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2020/12/29

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  • 第四戒「あなたの父母を敬え」

    こんにちは。今回は、第四戒「あなたの父母を敬え」です。(多くのプロテスタントなどでは第五戒です。) 実は、これについては、以前にもこのブログでまとめたことがあります(「親を敬え」)。親による虐待などを考えた時、この掟は、ちょっと理不尽に思え

  • 第三戒 「主の日を心にとどめ、これを聖とせよ」

    こんにちは。第三戒「主の日を心にとどめ、それを聖とせよ」を見たいと思います。出エジプト記の個所この第三戒(多くのプロテスタントなどでは第四戒)の元となった箇所は、以下の通りです。安息日を心にとどめ、これを聖別せよ。六日の間働いて、なんであれ

  • 第二戒「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」

    これは、カトリックの十戒の第二戒です。(多くのプロテスタントなどでは、第三戒にあたります。)今回は、これについて見てみたいと思います。「みだりに」の意味 これは、単にしょっちゅう唱える、という意味ではなく、その頻度よりも、その心の問題とと

  • 十戒より。第一戒「わたしはあなたの主なる神。わたしのほかに神があってはならない」

    神の十戒とは、出エジプトを果たし、イスラエルの民がシナイ山まできたとき、モーセをつうじて神から授けられた10の掟のことです。 十戒は、キリスト教の宗派によって少しずつ違う所もあるのですが、このブログでは主にカトリック教会で採用されている十

  • 「永遠のいのち」って何か怖い

    永遠の安息、永遠のいのち…、それは、キリストが約束してくださったものであり、この苦しみの多い有限な世界にある私たちが、切望するものです。 しかし、同時に、永遠というものは、よく考えてみると恐ろしいものでもあるような気がします。私たちの中の

  • 三位一体とは、人間にはわからないけど、覚えるだけ覚えとくべき教義

    こんにちは。 幼児洗礼のカトリック信者の方は、子供の時教会学校で、大人になってから洗礼を受けられた方は、洗礼準備講座で、三位一体について習ったかと思います。 カトリック信者でなくても、三位一体という語は有名なので、聞いたことがあるという方も

  • 「許す」なんて、傲慢な気がする…

    頭には来る、しかし自分に相手を許す権利があるのか…こんにちは。「相手を許す」ということは、キリスト教教義の真髄だと思います。「愛」と「許し」はほぼイコーだと説かれることもあります。 許すことの難しさ、大事さを説かれることも多いでしょう。 し

  • 豆知識~「隠れキリシタン」と「潜伏キリシタン」の違い

    こんにちは。 「隠れキリシタン」と「潜伏キリシタン」の違いをご存じでしょうか。 一般的には、「隠れキリシタン」の語のほうが多く使われるので、「潜伏キリシタン」という名はどうも聞いたことがないという方もいらっしゃるかもしれません。 でも、実は

  • 「避妊NGのカトリックの教えに従ったせいで、望まぬ妊娠をした」

    避妊NGって、どういうこと?!こんにちは。避妊を禁ずるカトリックの教えに関しては、賛否両論があるようです。また、本当にデリケートな話題ですので、なかなか扱いづらいものではあるのですが…。 この教義は、時に混乱を招きます。 実際、若い未婚の人

  • 「罪の許し」~告解という制度

    こんにちは。私は以前、カトリックの学校に行った非信者の人に、「罪の許しっていうのは、神父様だか誰だか関係ない人に告白して、許しますとか言われて勝手に一人で満足するようなもんじゃないでしょ。その傷つけた相手にちゃんと謝って、その人に許してもら

  • 「罪の許し」~告解という制度

    こんにちは。私は以前、カトリックの学校に行った非信者の人に、「罪の許しっていうのは、神父様だか誰だか関係ない人に告白して、許しますとか言われて勝手に一人で満足するようなもんじゃないでしょ。その傷つけた相手にちゃんと謝って、その人に許してもら

  • ケンピス「キリストに倣いて(デ・イミタチオネ・クリスティ)」

    こんにちは。今日は、15世紀の有名な敬虔書である「キリストに倣いて」をご紹介したいと思います。著者 このラテン語の原著は、15世紀初めに出されました。 その著者が誰なのかは長い間はっきりしていなかったのですが(著者が「名声を求めず謙遜であれ

