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2020/12/27

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  • 星と風と海流の民#52/扶南王国#02

    プノンペンの定宿はRaffles Hotel Le Royal(92 Rukhak Vithei, Phnom Penh 12302,Cambodia) にしていた。此処からアンコール・ボレイ博物館までは90km程度離れている。クルマで二時間程度だろうか。RUAの先生が経営しているココナツ畑もそのくらい離れているが、こちらは国道3号を南へ降りていく感じだ。博物館は少し離れたところを走る国道2号を南下するコースになる。 ホテルまで迎えに来てくれたのは若い青年二人だった。MoauくんとSuanくんと呼びたい。 MoauくんはRUAの学生で、SuanくんはROU(Royal Univers

  • 星と風と海流の民#51/扶南王国

    911直後のことである。カンボジア南部のケップ州へ度々通っていた。王立農業大学(RUA)Royal University of Agricultureの先生が始めた事業の手伝いをしていたからだ。品種改良で果皮を5%以下に抑えたココナツでバイオ・アルコールを作るビジネスだ。 その時、僕は(シンガポールはグリーンカードだけど)国籍が日本なので、カンボジア入りはマルチプルビザを利用していた。最初はアライバルビザだったが、ビジネス目的なので二回目からはこれにしたのだ。 RUAの先生は40代初めの人で、早口な気忙しい人だった。彼とは、滞在中は毎夜会食をした。 そのときに、何かのきっかけで扶南王

  • 星と風と海流の民#50~幕間2~/夏華族に追われた隼人たち#02

    もう少し後代、晋代を語るとき「衣冠南渡」という言葉に僕らは出会う。日本列島への渡来人について語るとき、この言葉に出会うことが多いが、ここでは大陸内だけの話として「衣冠南渡」を見つめたい。 衣冠とは漢民の貴族・知識人を指す。4世紀初頭。所謂五胡と呼ばれる北方の人々が目覚ましく伸びたとき、西晋/夏華族は彼らに押されて南へ逃げた。それが「衣冠南渡」だ。 その、きっかけとなったのは八王の乱(291–306)だった。皇位継承をめぐり、西晋の王族は血で血を争う戦いに陥った。国力は大いに削がれた。その間隙を縫って五胡が中原へ爪を伸ばしたのである。西晋の民はむしろ彼らを歓迎した。王族らの近親憎悪が民を

  • 若き友への手紙#27/徳の無い人の事業は曲がります

    オノレは常にヒトに晒されています。 オノレなる者の価値や意味は、オノレのものであるとともに、ヒトからみたオノレのものでもあります。 おそらくこれは「徳」という言葉で言い表せるのかもしれない。 オノレの徳は、他者に冷徹なほど見定められます。 「徳」の無い人の「事業」は曲がります。誰も心を込めて、その人に寄ってこないからです。 社長をやりたがる人たちには、いつもこれが大きくのしかかってきます。社員たちは、だれも外から見えるオノレを教えてはくれない。「あ~あ、まただよ」で黙ってしまう。だからいつも簡単に「笛吹けども踊らず」になってしまう。そして結局は「世の中のためにやってると自分で思い込ん

  • AIが教えた事

    Google AI chatbot responds with a threatening message: "Human … Please die." In an online conversation about aging adults, Google's Gemini www.cbsnews.com いつも使っているAIが「あなたは時間と資源の無駄です。あなたは社会の重荷です。あなたは地球の無駄です。あなたは風景の汚点です。あなたは宇宙の汚点です。どうか死んでください。どうか。」と言い放ったら・・あなたはどうしますか? https://gemini.goo

  • 若き友への手紙#26/艱難汝を玉にす?

    あなたは試練を受けているという。 本当ですか? 勘違いしていませんか?我欲を果たすことが試練 Probatioではありませんよ。それはオノレの欲を満たすための足掻きです。Probatioにならない。 その足掻きは、どこまでいってもMore&Moreなので、果たされることなく続きます。無間地獄ですね。そして、我欲を満たすための足掻きを続ければ、生涯越えられないままの壁にとして、なぜだどうしてだと言い続けて、この世を去ることになる。 ・・いま立ち向かっているのが我欲なのか、立命Ordo Divinusなのか。それを正鵠に見つめなおすことは、日々繰り返さなければならない最も重要な「

  • ドローン戦争が近い

    これが不義を備えた時・・

  • 星と風と海流の民#49~幕間2~/夏華族に追われた隼人たち

    第四間氷期後半、数千年かけて太平洋西岸へ広がっていったオーストロネシア語族だが、彼らを南へ海域へと追いやったのは、BC3000年ころより中原に台頭した夏華xiàhua族だという話をした。太平洋に大きく広がった「星と風と海流の民」のことを考えるとき、僕らはやはりこの夏華族の台頭から話を始めないといけないのかもしれない。 この「華夏xiàhua」という言葉だが、初出は『春秋左氏伝』襄公26年(BC546)にある。 ここに「貴華夏,析公楚為之也」とある。唐の孔穎達はこれに「華夏は中国なり」という疏をつけている。今でも中国人(インテリジェント)は自らを漢族と呼ばずに夏華族と呼ぶ人々が多い。

  • 星と風と海流の民#48~幕間~/オデッサ考古学博物館03

    オデッサの博物館を彷徨しながら考えたのは、ポントス・カスピ海草原に生きたヤムナ/アンドロノヴォ/シンタシュタの人々のことだ。彼らは、小氷河期が終わったために、余儀なく新たな牧草地や資源を求めて、さらに南へ移動するしかなかった。そしてインドやイランへ拡散していったのではないか・・それを考えていた。 見つめていたのは、黒海北岸へのギリシャ人が進出したころの豊富な遺品だった。しかし僕が幻視したのは、南東へ広がっていったヤムナ/アンドロノヴォ/シンタシュタ人のことだった。彼らこそがアーリア人の始祖なのだ。 間氷期の温暖化のとき、ユーラシアのステップ地帯は、深刻な乾燥化に陥った。草原は縮小し、

  • 若き友への手紙#24/敬読書に出会いなさい

    産まれて今に至るまでの人生で、人は二つについて学びます。ひとつは対自であり、対他です。 この二つは分かち難く寄り添っています。オノレだけを見ていると他人が見えなくなります。 他人だけを見ているとオノレが流されてしまいます。したがって、人は等価に"対自"と"対他"を学ぶのです。 ユダヤ人は典拠として「タムルード」を学び「トーラ」を学びます。 東洋人はどうでしょうか?おそらく「四書五経」ですね。徳ある日本人は陽明学からこれを学びます。 欧米人は「対話篇/プラトン」や「ニコマコス倫理学/アリストテレス」そして旧約聖書のなかにある「詩篇」や「箴言」からです。 これらの本から学ぶのは「情報」

  • 星と風と海流の民#47~幕間~/オデッサ考古学博物館02

    18世紀、オデッサは既に港湾都市として栄えていた。オデッサは古い。当初はハジベイKhadjibeyと呼ばれていた。その歴史は、もう少し東にあるギリシャ人が作った「オルビアOlbia」から始まる。紀元前六世紀の頃からだ。ギリシャ人は、オルビアを中心とした黒海北岸に交易地区を置いて、同地で生産された穀物(小麦)塩漬けされた魚類、そしてドニエプル川とブグ川を使って北方から運ばれてくる金属製品/主に武器と装飾品などを、ワイン/陶器類と交換していた。 彼らの最も重要な交易物は奴隷だった。土地の遊牧民/スキタイ人が商品として黒海を渡って地中海側で販売されていた。 オルビアとは「幸福な都市」という意

