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2022/02/27

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  • ネット資本主義

    私たちは目下ネット資本主義という経済社会の真っ只中を生きている。産業資本主義、グローバル金融資本主義に続くネット資本主義が、どのような国際社会を形成し、私たちの個人生活と社会生活にどのような変化をもたらし、私たち個々人の幸福の達成にどのような影響を与えるのか、老爺には予測もつかない。人類が富と知識の蓄積を覚えたことで発展して来た資本主義は、単純にバージョンアップを重ねて来たのではなく、新しいバージョンが旧のバージョンを駆逐する形で交替して来たのだから、変化の動向は読み取れても、その結果を予測することは、難しいことのように思う。経済学は過去の経済社会を検証分析し、その軌跡とそこに至った素因を明らかにするが、その延長線上の予測モデルを動かしても、有益な答えは出ないのではないか?特に本当のイノベーションというも...ネット資本主義

  • エクササイズ3種

    当地では、漸く梅の花が咲き始めました。寒さで萎縮していた身体を、春モードに切り替えたいです。当ブログのカテゴリ【健康管理】には、以下の3つの体操を掲げています。①【コブラスクワット】(下肢の筋力低下予防と深呼吸)推奨伴奏曲🎵「百万本のバラ」②【ハイハイ運動】(骨盤後傾の予防)推奨伴奏曲🎵「振り向かないで」③【上体円月回し】(腰痛や膝痛の予防)推奨伴奏曲🎵「岬めぐり」テンポに慣れたら、お好みの伴奏曲🎵で実行すると長続きします。転ばぬ先の杖、予防を心がけましょう。エクササイズ3種

  • 文章

    文章を書くということは、テーマを定めて思考を重ね思索を巡らし、論理を構築して文脈を調え言葉を綴る、という一連の作業である。テーマの選定は独創性に富み、論旨は明解、論理は緻密で表現は斬新かつ大胆でありたい。取り上げるテーマは無限にある。談話と違って、時と場に配慮する必要がないから、これほど気随で愉快なことはないだろう。文筆で身を立てたい若者が多いのも理解できる。しかし、文筆家として成功出来るのはごく僅かである。世代人口のコンマ%以下だろう。書くことは容易でも、人に読んでもらえる文章を書くことは、極めて難しい仕事だと思う。体熱の盛んな若い頃は誰でも、頭に際限なく考えが浮かぶもので、思考が奔流のように流れている。だが、我が身を顧みるに、流れが速すぎて、何一つ大切なコトやモノを掬い上げることができなかった。老いる...文章

  • 山道

    私たちの国は、国土の4分の3が山地の山国である。と言うより、海から迫り上がった八つの島。島国と呼ぶのが適切だ。私たちは山岳民族でなく、フィリピンやインドネシアと同じ、島嶼民族と自覚しておきたい。私たちの先祖は、海から川を遡って内陸に分け入った。そこから山道が縦横に巡っている。大昔から人が繰り返し歩けば道はできるのだから、山道は各島内至るところに通じている。人煙のあるところ、必ず山道で繋がっていた。それが拡幅・舗装され、今や国中どこへでも車で行ける。古くから人が山に道を付けるには、山腹・尾根・谷の3つの地形を利用した。ひとつのルートだけで頂に至ることはなく、3種が複合するのが普通である。①山腹をトラバース(巻く)する道(山腹を斜めに横切る)②尾根の稜線を直行するする道(尾根の稜線上を辿る)③尾根の稜線の乗っ...山道

  • スミレ

    今日か明日かと待ち侘びていたスミレの花が、ようやく咲いた。道端で寒ささにめげず健気に咲くこの花を、今年初めて鉢で咲かせてみようと試みた。そのいくつかの株の中の魁。ポピュラーであっても、人の眼を惹かずには措かない春の花スミレ。花の咲き方こそ違え、秋のノギクに対置すべき野草かと思う。種類が多く、同定が難しいことも共通する。スミレ

  • 銅壺(どうこ)のルーツ

    今日では、銅壺(どうこ)と言っても、現物を見たことも触ったこともない人の方が圧倒的に多数だろう。それを使ったことのある人はもっと少ないに違いない。現物は、骨董屋さんでしか見られない。湯沸かしに電気とガスが使われる時代、銅壺は既に利用価値と存在価値を失って久しく、製造されてもいない。この名を知る人は少なくなっていることと思う。現物の画像を呈示できなくて申し訳ないが、銅壺とは、炭火の火鉢の灰の中に据える銅製または鉄製の湯沸し兼貯湯器のこと。銅壺と言っても形は壺状でなく、丸火鉢の曲面に合う半円型又は角火鉢の内面に納まりの好い角型である。水を注ぎ汲出す蓋付きの開口部がある。直火に架けないので湯は沸騰せず、お茶を飲むのに適した80度前後の温度に保つことができる。江戸時代には、雪の降らない地方の町方庶民の必需品だった...銅壺(どうこ)のルーツ

  • 発想

    発想は思考の原点である。水の流れで言えば泉に該るものかと思う。私たちの頭の中では、日夜発想が湧き出ている。全て人夫々の発想は思考の流れとなって下り、思想という池や沼を形成している。発想が湧かなくては、人間何ひとつオリジナルなもの、その人ならではのものを生み出せない。思考して、思念を積み上げ思想を構築するには、絶えざる発想の湧出が必要である。この発想こそが、人の生命の核心そのものであることに遅ればせながら思い至った。発想はあくまで端緒に過ぎないが、泉の水は流れ下って溜まり、池や沼に成って初めて、それがその人の思想に成る。思想はその人の人となりの核心を占めるものである。評価の定まった優れた思想に依拠しで生きようとするのは、自らを陶冶し、客観的に正しくあろうとする意欲の表れである。読書は、その意味で有用なもの...発想

  • 神の存在を教えてくれた人

    私は60年近く前の20代の頃、病気で市内の病院に入院していたことがある。入院中のある日の深夜、救急の患者が搬送されて来たらしく、慌ただしい足音がして、看護師や医師が私の居た病室に出入りした。患者は私の隣のベッドに寝かされ、点滴や酸素吸入が施されている様子だった。翌朝、目醒めて隣を見ると、80歳ぐらいの老人が、酸素マスクをつけ横たわっていた。高熱を発しているらしい。その老患者は、ひとり暮らしで、風邪が悪化して肺炎になり、屋内で意識不明になって倒れていたところを、心配して訪ねて来た知人に発見され、救急入院となったらしい。朝食のとき、その新来の患者と病院との間に一悶着がもちあがった。老人が肉や卵・牛乳など、動物由来の食物を分別して、一切口にしないのだった。医師・看護師や栄養士が来て説得に努めるが、頑として聴かな...神の存在を教えてくれた人

  • 価値観の不一致

    かつては離婚理由に「性格の不一致」が真っ先に挙げられていたものだが、それが荒唐無稽な暴論であることが一般に理解されるようになって、その後は「価値観の不一致」という理由をよく聞く。これも老生に言わせると、前者と変わらない暴論であるように思う。価値観も性格の影響下にあり、個性というものの本質上、一致などある訳がない。人間というものは、自分が好きになった人と同じ価値観を共有したいもので、つい無いものねだりをしたがる。それが押し付けになったり抑圧になって、互いの感情に好ましくないバイアス電流が生まれる。価値観を共有したい心情は理解できるが、それを恋人とか伴侶に求めるのは瞭かに間違っている。現在と別の価値観で、相手を選んだかもしれないのに・・・人の価値観というものを突き詰めて考えるなら、自分の価値観と一致するはずが...価値観の不一致

  • 虎落笛(もがりぶえ)

    今日2月13日、当地は快晴の空に今年最大の虎落笛が轟々と鳴り渡った。午前8時からお昼近くまで、虚空が吠えているような音が鳴っていた。風速は9mを超えていた。虎落笛(もがりぶえ)とは、冬の季節風が竹の柵や垣根に衝って振動し発する音のことで、冬の季語とか。空っ風の強い遠州で、冬の訪れを告げる虎落笛は、電線を鳴らし轟々と凄い音を発する。「春一番」の虎落笛?も、本来のそれにひけをとらない。音はおどろどろしいが、ガラス戸越しの太陽の光には暖かみが増していて、赤みを帯びた土手の枯れ草も、春を告げている。目を凝らせば、オオイヌノフグリの碧い花も、道端でチャッカリ咲いていることだろう。虎落笛(もがりぶえ)

  • 女性の魅力の多様性

    日本語には女性の魅力を表現する多様な言葉が用意されていて、選択に迷うほどである。それだけ男性の側から見た女性の魅力には、様々な態様があるということだろう。大きく分けて女性美には、麗・艶ふたつの形容がある。【麗】綺麗・美麗・豊麗・婉麗・・・【艶】清艶・優艶・妖艶・濃艶・嬌艶・凄艶・・・麗にも艶にも、実に多様な形容語が付く。これらの言葉は中国に古くからあった言葉なのか、明治漢語の部類に属す造語なのかはわからないが、なんとなく日本で造った言葉のような感じがする。もしそうだとすると、日本人は女性の美しさを【麗】(きれいさ)と【艶】(なまめかしさ)の両面で把握して来たということで、微に入り細を穿ち、極めて繊細な美意識をもっていたということになる。麗は容姿の魅力の謂、艶は性的な魅力の謂の言葉かと思う。思いつきで列挙し...女性の魅力の多様性

  • エンターテイメントの品質

    テレビ主導のエンターテイメントが、全般的に社会的貢献度を低下させていると見るのは、私だけではないだろう。映像・音楽・演芸・スポーツ・ゲーム・遊戯・旅行・公営競技等々、今やテレビはエンターテイメントの放映なしでは成り立立たない産業と言っても過言ではない。今日の民放テレビ局は、もはや報道機関としての存在意義を失い、エンターテイメントに依拠しなければ、スポンサーを獲得できないのだろう。そこにかつて在ったジャーナリズムを求めるのは、視聴者の無いモノねだりである。庶民が報道にアクセスする手段がテレビに限られていた時代,即ちテレビに良識があった時代は、テレビ草創期から40年間くらいの、僅かな期間だった。テレビ局の変質を促したものは、インターネットである。テレビがエンターテインメントに軸足を移すにつれ、芸能の世界との親...エンターテイメントの品質

  • 取り木

    かれこれ7年近く育てて来たコーヒーの木が昨年実を着けた。冬に入って豆に精製して焙煎した。粉に挽いて飲んでみたが、香りがほとんどなかった。日頃飲んでいるコーヒーとは、全然別の味だった。実の量がごく少なかったので、もっと増やそうと欲を出し、年明け早々取り木に挑戦してみた。桜の花の咲く頃には、2鉢のコーヒーの木を育てることになるだろう。手元で成ったコーヒーの豆を焙煎し、挽きたてを飲むのが、老人の新たな願いである。美味しくなくても好い。それには、少なくとも、4本の木が必要かと思う。コービーの実の精製と焙煎の手仕事そのものは、実際にやってみたら思ったより難しくなかった。実を沢山収穫することが1番難しそうだ。取り木

