もともとは水上を移動して、水面で隔てられた向こう側に移動することに用いられました。中古では、水上に限らず、地面や空中を移動することにも広く用いられるようになります。類義語「わたす」のほうは、中古になっても「水上」を移動することにほぼ限定されます。
もともとは水上を移動して、水面で隔てられた向こう側に移動することに用いられました。中古では、水上に限らず、地面や空中を移動することにも広く用いられるようになります。類義語「わたす」のほうは、中古になっても「水上」を移動することにほぼ限定されます。
『徒然草』百二十九段の現代語訳です。
成り立ちははっきりしませんが、「みそか盗人」「みそか心」といったことばもあります。「密(みつ)か」が「みそか」に音変化したのではないでしょうか。用例としてはほとんどが「みそかに」という連用形のかたちですね。ちなみに「みそかなり」はおもに和文で使用され、漢文訓読体では「ひそかなり」と読みます。これは「ひそまる」「ひそむ」という語と関係があるとされます。
「こぼつ」ともいいます。語源は定かではありませんが、「雷が鳴る」とか、「物を叩く」とか、打撃音のようなものを示す「こほこほ」「ごほごほ」という擬音語がありまして、そこから来ているのかなと思います。
朝から晩まで 意味 (1)一日中・終日・朝から夕刻までずっと ポイント 「日ねもすがら」または「日経もすがら(ひへもすがら)」が圧縮された表現と考えられています。「すがら」は「~の間じゅう・ずっと」という意味ですから、「日経もすがら」だとす
『更級日記』より、「あこがれ」「門出」の現代語訳です。テキストによっては、「東路の道の果て」などのタイトルです。
「めづ(愛づ)」+「いたし(甚し)」から成る「めでいたし」がつまって「めでたし」になりました。「賞賛する」+「はなはだしい」ということであり、「すばらしい」という意味になります。これ以上ないほどの誉め言葉です。
名詞「託言(かごと・かこと)」に、接尾語「かまし」がついて一語の形容詞化したものです。「かごと」は、「言い訳・口実・恨み言」という意味であり、「かまし」は「いかにも~な様子である」ということです。そのことから、「いかにも言い訳めいている」「いかにも恨みを言うようだ」などと訳すことができます。ただ、現在でも「~がましい」という表現は使いますので、「言い訳がましい」「恨みがましい」などと訳してしまって大丈夫です。
「託つ(かこつ)」という動詞がありまして、「言い訳する・ぐちをいう」という意味になります。「託言(かごと)」はその名詞版です。「告事(のりごと)」「独言(ひとりごと)」などが「のりごつ」「ひとりごつ」といった動詞になっていったように、「託言(かごと)」の「と」が「つ」になることで動詞化したと言われています。ただ、もともと「かこつ」という動詞があり、そこに「言」がつき、つまって「かごと」になったという考え方もあり、どちらが先なのかはよくわかっていません。
尊敬語「おぼす」に尊敬語「めす」がついたものです。「おぼす」は「思ふ」の尊敬語で「お思いになる」ということです。「めす」は「呼ぶ」などの尊敬語ですが、ここでは「敬意」を一段階高めるためにつけているような構造ですので、訳出しなくて大丈夫です。したがって、訳としては「おぼす」と同じように「お思いになる」とすればOKです。「おぼす」よりも敬意が高く、基本的には「天皇・中宮・上皇・皇太子」など最高ランクの人の行為に用いる動詞です。
高低に分かれているものの「ランク」や「階層」を意味しているのが「しな」であり、古くは地名などに使われました。たとえば、「しなの」「さらしな」「たてしな」「たかしな」などの「しな」は、「他と区別された高いエリア」を意味していると言われます。
「宮廷風」である「みやぶ」「みやび」の対義的な語です。「ゐなか(田舎)」の「ゐな(wina)」と「ひな(fina)」でそもそも音がかなり近く、ほぼ同じことを意味している語だと考えられます。
語源は未詳ですが、「大気(おほけ)」に、「はなはだしくそうである」ことを意味する接尾語「なし」がついて「おほけなし」になったとする説があります。「大それている」というようなニュアンスで「身のほど知らずだ・身分不相応だ」などと訳すことが多いです。
宮廷風! 意味 (1)優雅・風流・上品 ポイント 上二段動詞「みやぶ」が名詞化したものです。「みやぶ」は「宮ぶ」であり、「宮廷のような状態になる」「宮廷風の行いをする」ということです。 フランス的にいうと、「ヴェルサイユ宮殿風」みたいな感じ
「面(おも)」は「正面・面前」のことであり、「白(しろ)」は「ぱっと明るい状態」を意味します。つまり、「目の前のことがパアーっと明るく見える」ということであり、もともとは「すばらしい景色」を形容することによく使用されました。平安時代には、景色だけでなく、音楽や芸術などにも広く用いられました。
