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2022/02/27

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  • グルメ難民

    インターネットの活用によって、私たちは、無限の情報が駆け巡る中で暮らす存在になった。今や私たち個人は、情報の大海を航海する小舟であって、進路は自分で選べるものの、昼夜を分たず無数に発信される、真偽も定かでない情報に常時接する人生を送らねばならない。私たちは昔と違って、情報の正否に、特段の注意を払わなくてはならなくなっている。地球の温暖化と砂漠化そして海洋汚染は、それらのどれもが、人間の営為による自然環境の恒常性への干渉の結果だが、この干渉による変動は今日、地球規模で海の生態系に不可逆的な変化をもたらしているようだ。魚食民族の私たちの食生活に、看過できない多大な負の影響を顕し始めている。この国で、連綿と受け継がれてきた先祖伝来の食生活を維持することが、最早困難になっていることを日々思い知らされている。昭和の...グルメ難民

  • 愛犬のこと

    私には様々な動物飼育歴がある。子供の頃に「伏見稲荷を神棚に祀ってあるから」(狐と犬は不仲)という訳のわからない理不尽な理由で、犬や小動物を飼わせてもらえなかったので、家庭を持ってから、小鳥・鶏・鶉・兎・犬・猫・川魚と、矢継ぎ早に飼育した。3人の子どもの末っ子が幼児期をすぎる頃に、雄のシェルティが家族に加わった。何十年か前に逝ったこの犬を、折に触れ想い出す。夫婦だけで山歩きをするときに、屢々この犬を伴った。面白いことに、この犬種は洵に使命感の強いところがあって、山道ではいつでも我々を道案内するのだった。未体験の知らない山道でも先導しようとする。特に、急登で飼主の歩行が捗々しくないときには、先になり後になり、時には吠え追い立て、我々に行動を促し進路を与える。羊の群れを統御するよう作出された使役犬ならではの使命...愛犬のこと

  • 浜松フラワーパーク15

    選挙日の翌日、フラワーパークのバラ園に、秋のバラの花の香りを慥かめたくて行った。生憎明け方まで降雨があり、花弁に雨水が溜まっていて、香りを楽しむことはできなかった。帰りに鉢植えの花でも買おうかと売り場に立ち寄ったら、室外のフジバカマの鉢棚に、アサギマダラが1頭、吸蜜に来ていた。バラの香りを補って余りある、今年初めて見たアサギマダラに癒され、帰途についた。浜松フラワーパーク15

  • 心意気

    私がこの齢になるまでの長い間、互いに心が通じ合ったと確信できた人々とのことを想起する時、その人たちの全てから、心意気というものを感じていたように思う。交誼を結ぶ期間の長短は関係ない。どんなに長くても、心意気の介在しない関係は、泡沫のようなものである。徒に長い交際期間があっても、心意気の缺けている人物とは、誼が深まらなかった。肝胆相照らす関係には、お互いの裡にある、心意気という割符が必要不可欠であったと思う。友誼は互いの心意気から生まれるものである。心意気というものは、外に顕れるもので、有・無を確かめるのは存外簡単である。【心意気がある】①気前が好い②侠気がある③思い入れが深い【心意気がない】①吝嗇(ケチ)である②事大主義者(長いものに巻かれる)④臆病であるこれなら分かり易い。これを見れば、心意気のある人も...心意気

  • 選挙戦も終盤

    衆議院の解散総選挙も終盤に入った。各党選対本部は当落予想に一喜一憂、テコ入れに応援を奔らせる。候補者は最後の頑張りに、全力を投入している。候補者の政見を聴いていると、段々、それぞれの候補者の置かれた立ち場と切迫度が伝わってくる。この騒ぎも、27日で終わる。与党の当選回数がそこそこの議員は、当選したら公約などそっちのけ、新内閣の閣僚や党の役職しか、眼中に入らなくなるだろう。前ブログで書いたが、老生は改革を叫ぶ候補者を信用していない。「改革」の胡散臭さ-道々の枝折与党総裁と野党代表の選出が近くなってきた。「改革」を声高に叫ぶ候補がいるが、彼らは実は政治理念をもたず、詳しく議員・党員に説明できる詰めた政策をもたないのではな...gooblog政治課題としては、改革が最も難しい。その人が本当に改革に取り組む気があ...選挙戦も終盤

  • 民主主義のコスト

    民主主義というものは、登山に喩えるなら、削ぎ立った狭い尾根の一本道を行くようなものではなく、両側の谷が視野に入らないほどの広尾根を歩くようなもののように思える。ガスっていれば、中央部を歩いているのか、滑落の危険のある両側の谷に臨む縁(へり)を歩いているのか、判然としない広い尾根・・・山歩きをする人なら先刻ご承知だろうが、最も道迷いし易いのは、このような広尾根である。常に尾根の中心を歩めるなら安全だが、樹木その他の障害物でそれは不可能、尾根の両端(はじ)の間を、右端(はじ)に寄り過ぎたり、左端(はじ)に寄り過ぎたり、ジグザグに進路を修正しながら歩かざるを得ない。民主主義というものもこれに似て、為政者が、始めから安心・安全な中道を辿れないものである。なぜなら人間というものは、選択の幅の広い、判断の自由度の高い...民主主義のコスト

  • 万葉の森公園9オケラ

    7ヶ月ぶりの万葉の森公園。この日は、園内の建物内で万葉食の食事会があった模様、駐車場に車が多かった。昨年は我々夫婦も参加し試食した。食後マコモの葉で、縁起物の亀を編む講習がセットされていたが、老生は巧く作れなかった。手芸好きの妻は何とか亀らしいモノを作った。園路の入り口はヒオウギが並び、黒いヌバタマを覗かせていた。ツリガネニンジンもう時期を過ぎている。オケラオケラの花の好い状態を撮ることができた。長年栽培していたが、このような綺麗な状態の花を観ることがなかった。カシワ柏餅が好物なので、この葉は見逃さない。カクレミノニレクヌギシノ(メダケ)シノの生えている処に来ると足が止まる。篠は笹・竹の中で最も好きな種類。シノの葉スガナヨタケ(ナヨタケ)ナヨタケの稈カラタチマユミヤマチサウワミズザクラウノハナハマユウハギ...万葉の森公園9オケラ

  • 賢明な人?

    定年または引退まで、恙無く無事に浮世を渡ることができたということは、別の見方からすれば、自分の意思の多くを、抑えたり撓めたりして来たということの証である。人生における自分の意思の実行度合いは、0から10まであるとして、両極端は現実的でなく、大方の実行率は7分前後に落ち着くだろう。世の中は意に染まないことをしなければならないことが多々ある。自主自律の精神を尊ぶのが近代人だが、言うは易く行うは難しい。人間自分の意思をあらゆる場面で推し通すことなどできるものではない。協和・同調・妥協・迎合・雷同なくして、他人と協働や協調をすることはできない。万一自分の意思が誤っていた場合には、他者との協和で事なきを得ていたはずである。権力者と雖も、いや権力者ほど、自主自律が難しくなるのは、国政を観察していればよくわかる。意思は...賢明な人?

  • 浜松フラワーパーク14

    昨日は、当記事を誤って白紙でアップしてしまい、ご閲覧いただいた方々に、ご迷惑をおかけ致しました。お詫び申し上げます。*************************************7月以来、3ヶ月ぶりにフラワーパークを歩いた。夏の猛暑はこの園にも害を及ぼしたとみえ、いつもより草や木の花が少なく、好んで訪れるスマイルガーデンに花はなく、寂しい園路だった。コスモスはチラホラ、フジバカマは蕾段階、オミナエシは探したが見つからなかった黄色の彼岸花・酔芙蓉・秋明菊の3種が、見頃を迎えていた。ショウキズイセン(彼岸花)自生のムラサキツユクサシュウメイギクスイフヨウピンカ浜松フラワーパーク14

  • 緑を身近に

    老生の植物愛好と栽培は、屋外での雑草観察から始まった。それまでは、とんと草花の名前に疎い無粋者だった。先ず身の廻りの目に触れる雑草から覚え始め、山野草→高山植物→蛇紋岩残存植物→竹・笹類と、10年単位で親しむ植物が増えた。老いるに従って観察の機会は減り、それと反対に栽培が増える。ここ数年は、植物の栽培にも断捨離が必要と気づき、鉢植えを減らしている。年齢のせいか、美しい花々を見ることに熱意が湧かず、毎夏の朝顔を除き花づくりは早々に諦めてしまった。花に心を奪われなくなったのは、感性が涸れたという指摘もあるが、色彩にあまり魅惑されにくくなったと理解している。綺麗な花々に変わって、ススキを実生で栽培したり、コケを鉢植えにしている。もはや仙人の趣味の領域。対象は移っても、植物を愛する気持ちは変わらない。苔が好きなの...緑を身近に

  • 前例踏襲と無謬信仰の源

    世の中は優勝劣敗、リスクに充ち満ちている。となると、8割の人はこの世を無難に渡るために、リスクを取らない処世を身につけようとするかリスクを回避する方法の習得に腐心する。リスク管理などという、尤もらしい言葉も生まれる。予測できるリスクに対してならそれで好いが、予測できないリスクに対してはどう対処したら好いのだろう。予測可能なリスクなどたかが知れている。予測不能なリスクがあるから、世渡りが怖いのではないか。手におえないことは、神仏に祈るか衆を恃んで大勢で突破するしかない。「赤信号みんなで渡れば怖くない」である。人間は多勢となら、過酷な運命でも、甘受できる生き物である。初詣の人出は、如実に大衆の心情を顕している。人は誰もが、リスクから逃れる術をもたないということを知っているのである。ならばリスク回避に汲々としな...前例踏襲と無謬信仰の源

  • 合理精神

    合理精神というと、冷徹を連想してしまう人がいるが、それは偏った理解である。合理性の高い人から、その様な印象を受けがちだからであろう。クールでなくホットな合理主義者も多い。合理精神とは、心の持ち様が自然の理に適っていることである。したがって、科学的常識に則って物事を考える。情緒に惑わされることが尠い。そこが他者との同調の差し支えになることは多々あるに違いない。合理の対極に、不合理・非合理・無理・理不尽がある。不合理な精神の持ち主は、非科学的常識をもって思考し判断し、物事に対処する。合理性の無いところに、有耶無耶・誤魔化し・隠蔽・虚偽が蔓延る。これらは不合理の果実と言っても好い。個人も組織も、合理性を失っては立ち行かない。ところで、科学的知識の豊かな人に、合理精神を缺く言動・行動が顕れることがあるのは、一体ど...合理精神

  • コーヒーの実

    嬉しいことに、コーヒーの実が赤熟してきた。精製の知識がないので検索したら、UCCコーヒーに、精製の方法についての詳しい記述があった。初めての体験ではあるが、精製は言葉ほどには難しくなさそうだ。完熟が楽しみ。コーヒーの実