  • ケンピス「キリストに倣いて(デ・イミタチオネ・クリスティ」

    こんにちは。今日は、15世紀の有名な敬虔書である「キリストに倣いて」をご紹介したいと思います。著者 このラテン語の原著は、15世紀初めに出されました。 その著者が誰なのかは長い間はっきりしていなかったのですが(著者が「名声を求めず謙遜であれ

  • ヨハネ・パウロ二世の詩

    こんにちは。 ヨハネ・パウロ二世は、聖職の道に入るまでは、地下演劇(当時のポーランドはナチス・ドイツの支配下にあったため)で俳優・脚本家として活動していました。 そうした経緯は、後の教皇としての演説や振る舞いにも生かされていたのでしょう。こ

  • カトリック・ジョーク~修道会の性質ネタ特集

    カトリックには、さまざまな修道会があり、それぞれ独自の歴史や、性格のようなものがあります。それらをネタにしたジョークは定番です。いくつかご紹介します。停電した時は? ある晩、ベネディクト会士、ドミニコ会士、フランシスコ会士、イエズス会士の

  • 聖ベルナデッタ~ もっとも小さい者ゆえに

    こんにちは。 今日は、聖ベルナデッタについてお話ししたいと思います。マリア様の御出現と、奇跡で知られるルルドの泉にかかわった少女です。 マリア様が姿を現す相手として選ばれたとなると、さぞ品行方正で、でも謙遜な、信仰篤い優等生…かと思いきや、

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  • カトリックでは、自殺すると地獄に行くとするが、本当か

    こんにちは。この話題については、書こうか書くまいか、ずっと迷っていましたが、今回、書くことにしました。自殺についてのカトリック教会の伝統と法典なぜ? 伝統的に、カトリック教会は、自殺を本質的に殺人と同じ、としてきました。殺すのが、自分の命で

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  • Traditional Irish Blessing~アイルランドの伝統的な祈りの詩

    こんにちは。以前にもご紹介したことがあるのですが、再度「Traditional Irish Blessing」について書きます。アイルランドには、多くの美しい伝統的な祈りがあります。Wishing you a rainbow for sun

  • コヘレトの言葉~キリスト教的無常観

    厭世的な旧約の書物?こんにちは。無常観は、仏教の中核的な観想の一つです。そういえば、有名な平家物語の冒頭は、その思想を美しく格調高い文体であらわしていますね。 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす

  • 異色の経歴・フランシスコ教皇

    こんにちは。今日は、現ローマ法王でいらっしゃる、フランシスコ教皇について、少しお話したいと思います。 教皇になられるほどの方というのは、皆がそれぞれユニークで優れた経歴をお持ちなのですが、中でもフランシスコ教皇は特別です。本当に異色と言う

  • ベネディクト16世のあるエピソード~ナチス・ドイツに対する発言について

    ベネディクト16世は昨年末に帰天されました。教皇を退任されたのが2013年ですから、その後約10年間、名誉教皇として生活されたことになります。 学者としての高名さとは裏腹に、教皇在任中は、何かと批判されることも多かったように思います。それ

  • 解放の神学とは

    こんにちは。「解放の神学」という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか。 以前、このブログでも少しだけ言及したことがありますが(参照;http://その男、ユダ)、早い話が「宗教とは、人間の精神的な救いのみを目指すものではなく、世の不正義

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  • アメリカでは21世紀でも創造論を半数近くが信じている=進化論を否定している?という問題について

    21世紀になってからも、アメリカ人の半数近くが「創造論を信じている」と答えている?!これは、私たち日本人が聞くと、ちょっとしたミステリーです。 米ビュー・リサーチ・センターの2015年に明らかにした調査では、アメリカ人の4割が「創造論を信じ

  • 旧約聖書で笑った話(10)~ダビデの息子たち;アムノンとアブシャロム

    こんにちは。 以前、ダビデ王の女好きぶりなどについて書いたことがあるかと思います。(参照;旧約聖書で笑った話(5)ダビデ王前編~英雄色を好む?、旧約聖書で笑った話(6)ダビデ王後編~卑怯すぎる王、旧約聖書で笑った話(7)~いまいち性格のつか

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  • 「奇跡」を尊ぶ~アメリカで出会ったある信心深い人々の展示会に思うこと