もともとは「名詞」+「格助詞」であり、「世の中に」「世間では」の意味になります。「この世の中で~である」「この世の中で~ない」という言い方は、「実際の世間」を意味しているわけではなく、一種の強調表現のような言い方として用いられることもありますよね。その場合の「よに」は、「副詞」として分類して、「実に~だ!」「決して~でない!」という意味で訳します。
「心」に接尾語「ばせ」がついた名詞とされます。同じ構造のものに「かほばせ(顔ばせ)」などがありますね。あるいは、「心」+「馳す」が名詞化して「心馳せ」になったという考えもあります。その考えにしたがえば、積極的に対象に向かうような「活発な心の性質」を表しているといえます。
動詞「次ぐ(つぐ)」+接続助詞「て」の「次ぎて」が音便化して、「ついで」になったと考えられています。「出来事A」に次ぐかたちで「出来事B」がある、というような「流れ」を意味する場合は、(1)のように「順序・順番」と訳します。「出来事A」があって、次いで何かが発生する「タイミングとしての点的なポイント」を意味する場合は、(2)のように「機会・場合」と訳します。
動詞「次ぐ(つぐ)」+接続助詞「て」の「次ぎて」が音便化して、「ついで」になったと考えられています。「出来事A」に次ぐかたちで「出来事B」がある、というような「流れ」を意味する場合は、(1)のように「順序・順番」と訳します。「出来事A」があって、次いで何かが発生する「タイミングとしての点的なポイント」を意味する場合は、(2)のように「機会・場合」と訳します。
接触する部分が固くてごつごつしていることを意味します。類語に「こはごはし(強強し)」がありまして、ほぼ同じ意味で用いられます。
「知る」「記す・徴す」と同根のことばです。一説には「白」とも関係するといわれます。何らかのかたちで明白に認識できること(もの)を示す語であり、根本的には「徴候」「兆し」といった意味になります。
姉妹サイト「減点されない論理国語」を作ってみたので、余裕のある時に更新していきます。 「減点されない古文」がおろそかにならないように気をつけます!
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「知る」「しるす」などと同根の語とされます。一説には、「白」「白し」とも関係があるとされます。何かの兆候がはっきりとあらわれて、しっかりと認識できるようなようすを形容するのに用いられました。
「いぶ」ということばに「はれない(はっきりしない)」という意味合いがありまして、「いぶし」は、それを「気がかり」に思う心情面のことばとして使用されます。「気がかり」であるがゆえに、その内容を確認したい心情として「見たい・聞きたい・知りたい」などと訳すこともあります。また、「疑い」の気持ちが強ければ「不審だ」などと訳します。
「いぶ」ということばに「はっきりしない(はれない)」という意味合いがありまして、「いぶせし」は、その「内にこもった鬱屈した状態」を表します。その点で(1)の意味が本義です。(2)(3)の意味は中世くらいから出てきます。
シンプルに「道が平らだ」ということなのですが、「心」が「平ら」であることや、「凸凹のトラブルがない」ことを意味するようになりました。用例としては(3)の「無事だ・平穏だ」という意味で用いることが多いです。
「こち」は「骨」であり、「ゴツゴツしているさま」「四角四面なさま」「洗練されていないさま」を表します。それに形容詞を成立させる接尾語「なし」がついて「こちなし」となりました。「骨っぽい!」ということであり、「洗練されて角がとれたようす」とは逆のイメージです。そのため、「無作法」「無風流」などと訳します。
「長(をさ)」を重ねたことばです。「をさ」は、年齢や能力が長じていることを示しますので、どちらかというと(2)の「しっかりしている」「きちんとしている」という意味のほうが原義に近いです。たとえば、「幼し(をさなし)」という語は、この「長(をさ)」が「無し」であることを示すことから、「年少だ・幼稚だ」という意味になります。ただ、実際の用例としては、下に打消表現を伴い、(1)のように「めったに(~ない)・ほとんど(~ない)・なかなか(~ない)」という意味で用いることがほとんどです。
「目」+「安し(易し)」で一語化した形容詞です。「見た目が穏やかである」ということから「感じがよい」と訳すことが多いです。記述問題なら「見た目が」をつけておいたほうが無難ですが、内からにじみ出る感じのよさを表すこともあり、選択肢問題ではシンプルに「感じがよい」と訳していることもあります。また、「すんなり見ることができる(見るのに抵抗がない)」というニュアンスで「見苦しくない」と訳すこともあります。
