犬は文字を読まない。私もそのようであるが現在文字を読むという事が失われているような気がする。本離れ文字離れがどんどん進んでいく傾向にある事が確かな事のように思う、私がまだ会社に在籍していた頃には出張も多くあったのが良い事だったのかも知れないが本をたくさ
agenesdream犬舎代表の小林春夫 一言コラム。 犬にまつわること、ビーグル犬のブリーダーとして語ります。
犬は文字を読まない。私もそのようであるが現在文字を読むという事が失われているような気がする。本離れ文字離れがどんどん進んでいく傾向にある事が確かな事のように思う、私がまだ会社に在籍していた頃には出張も多くあったのが良い事だったのかも知れないが本をたくさ
先日息子が来た。約25年シドニーに住んでいてたまにぶらっと日本での用事を済ませて数日帰ってくる。帰りもまた数か国を回り帰るようだが私には解からない。呑気なものだと思ってはいる、彼は知り合いを連れて来たので温泉にでも行こうという事になり、私が良く犬達を連れ
15の春に私は何を無くしたのだったか もう忘れてしまった 真っ白い万年筆だったか 姉譲りの密かな恋であったかもう忘れてしまった 淡い心を持つ少年時代に私はビーグルと言う犬種に出会った。それはこれから狩りに行こうとしている犬達の群れが馬の足元に集
何故人は亡くなった後にも見栄を張るものなのだろうか、人間社会の特殊な事なのかもしれない、勿論犬社会にはない現象である。物事の生産性を上げるためにはよりよく生きる為には無駄な事を省く必要がある、以前見栄、無駄、が言われる時代があった。その頃には皆そうし
私は古くなった、気力だけでは何事もできない現状がある、体力が気力に追いつかない悲しくもある状況であるのだ、昔々の話ではあるがその頃は何も恐れることもなく一つの想いに慢心していた頃がある、何事も出来るという気持ちを持っいていたから怖いものも一つとしてなか
いつものように犬達は明るい日差しのもとで何を思うのかゆっくりとしている、優雅なくらいに寝転ぶ姿は何て良い光景だろうか、自分もまた少し小さな椅子を出して座っている。そこでののちゃんが私の膝の上にぴょこんと乗っかってくる、思い体重を何とも思わずに簡単に乗っ
皆さん犬と共存して楽しく過ごしていますか、私は犬に対して常に考えている事が多く、人は何故犬を飼うのか人は何を求めて犬を飼うのか人は何を目的にして犬を飼うのか、そうした思いをどこまで掘り下げて考えられるか,各々の方が犬とどのように暮らして行きたいのかを知り
犬と言う生き物はおもちゃではない、以前こんな方が尋ねて来た子供に子犬を買って預けたいというのである。はて!子供に子犬?どういう事なんだろうか子供に子犬の玩具、とんでもないはき違いの方がいるものでこの件には大変驚きがあった。こんな人も世の中には生きていて
ホカホカの生れたばかりの子犬はどれも可愛い。産毛の持つ臭いは長い時間続くことがないから今だけが喜びの時間なのである。やがて産毛から成犬の毛に変るころには子犬達も活発になり手に負えない状況になるのだろうが、それはそれでまた可愛さがあるし十分ないたずらがお
これは他人を見くびる、攻撃する、卑下する事ではなくビーグルと言う犬種を理解していただきたい気持ちから書き始めました事を承知してください。どの様な事においても再三伝えてきましたが、学ぶこと学ぶ姿勢が大切な事と思うのです。昨日半年ぶりにアグネスの子達がショ
国内で不動の地位を続けられたことは何よりも血液を間違いなく一本化したおかげで質の良い子を作出出来てきたことが良い結果となり継続していくことが出来た安心感が持てたものと思う。国内に於いては1994年からランキングシステム、ペデグリーアワードと言うシステム
アグネスドリームは1970年代末にオス1頭メス1頭のビーグルから始まった。その数年前に町のショップから迎えた子が数日後にジステンパーを発症して大変な労力と金銭がかかり亡くなった。そんなことがあり無知な者が愛犬の友を頼りに子犬を探すこととなり、迎えた子が
私が若かった頃は遥か遥か前の事になった。古いものは再生できるものなのだろうか、私のような古くなったものの再生は不可能なのである。古くなるという事は淋しくもあるがそれでいて自身の歴史が此処にあるのだから心は大変裕福なのである。常に気持ちを裕福に保つ事は大
私の長いビーグルとの関わりの中で一番の感動をあなたと共有したいと思います。それはたくさんの中から決めなければならないがやはり一番がいくつもあるのだ、犬の暮らしの中でも少しばかりの状況の違いの中での一番として話をします。1991年アリゾナ州メサでのナシ
私はこれまでにスパーへ買い物に行くと良くこのプリンを買って食べていたが、最近になってこれに飽きが来たので犬達に与えてみようかと、もともと野々花と言うメス犬は変わったものが好きでアボカドやマンゴーが好き種までも嬉しそうにきれいにかじるのが好き、そこでこの
壁にかかる時計が突然仕事をしなくなった。それも3か所の時計が同時期に止まってしまった。偶然ではあるけれども何たることかと考え込んでしまった所です。手ごろなものは修理しても無駄だからすててしまったがこんなに長く生きてきて初めての体験である。何事も突然と言う