  • ご縁第一

    私たち日本人は、大昔から血縁・人縁・地縁をとても大切にしてきた。「縁」に恵まれて生きることが、人生をより豊かにすると、先祖たちは考えていたに違いない。個人の知識よりも発想よりも、「縁」が人に幸福をもたらす最大の手がかり足がかりになるという考えは、日本の社会に遍く定着しているように見える。「寄らば大樹の陰」とは、「縁」を辿って大樹に辿り着き、そのお陰を蒙ろうとする心情の顕れである。それは日本人に限らず、社会を構成する人々に普通の気持ちかも知れない。だが「縁」を重要視し過ぎると、自分と「無縁」の者を「何処の馬の骨かわからぬ」などと蔑視したり無視したり、時には差別する陋習に染まることになる。「縁」を過大に評価すれば、差別主義に陥るのは避けられない。「縁」の重要視は、昭和の高度経済成長期に現れた「人脈」という言...ご縁第一

  • 楽しみの向こう

    早くも馬脚を露した石破首相。長い雌伏の果ての登板に、判官贔屓で当初は少数与党に応援の気持ちもあったが、「楽しい日本」には期待を裏切られがっかりした。首相の言わんとする「楽しい」が何を指すのか?詳しい説明がなく、国民には全く趣意がわからない。腹蔵しているものがあっての発言だったはずである。彼が戦車や軍艦の模型を作って楽しんでいた少年時代、その楽しみの向こうに何が見えていたのか?それを聴いてみたい。オタク少年が宰相になっても、発想の仕組みは変わらないと思う。現下の国際情勢を踏まえて、楽しみの向こうにあるものを、明確に国民に訴えるべきではないか?楽しい時は長く続かない。私たちは通常、楽しんだり楽しさを感じる時に、楽しみの向こうにあるものを必ず視野に入れている。ただ楽しんでいるだけの人など多くはいないだろう。「楽...楽しみの向こう

  • 過剰と片手落ち

    中国の春節が始まる。当月28日から2月4日までの間だそうだ。期間中に中華圏全体で90億もの人が動くらしい。中国人それもその中核の漢民族が、言動や行動の表現において、現実離れした甚だしい誇張やオーバープレゼンスを好む気質の持主であることは、様々な歴史的文化遺産によって夙に知られている。現下の中国の生産・供給・観光・消費・教育学習・人口管理・漁獲・軍事など、あらゆる面で過剰に奔る特性は、単に国民の勤勉とか、共産党政権の本質とかで片付けられるものでなく、民族に備わる強いエモーションが作用しているように思う。インバウンド増加を欣ぶ我らが政府は、中国人たちが春節に日本への観光旅行を第一の候補に挙げていることに満悦かもしれないが、国民は春節によって惹き起こされるオーバーツーリズムに曝され、家族旅行もままならず、ウンザ...過剰と片手落ち

  • 高齢者と生活実感

    半世紀以上も前のこと、私は伊豆半島の紺碧の海を見下ろす高原の一角にある、当時としては理想的な高齢者施設を訪れた。そこで暮らす高齢の夫妻に所用があっての訪問だった。まだ介護制度もない昭和の時代である。全面芝生の広い敷地内には諸処に樹木が植えられ、花々が花壇に咲き乱れていた。敷地内には多数の2階建て住戸(上下で2DK各一戸)が散在し、それぞれの住戸は、上階専用と階下専用の上下2段の屋根付き回廊で繋がり、中央管理棟のビルに接続していた。中央管理棟の建物内には、食堂レストラン、温泉大浴場、多目的ホール、診療施設,娯楽施設やゲストルームがあり、医師・看護師が常駐していた。居住者は首都圏で役所や企業をリタイアした人たちが大半、立地や設備から見ても、入居時の入居料・年間費用などは相当の額と推察された。伊豆半島を縦貫する...高齢者と生活実感

  • 記憶力を保つ努力

    好奇心を満足させようとすると、否応なく新規の言葉、初見の語に出会う。外来語もあれば古語も俗語も造語もあり、それらを憶えることは、年齢のせいで筋力と記憶力が衰えがちな老生には苦手。それでも努めて憶えようと奮起するのは、記憶力を何とか守りたいからである。新しい言葉は、日頃最も触れる機会の多いユーチューブからが多く、次いで購読している雑誌その他書籍と続く。スマホはその意味で必需品である。最近知った語で特に憶え難かったのは、☆コマチレーション(西洋の城の出狭間)☆カルメネール(ワイン用葡萄の品種名)☆エライオソーム(アリ散布型植物の種子に付着している物質)☆セレノネイン(マグロの血合に含まれるセレン化合物)これらは、私には初めての単語で、この語が遣われていた文脈は記憶にとどまるのだが、単語そのものを憶えることが難...記憶力を保つ努力

  • 合理の精神と和合の精神

    理に合わせることよりも和を優先する社会というものは、その社会を構成している人々が、「理」に依拠しなければならない局面でも、敢えて「和」で乗り切ろうとする習癖を保っているのではないかと思う?「理」は論拠を要するが、「和」は論拠を省いて多数の同意さえあれば、事を決することができる。同意・合意を何よりも優先する和を尊ぶのは、数の優勢で事を決することができるからである。それに対し、逐一論拠を示して事を決定に導くのは、合理性を尊ばない人々にとっては、手続きが煩瑣で苦手であるだろう。議決の場で理に拠らないで多数派を形成するには、常日頃から和を最優先して多数派を確保していなければならない。論拠を要す理よりも和を重んじる心は、正当性の有無よりも、自分の主張を押し通そうとする我欲のためである。手間暇かけずに自分の意図する方...合理の精神と和合の精神

  • 足ツボ刺激マット

    同居の長男は健康管理にうるさい。アイデアが湧くとすぐ試すのは父親譲りか?どこで手に入れたのか、ある日廊下にこのようなマットが敷かれていた。浴室への通路なので、1日1回はこのマットの上を通らなければならない。マットの一面に突起がある。この上を歩くと、足裏が物凄く痛くて跳び上る。マットを敷いた本人が、うっかり歩いて悲鳴をあげるほどだから、老いた両親にはもっと痛い。老人虐待と紙一重である。孫たちはさほど苦痛を感じないようだ。飛び越えているのかもしれない。かつて安倍奥の梅ヶ島温泉に行ったとき、宿の浴室への通路に約5メーターほど、玉砂利が埋め込まれていた。そこを歩くときの痛いの何の、大騒ぎして通過したことを思い出した。足の裏には全身の内臓器官のツボが集まっているという。そのツボを刺激することは、各器官の活性を高める...足ツボ刺激マット

  • 英雄も人の子

    織田信長は、その人生の絶頂の時に、最も信頼していた重臣、明智光秀に討たれた。四囲の強敵の同盟に怯むことなく各個制圧し、天下を統一したかに見えた戦国の覇者信長も、人の子だったということだろう。信長親子を討った光秀は、恃みとする盟友で娘の舅の細川藤孝(幽斎)に合力を拒絶された上、筒井順慶の裏切りに遭い、山﨑での羽柴秀吉との決戦に敗れた。敗走中に落武者狩りの土民の手にかかり討取られた。細川藤孝の支援拒絶は、予想外だったろう。人から生まれた人の子は、必ず誰かを信頼せずには生きられない。また人は、愛する者が多ければ多いほど、愛する者の安泰のために人を恃むようになる。恃みとする気持ちが相手に弱みを伝えることになり、自ら相手の謀叛や離反を招き寄せてしまう。史実を閲すると、英雄も権力者も、敵より味方、すなわち身内または腹...英雄も人の子

  • 犬と猫

    犬または猫、それぞれのペットを飼っている人たちの動画をYouTubeなどで視聴させてもらっていると、犬と猫の性格の違いが伝わってくる。ひと言でいうなら、犬は鷹揚闊達、猫は狷介固陋であるように感じられる。犬は飼い主の友達にも気を許し、歓迎してくれるが、猫は時には嫉妬したりして、些か気難しい印象がある。この嫉妬をするところが、とても可愛いのだと、猫の飼い主は口を揃える。猫の秘めやかで陰性な独占欲に触れるのは、飼い主として得も言われず心地好いものなのだろう。犬からも飼い主への独占欲は感じられるが、どこかおおらかで開けっぴろげ、サッパリしているように感じる。人は各々に犬・猫との相性があり、犬派と猫派に分かれるらしい。猫的な性格つまり内向的な人が犬を好み、外向的で犬的な性格の人は猫を好きになる傾向があると聞いたが、...犬と猫

  • ボタンの掛け違い

    「ボタンの掛け違い」という比喩表現をよく聞く。事に当たって熟慮と予見を欠き、発端で何ら難しくない単純な事務処理を誤り、場当たり的な対処をしたがために、最終的に事の破綻に至る事象の喩えである。これを防ぐには、万事最初が肝腎と心得、ことを軽率に扱わず慎重に運ぶしかない。ボタンホールというものは並びが整然としているから、ボタンをかけている最中にボタンの掛け違いに気づくのは難しい。処理をそのまま続けて行って、最後のボタンを掛ける段になって気づき、落胆と後悔を味わう。修正は最初に戻って逐次掛け直す外はない。気づくのが早ければ早いほどやり直しは容易だが、気づくのが後れると、最後の不整合で破綻する。ボタンの掛け違いは人の判断や認識の間違いによって起こる。私たちは人生の各期で、ボタンを掛け違えるリスクを負っている。人生は...ボタンの掛け違い

  • お家焼き鳥グリル

    寒い間は、おでんや鍋物が食卓の主役になり、ガス卓上コンロの出番が増す。我が家では、更に画像のような電気網焼きグリルが加わる。数年前に長男からプレゼントされたものだ。ご覧のとおりのお家焼き鳥目的の遠赤外線グリルだが、老生が鹿児島のキビナゴを焼きながら一杯やるのに使ってみたら、頗る焼け具合が好かった。シシャモやセグロイワシなど小魚を焼きながら食べるには最適。海苔や干物を炙るにも便利だ。正月中はお餅をよく食べるが、お餅を焼くにも好適だった。六面体の角餅の各面を満遍なく焦げ目をつけ焼きあげることができる。昭和の昔の、火鉢で焼いたお餅に匹敵する焼け具合、磯部焼きに好適だった。お家焼き鳥グリル

  • おめでとうございます

    昨年中は本ブログをご高覧いただきまして、洵に有り難うございました。今年もよろしくお願い申し上げます。2025.1.1ツワブキとスナゴケ私の植物趣味も、草木の花を観たり栽培することから、立木そのものやタケ・ササへの関心を経て、今ではススキとコケに至っている。「枯淡の境地の顕れ」とでもいうものだろうか?晩節の園芸は、ポピュラーでシンプルなモノに惹かれる。火山帯で酸性の土壌であることと湿潤な気候、日本列島の自然は、ススキ(カヤト・カヤ)とコケの生育には頗る適しているようだ。ススキのおかげで、遠い縄文の先祖たちは、雨風を凌ぎ、快適に暮らすことが出来た。その後のワラは、いくら大量にあっても、屋根葺き材としての耐久性において、ススキに及ばなかった。ところで、列島に普遍のこのススキとコケ、栽培に取り組むとなると、なかな...おめでとうございます