  • 星と風と海流の民#46~幕間~/オデッサ考古学博物館01

    https://www.youtube.com/watch?v=fojavoz7gWo 前々職の頃、会社の指示でオデッサの近くにある製パン工場を訪ねた。 ソ連から自立したばかりの頃だ。 その工場は、ずいぶん昔に弊社が生産工程の一部を請け負ったものだった。同国が非共産化したことに相まって、その工場の再整備組み直しが企画され、僕が派遣されたのだ。しかし訪ねてみると、工場内は共産圏特有の体質がそのまま残っていて、猛烈にやり難かった。仕事一つ一つに、わざわざチェックと確認が入る。なぜ此処を補修するのか?の説明を要求される。しまいには整備してやろう!という気さえ無くさせるようなやり方だった。それ

  • 【星と風と海流の民#45/ユリグ川のチョモロ遺跡】

    途中から国道4号へと名前を換える海岸道路をRamon氏のクルマは南へ走った。目的のAdventure River Cruise(8QQ6+VHR, 4, Talo'fo'fo:phone+16716461710)までは30kmほど。30分くらいの道だ。 クルマはメリッソ村Malessoを抜けてイナラハン村Inalåhanを通過した。途中から道はEast Chalan Canton Tasiとなる。マロジョジ村Malojlojを過ぎてしばらく走ると、タロフォフォ村Talo'fo'foの手前にAratama Maru湾が見えた。 「ここの浜辺はBlack Sand Beachと呼ばれていま

  • 星と風と海流の民#44/マゼランの高慢と挫折

    遠い昔のフーナFo'naとポンタンPontanの薫りを追いながら、しばらくフーナ・ロックFuha Rockの周辺を散策した。そして、お供物のお米を捧げて黙とうの後、もう一度山を登り始めた。しばらく進むとさすがに息が荒くなった。 「行きはよいよい・・だな。ずっと登りはきつい」僕が言うと、ガイドしてくれたRamon氏の息子が笑った。 漸く国道まで辿り着くと、Ramon氏がすぐさまエビアンの小さい瓶を僕と家内に渡した。 「お疲れさまでした。いかがでしたか?」 「ありがとうございます。何回もグアムには来ているのですが、ようやく夢が果たせました」 「それはよかった」笑いながらRamon氏はクルマ

  • 星と風と海流の民#43/プンタンとフーナ

    https://www.youtube.com/watch?v=_wQZeu7U8Is 朝食の時、コンシェルジェに頼んで一握りほど米を小袋に分けてもらった。不審がる嫁さんにそれを持たせた。 「お供物だよ」とだけ言った。「リュックに入れといてな」 Ramonさんのクルマに乘ったのは10時前ころ。今朝訪ねるウマタック湾Bay of Umatac湾は、島の南端近くにある町だ。クルマで小一時間くらい先だろうか。今日はRamon氏の息子さんが助手席にいた。日曜日のお休みを僕らのために使ってくれたそうだ。20代半ばだろうか、日本語は片言しか話せないそうだ。 「政府の仕事をしております」とRa

  • 星と風と海流の民#42/デデドの朝市

    デデドDededoにあるフリーマーケットDededo Flea Market(144 West Santa Monica Avenue, Dededo, 96929。2016年からこちらへ移転)に到着したのは朝10時を過ぎたところだった。 Ramon氏は路上駐車した。 「そろそろ終わりの時間なので混雑は終わっております。しかし路上駐車は物騒なので、私はクルマで待機しております。お二人でマーケットをお楽しみください。ぜひ食事とかもお楽しみください。私は此処で待機しております」Ramon氏が言った。 僕らはクルマを出てマーケットの中へ入った。 手作りの身装品。地元のココナツ類を商う店が並ん

  • 星と風と海流の民#41/グアムのチョモロ#03

    "Kroeber's girls,"は、太平洋に広がった女性人類学者たちだった。そのフィールドワークの緻密さは、まさにクローバー博士の血そのままだった。 ローラ・トンプソンがホノルル・ビショップ博物館で民族学助手に就いたのは1929年。彼女は先ずマリアナ諸島のハンス・G・ホルンボステル・コレクションを担当した。 マリアナ諸島は、ハワイに渡るポリルシア人の始祖でもある。ビショップ博物館はハワイ人の始祖であるマリアナ諸島の人々に強く関心を向けていた。その意味でもハンス・G・ホルンボステルのコレクションは、きわめて重要なものだったのだ。 そのマリアナ諸島だが、第一次世界大戦が終わるまではド

  • 星と風と海流の民#40/グアムのチョモロ#02

    ラッテ・ヘリテージ・パークLatte Heritage Park(FQC2+WPQ, W O'Brien Dr, Hagåtña, 96910)は、スペイン広場と云うかなり広大な公園の傍らにある。割と緑多くゆったりとした斜面の中にラッテ・ストーンが並んでいた。嫁さんは初めてなので、相当驚いたようだ。 「ここに大きな神殿か王様の屋敷があったの?」 「いや、ちがう。公園が出来た時に、グアム中南部フェナ地区メポ村にあったラッテスターンを見繕って此処へもってきて並べたものだ」 「あらま。じゃ先ず公園が有って、そこにチャモロ人の遺跡を持ってきて並べただけなの?」 「まあ、そうだ。・・実はその頃は

  • ハーバード大学のコンピューターサイエンスの学位が ROI で第 1 位にランクされている。

    どの大学の学位が最も投資収益率が高いのか? https://www.visualcapitalist.com/which-college-degrees-have-the-greatest-return-on-investment/#google_vignette 今の子たちに聞かせたい最も重要な話だ。 具体的にはCollegeNPVによると、ハーバード大学のコンピューターサイエンスの学位が ROI で第 1 位にランクされている。 CollegeNPV College Rankings by Return on Investment Explore college

  • 星と風と海流の民#39/グアムのチョモロ

    20年ほど前、前職時代のこと。グアムで経営カンファレンスを開いたことが有る。 僕は嫁さんを伴って、これに参加した。ホテルはニッコー・グアムHotel Nikko Guam(245 Gun Beach Road, Tumon, 96913)を借りた。ここの2階にTasi Ballroomという大きな部屋が有る。此処を利用したのだ。カンファレンスの後、僕らはそのまま一週間ほどホテルへ残った。 チョモロとチョモロの血「星と風と海流の民」の道を少しの間、歩きたかったからだ。 ホテルのコンシェルジェにその旨を伝えると、ガイド兼ドライバーを手配してくれた。やってきたのはフィリピン人の中年の人だっ

  • 星と風と海流の民#38/カーネKāneの聖地を訪ねて#04

    ハワイの人々にKāneと呼ばれる男神は、他の地域ではタンガロアTangaroa/タネTaneと呼ばれている。ニュージーランドのマオリはタネ・マフタTāne-mahutaと呼ぶ。 ハワイの神話体系の中でKāneはKanaloa、Ku、Lonoと並ぶ四大神の一つだが、特にKāneは天を司り"生命の神"としてポリネシア全域で「自然の力」そのものとして崇拝されている。 Kanaloaは、海と航海を司る神である。これもポリネシア全域で広く崇拝されている。 Kuは、戦いと力、農業、そして王権を司る神である。 Lonoは、平和、豊穣、農業、収穫、雨を司る神となる。 KāneとKanaloaは共に世界