ミジーとレクサスと言う名の犬がいた。ミジーは犬名をAMCH Agnesdreams' one note samba, 1994年生まれであり父はAMCHランバーリトルデキンス、母はCHアグネスドリームズスイートメモリー。レクサスの犬名はAMCHAgnesdreams’ hot ticket, 1997年の生まれである。
息をしている事がいかに幸せな事であるか。人には思いや感情があるから人は皆悔しさを残して死んでいくものかもしれない,たぶん私も。私は長い時間犬達との時間を費やしたが、後悔先にたたずではあるがやはり思う事は後悔する事ばかりである。何十頭もの犬達を見送った後に
あちらこちらで百日紅<さるすべり>の花がきれいに咲いている。人はきれいなものを見ることが好きできれいなものを見る事への喜びがある、何故気持ちが穏やかになるのか、きっと人々の気持ちの中に美に対してのそうした邪念のない気持ちがあるのかもしれない。抱いた想像
世界の国々にはそれぞれにケネルクラブがあり犬達のために活動している。FCIと言う大きな組織は1911年に5か国を持って創設された畜犬団体であり、ジャパンケネルクラブ<JKC>は1949年設立であるから古い団体である。JKCはこの団体に1979年に加入している。私
犬達に於いては美味いものとそうでないものとの判別が当然のようにつくようである。また臭いにおいては犬個々ではあるが、どうも臭いにおいても好みがあるようで,臭覚ハウンド<セントハウンド>であるビーグルは少しの臭いの違いに敏感で好みであるかそうではないかを知
日本国は幸せな国であるように見える。この暑い夏空の時期になると必ず終戦記念日と言う式典が行われてきた。戦後生まれの私にはその時代、戦中のことは解からない、想像にもしたくはないような状況の中で皆生きていたのだろうと私には推測するしかない。ちちをかえせ は
定期的に行われるAKC<アメリカケネルクラブ>の全犬種ショー以外にも、フィールドトライアルクラブは単犬種ショーや猟犬の種類を定めたハウンドショーも行っている。びーぐるを2,3頭飼って個人的に狩りをする人は全米には何千人といる、それに加えて前米ナショナルビー
19世紀の中ごろにある牧師がよい猟犬の群れを手に入れ素晴らしいスポーツを見せていた。これが現代のビーグルの基で元祖でありその後の名をはせたほとんどの犬がこれの子孫である。ビーグルが歴史上もっとも古い犬種の一つでブラっとハウンドやオッターハウンドと共に猟
KC<イギリスケネルクラブ>によればビーグルの起源を知るには遥か彼方の霧に包まれた中で存在するようなものとある。だから不確かなものであると伝えているのだ。こうであろうという説に従い書いていくことにいたします。ビーグルの本当の起源は古代の歴史の中に消えてし
誰もが星の向こうへ行けたなら、自身が求めている事柄や不思議さや思いが知ることが出来たなら本望な事のように思う。思いと言うものはその時その場合に於いていかようにも変幻していくものだ。人の場合犬達の場合それぞれに重さや大きさに違いが生まれてしまうが、犬達に
日本国内ではいまだにイヌ文化と言うものが形成されていないような気がする。そしてまたドックショーなどは市民権さえもない状況である。ちなみに報道関係ではまだまだこのような事に関しての報道はほとんどないのが現状のようである。このような事は何故に知られないでし
人も犬達も暑さに耐えがたい日々。誰もが耐えがたいこんな暑い夏に誰がした、まるで止まらない汗の流れがある。日に何枚ものシャツや下のものを着かえなければならない時期になった。今年の夏は毎年運動場の周りに花を植えるのだが暑さで皆しおれてしまう。今さらにCO2がど
犬が犬であるために私達は何をしなくてはならないか、誤った固定観念を持つ人にはその原因がどこからなのか、なぜそうなった考えを持つのかを考えてもらう事が一番、間違いが間違いだと気づくことが良い事であると知ってもらう事だと思う。犬が犬であるために正しい観念に
今は昔、日本の古文学はこのような書き出しが多い。人は無条件に黙っていても古くなる。それは記憶が呼び戻されるから、あの頃とか、あんな時代こんな時代がと思う瞬間に古くなる方向に向かっている。人はみな過去を振り返るそんな時間があるのだ。時は待たずに過ぎてしま
世の中暑い真夏に突入しようとしている。これまでにも強烈な暑さの日が多くあるのだがまだまだ夏はこれからだ、だがしかしこの暑さの中で先日犬の虐待的散歩を目撃してしまった。犬を飼う人には常に格好を気にして通年犬に飼い主の気に入ったシャツを着せて喜んでいる人を
この国の家庭犬は野放しの状態が多くあるかもしれない、飼い主の多くは何の影響なのかは知らないけれども犬は家族の一員だと思い込んでいる方々が多いように見受けられる、そうした家族の一員と言う思いでありながらもどうしても一目置かれない存在であることが多い、常に
ここではジャパンケネルクラブを参考にして話を進めます。JKCに始めてビーグルが登録されたのは、1955年に1頭のビーグルが登録されたことが始まりである。誰が登録したのかは解からないが私が思うのには米軍関係の人が持ち込んだものかもしれないし、また海外から