『今鏡』より、「用光と白波」の現代語訳です。
上一段動詞「見る」に、上代の助動詞「ゆ」がついて一語化しました。「ゆ」はもともと接尾語で、「見ゆ」などのように動詞の活用語尾に使用されることで助動詞化していったという説もあります。「ゆ」は主に「自発」の意味を持つため、「見ゆ」は「自然と目に入る」ということを意味します。また、「受身」のニュアンスで「見られる」、「可能」のニュアンスで「見ることができる」などと訳すこともあります。
玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする (式子内親王)
わが命よ、絶えてしまうのなら絶えてしまえ。このまま生き長らえているならば、堪え忍ぶ心が弱まると困るから。
心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな (三条院)
心ならずもこのはかない現世に生きながらえるならば、恋しく思い出されるにちがいない、そんな夜更けの月だなあ。
やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな (赤染衛門)
(あなたが来ないとわかっていれば)ためらわずに寝てしまっただろうに。(あなたを待っているうちに)夜が更けて、とうとう西にかたむくまでの月を見たことだよ。
もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし (前大僧正行尊)
もろともに あはれとおもへ やまざくら はなよりほかに しるひともなし 和歌 (百人一首66) もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし 前大僧正行尊 『金葉和歌集』 歌意 私がおまえをしみじみいとしいと思うように、おまえ
しのぶれど 色にいでにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで (平兼盛)
つつみ隠していたけれど、顔色や表情に出てしまっていたのだなあ、私の恋は。恋のもの思いをいているのかと、人が尋ねるくらいまで。
恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか (壬生忠見)
こひすてふ わがなはまだき たちにけり ひとしれずこそ おもひそめしか 和歌 (百人一首41) 恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか 壬生忠見 『拾遺和歌集』 歌意 恋をしているという私のうわさは早くも立ってしま
『沙石集』より、「歌ゆゑに命を失ふ事」の現代語訳です。
『平家物語』より、「忠度の都落ち(ただのりのみやこおち)」の現代語訳です。
「こそあらめ」は、係助詞「こそ」+動詞「あり」の未然形+助動詞「む」の已然形です。「こそあれ」は、係助詞「こそ」+動詞「あり」の已然形です。どちらも、多くは「逆接構文」をつくるので、基本的には「~けれど」という逆接のかたちで訳しましょう。
『平家物語』より、「能登殿の最期」です。
「おきつ」の「おき」は、「置く」と同根と言われています。「これからしようとすることを心の中に置く」というイメージであり、実際、「おもひおきつ」「おぼしおきつ」のかたちで使われることが多いです。
『大鏡』より、「行成の器量」「行成とこま」の現代語訳です。 「行成」は「藤原行成」のことです。能書家の達人として、小野道風・藤原佐理・藤原行成を「三蹟(三跡)」といいます。 空海・嵯峨天皇・橘逸勢の「三筆」っていうのも日本史で出てきたね。
漢語「労」を重ねて形容詞化したことばだと言われています。「労」は「年功・熟練」などを意味し、多くの経験を積んだがゆえの「物慣れた巧みさ」を示しています。そういった「熟達性」は、周囲からすると気品があって美しく見えますので、「上品だ」という意味でも用います。なお、「老老じ」を語源とする説もあります。あるいは、「リョウリョウジ」と記す写本もあることから、「良良じ」を語源とする説もあります。
動詞「侮る(あなづる)」が形容詞化したものです。「あなづる」の「軽蔑する・見下げる」という意味がそのまま生きているのが(1)の意味です。「軽く扱ってよい」ということは、「敬意を持たなくてよい」ということなので、やがて「遠慮しなくてよい」「気を遣わなくてよい」という意味でも使われるようになりました。それが(2)の意味です。
