけで、翌年ニジンスキーで個展をやってしまった頃とは残された時間が違う...一呼吸

  • 一休の横目

    昨日は一日検査。動脈硬化が見つかり、心筋梗塞などいつ起きてもおかしくない、とのことで、近々再検査。一昨日ネットで過去のドラマ『不毛地帯』で副社長の岸辺一徳が心筋梗塞の発作で倒れたのを観たばかりである。『青春デンデケデケデケ』でも心臓発作で死んでたけど。それにしても長い時間待たされていると、幼い頃から私を支配するヘソ下三寸に居るもう一人の私が勝手に事を進めているのが判る。まるで妊婦が胎児に早く取り出せ、と腹を蹴られるが如し。〇〇国師と〇〇天皇が対座する、これまた名場面も制作可能だろう。七百年可視化されていないとすれば、私がやらなければ今後もされないだろう。一休和尚の有名な横目でこちらを見る肖像画の横目の理由の仮説を思い付く。一休の横目

  • 譲れない渡世上の筋

    いずれ作ろうと考えている禅師は、やはり国宝の頂相が残されている。ところが今回も蘭渓道隆同様(その頂相が事実を伝えているとするなら)彫像はまるで別人である。やれやれというしかない。漫画原作のドラマの主人公がいっていた。真実は人の数だけある。一休像のように頂相と頂相彫刻が明らかに同一人物を前に作ったような例は珍しいのかもしれない。よって再び、斜め45度の肖像画のみを元に制作することになる。結果、数百年礼拝の対象になって来た立体像に対して私如きが異を唱えることになってしまうが、元にするのが、そもそも寺の所有する開山の頂相ということで、もう気にならない。私にも渡世上の譲れない筋というものがある。譲れない渡世上の筋

  • 山藤章二と隠しテーマ

    一度だけ、ほんの遊びで試したのが、どれだけリアルに作れるか。それが都営地下鉄のフリーペーパーの表紙の古今亭志ん生だった。しかし想像した通り、私が作りました、と私を知らない人に見せても、作ったというけど、この何を作ったというのか?と黙るだけで、せいぜいただのカメラマンになってしまう。カメラマンだとしても、私がいつ火焔太鼓を背負った志ん生を撮ったというのだろう?まあそれは想定済みだったので、一回きりの試みである。いくら最高作だ、という人がいても、そもそも人を撮った実写と間違われて以来、作り物と判るように、人形にサインを彫り込んで撮ろうか、と本気で思ったくらいで、やろうと思えばやれることさえ証明出来ればどうということはない。もう一つ。初めていうが、山藤章二以外の方法で、志ん生を描く方法はあるぜ。というのが個人的...山藤章二と隠しテーマ

  • 大根煮 2

    野外でたった一人、ボロ小屋で大根を煮て一日を過ごしたとしても、自分とは何かを明らかにする者こそが私の弟子である“『大燈国師遺誡』人間も草木同様自然物、肝心なことはあらかじめ備わっていると思っていた。考えるな感じろで打ち込むことさえ出来れば、自動的に自分とは何か?解明に向かうことになるのではないか。そんなところに、己の中にこそ仏はある。という禅宗モチーフに至るべくして至ったと感じていた。そもそも他人と自分を比較することなく、需要も関係なく、やって来たが、野外でたった一人、ボロ小屋で大根を煮て過ごしたとしても〜。七百年前の禅師の表現が妙にリアルで言い得て妙と笑って良いものかどうかよく判らない。大根煮2

  • 大根を煮る

    橋の下で乞食を二十年したという禅師は「衣類や食物のために修行するな、理屈ではない。ひたすらに打ち込め。伽藍や経本、熱心な読経や長時間の坐禅、質素な食事などに禅があるのではない。野外でたった一人、ボロ小屋で大根を煮て一日を過ごしたとしても、自分とは何かを明らかにする者こそが私の弟子である。」と説いているそうである。思わず付いて行きますといいたくなった。七百年前の人だけど。長い間、単に行き当たりばったりのつもりでいたが、実は自分とは何か、という一点に向かっている自覚が明らかにある。特に寒山拾得以降「これで良いのだ。」の意を強くしている。一休からまた一人、重要な人物に枝葉を伸ばすことになりそうである。そろそろ大根煮てみよう。大根を煮る

  • 一休和尚雨宿り図の事

    先日書いた『一休和尚雨宿り図』。橋の下辺りで、一休と横並びに乞食や夜鷹、当時なら遊女、白拍子というところか、と野良犬など横並びに並べたいと考えているが、昨日書いた、一休が尊敬した二十年橋の下で乞食をしたという禅師、そのメンバーにどうか、と調べると、一休は禅師の没後の生まれであった。以前制作した古来より画題となって来た、三教一致の禅の精神を表したという『虎溪三笑図』も仏教の慧遠、道教の陸修静、儒教の陶淵明の時代は合っていない。ここに居るマクワウリを食ってる乞食はあのお方では?なんていうのが洒落ているかもしれない。その場合、禅師の頂相はふくよかだが、乞食らしく、なんて余計なことをすると誰だか分からなくなってしまう。ここまで来ると某禅師の制作はすでに決めているようだし、どうせ私のことだから、完成まで内緒のまま作...一休和尚雨宿り図の事

  • 第一級の人物?