    こんにちは。今回はカテキズムとは少し離れ、私の個人的な体験から考えたことをお話ししたいと思います。「奇跡」を尊ぶということ四旬節でのイベントそれはアメリカでのことです。 アメリカのあるカトリック教会では、四旬節の時期に多くの信仰にかかわるイ

  • カテキズムにおける「隣人」の範囲

    こんにちは。今回は、カトリック教義において、時折話題になる「隣人」の範囲についてです。隣人=同教区の人々? 近年ではその影響も随分薄まりましたが、実は伝統的に、カトリックの教義では「隣人」を「同じ教区の人々」としてきました。 が、そもそも、

  • 「無名のキリスト者」

    こんにちは。本稿では、カトリック神学の一つのテーマについて、少しだけ見てみたいと思います。「異教徒」の語 かつて、キリスト教では「異教徒」という言い方をすることがよくありました。これは、キリスト教を信じていない人々のことで、なおかつ「彼らは

  • 旧約聖書で笑った話(9)~男同士の争いにおいてその妻がしてはいけないこととは

    こんにちは。今日は旧約聖書の申命記からです。申命記は、死が近いことを悟ったモーセが書かせたと言われているモーセ五書のひとつで、さまざまな決まり(律法)が載っています。独特の智恵にあふれた法の集大成という感じなのですが、そこは旧約聖書。その中

  • 死刑について~旧約の知恵とキリスト教的慈愛

    死刑の現在死刑 こんにちは。 今回のテーマは死刑です。敵を愛せ、右の頬を打たれたら左の頬を、と説くキリスト教にとって、死刑とは扱いが難しいものです。 とはいっても、もちろんキリスト教教義は社会を無法地帯にすることを目指すものではなく、法が滅

  • 一度ブログが消えましたが復旧しました。

    短時間ではあったのですが、筆者が誤ってブログの全記事を消してしまい、ついでにあらゆる設定もデフォルトに戻ってしまい、落ち込んでおりましたが、その後、ブログサーバーの係りの方から、復旧のやり方を教えていただき、無事復旧できました。お騒がせしま

  • 一度ブログが消えましたが復旧しました。

    短時間ではあったのですが、筆者が誤ってブログの全記事を消してしまい、落ち込んでおりましたが、その後、ブログサーバーの係りの方から、復旧のやり方を教えていただき、無事復旧できました。お騒がせしました。また、ご心配してくださった方、どうもありが

  • カトリック信徒が「あなたのために祈ります」と言うとき(冗談半分の戯言です)

    こんにちは。「お祈りします」という言い方は、カトリック信者に限らず、一般によく言いますよね。何かで相手を応援したいとき、何かがうまくいってほしいな、と思うとき。「うまくいくように祈ってるね!」「ご多幸をお祈りしますね」 こういうことを付け加

  • 親から与えられた宗教と、その宗教を信じる親から虐待された子供

    こんにちは。 安倍元首相が殺害されてから早10日余りがたちました。最初は政治信条等が理由なのかと思ってしまいましたが、報道によれば全く違ったようです。そこにあったのは、実は、統一教会という宗教へ何としても一矢報いてやりたいという強い復讐心

  • 実はヨハネ・パウロ1世が存在した!(カトリック・トリビア)

    幻の教皇 こんにちは。 不謹慎なタイトルで申し訳ありません。 ローマ法王は、カトリック信徒にとってとても重要な司牧者です。13億人の信徒をもつカトリック教会の頂点にたつ使徒ペトロの後継者であり、なおかつバチカン市国の国家元首でもあります。

  • 復讐するは我にあり

    復讐するは我にあり。映画や漫画などの題名にもなった有名な言葉。ドラマチックで、創作意欲をかきたてる言葉です。が、これの本来の元ネタはどこかご存じですか? それは、旧約聖書の中にある、申命記です。これが書かれたのは、おそらく紀元前8世紀から

  • ベトサダの池での出来事~38年間病気だった人

    こんにちは。お元気ですか? ヨハネ5章1ー9で、キリストがベトサダの池という所に行かれた時のエピソードがあります。キリストはここで、いつものように病人を癒されます。こう言っては何ですが、よくある話です。 でも注意深く読んでみると、同じよう