  • 客気

    「客気」(かっき)とは、物事に逸(はや)る心。「血気」とも言う。これと似たものに「意気」がある。何かしようとする積極的な心のこと。「意気」の発動元になる基盤を持ち合わせていない人を「意気地なし」と謂う。老生は客気は十二分に有ったと思うが、30才を過ぎるまでは意気地が無く、したがって意気が乏しかった。意気のあるなしは男性では重大視されるが、女性ではあまり問題にされない。それに対して客気は、男女共等分に必要なものである。恋というものは、男女双方に客気がないと、正しい意味では成立しない。客気に衝き動かされることのない恋は信頼するに当たらない。一方が客気を欠いた男女の交際は、恋に発展するはずもない。恋に当事者の客気が必要不可欠なのと同様、友誼も当事者の客気を欠いては成立しない。客気のない者の間に真の友情が存在する...客気

  • 【朝ぼらけ体操】

    老人は早寝早起き、朝は暗いうちに目が醒めます。この無為に過ごしがちな日の出前の、未だ眠りたい身体を覚醒させる目的で体操をしています。名付けて「朝ぼらけ体操」。好みの曲🎵に合わせて動くと、習慣化し易いです。1.寝起きの🛏️で①四肢の結合部(腰と脚・肩と腕)のストレッチをいろいろ🛌上で行います。柔軟体操といわれるものなら何でも好いです。②骨盤と背骨の調整体操【上体円月回し】。老生が考案した体操です。坐骨・股関節・仙骨・脊柱の歪みを整え正します。🛌の縁か🪑に腰かけて行います。詳しくは前稿をご覧ください。③腹筋強化運動と【リバース・プランク】をベッド🛌上で行います。降順の【プランク】と共に、衰えがちな体幹を強化します。2.続いて床にマ...【朝ぼらけ体操】

  • 【上体円月回し】

    この【上体円月回し】は、老生が多年悩まされた骨盤の歪みを解消しようと種々試しているときに、柴田錬三郎「眠狂四郎」の円月殺法をヒントに考案したエクササイズです。これで腰の不調から解放されました。【コブラスクワット】に次ぐ整体シリーズ第2弾として、投稿させていただきます。【上体円月回し】①ベッドの縁か椅子に浅く腰掛け、両腕の手のひらを床に向け前に出します。一方の手のひらの上にもう一方の手のひらを重ね指を組みます。②組んだ指を真上に掲げ、両腕の上腕二頭筋が両耳に当るよう腕を伸ばします。両耳を両腕で挟んだ状態を保ちます。③垂直な上体を、尾骶骨を基点に時計回りに10回、上体を真っ直ぐに立てたまま、頭の上の組んだ手で真円を描くように回します。同様に反時計回りに10回。④手のひらの上下を組み換え、時計回りに10回。反時...【上体円月回し】

  • 【ハイハイ運動】

    これはかつて整体師の方がユーチューブにアップしていたエクササイズです。大腰筋・骨盤・股関節・脊柱を調える効果があります。【ハイハイ運動】床に四つ這いになります。手は肩幅、膝は腰の幅に保ちます。①息を吐きながら、両肩を結ぶラインを出来るだけ前に移動しながら腰を沈め床に近づけます。②息を吸いながら肩を後退させ、後ろに腰を曲げながら引き、元の四つ這いに戻ります。20回。③四つ這いの姿勢から、背と腰を1枚の板のようにイメージし、床と平行にゆっくり左右にスライドします。これを20回ほど繰り返します。【ハイハイ運動】

  • 米国の民族構成比

    直近(2020年)の国勢調査によれば、アメリカの各民族の人口構成は、白人57.1%、ヒスパニック18.7%、黒人12.1%、アジア6%、その他6.1%とのこと。10年前と比べると、ヒスパニック系民族の増加率は23%で、全米の人口増加率7%の3倍強、ダントツにヒスパニックが他を著しく引き離している。白人の割合が6割を切り、ヒスパニックが急増した結果と、第47代トランプ大統領の選出には、この民族の構成比という、多民族・移民社会に固有の事情が深く関わっていると分析されている。既に米国社会に適応し足場を築き市民権を獲得したヒスパニック系の旧来移民たちの心理の深層には、陸続と続く同族の新移民に対して厳しい姿勢のトランプ氏に、共感するところが大きかったのだろう。不法適法を問わず、新来の同族は既に米国社会に拠り所を確保...米国の民族構成比

  • 愛猫のこと

    先月4日に昔の愛犬のことを書いたので、愛猫のことも書かねば片手落ちになる。この猫は、30年ほど前、次男が高校生の頃にペット店で見つけ、私に「可愛い猫の仔が居た」と告げたことから、我が家に来た。当時私の家では、妻が更年期の最中、その障害の甚大な影響は私にまで及んでいた。私は仔猫に癒しを求めたのである。ペット店に行ってその仔猫を見ると、すぐ私に寄ってきたので、購入し家に連れ帰った。その雌の仔猫は半年もすると、家族になくてはならないペットに成長した。私たちはこの仔猫にどれだけ癒されたかわからない。息子がこの仔猫を見つけてくれたことには、天佑というべきものを感じた。私はこの仔猫が成猫になる前に避妊手術せず、出産を経てからにしてもらおうと思った。母猫にならないで一生を終わらせたくなかった。一度だけの出産なら、産まれ...愛猫のこと

  • 60年前の歌🎵

    今朝は、予約してあった医院に行く日だったので、7時に家を出た。当地の平日、この時刻の幹線道路は出勤の車で渋滞する。ノロノロ走る車窓から、歩道を自転車で通り過ぎる女子高生の列を眺めていたら、我知らず【女学生】という、60年も前にヒットした歌のメロディとフレーズを口ずさんでいた。運転していた家内もそれに誘われ、うろ覚えの歌詞を何とか2人して繋ぎ合わせることができた。同世代だから記憶にあったのだろう。そのお陰で、渋滞に苛立つことなく医院に着いた。曲はYouTubeのabm00005さんから、お借りしました。この歌がリリースされた当時は既に成人していたやつがれ、GFもいないままに過ぎた高校生活に、忸怩たる念いを抱いていたためか、清潔感あふれる歌手安達明さんの唄声の爽やかさがいたく気に入り愛唱した。60年も前には、...60年前の歌🎵

  • 若見え

    東北アジア人(新モンゴロイド)は、一般にヨーロッパ人やアラブ人・インド人(コーカソイド)と較べると、瞭らかに若見えである。10歳は若く見えるのではないかと思う新モンゴロイドは、雑駁な理解かもしれないが、形質が遺伝性を獲得するほどの長い期間(数万年以上)を、食料の乏しい極寒の地に住み、栄養不足の環境で世代を累ねて来た。そのため、男女共に、より食が豊かだったコーカソイドに比し人類としての肉体的完成度が低く、幼形成熟(ネオテニー)の傾向が強い。全体がまだ未完成なうちに、生殖能力だけ完備するのも困るが、種の滅亡を防ぐ自然の配慮だから仕方がない。完成度はホルモン量で調節され、体格体形や性徴に顕れる。男性の場合、筋骨、髭、禿頭に、女性は乳房と腰に。身長は男女に共通する指標である。西欧人、アラブ人たちと比較すると、東北...若見え

  • 波長の合う間柄

    品性は天賦のものである。対する知性は、生まれつきのものと、自分自身で努力して身につけるものとで出来ている。良識と卓見はこの2つの性能から生まれる。苟しくも国民国家の統治に携わる人たちは、政治家であろうと官僚であろうと、この2つの性能を高度に備えていなければならないと思う。困ったことに、世界で最強の軍事力と経済力をもつ米国の新リーダーが、この2つの性能において、各国首脳たちの不安を増幅させているのではないかと案ずる。行動・言動に信頼をおけない素因を払拭できないのだろう。彼が8年前に政権を担って以降の4年間、内政と外交の両面で、国内外を混乱させた経緯は記憶に新しい。その彼が、明年1月20日から米国大統領の座に着く。独裁国家ではないから、恣意的な政策を押し通すことはできないだろうが、各国首脳の頭を悩ます事態が頻...波長の合う間柄

  • 菊(管物)

    キクの仕立てに失敗。そのままにしておいたら、勝手に咲いてくれた。ひと昔前には3本仕立てを人様に贈ったこともあったのだが・・・キクづくりは半年の間手も気も抜かずに丹精しなければならない。暇のある老人にしかできない園芸だ。暇はあっても気の多い老生には、元々無理だったのかもしれない・・・菊(管物)

  • 畏み崇め奉るクセ

    私たち同胞が共有する同調性とか集団志向、殊に事大主義について、当ブログのカテゴリ〈人文考察〉の一環として長いこと愚考を重ねているが、最近ふとしたことから、新たな考えが泛んだ。それらは歴史的に、支配者や権力者から一方的に強制または感化され身に付いたものでなくて、被支配者の民衆自らが進んで、権威を畏み崇め奉る生活習慣を、遠く神代の時代以前から保っていたのではないかという見方である。これまで私は、日本社会に顕著な、尊敬とか謙遜の態度を、社会の上位(支配者)階層から下位階層への強制や押し付けが人々を萎縮させ卑下させた結果と捉えていた。だが、日本語にあれだけ多種多様な尊敬と謙譲の語彙が生まれた背景を推理すると、当時の一般大衆の側に、並大抵でない敬い好きの本性が隠れていたと考えざるを得ない。人は時と場合によっては、自...畏み崇め奉るクセ

  • スッキリいかない

    当地では、咳の出る病が流行っているらしい。時々お世話になる薬局さんで耳にしたのは、ごく普通の去痰剤とかが不足気味らしい。先月急に寒くなったから、インフルエンザ・コロナ・マイコプラズマ肺炎など、熱や咳がでて痰が絡まる病気が増えているのだろう。毎年薬価が前年より低額に改定され、ジェネリック薬品メーカーの経営が逆境にあることも、要因のひとつらしい。4種混合ワクチン(百日咳・ジフテリア・破傷風・ポリオ)というものがあるが、インフルエンザ・コロナ・マイコプラズマの3種混合ワクチンというものは創れないものか?累次接種を必要とする予防接種を、疾病ごとに受けるのは、患者には負担が大きい。メーカーにとって、採算が合わないのか、副作用など創薬上の問題があるのか、素人にはわからないが、予防注射は簡便であることに越したことはない...スッキリいかない

