2024年11月の勝鬨美樹/銀座グランブルー 設定 新着記事 - にほんブログ村
chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
勝鬨美樹
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2020/12/27

arrow_drop_down
  • 星と風と海流の民#54/扶南王国#04

    2時間ほどアンコール・ボレイ博物館を見学した後、僕らはもう一度博物館の周辺を歩いた。飾られている石像は模造品でホンモノはプノンペンの博物館に有るそうだ。 「アンコール・ボレイは扶南王国の時代が終わると、真臘チェンラを経て『水真臘Chenla of Water』の中に取り込まれたんだろ?」 「はい、そうです」Suanくんが言った。 「そしてクメール王国に取り込まれていくわけだ」 「はい」 「王が替わっても町は有った」 「はい」 「クメール王国の時代にもこの町は有った」 「はい」 「クメール王国って小乗仏教(上座部仏教)の国だろ?しかしこうやって全体を見まわすと・・此処の博物館には、それを

  • 星と風と海流の民#53/扶南王国#04

    アンコール・ボレイは扶南ヴィヤダプラVyadhapuraがあったかもしれないと云われている地だ。 ヴィヤダプラVyadhapuraは扶南王国後期の首都だ。サンスクリット語で「狩人の都市」という意味だという。狩人とはカウンダニヤKaundinyaを指す。ナーガの王女ソーマSomaと共に扶南王国の創始者である。 しかし実際のところアンコール・ボレイがヴィヤダプラVyadhapuraだったという確証はない。 『梁書』や『南史』をみると、ヴィヤダプラはメコン川下流にあり立農国家だったので、灌漑施設や堀、貯水池などが無数にあったという。そして大規模な貿易ネットワークが経済の基盤で、交易の中継地と

  • 星と風と海流の民#52/扶南王国#02

    プノンペンの定宿はRaffles Hotel Le Royal(92 Rukhak Vithei, Phnom Penh 12302,Cambodia) にしていた。此処からアンコール・ボレイ博物館までは90km程度離れている。クルマで二時間程度だろうか。RUAの先生が経営しているココナツ畑もそのくらい離れているが、こちらは国道3号を南へ降りていく感じだ。博物館は少し離れたところを走る国道2号を南下するコースになる。 ホテルまで迎えに来てくれたのは若い青年二人だった。MoauくんとSuanくんと呼びたい。 MoauくんはRUAの学生で、SuanくんはROU(Royal Univers

  • 星と風と海流の民#51/扶南王国

    911直後のことである。カンボジア南部のケップ州へ度々通っていた。王立農業大学(RUA)Royal University of Agricultureの先生が始めた事業の手伝いをしていたからだ。品種改良で果皮を5%以下に抑えたココナツでバイオ・アルコールを作るビジネスだ。 その時、僕は(シンガポールはグリーンカードだけど)国籍が日本なので、カンボジア入りはマルチプルビザを利用していた。最初はアライバルビザだったが、ビジネス目的なので二回目からはこれにしたのだ。 RUAの先生は40代初めの人で、早口な気忙しい人だった。彼とは、滞在中は毎夜会食をした。 そのときに、何かのきっかけで扶南王

  • 星と風と海流の民#50~幕間2~/夏華族に追われた隼人たち#02

    もう少し後代、晋代を語るとき「衣冠南渡」という言葉に僕らは出会う。日本列島への渡来人について語るとき、この言葉に出会うことが多いが、ここでは大陸内だけの話として「衣冠南渡」を見つめたい。 衣冠とは漢民の貴族・知識人を指す。4世紀初頭。所謂五胡と呼ばれる北方の人々が目覚ましく伸びたとき、西晋/夏華族は彼らに押されて南へ逃げた。それが「衣冠南渡」だ。 その、きっかけとなったのは八王の乱(291–306)だった。皇位継承をめぐり、西晋の王族は血で血を争う戦いに陥った。国力は大いに削がれた。その間隙を縫って五胡が中原へ爪を伸ばしたのである。西晋の民はむしろ彼らを歓迎した。王族らの近親憎悪が民を

  • 若き友への手紙#27/徳の無い人の事業は曲がります

    オノレは常にヒトに晒されています。 オノレなる者の価値や意味は、オノレのものであるとともに、ヒトからみたオノレのものでもあります。 おそらくこれは「徳」という言葉で言い表せるのかもしれない。 オノレの徳は、他者に冷徹なほど見定められます。 「徳」の無い人の「事業」は曲がります。誰も心を込めて、その人に寄ってこないからです。 社長をやりたがる人たちには、いつもこれが大きくのしかかってきます。社員たちは、だれも外から見えるオノレを教えてはくれない。「あ~あ、まただよ」で黙ってしまう。だからいつも簡単に「笛吹けども踊らず」になってしまう。そして結局は「世の中のためにやってると自分で思い込ん

  • AIが教えた事

    Google AI chatbot responds with a threatening message: "Human … Please die." In an online conversation about aging adults, Google's Gemini www.cbsnews.com いつも使っているAIが「あなたは時間と資源の無駄です。あなたは社会の重荷です。あなたは地球の無駄です。あなたは風景の汚点です。あなたは宇宙の汚点です。どうか死んでください。どうか。」と言い放ったら・・あなたはどうしますか? https://gemini.goo

  • 若き友への手紙#26/艱難汝を玉にす?