  • イグナチオの霊操~終わりに

    前回、教会と思いを一致にする規則をあげましたが、イグナチオの霊操はこれで終わりです。もし彼の優れた思想と祈りをほんの少しでもお伝え出来たなら、大変うれしく思います。イグナチオは「イエズス会」をつくりました。 現在のイエズス会はカトリック教

  • 第四週;一致の道≪復活の観想≫(11)教会と思いを一つにする規則

    「教会と思いを一つにする基本的原則」「教会のすべての掟をたたえて尊び、常に正しい理由を探し求めて教会を擁護し、決して攻撃しない。」(霊操361)「自分には白と見えることでも、教会制度に基づく教会が黒と決定したならば、花むこ、主キリストとその

  • 第四週;一致の道≪復活の観想≫(10)~新たな時代へ

    主のご昇天聖霊を待ち望んで(使徒1.1‐11)。主は天に昇られた。「見る」時から、「信じる」時へ、教会の時へと移り行く。復活されたキリストの証人となる使命。そのために聖霊は力を与えられる。(霊操312)

  • 第四週;一致の道≪復活の観想≫(9)~全世界へ延べ伝え

    タボル山でのご出現「弟子たちは、主が命じられたので、タボル山に行った…。主は彼らにお現われになり、福音を告げ知らせるため全世界に派遣された。『行って、すべての人に福音を告げ、父と子と聖霊の御名によって洗礼を授けなさい。私は世の終わりまで、い

  • 第四週;一致の道≪復活の観想≫(8)

    ティベリア湖でのご出現イエズスは漁をしていた七人の弟子にお現われになった。彼らは一晩中かかって何の獲物もなかったのだが、主のお言葉に従って網を投げると、魚がいっぱいにかかり、重くて引き上げられないほどだった。(霊操306) 仮にもプロの漁師

  • 第四週;一致の道≪復活の観想≫(7)

    トマへのご出現イエズスは弟子たちにお現われになった。そしてトマに言われた。「ここにあなたの指を入れ、真実だと悟りなさい。信じない者ではなく、信じる者になるように」トマは信じて言った。「私の主よ、私の神よ」するとイエズスは彼に言われた。「見な

  • 第四週;一致の道≪復活の観想≫(6)

    集会へのご出現扉は閉まっていたのに、イエズスがお現われになり、彼らの真ん中に立って、「あなた方に平和」と言われた。「聖霊を受けなさい、あなた方が罪を許す人は、その罪が許される」そう言って、彼らに聖霊を与えられた。(霊操304)

  • 第四週;一致の道≪復活の観想≫(5)

    エマオへ向かう二人の弟子へのご出現(霊操303) パンを割かれたとき、弟子たちにはその方がイエズスだと分かった。 「道々、あの人が私たちに話しかけられたとき、私たちの心は燃えたったではないか」「愛に燃える心」ルカ福音書も説くこの恵みを願おう

  • 第四週;一致の道≪復活の観想≫(4)

    マグダラのマリアへのご出現(霊操300,301) イエズスはなぜ、初めに女たちに現れられたのだろうか? 彼らは教会のマリア的シンボル。それは、愛、受容、待ち望む祈り…。 活動というペトロ的シンボルのみでは、教会は単なる活動組織になってしまう

  • 第四週;一致の道≪復活の観想≫(3)

    聖母マリアへのご出現聖イグナチオは、第一に、復活されたキリストが私たちの母、聖母マリアにお現われになったことを観想するよう勧める。「主は、初めに聖母にお現われになった。このことについて、聖書は何も語っていない。私たちが当然それに気づくと考え

  • 第四週;一致の道≪復活の観想≫(2)

    聖イグナチオの第四週の観想方法1,2,3,そこにいる人々の言っていることを聞き(想像し)、することを見、考察する。4,ご受難の時には、隠れているように見えたイエズスの神性が、今、復活の時、あざやかに現れ出るのを考察する。(霊操223)「恐れ

  • 第四週;一致の道≪復活の観想≫(1)

    第四週;初めに~喜びを、また悲しみを分かち合う、それは二つの心をさらに深く結びつける。「喜ぶ人とともに喜び、泣く人とともに泣け」(ローマ12.15)と聖パウロは言う。ここで聖イグナチオは、「私たちの主キリストのあの栄光と喜びを、心から喜び味

  • 第三週;一致の道≪受難の観想≫(9)