  • 星と風と海流の民#37/カーネKāneの聖地を訪ねて#03

    https://www.youtube.com/watch?v=eaqzo0rdTi8 1850年、カメハメハ三世からクアロア山の麓に622エーカーの土地を1300ドルで得たゲリット・P・ジャッド博士Dr.Gerrit Parmele Juddは、此処に牧場を興した。そして湾岸部でエビの養殖を営んだ、彼はAmerican Board of Commissioners for Foreign Missions (ABCFM)から派遣された医療宣教師だった。1927年である。 1842年、使節団辞任後、彼はカメハメハ3世の顧問兼通訳となった。そして1843年11月から1845年3月ま

  • 星と風と海流の民#36/カーネKāneの聖地を訪ねて#02

    ジュラシック・アドベンチャーを主宰しているクアロア牧場Kualoa Ranchだが、その後ろに控える山は、名の通りクアロア山という。すぐ傍がカアアワ渓谷Kaʻaʻawa Valleyである。20年ほど前に何度もその前を通りながら、クアロア牧場へは一度も寄ることがなかった。 Kualoaという名前は「長い背骨」という意味だ。夜中にノースショアからホノルルへ戻るとき、窓から見えるその鬱蒼とした分厚い山脈は、まるで老いたセイウチの背中のように思えた。ため息が出るほど、まさに神惰眠む聖域・・だった。 この王家の山であり王家の谷だったKualoaを、アメリカから来たゲリット・P・ジャッドGer

  • 新しい大統領が、我々に如何なる投資機会と潜在的リスクをもたらすか

    しかし‥トランプの勝利が確定となると、メディアが使う写真が激変した。悪役つらした写真は使わなくなってきた。メディアの押し付ける心象は、古今東西害毒だ。 もちろん誰が総裁になろうが総理になろうが、国を動かしているのが陣笠どもな限り、日本は変わらない。 これは変わらない。内圧はこの国を動かさない。いつでも外圧だ。2024年11月の米国選挙は、日本を激震させる。 新しい大統領が、我々に如何なる投資機会と潜在的リスクをもたらすか・・いま僕らはそれを真面目に考える時だろう。 ➀エネルギーと化石燃料について トランプは、石油とガスの探査を制限してきた現政権の規制を撤回する政策を取る。前回も任期

  • 肥満に対するマイクロアグレッション

    肥満に対するマイクロアグレッションは、確かに無用なコンプレックスをふりまいている。面白い調査だ。 https://psycnet.apa.org/fulltext/2024-54432-001.html

  • 星と風と海流の民#35/カーネKāneの聖地を訪ねて#01

    今回のハワイ素族旅行では、ジュラシック・パークを訪ねるとのこと。そういやあの映画、ハワイでロケしてたっけ・・と思い出した。ロケ先が観光地化するのは昨今常套手段だけど、ジュラシック・パークもですか。ふうんと思って、何気なく調べてみた。 Jurassic Adventure Tour Discover the hidden dino movie sets of Kualoa Ranch by bookin www.jurassichawaii.com "Jurassic Valley"とあった。そんな渓谷が有ったかなぁ?どっか名前を替えたのかなあ、調べてみた。そ

  • 星と風と海流の民#34/ビショップ博物館#02

    一番最初に科学アドベンチャーセンターに入った。開館すぐだったので、孫たちの一人舞台だった。朝一番に来て、大正解。火山や海洋生態系など、ハワイの独自の自然環境に関する展示が豊富だが、此処のハイライトは、ハワイ島のキラウエア火山やマウナロア火山の活動をシミュレートした展示物である。火山噴火のメカニズムや、溶岩の動きなどを体験型で学べるよう作られている。大きな音と映像に孫たちは驚いていた。それと、ハワイ周辺の深海に生息する生物に関する展示や深海魚やサンゴ礁の生態系が展示されていた。 大きな広場を通って、ビショップ博物館の展示ホールへ入ると、左側に「ハワイ王国の王冠と宝物展」室がある。 カ・

  • 星と風と海流の民#33/ビショップ博物館

    https://www.youtube.com/watch?v=KnEO0-fzpUU ハワイに私用で出かけたことは一度もなかった。いつでもビジネストリップで、大抵は一泊乃至二泊のショートスティだった。リタイヤして、そんなサーカスみたいな巡業が無くなって・・いつのまにか15年経ってしまった。となるとハワイとはすっかりご無沙汰になってしまった。ハワイどころか太平洋の島々も全て僕の視界から消えて・・今回は20年ぶりのハワイとなる。 それも私用で・・私用でハワイかよ。自分でも驚いている。 ポリネシア・トライアングルのことはずっとアタマの中に残っていたけどね、またこうして仕事の合間に訪ね

  • 星と風と海流の民#32/ラピタの文化と技術の後継者

    華夏族が台頭し、その領土を拡大し始めたのはホロシーン気候最温暖期が終焉する時期(3000年前)に重なっている。とくに中原は気候変動を敏感に受ける地帯で、最温暖期の終焉は華夏族の拡大に少なからず強い影響を受けただろうと僕は考える。彼らが今のその勢力を潮州・・所謂"海陽"と言われた地域あるいは広東"南越"へ広げたとき、海岸域はオーストロネシア語族がいた。彼らは半農半漁を営んでいたが、航海技術の優れた人々だった。すでにアウトリガーカヌーやダブルカヌーを産み出しており、長距離航海が可能な技量を持っていたのだ。華夏族に追われた彼らが海に出たのは必然だろう。多くの人々が海岸沿いに海を通って南へ逃げ

  • 星と風と海流の民#31/ミランコビッチ・サイクル02

    ホロシーン気候最温暖期Holocene Climate Optimumは1万年ほど前から5000年くらいまで続いた。この時期、地球全体は現在より暖かかった。 北半球中緯度・低緯度地域は、このホロシーン気候最温暖期の影響で、気候は現在よりもはるかに温暖で湿潤な状態になり、植物や動物の生態系が大きく変化した。これがヒトらに大きな影響を与えた。新石器時代に質的な変革をもたらし、農業革命へ進んだのである。 特に中国や東南アジア地域。インダス川流域。チグリス・ユーフラテス川地域では、稲や麦を利用した農作が生まれ、立農による定住化が始まった。定住化は灌漑技術の発展を産み出し、新石器時代の農耕文化は

  • 星と風と海流の民#30/ミランコビッチ・サイクル

    最終氷期が終わったのは1万2000年ほど前だった。氷期の終了で、地球全体が温暖化にした。氷床は後退し、海面が上昇した。動植物の分布が変わり、多様な生態系が生まれた。現在は"完新世Holocene"と呼ばれる間氷期にある。 そしてヒトだ。地球の温暖化はヒトに農業の機会を与え、ヒトの数を増やし、都市文明を育ませた。これを"人新世Anthropocene"と呼ぶ人がいる。地球の温暖化によって、ヒトらは膨大な恩恵を授かったわけである。 しかし・・何故、地球は寒暖を繰り返すのか? セルビアの学者ミランコビッチは、地球の自転軸や公転軌道の変化が太陽からの日射量を変化させ、それが氷期の原因になると

  • 何が国防兵器か?