  • 遠くへ行きたい

    【遠くへ行きたい】(永六輔作詞・中村八大作曲)は、1962年(昭和37年)5月、NHKの「夢であいましょう」の中でジェリー藤尾さんが歌い、6月にレコードがリリースされた。この頃のNHKは今と違って、この国のテレビ文化をリードし、良心的な番組が多かった。折しも当時成人前のやつがれ、懸想していた女性とのデートが叶い、ひときわ感傷的になっていた。恋は人をナイーブにする。花火を観ても潮騒を聴いても心が揺らぐ・・・恋情をもて余していたに違いない。タイムリーに出たこの曲がいたく気に入り、愛唱すること尋常ではなかった。2年後の破局を予感していたのかも知れない・・・自己愛の強いロマンチストというものは、情熱で我が身を灼くばかりか相手までもその熱で傷つけてしまうことがある。恋というものは、洵に剣呑で不条理なものである。遠くへ行きたい

  • 蜂屋柿2

    今年も娘が干し柿好きの老生に、鉢屋柿を一箱買ってきてくれた。当地遠州は糖度抜群の次郎柿の発祥産地なので、干し柿用の柿はほとんど流通していない。老生は、手づくりしたがり屋なので、昨年もこの大きな蜂屋柿で干し柿をつくった。下処理は妻任せ、架台を作ったり、干すのを手伝ったりしただけだが、正月には、手づくりの干し柿を堪能した。干し柿乾燥中は、急な雨が怖く、家を空けられない。去年は雨や夜の架台取り込みが大変だったので、今年は架台を使わず、金網を使うことにした。2週間ほど干せば完成する。蜂屋柿2

  • 恋は自己愛の満足

    老人が恋について記事を書くと、「この爺い、未だ枯れていないのか?!隅におけない爺いだ」などと思われそうだが、孫たち若者の幸福な恋のために、恥を忍んで書いている。「恋」と「愛」とは本質的に異質の概念なので、当ブログでは「恋愛」という「恋」を誤解させる妙な造語は、なるべく使わない。恋というものは、始まりと終わりがある男女の関係である。極端に言うと花火に似て一過性のもので、美しく咲いても長もちしない。消滅を避けられない性質をもっている。永遠の「愛」は有っても永遠の「恋」は無い。恋は人が先ず誰かを好きになることから始まる。人は自分のことを好いてくれる人を、好きになるもの。少なくとも憎みはしない。好意を寄せられれば人は誰でも嬉しいから、好い反応をするのである。勿論、端から好みに合わない人の好意は受け入れられないだろ...恋は自己愛の満足

  • トランプ大統領

    アメリカでは、共和党のトランプ氏が第47代大統領になった。アメリカ国民の選択が、日本に好ましくない変動をもたらすであろうことは覚悟しなければならない。アメリカ人は心の奥底で、初代大統領ジョージ・ワシントンに大統領の原像を見ているのではないか?少なくとも、トランプ氏本人は、その気でいるように見える。軍人であり農園経営者であり、政治家でもあったその人を、トランプ氏は理想化し模範としているのではないかと疑う。ジョージ・ワシントンは、インディアンや黒人奴隷を、同じ人間とは見ていなかった差別主義者であった。インディアンのある部族の絶滅命令を発したこともある。慥かに移民に否定的な新大統領と似ている面はあるが、政治的能力という点でも人望でも、初代大統領とは比較にならない。自分が見えてない人間というものは実に度し難いもの...トランプ大統領

  • 続「流鏑馬の謎」

    こんなに違う!日本とモンゴルの流鏑馬両国の競演は「最初で最後でしょう」福岡市の神社で披露(ニュース RKBオンライン)今年は、鎌倉時代の元寇、文永の役から750年です。【写真で見る】日本とモンゴルの流鏑馬4日、福岡市の飯盛神社でモンゴル流の流鏑馬が披露されました。馬を乗りこなすの...福岡市の飯盛神社で、神社恒例の「流鏑馬」に、モンゴルの騎士4騎が参加、最初で最後の日・蒙騎射実演が行われた。(RKB毎日)日本の流鏑馬は通説の平安時代起源でなく、750年前の鎌倉時代「元寇」に起源があると私は考えている。それは当ブログの記事「流鏑馬の謎」でhttps://blog.goo.ne.jp/tekedon638/e/2bd0aac3b6a9a5a2a747340903f7231cで詳述させていただいた。彼我の騎射の...続「流鏑馬の謎」

  • グルメ難民

    インターネットの活用によって、私たちは、無限の情報が駆け巡る中で暮らす存在になった。今や私たち個人は、情報の大海を航海する小舟であって、進路は自分で選べるものの、昼夜を分たず無数に発信される、真偽も定かでない情報に常時接する人生を送らねばならない。私たちは昔と違って、情報の正否に、特段の注意を払わなくてはならなくなっている。地球の温暖化と砂漠化そして海洋汚染は、それらのどれもが、人間の営為による自然環境の恒常性への干渉の結果だが、この干渉による変動は今日、地球規模で海の生態系に不可逆的な変化をもたらしているようだ。魚食民族の私たちの食生活に、看過できない多大な負の影響を顕し始めている。この国で、連綿と受け継がれてきた先祖伝来の食生活を維持することが、最早困難になっていることを日々思い知らされている。昭和の...グルメ難民

  • 愛犬のこと

    私には様々な動物飼育歴がある。子供の頃に「伏見稲荷を神棚に祀ってあるから」(狐と犬は不仲)という訳のわからない理不尽な理由で、犬や小動物を飼わせてもらえなかったので、家庭を持ってから、小鳥・鶏・鶉・兎・犬・猫・川魚と、矢継ぎ早に飼育した。3人の子どもの末っ子が幼児期をすぎる頃に、雄のシェルティが家族に加わった。何十年か前に逝ったこの犬を、折に触れ想い出す。夫婦だけで山歩きをするときに、屢々この犬を伴った。面白いことに、この犬種は洵に使命感の強いところがあって、山道ではいつでも我々を道案内するのだった。未体験の知らない山道でも先導しようとする。特に、急登で飼主の歩行が捗々しくないときには、先になり後になり、時には吠え追い立て、我々に行動を促し進路を与える。羊の群れを統御するよう作出された使役犬ならではの使命...愛犬のこと

  • 浜松フラワーパーク15

    選挙日の翌日、フラワーパークのバラ園に、秋のバラの花の香りを慥かめたくて行った。生憎明け方まで降雨があり、花弁に雨水が溜まっていて、香りを楽しむことはできなかった。帰りに鉢植えの花でも買おうかと売り場に立ち寄ったら、室外のフジバカマの鉢棚に、アサギマダラが1頭、吸蜜に来ていた。バラの香りを補って余りある、今年初めて見たアサギマダラに癒され、帰途についた。浜松フラワーパーク15

  • 心意気

    私がこの齢になるまでの長い間、互いに心が通じ合ったと確信できた人々とのことを想起する時、その人たちの全てから、心意気というものを感じていたように思う。交誼を結ぶ期間の長短は関係ない。どんなに長くても、心意気の介在しない関係は、泡沫のようなものである。徒に長い交際期間があっても、心意気の缺けている人物とは、誼が深まらなかった。肝胆相照らす関係には、お互いの裡にある、心意気という割符が必要不可欠であったと思う。友誼は互いの心意気から生まれるものである。心意気というものは、外に顕れるもので、有・無を確かめるのは存外簡単である。【心意気がある】①気前が好い②侠気がある③思い入れが深い【心意気がない】①吝嗇(ケチ)である②事大主義者(長いものに巻かれる)④臆病であるこれなら分かり易い。これを見れば、心意気のある人も...心意気

  • 見識と人格に照準

    今回の衆議院選挙は、私たち選挙民にとっては、旧来の選挙における陋習を脱する画期的かつ有意義な選挙だったと思う。それと同時に、メディアの選挙報道の無用性と選挙をエンターテイメントと同列に扱う軽薄性を浮き彫りにした。国政選挙というものは、私たち庶民に、社会のゆがみやひずみを浮き彫りにしてくれる貴重な機会である。観察の機会を提供してくれる貴重なイべントである。候補者というものは、得票のために選挙活動の過程を通じて、政治家としての公の貌ばかりない私の貌を曝露せざるを得ない。当選するための必死の行動が、善かれ悪しかれ、彼の人物像を瞭かにする。それは私たちが普段の生活では決してできない、政治家本人の本当の人間観察の場を提供してくれる。選挙民は選挙期間中、徹底して候補者を注視観察し、彼や彼女の政治的見識と政策実現力を知...見識と人格に照準

  • 選挙戦も終盤

    衆議院の解散総選挙も終盤に入った。各党選対本部は当落予想に一喜一憂、テコ入れに応援を奔らせる。候補者は最後の頑張りに、全力を投入している。候補者の政見を聴いていると、段々、それぞれの候補者の置かれた立ち場と切迫度が伝わってくる。この騒ぎも、27日で終わる。与党の当選回数がそこそこの議員は、当選したら公約などそっちのけ、新内閣の閣僚や党の役職しか、眼中に入らなくなるだろう。前ブログで書いたが、老生は改革を叫ぶ候補者を信用していない。「改革」の胡散臭さ-道々の枝折与党総裁と野党代表の選出が近くなってきた。「改革」を声高に叫ぶ候補がいるが、彼らは実は政治理念をもたず、詳しく議員・党員に説明できる詰めた政策をもたないのではな...gooblog政治課題としては、改革が最も難しい。その人が本当に改革に取り組む気があ...選挙戦も終盤

  • 民主主義のコスト

    民主主義というものは、登山に喩えるなら、削ぎ立った狭い尾根の一本道を行くようなものではなく、両側の谷が視野に入らないほどの広尾根を歩くようなもののように思える。ガスっていれば、中央部を歩いているのか、滑落の危険のある両側の谷に臨む縁(へり)を歩いているのか、判然としない広い尾根・・・山歩きをする人なら先刻ご承知だろうが、最も道迷いし易いのは、このような広尾根である。常に尾根の中心を歩めるなら安全だが、樹木その他の障害物でそれは不可能、尾根の両端(はじ)の間を、右端(はじ)に寄り過ぎたり、左端(はじ)に寄り過ぎたり、ジグザグに進路を修正しながら歩かざるを得ない。民主主義というものもこれに似て、為政者が、始めから安心・安全な中道を辿れないものである。なぜなら人間というものは、選択の幅の広い、判断の自由度の高い...民主主義のコスト

  • 万葉の森公園9オケラ

    7ヶ月ぶりの万葉の森公園。この日は、園内の建物内で万葉食の食事会があった模様、駐車場に車が多かった。昨年は我々夫婦も参加し試食した。食後マコモの葉で、縁起物の亀を編む講習がセットされていたが、老生は巧く作れなかった。手芸好きの妻は何とか亀らしいモノを作った。園路の入り口はヒオウギが並び、黒いヌバタマを覗かせていた。ツリガネニンジンもう時期を過ぎている。オケラオケラの花の好い状態を撮ることができた。長年栽培していたが、このような綺麗な状態の花を観ることがなかった。カシワ柏餅が好物なので、この葉は見逃さない。カクレミノニレクヌギシノ(メダケ)シノの生えている処に来ると足が止まる。篠は笹・竹の中で最も好きな種類。シノの葉スガナヨタケ(ナヨタケ)ナヨタケの稈カラタチマユミヤマチサウワミズザクラウノハナハマユウハギ...万葉の森公園9オケラ

  • 賢明な人?