    幼い頃から伝記、人物伝が大好物で、夏休みなど図書室から本を出来るだけ借り出し、隣家のいちじくの木の木陰の縁台で本を読み耽ったものである。まあ当時の小学校の図書室の伝記などというと戦前からの嘘っぱちが多い訳だが、見てきたように書いてあるので、現場を見た人が書いていると思い込んでいた。もう目も悪いし、制作に関係のない本は買わない読まないことにしているけれど、この期に及んで、未だに人物伝の類は読んでいる。人物を作る時、ビジュアルイメージの重要性は実は氷山の先っぽくらいといっても良い。小四の時に読んだ一休禅師を今作ることにより明らかになることがあるかもしれず、それほどインパクトがある人物だが、その風狂僧一休が尊敬したという禅僧がいる。師から悟りを得たことを認可された後、師の命で、橋の下で二十年乞食をしたという。四...第一級の人物?

  • 枝葉と鮫の歯

    こう見えて私自身は、地道に枝葉を伸ばすように今に至っている、と考えている。あるいは思い込んでいる。唯一、発表する気などなく、ただやってみたい、とヒートアップしたのは、野島康三のピグメント技法に一目惚れし、オイルプリントを独習したことで、枝葉が伸びるようにとはいえなかったが、結果的に、現在の手法、陰影のない一種のピクトリアリズムの遠因となったのは間違いがない。一休宗純を作っていて、その枝葉の連なりとして、ある禅師が気になっている。実に興味深く魅力的な人物のわりに、墨蹟などは残されているが視覚化されている要素が少なく、手掛けるべきモチーフが私に向かって両手を広げているように見えている。考えないようにしていても、一休が佳境に入った隙を狙って縦列に並んだサメの歯のように、次は俺の出番だ、と出っ張って来るのであった...枝葉と鮫の歯

  • 一休和尚VS

    一休宗純は、女色男色飲酒あからさまな告白をしている。まさに自他共に認める風狂僧である。以前本物の蛸と格闘する葛飾北斎を作った。その調子で七十過ぎの和尚が、本物の女性と絡んで。なんて私なら可能である。蛸より女性の方が話が通じるし。しかし可能だからといって、どこで発表するのか?もっともかつて、発表などせず、遊びに来た友人だけに「どう?良いだろ」なんて生きて行けたらどんなに良いか、なんて考えていたし、実際未発表に終わった作品はかなりある。私が生きてる間は公開せず、といい残して、という趣向も、そろそろ考えておくのも良いかも知れない。十返舎一九は死ぬ前に身体に花火を仕込んでおいたというし。一休和尚VS

  • 巨大怪獣のジレンマ

    最近の怪獣映画がずっと気にいらなかったのは、近代兵器に対応させるためだろう、巨大になり過ぎ、宇宙怪獣ならともかく、地球上の成分で出来ている以上、あの大きさ、動きはありえないだろう。なので過去の話にするしかないと思っていたので、戦中の話にしたゴジラは納得であった。ところで。最近の大谷翔平の打って走る姿を見ていると、巨大怪獣と同様のことを感じてしまう。特にこちらは地球上でも日本の成分で出来てる生物なので、その大きさスピードに、余計違和感がある。しかしこちらはノンフィクションなので、しょうがないから、ただ唖然として笑っているけれど。巨大怪獣のジレンマ

  • 一休の雨宿り

    先の制作のことを考えないことが、あれをこれを作れば良かった、と寿命が尽きる時、途中挫折の可能性を低めることになる、と心得ているが、出物腫れ物ではないが、浮かんでしまうのは仕方がない。制作の順番が逆になったが、これから作る雲水姿の一休がその晩、髑髏枕に酔い潰れている『一休和尚酔臥図』は江戸の絵師であり太鼓持ちの英一蝶の同名作をヒントに制作したが、他にも背中の火炎を濡らさぬように傍に置いて滝に打たれる不動明王など、その着想が好きである。中でもいくつか同種の作があるのがあり秀逸なのが『雨宿り図屏風』である。ある屋敷の軒下で、様々な職種の人々、馬までが雨宿りしている。禅の精神を表しているかのようだが、これを一休を真ん中に、橋の下あたりで乞食や夜鷹、傀儡師、野良犬などでやりたい。そのため用済みで処分してしまうべきも...一休の雨宿り