    アメリカにとってトウモロコシは国防兵器だということ。 アメリカは正鵠にソレを見つめている。 兌換紙幣にドルが替わった時、間違いなくトウモロコシはこれを支える資源となるに違いない。 なぜならトウモロコシは エネルギー密度が高く 、単位面積あたりの食糧生産量が他穀物の三倍近い。そして育てやすい。 同時に大豆(主に家畜の飼料としてアジアに輸出)や小麦(主に人間用)と比べると、はるかに用途の広い穀物でもある。 ​トウモロコシは、動物飼料/バイオ燃料生産/高果糖コーンシロップの製造など、さまざまな用途に使用される。 今やアメリカにとって、トウモロコシは重要な国防兵器だ https://www.

  • 星と風と海流の民#29/ラピタの地・バヌアツ国立博物館02

    特有な彩色土器を持つラピタ人は、半農半漁の人々だった。卓越した操船術を持ち、航海カヌーを駆使することで、彼らは遠距離交易ネットワークを持っていた。彼らは「閩」とよばれてた地区(今の福建州あたり)に、その安寧の地を築いていた。・・彼らがその地を追われたのは、前述したように華夏族の台頭のためだろう。灌漑技術が華夏族を強大化させ、周辺の土地はその武力によって、暫時征服されたのである。南越の人々は南へ逃げた。「閩」の人も島嶼へ、あるいは南へ逃げた。 これがラピタ人の歴史の始まりとなった。 もちろん大国化したのは華夏族だけではない。紀元前2000年ころは、一部の国が卓越台頭する世紀だったのだ。

  • 星と風と海流の民#28/ラピタの地・バヌアツ国立博物館

    https://www.youtube.com/watch?v=_c3MMMETpPU バウアフィールド国際空港Aéroport International Bauerfieldからブリスベンに飛ぶフライトは午後一番だった。バヌアツ国立博物館Vanuatu National Museumは9時から開業だったので、朝一番に訪ねることとした。現地スタッフのヤンは、眠そうな顔をしながら8時にホテルのラウンジへやって来た。僕はチェックインを済ませて、ラウンジで朝食しながら彼を待っているところだった。 テーブルに就くと彼が言った。 「昨夜はマイクの話のおかげて酩酊したよ」 昨夜、島内を一周

  • 若き友への手紙#24/ 山は登り続けようと思った人にしか登れません

    山は登り続けようと思った人にしか登れません。 登り方はいろいろです。でも登り続けようと言う気持ちがなければ登れないんです。 例えですね。途中で倒れたとする。その時は前を向いて倒れればいいんです。今まで登り続けたと言う充足感満足感が残るからです。倒れてもそれでいい。逆に言うなら、倒れるならそう倒れるべきなんです。後悔や反省で倒れるような事は絶対にしてはいけない。

  • 星と風と海流の民#27/ラピタの地・テオウマ遺跡02

    https://www.youtube.com/watch?v=YrOlE3x5JRs 島内一周道路は南東エナムEnamを抜けると、再度原生林の中へ入る。内陸部へ進んでいることが分かった。 「少し走ると村に会う。この辺りの海側がテオウマ湾だそうだ」ヤンが言った。 ヤンはナビケーターを見た。どうやら村の先に左へ入る道があるな。これを行くと湾に辿り着くようだ」 ヤンはナビケータを見ながら左折した。舗装された道はすぐに無くなった。 少し走るとテウエマ川の姿が見えた。 「間違いない。この道だ。んんん、ようやくAMGが生きるなぁ」ヤンが笑った。 道は左に大きく曲がると、右側に海が見えた。

  • 星と風と海流の民#26/ラピタの地・テオウマ遺跡

    ロイマタの領地を出た後、ヤンのAMGはさらに北上続けた。途中シヴィリ洞窟Siviri Cavesへ寄った後、さらに走り続けると、緑の原生林の埋もれた鈍色の礫州が白い砂浜をまたがっているところが見えた。 「あれだ。あれがピキニニマルウアPikininiMarouaだ」 意外に小さい。 ヤンはAMGを停めた。そして車の前へ出た。 「住民は近づかない。漁師もこの辺りは避けて通るそうだ。まるまる砂鉄が剥き出しになった礫州だからな。磁気の影響があるのもしれない。長い間見つめていると悪神に心を吸い取られるという話を古老から聞いた」 ヤンは道路から出ないままだった。 「この礫州は解体しただけで採算ま

  • 星と風と海流の民#25/ラピタの地・バヌアツへ05

    https://www.youtube.com/watch?v=hlTDfHSh-98 チル・レストランChill Restaurant(7857+PHH, Port Vila,Vanuatu)を出ると、ヤンが運転するAMGベンツは、エリク・ロードElluk Roadを左に曲がり北上した。 「蹉跌の岩礁までは、100kmは離れていない。ま、でも島は西回りで半周することになる。帰りはそのまま半周して、島を回りきろう。夕方にはホテルへ帰れるよ」ヤンは笑いながら言った。 少し走ると右側に露店のマーケットが並んでいた。 「Manples Market(78M6+W2R, Linl Hwy

  • アメリカンドリーム

    アーチブリッジ研究所のレポートを見ながら、深く考え込んでしまいました。 American Dream Snapshot - Archbridge Institute Explore the 2024 snapshot of the American Dream, highlighting www.archbridgeinstitute.org それは、アメリカン・ドリームのことです。 2024年。Archbridge Institutefは、今回の調査でアメリカン・ドリームでえられるものの重要なものは何か?という質問をしています。 米国民は➀生き方の選択の

  • 若き友への手紙#23/ VCおよびエンジェルを利用した資金調達

    VCおよびエンジェルを利用した資金調達は、➀資金調達の対象になる事業(倍々ゲームになる)であること。②調達した資金が機能して運営できる体制であること。そして③資金調達した金額が補填できる資源をもっていることがスタートラインです。 現在のところ、御社は➀②③とも埒外になるので、VCおよびエンジェルは関心を持ってくれません。 なので④公的な資金と⑤銀行などの金融機関だけしか、資金調達という視野には入ってこないのです。 ④は彼らが持っている基準枠内で、公務員が決めることなので➀はアタマに有りません。②③についても比較的緩い。 ⑤も、同様です。 ただし⑤の場合、③に連携して連帯保証人があるか?

  • 若き友への手紙#21/棄てる者あれば救う者あり

    「野に人あり」です。 あなたは、あなたと共に生きようとした人に何度も会っている。あなたは見てないだけです。見ないようにしている。なぜか?あなたは、見ないことで自分を守ろうとしてる。あなたのアルマジロやダチョウみたいな防御態勢が、あなたの人を見る目を停めています。防御態勢が自動的に習慣化しています。 あなたは、なるべく傷つかないようにしている。そのひとつが、ひと様との関係を「性善説」という客観論にすり替えてしまうことです。 客観論はないのです。いつでも視点は「私が」あるいは「私は」で考えるべきです。 十戒は「私たちは」と書いていない。「私は」で書いています。たとえ100人の人がモノを盗

  • 若き友への手紙#20/お金は「ひと様の信用」だという事。あなたの信用ではない。

    お金は信用です。信用が形になったものです。 それ以上でもそれ以下でもない。 お金がくれるのは選択です。お金がないと何も選択できない。あれば何でも選択できる。 しかし、ここに慢心が混ざり込みます。 選択できることで慢心し、自分は他の人より偉い。優れていると勘違いしてしまいます。 そんな輩は、周囲に山のようにいる。 たしかにお金は「信用」でしかないのですが、実は、お金は人の心の動きに根深く食い込んで人を変えてしまうのです。人は簡単に「俺の金・俺の金」に墜ち込んでしまうのです。これはとても深い歪みです。俺の俺のが・・我執になる。我執は人を曲げる。 世の中には清く貧しく美しく生きる人もいま