    受難の観想(第三週七日目)ご受難全体の観想、十字架から埋葬まで。(霊操208,298)槍で貫かれたイエズスのみ心。「そこから血と水が流れ出た。」そのやりは、救い主の愛を指し示す矢印。イエズスは聖霊のたまもの、秘跡をお与えになった。やりで貫か

  • 第三週;一致の道≪受難の観想≫(8)

    十字架上の死受難の観想(第三週六日目)十字架上の死「十字架上でイエズスは、七つの言葉を話された。ヨハネを聖母に託し、聖母をヨハネに託した。『かわく』と叫ばれ、『我が神よ、どうして私を見捨てられたのですか』と言われた。『すべてが成し遂げられた

  • 第三週;一致の道≪受難の観想≫(7)

    受難の観想(第三週五日目ー2)十字架を背負われるイエズス。「イエズスは十字架を背負われたが倒れられ…イエズスのあとからこれを背負うようにと、キレネのシモンが駆り出された。」(霊操296)キレネのシモンは弟子の模範。十字架を担い、いつも主のあ

  • 第三週;一致の道≪受難の観想≫(6)

    受難の観想(第三週五日目ー1)イエズスは鞭打たれ、いばらの冠をかぶせられる。ピラトは、「見よ、この男だ」と言い、イエズスに死刑を宣告し、群集の前で手を洗う。(霊操295)使徒たちは、受難のありさまを伝える。マルコは事実を見つめ、マタイは預言

  • 第三週;一致の道≪受難の観想≫(5)

    受難の観想(第三週四日目)ピラトの家からヘロデの宮殿までの聖なる出来事。ヘロデは好奇心を起こしてイエズスにあれこれと尋ねたが、イエズスは何もお答えにならなかった…。ヘロデは兵卒とともに彼をあざけり、白い衣を着せた…。(霊操294)ピラトのと

  • 第三週;一致の道≪受難の観想≫(4)

    受難の観想(第三週三日目)「カヤファの家からピラトの家までの聖なる出来事。ユダヤ人の大群衆は、イエズスをピラトのところまで連れていく。ピラトは、イエズスを二、三尋問して言う。『私はこの人に何の罪も認めない』群集は、祭りの習慣により一人釈放す

  • 第三週;一致の道≪受難の観想≫(3)

    ご受難の観想(霊操第三週二日目)「アンナの家からカヤファの家に至るまでの聖なる出来事。彼らはイエズスを縛り上げ、カヤファの家までひきたてた。ここでペトロは三度、主を『知らない』と言い、主が彼を見つめられると、外に出て激しく泣いた。」(霊操2

  • 第三週;一致の道≪受難の観想≫(2)

    ゲッセマニの園の祈りの観想イエズスは、ペトロとヤコボとヨハネの三人を伴って御父に三度祈られた。「父よ、できるならば、私からこの杯を取り去ってください。 けれども、私の思いではなく、あなたの御心がなりますように。」(霊操290)死を前にして、

  • 第三週;一致の道≪受難の観想≫(1)

    ここから、第三週一致の道(受難の観想)に入ります。苦しみの分かち合い「ここではまず、苦しみ、悲しみ、恥じ入ることを心から願い求める。主は、私のこの罪のために、苦難の道を歩まれたのだから…」(霊操193)苦しみを分かち合う、それは二つの心を強

  • 第二週;照らしの道(13)~イエズスの公生活についての観想(二週後期)

    嵐をしずめるイエズス「弟子たちはおそれおののいてイエズスを起こした。弟子の信仰がうすいのを見て、イエズスは『何をこわがっているのか、信仰のうすい者よ』とお𠮟りになった。」(霊操279)イエズスは、「教会という船」にいつもともに乗っておられる

  • 第二週;照らしの道(12)~選定

    概論神は私たち一人ひとりについて望まれることを、み節理のうちに示される。 しかし、私達人間にとってそのみ旨を知ることは容易ではない。(得に自分の知恵や能力によって、神の御心を推し量ろうとすることは、不可能であるばかりか危険ですらある。) し

  • 第二週;照らしの道(11)~三つの謙遜

    この先「人生の道の選定」に入りますが、その前に準備としてイグナチオは「三つの謙遜」という観想によって、心のコントロールをすることを勧めています。三つの謙遜1,愛の謙遜の第一の道義務の道。神のみ旨を果たし、大罪を犯さないように努める。いつも死