「しる(知る・領る)」に、尊敬の「す」がついた「しらす」という語がありましたが、さらに「召す」が付くことによって、非常に高い敬意を示す語として用いられました。もとは「しらしめす」ですが、中古以降は「しろしめす」と言いました。もともと「しる」には、主に「知る/(領地などを)治める」という意味がありますので、その尊敬語として考えておけばOKです。
「たぎたぎし」という語から転じた語という説があり、その場合「怠」は中世以降の当て字といわれます。「たぎたぎし」の「たぎ」は、岩肌を屈折しながら落ちる「滝」と同根で、「道のりが屈折している」「道がデコボコである」「足がぎくしゃくする」といった意味になります。「デコボコ道」を進んでいくことが面倒で困ることであるように、(1)「不都合だ」という意味で使用されます。そういった「平らかに物事が進行しない」状況に対して非難めいた気持ちを込めて用いる場合には(2)「もってのほかだ・とんでもない」と訳します。その説とは別に、漢語「怠」を重ねて成立したという考え方もあります。
『栄花物語』より、「今さらのご対面」の現代語訳です。
つげる! 意味 (1)言う・告げる・宣言する ポイント 主に上代につかわれたことばでです。「言う」と訳して問題ありませんが、「普通のことば」ではなく、「神聖なものにかかわる呪力をもった発語」に用いられました。もともとは神が大切なことばを表明
『栄花物語』より、「世の響き」の現代語訳です。
『大鏡』より、「宣耀殿の女御(せんようでんのにょうご)」の現代語訳です。
「聞こす」に「召す」がついて一語化しました。主に天皇などの最高ランクの人の行為に用いるので、「最高敬語」だと言えます。文法的に考えれば「聞こす」は「聞く」+尊敬の「す」であり、「お聞きになる」という意味になります。それを「召す」によって一段階高めているのが「聞こし召す」だと言えます。ただ、「聞こす」は主に「おっしゃる」の意味で用いられていたことから、「これは『聞く』+使役の『す』であり、『聞かせる』という行為を指していた」とする説もあります。「相手に対して発言する」ということですね。「召す」は「お呼びになる」ということですから、「聞こし・召す」は、「聞かせる行為を・お受け入れになる」という構造だと言うこともできます。
聞く+す 意味 (1)おっしゃる *「言ふ」の尊敬語 (2)お聞きになる *「聞く」の尊敬語 ポイント 動詞「聞く」に「尊敬」の助動詞「す」がついた「聞かす」が「聞こす」に転じたものだと言われます。あるいは、動詞「聞く」に「使役」の助動詞「
『宇治拾遺物語』より、「袴垂、保昌にあふこと」の現代語訳です。
ご覧いただきありがとうございます。おかげさまで「重要単語」が300語になりました。 がんばってきたかいがあったね。 2025年の3月までに600語を目指したいと思います。 どの記事がみなさまの参考になっているのか集計したいので、「いいねボタ
動詞「出づ(いづ)」の上代での命令形「いで」が、やがて感動詞になったものです。「出なさい」という具体的な意味を持っているわけではなく、「行動しなよ」という感じの「うながし」に使用します。自分自身の行動をうながす場合にも使います。
「手(た)」「伸し(のし)」で「たのし」という説があります。手を伸ばして舞い踊るほど、なんだか満ち足りている様子ということですね。
副詞「な」は、終助詞「そ」と呼応することで、「軽い禁止」の意味になります。命令的なニュアンスではなく、「やわらかいお願い」としての禁止です。
指示語「然」+動詞「あり」+打消の助動詞「ず」の連体形が一体化しているのが「然らぬ(さらぬ」です。「指示しているもの以外」ということから、「そのほかの」「それとは別の」といった訳をします。「然」というのが、「語るに値する何か」を漠然と指示していることもあり、その場合の「さらぬ」は、「それほどでもない」「たいしたこともない」などと訳します。
古文の世界には、善悪の基準として、「よし>よろし>わろし>あし」という4つの段階がありました。最もよいのが「よし」で、最も悪いのが「あし」です。そのため、「あし」と評されているものがあったら、それは「きわめて悪い」ものであると判断しましょう。
古文の世界には、善悪の基準として、「よし>よろし>わろし>あし」という4つの段階がありました。最もよいのが「よし」で、最も悪いのが「あし」です。そのため、「あし」と評されているものがあったら、それは「きわめて悪い」ものであると判断しましょう。
「よし」が「第一級」のほめことばであるのに対して、「よろし」は「まあまあの水準には達している」という程度のほめことばです。大学の評定でいえば、「よし」が「優」で、「よろし」は「可」という感じです。
『建礼門院右京大夫集』より、「なべて世のはかなきことを」の現代語訳です。
朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木 (権中納言定頼)
明け方のしだいに明るくなってくるころ、宇治川にかかる霧が、とぎれとぎれになってくる。(それに伴い)あちこちに現れてくる、川瀬に仕掛けられた網代木だ。
代名詞「いつ」に、強調の副助詞「し」と、係助詞「か」がついた連語です。そのため、もともとは(1)のように「いつ~だろうか」という疑問文として使用されます。副詞というよりは、連語としての用い方ですね。そのことばを、「『いったいいつ』って思うほどだ」という意味で使用していくうちに、(2)(3)(4)の用法が出てきました。
ぞっとするような感覚をもたらす状況を意味します。「酢」の「気」が「濃」ということから、「すけこし」⇒「すごし」となったという説がありまして、その説にしたがえば、刺激の強いものにふれて「なんだこりゃ!?」という感じでゾワッとするようなイメージです。
動詞「構ふ(かまふ)」の連用形に「て」がついて一語化したものです。「かまふ」が、「準備する・計画する」ということであるため、「かまへて」は「しっかり準備したうえで」ということになります。副詞としての「かまへて」は、物理的・具体的な準備というよりは「心構え」のことであり、「しっかりした心構えをもって○○をする」という意味合いになります。意志や命令では、「前段階からバッチリ気合いれてやろう/やれよ」という意味合いで用いているケースが多く、その際は「バッチリ気合」のところに意味の中心がありますので、「必ず・何とかして」などと訳すことになります。
「なにといふ」が圧縮されて「なにてふ」→「なんでふ」と言うようになりました。「なでふ」と書きますが、「ん」表記が登場してからは「なんでふ」とも書きます。もともとの「何といふ」という表現をおさえておけば、「なにという」「どういう」という訳し方に結び付くと思います。
「さへ」は、動詞「添ふ」の連用形「そへ」が音変化したものと見られています。「添」が示すとおり、根本的な意味は【添加】なので、まずは「(そのうえ)~までも」と訳してみるのがよいです。
忘れじの 行く末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな (儀同三司母)
忘れまいという(あなたの)言葉が、遠い将来までは(そのとおりになるか)難しいので、(その言葉のあった)今日を最後とする(私の)命であってほしいものだ。
「いさよふ」の「いさ」は、抵抗・否定を示す感動詞「いさ」や、「いさかひ」の「いさ」などと同根です。何らかの外部要因を素直には受け入れられないことを示します。「よふ」は、「ただよふ」「さまよふ」などの「よふ」と同根で、ゆらゆらと動揺することを示します。合わせると、心理的抵抗感があって前進するのをためらうことや、自然的物理的要因からなかなか進まないことを意味します。
「いさ」は、「いさかひ」の「いさ」と同根であり、相手の発言に対してやや抵抗するような、「わからない」「すんなりは同意しない」「そうではない」といった意志を示すときのことばです。「いさ知らず」というように、「知らず」を伴う表現も多く、その場合は「知らず」を修飾することになるため、「副詞」に分類されます。「不知」という漢字を「イサ」と読んでいる例もありまして、「わからない」という意味がそもそも内包されているようなことばだと言えます。
もが もがも もがな がな 意味 (1)~があったらなあ・~があればいいなあ ポイント 上代では「もが」という終助詞が同じ意味を持っており、多くは終助詞の「も」がついた「もがも」というかたちで用いられました。この終助詞の「も」は、中古になる
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな (和泉式部)
わたしは(この世から)いなくなるだろう。現世の外への【あの世への】思い出に(するために)、せめてもう一度、あなたにお会いしたいなあ。
大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立 (小式部内侍)
大江山に行く【大江山を越えて行く】、生野の道が遠いので、天の橋立を踏んだこともない。母からの手紙もまだ見ていない。
『十訓抄』より、「大江山」の現代語訳です。
滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ (大納言公任)
滝の音は、途絶えてもう長い年月が経ってしまったが、その名声は世間に流れて、今なお評判になっていることだなあ。
塩対応がうらめしい 意味 (1)薄情だ・冷淡だ・つれない (2)たえがたい・苦痛だ・うらめしい ポイント 「辛し(からし)」という語がありますが、「つらし」にも「辛」の漢字をあてます。意味も近いものになります。「塩をなめたときのような刺激」