  • 倫理と論理

    論理は言葉による説明の筋道。倫理は人の人たるに相応しい筋道。倫理はどこまでも、自然人に関わるものである。人偏を強く意識しなくてはならない。しかるに企業倫理とか政治倫理とか、自然人でない存在に倫理の語を遣うのは、意味的におかしい。法人企業や官公庁自治体などの団体には、コンプライアンス(法令遵守)があるばかりで、倫理の語を遣うのはまやかしである。無いものをあるが如く錯覚させる用法は、論理を混乱させる因である。企業名に個人の敬称である「さん」を付ける日本人独特の言語感覚が、企業倫理などという論理的に意味不明な言葉を生む。倫理はあくまで、人に限られるものである。私たちの社会は、資本の論理、企業の論理、集団の論理など、社会的、経済的、政治的に論理をもって構築された価値を奉じて生きている。論理を優先することで、あらゆ...倫理と論理

  • 派閥消滅

    「一味」とは、志を同じくするという意味から、仲間・同志のことを謂う。「一味徒党」とも遣われ、古くから一派を表す歴とした日本語である。ポーズかも知れないが「派閥」を日本の政治風土から消滅させようと、時の自民党総裁が自らの派閥を率先解散し、結党以来初めて党内の派閥をなくそうとした。一派を除いて、派閥は党内から消えた。派閥という用語をいつの時代に誰が遣い始めたかは寡聞にして知らないが、多分明治以後の造語が盛んになった頃のことだろうか。江戸時代には無かった言葉ではないかと思う。日本語としては一味という語の方が由緒正しい。「一味」の語を嫌うのは、この語の語感が面白くないのだろう。「一味」と呼ばれたくない人々が、より重々しい造語を遣うようになったと想像する。どう名称を替えようと、目的は資金づくりと猟官運動、中身は「一...派閥消滅

  • 俗物嫌いの大俗物

    私は長いこと、人にとって最も大切な素質は品性であり、その人の品性は、謙虚さ・寛容さ・純朴さという形で外に顕れると固く信じて来た。前記三点を欠くと、人は俗物になる。青年時代から、人の振り見て、俗物にはなるまいと、一生懸命気をつけていた。品性を尊ぶ生き方は人を俗物嫌いにさせる。私は大の俗物嫌いになった。古希を前にした頃から、内省することが多くなり、具に自分自身の俗物性を点検してみた。友人知己との比較も試みた。思いもよらなかったことに、俗物性という点において、他の誰をも凌いでいると知って愕然とした。私はお目出度いことに、自分の好奇心が、何よりも俗物性を招くものであるとは夢にも思っていなかったのである。好奇心は一般に肯定的に受け止められている。大人たちは子どもたちの好奇心に寛容である。好奇心の増大は成長の証だから...俗物嫌いの大俗物

  • リテラシーの違い

    リテラシー(literacy)の本意は、読解記述力であるという。そこから「リテラシーが高い」とか「リテラシーが低い」という認識が生まれる。今日のビジネス用語としては「ある分野に関する知識やそれを活用する能力」を指すらしい。私たちは、人と話し合って、どうしても分かり合えない溝を感じるとき、発想の違いか又はリテラシーの違いにその要因があると考える。発想の違いは乗り越えられないが、リテラシーの違いは努力で乗り越えられる。相手を嫌って聴く耳をもたないという場合はあるが、これは論外である。その聴く耳をもたない不寛容が、昭和の日本のテロ事件を生んだ。1932年(昭和7年)5月15日の夕、時の首相犬飼毅は、海軍の青年将校らの襲撃を受けた。ロンドン軍縮交渉・満洲国の承認反対・世界大恐慌に発する不況と農村の疲弊など、外交や...リテラシーの違い

  • 近くから始まる

    ことわざに「遠くて近きは男女の仲」という。(遠く離れている間柄でも、男女の仲は予測不能、急に近くなることもある)という諺言は含蓄が深い。一般に恋は近くから始まるものである。始めから遠くの異性に憧れるのは、強度のロマンチストか、空想好きの人であろう。普通は近回りの異性に恋心を感じ、交際範囲が広がるにしたがって遠くの異性との交流が増え、それに付随して恋も発生する。老生の若い頃は、文通が盛んだった。字が拙かった私は手紙が苦手で、国内の文通を意識して避けていた。中学になり英語を教えられるとすぐ、海外文通を始めた。戦勝国のアメリカと敗戦国のドイツの少年男女を紹介された。(当時はぺンフレンドの国際的な紹介機関があった)文通を始めてみると、アメリカのペンパルの生活環境と自分の生活環境とがあまりにかけ離れていて、ただただ...近くから始まる

  • 金メダル

    人は何かになるために生まれてきたのではなく、どのように生きるかを験されるために生まれてきているのではないかと思う。運命に験され、それにどう対処したかが全てであり、成った成らないは結果ある。重要だが大切ではない。結果を出さないと評価されないのが世の中だが、拘泥する必要はない。なぜなら、結果に左右される世間は、個々の無名の人の験された経緯(生き方)には全然関心が無いし、知りたいとも思わない。試されたことへの評価は自分自身でするしかないが、それで良いのである。世評は大きいが重くはない。験された経過は逐一その人の人格や識見に反映され、その人の血肉に成る。自身がどのように生きたかという事実が、成果にかかわらず価値の全てである。金メダリストになるために生まれてきたアスリートはいない。努力と精進の結果が、金メダル授賞を...金メダル

  • ヤモリ

    先月ご報告致しましたヤモリの件、一回り大きく育っています。成長ぶりのめざましさを観たら、もうしばらく観察したくなりした。生餌のコオロギ飼育にも漸く慣れて来ました。ヤモリを飼っているのか、餌のヨーロッパイエコオロギを飼育しているのかわからない状態になっています。コオロギの取引単位は最小50匹、ヤモリの食事量は、1日に1匹で充分。管理を間違うと1週間以内に40匹以上が死滅します。歩留まりの悪いことこの上ありません。かくてはならじと、コオロギの飼育環境を改善したところ、何日経っても元気で居ます。当初は訳もわからず、霧吹きで水を与えたため、2、3日で全滅したことがありました。ヤモリの飼育ケースの3倍の飼育ケース、どちらが主なのか従なのか?もはや本末転倒状態です。閲覧注意!昆虫が群集しているのを見るのが大嫌いな老妻...ヤモリ

  • 「改革」の胡散臭さ

    与党総裁と野党代表の選出が近くなってきた。「改革」を声高に叫ぶ候補がいるが、彼らは実は政治理念をもたず、詳しく議員・党員に説明できる、詰めた政策をもたないのではないかと思われる。自他にわかりやすい、特に選挙民にアピールするから、改革を掲げるのである。彼らは、改革を錦の御旗に選挙戦を闘う。自らの政治思想と理念に裏打ちされた政策を抱える候補にこそ、総裁・代表にになって欲しい。改革の前提には旧弊というものがある。旧弊はそれを好しとする人たち、守旧勢力によって、これまで支持されていたのである。これを圧倒するというのは、生やさしいことではない。自ら傷を負う覚悟で臨まなければならない。江戸期の三大改革が好例で、いづれも、幕府の強権をもってしても成功しなかった。それでも敢えて改革を掲げるのは、庶民(選挙民)の政治不信や...「改革」の胡散臭さ

  • 自称亀仙人の朝の体操

    漫画「ドラゴンボール」は、1982年に鳥山明氏が著作し、2年後にはアニメ化され、約11年間放映された。その間、育ち盛りのわが家の子どもたちは「ドラゴン・・・」と共にあった。当時男盛りの老生、夜の巷を彷徨することが多かったが、家にいる時は、子どもたちと共にこのアニメを見続けた。キャラクタのひとり「亀仙人」が好きになり、気質といい風体といい、老いたら亀仙人のようになりたいと、いつも家族に語っていた。40年後の現在、亀仙人風に老いたかどうかは確信がもてないが、ほとんど仙人に近くなりつつあるようなきらいは感じている。自称亀仙人の朝の体操1【腿裏のストレッチ】ハムストリングスを伸ばします。2【腰のストレッチ】骨盤周りの筋肉を緩めます。①椅子に腰を掛ける。②両手を前に出し、片方の手の甲の上に別の手の平を合わせ、両手を...自称亀仙人の朝の体操

  • 「左舷落水、右転舵!」

    老生が未だ40代で多少釣りに興味があった頃、浜名湖内での釣りは、専ら船外機付きの釣舟を利用していた。釣りだけでなく、家族の海水浴や潮干狩りなどにも舟を度々利用した。家から係留地まで近く、湖内を移動するには便利だった。この舟は、湖畔で民宿を開業しようとした人が所有していたのだが、建物が旅館業の基準に叶わず開業を断念したことで不要になったものを譲り受けたのだった。数年後、知り合いがディーゼルエンジンの中古漁船で、活発に外海へ釣行していることを聴いた。いずれは自分も外海に出たいと願い、取り敢えず保有していた小型船舶操縦士4級の免許を2級にアップしておこうと、浜名湖内にあるヤマハマリーナでの免許取得講習に通い始めた。もともと、海は好きだった。受講者は60才代の老人から20才代の若者まで、年齢職業の雑多な10人...「左舷落水、右転舵!」

  • あれから1ヶ月

    8月8日発生の日向灘地震の警報と、それに続く8月22日発生の台風10号の大量降雨に、連続約7週間も翻弄された日本列島、漸く昨日台風が消滅した今朝は、鉢植えのアサガオが一斉に咲いた。毎日の雨に花を開けず、耐えていたに違いない。今年は猛暑で、アサガオの平づくりはあまり数多く咲かなかった。睡蓮鉢のメダカは、気温が下がりだしたら産卵が始まり、ガラス鉢に分けておいた卵が孵り始め、針子が元気に泳いでいる。よくこの猛暑を凌いでくれたものだと思う。地震警報が発せられた後に、次男がヤモリの幼体を保護した。妻子たちは一致して飼育を嫌うので困り、生き物好きの老生の処へ持ち込んで来た。いくら生き物好きでも、爬虫類は好きになれないのだが・・・仕方がないので、Amazonで活き餌のヨーロッパイエコオロギを取り寄せ飼育をしているが、コ...あれから1ヶ月

  • 予報円というもの

    台風の予報で私たち住民にとって大切なのは、進路の予想と暴風雨圏である。暴風雨は地形の影響を受けやすく範囲の特定は極めて難しいから、台風予報の主眼は進路ということになる。進路の予報は確率70%の予報円で示される。したがって先の予報になるほど予報円は大きくなる。実際のところ予報円は、予報者にとっての意義はあるが、被害に晒される私たち住民にとっては、ほとんど意義がないように思う。中には、予報円と暴風雨圏を混同してしまう人たちもいる。視覚的に混同し易いのである。米軍の合同台風警報センター(JTWC)の台風予報の方が、シンプルかつ合理的に思えるのは、私だけではないと思う。こちらの進路予想図に予報円は表示されない。情報を受ける側に必須のものでないという認識が定まっているのだろうか?軍事用であれ民生用であれ、台風の進路...予報円というもの