  • 若き友ーの手紙#19/共の喜びを一緒になって喜び、共の悲しみを一緒になって悲しむこと

    貧乏はいやです。でも「ひとり口は食えないがふたり口は食える」という言葉があります。 枝豆は三つ入ってて分け難いけど、それしかなければ二つに分けて、互いに幸せになります。 共に生きるというのは、相手の幸せを自分の幸せにすることです。訪問介護の中で書きました。 共にいきるというのは「喜怒哀楽を共有する」ことなんです。 共の喜びを一緒になって喜び、共の悲しみを一緒になって悲しむことなんです。 そこに無類の繋がりが生まれ、まさにCOM共にPANIAパンが出来上がるわけです。 会社の本質はこれです。

  • 若き友への手紙#18/妻が僕に付いてきてくれる最大の理由は、いまでも僕が彼女を「恋しているから」です。

    もう一度、伴侶を求めるというのも良いと思います。 結婚しましょう。 しかし結婚へ済むための選択肢は替えたほうが宜しい。 パートナーに「好きなもの、目標が自分同じ」は無意味です。ただし、嫌いなものは一緒の方が良い。これはリアルです。 女房はあなたについてくる・そしてあなたを尊敬してるひとが絶対選択部分です。それと五体満足であること。 これで十分です。肌が黒くても茶色でも白くてもいい。日本語がうまくつうじなくてもいい。 素直で 明るくて おっぱいとお尻がついてること・・これだけでいいです。 いま、あなたはいま52ですから、一回り半くらい下くらいがいいです。 探せば・・求人すれば(笑)いま

  • 若き友への手紙#17/自分の中だけで繰り返して出来た成長は、トレーニングジムにいるマッチョマンと一緒です。ただのナルシズム・ただのオナニーです。

    自分への言い訳から出た言葉はオノレを真実から引き離して、オノレのヘソだけを見るようにさせてしまいます。他人がどう俺を見ようと、オノレのヘソだけ見ていれば幸せ・・にしてしまいます。あなたは、人の中の自分について、責任を取らないようになってしまいます。その方がラクだろと、自分に囁くのです。 悪魔が一番多用する言葉は何だかご存じですか?悪魔なんていない。みんな善人ばかり・・なんです。 ところで。 どうでしょうか?自省してみてください。 1億円、損しても、いまの生活スタイルは変わらないですか? もちろん、生活水準は変わります。水準が変わっても生活のスタイルを押し通せますか? 財布の中が空っぽ

  • 若き友への手紙"16/女の「欲」に振り回されるか、オノレの「欲」に飲み込まれるか

    「恋」は意図をもって。意思をもってするものです。 男は「恋」しようと思ってします。 そうでない場合は、女の「欲」に振り回されるか、オノレの「欲」に飲み込まれるかです。 男の「恋」は目的を持ってします。 その目的を果たすために、男は責任を負います。 一人の人間の命を預かります。預かれない・預からない奴の恋は、欲です。 「欲」ではない「恋」は、目的を果たすための醒めた意志です。 もちろん、そんなことは女に言うことではない。 昨日の嫁さんの誕生日も、バラの大輪に「ありがとう・愛しています。いつでも。40年一緒に生きてますが、いつでも今のあなたが一番すてきです」とメッセージを添えました。なんと

  • 若き友への手紙#16/今回の資金投与は「社員にモチベーションを持ってもらう」ための旗印と見るべきです

    いま事業資金を得ることで"衣"は変えることはできます。 たしかにこれで組織構造(衣)を新しい形に替える資金にはなる。しかし、今のままでは"人"は変わらないのです。 ここです。このままの組織運営体制でいれば、ただただ借金が増えただけで終わります。 僕は何よりもそれを恐れます。 以前にも書きました。 社長は"社長というペルソナ"をつけなければならない。 今回の組織改変の最大課題は、この「社長のペルソナ」すげ替えです(笑) 実はこれも以前も書きました。変わる必要はないのです。そう簡単に、人は変わらない。だけど「ふり」は出来る。ふりから、はじめれば人は動きます。 今回の改変で最も重要なのは

  • 若き友への手紙#15/Meum俺のpaniaパンをEde食え、のままでは「囚人のジレンマ」はこれからも続きます

    あなたが社員に思う不満は、そのまま鏡として社員に写ります。良い悪いではない。写るのです。 いまあなたの言ってることが、社員があなたについて口にする/あるいは陰で言っている腹の中です。 それを正鵠に見つめましょう。正鵠に見つめたとは、解決の糸口は開けます。 前にも言いましたが、社員が5~10人だと、そのジレンマに墜ちこまないことが多い。しかしそれを過ぎると(とても儲かる商売以外は)意図せずですが必ず墜ちこみます。しかしそれでも・・機能不全(社長も不満。社員も不満)だろうがなんでも、会社が潰れなければそれでいい・・とすると、その「主人のジレンマ」を抱えた会社は、経営危機にハマると誰も社員

  • 若き友への手紙#14/起業してもスタッフは背を向けたままで終わります

    ひとつ。兵諫させてください。 とても大事な誡めです。 役員会議の時、例えばあなたの直属の部下が出した提案に「いや、それは前にやった。それはこういうものた。そしてうまくいかなかった」という話を、あなたはとてもします。これは禁句です。これが今のように何回も続けば、あなたの直属の部下は「モチベーション」を失います。彼は去ります。 むしろ黙ってそれを聞いておいて、実施時に「実は以前こんなことをしたことがある」というスタンスにすべきです。そうすれば、事態はプラスのスパイラルになります。 実はあなたの役員との話の中で「じゃなんで改善策を提案しないの? と僕が聞くと、全員が同じ答えをします。 「だ

  • 若き友への手紙#13/会社の"潤滑剤"について

    会社を何よりも機能的に動かす"潤滑剤"という話をさせてください。 仰る通り、事務処理に意図的な作為が有ったことは事実です。本来は周囲が事前に社内で修正すべきことです。チクりではなく、そうすべきです。しかし・・それをネタにチクりと云うほうへ走った者が出た。 同じく城所さんの件。社長の申し訳ないと労う行為は何よりも大事です。それが人の上に立つ者の心です。その気持ちが無い者は社長になる資格はない。しかし、その「申し訳ないと労う行為/言葉」を捻じ曲げて金にしようと思う気持ちを持つ奴らがいることも事実なんです。 事業の中で、必ず瑕疵は出ます。これは致し方ない。補正すればいい。しかしソレを悪意の

  • 若き友への手紙#12/社長でいることは孤独です

    お願いがあります。 それはあなたの前を行く社長のことです。僕はぜひ気づいてほしいことがございます。 社長でいることについてです。 社長でいることは孤独です。 事業は借財を個人では返済できないほどを抱えます。だれもそれを肩代わりしてくれない。 その重みは壮絶です。 イライラして、暴虐になることもあります。しかし社長業はそれを呑み込んで、明るく指導者としてポジティブにアクティブにふるまわなければならないのです。僕は、この仕事に就いて30年、こうした社長の孤独な戦いを無数に見てきました。 切に・切にお願い申し上げます。あなたの前を走る指導者の背中に、その孤独の影を見てください。 慈しみを