他動詞「ふたぐ」の自動詞形が「ふたがる」です。「ふた」は「蓋」のことであり、まさに「蓋がしまっている」ことを示します。やがて、「た」が「さ」になり、「ふさがる」となっていきました。「消つ」が「消す」になっていったことと同種のパターンです。
『大鏡』より、「道長と伊周」の現代語訳です。
『蜻蛉日記』より、「鷹を放つ/鷹」の現代語訳です。
なげきつつひとり寝る夜/うつろひたる菊 『蜻蛉日記』 現代語訳
『蜻蛉日記』より、「なげきつつひとつ寝る夜/うつろひたる菊」の現代語訳です。
『枕草子』より、「殿などのおはしまさで後」の現代語訳です。
「クス」は「薬(くすり)」と同根のことばで、「神秘的で霊妙なようす」をあらわします。「神」の字を「くすし」と訓じている例もあります。形容詞としては上代での使用が多く、中古では数が減りましたが、「くすし」から派生した「くすしがる」という動詞や、「くし」から派生した「くしくも」という表現で残っています。
『枕草子』より、「関白殿、黒戸より出でさせたまふとて」の現代語訳です。
『大鏡』より、「右大将道綱の母/太政大臣兼家」の現代語訳です。
『大鏡』より、「女院詮子の道長びいき(道長と女院詮子)」の現代語訳です。
『大鏡』より、「村上天皇と中宮安子(中宮安子の嫉妬)」の現代語訳です。
おはさうず【御座さうず】 動詞(サ行変格活用) / おはさふ【御座さふ】 動詞(サ行四段活用)
何人かでいらっしゃる 意味 (1)いらっしゃる *「あり」の尊敬語 (2)お出かけになる・おいでになる *「行く」「来」の尊敬語 補助動詞として (3)~ていらっしゃる・~ておいでになる ポイント 尊敬語「おはす」に「あふ」がついた「あはし
『大鏡』より、「鶯宿梅(おうしゅくばい)」の現代語訳です。
『大鏡』より、「肝だめし(道長の豪胆)」の現代語訳です。
動詞「付く」の連用形「つき」に、形容詞「無し」がついたものです。「つきづきし」の対義語として理解しておくと、訳しやすいと思います。
うるさくしないでね 意味 (1)(ああ)うるさい・やかましい (2)しっ、静かに ポイント 感動詞「あな」に、シク活用の形容詞「かまし」がついて、「あなかま」と表現したものです。直訳すれば「ああうるさい」ということですが、特にそれほどやかま
「The 感動詞」と言うべきことばで、「感慨・驚き・感心」など、心が強く動いたときに発せられる語です。「ああ・あら・まあ」などと訳せばOKです。セリフの中に単独で出てくことも多いのですが、「あな+形容詞・形容動詞の語幹」で、ワンセットの感動詞のような使い方をすることも多いです。
形容詞・形容動詞の語幹用法について
「つつむ」というと、まず「包む」が思い浮かぶと思います。布などで物体をくるんだりかくしたりすることが「包む」ですが、その「隠すもの」が「心情」である場合には、「慎む」の字を当てます。「裏む」とすることもあります。主に「自分のしたいことをつつみかくしている」状況に使いやすいです。
「太(ふと)」が音変化した「ふつ」を重ねた「ふつふつ」に接尾語の「か」がついた「ふつふつか」が圧縮されて「ふつつか」となったものか、あるいは、「太束(ふとつか)」が音変化したものと言われています。
上代では「まをす」ということばであり、今でも祝詞では「かしこみかしこみまをす」というように、「まをす」を使います。もともとは、神や権力者といった上位者に対しお願いをするという意味を持ちましたが、「お願い」という意味での使い方はそれほど多くはなく、「上位の者に口をきく」行為を指すことばとして広範に用いられました。したがって、訳語としては「申し上げる」となることが多いです。
『大鏡』の一節です。ポイントは、副詞「かつがつ」、名詞「式神」、名詞「内裏」、動詞「参る」、動詞「申す」、助動詞「けり」です。
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もともとは水上を移動して、水面で隔てられた向こう側に移動することに用いられました。中古では、水上に限らず、地面や空中を移動することにも広く用いられるようになります。類義語「わたす」のほうは、中古になっても「水上」を移動することにほぼ限定されます。
『徒然草』百二十九段の現代語訳です。
成り立ちははっきりしませんが、「みそか盗人」「みそか心」といったことばもあります。「密(みつ)か」が「みそか」に音変化したのではないでしょうか。用例としてはほとんどが「みそかに」という連用形のかたちですね。ちなみに「みそかなり」はおもに和文で使用され、漢文訓読体では「ひそかなり」と読みます。これは「ひそまる」「ひそむ」という語と関係があるとされます。