  • 器質と機能

    老化というものは、身体の器質の劣化と機能の低下が同時並行的に進行する。年齢を累ねるに従って、双方リニアに進行する。この傾向を遅らせようと、私たち高齢者は日夜アンチエイジング対策に奮励努力しているが、ある意味自然に逆らうことなので、成果はなかなか挙がらない。そのあたりが、誇大広告のサプリメントが隆盛を極めている理由だと思う。サプリメントは薬品でなく食品なので、効能を謳ってはいけないものだろうが、やれ肌に効く・目に効く・耳に効くと、CMが喧(かまびす)しい。サプリメント広告は、テレビ局にとって今や稼ぎ頭になっているのではなかろうか?老人は休息していても眠っている間も、全身の筋肉が固くなり縮む。安心しを枕を高くして寝ることもできない。筋肉の拘縮は、器質の劣化の最たるもので、腰痛・股関節痛・膝関節痛を引き起こす原...器質と機能

  • 分析癖

    老生の最大の欠点は、分析癖という悪癖である。調査も研究もせず、知見を蓄えてもいないのに、直感で恣意的に分析する悪い癖。その結果として、独断と偏見に満ちた判断や結論がある。ハテ、どこかに誰かよく似た人物が居たような?・・・思い当たったのが【男はつらいよシリーズ】の「フーテンの寅さん」だ。彼の思考回路は独断と偏見に満ち、毎回問題を惹き起こす。軽率な分析が彼の誤解・曲解の発端になっている。妹のさくらやその夫博のとりなしで、辛うじて寅屋の平和は保たれているのだが・・・軽率に手前勝手な分析をして周りに迷惑をかける寅さんだが、真率で衒いのないところが、周囲の人々に愛されている。それが当人の甘えを助長している面もある。「独断と偏見」の権化のような寅さんの生みの親は、脚本を書いた山田洋次監督。監督の緻密な人間・女性・社会...分析癖

  • 「天竜川源流」考

    河川法という法律がある。この法律では河川は「公共の水流及び水面」と定義されている。水流は河川、水面は湖沼である。水源から河口に至るまでの、本川や支川のまとまりを、河川法では水系というらしい。水系に一級(国管理)・二級(都道府県管理)の別があり、一級水系内の河川は全て一級河川であり、二級水系内の河川は全て二級河川で、同じ水系で一級と二級の河川が混在することはない。琵琶湖は淀川水系の一級河川淀川の一部であり、浜名湖は都田川水系の二級河川都田川の一部である。つまり、湖の名はあっても、河川法上は川の一部である。遠州人・信州人に馴染みの深い天竜川の水源は、一般的には諏訪湖とされている。岡谷市の釜口水門が諏訪湖と天竜川の境と、歴史的にも常識的にも認定されている。しかし、諏訪湖に流入する小河川は多数あり、河川法上では諏...「天竜川源流」考

  • 秋の先駆け

    毎月の定例飲み会の帰り途、駅始発のバスがお盆期間中は土日ダイヤで運行していると知らずに待っていた。最終バスの出発時刻にバスは来ないので、タクシーに乗った。目的地を告げたが運転手のレスポンスがハッキリしない。最近はタクシーの運転手さんが地元の人でないこともよく体験するので、自宅から50mほど離れたバス通りの橋の名を告げた。それが不味かった。地理不案内の運転手には、郊外の住宅地の橋の識別無理だった。降りた所に橋は在ったが、家より200mほど上流の別の橋だった。夜風に熱気が感じられなかったので、車の通行の絶えた夜道を歩いた。思いのほか虫の音が勢大だった。今年初めて聞く虫の鳴き声だった。秋は夜を緒(いとぐち)に展開するものかもしれない。昼日中は酷暑でも、季節のステージは着実に回り始めている。毎年、佐鳴湖の花火を見...秋の先駆け

  • 大腰筋トレーニングC

    【椅子に坐った状態でする大腰筋トレーニング】骨盤を立て、坐骨に重心を置いて椅子に坐る。①左脚を折り膝を出来るだけ胸に近づける②左脚を水平に前に出す(腹筋脱力)③左脚を折り、左膝を胸に近づけ④左足を床に下ろす大腰筋トレーニングC

  • 蟠りの解消

    今日では共白髪で、一見柔和そうに見える我々老夫婦も、若い頃は、特に父親・母親に成る前は、感情の行き違いが激しく、仲が好い割には諍いが絶えなかった。共に情熱的で自己主張が強く忍耐力の乏しい未熟な者同士の結婚は、そうなりがちなものである。よくも60年もの間、家庭を保つことができたものである。円満で無難な人たちが大半を占める世の中の、難も癖も無い温順な男女の婚姻を、私たちは理想と考え祝福する。しかし現実は、無難な者同士の理想的な結婚でも、歳月を経るうちに、双方が予想もしなかった根深い不満が蟠ることは稀でない。実直で勤勉な長所の基盤とも言える気質が、他面で蟠りを保ち易いということは、比較的見逃されている。私たちの本性は打算的で、好い面に目を奪われると、長所や美点の裏側には必ず短所や欠点が貼り付いているという事実を...蟠りの解消

  • 文化の潔癖性

    フランスは移民の国だと、フランス生まれの人が語っているのをYouTubeで視聴した。その人の謂う移民は、私たちの目にはフランス人と見える、一般にヨーロピアンと呼ばれる人たちを指しての意味だろう。迂闊にも老生は、フランスに対して、そのような認識は皆無だった。私の知るフランスは、陋固として生粋のパリジャン・パリジェンヌの国である。エッフェル塔の前で嬉々として記念写真を撮って燥いでいた婦人議員並の認識である。彼女らばかりか日本の女性は、特にインテリほどフランスに憧れること並大抵でなかった。だが、生粋のパリジャンなんか滅多に居るものでないと悟っていた人は少なかったと思う。三代程度で江戸っ子を名乗る東京とは訳が違うようだ。かつてライン川を越えストラスブールに入った時、それまで観光していたドイツ国内との違いに、ライン...文化の潔癖性

  • 山歩きの必携品

    登山を愛好する人に、お勧めしたい携行食品がある。これを携行していれば、道迷いや疲労による遭難を防ぐ効果は大きいと思う。卑近な体験を大袈裟に喧伝すると思われるかもしれないが、ご参考までに・・・まだ老年には充分間があった年頃、よく行く奥三河の低山に登った。標高1000mぐらいの、火山起源の岩山で、登路は変化に富み、山頂からの眺望も佳いことで知られている。自生する遠州シャクナゲの開花期には、ハイカーで賑わう山である。登山口は3カ所あった。ある時、いつもと違う登山口から山に入った。山頂からの展望を満喫し、来た道と別の登山口への下山路を降った。昼食をしてから登ったので、日没が迫っていた。その下山路は何回となく歩いていて勝手知った道だった。日暮が近いことで我知らず気が急いていたのか、常より足早に尾根を降って行った。突...山歩きの必携品

  • ハムストリングス伸ばし

    今夏は春の腰痛発症に懲りて、酷暑にめげず専ら腰のメンテナンスに集中している。インナーは大腰筋、アウターはハムストリングス、この2つの筋肉の劣化防止対策に取り組んでいる。ここが衰えていては、スキップなどとても覚束ない。何年も前から、右足首の動きが硬いことにも気づいていた。足首だけ単にグルグル回してみても、いっこうに柔らかくならない。最近、各筋肉は一続きに繋がっているという考え方があることを知って、足の指先で縦横8の字を描くよう足首を動かすエクササイズを試してみたら、足首と膝、股関節が連動していることが実感された。懸命に励んだ結果、以前より足首が多少柔らかくなったように感じる。また一つ、毎日のエクササイズが増えてしまった。老生のアンチエイジング対策は、最早モグラ叩きの様相を呈している。更に気をつけなければいけ...ハムストリングス伸ばし

  • 登山にヴェテランは居ない

    本州の梅雨が明け、学校は夏休みに入った。夏山登山が盛んになる時期の到来だ。若い人は、大いに海山に繰り出し、青春を謳歌してほしい。今年は来日した外人が軽装で富士山に登って遭難救助される事案が増えている。登山は自己責任で行うものだから、個人登山であっても集団登山であっても、山と天候に関する知識と情報は、人任せにせず、自分の判断で行動してほしい。判断できなければ、登らないことだ。富士山や北アルプスなど人気を集める山々で、遭難死が続いているのは、自己顕示欲に駆られた高齢登山者が多いからだろう。森林限界を越える3000メートル級の山稜に老人が単独行というのは、自己過信というか無謀も甚だしい。人は60才を超えると、疲労による判断ミスや体調の悪化、転倒が多くなる。高齢登山者は体力は劣る癖に依存心が旺盛で、安易に携帯電話...登山にヴェテランは居ない

  • Let’s skip

    4月の中頃、体操中に痛めた左腰が、漸く治った。当初の疼痛から鈍痛の段階を経て、今はそれを全く感じないで済むようになり、ヤレヤレというところ。体操・ストレッチ・温泉を闇雲に試みた結果なので、治癒に何が奏功したのかわからない。ただハッキリわかったことは、ウォーキングでは治療効果が全く感じられなかったことである。ウォーキングは循環器病や糖尿病その他内科的には効果の大きいアクティビティだが、筋肉の損傷などの機能障害に対するリハビリ効果は存外低いのではないか?この疑念が湧いてから、はままつフラワーパークでのウォーキングは止めることにした。歩くことでは体重減少効果が芳しくないことを知った連れ合いも、同調することになった。ふたりとも、この暑さではウォーキングなどとてもやっていられないのが本音だ。人間は、志したことをやめ...Let’sskip

  • 日本平・久能・三保松原

    関東・東海が梅雨明けした昨日、静岡観光のポイント日本平へ長男夫婦が連れて行ってくれた。暑さで日頃歩かない両親を気遣ってくれたのだろう。小学校5年生の時の遠足で訪れて以来、なんと70年目の観光地。まさに今浦島である。日本平・久能山・三保松原を周り、隔世の感、歳月の重みをひしひしと感じた。空気に湿気が多いせいか、残念ながら展望はイマイチだった。階段登りに久能山はもってこい。最上段が神廟。遠足にきた当時は、久能山ロープウェイは無かった。嫌々階段を登った記憶だけが蘇ってくる。久能の海岸はもっと広く海が遠かった。身体が小さかったからだろうか?安倍川からの砂の流出が減って、久能の海岸は侵食される一方だったというのが正しい認識だろう。海岸のテトラポットは、道路に迫っている。三保の松原は、松が大きく育っていて、昔来た時と...日本平・久能・三保松原

  • 大腰筋は腰を制する

    腰周りの筋肉のうち、疲労すると痛みを発する筋肉群のトップスリーは、大腰筋・腸骨筋・腰方形筋であるらしい。中でも、大腰筋は上半身と下半身の連結部にあり、体幹を支えている長大な筋肉なので、疲労も溜まりやすい。深層筋で素人には手が届き難いので、疲労による痛みを取り除くのは容易ではない。老人は大腰筋を過労させないことが大切かと思う。大腰筋は腰を制する