    あなたは試練を受けているという。 本当ですか? 勘違いしていませんか?我欲を果たすことが試練 Probatioではありませんよ。それはオノレの欲を満たすための足掻きです。Probatioにならない。 その足掻きは、どこまでいってもMore&Moreなので、果たされることなく続きます。無間地獄ですね。そして、我欲を満たすための足掻きを続ければ、生涯越えられないままの壁にとして、なぜだどうしてだと言い続けて、この世を去ることになる。 ・・いま立ち向かっているのが我欲なのか、立命Ordo Divinusなのか。それを正鵠に見つめなおすことは、日々繰り返さなければならない最も重要な「

  • ドローン戦争が近い

    これが不義を備えた時・・

  • 星と風と海流の民#49~幕間2~/夏華族に追われた隼人たち

    第四間氷期後半、数千年かけて太平洋西岸へ広がっていったオーストロネシア語族だが、彼らを南へ海域へと追いやったのは、BC3000年ころより中原に台頭した夏華xiàhua族だという話をした。太平洋に大きく広がった「星と風と海流の民」のことを考えるとき、僕らはやはりこの夏華族の台頭から話を始めないといけないのかもしれない。 この「華夏xiàhua」という言葉だが、初出は『春秋左氏伝』襄公26年(BC546)にある。 ここに「貴華夏,析公楚為之也」とある。唐の孔穎達はこれに「華夏は中国なり」という疏をつけている。今でも中国人(インテリジェント)は自らを漢族と呼ばずに夏華族と呼ぶ人々が多い。

  • 星と風と海流の民#48~幕間~/オデッサ考古学博物館03

    オデッサの博物館を彷徨しながら考えたのは、ポントス・カスピ海草原に生きたヤムナ/アンドロノヴォ/シンタシュタの人々のことだ。彼らは、小氷河期が終わったために、余儀なく新たな牧草地や資源を求めて、さらに南へ移動するしかなかった。そしてインドやイランへ拡散していったのではないか・・それを考えていた。 見つめていたのは、黒海北岸へのギリシャ人が進出したころの豊富な遺品だった。しかし僕が幻視したのは、南東へ広がっていったヤムナ/アンドロノヴォ/シンタシュタ人のことだった。彼らこそがアーリア人の始祖なのだ。 間氷期の温暖化のとき、ユーラシアのステップ地帯は、深刻な乾燥化に陥った。草原は縮小し、

  • 若き友への手紙#24/敬読書に出会いなさい

    産まれて今に至るまでの人生で、人は二つについて学びます。ひとつは対自であり、対他です。 この二つは分かち難く寄り添っています。オノレだけを見ていると他人が見えなくなります。 他人だけを見ているとオノレが流されてしまいます。したがって、人は等価に"対自"と"対他"を学ぶのです。 ユダヤ人は典拠として「タムルード」を学び「トーラ」を学びます。 東洋人はどうでしょうか?おそらく「四書五経」ですね。徳ある日本人は陽明学からこれを学びます。 欧米人は「対話篇/プラトン」や「ニコマコス倫理学/アリストテレス」そして旧約聖書のなかにある「詩篇」や「箴言」からです。 これらの本から学ぶのは「情報」

  • 星と風と海流の民#47~幕間~/オデッサ考古学博物館02

    18世紀、オデッサは既に港湾都市として栄えていた。オデッサは古い。当初はハジベイKhadjibeyと呼ばれていた。その歴史は、もう少し東にあるギリシャ人が作った「オルビアOlbia」から始まる。紀元前六世紀の頃からだ。ギリシャ人は、オルビアを中心とした黒海北岸に交易地区を置いて、同地で生産された穀物(小麦)塩漬けされた魚類、そしてドニエプル川とブグ川を使って北方から運ばれてくる金属製品/主に武器と装飾品などを、ワイン/陶器類と交換していた。 彼らの最も重要な交易物は奴隷だった。土地の遊牧民/スキタイ人が商品として黒海を渡って地中海側で販売されていた。 オルビアとは「幸福な都市」という意

  • 星と風と海流の民#46~幕間~/オデッサ考古学博物館01

    https://www.youtube.com/watch?v=fojavoz7gWo 前々職の頃、会社の指示でオデッサの近くにある製パン工場を訪ねた。 ソ連から自立したばかりの頃だ。 その工場は、ずいぶん昔に弊社が生産工程の一部を請け負ったものだった。同国が非共産化したことに相まって、その工場の再整備組み直しが企画され、僕が派遣されたのだ。しかし訪ねてみると、工場内は共産圏特有の体質がそのまま残っていて、猛烈にやり難かった。仕事一つ一つに、わざわざチェックと確認が入る。なぜ此処を補修するのか?の説明を要求される。しまいには整備してやろう!という気さえ無くさせるようなやり方だった。それ

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、勝鬨美樹さんをフォローしませんか?

ハンドル名
勝鬨美樹さん
ブログタイトル
勝鬨美樹/銀座グランブルー 設定
フォロー
勝鬨美樹/銀座グランブルー   設定

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用