「こぼつ」ともいいます。語源は定かではありませんが、「雷が鳴る」とか、「物を叩く」とか、打撃音のようなものを示す「こほこほ」「ごほごほ」という擬音語がありまして、そこから来ているのかなと思います。
朝から晩まで 意味 (1)一日中・終日・朝から夕刻までずっと ポイント 「日ねもすがら」または「日経もすがら(ひへもすがら)」が圧縮された表現と考えられています。「すがら」は「~の間じゅう・ずっと」という意味ですから、「日経もすがら」だとす
『更級日記』より、「あこがれ」「門出」の現代語訳です。テキストによっては、「東路の道の果て」などのタイトルです。
「めづ(愛づ)」+「いたし(甚し)」から成る「めでいたし」がつまって「めでたし」になりました。「賞賛する」+「はなはだしい」ということであり、「すばらしい」という意味になります。これ以上ないほどの誉め言葉です。
名詞「託言(かごと・かこと)」に、接尾語「かまし」がついて一語の形容詞化したものです。「かごと」は、「言い訳・口実・恨み言」という意味であり、「かまし」は「いかにも~な様子である」ということです。そのことから、「いかにも言い訳めいている」「いかにも恨みを言うようだ」などと訳すことができます。ただ、現在でも「~がましい」という表現は使いますので、「言い訳がましい」「恨みがましい」などと訳してしまって大丈夫です。
「託つ(かこつ)」という動詞がありまして、「言い訳する・ぐちをいう」という意味になります。「託言(かごと)」はその名詞版です。「告事(のりごと)」「独言(ひとりごと)」などが「のりごつ」「ひとりごつ」といった動詞になっていったように、「託言(かごと)」の「と」が「つ」になることで動詞化したと言われています。ただ、もともと「かこつ」という動詞があり、そこに「言」がつき、つまって「かごと」になったという考え方もあり、どちらが先なのかはよくわかっていません。
尊敬語「おぼす」に尊敬語「めす」がついたものです。「おぼす」は「思ふ」の尊敬語で「お思いになる」ということです。「めす」は「呼ぶ」などの尊敬語ですが、ここでは「敬意」を一段階高めるためにつけているような構造ですので、訳出しなくて大丈夫です。したがって、訳としては「おぼす」と同じように「お思いになる」とすればOKです。「おぼす」よりも敬意が高く、基本的には「天皇・中宮・上皇・皇太子」など最高ランクの人の行為に用いる動詞です。
高低に分かれているものの「ランク」や「階層」を意味しているのが「しな」であり、古くは地名などに使われました。たとえば、「しなの」「さらしな」「たてしな」「たかしな」などの「しな」は、「他と区別された高いエリア」を意味していると言われます。
「宮廷風」である「みやぶ」「みやび」の対義的な語です。「ゐなか(田舎)」の「ゐな(wina)」と「ひな(fina)」でそもそも音がかなり近く、ほぼ同じことを意味している語だと考えられます。
語源は未詳ですが、「大気(おほけ)」に、「はなはだしくそうである」ことを意味する接尾語「なし」がついて「おほけなし」になったとする説があります。「大それている」というようなニュアンスで「身のほど知らずだ・身分不相応だ」などと訳すことが多いです。
宮廷風! 意味 (1)優雅・風流・上品 ポイント 上二段動詞「みやぶ」が名詞化したものです。「みやぶ」は「宮ぶ」であり、「宮廷のような状態になる」「宮廷風の行いをする」ということです。 フランス的にいうと、「ヴェルサイユ宮殿風」みたいな感じ
「面(おも)」は「正面・面前」のことであり、「白(しろ)」は「ぱっと明るい状態」を意味します。つまり、「目の前のことがパアーっと明るく見える」ということであり、もともとは「すばらしい景色」を形容することによく使用されました。平安時代には、景色だけでなく、音楽や芸術などにも広く用いられました。
もともとは「名詞」+「格助詞」であり、「世の中に」「世間では」の意味になります。「この世の中で~である」「この世の中で~ない」という言い方は、「実際の世間」を意味しているわけではなく、一種の強調表現のような言い方として用いられることもありますよね。その場合の「よに」は、「副詞」として分類して、「実に~だ!」「決して~でない!」という意味で訳します。
「心」に接尾語「ばせ」がついた名詞とされます。同じ構造のものに「かほばせ(顔ばせ)」などがありますね。あるいは、「心」+「馳す」が名詞化して「心馳せ」になったという考えもあります。その考えにしたがえば、積極的に対象に向かうような「活発な心の性質」を表しているといえます。