  • 2024/07/17

    私たちはある意味時間に支配されて生きている。決められた時刻に、定められた仕事をすることで、社会での任務を果たしている。人は皆ある意味時間の奴隷である。毎日時間に従って仕事をし、生活していると、その拘束からひとときでも解放されることが、この上ない幸せのように常日頃の多忙と感じられてくる。拘束がきつ彼らの放埒なかんこうぶらばきついほど、余暇は至福のものとなる。中国人の国民的レジャー嗜好は、常日頃の多忙、時間的拘束の裏返しである。彼らの放埒な観光ぶりは、我々の高度経済成長時代の姿である。彼や我は、物質的関心が強く物理的には時間を逆行することはできない。私たちは一瞬たりとも不可逆の世界を生きている。だが、それだけではたまらない。過去に戻って改めたいとか、過去の自分を懐かしむ気持ちは、すべてのひとに共通する願望かも...2024/07/17

  • 高齢者は腰を労ろう

    高齢者は大変だ。老化は鵜の目鷹の目で老体を狙っているから、おちおち眠ってもいられない。眠っている間にハムストリングスが著しく縮むと見えて、朝目覚めた時、ストレッチをしてからでないと、身体の屈伸が殊の外難しい。身体を横たえている間の、血液循環の低下によるものだろうから、うっかり午睡することもできない。ストレッチ・筋トレ・ウォーキング、この3種目の日課に追われ、本を読んだり、絵を描いたり、園芸に勤しむ暇もない。30分に1回、椅子から立ち上がらないと、血液が停滞するとユーチューバーは言う。座布団に胡座座りなどもっての外。ソファ・カウチも骨盤を後傾させ、老化を加速させるらしい。どうやら老人は、楽をしていては健康を維持できないらしい。年齢のせいか、ちょっと無理な作業をすると、腰に疲労が集中する。腰を痛めやすくなって...高齢者は腰を労ろう

  • ストリーミング社会

    ストリーミングとは、ファイルをダウンロードしながら、同時に再生をするコンピュータ技術。待ち時間が大幅に減るから、視聴の快適性が向上する。昔からあるテレビ中継も、ストリーミングの一種だった。通常私たちの社会では、事件が発生し終了してから、報道によって一般人は事件の情報に触れ顛末を知る。事件は終了して初めて人々の耳目に触れるものだった。人類数千年の歴史は、そのシークェンスが繰り返されて来た。ストリーミングが常態化した今日の社会は、事件は発生と同時に伝わり、その情報は時事刻々流れる。起こっている事態は逐一端末に届けられ、同時並行していくつかの事件に触れることもできる。私たちは分析も検証のいとまもない情報の流れを慌ただしく見守るだけである。顛末を慥かめた上で事実を考察したり分析したり、念入りに検証を加えることに時...ストリーミング社会

  • 文武両道主義

    “幼な子の入浴せがむ声のごとブンブブンブと夜も眠れず”日本という国の社会に、歴史的に見て人口の7%もいた有識層、武士(上士・騎乗身分)階層の因循固陋な儒教的価値観が大きく投影されていることは間違いないだろう。彼の階層の統治期間が最も長かったのだからそれは当然であろう。武士(侍)は累代、本領安堵・知行安定を願い、お家大事に主家に仕え、地位・禄高を世襲することで主人に忠節を尽くし、自分と家の子郎党・一族の安泰を図っていた。極めて保守的な価値観を抱く武士が支配した日本の封建社会では、必然的に文武両道に通じることが、男子たるものの必至の目標だった。それは「両道主義」というような慣習を生む。男子の文武両道は、女子の才色兼備の用語に似る。日本の社会の中流の親たちは、我が子女に「文武両道」と「才色兼備」を求めること尋常...文武両道主義

  • はままつフラワーパーク13

    「花博」を終えて一段落の「はままつフラワーパーク」を訪れた。夏季無料期間中だが、この暑さでは来園者の数は少ない。ウォーキング目的だから、花は少なくても苦にならない。暖かい海岸に自生するハマボウが咲いていた。大賀ハスだろうか?まだ咲いていた。モンシロチョウを数多く見た。こちらはツマグロヒョウモン。モンシロチョウよりも警戒心が薄く撮りやすい。食用アザミのアーティチョークを、初めてじっくり観察した。はままつフラワーパーク13

  • 「土蜘蛛」考

    上古の時代、この国には、ヤマト王権に服従しない異端の人々の集団が、生活して居たらしい。彼らに共通するのは、水田稲作農耕を生業としない人々であるところだろうか?その歴史は、先史時代にまで遡るだろう。王権はそれらの人々を、熊襲・隼人・蝦夷・土蜘蛛と呼び、人民の大多数を占める稲作農耕民と区別した。4者のうち前3者は漢語、ひとり土蜘蛛のみが和語であるのは、注目に値する。前3者の名称は一般庶民が呼び習わした呼称でなく、中国の伝統的差別思想に染まったヤマト王権が意識して用いた蔑称である。熊襲・隼人・蝦夷は、狩猟民だったと推定されている。これに対し和語の土蜘蛛は、彼らの存在を知った水田耕作に携わる一般庶民が呼んだものかもしれない。さらのなおそらく王権の官僚は、水田稲作農業を生業としない人々を異種とみなし、嫌悪乃至は侮蔑...「土蜘蛛」考

  • ワイドショーの陳腐化

    近頃テレビを見ていて思うのは、ワイドショーの陳腐化が著しいこと。どこの局の番組も、MCの高齢化が進み、出演コメンテーターの顔ぶれに新味が乏しい。その陣容で、当たり障りのない題材を取り上げ、その日その日を恙無く過ごしている感じがする。テレビ業界の徹底した制作コスト削減の波は、ワイドショーのような、元々比較的低コスト(と思われる)番組にまで及んでいるということだろう。このタイプの番組は、もはや時代に合わなく成りつつあるのかもしれない。視聴者に代わってMCが様々な題材に広く興味を示し、それぞれ専門家に解説を求め、コメンテーターの意見を聴き、話題を発展させていく手法の斬新さも、60年も続けば視聴者に飽きられる。インターネットのない時代、1965年に始まったワイドショーは、視聴者に大きな満足感を与えた。しかし今や...ワイドショーの陳腐化

  • 信州入笠山

    次男家族と信州へ日帰り行をした。遠州が梅雨前線の影響を受けていても、信州まではその影響が及ばないことを、老生は若い頃からの山行で度々体験している。前線というだけあってその幅は案外狭いものだ。孫娘は、全孫中で最年少の小学4年生。その子の兄は中学2年生。この2人の孫と普段会話する機会が少ないので、道中の車内での会話が我々祖父母にはとても嬉しい。次男夫婦もそれを配慮して誘ってくれていると思う。前夜、静岡県内各地には大雨が降ったが、未明に雨は上がっていた。予報を信頼して5:30出発。ここ数年、中信への旅行を累ね、現地の地理に明るくなっている次男夫婦の、今回の目的地は入笠山。浜松からは車で3時間半、国道1号からトンネルの多い中部横断自動車道・中央自動車道とつないで9時に現地に着いた。予想どおり青空が見えていた。老生...信州入笠山

  • 自覚

    人間何が大切かとあれこれ考えてみたら、先ず自覚が最も大切との結論に至った。自覚無しには、何事も覚束ない。自覚に欠けるということは、船舶や航空機が自位不明の状態で航行や飛行を続けるようなもの、進むべき目標も進路も定められない。人は自覚が足りないと、的外れな行動や言動が出てくる。自分のポジションがわからなくなっているからである。人を育てるということは、その人の自覚を促すことに尽きるように思う。自覚があれば、その人の自発性は正しい方向に向かうだろう。人は他からの強制や誘導によってでなく、自発によって生きるべきであるが、自覚に拠って正しい方向を見定めてもらいたい。自覚したことはいつも念頭に置いておきたい。自覚は書き留めておかないと忘れてしまうものである。その意味で、私は日記をつけている人を尊敬する。私は小学校以来...自覚

  • 対岸の景色

    人の人生は、大河を泳いで渡るようなものである。大河の流れに逆らうことはできない。水に入った時は対岸の目標地点の景色を目に焼き付けたはずだが、いったん泳ぎ渡り始めると、下流に流され続け、漸く対岸に着いて岸に上がってみると、いまだかつて夢想もしなかった情景を観て絶句する。たじろいでも仕方がない。やり直しは効かない。情況に甘んずるしかないのである。泳ぎ出す前に見た景色は幻だったのか?と我が目を疑う。幻ではない。観たのは実景である。ただ、景色の違うところまで遠く流されてしまったのである。人生は洵に大河を渡るに似ている。めでたく目前の対岸に着くには、常に上流に向かって泳ぎ続けていなければならない。流れに逆らうのだから、気力・体力共に充実していなければ叶わないことだ。誰にでも真似のできることではない。とてもそんなこと...対岸の景色

  • 鹿児島行

    静岡空港から小型旅客機に乗り、鹿児島空港ヘ降りた。15年も前に開港した県内唯一の空港発便を初めて利用したのだから、飛行機嫌いというか時代遅れも甚だしい。高所と閉所、両方嫌いだから仕様がない。10年前九州に来た時のアクセスは新幹線で、小倉で下り、大分・宮崎を経由して鹿児島に入った。今回は同行した娘夫婦が航空機・宿・レンタカーを全てセットしてくれた2泊3日の5人旅、重い腰を上げ苦手な飛行機に乗ったのには、内緒にしていたが、老生にやむにやまれぬ事情があった。先般、当ブログで負傷と快復の経緯をお知らせした腰の損傷が完治していなかったらしく、その後にしなくてよい肉体労働を小半日やったら、痛みが再発した。霧島と指宿に宿泊すると聴いて、温泉と砂むし温泉併用の湯治効果に期待した老生、一も二もなく率先参加を決めたのだった。...鹿児島行

  • 共感

    ネット社会が進化するに従って、人同士の触れ合いの場や人に共感を抱く場と機会が、世の中から急速に減っているのではないかと危惧している。生産性が上がり余暇時間が増え、人々の交流の場が増えているのなら嬉しいが、どうもそう良い方向ばかりではないらしい。共感というものは、人の集まりがあるところで呼び合うものである。仕事を遂行する組織の人員が、省力化やIT化に伴う縮小または分散により、目に見えてその規模を減らしている。特にITの普及は、これまで合理化や効率化が遅れていた事務・販売部門の少数精鋭化と分散化を推し進めた。其処にCovicの世界的蔓延があって、人の分散は地球的規模で進んでいる。それから5年・・・人間は共感によって仕事や生活からの満足を得る。自己満足では済まないのが人間である。共感するためには人が複数居なけれ...共感

  • 感懐を掬う

    世の中には、老人になってみなければわからないことが沢山ある。若い頃には考えが及ばなかったことが多い。知恵が足りなかったのではない。人生体験の不足が、適切な思考を促さなかったのである。人は老人になるに従い、心裡に溜まった感懐を掬い上げることが多くなる。芸術の素養のある人たちは、創作に感懐を籠めることが出来る。書や画、音楽や詩作など、表現をもってそれをする人たちは多い。筆の立つ人は書簡や随筆の形をとることもあるだろう。どんな方法でも、自らの胸の内にある感懐を、人に伝え共感を得ることができたら、欣快この上ないことと思う。心の裡に在るものは、現在の意識の表面に泛かんでいなくても、無意識下に厚く積み重なっているに違いない。それらのひとつひとつが任意に浮かび上がるのを掬い採り、考察を加えることは、時間に余裕がある(と...感懐を掬う