  • サディスティックな気分に

    お寺というものは一年中何かしら催事があるので、いまだに展示の会期が決まっていないのだが、予定していた作品は一休宗純で終わる。臨済宗の僧ではあるが関東には縁がなさそうだし、すでに2カットは制作済みなので、なくても構わないのだが、雲水姿の一休はおおよそ出来ているし、なんといっても有名人である。それでもトンチ小坊主のイメージしかない人も多いだろう。最初の作家シリーズの個展に稲垣足穂を出品したが、髪の長い美少女が「これイナガキタルホなんですか?」と指を刺しいった。お星様キラキラのイメージでもあったのだろう。困惑の表情にサディスティックな気分になった。サディスティックな気分に

  • 嘘臭い現世の夢

    ここ数日、画像制作している夢で目が覚めるのだが、これがあまりにリアルである。元々私の夢では登場人物、シチュエーションは出鱈目でも、私自身はいかにも私らしいことしかしない。いかにも私らしい死体の隠し方だったりする。なので朝から飲酒してリズムを変えようとしたが、すぐ覚めていまい効果がない。特に本日は夢から覚めたと思ったら大谷、6打数6安打3本塁打2盗塁10打点51/51。夜の夢より現世の夢の方がウソ臭い。次の一休和尚は、これまでの人形制作者としての来し方を顧みるにつけ、江戸川乱歩と並んで重要な人物となるのではないか、と考えている。グヤトーンを久しぶりにアンプに繋いでを横に置いて弾いたりしてのんびり最後の修正をする。嘘臭い現世の夢

  • 鰯の頭と渡世上の義理

    紙幣に人像が使われるのは、偽造防止のため人の顔の違和感に人は気付くからだそうだが、確かに花鳥風月では、多少違っていようと一般人は簡単には気が付かないだろう。建長寺の開山(初代住職)を斜め45度の肖像画をもとに作ったのは、その頂相が師であり教えそのものである、という思いに打たれたからである。しかし没後七百数十年の間に作られた全国の禅師像を見ると全国に残された像を見ると、噂話、あるいは噂話さえ聞かずに作られたとしか思えない像ばかりである。つまり造幣局と違い、信じることが肝心であり、鰯の頭でかまわない、ということなのだろうか。私は私の渡世上の義理?としてどうしても我慢ができないでいる。鰯の頭と渡世上の義理

  • 一休禅師

    母が読んだって判る訳ない、と反対したのに、私が何回か用いた策、買い物帰りに母が書店の店主と立ち話ししている、拒み難いタイミングでねだったに違いない大人向け『一休禅師』。何故読みたかったのか、その理由が不明であったが、おそらくこうだったろう。産休の代用教員だった田中○子?先生が、私があまりに伝記、偉人伝の類を貪り読んでいるので、3年が終わり、退職の際に、書店の袋に入った『世界偉人伝』を内緒で下さった。そこにおそらくトンチの小坊主とはイメージの違う一休が載っていたのだろう。これしか理由が思いあたらない。先生は学校という漢字の覚え方についてこういった「点、点、点カンムリ子、木六バッテン好き?嫌い?」大きな脂身の入っおかずと脱脂粉乳の給食さえなければ好きなんだけど。脱脂粉乳を現在の低脂肪乳だと思ったら大間違いであ...一休禅師

  • 一休

    小学生の頃、年寄りはもうすぐ死んじゃうのに、なぜ平気で笑ったり、買い物かごぶら下げて歩いているのだろう?と思ったが、そんな頃、母にねだって大人向けの『一休禅師』を読み、“門松は冥土の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし“という言葉にホントだ!と驚いた。毎年大晦日のブログで昨年思い付かなかったこと、出来なかった物ができたか、を振り返ることにしている。何も変わらなければ、ただ一年、死に近づいただけであり、こんな怖いことはない。その恐怖に打ち勝つには、変化を続け、先週にすら戻りたくない。となるしかなく、変化してこそが生きているということだ、とモチーフから手法から長い旅路の果てに変化を続け今に至っている。私を支配続けてきたこの思いは、小四の時に目にした“門松は~”が原因ではないか、と寒山拾得を手掛けて以來薄々感...一休

  • 大権現制作終了翌日。

    目が覚めパソコンのモニターを確認し、昨日の出来事はホントだった、と確認し顔を洗って飲酒を始める。雷鳴轟く東シナ海の揺れる船の帆柱の先端に立ち、霊力を発している天狗みたいな異人を完成させた知人がいたなら聞いてみるが良い。翌日は朝から飲酒すべきだ、と必ずいうだろう。次々に新作を完成させているようだが、ずっと被写体制作だけに専念し、そのために弓の引き絞り効果、というものが効いている。本来なら作っては撮影し、と繰り返したいところであったが、我慢をし、より快感を高めよう、という企み、というのは半分だけ冗談だが、出所後の高倉健が飲む一杯のビール同様の効果はあった。予定している最後の一作は、雲水姿の一休宗純である。大権現制作終了翌日。

