なにしろこの人と出会わなければ今僕はここに居ない高校三年生の時に広島から東京へと手当たり次第にデモテープを送った唯一興味を示していただいたのが現芸能事務所「研音」の創設者であるこの野崎敏夫さん通称Bossだったインターネットのない時代だからこそ長い手紙に託した音楽への想いは拙いながらもその筆圧と情熱が野崎氏(ボス)の心にどれだけか響いたのかもしれない便箋何枚かに自分の思いを書き尽くし小遣いはたいて写真館で写真を撮り数曲のデモを録ったカセットと一緒に願いとあきらめも込めてこれが最後と送った先が研音だったどこの馬の骨とも分からない小僧に会いに1976年の春のある日広島までわざわざ出向いていただいた故野崎敏夫氏と1976年事務所の隣のレッスンルームにて撮影当時経理から出る給料8万円円の封筒にご自分のスーツのポケ...ボスへ