犬はどこから来たのか、オオカミが狩猟生活していた人間に飼いならされたことから犬が生まれた、人と共同生活をすることにおいて性格に変化をもたらし遺伝子が変化しながら性格の良い犬達が作られたのではないか。犬の祖先をたどると人間との関わりが見えて来る、全てに決
現在私達が目にする犬達は既にケネルクラブに於いて公認されている犬種ですが、それぞれの犬種が現在の形に形成されたのがいつの頃なのかは私は不勉強で知ることが少ない、それぞれの犬種がそれぞれに沿革を持ち目的を持って作られてきたことは確かな事である。けれども
送信後に読み返してみることが多く、誤字や内容を書き足すことが多くあります。再度読んだものを開いていただけたなら不自然さがなくなります。
ここに不思議な人がいる。本人はたぶん何事もないかのごとくに思い通りに過ごしているのかもしれないが、他人の目はそのようにはいかないのである。これまでになかった光景を見ることになる方々にとってはそれは不思議な光景のように映るものである。他人が何を言おうが自
最近このコラムが変ってきていることに私は気づいている。それは後世に永遠に残すべきビーグルファンシャーでありそれに関わった人間の生き方をどうしても伝えていきたいと考えたからだ、どのようにして望むところのものが作り出せたかにおける思考を残していくべきではな
努力と言うものは何事にも代えられないものなのである。努力と言うものは何のためにと言う目的意識がなければならない。その目的を成就するためにはどんな思いや思考も踏み台にして行くことになるのだが容易な事ではない事は理解していなければならない。何だか簡単にこの
人は皆自身を良く見せようとする傾向があり良く見てもらいたいという欲望がある。顕示欲とでも言うのだろうか人には本来備わっているものらしい、良きにつけ悪しきにつけ自己を飾っての証言がうまい人もいるようである。例えばここに100点満点で60点の評価の犬がいた
あれから40年と言う漫談がある。大変楽しい漫談であるが個人的な趣味に於いては私はその上を行く年が過ぎている。人は良く長いようで短いなどと言うようであるが、そもそもが物事を短く思うのは人生にときめきがないためである。人生にはすべてにこのときめきが大事なので
22年度からFCIのショーシステムが変わり大変楽しくもない状況になっている中で、つまらない、見合わないチャンピオンドックが作られている。どれもこれも、全てのものが一つの形に完成もしくは作られてしまう様はどういう事なんだろうと思う。過去の歴史をたどるとJKCがFCI
これまでに記憶に残る犬達、思い出に残る犬達がたくさんいる。アグネスドリームのケネル名のもとになる犬、84年のチェリーオブ・・他のケネルからの犬であるがこの犬の名を<アグネス>と名付けた。チャンピオン登録の際にこの子の名を付けてアグネスドリームと名付け
私の中に残されたものは何なのか、犬達の笑顔のつまった大きなバルーンなのか今は何もわからないというか、はっきりとしたものが見えてこないのです。いくつものそれこそ数多い犬達は私を置いてきぼりにして逝ってしまった。私は夢中で彼らを探し彼らの暖かであった私への
何事においても世代をつなげるという事には大変な労力が必要になる。長い間の犬達との暮らしで残したいものが沢山あるような気がしてならないのは、いかに大事に思いながら犬達の事に関与して来たかなのです。無学であった頃の事を思うと何だか淋しく思うのだが、原点回帰
子犬は夢を見る。ぴくぴくと夢を見る。どんな夢を見るのかはわからないが気持ちよく見ているのかもしれない、どんな思いで見ているのかが知れたなら楽しいだろうとは思う、子犬の能力は大したことがないように思われるのだが、それでいて飛んで遊ぶような日にちになると何
もしかして、~だったなら、とよく人は思い話すものである。後悔先に立たずなのである。常に思い考えながら物事を進めていく様は決していけない事ではない、長い目で見て長い計画で前向きに進んでいく様は良い方向に進むことなのではないか、私達は常にどのようなものを作
私には数多くのわかれがある。その多くの事は忘れてはいる、人と言う動物は都合の良い動物であるから多くの事を忘れてしまっていても不思議さは思わないものである。これまでに子犬を預けた方々の数は相当な数になるのだが、そのほとんどの方々はその後の連絡付き合いがな
アグネス1を読んだ方々へ、このページを読み返して書き終わらないまま掲載したことを知り少し内容を付け加えましたので再度お読みになって下さい。尚、全編をたまに読み返しておりますので、それぞれに手を加えた個所が沢山あります。
お空に逝った犬はいない。良くこのような事を聞くが命あるものが死んだらどうなるのか、生あるものは息を引き取る時点で無になり全てのものは土に返るのだ。日本の国土は本来が神道であり、もしくは仏教である事が多い中で何故だか人々は他のあらゆる宗教の行いと言うか宗
線引きと言う言葉がある。物事を線引きするという事は難しいものである。良きにつけ悪しきにつけその出来事の判断基準のあやふやなものの線引きには不確かなものがある。例えば白紙に縦線を引き左に良い事、右に悪い事とした場合に羅列された事柄はどちらが早くその余白が