  • 半僧坊大権現見参

    連日明け方までかかり、船の帆柱の先端に立つ、天狗状の人物を作っていた。荒天の東シナ海。当初浮世絵のように斜線で雨にしようと思ったが、直線の雨では暴風感が出ないので辞めた。そのかわりの雷光を。なので久しぶりに強い陰影で稲光としてみた。陰翳があると写真に見える。考えてみると、散々まことを写すという写真にあらがい続けて来たが、実は作ったものに陰影を与えて、この世の物の如くにして散々利用して来た私であった。なのに実写に間違われて、これは私が作ったのだ、とムカついてみたり。まあ、すべて過ぎた話である。半僧坊大権現には厄難消除、海上安全、火災消除、良縁生成就のご利益があるとされるが、独身の方向音痴制作の大権現は果たしてどうであろうか。半僧坊大権現見参

  • 帆柱

    頭に浮かんだイメージを正確に作り、目の前に現れれば、まずは成功であり、やっぱり私の頭の中に在ったなと満足する。なので頭に浮かんだものがつまらなかったら、それは一般の写真家が、モチーフあるいはロケ地の選択の失敗、みたいなことになる。昨日、半僧坊が先端に立つ、帆柱に滑車をつけて背景にカミナリを配せば完成だ、と書いていた。滑車でもないと電柱の先端に立っているようである。つまり船の帆柱は円柱だと思い込んでいた。遣隋使、遣唐使船、などの船を調べてみると、補強のためなのかは知らないが、帆柱は貼り合わせの四角柱なのである。今回は雷光による陰翳があり、足元の滑車のデイテールまで作る必要はないが、荒れる東シナ海を、元王朝末期の中国から脱出する禅師を導く3メートルある半僧坊の勇壮な姿だ、なんて顔をしていたら、見る人によれば、...帆柱

  • 完成間近

    今半僧坊を作っているのはおそらく地球上で私だけだろう。そう思う時、間違いなく何かが湧き出ている。杖を持つ天狗的人物が忍者のように胸元で刀印を結んでいる。睨んでいるのは行く先の博多であろう。私ほどの方向音痴が猿田彦的な道ひらきの神を作るというのも妙な気がする。あらかじめまさに暗雲たれ込める背景を作ってあったので快調に進み、明日は帆柱に付いている滑車にロープを作り最後に稲妻を加えれば完成である。完成間近

  • 半僧坊佳境

    陰影を排除するに際し、新版画の連中はどう対処していたのだろうと、図書館で眺めて見ると、都合により、室内、屋外、様々描き分けている。川瀬巴水など、名前が自体が水びたしなだけに水の表現が秀逸である。私も使い分けよう。稲光の中で、陰影がない、というのも冴えない。帆はおろしているだろうから、多少でも帆柱に見えるように滑車を着けよう。半僧坊はすでに帆柱の先端に立っている。最後に画面を縦断するぐらいの稲妻を描いて完成ということになるだろう。半僧坊佳境

  • 雷鳴轟くプアマンズ鰻丼

    足腰を別にすれば数値的には最近好調であり10年以上風邪もひいていない。以前は冬にTシャツ一枚でモニターの前。寒くなってきたな。何か着ろよ、風邪ひくぞ、なんて風邪をひいていた。小学校の図書室、始業のチャイムが鳴っているのに読んでる本が辞められない。治らないものである。あえていえば少々貧血気味というので、最近、サバの水煮缶に16穀米、麺つゆ、酒少々で炊き込みご飯を一月近く食べている。缶詰ならではという意味でサバの水煮は缶詰の名作であろう。二日目がさらに美味い。セブンの缶詰が臭みもなく、こちらも良く食べる国産イワシ味噌煮でやってみたら、ちょっとした“プアマンズ鰻丼“の趣に。山椒をを降って食べた。こちらはその日のうちに。陰影のない手法だが、雷鳴轟く半僧坊の一点だけ、極端な陰影を出すことにしようと思う。雷鳴轟くプアマンズ鰻丼

  • 一日

    大谷はいよいよ50/50が現実的になってきた。最近は撃たれたピッチャーの表情が呆れて苦笑というより、これで自分も大記録に名前が残る、という笑顔に見えてしまう。半僧坊の着彩を済ませ、夜撮影しようと思ったが、身体の奥に疲れが溜まっているのがわかり手が止まる。この疲れにはアルコールしか届かないし、今まで一回しか二日酔いをしたことがない私は良く知っている。二日酔いをしないこととカフェインが効かないことと何か関係があるのだろうか?扇風機を止めようと思った記憶はあるが、例によってピストルに撃たれたように寝た。一日