  • おだて

    子どもの頃に女性にチヤホヤされた男は、女性のおだてに弱い。女性というものは、そういう男を直感的に判るもので、「豚もおだてりゃ木に登る」という状態にた易く導く。恥ずかしながら老生、幼い頃にチヤホヤを体験したので、洵に女性のおだてに弱い。私が若い頃のデパートでは、ネクタイ売り場の女店員は美人でおだてのエキスパートだった。多くの男性客は女店員の推奨するネクタイを盲目的に買ってしまう。ネクタイ売り場で活躍した女性がママと呼ばれる職業に就けば、お店は繁盛間違いなしだろう。そんなお店があった憶えがある。老人になれば、下心というものが無いから、女性のおだてには乗らないだろうと思うのは素人の浅はかさ。年寄りほど、滅多に褒められないから、おだてに弱くなるものである。ある時、山野草を観に市外の中山間地を訪れた。村おこし活動の...おだて

  • 歩程を延ばして

    前日の散歩で弾みがつき、今日は早朝から佐鳴湖まで歩いた。往復約4キロ弱。ウォーキングよりランニングの人の数が多い。働き盛りの人たちに較べ、老人の活動が少なくなっているようだ。年齢は確実に脚に顕れる。山に登って動けなくなり、スマホで救助要請をする60台が多いが、何が愧じかということがわかっていない。安易に救助を警察に要請するのは間違っている。犯罪に遭ったのではない。自ら招いたのである。新川に架かる「であい橋」を渡れば、アシの密生する湖岸に出る。「であい橋」からの新川河口の眺めは、四季を通じて癒される。アシの湖岸は、オオヨシキリの声が賑やかだ。ウグイスと比べると濁声が際立つ小鳥、同情を禁じ得ない。造物主の気まぐれ、というものだろうか?歩程を延ばして

  • 散歩

    夕刻に妻と散歩に出た。去年鉢植で購入し、地に降ろしておいたスカシユリ?が咲いている。散歩道で、近くに住む次男父娘と出会った。滅多にない偶然に愕いたが、考えてみれば、日頃散歩に出ない自分たちと違い、次男たちは毎晩食事前に散歩しているのだから、たまたま思いつき散歩に出てふたりと出会ったのは、愕くことでも何でもなかった。アジサイがたくさん咲いている場所を教えられ、現場に行ってみた。北向きの山陰に、沢山のアジサイが植えられている。ホタルブクロもこの季節の花。残念ながら、今夏もホタルは見ていない。ひさしぶりに、ユキノシタを見た。子どもの頃、家の裏庭にたくさん咲いていたことを思い出した。橋を渡って帰路についたら、カワウのカップル?が休んでいた。この時期、鳥類は子育てに疲れているだろう。散歩

  • 近江の歴史探索行再開

    過般、中学校の同窓会があり、同じ町内で小中学校時代を倶にした級友たちと、数年ぶりに会うことができた。互いの近況を語るうち、私の近江歴史探索行に関心を持ってくれる人が居たので、コロナで中断していた探索行を、6月1日、5年ぶりに再開した。先ずは同行の友人に滋賀県の遺跡分布の概要を知ってもらおうと、滋賀県立安土考古博物館へ直行した。好天だったので、駅から安土山の麓の所在地まで、駅から街並みを抜け、ヒバリの声を楽しみながら、水田地帯の幹線道を歩いた。しかし目的建物は見えているものの、水田の区画方向に沿う道路が目的方向に斜行している為、ヨットのタッキングのようにジグザグに進まねばならず、なかなか博物館に近づけない。かつて別のルートを辿ったときに比べ、倍近い距離を歩くことになってしまった。漸く辿り着いてみたら、残念な...近江の歴史探索行再開

  • 仕末の良し悪し

    【仕末】端末を納まり良く処理し仕上げること。物事には始めがあり、終わりがある。工作物には、仕事の終末に必ず納まりの良し悪しがある。万事ことの終わりが不手際であっては、納まりが悪いということになり、仕事は不首尾に終わる。当県の前知事の県政は、不首尾に終わったということになるだろう。多年県政に尽力しても、仕末が雑だと、それ以前の治政までもが不出来に映るのは否めない。首尾よく仕上げるということは、万事に目配り気配りが効かなくてはいけない。政治というものは、それができるような傑出した人物にしか向かない仕事である。選挙という制度で選出されたことをもって、政治家に成れたなどと思う軽率な輩は、早晩無能の馬脚を露わすだろう。しかし、それを糾弾しても始まらない。私たちは、民主主義というものが、極めて大きな無駄を伴う制度であ...仕末の良し悪し

  • 隔世の感

    海外からの旅行客にインタビューするYouTube動画を視聴していると、いかに社交辞令とはいえ褒め言葉ばかりで、現地人としては面映ゆく、時には身が竦む思いがする。曰く「礼儀正しい」「治安が良い」「親切で温かい」「社会が好ましくオルガナイズされている」「都市にゴミが見当たらず清潔」「公共交通機関が整備され運行が正確」「食べ物が安くて美味しい」「公共のトイレが清潔で無料なのは驚き」等々、私たちには耳障りの好い賛辞ずくめである。視聴者には、欣快この上ないコメントの数々・・・何事も初心のうちは素敵に見えるもので嬉しい評価と思えるが、有頂天になるわけにはいかない。観光客も追々事情に通じて来ると、色が褪せて見えて来るのが普通だから、ある程度リピートしている訪日客にインタビューしてみないと、的確な意見は聴けないだろう。私...隔世の感

  • 木曽奈良井の団子

    先月の始め頃、市内唯一のデパートで、信州、飛騨の旨いもの市が催された。出店業者の中に、信州木曽奈良井宿の団子店があった。団子好きの老生は、街へ出た折に買い求めようと念頭に置いていた。ところがその時わが家は第二次断捨離作戦の真っ最中、慣れない作業に忙殺され、気がついたらその催事は終わっていた。あれほど残念だったことは滅多にない。団子店のHPで確かめると、次の当地での出店は5月22日からとあった。そして待ちに待った昨日、団子購入の目的だけで、催事場のある百貨店に出向き、みたらし・しょうゆ・磯辺の3種各10本、計30本を購入した。一人で食べるわけではなく、6人の家族だから、さしたる量ではない。味は、米粉の質といい、焼き加減、タレといい,申し分ない味だった。老生は団子にはうるさいのである。木曽の奈良井宿(長野県塩...木曽奈良井の団子

  • 騎射三物(きしゃみつもの)

    風薫る5月、各地神社の流鏑馬神事が催行される季節になった。ユーチューブに映像が多数投稿されている。海外でも流鏑馬の人気は高いそうだ。鎌倉時代には武士の武芸として、流鏑馬(やぶさめ)・笠懸(かさがけ)・犬追物(いぬおうもの)が騎射三物(きしゃみつもの)と呼ばれ、奨励されていたという。因みに北条時宗は、笠懸の名手であったらしい。これらの神事は、平安時代以前からあったものとは思われない。1274年〜1281年の元寇(文永・弘安の役)では、北条時宗率いる鎌倉幕府軍が、異民族の元軍と初めて干戈を交え、手痛い損害を被った。私は渡海攻撃して来た元軍の本隊に、モンゴル騎兵が馬(馬体が小柄)と共に乗船していて、上陸作戦に参加、九州御家人から成る防衛軍を、彼ら得意の疾走騎射で苦しめたと推測している。時宗が戦後、殊の外わ疾走騎...騎射三物(きしゃみつもの)

  • マタデ(ヤナギタデ)

    水鉢の真蓼(マタデ)が繁って来た。タデ科の一年草。この草は鮎と親密な関係にある。鮎の友釣りは成魚が縄張りをつくる7月が盛期、県内での解禁は6月の川が多い。太公望たちは、竿を撫して解禁日を待っていることだろう。真蓼(別名ヤナギタデ)は、鮎漁の盛期と同じ頃に河原に繁茂し、鮎の塩焼きの調味料、蓼酢の材料となる。タデ科植物の中で、辛味があるのはこの種だけらしい。私たちが路傍でよく見かけるイヌタデ(アカノマンマ)の仲間である。残念ながら、この年齢になるまで、ヤナギタデの自生を見る機会に恵まれなかった。仕方ないので、種苗店で数年前に購入した苗が毎年種を落とし、今では地内の随所に生える。鮎と真蓼との関係は、歴史的に相当古い時代の生活から生まれたもので、有史以前に遡るのでないかと思われる。青銅器時代の遺跡から、真蓼が見つ...マタデ(ヤナギタデ)

  • 勘違い

    私たちの社会は多数決で成り立っている。正しいかどうかよりも、多数の承認・合意をもって事は進められる。少数意見は多数派の意見が採択されると、人々の記憶から薄れ消滅するしかない。少数意見は、多数の決定が誤っていた時に、修正する重要な手がかりとなるのだが・・・これは、私たちの多数決が、民主主義のそれと似て非なるものであることを証明するものである。少数意見の尊重の有無が、民主的多数決原理を意味あるものにしているのだが・・・私たちの社会の多数決は、間違ったことでも多数の合意さえあればブレーキが効かず実行され、不具合が修正されることが少ない。少数意見は放擲され消失するから、修正の手がかりは絶えてしまう。日本の社会で根回し(多数派工作)が重要視され横行する理由は、多数で押し切れば勝ちで、後はどうとでもなるという考え方に...勘違い

  • 葬祭音痴

    私は若い頃から、社交生活の中で、葬祭儀礼への参列が最も苦手だった。御霊前に額づく心や哀悼の意いは人並みにあると思うが、儀礼の作法や所作が日常生活には無いものなので、どうしても馴染めなかった。世慣れた人なら、何の差し障りもなく済ませている葬祭儀礼が何か不自然で、自分らしくない振る舞いが気になっていけない。対する冠婚儀礼となると、これは目出度いことなので、常日頃の自分と変わらぬ態様で臨むことが出来るのでずっと心易い。遺族が悲嘆に暮れ、故人の友人・知己が哀切の思いに沈んでいる葬祭の場は、日常には決して無い独特の特異な空間である。其処は、宗教(多くは仏教)というより宗教由来の習俗が支配する葬送儀式の場である。故人と無関係の、一種異様な儀礼に戸惑うことが多い。この儀礼は人生で何回累ね繰り返しても身に馴染まない。儀礼...葬祭音痴