この犬種に携わり長い時間が過ぎ想うことがたくさんあるのだが、人それぞれが思いが違うようにそれぞれが思い思いに過ごして来た時がある。人の気持ちと言うものは不思議、かつあやふやなものと思うのだが、時としてその勝手さは人の想いを純粋な思いの中で留まらせない
きれいなものを見ると気持ちが落ち着き、私達を幸せにする。反対に汚れたものを見ると気持ちがざわめくのは何故なのだろうか。 ビーグルと言う犬種にグルーミング<美容>が必要であると考える人は本当に少ないのが現状です。私の所にこれまでに沢山の方がお出で頂きまし
JKCに於いてはアワードの発表の時期になりそれぞれが、取ったぞと言わんばかりに全国的に伝える事が多くなった。だがしかしその歴史的にはだいぶ折れ曲がった時期が長くありました。1994年であったと思うが、当時マスターフーズと言う社名でペデグリーアワードと言う優
店舗では狂犬病ワクチン接種済みと言うのはあまり聞かない事であるが、混合ワクチン接種済みは良く説明書きが貼ってあるように思います。買う方の思いは無視するように、ほぼ強制的に接種してしまい、それにかかわる経費の計算が表示されている。譲受者にとっては犬体やそ
犬におけるワクチンの違いを説明します。通常考えられるワクチンは狂犬病、混合ワクチンの2種類が考えられます。その他予防を必要とするものには、犬フェラリアとノミ、ダニの予防薬フロントラインなどが考えられる。ここではまず前記二つのワクチンについて考えてみます。
ものには終わりがある、ものには始まりがあるから全てに終わりがある。犬達の死、人の死を終わりとするなら、全てのものに終わりは必ず来るものである、それも始まりがあったからで世に生きた時から全てのものには決められた終わりの時が決められているのかもしれない。例
私は亡くなるという方向に向かっている。人の命はいつ果てるとは予想もつかないものではある。私は必要であろう人を無くしたことがあるが、何だか後悔と言うものが長い間抜けきらないでいた。暮らしには思いもよらない事が起きる。好き好んでそうしたことが起きることを望
人は着飾ると何かと気持ちが穏やかでなくなるような気がします。一張羅と言う言葉が日本にはあるがそんな装いはなんだか気持ちの高揚が始まるような心持です。私事ではあるが、私には少し変わった思いがあり、一度気に入るブランドがあると何だかその物ばかりを集めてしま
けな気さ2について、書き加えた部分がありますので再度読んでください。
今朝、彼のともしびが消えた。本当に従順だった子で私の所に来た時から注意や怒られたことがなく私一人に従順に尽くしてきた子だから何となく私の気持ちもなくなったような寂しさがある。アメリカでどんな暮らしをしていたかは定かではないが、初めて私と彼が顔を合わせた
人間に対してけなげと言う言葉をあまり聞かなくなったような気がします。それはかわいらしさなどの表現を表すことがあり、子供や女子には使われていて対象となるものが少ないからなのか、特に女の人に使われる時にはかわいらしさも含まれて来るから良いように思われる。け
繁殖者とはどのような者なのか、どのような者でも繁殖行為は出来るからそれも繁殖者?なのだろうか、少し違うのではないかと思うのはわたしだけなのか ,現在では安易な言葉が溢れすぎていとも簡単に使われることが多くなった、ブリーダーと言う言葉もその一つではないかと
最近どのように生きて行くかを思うよりも、どのようにきれいに死んでいくかが大事な事のように思えることがある。すべてが終わるという事は人も犬も同じ所に置かれた状況の中では人が思う心の中の方が複雑ではある、それは物事の境目と言うものであるかと思う、その境目を
人の身体は何故こんなに精巧に出来ているのであろうか、またほかの動物と比べて唯一すぐれているのは感情表現であると思う、犬は感情を表すことが好きではあっても意思疎通の言葉の伝達が出来ない。だから人は優れた動物なのだと思う。それでは体の構造に関して書いてみま
最近犬を主体とするコラムから少し離れてしまいましたので犬の話をしましょう。私はいつも犬はどこから来たのか、何故四つ足になったのかと思う日がある、でも私にはそれが解からないので困る、犬と人の繫がりは約1万年くらいに家犬として固定化されたと考えられている。
「 知らないという事は罪悪である。」人はある事に優秀な人もあればそうでない人もある、常識、良識そして考えや思いをどこかの部分で一定の線引きをしなければならない時がある。何故なら人は時どき不安定な気持ち、間違いを持つことがあるから、そもそも人の能力と言
先日信念を貫いて成し遂げたものと伝えたものの、これまでこれでいいのかと問いながら過ごして来たが、私は果たして信念を貫いてきたのか、今になって思うと何だか?のような気もしないではないが、私は今になって大変落ち込んでいる。会社勤めで生涯を終えたなら良かっ
人が作る物には完全、完璧なものはない、人は皆不完全なものであるから、完璧、完全なものは神の領域でしか作れないからである。地球上に犬が存在した<その時には犬と呼ばなかったかも知れない>もしかしたならノアの箱舟にその原型となる犬が種の保存を目的として乗り込
日本には季節の終わりが本来4回ある。近年では1年を4等分と言う状況ではなさそうである。要するに四季と言うものがむかしのような区切りではないという事である。23年のように夏の時期がやたらと長い、美しい日本の四季がもう崩壊の時期にあると言っていいのではないか、