  • 危うきに近寄らず

    半僧坊は雷鳴轟く荒天の中、元王朝末期の中国から帰国する禅師を無事博多まで導く。考えてみると一種のヒーローではある。3メートルもあるし、火伏せ海難除けの霊力もある。この歳になってヒーローを作ることになるとは思わなかった。雷鳴轟くは、私が勝手にいってるだけであるが、浜松方広寺のユーチューブの法話によると半僧坊登場の場面で帆柱の上に、という和尚様の一言を私は聴き逃さなかった。当初船のへ先に立ち、東シナ海を博多に向けて船を導いてる場面を考えていたのだが、帆柱のてっぺんであれば、石塚式ピクトリアリズムの大の苦手とする水、まして大荒れの海などに触れないで済む。中国の深山風景を手のひら大の石ころで作れる石塚式だが、陰影がなければ反射、輝きは描けず、最難関が水である。もっとも明治大正の日本画の大家が、禅画などで人間の顔を...危うきに近寄らず

  • 次のターゲット

    半僧半俗3メートルはあろうかという半僧坊である。中国は元王朝時代、七年の修行の末に帰国する無門元選禅師(後醍醐天皇十一番目皇子)だったが、元王朝も末期、脱出に近いものだったようだが。東シナ海は雷鳴轟く悪天候に見舞われる。禅師が観音経を唱えていると半僧坊が現れ、船を導き無事帰国することができた。そして禅師が開山となった浜松の大本山方広寺の守り神となった。火災が起きて伽藍が焼けても半僧坊のお堂は焼けず、全国的に火伏せの神として有名になる。明治時代、建長寺に分霊され、最深部の絶景の場所に天狗の像に見守られ祀られている。予定しているのは帆柱の先端にすっくと立ち霊力を発する半僧坊である。まさに私が手がけなければ誰がやる、というシーンであろう。次のターゲット

  • 怒涛の制作

    無学祖元、袖から龍、膝上に鳩で充分、と思いながらも白鹿も配した。思い付いた時、季節になり角が生え揃うのを待って動物園で鹿の撮影を、と書いたのを覚えているが、けっきょく鳩だけ本物になったが縁日のヒヨコみたいに青い鳩で違和感はないだろう。写真の主役は被写体である。長い期間被写体の制作に費やし、お盆あたりから怒涛の写真作品制作。達磨大師1、蘭渓道隆3、無学祖元2が完成となった。蘭渓道隆天童山坐禅図は長辺2メートル超、あとは長辺150センチを予定している。3時間しか寝ていないので飲酒して早めに寝る。怒涛の制作

  • 瑞鹿山

    昨晩、蘭渓道隆と蒙古兵の陰影はないけれど立体感はある、という方法が行き当たりばったりで、なぜそうなったか判らないままであったが、蒙古兵に刀を向けられる無学祖元に立体感がなく、並んでいると合わない。睡魔と戦いながらなんとか方法を思い出し、撮影だけ済ませてピストルに撃たれたように寝る。朝再開。やはり今後はこれで行こう。大リーグボール3号改というところか。とにかく1カットで私の作品と判る江戸川乱歩のような“文体“を持たなくてはならない。『猟奇王』の漫画家川崎ゆきおが亡くなった。川崎ゆきおでさえ、自転車に乗って喫茶店でコーヒー飲んでたよな、と思いながらモニターの前に座り続ける。袖口から龍が現れ、膝の上には青い鳩が2匹。これで無学祖元の言い残した通りで完成のはずだが、私の“及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ“が顔を...瑞鹿山

  • 無学祖元に龍に鳩に鹿

    昨晩、蘭渓道隆と蒙古兵の陰影はないけれど立体感はある、という方法が行き当たりばったりで、なぜそうなったか判らないままであったが、蒙古兵に刀を向けられる無学祖元に立体感がなく、並んでいると合わない。睡魔と戦いながらなんとか方法を思い出し、撮影だけ済ませてピストルに撃たれたように寝る。朝再開。やはり今後はこれで行こう。大リーグボール4号というほどのこともなく3号改とでもしておこう。夜の夢こそまことな、江戸川乱歩のような“文体“を持たなくてはならない。『猟奇王』の川崎ゆきおが亡くなった。川崎ゆきおでさえ、自転車に乗って喫茶店でコーヒー飲んでたよな、と思いながらモニターの前に座り続ける。袖口から龍が現れ無学祖元に絡みつき、膝の上には青い鳩が2匹。ここまで出来た、ここで完成のはずだが、さらに白鹿を配してみたい。無学祖元に龍に鳩に鹿