  • 回復

    4月26日の記事「背馳の輻輳」でご報告した左脚インナーマッスルの肉離れ(らしき負傷)、当初は痛くて歩行するのも困難だった。患部と原因を特定し、ひたすらリハビリに励んでいたが、1日ごとに薄紙を剥がすように痛みが軽くなり、ひと月近く経った今日は全く痛みもなく、快適な散歩を楽しめた。ヘルスケアのデータを見たら、歩行速度・歩幅・歩行非対称性・歩行両脚支持時間などの数値が負傷前より好くなっていた。痛い間は気分が落ち込んで、植物への関心も栽培への意欲も衰えていたが、今日はマツヨイグサが咲いていているのを楽しむことができた。こうなると、周囲の景観にも目が行くようになる。【マツヨイグサ】佐鳴湖に向かう川沿いの道水鏡が鮮明なのは、風がない証で、こんな日は、年に幾度もない。今日は「浜松凧揚げ祭り」の最終日、日中には会場の中田...回復

  • 初夏の花

    【ヒルザキツキミソウ】ピンクと白のグラデーションが美しい花だが、なぜか花壇では増えない。コンクリートの割れ目なようなところで増える。【アヤメ】花芽が葉に隠れている時にいつも踏みつけて叱られるアヤメ。今年は注意していたので、無事に花が咲いた。櫛形山のアヤメ草原の光景は忘れられない。【シラン】【カナメモチ】拡大してみると、5弁の白い花は清楚で美しい。垣根に用いられる成長が早い木なので、毎春剪定され、通常住宅地で花を見ることは寡ない。【ヤマボウシ】箱根のヤマボウシの純林の上を通るロープウェイから、咲き競うヤマボウシの花を見た時には、声を失った。この花は真上を向く性質があるようだ。初夏の花

  • 賞味期限

    食品ばかりか人にも賞味期限というものがある。人は年齢によって力量が衰えることを避けられない。定年制度が必要な所以である。選挙で選ばれる政治家は基本定年フリー、賞味期限を無視したり自覚しない陋習は改まらない。最近では、川勝静岡県知事が賞味期限切れを自覚できず、舌過事件を引き起こし晩節を汚してしまった。思えば2年前に、難波現静岡市長が副知事を2期で退任した令和4年(2022年)の時点で、川勝知事は既に賞味期限が切れていたのではないか?川勝氏は難波氏に知事禅譲を持ちかけ、拒否された時である。難波氏は静岡市長選に立候補し、圧倒的多数で当選した。人は独善に陥った時に、社会活動の終焉を迎える。政治家は賞味期限を疾うに過ぎていても、居座ることができる代表的な職業のようだ。理由は、再選を繰り返す政治家に選挙民が馴れ合い、...賞味期限

  • キンリョウヘンその2

    キンリョウヘンにニホンミツバチの探索蜂が来た。花粉を纏って巣に戻り、仲間にキンリョウヘンの所在情報を伝えるのだろうか?じっとしていないニホンミツバチの特徴と習性の一端を、間近に見ることができた。中国原産のキンリョウヘンに、ニホンミツバチが誘引されるということは、大陸と列島が陸続きだった頃の、原種トウヨウミツバチの時代に獲得した習性ではないか。列島が大陸から分離し、ニホンミツバチがトウヨウミツバチの亜種として独立して日本の固有種になってからも、しっかりその先祖の時代の習性を遺し守っていると見てよいのだろうか?花と昆虫との共生関係というものには、洵に興味深いものがある。キンリョウヘンその2

  • 背馳の輻輳

    総じて老人の身体というものは、人に本来備わっている自律調整の機能が衰えている状態が普通らしい。ウォーキングだけではサルコペニアやフレイルを防げないというので、歩くのを止め、室内での自重筋トレに励んでいたら、足腰の筋力が弱って来た。かくてはならじと、ウォーキングに精を出せば、今度は上半身の肩や上腕の筋力が衰える。あちらを立てれば、こちらが立たず、まるでシーソーのような具合である。上半身と下半身の筋力を、一様にバランスよく保つのは、老人には至難のことと痛感した。どこかを強化すれば、別のところが相対的に劣化する仕組が出来上がっているようである。強化と劣化が背中合わせになっているのは困る。やはりスクワットやランジでは、ウォーキングのメベニフィットを補完できないようだ。歩くことに比べ、動員される各部筋肉の数が比較に...背馳の輻輳

  • キンリョウヘン

    ランの一種、金陵編(キンリョウヘン)の花が咲いた。今年は花茎を5本も伸ばしている。この中国原産のランは、ニホンミツバチを誘引するランとして知られている。さる知り合いの庭の梅の木に、分蜂したニホンミツバチが密集し、蜂玉をつくったのを目撃したことから、ニホンミツバチの特異な生態に興味をもった。早速ニホンミツバチの観察のためにこのランを買い求めた。この美しくも香りもないランの花の発するフェロモン様物質に、ニホンミツバチが惹かれるのが面白いと思った。数年後に1本の花茎が伸び花を着けた。以後毎年1本のペースで花が増えた。探索蜂は毎春訪れるが、吸蜜するわけではないので、すぐ何処かに行ってしまう。蜂をじっくり観察することはできない。そうかといって、飼育はハードルが高くおいそれと始められない。木工は得意なので巣箱作りはた...キンリョウヘン

  • 出会い

    この世には、後から考えて、奇縁と云うか宿縁と云うか?不思議な出会いというものがある。青年期を過ぎてからでは滅多に得られない友人を得たのは、初老と言われる50代を目前にした年頃のことである。ある年の秋、私は幾度か山行を共にしたことのある知人と2人で、北遠のさる山に登った。その山は、私は30代の頃に、知人はもっと早く高校生の頃から、登頂を念願していた山だった。共に旧い案内書で知ったその山は、藪漕ぎに難渋する上級者向きの山と謂われていた。私も知人も臆して、ついつい登るのを躊躇って時機を失していたのである。登山道は思いのほか整備されていて歩行は捗り、難なく目的の山への主稜線分岐に出た。目的の山はその分岐から3kmほど北にある。密生しているはずの稜線道のスズタケは、綺麗に刈り払われ、我々は拍子抜けした思いがした。ハ...出会い

  • 第二次強制断捨離

    孫の一番手が就職してひとり暮らしを始め、二番手も県外の学校でひとり暮らし、三番手、四番手はそれぞれ高校と中学に進学と、今春は8人家族の生活に大きな変化があった。その影響というか余波で、今月は、一家を挙げ断捨離が進行中。我々老夫婦も、10年前の二世代同居の際の「第一次強制断捨離」に続く「第二次強制断捨離」を余儀なくされ、息子の指揮の下、作業に追われ右往左往している。今回は息子一家の捨てるものが格別に多く、仕事で多忙な息子は処分場に何度も通えないので、業者さんに最終一括処分を依頼した。仕事を廃めて10年目の私は、保存年限の満了した書類や帳票類、本などの紙類が廃棄物の主体だった。登山用具も工具・電動工具も思い切って廃棄した。家内も衣類や不用になった家庭用品や調理具、食器類を廃棄。月初めから「ハイキ、ハイキ」を合...第二次強制断捨離

  • 本性の顕在化

    才が効いて世渡り上手だと、人はつい自分の才に溺れ、他者を侮る傾向に陥ることがあるようだ。常に誠意で人と接していない場合は、他人を侮らないと自我が揺らいでしまうのかも知れない。テレビの情報バラエティ番組に招かれるコメンテーターなどに、時折りそのような人を見かけることがある。最近では静岡県知事が度々他者を侮る舌禍を繰り返し、月内に退任することになった。人を侮れば、それが最終的に自分に還って来ることは必至、その当たり前のことが忘られている。自分を偽って世を渡っている人は、老化によって脳の大脳新皮質の機能が衰えてくると、その機能に依って巧みに隠し通して来た本当の自分の実相が露呈してくるようだ。ある日突然、それが露わになり、周りの人々は驚く。家族は本人の人格が変わったかと狼狽する。実状は、当人が意識して隠し続けてい...本性の顕在化

  • サクラソウで発疹

    先週末に左手首に数ヶ所発疹ができ、日を追って痒くなって来た。水曜日あたりが発疹と痒みのピークだった。虫に刺された記憶はなく、薬物に触れたこともない。原因がわからないから、痒み止めも塗らず、我慢してそっとしておいたが、なかなか治らない。発疹の出ているのは左手首だけ、シャツのカフスで覆われる範囲に限られる。1週間経っても発疹はまだ消えていないが、痒みはほとんど消えた。あれこれ究明した結果、原因は3月に購入した2鉢のプリムラ・オブコニカ(西洋サクラソウ)と推定した。オブコニカというラテン語は「萼が円錐形」の意とか。日本サクラソウと違い、この植物には接触性皮膚炎を起す物質があるらしい。手入れのたびに、シャツのカフス部分を捲り、右手で鉢を押さえ、左手で枯葉や朽茎を除去していた結果が、左手首ばかりに発疹ができた謎の理...サクラソウで発疹

  • 悩むこと

    若い頃の悩みは、老後の平穏と対極にあるものではないかと思う。若い時分に、この世の不条理を知り、大いに悩んで、物事の本質を見る目を養なうことは、老後の憂いや煩いを軽くするものと信じている。悩みというものは、人が円熟するために欠かせないもののようだ。悩んでいる間は不毛で何も生まないが、将来に備えて、土を耕している作業中と見てよいのではないか?「若い時の苦労は買ってでもせよ」という教訓は、苦労を心労=悩みと読み変えるなら、今日も生きているはずだ。若い時は、前が見えない不安と若さ故の不明と傲慢から、判断を誤ったり短慮に過ぎて、批判を招くことが多い。したがって社会との軋轢も生じやすく、悩みの種は尽きない。その時期に悩むことは、人にとってある意味充電の時である。悩むことによって、人は考える力が養われ賢くなる。観察も...悩むこと

  • マッサージ

    YouTubeには、療法士さんや整体師さんなど専門家のアップした動画がたくさんあって、懇切な説明と指導をしてくれている。日頃マメにこれらの動画を閲覧している老生は、若い頃には指圧に熱中したこともあって、家族に見よう見まねのマッサージを施すことが屢々ある。加齢による衰えは、夫婦均等に進行しているはずだが、それに対する意識は、老生と老妻とでは天と地ほどの違いがある。老生は老化に伴う痛みを、医療に頼らず自分で解決しようと、YouTubeで学んだストレッチや筋トレ、マッサージの手技で積極的に緩和しようと努めていて、効果も実感している。一方の老妻の方は、身体のあちこちが痛いと言いながら、いっこうに対策に取り組まない。加齢によるものだから、仕方がないと諦めている。根が暢気なのである。「転ばぬ先の杖」がわからない。女性...マッサージ

  • 進化のメカニズム

    私は遺憾ながら宗教をもたない(浄土真宗の檀徒だが信仰していない)人間だが、40代の頃にはキリスト教徒(プロテスタント)になろうと思い立ち、4年ほどの間、毎日曜教会に通っていたことがある。それでもとうとう洗礼を受けるに至らなかったのは、偏に私の猜疑心が強く、素直に教条・教義を受け入れることができず、教理を理解できなかったことに原因があったと思う。それでも、目に見えない力の存在を信じるようになったのは、その時の学びが大きく影響しているように思う。人智から生まれたものを崇拝しないという意味において、私は明らかに無信仰である。私はその時以来、造物主の存在を意識するようになり、その意思というものを考えることが多くなった。これは人の意思だろうか?それとも造物主の意思だろうか?ということをいつも念頭に置いて考える癖が身...進化のメカニズム