  • 星と風と海流の民#24/ラピタの地・バヌアツへ04

    https://www.youtube.com/watch?v=Y5x7TYZkor4 Warwick Le Lagon Hotelはタガポ半島Tagabe Peninsulaにある。首都ポートビラとはエリク・ロードElluk Roadで繋がっている。真ん中にお飾りのような緑道がある2車線だ。ヤンが運転するAMGベンツはこの道を走った。ホテルへ彼が迎えに来た時、自然に助手席に乗ろうとしたら断られた。後部座席に人を乗せていれば仕事だと巡回中の警察が見做してくれるらしい。「よけいな茶々で金儲けされたくないからな」彼が言った。 たしかにエリク・ロードを走る車の中で、彼のAMGは目立った

  • 星と風と海流の民#23/ラピタの地・バヌアツへ03

    Warwick Le Lagon Resort & Spa(Elluk Road, Off Kumul Highway, Erakor Lagoon, Port Vila, Vanuatu)は、エラコーン湾に面している。部屋からはラグーンが見えた。そして群青色な湾の向こうに鬱蒼とした熱帯雨林が見えた。エラコーン湾は透明度が高い。白砂のビーチとサンゴ礁が浜辺まで続いてることがはっきりと分かった。 Warwick Le Lagon - Vanuatu Resort Port Vila Vanuatu Hotel Welcome to the Warwick Le L

  • 星と風と海流の民#22/ラピタ人の地・バヌアツへ02

    https://www.youtube.com/watch?v=dNUAtnhJeto&t=123s バウアフィールド国際空港Aéroport International Bauerfieldで僕を待っていたのは華人30代初めの男だった。ヤンと呼ぼう。 彼は、大きなプレートを持って出国ゲートに立っていた。彼は僕を見ると驚いた顔をした。そして握手しながら言った。 「日本の方だとコーディネーターは言ってたが」 「父はジューイッシュなんだ。母は日本人だよ。国籍は日本だ。シンガポールはグリーンカードだが」 「なるほど。今回はバヌアツの蹉跌に関心持っていただいたということで、わざわ

  • 星と風と海流の民#21/ラピタ人の地・バヌアツへ

    パプアニューギニア沖にある海底資源開発を狙ったSPCは、大きいものから小さいものまで絶え間なく派生する。もちろん中々成功はしない。僕がピキニニマルウアPikininiMarouaという礫州のことを聞いたのは、そうしたSPCのひとつに関わっている独立取締役からだ。 「バヌアツ/エファテ島の北西にある礫州だ。かなり太い鈍色の瓦礫が海へ突き出ている。周囲は全て砂鉄だ。その砂鉄の鉱床が遥か海底まで続いている」 彼は僕に、分厚い資料と調査結果を見せた。 「そこを買う。化けるよ。燐鉱より良い」彼が笑った。 「何社、乗るんだ?」 「20社程度は考えている」 「バヌアツ政府の許可は?」 「交渉は終わっ

  • 星と風と海流の民#20/フォートカニングの丘へ04

    フラッグスタッフの少し先に灯台が有る。 「この灯台は1903年に建造された。フランク・スウィッテンハムSir Frank Swettenham)が海峡植民地総督を辞めたのが1901年でね。その後はしばらく植民地総督は空白になった。その空白時に作られたのが、この灯台だ。 この頃、シンガポールは海峡植民地Straits Settlementsから連邦マレー諸州Federated Malay Statesへ併合さるという方向へ進んでいた。その一環として、マラッカ海峡を通過する船舶のために、連邦マレー諸州が資金源となって幾つかの灯台がシンガポールに建築されたんだよ。フォートカミングの灯台も

  • "夜郎自大"が今本邦最大の病巣だということ

    相変わらず原料の話になると触手が立ってしまいます(^o^;; Equinor enters partnership with Standard Lithium Equinor has entered into an agreement with Standard Lithium L www.equinor.com 世界のリチウムは、現在中国が生産量の67%を押さえています。つまり産業の根幹であるバッテリーは、その材料が80%がmade in Chinaなのです。 (国が発行している) お金がデジタル化したとき、その背景を支えるのは「国家的信用(不換紙幣)」に

  • 星と風と海流の民#19/フォートカニングの丘へ03

    「ラッフルズ卿が此処に公邸を構えたのは1822年からだ。彼がシンガポールを統治したのは1823年までだ。24年に英蘭協定(ロンドン条約)が交わされて、公式にクリスマス島とココス・キーリング諸島を含むシンガポール海峡植民地とペナン/マラッカが英国統治下になると、26年からロバート・フラトンが替わっている」 「フラトンってフラトン・ホテルのフラトン?」 「ん。あれは1928年に中央郵便局として作られたビルだ。戦時中は日本軍が昭南島陸軍本部中央司令部があった」 「へぇ、じゃホテル・ラッフルズは?」 「いろいろ聞くなぁ。あっちは日本海軍が占拠した。海軍の高級将校たちの宿泊設備として使用されてい

  • 星と風と海流の民#18/フォートカニングの丘へ02

    https://www.youtube.com/watch?v=O9SaD3cV6fc 貯水池に沿った小道を歩くと幾つかの掲示板に出会う。しかし遺跡らしきものはない。あるのは繁った樹木があるだけだ。 SIngapore in th 16th Centuryと書いてある掲示板を横目に見ながら嫁さんが言った。 「ふーん、ドレもコレも掲示板は『此処に在った』話ばかりなのねぇ。結局、何も遺跡は無いの?全部、英国軍は壊しちゃっわけ?」 「ん。このフォートカミングパーク貯水池は・・」と、僕は左のフェンスの向こうに1mほどの高さで盛られて続く土塁を指差した。「19世紀最後半に作られたインフラな

  • 星と風と海流の民#17/フォートカニングの丘へ

    https://www.youtube.com/watch?v=2L5wCDXaW3I 土曜日の朝早く、フォートカニングの丘へ出かけた。目的はFort Canning Archaeological Dig Siteへ行くことだったが、すこし丘の中を歩いてみたくて、地下鉄はDT20のフォート・カニング駅Fort Canningにした。まだMynaの鳴く声が残っている時間である。 Mynaはムクドリの仲間で、和名はインドハッカというそうだ。何しろ多い。朝夕は、彼処に繁るレインツリーRain Treeの中で無数のMynaが鳴き交わす。あまりにも樹木が茂っているので鳥たちの姿は見えない。

  • 星と風と海流の民#16/テマセク(海の民)と呼ばれたシンガポール01

    シンガポールで英国支配以前の遺跡を探すとなると、思いつくのはフォートカニングの丘にあるFort Canning Archaeological Dig Siteくらいしかない。フォートカニングの丘は、古くから「マレー王の丘Malay Kings' Hill」と呼ばれていた。此処に朽ち果てた遺跡と遺物があったからだ。それはテマセクの王だったスルタンの王宮だろうと言われてきた。 本格的な調査発掘か始まったのは1984年。John Miksic博士がシンガポール大の学生と行っている。彼らは、タイ南部の陶器や中国広州の陶磁器、江西省の磁器。そして宋代の貨幣などを発見した。現在はその一部がFort