  • 鳩サブレ

    円覚寺の開山無学祖元は、来日前、龍と青い鳩を伴った神が何度も現れ「我が国に教えを伝えよ」と告げられた。龍は禅師の袖に入り、鳩は膝の上に。そして元寇の敵味方を祀るために創建された円覚寺の開山として招かれる。鶴岡八幡の鳩を見て、あれは八幡の使いだったのだ、と悟った。もし自分の姿を刻むことあれば、袖から龍、膝上に鳩を、と伝えたとも聞くが、円覚寺の木像は椅子の背もたれに龍と鳩が刻まれている。そこで三島由紀夫制作の際、三島にウケることしか考えなかった私は禅師にウケようと、袖口から龍、膝上に青い鳩を配したが、竜は穴からウツボみたいなので、で禅師の背中を回って横から顔を出すことにした。先日蒙古兵と蘭渓道隆を、どう撮ったか思い出したので、蒙古兵との無学祖元を撮り直した。着け放しのテレビから、鳩サブレは鶴岡八幡の鳩のイメー...鳩サブレ

  • ずっと眺めている庭

    生まれてからずっと眺めている庭。飼ってる亀は、あまり逃げ出すので目立つようにペンキで色塗って、甲羅に穴をあけ鎖で繋いでる。妙な色の花が咲いたり変った形の虫がいる。鳥も変な声で鳴いている。どれもこれも図鑑をいくら眺めても出ていない。友達に話しても信じないので、だったら見に来いよ。だけど何度行ってもたどり着けないという。一緒に行こう、ウチは親が働いているのでおやつは出ないけど。しかし手をつないでも、気が付くと私一人になっている。毎日虫や鳥や花が変わるので写真で撮っておこうと思うけど白黒じゃなあ。百科事典に載ってる絵を見ると、キリコとルソーが惜しいけれど違う。これはもう自分で描くしかない。この描き方を知っている大人はいないに決まっているから、自分でやってみよう。そうこうしたら40年が経ってしまった。だけどだいた...ずっと眺めている庭

  • 臨剣の偈

    考えるな感じろ、とへソ下三寸辺りにいるもう一人の私に任せきりにしていると、気がつくと知らない街角に立っていた、ということになる。寒山拾得2と行くつもりが、蒙古兵など作っている。今年元寇750周年だそうだから、それで作りました、という顔をしておこう。思えば作家シリーズは長く続けたが、私小説嫌いから、それなりのラインナップになったが、陰影を排除した今となっては、作家の描くイメージが生臭く感じる。思えば物心ついて以来、興味の対照は人間の姿形、その有様であり、それは今も相変わらずで、なので仏像には興味がない。今のところ臨済宗ばかりなのは、禅宗でも臨済宗が克明な師の頂相を残して来たからで、つまり写真資料が豊富的な意味が大きい。無学祖元と蒙古兵がほぼ完成したので、無学祖元の正面向いた坐禅姿にかかりたい。二匹の鳩に、袖...臨剣の偈

  • カフェイン効かない体質

    目が覚め着け放なしのモニター画面を見ると、画像の切り抜き作業の途中で力尽きていた。コーヒー抹茶、学生時代薬局で売っていた錠剤、残念ながらカフェインが効いた経験がない。振り返ると、日々同じことをしているつもりで、ちょっとしたニュアンスに違いが出てきて40数年、独学我流者の、恐ろしく地味な、ショートカットなしの変化である。それに伴い、モチーフも変化してきた。先日からの、蒙古兵と蘭渓道隆の変化に気がついたが、臍下三寸が無意識でやっていることだから理由が判らない。まあいつもこの調子である。解明できれば、熟考の末やりました、という顔をする。今年はどうやら元寇750周年らしい。来日前の無学祖元が元寇を恐れて誰もいない寺で一人坐禅していると、現れた蒙古兵に刀を向けられる。しかし微動だにせず漢詩を詠む。蒙古兵は刀を納め去...カフェイン効かない体質

  • やってみる

    臍下三寸辺りの自分の感じるままに制作していると、いつの間にか想定していないところに立っている事がある。結果はその方がいいので、なぜそうなったのか、性能が今一つの頭で後から考える。昨日書いたように、陰影排除により自由を得るのと引き換えに、質感描写はあきらめていた。リアルになるのでやっていた肌の下塗りも、陰影を排除すると、見た目と違ってただ汚れに写るので一色のベタ塗りにしたし、肌の艶もNGなので、40年磨いて来たのも止めた。なのに立体間を意識した蘭渓道隆の肌が、アクリルガッシュの艶消しの肌と違って生々しく皮膚感が出た。なぜそうなるのか私には判らない。構図など自由に描け、なおかつ人間的に写るとなればいう事がない。こんな時、まずは田村写真に走るのを常として来たが、厚木に移転してしまったし台風だし。たまたまでなく、...やってみる