    定年または引退まで、恙無く無事に浮世を渡ることができたということは、別の見方からすれば、自分の意思の多くを、抑えたり撓めたりして来たということの証である。人生における自分の意思の実行度合いは、0から10まであるとして、両極端は現実的でなく、大方の実行率は7分前後に落ち着くだろう。世の中は意に染まないことをしなければならないことが多々ある。自主自律の精神を尊ぶのが近代人だが、言うは易く行うは難しい。人間自分の意思をあらゆる場面で推し通すことなどできるものではない。協和・同調・妥協・迎合・雷同なくして、他人と協働や協調をすることはできない。万一自分の意思が誤っていた場合には、他者との協和で事なきを得ていたはずである。権力者と雖も、いや権力者ほど、自主自律が難しくなるのは、国政を観察していればよくわかる。意思は...賢明な人?

  • 浜松フラワーパーク14

    昨日は、当記事を誤って白紙でアップしてしまい、ご閲覧いただいた方々に、ご迷惑をおかけ致しました。お詫び申し上げます。*************************************7月以来、3ヶ月ぶりにフラワーパークを歩いた。夏の猛暑はこの園にも害を及ぼしたとみえ、いつもより草や木の花が少なく、好んで訪れるスマイルガーデンに花はなく、寂しい園路だった。コスモスはチラホラ、フジバカマは蕾段階、オミナエシは探したが見つからなかった黄色の彼岸花・酔芙蓉・秋明菊の3種が、見頃を迎えていた。ショウキズイセン(彼岸花)自生のムラサキツユクサシュウメイギクスイフヨウピンカ浜松フラワーパーク14

  • 緑を身近に

    老生の植物愛好と栽培は、屋外での雑草観察から始まった。それまでは、とんと草花の名前に疎い無粋者だった。先ず身の廻りの目に触れる雑草から覚え始め、山野草→高山植物→蛇紋岩残存植物→竹・笹類と、10年単位で親しむ植物が増えた。老いるに従って観察の機会は減り、それと反対に栽培が増える。ここ数年は、植物の栽培にも断捨離が必要と気づき、鉢植えを減らしている。年齢のせいか、美しい花々を見ることに熱意が湧かず、毎夏の朝顔を除き花づくりは早々に諦めてしまった。花に心を奪われなくなったのは、感性が涸れたという指摘もあるが、色彩にあまり魅惑されにくくなったと理解している。綺麗な花々に変わって、ススキを実生で栽培したり、コケを鉢植えにしている。もはや仙人の趣味の領域。対象は移っても、植物を愛する気持ちは変わらない。苔が好きなの...緑を身近に

  • 前例踏襲と無謬信仰の源

    世の中は優勝劣敗、リスクに充ち満ちている。となると、8割の人はこの世を無難に渡るために、リスクを取らない処世を身につけようとするかリスクを回避する方法の習得に腐心する。リスク管理などという、尤もらしい言葉も生まれる。予測できるリスクに対してならそれで好いが、予測できないリスクに対してはどう対処したら好いのだろう。予測可能なリスクなどたかが知れている。予測不能なリスクがあるから、世渡りが怖いのではないか。手におえないことは、神仏に祈るか衆を恃んで大勢で突破するしかない。「赤信号みんなで渡れば怖くない」である。人間は多勢となら、過酷な運命でも、甘受できる生き物である。初詣の人出は、如実に大衆の心情を顕している。人は誰もが、リスクから逃れる術をもたないということを知っているのである。ならばリスク回避に汲々としな...前例踏襲と無謬信仰の源

  • 合理精神

    合理精神というと、冷徹を連想してしまう人がいるが、それは偏った理解である。合理性の高い人から、その様な印象を受けがちだからであろう。クールでなくホットな合理主義者も多い。合理精神とは、心の持ち様が自然の理に適っていることである。したがって、科学的常識に則って物事を考える。情緒に惑わされることが尠い。そこが他者との同調の差し支えになることは多々あるに違いない。合理の対極に、不合理・非合理・無理・理不尽がある。不合理な精神の持ち主は、非科学的常識をもって思考し判断し、物事に対処する。合理性の無いところに、有耶無耶・誤魔化し・隠蔽・虚偽が蔓延る。これらは不合理の果実と言っても好い。個人も組織も、合理性を失っては立ち行かない。ところで、科学的知識の豊かな人に、合理精神を缺く言動・行動が顕れることがあるのは、一体ど...合理精神

  • コーヒーの実

    嬉しいことに、コーヒーの実が赤熟してきた。精製の知識がないので検索したら、UCCコーヒーに、精製の方法についての詳しい記述があった。初めての体験ではあるが、精製は言葉ほどには難しくなさそうだ。完熟が楽しみ。コーヒーの実

  • 倫理と論理

    論理は言葉による説明の筋道。倫理は人の人たるに相応しい筋道。倫理はどこまでも、自然人に関わるものである。人偏を強く意識しなくてはならない。しかるに企業倫理とか政治倫理とか、自然人でない存在に倫理の語を遣うのは、意味的におかしい。法人企業や官公庁自治体などの団体には、コンプライアンス(法令遵守)があるばかりで、倫理の語を遣うのはまやかしである。無いものをあるが如く錯覚させる用法は、論理を混乱させる因である。企業名に個人の敬称である「さん」を付ける日本人独特の言語感覚が、企業倫理などという論理的に意味不明な言葉を生む。倫理はあくまで、人に限られるものである。私たちの社会は、資本の論理、企業の論理、集団の論理など、社会的、経済的、政治的に論理をもって構築された価値を奉じて生きている。論理を優先することで、あらゆ...倫理と論理

  • 派閥消滅

    「一味」とは、志を同じくするという意味から、仲間・同志のことを謂う。「一味徒党」とも遣われ、古くから一派を表す歴とした日本語である。ポーズかも知れないが「派閥」を日本の政治風土から消滅させようと、時の自民党総裁が自らの派閥を率先解散し、結党以来初めて党内の派閥をなくそうとした。一派を除いて、派閥は党内から消えた。派閥という用語をいつの時代に誰が遣い始めたかは寡聞にして知らないが、多分明治以後の造語が盛んになった頃のことだろうか。江戸時代には無かった言葉ではないかと思う。日本語としては一味という語の方が由緒正しい。「一味」の語を嫌うのは、この語の語感が面白くないのだろう。「一味」と呼ばれたくない人々が、より重々しい造語を遣うようになったと想像する。どう名称を替えようと、目的は資金づくりと猟官運動、中身は「一...派閥消滅

  • 俗物嫌いの大俗物

    私は長いこと、人にとって最も大切な素質は品性であり、その人の品性は、謙虚さ・寛容さ・純朴さという形で外に顕れると固く信じて来た。前記三点を欠くと、人は俗物になる。青年時代から、人の振り見て、俗物にはなるまいと、一生懸命気をつけていた。品性を尊ぶ生き方は人を俗物嫌いにさせる。私は大の俗物嫌いになった。古希を前にした頃から、内省することが多くなり、具に自分自身の俗物性を点検してみた。友人知己との比較も試みた。思いもよらなかったことに、俗物性という点において、他の誰をも凌いでいると知って愕然とした。私はお目出度いことに、自分の好奇心が、何よりも俗物性を招くものであるとは夢にも思っていなかったのである。好奇心は一般に肯定的に受け止められている。大人たちは子どもたちの好奇心に寛容である。好奇心の増大は成長の証だから...俗物嫌いの大俗物

  • リテラシーの違い

    リテラシー(literacy)の本意は、読解記述力であるという。そこから「リテラシーが高い」とか「リテラシーが低い」という認識が生まれる。今日のビジネス用語としては「ある分野に関する知識やそれを活用する能力」を指すらしい。私たちは、人と話し合って、どうしても分かり合えない溝を感じるとき、発想の違いか又はリテラシーの違いにその要因があると考える。発想の違いは乗り越えられないが、リテラシーの違いは努力で乗り越えられる。相手を嫌って聴く耳をもたないという場合はあるが、これは論外である。その聴く耳をもたない不寛容が、昭和の日本のテロ事件を生んだ。1932年(昭和7年)5月15日の夕、時の首相犬飼毅は、海軍の青年将校らの襲撃を受けた。ロンドン軍縮交渉・満洲国の承認反対・世界大恐慌に発する不況と農村の疲弊など、外交や...リテラシーの違い

  • 近くから始まる

    ことわざに「遠くて近きは男女の仲」という。(遠く離れている間柄でも、男女の仲は予測不能、急に近くなることもある)という諺言は含蓄が深い。一般に恋は近くから始まるものである。始めから遠くの異性に憧れるのは、強度のロマンチストか、空想好きの人であろう。普通は近回りの異性に恋心を感じ、交際範囲が広がるにしたがって遠くの異性との交流が増え、それに付随して恋も発生する。老生の若い頃は、文通が盛んだった。字が拙かった私は手紙が苦手で、国内の文通を意識して避けていた。中学になり英語を教えられるとすぐ、海外文通を始めた。戦勝国のアメリカと敗戦国のドイツの少年男女を紹介された。(当時はぺンフレンドの国際的な紹介機関があった)文通を始めてみると、アメリカのペンパルの生活環境と自分の生活環境とがあまりにかけ離れていて、ただただ...近くから始まる

  • 金メダル

    人は何かになるために生まれてきたのではなく、どのように生きるかを験されるために生まれてきているのではないかと思う。運命に験され、それにどう対処したかが全てであり、成った成らないは結果ある。重要だが大切ではない。結果を出さないと評価されないのが世の中だが、拘泥する必要はない。なぜなら、結果に左右される世間は、個々の無名の人の験された経緯(生き方)には全然関心が無いし、知りたいとも思わない。試されたことへの評価は自分自身でするしかないが、それで良いのである。世評は大きいが重くはない。験された経過は逐一その人の人格や識見に反映され、その人の血肉に成る。自身がどのように生きたかという事実が、成果にかかわらず価値の全てである。金メダリストになるために生まれてきたアスリートはいない。努力と精進の結果が、金メダル授賞を...金メダル

  • ヤモリ

    先月ご報告致しましたヤモリの件、一回り大きく育っています。成長ぶりのめざましさを観たら、もうしばらく観察したくなりした。生餌のコオロギ飼育にも漸く慣れて来ました。ヤモリを飼っているのか、餌のヨーロッパイエコオロギを飼育しているのかわからない状態になっています。コオロギの取引単位は最小50匹、ヤモリの食事量は、1日に1匹で充分。管理を間違うと1週間以内に40匹以上が死滅します。歩留まりの悪いことこの上ありません。かくてはならじと、コオロギの飼育環境を改善したところ、何日経っても元気で居ます。当初は訳もわからず、霧吹きで水を与えたため、2、3日で全滅したことがありました。ヤモリの飼育ケースの3倍の飼育ケース、どちらが主なのか従なのか?もはや本末転倒状態です。閲覧注意!昆虫が群集しているのを見るのが大嫌いな老妻...ヤモリ