15の春にわたしはなにをなくしたのだったかもうわすれてしまった真珠色のまんねんひつであったか姉ゆずりのひそかな恋であったかもうわすれてしまった物事を行う時に何を一番大事にするのかと尋ねられたなら、私はその人のためになると思えば、と答えるだろう。それは何故
私は多くの犬達の臨終に接してきた。悲しみを数字で表すことは難しいが、子犬<新生児>を含めると本当に多くの犬達がいる。本当に目に入れてもくらいに可愛がった子も多くいる中でやはり10月になりシュウメイギクが咲く時につらい思い出が毎年まわりまわり記憶の中に顔を
情けや情などと言うものがあるのなら、何故人は約束を励行する事には無頓着なのだろう、ためならずなんだから、そもそも情けを掛けることは良い事なのであるが、どうもなんだか違うように理解しているのではないか、人にはいろいろな思いの人がいて自身に良いであろう人も
今月に入り10日ほどバンコクにて過ごして帰って来た。夏前に植えてすでに4か月近いマリーゴールド2~3個の花をつけたまま、まったく開花する気配なしのまま9月が過ぎた。あまりにも咲かないから、お前らはみんな根こそぎ抜いて捨ててやるからと威勢をつけてやった。そ
物事を遂行する時に大事なことはあきらめない事である。そして最も大事なことは信念を持つこと。やる気と言うものは不確かなもので明確さがなければいけない、だからやる気があるは、やる気がないにも近い考えだから安易にやる気と言うのを言葉にしてはいけない。 私は長
人も犬も同じくこの暑い夏のさなかをどのように考えながら生きていたのか。人は暑い暑いと繰り返しながら過ごすとなんだか少しは暑さボケが収まるかもしれない、犬達は皆舌で体温調節を行わなけれならないから、それはそれはハアハアと忙しいものである。犬達は体温が上が
暑い夏が終わろうとしている。これまでにないほどの暑い夏である。このような暑さの中では人も犬達も正常な感覚を失うようである。また犬達の嗜好までも変わるものなのだろうか、私の所では食間に犬達にパンを与えているのだが、今までに与えていた丸パン<私が勝手にそう
9月に入り、夕方になるとコウロギが啼くようになった。もうすぐ秋が来る気配だが今年の夏はまだまだ暑い。人もばてるが犬達もばてる、互いにばてているから互いにあまり関心を示さない、運動不足は否めないそんな状況だからどうしても犬も人も肥える。自分も暑くて動け
<もうじきたべられるぼく>と言う絵本がある。一度ソクラテスというコラムの中で紹介したことがある。この絵本が未来屋えほん大賞と言う賞を受けたと本日の読売新聞に掲載されていた。絵本ではあるがなんだかジーンとくる部分があり、なかなか泣かせるものだ。この子が小
毎日接している犬達はその時その時に何を思うか?生き物は皆、瞬間と瞬間の本当にわずかな隙間を生きていて各々の感性や感情がどのように作動してその瞬間を生き延びているのだろう。犬達は毎日を何を思い何を考えて生きているのだろうと興味の湧くことである。物わかりの
こんにちは。このコラムを読んでいただいている方々有り難うございます。こうしたものは一方的なものですから、皆様からの感想もなければ次に何を求めているかも知らされないままの状況の中での作業となるから、常に不安での中での作業となる、なるべくわかりやすい言葉と
アグネスドリームの犬達はミントの香りで包まれている。二年ほど前に運動場周りに数本のミントを植えたのが瞬く間に増殖して運動場周りの半分を埋め尽くしている。真綿色の紫陽花はすがしく匂うと言われるが紫陽花には匂いはない。良く言われることがある、マリーゴールド
全ての生き物は生きて行く上でやる気ということが重要視されるのではないかと思うのだが、それはやる気と言う動作が何よりもすべての事に関連しているからだと思うのだ。例えば長い間たくさんの犬達に関わりを持ってきたが、その中には他のものを押しのけても食事の量をと
< わかれ>たがいに忘れないということが ただひとつの約束になる そんな別れかたをして 私は町に還って来た
物事には優先順位というものがある。何を一番にするかに於いてその後が決まってくるから大事な事である。そしてまた優先を外した物事の順番と言うものがあるのだが、時においてその優先や順番がいつものように進行しないときがある。20%以下、この数字が何を示すかです
私は常にこれでいいのかと、自身に問いかけている。長い間アグネスドリームと言うケネルの看板を背中に背負いながら過ごして来た。思えばビーグルと言う犬種に関わりを持ったことが年齢的に早くはなく、良く漫談で<あれから40年>なんて言う人気者がいるけれど、本当に
犬と言う生き物はとても純粋なところがある。日頃一緒に暮らしていると毎日思うのだけれど、この子達何を思い考えているのかを知りたくなるのだ、私の所では犬達が従順であるように接して、こちらの想いを常に伝えている。朝犬舎に行くとまずは挨拶、今日は暑くなるよ、
倉庫型店舗が至る所に出店している。なんのサービスもなく会費を取る店舗である。アメリカのグロッサリーでも紙袋くらいはもらえるが、ここは何ひとつ提供されないまま会費だけはしっかりと回収する。そんな中で大きなカートに山ほどの買い物品を積んで何万円もの支払いを