  • 質感と立体感

    先日来、撮影法に少々手心を加えた。同じことをしている人がいないので書くのを止めたのがこのことだった。私の作品の一番の特徴は、自ら作り出した陰影、つまり立体像を被写体にしていることであろう。ならば、と立体感を意識してみたのだが、どういう作用か蒙古兵の鎧は革に覆われているように見えるし、蘭渓道隆は妙に肉々しい皮膚感である。実は陰影を排する段階で、自由と引き換えに質感描写は諦めていた。それにしても質感と立体感は異なるジャンルだろう?実物が粘土感まるだしなのに、なぜこうなったのか、今の私には判っていない。もしこれが次の段階へ進んだ、大リーグボール3号改、あるいは4号ということにでもなれば、例によって初めからこうするつもりだった、ということにする。質感と立体感

  • 一日

    坐骨神経痛の激痛で、3週間寝たきりでいた。幸い痛みは消えたものの右膝に力が入りにくく、階段も今のところ上りは一段づつで、右膝をかばうせいか、左膝が痛くなり腰痛も。私のような渡世ではスポーツ選手と違い経験を重ね生きるほど作品は良くなるだろう、と単純計算し、足腰立たなくなった時に備え、空や海、地面、壁、まるでノアの方舟に画像データを積み込むかのように集めた時期があった。ところが〝念写”がこうじて『蘭渓道隆天童山坐禅図』が完成しているのに実写の滝が役不足だ、と作り物に入れ替えようか、という有様である。やはり考えるな感じろであり、頭で計算し、企んだことはハズれる。月一のクリニック。おかげで10年以上風邪をひいていない。椅子に座らりっぱなしだと、てきめんに脚が浮腫むので利尿剤を処方してもらう。テレビの台風情報。爺さ...一日

  • お盆の間の制作疲れ

    蘭渓道隆三作目完成。ルーター故障でスマホでモニターを撮る。遠くの赤富士を眺める葛飾北斎と違って、すぐ後ろのせいで、ビャクシンの樹を眺めている感じにはならないが、七百数十年前に、自ら植えた樹と共にこの月日を想う、というイメージ作品なので、問題はない。これで滝を作って実写と入れ替えれば、蘭渓道隆3作完成ということになる。次は円覚寺の開山、無学祖元の2作に行くか、悪天候の中の半僧坊か。無学祖元2作のうちの1作、蒙古兵とのカットは蒙古兵が画面上にすでに居るが、しばらく真面目に蘭渓道隆取り組んでいたので、雷鳴轟く帆柱の上に立ち、呪文呟く天狗的人物、というのを先にやりたい気もするが。最近は念ずれば写るので、慌てることもない。集中力は小学生時代から衰えていないものの、身体がそれに対応出来ず、飲酒によらないと取り除けない...お盆の間の制作疲れ

  • 蘭渓道隆3作目

    午前中、合掌する蘭渓道隆を夕方着彩し、夜になり撮影。3作目、最初にイメージしてからずいぶん経っている。これだけ準備に時間をかけると、さすがに引っかかる場面は一つもなかった。適当に描いたスケッチが、以後超えられないことがあり、可能性を減らす気がして何十年もアイデアスケッチなどしなかったが、これもやり方による、これからは場合によっては描くことにした。陰影のない絵画を立体化する時、もっとも有用なのは人間のディテールに対する記憶だと改めて。七百数十年前の個性的な面相を、現在感じられるのも、特に臨済宗が克明な肖像を残して来たからであろう。蘭渓道隆3作目

  • 被写体制作

    ビャクシンの樹と蘭渓道隆。写るところしか作らないので完成は早い。前面に夢中になってほとんど出来てしまい、慌てて後ろを作ることなんてことを繰り返しだせいで身についてしまった独学我流者のあまり自慢にならないことであるが、これが一眼的撮影専用の造形を可能にした。被写体制作と撮影の二刀流ならではで、普通に作った物を撮影したのとは一味違う撮影結果を得られる。被写体を公開しなければ、その効果のほどは私にしか判らないだろうけれど。それに数度も振れないほど冷酷に、写らない所を作っていないのに、後から後ろを作り足すことも可能である。なんといっても、依頼仕事の場合の制作時の少ない場合に効果を発揮する。そう考えると残る時間を考えると、今後写る所だけ作ることが多くなるだろう。被写体制作

  • 仕上げで1日

    月下達磨図、蘭渓道隆面壁坐禅図は仕上げも終わり完成。天童山坐禅図は滝を残し完成。無学祖元と蒙古兵の蒙古兵仕上げして完成。無学祖元を着色し完成するか、考えたが、蘭渓道隆とビャクシンの樹の蘭渓道隆のポーズ違いの制作を、明日始める。赤富士と葛飾北斎で試した、見上げているが赤富士は背後にある。というのをふただび。日本人は主人公の想い、心情をよく背景に托す。これも陰影がないからこそである。おかげで蘭渓道隆はビャクシンに隠れることがなく真ん中に大きく、その後ろに画面一杯にビャクシンの樹。見せたい部分を出来るだけ大きく描きたい。蘭渓道隆は上半身だけの予定なので、人間大より大きくなるだろう。これに円覚寺開山無学祖元の2作品と、雲水姿の一休宗純。仕上げで1日