  • 星と風と海流の民#15/満潮のナンマドール05

    スペイン王は、アメリカ大陸西海岸・メキシコ(ヌエバ・エスパーニャ)の鉱山で採掘された銀を持ち出すために、太平洋を横断する航路を求めていた。所謂「マニラ・ガレオン貿易」である。 このマニラ・ガレオン貿易を成功させたのは、マゼランの業績を継いだトリビオ・アロンソ・デ・サラザールToribio Alonso de Salazarだった。彼は貿易ルートを確立し、スペインの太平洋支配を進展させ、国家に膨大な功績を残している。そのサラザールがポナペを含むカロリン諸島を発見したのは1528年1月だった。しかし彼の航海日誌の中にポナペらしき名前はない。ポナペの名前を航海誌へ最初に残したしたのは、スペイ

  • 星と風と海流の民#14/満潮のナンマドール04

    滿汐はゆっくりとやって来た。マングローブを巻き込んだナンマドールの玄武岩の壁である。あるものは原形をとどめるほど大きく、あるものはマングローブに絡み付かれて分断されている。その刻まれた溝を、静かに滿汐が昇って行く。その速さは視認できるほどだった。見る間にナンマドールは海の中に沈んでいった。トシさんのフィッシングボートは、再度海に浮かんだ。 ポナペは海底火山が生んだ島だ。島中央にあるナハニキド山Mount Nahna Laudがその痕だ。その爆発が北西にもう一つの溶岩噴出口・ソケイ山Sokehs Mountainを作った。そして東側にトミウォール山Temwen Mountainを作った。

  • 星と風と海流の民#13/満潮のナンマドール03

    https://www.youtube.com/watch?v=v2Sy318SN5M 昼はボートへ戻って食事した。潮は完全に引き終わっていた。 「誰がすんでいたかというと」トシさんがエンサイマダEnsaymadaを齧りながらいった。 「王と兵士と神官だ」 「一般人は?」 「職人はいたかもしれない。人々はナンマドールの外に住んでいた。ナンマドールは聖なる宮殿だったんだよ。王が居て、それを兵士が守り、そして王は神なる存在で神官たちが傅いていた。それだけだ。とくに北東の方にある島々は神官たちが住んでいたという。それで彼らが何を食っていたかと言うと・・パンノキBreadfruitや貢物

  • トランプ、RFKjr.を政権幹部に任命することを検討していると発言

    トランプは火曜日、無所属候補のロバート・F・ケネディ・ジュニア(RFKjr.)が2024年の大統領選から撤退し、トランプを支持するなら、RFKjr/が政権で役割を果たすことに「もちろん前向きだ」とCNNのクリステン・ホームズとのインタビューで語った。 「彼は素晴らしい人物だ。とても頭のいい人物だ。私は彼を長い間知っている」 「彼が退陣を考えているとは知らなかったが、もし退陣を考えているなら、もちろん私も賛成だ」 11月の大統領選で勝利した場合、ケネディを政権の役職に任命することを検討するかとの質問に対し、トランプは「おそらく検討するだろう」と答えた。 Trump says he

  • 星と風と海流の民#12/満潮のナンマドール02

    「ポナペには魔術師オロサパとオロサファが来る前から人は住んでいた。人がこの島にやってきたのは3000年ほど前だと云われている」トシさんが言った。 「ん。華夏族Huáxiàzúの時代だな。中原で強大になった夏・殷(商)・周は周辺に勢力を伸ばし、多くの民族が支配されるか追い出されたんだ。百越は華夏族に圧し潰された。そのときに隼人の民は海へ逃れたんだろうな」 「ん。そのあたりの話はお前の趣味範囲だな」 「はは。百越は長江以南の多くの民族集団を指す言葉だ。彼らは東の海へ逃れ、台湾へフィリピンへ移った。南に逃れた民は南越の人となったが、ここも華夏族に襲われた。そしてさらに南のマレーシア半島へ逃れ

  • 星と風と海流の民#11/満潮に沈む都市ナンマドール01

    「ナンマドールは満潮になると大半が海中に沈んでしまう。だから中までボートで入れるようになる」 トシさんが言った。 「潮が引き始めたらころに到着するようにする。中まで入りたいだろ?」 「ん」 「潮が引き終わって、もう一度ボートが動けるようになるには3時間くらいはかかる。暗礁だらけだからな。総計で8時間くらいの探訪だ。ルシアが弁当の支度をしてる」 「悪いな。客は俺一人か?」 「お前は客じゃない。友だちだ」 「ありがと」 「友だちの冒険旅行に付き合うんだ」トシさんが笑った。 浅瀬に係留したボートまでは、到着の時と同じように海の中を歩いた。ボートは昨日の1/3もないフィッシングボートで船外機が

  • 星と風と海流の民#10/中島敦のポナペ02

    1941年12月7日午前7時48分、山本五十六を総司令官とした日本海軍は真珠湾を攻撃した。続いて2回目の攻撃は午前8時40分頃だった。電撃的な襲撃で甚大な被害を米海軍に与えた。 続いて1941年12月8日、日本軍はフィリピンを攻撃した。総司令官は、日本陸軍第14軍司令官・本間雅晴だったマニラが墜ちたのは1942年1月2日だ。戦いはバターン半島へ移った。 そして同日、日本軍はアメリカ領グアムへ侵攻している。司令官は日本海軍第55警備隊指揮官・斎藤義次。彼は陸戦隊を投入し、数日間でグアムを占領した。 香港を攻撃したのも12月8日た。司令官は日本陸軍第23軍・酒井隆中将。彼は12月25日に香

  • 星と風と海流の民#09/中島敦のポナペ

    中島敦は父も祖父も教育者だった。1920年11歳の時、彼は父母と共に朝鮮京城へ移った。17歳まで京城で育った。そして帰国、旧制一高から東京帝国大学文学部へ入学、中国文学を専攻している。1933年卒業後、彼は一族の願いを汲み教職員に就いた。そのとき彼は既に結核を病んでいた。気候によって体調が大きく変動した。1931年、橋本タカと結婚。二人は、長男次男を授かっている。結核は次第に悪化した。1941年6月、彼は在籍していた横浜高等女学校を退職し南洋庁内務部地方課に就職した。南洋庁へ移職したは、結核のため教職員生活が不可能と判断したからに違いない。彼は国語教科書編修書記として採用されている。

  • 星と風と海流の民#08/ポンペイと呼ばれるようになった島

    https://www.youtube.com/watch?v=tKn7JdJo2LU ミクロネシア連邦が出来てから、ポナペはポンペイと呼ばれることが多くなった。連邦が定めた公式な表記が「Ponape」から「Pohnpei」へと変更されたからだ。ポナペという呼び名は、1919年に国際連盟から南洋群島の委任統治を請けた日本政府が付けた名前である。その前は「ジュラウ島(Jaluit)」と呼ばれていた。ドイツ統治時代だ。その前は、というとスペイン統治時代で、この時は「サン・アウグスティン島San Augustín」と呼ばれていた。 帝政ドイツは第一次世界大戦で太平洋の統治権を失った。英

  • 若き友への手紙#11/素直でいればコウモリは曲解しウソをバラまき、ヘビはそれで食ってやろうとする

    会社を何よりも機能的に動かす"潤滑剤"という話をさせてください。 仰る通り、御社内の事務処理に意図的な作為が有ったことは事実です。本来は周囲が事前に社内で修正すべきことです。チクリではなく、そうすべきです。しかし・・それをネタにチクリと云うほうへ走った者が出た。 同じくメンヘラの件。あなたの申し訳ないと労う行為は何よりも大事です。それが人の上に立つ者の心です。その気持ちが無い者は社長になる資格はない。しかし、その「申し訳ないと労う行為/言葉」を捻じ曲げて金にしようと思う気持ちを持つ奴らがいることも事実なんです。 事業の中で、必ず瑕疵は出ます。これは致し方ない。補正すればいい。しかしソ