  • 第二週;照らしの道(10)~第二週のための霊的弁動の規則

    敵と味方を知るために…●良い霊と悪い霊の特徴「神とその使いは、魂に真の霊的な喜びを与え、悲しみや動揺を取り去る。」「敵はその反対に、いろいろなごまかしを使って動揺させ、悲しみに沈ませる。」(霊操329)●悪霊の与える錯覚「悪い霊は、光に満ち

  • 第二週;照らしの道(9)~イエズスの公生活についての観想

    ヨハネからの洗礼「母マリアに別れを告げ、イエズスはナザレからヨルダン川へ行かれた…。すると聖霊が下り、天から父の御声がひびいた。『これは私の愛する子、私の心にかなう者である』」(霊操273)洗礼は、キリストにとっては、罪の世界への入り口。そ

  • 第二週;照らしの道(8)~三人の人についての観想

    一番良いものを選ぶための観想。「三人の人が、それぞれ財産を持っている。これは、必ずしも神への純粋な愛のために作ったものではない。しかし、三人とも、財産に愛着しているせいで起こってくる、よけいな心の重荷を取り除いて救いを得、心の平和のうちに神

  • 第二週;照らしの道(7)~キリストの旗の下の観想

    こんどは、「反対に、私たちの主キリストという真実最高の船長について思いめぐらす。素朴で美しく静かなエルサレムの広野におられるキリストを見る…。主が全世界からたくさんの人々、使徒、弟子たちを選び、世界中に派遣して、あらゆる国々、すべての人々に

  • 第二週;照らしの道(6)~敵の旗の下の観想

    ルシフェル導く旗の下について思いを巡らす「大軍を従えた敵の首領が、バベルの塔の上で、すさまじい炎と煙の座にすわっている有様を想像する…。悪魔たちを呼び集め、町から町へ、そして世界中に放ち、その魔手の及ばない場所は一つとしてなく、誘惑にあわな

  • 第二週;照らしの道(5)~二つの旗の観想

    「一つは、最高の船長、キリストの旗。もう一つは、人間の最大の敵、ルシフェルの旗。自分の望むものを願う。悪へ導く者の手管を知り、それから自分自身を守るための助けを。さらに、最高の船長が教えられる真の生命について知ることと、彼に倣う恵みを。」(

  • 第二週;照らしの道(4)~自分をむなしくされたキリストの人生を観想する

    イグナチオは、第三週の前半でまず、キリストの人生を観想することをすすめる。まずは、ご降誕の観想。「その場にいる人々を見る。マリアとヨセフ、生まれたばかりのイエズス。自分は卑しい奴隷として実際この三方のみ前にいると考え、できる限りの尊敬をこめ

  • 第二週;照らしの道(3)~キリストの誕生と地上の人々の観想

    ご托身「父と子と聖霊であられる聖三位は多くの人間であふれたこの世界を見、彼らが地獄に落ちるありさまをごらんになった。そして、神の永遠のご意思によって全人類を救うために、第二のペルソナが人となるように定められた。このことを観想する。」(霊操1

  • 第二週;照らしの道(2)~キリストの王国の観想

    キリストの王国の観想「私の望みは、世界を悪の力から解放しつつこれを治め、その後、父の栄光に入ることである。だから、私とともに来たいと望むものは、私とともに働かねばならない。私に従って働き、苦しみ、そしてともに栄光に入る!」(霊操95)中世の

  • 第二週;照らしの道(1)~キリストの騎士となるために

    清めの道による反省と清めを経て、ここから照らしの道に入ります。 イグナチオ自身がかつて国王に仕える騎士だったことから、その回心後もキリストの騎士という言葉がよく出てきます。 実際、イグナチオはその回心の最初に、モンセラットのベネディクト会の

  • 第一週;清めの道(8)~疑悩の規則

    1,悪い霊の策略「敵(悪霊)は、魂が太りすぎているか、小心でやせているかを見る。そして、小心な場合には、ますますやせ細り、混乱させるよう、罪でもないことを罪であるように思わせる。一方、魂が太りすぎている場合には、敵はもっと太らせようとする。

  • 第一週;清めの道(7)~霊動弁別の規則

    1,後ろを振り向く人、暗い方へと向かう人に。「大罪に大罪を重ね続ける人に対し、悪霊は、感覚的な喜びを次々と想像させ、悪い習慣や罪を断ち切らずに、ますます悪へ落ち込んでいくよう誘う。 反対に、良い霊は、良心の呵責をおこさせる。」(霊操314)