  • 「改革」の胡散臭さ

    与党総裁と野党代表の選出が近くなってきた。「改革」を声高に叫ぶ候補がいるが、彼らは実は政治理念をもたず、詳しく議員・党員に説明できる、詰めた政策をもたないのではないかと思われる。自他にわかりやすい、特に選挙民にアピールするから、改革を掲げるのである。彼らは、改革を錦の御旗に選挙戦を闘う。自らの政治思想と理念に裏打ちされた政策を抱える候補にこそ、総裁・代表にになって欲しい。改革の前提には旧弊というものがある。旧弊はそれを好しとする人たち、守旧勢力によって、これまで支持されていたのである。これを圧倒するというのは、生やさしいことではない。自ら傷を負う覚悟で臨まなければならない。江戸期の三大改革が好例で、いづれも、幕府の強権をもってしても成功しなかった。それでも敢えて改革を掲げるのは、庶民(選挙民)の政治不信や...「改革」の胡散臭さ

  • 自称亀仙人の朝の体操

    漫画「ドラゴンボール」は、1982年に鳥山明氏が著作し、2年後にはアニメ化され、約11年間放映された。その間、育ち盛りのわが家の子どもたちは「ドラゴン・・・」と共にあった。当時男盛りの老生、夜の巷を彷徨することが多かったが、家にいる時は、子どもたちと共にこのアニメを見続けた。キャラクタのひとり「亀仙人」が好きになり、気質といい風体といい、老いたら亀仙人のようになりたいと、いつも家族に語っていた。40年後の現在、亀仙人風に老いたかどうかは確信がもてないが、ほとんど仙人に近くなりつつあるようなきらいは感じている。自称亀仙人の朝の体操1【腿裏のストレッチ】ハムストリングスを伸ばします。2【腰のストレッチ】骨盤周りの筋肉を緩めます。①椅子に腰を掛ける。②両手を前に出し、片方の手の甲の上に別の手の平を合わせ、両手を...自称亀仙人の朝の体操

  • 「左舷落水、右転舵!」

    老生が未だ40代で多少釣りに興味があった頃、浜名湖内での釣りは、専ら船外機付きの釣舟を利用していた。釣りだけでなく、家族の海水浴や潮干狩りなどにも舟を度々利用した。家から係留地まで近く、湖内を移動するには便利だった。この舟は、湖畔で民宿を開業しようとした人が所有していたのだが、建物が旅館業の基準に叶わず開業を断念したことで不要になったものを譲り受けたのだった。数年後、知り合いがディーゼルエンジンの中古漁船で、活発に外海へ釣行していることを聴いた。いずれは自分も外海に出たいと願い、取り敢えず保有していた小型船舶操縦士4級の免許を2級にアップしておこうと、浜名湖内にあるヤマハマリーナでの免許取得講習に通い始めた。もともと、海は好きだった。受講者は60才代の老人から20才代の若者まで、年齢職業の雑多な10人...「左舷落水、右転舵!」

  • あれから1ヶ月

    8月8日発生の日向灘地震の警報と、それに続く8月22日発生の台風10号の大量降雨に、連続約7週間も翻弄された日本列島、漸く昨日台風が消滅した今朝は、鉢植えのアサガオが一斉に咲いた。毎日の雨に花を開けず、耐えていたに違いない。今年は猛暑で、アサガオの平づくりはあまり数多く咲かなかった。睡蓮鉢のメダカは、気温が下がりだしたら産卵が始まり、ガラス鉢に分けておいた卵が孵り始め、針子が元気に泳いでいる。よくこの猛暑を凌いでくれたものだと思う。地震警報が発せられた後に、次男がヤモリの幼体を保護した。妻子たちは一致して飼育を嫌うので困り、生き物好きの老生の処へ持ち込んで来た。いくら生き物好きでも、爬虫類は好きになれないのだが・・・仕方がないので、Amazonで活き餌のヨーロッパイエコオロギを取り寄せ飼育をしているが、コ...あれから1ヶ月

  • 予報円というもの

    台風の予報で私たち住民にとって大切なのは、進路の予想と暴風雨圏である。暴風雨は地形の影響を受けやすく範囲の特定は極めて難しいから、台風予報の主眼は進路ということになる。進路の予報は確率70%の予報円で示される。したがって先の予報になるほど予報円は大きくなる。実際のところ予報円は、予報者にとっての意義はあるが、被害に晒される私たち住民にとっては、ほとんど意義がないように思う。中には、予報円と暴風雨圏を混同してしまう人たちもいる。視覚的に混同し易いのである。米軍の合同台風警報センター(JTWC)の台風予報の方が、シンプルかつ合理的に思えるのは、私だけではないと思う。こちらの進路予想図に予報円は表示されない。情報を受ける側に必須のものでないという認識が定まっているのだろうか?軍事用であれ民生用であれ、台風の進路...予報円というもの

  • 器質と機能

    老化というものは、身体の器質の劣化と機能の低下が同時並行的に進行する。年齢を累ねるに従って、双方リニアに進行する。この傾向を遅らせようと、私たち高齢者は日夜アンチエイジング対策に奮励努力しているが、ある意味自然に逆らうことなので、成果はなかなか挙がらない。そのあたりが、誇大広告のサプリメントが隆盛を極めている理由だと思う。サプリメントは薬品でなく食品なので、効能を謳ってはいけないものだろうが、やれ肌に効く・目に効く・耳に効くと、CMが喧(かまびす)しい。サプリメント広告は、テレビ局にとって今や稼ぎ頭になっているのではなかろうか?老人は休息していても眠っている間も、全身の筋肉が固くなり縮む。安心しを枕を高くして寝ることもできない。筋肉の拘縮は、器質の劣化の最たるもので、腰痛・股関節痛・膝関節痛を引き起こす原...器質と機能

  • 分析癖

    老生の最大の欠点は、分析癖という悪癖である。調査も研究もせず、知見を蓄えてもいないのに、直感で恣意的に分析する悪い癖。その結果として、独断と偏見に満ちた判断や結論がある。ハテ、どこかに誰かよく似た人物が居たような?・・・思い当たったのが【男はつらいよシリーズ】の「フーテンの寅さん」だ。彼の思考回路は独断と偏見に満ち、毎回問題を惹き起こす。軽率な分析が彼の誤解・曲解の発端になっている。妹のさくらやその夫博のとりなしで、辛うじて寅屋の平和は保たれているのだが・・・軽率に手前勝手な分析をして周りに迷惑をかける寅さんだが、真率で衒いのないところが、周囲の人々に愛されている。それが当人の甘えを助長している面もある。「独断と偏見」の権化のような寅さんの生みの親は、脚本を書いた山田洋次監督。監督の緻密な人間・女性・社会...分析癖

  • 「天竜川源流」考

    河川法という法律がある。この法律では河川は「公共の水流及び水面」と定義されている。水流は河川、水面は湖沼である。水源から河口に至るまでの、本川や支川のまとまりを、河川法では水系というらしい。水系に一級(国管理)・二級(都道府県管理)の別があり、一級水系内の河川は全て一級河川であり、二級水系内の河川は全て二級河川で、同じ水系で一級と二級の河川が混在することはない。琵琶湖は淀川水系の一級河川淀川の一部であり、浜名湖は都田川水系の二級河川都田川の一部である。つまり、湖の名はあっても、河川法上は川の一部である。遠州人・信州人に馴染みの深い天竜川の水源は、一般的には諏訪湖とされている。岡谷市の釜口水門が諏訪湖と天竜川の境と、歴史的にも常識的にも認定されている。しかし、諏訪湖に流入する小河川は多数あり、河川法上では諏...「天竜川源流」考

  • 秋の先駆け

    毎月の定例飲み会の帰り途、駅始発のバスがお盆期間中は土日ダイヤで運行していると知らずに待っていた。最終バスの出発時刻にバスは来ないので、タクシーに乗った。目的地を告げたが運転手のレスポンスがハッキリしない。最近はタクシーの運転手さんが地元の人でないこともよく体験するので、自宅から50mほど離れたバス通りの橋の名を告げた。それが不味かった。地理不案内の運転手には、郊外の住宅地の橋の識別無理だった。降りた所に橋は在ったが、家より200mほど上流の別の橋だった。夜風に熱気が感じられなかったので、車の通行の絶えた夜道を歩いた。思いのほか虫の音が勢大だった。今年初めて聞く虫の鳴き声だった。秋は夜を緒(いとぐち)に展開するものかもしれない。昼日中は酷暑でも、季節のステージは着実に回り始めている。毎年、佐鳴湖の花火を見...秋の先駆け

  • 大腰筋トレーニングC

    【椅子に坐った状態でする大腰筋トレーニング】骨盤を立て、坐骨に重心を置いて椅子に坐る。①左脚を折り膝を出来るだけ胸に近づける②左脚を水平に前に出す(腹筋脱力)③左脚を折り、左膝を胸に近づけ④左足を床に下ろす大腰筋トレーニングC

  • 蟠りの解消

    今日では共白髪で、一見柔和そうに見える我々老夫婦も、若い頃は、特に父親・母親に成る前は、感情の行き違いが激しく、仲が好い割には諍いが絶えなかった。共に情熱的で自己主張が強く忍耐力の乏しい未熟な者同士の結婚は、そうなりがちなものである。よくも60年もの間、家庭を保つことができたものである。円満で無難な人たちが大半を占める世の中の、難も癖も無い温順な男女の婚姻を、私たちは理想と考え祝福する。しかし現実は、無難な者同士の理想的な結婚でも、歳月を経るうちに、双方が予想もしなかった根深い不満が蟠ることは稀でない。実直で勤勉な長所の基盤とも言える気質が、他面で蟠りを保ち易いということは、比較的見逃されている。私たちの本性は打算的で、好い面に目を奪われると、長所や美点の裏側には必ず短所や欠点が貼り付いているという事実を...蟠りの解消

  • 文化の潔癖性

    フランスは移民の国だと、フランス生まれの人が語っているのをYouTubeで視聴した。その人の謂う移民は、私たちの目にはフランス人と見える、一般にヨーロピアンと呼ばれる人たちを指しての意味だろう。迂闊にも老生は、フランスに対して、そのような認識は皆無だった。私の知るフランスは、陋固として生粋のパリジャン・パリジェンヌの国である。エッフェル塔の前で嬉々として記念写真を撮って燥いでいた婦人議員並の認識である。彼女らばかりか日本の女性は、特にインテリほどフランスに憧れること並大抵でなかった。だが、生粋のパリジャンなんか滅多に居るものでないと悟っていた人は少なかったと思う。三代程度で江戸っ子を名乗る東京とは訳が違うようだ。かつてライン川を越えストラスブールに入った時、それまで観光していたドイツ国内との違いに、ライン...文化の潔癖性