動詞「次ぐ(つぐ)」+接続助詞「て」の「次ぎて」が音便化して、「ついで」になったと考えられています。「出来事A」に次ぐかたちで「出来事B」がある、というような「流れ」を意味する場合は、(1)のように「順序・順番」と訳します。「出来事A」があって、次いで何かが発生する「タイミングとしての点的なポイント」を意味する場合は、(2)のように「機会・場合」と訳します。
動詞「次ぐ(つぐ)」+接続助詞「て」の「次ぎて」が音便化して、「ついで」になったと考えられています。「出来事A」に次ぐかたちで「出来事B」がある、というような「流れ」を意味する場合は、(1)のように「順序・順番」と訳します。「出来事A」があって、次いで何かが発生する「タイミングとしての点的なポイント」を意味する場合は、(2)のように「機会・場合」と訳します。
接触する部分が固くてごつごつしていることを意味します。類語に「こはごはし(強強し)」がありまして、ほぼ同じ意味で用いられます。
男こそ、~ 男こそ、なほいとありがたく、あやしき心地したるものはあれ。いときよげなる人をすてて、にくげなる人をもたるもあやしかし。公所おほやけどころに入りたちたるをとこ、家の子などは、あるがなかによからむをこそは、えりて思ひたまはめ。およぶ
「にて」の識別です。
「が」の識別です。
上代では「しのぶ(上二段活用)」と「しのふ(四段活用)」という別の語であり、活用が異なりました。濁音/清音の違いもありました。「忍ぶ」は「隠す・こらえる」ということで、「偲ぶ」は「懐かしむ・思い慕う」ということであり、意味も別々の語です。ただ、語形も意味も似ていることから、中古では混同が起きて、本来「上二段」である「忍ぶ」が「四段」でも用いられるようになり、逆に本来「四段」である「偲ぶ」が「上二段」でも用いられるようになっていきました。そのため、活用で区別することは困難です。漢字で書かれていればその時点で判別可能ですが、ひらがなで書かれている場合には、がんばって文脈判断しましょう。
形容詞「かなし」の連用形「かなしく」にサ変動詞「す」がついて、「く」がウ音便化したものです。「かなしうす」は、「かなし」を「実行する」ということですね。
「て」の識別です。
これより「下」が「無い」ということであり、根本的な意味は「最低だ」ということです。「むげなり」という形容動詞として分類されますが、次の2パターンの使い方が多いです。(ⅰ)語幹の「むげ」に「の」がついた「むげの~」という表現で用いる。(ⅱ)連用形「むげに」のかたちで副詞的に用いる。(ⅱ)については、「副詞」と考えたほうがよい使い方が多いです。
「ぬ」の識別です。
「に」の識別について
「敢ふ」が「堪える」「持ちこたえる」「すっかり~する」という意味であり、それを「無し」で否定しています。「何かをすべき状況」において、「推進」や「抵抗」をしようとしても何もできない様子を示し、「どうしようもない」「仕方がない」などと訳します。
あさましきもの。~ あさましきもの。指櫛すりて磨くほどに、ものに突きさへて折れたる心地。車のうちかへりたる。さるおほのかなるものは、所せくやあらむと思ひしに、ただ夢の心地して、あさましうあへなし。 驚きあきれるもの。指櫛をこすって磨くうち、
「異」「殊」という漢字をイメージできれば、訳しやすい語だと思います。「異なっている」「特別である」ということは、「状態や性質を意味している」といえるので、「ことなり」でまるごと一語の形容動詞と考えます。
長い息! 意味 (1)ため息をつく・嘆息する (2)悲嘆する・悲しむ・悲しんで泣く (3)嘆願する・願い祈る・請い願う ポイント 「長息(ながいき)」が「なげき」になり、動詞化したものと言われます。そのことから、第一義としては「ため息をつく
『竹取物語』「天人の迎へ」の現代語訳です。
心痛 意味 (1)つらい・心が苦しい (2)心配だ・気がかりだ (3)気の毒だ・かわいそうだ ポイント 読んで字のごとく「心が苦しい」ということです。もともと、自分の胸が苦しい(1)の意味ですが、相手の状況を思うと胸が痛くなるという意味合い
「遣る(やる)」は「人に~させる」ということです。そのことから「人遣り」という名詞は、「人から強制されて行う行為」を意味します。多くの場合、下に打消し表現を伴い、「他人から強制された行為ではない」という言い回しで使います。「ひとやりならず」で覚えてしまうといいですね。
意外!意味(1)驚きあきれる(2)さげすむ・軽蔑する・あなどる・見下すポイントもともとは「予想との違い」にびっくりすることを意味しており、良い意味でも悪い意味でも用いました。やがて、悪い意味での使用が増えていき、(2)の訳し方がでてきました
『枕草子』「虫は」の現代語訳です。
『枕草子』「虫は」の現代語訳です。
『今昔物語集』「阿蘇の史、盗人にあひてのがるること」の現代語訳です。