私は30代の後半まで会社勤めをしていた。今でいう二刀流である、百貨店を相手の営業部に所属していて百貨店に自社製品を売る仕事に就いていた。そこでいろいろと気づくことがあり、日本の人は何てバカ丁寧な事を平然とするのだろうかと不思議に思う事があり、例えば日本の
自身の体調が不完全のまま1か月が過ぎた。しばらくこのコラムも休止していた。その間出産があり動かない身体と相談しながらようやく出産を終えた。この数年経験しない事が起きたがそれも何故なのかが解からないまま、子犬は出産後1週間以内に息を絶つ子がいる。私には何が
ソクラテスは瘦せていたのか<古代の人だから実際のことは解からない>、ただこの人の書き残したものはなく、のちに弟子たちがその思いや考えを書き記したものと思う。想像するに痩せていた人物像がなんとなく浮かび上がるのは何故なんだろう、世の中色々な考え方があり
すべての生き者はそれを生きるために捉えたり飼育したりして生命を保つ術を行っている。<もうすぐたべられるぼく>という絵本があるという。生き者の中で全てにおいて特化している者は言われもない人間である。ただ人間は悲しみや辛い事や憎しみや妬みなど多くの思いを
私は花を咲かせることが好きである。犬舎周りにいろいろな花を通年咲かせている。きれいなものを見る事はとても気持ちの良いもので何事にも通じるものだと思う。私は特には蘭を咲かせることが好きです。何年もの間失敗しては捨てていたものがこの7年ほど前からは大事に管
皆さんは雑種と言う言葉をご存じでしょうか、今では懐かしい古の言葉になってしまったかのように使われなくなったのかも知れません。現在ミックスドックと言われている呼び名がそれです。何故雑と言うのか、色々な方向からのいろいろのものが入りまじっている、多くのも
2023年今年の本部展<JKCさくらアニュアルショー2023の結果>オス ベストドック CH 19.8 AGNESDREAMS’ FAIRY STORYメス ベストビッチ CH. 21.12 AGNESDREAMS’ HERAT OF MY HERATBOB。G 1ST CH AGNESDREAMS’ FAIRY STORY 〈オス>
私は20歳代の中頃に、その頃言われていたウサギ小屋ごとくの小さな建売住宅を手にした。勿論全額ないので半分をローンで借りた。先にも後にもこれが私の人生での初めての借金でしたがやがてバブルが来て4倍の値でその物件を売却したので残りの借金をきれいにした。今に思え
2023年の本部展が終わった。3月31日から4月2日の開催であった。私がショーを始めた頃は晴海の東京見本市会場であったが、今はお台場のビックサイトに会場が変わっています。また私が始めた頃のハウンド種のグループは、全てのハウンド全犬種であったので相当数の
桜の花びらが舞う時期が来た。今年は例年よりも早く迎えたようである、ふた昔前までは、本部展の頃にはいまは無いが東京見本市会場の周りには桜が咲いていた。時が過ぎ世の中も変わり、そうした風景までも変わりました。 長い間にいろいろな犬達がインポートされて私のケ
犬達の生涯を決めるのはどのような飼い主に出会うかによってその生涯が決められてしまう。飼い主にはいろいろな思いで犬を飼う事になるのだが、用途と言うか目的にもよってその犬達は大きく変わらずを得ない事も起きえる。飼い主は気に入った犬達を選ぶことが出来るが、犬
外は穏やかで温かい春、花粉が飛ばなければ良い季節なのだがどうも今年は花粉が車の屋根にまるでワックスのように残るのが見られる。 子犬は繁殖者の管理下から離れると、どんな状況下の中でも過ごしていかなくれはならない。泥だらけで過ごす犬もあれば、きれいに爪を
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犬は文字を読まない。私もそのようであるが現在文字を読むという事が失われているような気がする。本離れ文字離れがどんどん進んでいく傾向にある事が確かな事のように思う、私がまだ会社に在籍していた頃には出張も多くあったのが良い事だったのかも知れないが本をたくさ
先日息子が来た。約25年シドニーに住んでいてたまにぶらっと日本での用事を済ませて数日帰ってくる。帰りもまた数か国を回り帰るようだが私には解からない。呑気なものだと思ってはいる、彼は知り合いを連れて来たので温泉にでも行こうという事になり、私が良く犬達を連れ
15の春に私は何を無くしたのだったか もう忘れてしまった 真っ白い万年筆だったか 姉譲りの密かな恋であったかもう忘れてしまった 淡い心を持つ少年時代に私はビーグルと言う犬種に出会った。それはこれから狩りに行こうとしている犬達の群れが馬の足元に集
何故人は亡くなった後にも見栄を張るものなのだろうか、人間社会の特殊な事なのかもしれない、勿論犬社会にはない現象である。物事の生産性を上げるためにはよりよく生きる為には無駄な事を省く必要がある、以前見栄、無駄、が言われる時代があった。その頃には皆そうし
私は古くなった、気力だけでは何事もできない現状がある、体力が気力に追いつかない悲しくもある状況であるのだ、昔々の話ではあるがその頃は何も恐れることもなく一つの想いに慢心していた頃がある、何事も出来るという気持ちを持っいていたから怖いものも一つとしてなか