  • 山歩きの必携品

    登山を愛好する人に、お勧めしたい携行食品がある。これを携行していれば、道迷いや疲労による遭難を防ぐ効果は大きいと思う。卑近な体験を大袈裟に喧伝すると思われるかもしれないが、ご参考までに・・・まだ老年には充分間があった年頃、よく行く奥三河の低山に登った。標高1000mぐらいの、火山起源の岩山で、登路は変化に富み、山頂からの眺望も佳いことで知られている。自生する遠州シャクナゲの開花期には、ハイカーで賑わう山である。登山口は3カ所あった。ある時、いつもと違う登山口から山に入った。山頂からの展望を満喫し、来た道と別の登山口への下山路を降った。昼食をしてから登ったので、日没が迫っていた。その下山路は何回となく歩いていて勝手知った道だった。日暮が近いことで我知らず気が急いていたのか、常より足早に尾根を降って行った。突...山歩きの必携品

  • ハムストリングス伸ばし

    今夏は春の腰痛発症に懲りて、酷暑にめげず専ら腰のメンテナンスに集中している。インナーは大腰筋、アウターはハムストリングス、この2つの筋肉の劣化防止対策に取り組んでいる。ここが衰えていては、スキップなどとても覚束ない。何年も前から、右足首の動きが硬いことにも気づいていた。足首だけ単にグルグル回してみても、いっこうに柔らかくならない。最近、各筋肉は一続きに繋がっているという考え方があることを知って、足の指先で縦横8の字を描くよう足首を動かすエクササイズを試してみたら、足首と膝、股関節が連動していることが実感された。懸命に励んだ結果、以前より足首が多少柔らかくなったように感じる。また一つ、毎日のエクササイズが増えてしまった。老生のアンチエイジング対策は、最早モグラ叩きの様相を呈している。更に気をつけなければいけ...ハムストリングス伸ばし

  • 登山にヴェテランは居ない

    本州の梅雨が明け、学校は夏休みに入った。夏山登山が盛んになる時期の到来だ。若い人は、大いに海山に繰り出し、青春を謳歌してほしい。今年は来日した外人が軽装で富士山に登って遭難救助される事案が増えている。登山は自己責任で行うものだから、個人登山であっても集団登山であっても、山と天候に関する知識と情報は、人任せにせず、自分の判断で行動してほしい。判断できなければ、登らないことだ。富士山や北アルプスなど人気を集める山々で、遭難死が続いているのは、自己顕示欲に駆られた高齢登山者が多いからだろう。森林限界を越える3000メートル級の山稜に老人が単独行というのは、自己過信というか無謀も甚だしい。人は60才を超えると、疲労による判断ミスや体調の悪化、転倒が多くなる。高齢登山者は体力は劣る癖に依存心が旺盛で、安易に携帯電話...登山にヴェテランは居ない

  • Let’s skip

    4月の中頃、体操中に痛めた左腰が、漸く治った。当初の疼痛から鈍痛の段階を経て、今はそれを全く感じないで済むようになり、ヤレヤレというところ。体操・ストレッチ・温泉を闇雲に試みた結果なので、治癒に何が奏功したのかわからない。ただハッキリわかったことは、ウォーキングでは治療効果が全く感じられなかったことである。ウォーキングは循環器病や糖尿病その他内科的には効果の大きいアクティビティだが、筋肉の損傷などの機能障害に対するリハビリ効果は存外低いのではないか?この疑念が湧いてから、はままつフラワーパークでのウォーキングは止めることにした。歩くことでは体重減少効果が芳しくないことを知った連れ合いも、同調することになった。ふたりとも、この暑さではウォーキングなどとてもやっていられないのが本音だ。人間は、志したことをやめ...Let’sskip

  • 日本平・久能・三保松原

    関東・東海が梅雨明けした昨日、静岡観光のポイント日本平へ長男夫婦が連れて行ってくれた。暑さで日頃歩かない両親を気遣ってくれたのだろう。小学校5年生の時の遠足で訪れて以来、なんと70年目の観光地。まさに今浦島である。日本平・久能山・三保松原を周り、隔世の感、歳月の重みをひしひしと感じた。空気に湿気が多いせいか、残念ながら展望はイマイチだった。階段登りに久能山はもってこい。最上段が神廟。遠足にきた当時は、久能山ロープウェイは無かった。嫌々階段を登った記憶だけが蘇ってくる。久能の海岸はもっと広く海が遠かった。身体が小さかったからだろうか?安倍川からの砂の流出が減って、久能の海岸は侵食される一方だったというのが正しい認識だろう。海岸のテトラポットは、道路に迫っている。三保の松原は、松が大きく育っていて、昔来た時と...日本平・久能・三保松原

  • 大腰筋は腰を制する

    腰周りの筋肉のうち、疲労すると痛みを発する筋肉群のトップスリーは、大腰筋・腸骨筋・腰方形筋であるらしい。中でも、大腰筋は上半身と下半身の連結部にあり、体幹を支えている長大な筋肉なので、疲労も溜まりやすい。深層筋で素人には手が届き難いので、疲労による痛みを取り除くのは容易ではない。老人は大腰筋を過労させないことが大切かと思う。大腰筋は腰を制する

  • 2024/07/17

    私たちはある意味時間に支配されて生きている。決められた時刻に、定められた仕事をすることで、社会での任務を果たしている。人は皆ある意味時間の奴隷である。毎日時間に従って仕事をし、生活していると、その拘束からひとときでも解放されることが、この上ない幸せのように常日頃の多忙と感じられてくる。拘束がきつ彼らの放埒なかんこうぶらばきついほど、余暇は至福のものとなる。中国人の国民的レジャー嗜好は、常日頃の多忙、時間的拘束の裏返しである。彼らの放埒な観光ぶりは、我々の高度経済成長時代の姿である。彼や我は、物質的関心が強く物理的には時間を逆行することはできない。私たちは一瞬たりとも不可逆の世界を生きている。だが、それだけではたまらない。過去に戻って改めたいとか、過去の自分を懐かしむ気持ちは、すべてのひとに共通する願望かも...2024/07/17

  • 高齢者は腰を労ろう

    高齢者は大変だ。老化は鵜の目鷹の目で老体を狙っているから、おちおち眠ってもいられない。眠っている間にハムストリングスが著しく縮むと見えて、朝目覚めた時、ストレッチをしてからでないと、身体の屈伸が殊の外難しい。身体を横たえている間の、血液循環の低下によるものだろうから、うっかり午睡することもできない。ストレッチ・筋トレ・ウォーキング、この3種目の日課に追われ、本を読んだり、絵を描いたり、園芸に勤しむ暇もない。30分に1回、椅子から立ち上がらないと、血液が停滞するとユーチューバーは言う。座布団に胡座座りなどもっての外。ソファ・カウチも骨盤を後傾させ、老化を加速させるらしい。どうやら老人は、楽をしていては健康を維持できないらしい。年齢のせいか、ちょっと無理な作業をすると、腰に疲労が集中する。腰を痛めやすくなって...高齢者は腰を労ろう

  • ストリーミング社会

    ストリーミングとは、ファイルをダウンロードしながら、同時に再生をするコンピュータ技術。待ち時間が大幅に減るから、視聴の快適性が向上する。昔からあるテレビ中継も、ストリーミングの一種だった。通常私たちの社会では、事件が発生し終了してから、報道によって一般人は事件の情報に触れ顛末を知る。事件は終了して初めて人々の耳目に触れるものだった。人類数千年の歴史は、そのシークェンスが繰り返されて来た。ストリーミングが常態化した今日の社会は、事件は発生と同時に伝わり、その情報は時事刻々流れる。起こっている事態は逐一端末に届けられ、同時並行していくつかの事件に触れることもできる。私たちは分析も検証のいとまもない情報の流れを慌ただしく見守るだけである。顛末を慥かめた上で事実を考察したり分析したり、念入りに検証を加えることに時...ストリーミング社会

  • 文武両道主義

    “幼な子の入浴せがむ声のごとブンブブンブと夜も眠れず”日本という国の社会に、歴史的に見て人口の7%もいた有識層、武士(上士・騎乗身分)階層の因循固陋な儒教的価値観が大きく投影されていることは間違いないだろう。彼の階層の統治期間が最も長かったのだからそれは当然であろう。武士(侍)は累代、本領安堵・知行安定を願い、お家大事に主家に仕え、地位・禄高を世襲することで主人に忠節を尽くし、自分と家の子郎党・一族の安泰を図っていた。極めて保守的な価値観を抱く武士が支配した日本の封建社会では、必然的に文武両道に通じることが、男子たるものの必至の目標だった。それは「両道主義」というような慣習を生む。男子の文武両道は、女子の才色兼備の用語に似る。日本の社会の中流の親たちは、我が子女に「文武両道」と「才色兼備」を求めること尋常...文武両道主義

  • はままつフラワーパーク13

    「花博」を終えて一段落の「はままつフラワーパーク」を訪れた。夏季無料期間中だが、この暑さでは来園者の数は少ない。ウォーキング目的だから、花は少なくても苦にならない。暖かい海岸に自生するハマボウが咲いていた。大賀ハスだろうか?まだ咲いていた。モンシロチョウを数多く見た。こちらはツマグロヒョウモン。モンシロチョウよりも警戒心が薄く撮りやすい。食用アザミのアーティチョークを、初めてじっくり観察した。はままつフラワーパーク13

  • 「土蜘蛛」考

    上古の時代、この国には、ヤマト王権に服従しない異端の人々の集団が、生活して居たらしい。彼らに共通するのは、水田稲作農耕を生業としない人々であるところだろうか?その歴史は、先史時代にまで遡るだろう。王権はそれらの人々を、熊襲・隼人・蝦夷・土蜘蛛と呼び、人民の大多数を占める稲作農耕民と区別した。4者のうち前3者は漢語、ひとり土蜘蛛のみが和語であるのは、注目に値する。前3者の名称は一般庶民が呼び習わした呼称でなく、中国の伝統的差別思想に染まったヤマト王権が意識して用いた蔑称である。熊襲・隼人・蝦夷は、狩猟民だったと推定されている。これに対し和語の土蜘蛛は、彼らの存在を知った水田耕作に携わる一般庶民が呼んだものかもしれない。さらのなおそらく王権の官僚は、水田稲作農業を生業としない人々を異種とみなし、嫌悪乃至は侮蔑...「土蜘蛛」考

  • ワイドショーの陳腐化

    近頃テレビを見ていて思うのは、ワイドショーの陳腐化が著しいこと。どこの局の番組も、MCの高齢化が進み、出演コメンテーターの顔ぶれに新味が乏しい。その陣容で、当たり障りのない題材を取り上げ、その日その日を恙無く過ごしている感じがする。テレビ業界の徹底した制作コスト削減の波は、ワイドショーのような、元々比較的低コスト(と思われる)番組にまで及んでいるということだろう。このタイプの番組は、もはや時代に合わなく成りつつあるのかもしれない。視聴者に代わってMCが様々な題材に広く興味を示し、それぞれ専門家に解説を求め、コメンテーターの意見を聴き、話題を発展させていく手法の斬新さも、60年も続けば視聴者に飽きられる。インターネットのない時代、1965年に始まったワイドショーは、視聴者に大きな満足感を与えた。しかし今や...ワイドショーの陳腐化