  • 乱歩とアラン・ポー、4号は止めろの巻

    昔の作品がフェイスブックで流れてくると、黒蜥蜴役の女性の30センチ前に人形置いて二人が並んでいるように見せたり(私の大リーグボール1号)真昼間撮った室内の床に反射した光を、夜の暖炉の明かりに見立ててエドガー・アラン・ポーを配したり(2号)昔からイメージのためなら、どんな卑怯な手でも使うぜ、なんていってきた私であったが、挙句は掌に乗る石ころで中国の仙人が住まうが如き山まで捏造したり相変わらずである。私は思いついた時、いかにも思いついた、という顔をするらしい。母がよくいっていた、台風の幼稚園の休園日、佃の渡し船の絵を描いていて、煙突だったかに東京都のマークが描いてあり、同じものがあった、と止めるのも聞かず台風の中、マンホールの蓋を見に行った。その時もそんな顔をしたのだろう。思い付くのは一向に構わないが、私の大...乱歩とアラン・ポー、4号は止めろの巻

  • 本意の解明

    最近、撮影に多少工夫を加えている。例によって人に話して通じるようなことではないので書かないけれど。わざわざ立体という陰影を作り出しておきながら、あえてそこから陰影を排除する。残り時間も少なくなりつつあるのに、私のような病的な面倒臭がりが、こんなことを始めた。臍下三寸辺りのもう一人の私の本意に迫りたいと考えている。雷鳴轟くシナ海の船の帆柱の先端に立つ半僧坊。中国からの帰路、禅師の乗る船を博多まで導く。まさに道開きの猿田彦が原型だろうという場面である。不穏なムードの背景は既に出来ているが、そこに稲妻を描く練習をする。小学校の時に描いたキングギドラが口から吐く光線、あるいはメーサー砲の要領である。明日、粘土が届くので、建長寺のビャクシンの樹を見上げ、この七百数十年を想い合掌する蘭渓道隆を制作する。本意の解明

  • 元寇

    無学祖元に刀を突きつける蒙古兵完成。蒙古兵の鎧には革が多用されている。主役の無学祖元の着彩を済ませ、撮影すれば完成である。無学祖元の場合、円覚寺に残る木像が圧倒的で、いつものように、他の資料を探索しよう、という気がまったく起こらなかった。説得力というのはこうした物だろう。横顔なども判るので完成も早かった。来日前後ということで多少若さを意識した。名場面の割には視覚化された形跡がない。ならば私が、となったわけだが、刀を向けられながら平然と漢詩を詠む禅師、その姿に蒙古兵は退散する。できればこの時禅師が詠んだ漢詩を真ん中に配したいと考えている。Facebookで“せつな糞せつない時に出る糞のこと“に本日最も感銘を受けた。飲み屋で知り合いに、志ん生がビールはションベンになるだけだが、日本酒はウンコになるといった話を...元寇

  • 向き不向き

    寒山拾得以来のシリーズでは人形であるし絵画的ではあるが写真であるし、なのであえて古来からのスタイルを踏襲してこそ面白い、と考えてきた。おおよそ長焦点レンズ的である。しかし曾我蕭白のまるでオーパーツの如き超広角レンズ的『石橋図』の表現には、そんな私を嘲笑うかのようである。以前つげ義春トリビュート展で、当時は陰影を排除するだけでなく、古来の日本的遠近法にも挑戦したが、さすがに写真となると無理があり、バラバラにして組み立てるしかなく、これは私のイメージしている行為とは違うと断念。会期中に2度、作品を差し替えるという失態を演じた。蒙古兵に喉元に刀を突きつけられ平然としている無学祖元。喉元に焦点を当て、蒙古兵の表情を広角的に、など考えないでもないのだが、果たして面白いだろうか。曾我蕭白も超広角表現を思いついたものの...向き不向き

  • 次の作品候補3選

    蘭渓道隆最後の一点は、現在の建長寺の「ビャクシンの樹にこの七百数十年を想い合掌しているというイメージ作品で、背景はすで決まっている。これは国宝の頂相に近い横顔を向ける予定だが、合掌するポーズを作らなければならない。この一点用なので写るところしか作らない。雲水姿の一休像、まさに小学生の私のイメージした姿である。竹竿に骸骨はすでに作ったので、朱鞘の竹光の大刀を持たせるつもりだったが、はるかに知られたエピソードでありインパクトもこちらの方がある。今年は元寇750周年ということで、日本各地で記念イベントが開催されるそうである。無学祖元が開山となった鎌倉の円覚寺は、敵味方双方の犠牲者を祀る目的で創建されている。坐禅する無学祖元に刃を向ける蒙古兵は随分前に完成していたのでまずは撮影しておきたい。次の作品候補3選

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