いつものように犬達は明るい日差しのもとで何を思うのかゆっくりとしている、優雅なくらいに寝転ぶ姿は何て良い光景だろうか、自分もまた少し小さな椅子を出して座っている。そこでののちゃんが私の膝の上にぴょこんと乗っかってくる、思い体重を何とも思わずに簡単に乗っ
皆さん犬と共存して楽しく過ごしていますか、私は犬に対して常に考えている事が多く、人は何故犬を飼うのか人は何を求めて犬を飼うのか人は何を目的にして犬を飼うのか、そうした思いをどこまで掘り下げて考えられるか,各々の方が犬とどのように暮らして行きたいのかを知り
犬と言う生き物はおもちゃではない、以前こんな方が尋ねて来た子供に子犬を買って預けたいというのである。はて!子供に子犬?どういう事なんだろうか子供に子犬の玩具、とんでもないはき違いの方がいるものでこの件には大変驚きがあった。こんな人も世の中には生きていて
ホカホカの生れたばかりの子犬はどれも可愛い。産毛の持つ臭いは長い時間続くことがないから今だけが喜びの時間なのである。やがて産毛から成犬の毛に変るころには子犬達も活発になり手に負えない状況になるのだろうが、それはそれでまた可愛さがあるし十分ないたずらがお
これは他人を見くびる、攻撃する、卑下する事ではなくビーグルと言う犬種を理解していただきたい気持ちから書き始めました事を承知してください。どの様な事においても再三伝えてきましたが、学ぶこと学ぶ姿勢が大切な事と思うのです。昨日半年ぶりにアグネスの子達がショ
国内で不動の地位を続けられたことは何よりも血液を間違いなく一本化したおかげで質の良い子を作出出来てきたことが良い結果となり継続していくことが出来た安心感が持てたものと思う。国内に於いては1994年からランキングシステム、ペデグリーアワードと言うシステム
アグネスドリームは1970年代末にオス1頭メス1頭のビーグルから始まった。その数年前に町のショップから迎えた子が数日後にジステンパーを発症して大変な労力と金銭がかかり亡くなった。そんなことがあり無知な者が愛犬の友を頼りに子犬を探すこととなり、迎えた子が
私が若かった頃は遥か遥か前の事になった。古いものは再生できるものなのだろうか、私のような古くなったものの再生は不可能なのである。古くなるという事は淋しくもあるがそれでいて自身の歴史が此処にあるのだから心は大変裕福なのである。常に気持ちを裕福に保つ事は大
私の長いビーグルとの関わりの中で一番の感動をあなたと共有したいと思います。それはたくさんの中から決めなければならないがやはり一番がいくつもあるのだ、犬の暮らしの中でも少しばかりの状況の違いの中での一番として話をします。1991年アリゾナ州メサでのナシ
私はこれまでにスパーへ買い物に行くと良くこのプリンを買って食べていたが、最近になってこれに飽きが来たので犬達に与えてみようかと、もともと野々花と言うメス犬は変わったものが好きでアボカドやマンゴーが好き種までも嬉しそうにきれいにかじるのが好き、そこでこの
壁にかかる時計が突然仕事をしなくなった。それも3か所の時計が同時期に止まってしまった。偶然ではあるけれども何たることかと考え込んでしまった所です。手ごろなものは修理しても無駄だからすててしまったがこんなに長く生きてきて初めての体験である。何事も突然と言う
ミジーとレクサスと言う名の犬がいた。ミジーは犬名をAMCH Agnesdreams' one note samba, 1994年生まれであり父はAMCHランバーリトルデキンス、母はCHアグネスドリームズスイートメモリー。レクサスの犬名はAMCHAgnesdreams’ hot ticket, 1997年の生まれである。
息をしている事がいかに幸せな事であるか。人には思いや感情があるから人は皆悔しさを残して死んでいくものかもしれない,たぶん私も。私は長い時間犬達との時間を費やしたが、後悔先にたたずではあるがやはり思う事は後悔する事ばかりである。何十頭もの犬達を見送った後に
あちらこちらで百日紅<さるすべり>の花がきれいに咲いている。人はきれいなものを見ることが好きできれいなものを見る事への喜びがある、何故気持ちが穏やかになるのか、きっと人々の気持ちの中に美に対してのそうした邪念のない気持ちがあるのかもしれない。抱いた想像
世界の国々にはそれぞれにケネルクラブがあり犬達のために活動している。FCIと言う大きな組織は1911年に5か国を持って創設された畜犬団体であり、ジャパンケネルクラブ<JKC>は1949年設立であるから古い団体である。JKCはこの団体に1979年に加入している。私
先日信念を貫いて成し遂げたものと伝えたものの、これまでこれでいいのかと問いながら過ごして来たが、私は果たして信念を貫いてきたのか、今になって思うと何だか?のような気もしないではないが、私は今になって大変落ち込んでいる。会社勤めで生涯を終えたなら良かっ
人が作る物には完全、完璧なものはない、人は皆不完全なものであるから、完璧、完全なものは神の領域でしか作れないからである。地球上に犬が存在した<その時には犬と呼ばなかったかも知れない>もしかしたならノアの箱舟にその原型となる犬が種の保存を目的として乗り込