  • 信州入笠山

    次男家族と信州へ日帰り行をした。遠州が梅雨前線の影響を受けていても、信州まではその影響が及ばないことを、老生は若い頃からの山行で度々体験している。前線というだけあってその幅は案外狭いものだ。孫娘は、全孫中で最年少の小学4年生。その子の兄は中学2年生。この2人の孫と普段会話する機会が少ないので、道中の車内での会話が我々祖父母にはとても嬉しい。次男夫婦もそれを配慮して誘ってくれていると思う。前夜、静岡県内各地には大雨が降ったが、未明に雨は上がっていた。予報を信頼して5:30出発。ここ数年、中信への旅行を累ね、現地の地理に明るくなっている次男夫婦の、今回の目的地は入笠山。浜松からは車で3時間半、国道1号からトンネルの多い中部横断自動車道・中央自動車道とつないで9時に現地に着いた。予想どおり青空が見えていた。老生...信州入笠山

  • 自覚

    人間何が大切かとあれこれ考えてみたら、先ず自覚が最も大切との結論に至った。自覚無しには、何事も覚束ない。自覚に欠けるということは、船舶や航空機が自位不明の状態で航行や飛行を続けるようなもの、進むべき目標も進路も定められない。人は自覚が足りないと、的外れな行動や言動が出てくる。自分のポジションがわからなくなっているからである。人を育てるということは、その人の自覚を促すことに尽きるように思う。自覚があれば、その人の自発性は正しい方向に向かうだろう。人は他からの強制や誘導によってでなく、自発によって生きるべきであるが、自覚に拠って正しい方向を見定めてもらいたい。自覚したことはいつも念頭に置いておきたい。自覚は書き留めておかないと忘れてしまうものである。その意味で、私は日記をつけている人を尊敬する。私は小学校以来...自覚

  • 対岸の景色

    人の人生は、大河を泳いで渡るようなものである。大河の流れに逆らうことはできない。水に入った時は対岸の目標地点の景色を目に焼き付けたはずだが、いったん泳ぎ渡り始めると、下流に流され続け、漸く対岸に着いて岸に上がってみると、いまだかつて夢想もしなかった情景を観て絶句する。たじろいでも仕方がない。やり直しは効かない。情況に甘んずるしかないのである。泳ぎ出す前に見た景色は幻だったのか?と我が目を疑う。幻ではない。観たのは実景である。ただ、景色の違うところまで遠く流されてしまったのである。人生は洵に大河を渡るに似ている。めでたく目前の対岸に着くには、常に上流に向かって泳ぎ続けていなければならない。流れに逆らうのだから、気力・体力共に充実していなければ叶わないことだ。誰にでも真似のできることではない。とてもそんなこと...対岸の景色

  • 鹿児島行

    静岡空港から小型旅客機に乗り、鹿児島空港ヘ降りた。15年も前に開港した県内唯一の空港発便を初めて利用したのだから、飛行機嫌いというか時代遅れも甚だしい。高所と閉所、両方嫌いだから仕様がない。10年前九州に来た時のアクセスは新幹線で、小倉で下り、大分・宮崎を経由して鹿児島に入った。今回は同行した娘夫婦が航空機・宿・レンタカーを全てセットしてくれた2泊3日の5人旅、重い腰を上げ苦手な飛行機に乗ったのには、内緒にしていたが、老生にやむにやまれぬ事情があった。先般、当ブログで負傷と快復の経緯をお知らせした腰の損傷が完治していなかったらしく、その後にしなくてよい肉体労働を小半日やったら、痛みが再発した。霧島と指宿に宿泊すると聴いて、温泉と砂むし温泉併用の湯治効果に期待した老生、一も二もなく率先参加を決めたのだった。...鹿児島行

  • 共感

    ネット社会が進化するに従って、人同士の触れ合いの場や人に共感を抱く場と機会が、世の中から急速に減っているのではないかと危惧している。生産性が上がり余暇時間が増え、人々の交流の場が増えているのなら嬉しいが、どうもそう良い方向ばかりではないらしい。共感というものは、人の集まりがあるところで呼び合うものである。仕事を遂行する組織の人員が、省力化やIT化に伴う縮小または分散により、目に見えてその規模を減らしている。特にITの普及は、これまで合理化や効率化が遅れていた事務・販売部門の少数精鋭化と分散化を推し進めた。其処にCovicの世界的蔓延があって、人の分散は地球的規模で進んでいる。それから5年・・・人間は共感によって仕事や生活からの満足を得る。自己満足では済まないのが人間である。共感するためには人が複数居なけれ...共感

  • 感懐を掬う

    世の中には、老人になってみなければわからないことが沢山ある。若い頃には考えが及ばなかったことが多い。知恵が足りなかったのではない。人生体験の不足が、適切な思考を促さなかったのである。人は老人になるに従い、心裡に溜まった感懐を掬い上げることが多くなる。芸術の素養のある人たちは、創作に感懐を籠めることが出来る。書や画、音楽や詩作など、表現をもってそれをする人たちは多い。筆の立つ人は書簡や随筆の形をとることもあるだろう。どんな方法でも、自らの胸の内にある感懐を、人に伝え共感を得ることができたら、欣快この上ないことと思う。心の裡に在るものは、現在の意識の表面に泛かんでいなくても、無意識下に厚く積み重なっているに違いない。それらのひとつひとつが任意に浮かび上がるのを掬い採り、考察を加えることは、時間に余裕がある(と...感懐を掬う

  • おだて

    子どもの頃に女性にチヤホヤされた男は、女性のおだてに弱い。女性というものは、そういう男を直感的に判るもので、「豚もおだてりゃ木に登る」という状態にた易く導く。恥ずかしながら老生、幼い頃にチヤホヤを体験したので、洵に女性のおだてに弱い。私が若い頃のデパートでは、ネクタイ売り場の女店員は美人でおだてのエキスパートだった。多くの男性客は女店員の推奨するネクタイを盲目的に買ってしまう。ネクタイ売り場で活躍した女性がママと呼ばれる職業に就けば、お店は繁盛間違いなしだろう。そんなお店があった憶えがある。老人になれば、下心というものが無いから、女性のおだてには乗らないだろうと思うのは素人の浅はかさ。年寄りほど、滅多に褒められないから、おだてに弱くなるものである。ある時、山野草を観に市外の中山間地を訪れた。村おこし活動の...おだて

  • 歩程を延ばして

    前日の散歩で弾みがつき、今日は早朝から佐鳴湖まで歩いた。往復約4キロ弱。ウォーキングよりランニングの人の数が多い。働き盛りの人たちに較べ、老人の活動が少なくなっているようだ。年齢は確実に脚に顕れる。山に登って動けなくなり、スマホで救助要請をする60台が多いが、何が愧じかということがわかっていない。安易に救助を警察に要請するのは間違っている。犯罪に遭ったのではない。自ら招いたのである。新川に架かる「であい橋」を渡れば、アシの密生する湖岸に出る。「であい橋」からの新川河口の眺めは、四季を通じて癒される。アシの湖岸は、オオヨシキリの声が賑やかだ。ウグイスと比べると濁声が際立つ小鳥、同情を禁じ得ない。造物主の気まぐれ、というものだろうか?歩程を延ばして

  • 散歩

    夕刻に妻と散歩に出た。去年鉢植で購入し、地に降ろしておいたスカシユリ?が咲いている。散歩道で、近くに住む次男父娘と出会った。滅多にない偶然に愕いたが、考えてみれば、日頃散歩に出ない自分たちと違い、次男たちは毎晩食事前に散歩しているのだから、たまたま思いつき散歩に出てふたりと出会ったのは、愕くことでも何でもなかった。アジサイがたくさん咲いている場所を教えられ、現場に行ってみた。北向きの山陰に、沢山のアジサイが植えられている。ホタルブクロもこの季節の花。残念ながら、今夏もホタルは見ていない。ひさしぶりに、ユキノシタを見た。子どもの頃、家の裏庭にたくさん咲いていたことを思い出した。橋を渡って帰路についたら、カワウのカップル?が休んでいた。この時期、鳥類は子育てに疲れているだろう。散歩

  • 近江の歴史探索行再開

    過般、中学校の同窓会があり、同じ町内で小中学校時代を倶にした級友たちと、数年ぶりに会うことができた。互いの近況を語るうち、私の近江歴史探索行に関心を持ってくれる人が居たので、コロナで中断していた探索行を、6月1日、5年ぶりに再開した。先ずは同行の友人に滋賀県の遺跡分布の概要を知ってもらおうと、滋賀県立安土考古博物館へ直行した。好天だったので、駅から安土山の麓の所在地まで、駅から街並みを抜け、ヒバリの声を楽しみながら、水田地帯の幹線道を歩いた。しかし目的建物は見えているものの、水田の区画方向に沿う道路が目的方向に斜行している為、ヨットのタッキングのようにジグザグに進まねばならず、なかなか博物館に近づけない。かつて別のルートを辿ったときに比べ、倍近い距離を歩くことになってしまった。漸く辿り着いてみたら、残念な...近江の歴史探索行再開

  • 仕末の良し悪し

    【仕末】端末を納まり良く処理し仕上げること。物事には始めがあり、終わりがある。工作物には、仕事の終末に必ず納まりの良し悪しがある。万事ことの終わりが不手際であっては、納まりが悪いということになり、仕事は不首尾に終わる。当県の前知事の県政は、不首尾に終わったということになるだろう。多年県政に尽力しても、仕末が雑だと、それ以前の治政までもが不出来に映るのは否めない。首尾よく仕上げるということは、万事に目配り気配りが効かなくてはいけない。政治というものは、それができるような傑出した人物にしか向かない仕事である。選挙という制度で選出されたことをもって、政治家に成れたなどと思う軽率な輩は、早晩無能の馬脚を露わすだろう。しかし、それを糾弾しても始まらない。私たちは、民主主義というものが、極めて大きな無駄を伴う制度であ...仕末の良し悪し

  • 隔世の感

    海外からの旅行客にインタビューするYouTube動画を視聴していると、いかに社交辞令とはいえ褒め言葉ばかりで、現地人としては面映ゆく、時には身が竦む思いがする。曰く「礼儀正しい」「治安が良い」「親切で温かい」「社会が好ましくオルガナイズされている」「都市にゴミが見当たらず清潔」「公共交通機関が整備され運行が正確」「食べ物が安くて美味しい」「公共のトイレが清潔で無料なのは驚き」等々、私たちには耳障りの好い賛辞ずくめである。視聴者には、欣快この上ないコメントの数々・・・何事も初心のうちは素敵に見えるもので嬉しい評価と思えるが、有頂天になるわけにはいかない。観光客も追々事情に通じて来ると、色が褪せて見えて来るのが普通だから、ある程度リピートしている訪日客にインタビューしてみないと、的確な意見は聴けないだろう。私...隔世の感

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