  • 清めの道(6)~地獄の観想

    イグナチオは、見る、聞く、かぐ、味わう、ふれる、といった感覚をつかって、地獄を観想することをすすめる。罪に陥って、神の愛を忘れてしまうことがあっても、そうして感じた地獄への底知れない苦しみへの恐れによって、さらに大きな罪を重ねないようにとど

  • 清めの道(5)~三つの対話

    憐れみの聖母マリアとの対話。救い主キリストとの対話。慈しみの父神との対話。次の恵みを心に願って、この対話をする。1,自分の罪を知り、心からこれをいとわしく思う恵み。2,自分の生活の無秩序、良くない愛着を知り、それに打ち克って心の調和を取り戻

  • 清めの道(4)~キリストの前で自分へ問いかける

    十字架につけられたキリストとの対話。自分のために十字架につけられたキリストの姿を心に描き、自分自身に問いかける。「今日まで、キリストのために、私は何をしてきたか」「今、キリストのために、私は何をしているか」「今から、キリストのために、私は何

  • 清めの道(3)~それにもかかわらず受けた恩寵を思う

    そのような自分の罪深さにかかわらず、天使たちが、神の正義の剣でありながら、私をこれまで耐え忍び、守り、神にとりなしてこられたことを、驚きの念をもって観る。(霊操60)そしてまた、聖人方、自然界のすべてのもの、大空と太陽、月と星、そのほか地上

  • 清めの道(2)~罪を出す腫れ物のような自分と神

    「自分自身を罪を大量にはきだす腫れ物のように考えてみる。」(霊操58)「そして、神はどんな方なのかよく考える。そして、神と私を比べてみる。」 神の知恵と私の無知 神の全能と私の無力 神の正義と私の不正 神の慈しみと私の忘恩 (霊操59)

  • 清めの道(1)~罪に枯れた自分

    「罪に落ちた人間の心は、鈍くさびついている。まるで、枯れ木のように、そこには生命の息吹も、躍動も感受性もない。今、自分が罪深い人間であることを感じ、その罪の前に恥じ入る恵みを神にこいねがおう」(霊操48)

  • 原理と基礎(3)~流れにさからう

    流れにさからってこぐ。物やお金へ執着させる消費文明、自分を楽にさせたい自己の人間性にさからって、舟をこぐ。そのためにイグナチオは、限りあるもの・はかないものにとらわれない心「不偏心」をいただく恵みを願うように教える。「神に到達する目的に役立

  • 原理と基礎(2)~人間の存在理由と救い

    私たちは、一生歩み続ける。神という山を目指して…。「人間は、主である神をほめたたえ、敬い仕え、そうすることによって、自分の霊魂を救うよう創られている。」(霊操23)

  • 原理と基礎(1)~心構え

    「祈るとは、”氷解”の恵みを願うことです。祈りによって神に対する私の抵抗、隠れ潜んでいるエゴイズムの氷山が、恵の力と熱さとのもとに、すっかり溶け去るように。」しかし、それは自分の力のみではできるものではない。聖霊の導きを望まねばならない。そ

  • 聖イグナチオの霊操~はじめに

    イグナチオ・デ・ロヨラは、スペイン(バスク地方)に生まれ、15-16世紀に生きた、カトリック教会の聖人でありイエズス会創始者です。彼はもともとは血気盛んな騎士であり、俗世的な成功を求めていました。が、戦争(パンプローナの戦い;1521年)で

  • カトリック・ジョーク~告解

    ある神父が、信徒の婦人の告解を聞きました。「神父様、私は浮気をしてしまいました。」神父は尋ねました。「それは何回ですか?」婦人は答えました。「一回です。」神父が「償いの業の目安」の冊子を見ると、「不貞一回;アベマリアの祈り2回と善行1回」と

  • 実のないいちじくの木

    まじめな聖書の話 空腹の八つ当たりのようにキリストから枯らされたイチジクの木。この話の意味するところを考えてみたいと思います。

  • カトリック・ジョーク~3人の神学者とペトロ

    カトリック神学者のカール・ラーナー、ハンス・キュング、ヨゼフ・ラッツィンガーが亡くなり、彼らは天国の門番をしているペトロのもとを訪れました。 ペトロは、あなたたちが天国に行く前にいくつか論じなければならないことがある、と告げ、まず最初にラ