  • 神経質

    私は子どもの頃から「この子は神経質で・・・」と親に嘆かれて育ち、神経質はイケナイこと、ダメなこと、と受けとめながら成長した。身体が弱く病気がちなのも人見知りが強いのも、全て「神経質」の所為と理解していた。神経質な子は集団生活に馴染めない。したがって集団に歓迎されない。教師も神経質な子どもは扱い難いので面倒だったことだろう。一説によると、周囲に迷惑をかけると神経質のレッテル、迷惑をかけないと几帳面ということで好評価になるらしい。とにかく神経質は、マイナスイメージだったように思う。社会というものは、多数派で成り立っている。神経質は少数だから、団体行動の調和を乱すものとして歓迎されない。神経質の所為なのかどうか、その上さらに私には「要領が悪い」という欠点もあった。自分で納得できる遣り方に拘るので、物事の処理が捗...神経質

  • 能力限界2

    当ブログの既往エントリ「能力限界-道々の枝折」で、能力限界の原因について今ひとつ考察が足りていなかったので、付け加えさせていただく。能力限界というと、能力が枯渇・消耗し、企業生活や社会生活に適さなくなった状態を想像するかもしれないが、どうもそういうことではないようだ。人に具わった能力に限界があるのではなく、人生での成功、すなわち富と地位と名声を獲得することで、自身の向上心が薄れ、観察や学習の意欲が減衰し、思慮が減退した結果、能力を失ったかのように見えるというのが実態らしい。充電しなければ、力は尽きる。成功が能力限界の原因とは、皮肉な現象である。営々と努力を重ねた末、能力を極限まで発揮し、人生で成功を収めた結果が、人を能力の限界に至らしめると誰が予想し得よう。しかしそれが最も多く見受けられる能力限界の現実で...能力限界2

  • 僻み

    人というものは誰もが妬み・嫉み・僻みの3点セットを心裡に秘めているらしい。どんな人でも人であるかぎり、程度の差はあれこの3点セットをもたない人はいないようだ。人格を高めても、この3点セットは心奥の何処かに潜み、自我に影響を与える事態に瀕すると顕れ出るものらしい。僻みは軽い被害妄想だという。それで遥か遠い昔に恋人と訣れた理由が納得できた。関係は順調だったのに、自分から訣れ話を切り出したのは、偏に私の僻みに起因していた。僻んだ挙句、拗ねたに違いない。全く愧しく、今でも身が縮む思いがする。僻みとは、妬みや嫉みが屈折した感情である。どんな人でも恋愛関係の中で「相手から愛されたい」「相手は自分を愛すべきだ」という自己中心的な欲求=自己愛を持つもの。それが満たされないとき、相手に不満や怒りを感じ、それが屈折して僻みに...僻み

  • はままつフラワーパーク12

    気温が上がった晴天の日曜日、朝8:30に家を出たが、開演直後の駐車場は既に満車状態だった。サクラは7分咲き。乗客は満員。食虫植物ウツボグサ。モザイカルチャーはままつフラワーパーク12

  • 自己愛と自意識過剰

    自己愛と自意識過剰とはどういう関係だろう。共に自己防衛本能に起因する。自己愛は先天性のもので他人を意識しない。他人を気にしない。自分を優先するから遠慮はない。総じて自己愛傾向の強い人は当然乍らエゴも強い。自意識過剰は後天性で、自分が他人の目にどう見えているか、どう映っているかに強く拘泥する。従って、自意識過剰の人にエゴイストはいないと見てよさそうだ。自意識過剰の人は他人の目を気にするので遠慮深い。人前で喋ったりパフォーマンスすることが苦手である。人に良く思われたくて堪らないのだが、いざとなるとそれを発揮できない。遠慮深さのために、願望が鬱屈している。自己顕示欲とか自己承認欲などは、自己愛から生まれる欲求である。自己本位である。これらは間違いなくエゴイズムの強い人間が備えているものである。自己愛の人は妬み易...自己愛と自意識過剰

  • 運命

    運命は人の幸・不幸に大きな影響を与える。人の運は、最終的に皆平等であると考えるのが、確率からいうと正しいだろう。それが事実かどうかを、データで示すことができないのだから、そう考えても矛盾はない。好い運命を願い、悪い運命を避けようと希うのは、運命の女神の裁量を否定するものである。運命の女神はその人間の越権行為をエゴと怒るに違いない。八百万の神々に無病息災やご利益を祈ることは、運命の女神の存在と役割を否定し、延いては造物主の存在そのものを認めていないことである。過剰な医療依存や、サプリメント漁りは、自己過信から来る。運命に甘んずる心は、自然に身を委ねることである。自然を畏み畏れることは人間に生まれながら身についたものと思う。畏み畏れて悲運を耐え忍び、運命が好転するのを待つのは、無力な人間の習性である。好いもの...運命

  • 1600年前からの交際

    春は卒業・入学・就職で、若者が送迎されるシーズン。長い祝辞を聴くのが苦手な若者がほとんどだろう。大勢の若者の前で祝辞を述べることは、大人には欣快この上ないことのようだ。だが日本の若者は、大人たちの祝辞の常套語「前途洋々」の美辞麗句に踊らされてはいけない。日本の大人は、このような白々しい無責任な言葉で、若者たちを未来に送り出す悪弊をキッパリ断つべきである。人の前途は、紆余曲折があるのが普通であろうし、将来は未知で予測不可能である。この世は誰もが、前途洋々で人生を渡れるほど甘くはない。社会生活は対人関係で成り立っているから、利害の衝突・感情の行き違い・讒言・誤解・曲解・妬み・嫉みなど、凡ゆる曲事に満ちている。だが、この世には捨てる神もいれば拾う神もいてくれる。若者は未知を虞れることはない。前途洋々と持ち上げら...1600年前からの交際

  • 笑顔

    中学に入る前後のことだったと記憶しているが、舊くから家族同様に親しくしていた年配の婦人から「アンタは笑顔が好いから、いつも笑顔でいなさい」と言われた。その後肉親に死なれたり、失恋したりする度に笑顔は減って、高校を卒業する頃には、柔らかみのない顔になっていた。その頃の写真を見ると笑顔が少ない。笑顔が多少元に戻ったのは、成人し、恋人を得てからのように思う。幸せは外に顕れる。人は境遇によって、心の相も顔の相も変わる。孤独や寂しさは、笑顔にも翳を射しかける。妻も私も、互いに相手の笑顔にあった翳を感じとったから、放っておけず夫婦になったのだろう。それからン10年、孫たちには、笑顔が溢れている。自分は昔人に褒められた笑顔に戻れるのだろうか?どうも老人の笑顔というものは、想像してもピンとこない。顔は心を映す鏡だ。中学生...笑顔

  • 春は枯草にも顕れる

    川の土堤の枯草の色が、ほんの僅か赤みを帯びている。よくよく注意していないと変化に気づかない。節分を過ぎる頃から、雨が降る度にほんのり赤みがさしてくるのである。早春の先駆けを、林床の草花や木々の芽吹きに見るのでなく、枯草の赤らみに認めるようになったのは、ここ数年のことである。まさか土に還るほかない枯草に、春の先駆けを見出そうとは、思ってもみなかった。車での遠出も山歩きもできなくなって初めて知ったことである。オオイヌノフグリ・タンポポ・ホトケノザなどの草花より早く、枯草に春をキャッチできるようになったのは、高齢になったからだろう。枯草の間に緑が目立つようになると春は盛り、桜に目を奪われ、花々に浮かれている間に、枯草は消える。春は枯草にも顕れる

  • 誠意と誠心

    誠意は態度で示すほかに伝えようがない。言葉は誠意を伝える力が弱い。熱弁になる程,誠意は遠ざかるもののようだ。人の誠心は必ず外に顕れるものであり、誠意を疑われることがあっても、誠心さえ失わなければ、いつか誠意は伝わるだろう。言葉で誠意を示そうとしても、却って逆効果を招くものである。私は友誼の絆は互いの誠意に拠るものと理解しているので、誠意を欠いた友誼というものは信じない。互いの間に誠意が失われたら、友誼は終了する。生身の人間だから、外見も中身も経年変化するのは避けられない。誠意を失わないようにするには、できるだけ不動の誠心を保たなければならない。誠心を保っている人は、知己・友人に限らず、凡ゆる人に誠意で接する人であろう。誠意と誠心

  • 南京虫

    トコジラミという害虫が国内で増えているらしい。戦前まで南京虫の名で日本人に汎く知られていた吸血昆虫だ。南京豆(ピーナッツ)・南京錠・南京玉すだれ(芸能)・南京ハゼ(街路樹)など、南京の名が付く日本語はよく耳にする。戦前の婦人用時計は、その大きさと形が似ているので、南京虫と呼ばれた。敗戦後、占領軍が濫用したDDTのお陰?で、この悪名高い虫は姿を消したと思っていたら、国策のインバウンド・アウトバウンドの隆盛に伴い、近年国内に持ち込まれ、国内で増殖しているらしい。交通機関、宿泊施設で被害が相次ぎ、今年は昨年の3倍の勢いとか。南京虫の名では外交的に差し障りがあるのでトコジラミの名が使われるようになったのだろうが、どう名称を変えようとも私には、聞くだに悍しい凶悪な吸血南京虫だ。私が山歩きをしていた50代の頃、当時中...南京虫

  • 猥雑の極み

    昨年11月18日に行われた自民党青年局近畿ブロック会議の後の懇親会、余興で目を覆いたくなる醜態が演じられていたことが、英国のBBCからXを通じて世界中に拡散されてしまった。洵に議員にあるまじき猥雑の極みである。青年局の名が泣くだろう。自民党は落ちるところまで落ちたということか?破廉恥な画像映像がBBCから拡散されたことで、多くの日本人は初めてこれを知った。日本のマスコミは、この画像を入手していながら国民に報道せず、伏せていたということだろう。事実確認に慎重だったでは通らない。購読者や視聴者への許し難い背信行為である。日本のマスコミが、政権党に対して批判力を失っているのは、周知の事実だが・・・日本の政治風土を歪めている旗頭のひとつが、政権におもねて日本国民に正確な内外の情報を伝えようとしないマスコミであるこ...猥雑の極み

  • 万葉の森公園8カタクリ

    今春初めての万葉の森公園。まだ風は強く冷たい。先ず「伎倍の茶屋」で地場(三方原)産の作物を買い、甘酒で体を温めてから、植物を見て周る。今どきお汁粉や甘酒、昔ながらの甘味を出してくれる店は珍しい。まだ樹木の梢に芽が出ていない。暖地でも空っ風の吹く遠州は春が遅い。カタクリオキナグサスモモボケミツマタいつも思うのだが、ミツマタは仄暗い場所に密生して生えているものの方が、断然花の見映えが好い。ミツマタは和紙の原料で、自生の群落はほとんどなく、群生を見るのは栽培地。栽培者は繊維が細く柔らかい樹皮を求め湿潤で陽の翳る谷地を選ぶ。やや日陰の谷間が、栽培者には好適地なのである。その様な場所で見るミツマタの花々は、暗がりに浮かぶ無数のクリーム色の泡の様に見える。その幻想的な光景は、一度見たら忘れられない。植物自体は、陽当た...万葉の森公園8カタクリ