日本には季節の終わりが本来4回ある。近年では1年を4等分と言う状況ではなさそうである。要するに四季と言うものがむかしのような区切りではないという事である。23年のように夏の時期がやたらと長い、美しい日本の四季がもう崩壊の時期にあると言っていいのではないか、
15の春にわたしはなにをなくしたのだったかもうわすれてしまった真珠色のまんねんひつであったか姉ゆずりのひそかな恋であったかもうわすれてしまった物事を行う時に何を一番大事にするのかと尋ねられたなら、私はその人のためになると思えば、と答えるだろう。それは何故
私は多くの犬達の臨終に接してきた。悲しみを数字で表すことは難しいが、子犬<新生児>を含めると本当に多くの犬達がいる。本当に目に入れてもくらいに可愛がった子も多くいる中でやはり10月になりシュウメイギクが咲く時につらい思い出が毎年まわりまわり記憶の中に顔を
情けや情などと言うものがあるのなら、何故人は約束を励行する事には無頓着なのだろう、ためならずなんだから、そもそも情けを掛けることは良い事なのであるが、どうもなんだか違うように理解しているのではないか、人にはいろいろな思いの人がいて自身に良いであろう人も
今月に入り10日ほどバンコクにて過ごして帰って来た。夏前に植えてすでに4か月近いマリーゴールド2~3個の花をつけたまま、まったく開花する気配なしのまま9月が過ぎた。あまりにも咲かないから、お前らはみんな根こそぎ抜いて捨ててやるからと威勢をつけてやった。そ
物事を遂行する時に大事なことはあきらめない事である。そして最も大事なことは信念を持つこと。やる気と言うものは不確かなもので明確さがなければいけない、だからやる気があるは、やる気がないにも近い考えだから安易にやる気と言うのを言葉にしてはいけない。 私は長
人も犬も同じくこの暑い夏のさなかをどのように考えながら生きていたのか。人は暑い暑いと繰り返しながら過ごすとなんだか少しは暑さボケが収まるかもしれない、犬達は皆舌で体温調節を行わなけれならないから、それはそれはハアハアと忙しいものである。犬達は体温が上が
暑い夏が終わろうとしている。これまでにないほどの暑い夏である。このような暑さの中では人も犬達も正常な感覚を失うようである。また犬達の嗜好までも変わるものなのだろうか、私の所では食間に犬達にパンを与えているのだが、今までに与えていた丸パン<私が勝手にそう
9月に入り、夕方になるとコウロギが啼くようになった。もうすぐ秋が来る気配だが今年の夏はまだまだ暑い。人もばてるが犬達もばてる、互いにばてているから互いにあまり関心を示さない、運動不足は否めないそんな状況だからどうしても犬も人も肥える。自分も暑くて動け
<もうじきたべられるぼく>と言う絵本がある。一度ソクラテスというコラムの中で紹介したことがある。この絵本が未来屋えほん大賞と言う賞を受けたと本日の読売新聞に掲載されていた。絵本ではあるがなんだかジーンとくる部分があり、なかなか泣かせるものだ。この子が小
毎日接している犬達はその時その時に何を思うか?生き物は皆、瞬間と瞬間の本当にわずかな隙間を生きていて各々の感性や感情がどのように作動してその瞬間を生き延びているのだろう。犬達は毎日を何を思い何を考えて生きているのだろうと興味の湧くことである。物わかりの
こんにちは。このコラムを読んでいただいている方々有り難うございます。こうしたものは一方的なものですから、皆様からの感想もなければ次に何を求めているかも知らされないままの状況の中での作業となるから、常に不安での中での作業となる、なるべくわかりやすい言葉と
アグネスドリームの犬達はミントの香りで包まれている。二年ほど前に運動場周りに数本のミントを植えたのが瞬く間に増殖して運動場周りの半分を埋め尽くしている。真綿色の紫陽花はすがしく匂うと言われるが紫陽花には匂いはない。良く言われることがある、マリーゴールド
全ての生き物は生きて行く上でやる気ということが重要視されるのではないかと思うのだが、それはやる気と言う動作が何よりもすべての事に関連しているからだと思うのだ。例えば長い間たくさんの犬達に関わりを持ってきたが、その中には他のものを押しのけても食事の量をと
< わかれ>たがいに忘れないということが ただひとつの約束になる そんな別れかたをして 私は町に還って来た
物事には優先順位というものがある。何を一番にするかに於いてその後が決まってくるから大事な事である。そしてまた優先を外した物事の順番と言うものがあるのだが、時においてその優先や順番がいつものように進行しないときがある。20%以下、この数字が何を示すかです
私は常にこれでいいのかと、自身に問いかけている。長い間アグネスドリームと言うケネルの看板を背中に背負いながら過ごして来た。思えばビーグルと言う犬種に関わりを持ったことが年齢的に早くはなく、良く漫談で<あれから40年>なんて言う人気者がいるけれど、本当に
犬と言う生き物はとても純粋なところがある。日頃一緒に暮らしていると毎日思うのだけれど、この子達何を思い考えているのかを知りたくなるのだ、私の所では犬達が従順であるように接して、こちらの想いを常に伝えている。朝犬舎に行くとまずは挨拶、今日は暑くなるよ、