  • カトリックジョーク(少し自虐)~プロテスタントとカトリックどちらが正しいか論争したら

    あるとき、カトリック信徒とプロテスタント信者とが、どちらが正しいか論じ合っていました。が、お互いに信じるものがあるので譲らず平行線です。 そこで、カトリック信徒が言いました。「言い争うのはやめましょう。私たちは、同じ神を信じているのですか

  • 小さき花の聖テレジア(5)~この世での足あと;修道生活と帰天まで

    こんにちは。 前回ではテレーズ・マルタンが修道院に入ってから、父ルイ・マルタンが亡くなるところまでを辿りました。 今回は、その後の修道生活におけるテレーズの足どりを辿ってみたいと思います。日々の修道生活小さい砂粒 さて、テレーズの修道生活

  • 小き花の聖テレジア(4)この世での足あと;修道院入会から父の死まで

    こんにちは。今回は、小さき花の聖テレーズの4回目です。 前回、彼女は、規則では16歳以上でないと入れないカルメル会へ今すぐにでも入りたい情熱をもち、「15歳でカルメル会へ入会させてください」と教皇様に直訴に行きました。 その時には、どうも

  • 小さき花の聖テレジア(3)~この世での足あと;修道院入会まで

    こんにちは。 今回は、小さき花の聖テレジアの三回目で、彼女のこの世での日々について少しつづりたいと思います。幸せだった幼年期 テレーズ・マリア・マルタンは、ルイ・マルタンとゼリーの末子として1873年にフランス・アランソンにて生まれました

  • 小さき花の聖テレジア(2) ~その日々と家族

    テレーズ・マルタンの地上での日々とその家族 前回は、リジューの聖テレーズ(小さき花の聖テレジア)の小さい道についてご紹介しました。 今回は、彼女がこの世で送った日々の生活の中の出来事や、彼女を取り巻く家族などについて、少し書いてみたいと思い

  • 小さき花の聖テレジア ~か弱い小鳥が鷲の野望を持ち

    産毛の小鳥、小さき花 こんにちは。小さき花の聖テレジアは、現代でもっとも人気のある聖人のひとりではないかと思います。 ですが、彼女の完徳の道は、他の聖人方とずいぶん感じが違います。 彼女は自分の弱さをひたすら認め、受け入れるところから始める

  • コロナ禍の教会

    コロナが猛威を振るう中では、私たちの多くの活動に自粛が求められます。 しかし、だからといって人間の活動のすべてを自粛するわけにもいきません。 教会でも、臨終近い人への病者の塗油などは、その性質上延期も自粛もあり得ませんし、洗礼なども、たと

  • 旧約聖書で笑った話(8)〜ソロモンの裁き

    古代イスラエルの名君ソロモンとは、かのダビデとバテ・シャバの息子です。(参照;旧約聖書で笑った話(6)ダビデ王後編) 彼はダビデにもまして知恵に満たされた王として知られており、多くの悩める人々に優れた忠言を与えていました。 その中でも有名

  • 旧約聖書で笑った話(7)

    逆ギレしなかったユダ 悪いことをしてしまったら、悪いことを他人から指摘されたら、謙虚に認めて謝る。 それが正しい道だということは誰もがわかっています。 誰もがわかっていることなのに、けっこうみんなできません。 わかっていても、私たちは特に

  • いまいち性格のつかめないダビデ王

    凡人を超えた王ゆえにダビデ王については、以前に二回ほど書きました。(参照:旧訳聖書で笑った話(5)ダビデ王前編/旧約聖書で笑った話(6)ダビデ王後編) 偉大な人物であることは疑いようがないのですが、偉大過ぎるのでしょうか、いろいろな意味で常

  • カトリック・トリビアⅡ~トンスラ (知ってもあまり役に立ちません)~通称「ザビエル禿げ」問題

    髪型交々 こんにちは。今日は、知ってもあまり役に立たないカトリック伝統のトリビアのパート 2 です。(パート1 はこちら:コンクラーベのトリビア(知ってもあまり役に立ちません)) 今回は髪型についての話です。カトリックにおける、昔の男性聖職

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