  • 知的生産力

    学力は知的生産力とは相関しない。それは最高学府を出ても、知的生産物を産む人が少ないことでわかる。ここで知的生産物と謂うのは、引用を伴わない当人のみの創作による著作物である。その人の全知能から生まれたものである。従って、学術論文はそれがどんなに有用有益であっても除外される。このことによって私たちは、知的生産力は学識の埒外にあるものであることを理解する。学ぶ能力は非生産的なものである。ここを勘違いすると、学んだだけで事足れりになってしまう。自ら何も生産しない人生を歩んでしまう。学歴主義が問題なことは、学歴が目的化することである。しからば,知的生産力は何をもって上げることが出来るかというと、それに適う答えは無い。敢えて言うなら,生産する意欲ということになるだろう。中国由来の学力神話に毒された儒教三国の親たちは、...知的生産力

  • 恋愛という糖衣錠

    恋愛という明治の造語は、日本に昔からあった恋という語に、同じく昔からありながら現代の意味とニュアンスを異にする愛の語を重ね、これを西洋語のloveに該当する概念の言葉とした。したがって、恋愛の語は日本語としては恋し愛でる意味でしかなく、love本来がもつ西欧的な愛の意味が欠けた言語である。つまり、恋愛はloveの訳語に適さない急拵えの日本語である。loveの感情は西洋人のものなので、どう訳そうともその感情を表す語は日本語には無いしつくれらものでも無い。このloveの擬似造語が、以後の日本の若者たちに、愛の比重の軽い恋愛認識を定着させてしまった。恋と愛とは似た概念と誤解されているが、本質的には全く異なる。従って、同義文字の連結による熟語の構成の原則を逸脱している。勿論対義文字の連結にも該らない。日本語の熟語...恋愛という糖衣錠

  • 深坂越えご案内

    目下視聴率で苦戦が続いているNHK大河ドラマ「光る君へ」の次回(17日)は、紫式部の父藤原為時が、越前国の国司の守に任官し、国府の武生へ赴任するとか。紫式部は国の長官に成った父に随伴して長徳2年(996年)に越前国に赴いている。その2年後の長徳4年(998年)、父の赴任時には通らなかった深坂越え(塩津山)の難所を経て、紫式部はひとり京に帰る。越前敦賀から近江塩津へ、国守の娘だから、従者たちを連れての旅だったろう。かつて山友と、近江塩津から越前敦賀へ、往昔の面影を今に遺す深坂古道(深坂古道-道々の枝折)を歩いたことがあった。道脇に清冽な水が音を立てて流れている長閑な道だった。近江の歴史探索に熱心な頃だったが、真夏の暑さには閉口した。ちょうどこれからの季節、紫式部一行の辿った行路、福井県敦賀のJR新疋田駅から...深坂越えご案内

  • 折り合いをつける

    「折り合いをつける」ことは、社会生活を円滑に進捗させる上で極めて重要である。この世は折り合いの「つけっこ」で成り立っている。折り合いのつけ方の上手・下手は、世渡りの巧拙を決めることになる。トラブルの種を蒔かないためには「折り合いの宜しき」が肝要である。「長いものに巻かれる」のは、折り合いをつけるひとつの便法だが、そればかりでは人生が面白くないだろう。ゆるく巻かれるのと堅く巻かれるのとでは、大きな違いがある。ゆるく巻かれて生涯を終えることができるなら、結構安全で安定した生き方であろうが、堅く巻かれてしまうのは息がつまり、わが身を損なう素になるだろう。長いものに巻かれない、自由で自立した生き方を望む人は多いが、これは誰にでもできるものではない。安全性・安定性を担保するものがない生き方は、タイトロープを渡るに近...折り合いをつける

  • ソバーキュリズム(Sobercurism)からの帰還

    私のオッチョコチョイ・新しがり屋は老いても熄まず、家族の迷惑の種になっている。「ソバーキュリアスSoberCurious」という考え方に興味を抱き、酒好きの私にも、素面(しらふ)の夕べと酔わない生活が可能なものかどうか、早速実体験に取り掛かったのは昨年の7月だった。1年半のソバキュリアン生活を実践した後の今年の2月、飲酒を再開した。ソバーキュリアス教を宗旨替えしたのである。意外なことに、お酒を已めるのは、想像していたよりも簡単だった。常習飲酒といわれる晩酌の習慣を断つのは、何の支障も無かった。飲酒習慣が惰性で成り立っていることを確かめさせてくれたことは、Sobercurismの提唱者に深く感謝している。生活の中から酒を取り除くことは、それまで想っていたより簡単だった。酔わない生活というものは、私に多くの好...ソバーキュリズム(Sobercurism)からの帰還

  • コーヒーの花

    室内で栽培しているコーヒーの木に花が咲いた。白く清楚でかぐわしい香りが漂う。育てて10年にはなるだろうか。高さは約150cm、一時は水遣りを怠って枯れかけたこともある。コーヒーの木を眺めながら、朝飲む一杯のコーヒー、これが老爺には何よりの活力の素になっている。もうひとつ今盛り花はムラサキサギゴケ。この齢になるまで、迂闊にもその存在を知らなかった。この仲間にはサギゴケというものもあって、花色の変化が多く、草もの盆栽に仕立てる人もいるようだ。コーヒーの花

  • 日欧城郭比較論

    私は小学校の4年生ぐらいからお城が好きだった。小学校は浜松城の二の丸に在り、生徒たちは隣接する本丸の丘一帯を「お天守」と呼んでいたが、其処には天守台の石垣はあるものの、天守閣は無かった。もともと浜松城には、築城当時から天守閣がなかったらしい。後に要所に石垣を築いたのは、秀吉時代の城主、堀尾吉晴らしい。家康が築城した当時は、急迫する甲斐武田勢への防備に追われ、自然地形を生かした急拵えの野戦陣地に近い城だったのだろう。その後幾つかのお城を訪ねたが、学童の狭い体験の中で最も強い印象を受けたのは、近江の彦根城だった。石垣と水堀、天守閣と櫓や門が整備された、初めて見る典型的な城郭だった。中学生になったら、西欧のシロに関心が移った。キッカケはフランス映画の時代劇で、多分そのシロはオープンセットだったと思う。中学1年生...日欧城郭比較論

  • Decade

    昔通っていた寿司店の親方が健在だった頃、修業した年限を尋ねたことがあった。10年との回答だった。技能と知識で生きる職人が一人前になるには、一般的に10年はかかるのが普通だろう。職人の世界ばかりでなく、商人も同じである。商品の知識・値踏み・仕入れ・販売のコツなど取引に明るくなるまでには、そのくらいの年月を必要とする。会社員でも、職場の実務に精通しヴェテランに成るには、10年前後の時を必要とするものかと思う。人が技能に習熟し知識を蓄えるには、標準的に10年の時限を必要とするのは、今も昔も変わらないだろう。実務は反復で習熟するものである。反復繰り返しの回数が習熟点に達するには、どうしても10年の歳月を必要とするように出来ているに違いない。万物は秒・分・時間で動いているが、人間の認識や技能の習熟には、寡なくとも1...Decade

  • 好奇欲

    こどもの頃から、興味のないことに時間を奪われることが嫌いだった。その上従順でないから、習うということに適さない。興味のあることにだけ集中力を発揮する不埒で我儘なこどもだった。学校の授業でも、興味のない教科はうわの空で聴き流し、別の興味のあることばかり考えていたように憶えている。先生からは、問題のある生徒に見えていたことだろう。こどもに通例のワンパクなところはなく、妙に大人しいので扱い難い。昔の言葉でいうなら「タチの悪いガキ」だった。こどもは好奇心の塊と言う。親御さんたちは、成長に伴って発展するわが子の好奇心を知識欲と理解して歓迎する。油断してはいけない。買いかぶりというべきものである。好奇心は、自然に好いものや良いことに向かうとは限らない。芳しくないことへの好奇心は、厳しく排除すべきである。この好奇心とい...好奇欲

  • アウトドア社員

    私は若い頃、出張とか研修とかで生活圏の外に出ると、妙に嬉しくなる軽薄きわまりない気質だった。仕事や学習は好い加減早めに切り上げ、現地の風光や味覚などを行楽気分で楽しむ、不届千万な社員。人が行きたがらない出張は自から志願しても行ったものである。担当者が行きたくない先だから、事が不首尾に終わっても5分の出来にはなる。上手く行ったらご褒美ものである。成るようになれで事に当たった。私にとって出張に絡めた観光とグルメは、ご褒美の先取りである。その頃のこと、会社の取引先に発注ミスがあり、先方の資材の担当者から、明日にもラインが止まるとの切迫した連絡が入った。運送業者を介して製品を送っていては間に合わない。当日フル稼働で作った製品を、誰かが深夜に運んで、先方の朝1番の検収に間に合わせることになった。取引先は長野県岡谷市...アウトドア社員

  • 資本主義の本質

    資本主義とは、ストレートな表現が許されるなら、欲望主義の語が正鵠を射ていると思う。欲望主義という言葉ではあまりに露骨すぎるので、経済学は資本主義(capitalism)という穏当な言葉を編み出したのではないか。欲望主義なら、植民地主義が資本主義の申し子であることもすぐ理解できる。人類は生存の本能により、身内に具わる欲望を満たす為の行動と工夫を重ね、適応進化して来たと思われる。私たち人類の進歩の原動力が、欲望にあったことは疑いないだろう。獲物や収穫物をより多く得たいという欲望が、狩猟や漁労の用具や農耕具の改良発達を促し、共同作業又は分業による効率化で、収穫量を増やすことを覚えたと推測できる。穀物栽培と草食動物の家畜化に成功すると、財の所有即ち富の蓄積が可能になり、さらに貨幣という財の交換手段が加った時、資本...資本主義の本質

  • 片付け上手

    整理と整頓とは異なる概念だと、大昔、新入社員の時の研修で事務の専門家から教えられた。整理とは廃棄を含むもの、整頓とは見た目綺麗に並べ揃える、つまり並び替えるに留まるものとか。その後20年くらい経って、初めてイギリス・ドイツ・ベルギーを訪れた時、旅行者の目に触れる銀行や郵便局、市役所などのオフィスが実に整然としていることに瞠目した憶えがある。文書その他の雑品が一切見当たらず、洵に整然としていた。街の商店のディスプレイも洗練されていた。書証に限らず、物品の収納・分類にかけて、ゲルマン民族(アングロ・サクソン人を含め)は収納整理の能力に秀でていると痛感した。それは、彼の国々の人たちが、ロジスティックス(物流)の能力に長けているということである。翻って我が国のオフィスを見ると、まことに乱雑無秩序、好対照を示してい...片付け上手

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