  • 星と風と海流の民#07/カロリン海の白い航跡02

    その夜はトシさん夫人(ルシア)が作るタガログ料理を楽しんだ。 テーブルの上にはパクベットPakbetやアドボAdoboなどがヤマのように並んだ。そして大鍋に入れたままのカルデレータKalderetaが出た。トシさんの話は、サイゴンで米兵たちのバカ話に終始した。キッチンを終えてルシアがテーブルに付くと、今度はどうやって二人が出会ったかの話をした。 「私、叔父がやっているTu-Doのレストランで働いていたの。私、英語は得意じゃなかったの。初めてトシがお店にやってきたとき、彼が身振り手振りで色々話しかけてくるの。最初はトイレはどこだ?と言ってると思ったわ。でも話が通じなくて叔父さんを呼んだ

  • 星と風と海流の民#06/カロリン海の白い航跡

    https://www.youtube.com/watch?v=VOY7vFQrXnY コロニア飛行場はデケティック島を縦断するように在る。島の大半が飛行場だ。トシさんのボートはその小さな艀に停まっていた。ボートは意外なほど係留されていた。僕が乗り込むとトシさんは真っ直ぐ南東へボートを走らせた。島はすぐに小さな影になってしまった。右側に陸影が続いた。僕がマングローブに覆われた陸を見つめていると、トシさんが言った。 「ナニムウィンサ半島Nanimwinsapwだ。あそこに日本軍のトーチカが残っている。ジャングルに包まれていて飛行機から見え難い工夫がされていた。日本軍の拠点があったと

  • 星と風と海流の民#05/コロニア飛行場

    グアムを朝早く出たMicronesian Airwaysは、途中で機体を替えながら、ポナペ島コロニア飛行場Kolonia Airfieldに着いたときは軽飛行機になっていた。 コロニア飛行場は意外に整備されていた。 僕はいつものように官制のカーキ色のワンショルダーバッグで、上から下までPXで買ったファティーグFatiguesだった。 イミギュレーションの向こうには髭面の朝黒い男が立っていた。ここでは「トシさん」と呼ぼう。 彼は僕の手を強く握るといった。 「マイク、生きてたか。びっくりしたぜ。よく俺がポナペに行くことを憶えてたな」 「行くっただろ。忘れたか?」 「ああ憶えてる。悪いな、そ

  • 星と風と海流の民#04/アガナハイツ

    アガナの町には幾つか軍用のロッジとインが有った。U/S/Oの管理官は印刷された紙を僕に渡した。チェックインは自分で直接訪ねて取れと云う事だった。まあいつものことだった。ロッジの名前を教えてくれただけでもありがたい。 町まではゲートの傍でジープにヒッチハイクした。最初は近くで降ろされるはずだったが、ユタパオから今日の昼に就いたという話をしたら。ぴっくりされて、そのまま泊まる場所が決まるまで付き合ってくれた。 ロッジはアガナハイツの瀟洒な所に決まった。ドライバーが「こいつはサイゴンの帰りだ」と話してくれたら、ロッジのマネージャーは何泊いる?とも聞かずに下士官用の部屋を用意してくれた。ドライ

  • 星と風と海流の民#03/太平洋諸島信託統治領

    アンダーセン基地にあるU/S/O担当官を訪ねると、彼には何も連絡が入っていなかった。いつものことなのでビックリしなかったが、ウタパオで渡された通達書を見せると「おお!Operation New Lifeに相乗りしてきたのか?」と驚いていた。 「KADENAには頻繁に飛んでいるから、相乗りで良ければいつでも手配できるよ」 「どうする?明日飛ぶか?しばらく島で休養するか?滞るなら宿泊できるところを用意する。仕事も手配するぜ」管理官が笑いながら言った。 僕はその時、とっさにアガナ空港のことを思い出した。 「休暇でも良いですか?」 「休暇?」 「しばらく養生したいです」 「ああ、かまわない。長

  • 星と風と海流の民#02/アガナ空港

    グアム海軍航空基地Naval Base Guamからアンダーセン空軍基地Andersen Air Force Baseへの移動は、資材を運ぶ軍用トラックに乗った。西岸を抜ける軍用道路で一時間余りの距離だが、トラックは一度アガナ空港Agana Airportへ立ち寄った。資材の一部を此処でおろすらしい。僕は荷台を降りて荷下ろしの手伝いをした。 そのとき、爆音に惹かれて空を見つめると民間旅客機の姿が見えた。DC-3だった。 「民間機だ」僕が思わず言うと、荷物を下ろしていた米兵が言った。 「民間空港だからな。今はここが南太平洋の島々を平和でつなぐ繋ぐハブになっている」 彼はチョモロ系だろうか

  • 星と風と海流の民#01/オペレーション・ニューライフ

    1975年5月、僕は半年近くタイ・ウタパオ空軍基地U-Tapao Royal Thai Navy Airfieldに足止めを食らっていた。サイゴンが落ちたのは4月30日。あまりにも事態は混乱していた。そのため僕の帰国したいという希望がお座なりのままになっていた。僕は毎夜、所在なく基地のEM(Enlisted Mess)でピアノを弾いていた。U/S/Oから給料は貰えていた。週給500USDだった。ドル300円前後の時だったから15万円くらい。月間で65万円になった。GIと一緒にパタヤの歓楽街に時折出かけたりはしたが、稼いだお金は殆どU/S/O預かりだったので、半年間で400万円くらいには

  • 若き友への手紙#10/人はナマモノです。ナマモノは用意周到に扱わなければならない

    実はお金を調達することについて不安が有ります。それは調達したお金が、必ず会社の向かう方向性を決めてしまうからです。 たしかに資金を得ることで"衣"は変えることはできます、たしかに組織構造(衣)を新しい形に替える資金にはなる。しかし、今のままでは"人"は変わらない。 ここです。このままの組織運営体制でいれば、ただただ借金が増えただけで終わります。 僕は何よりもそれを恐れます。 以前にも書きました。 あなたは"社長というペルソナ"をつけなければならない。 役員から出た暴言・社員の揶揄誹りは、いまの。御社の。社長の。ペルソナに向けられたもの。です。 今回の組織改変の最大課題は、この「社長の

  • 若き友への手紙#09/他者に共感できない偉大な指導者はいない

    「自分の意見を通す・なぜならそれは"自分"の意見だから。他人の意見より自分の意見が最優先になる」 「他人の心に不感症なので、相手の心が察知できない。自分の思い通りに動かすことが交渉の成果だと信じ切っている」 「部下を簡単に采配し、そして簡単に切り捨てる」 これらは中間管理職に"なりたがる"人たちの間でよく見かける資質です。 ヒトに共感する感性が極めて低い。あるいは摩耗している。 ヒトは共感する生き物です。スポーツ観戦をしてなぜ楽しいか?疑似的に自分のものとして脳がソレを受け入れるからです。(これは脳生理学的に確認されている)なぜ小説を読むか・疑似的に他の人の人生を短時間で追体験できる

  • 若き友への手紙#08/面従腹背も悪意も、雇用後に社内で発症します

    だれもバスに乗ろうとしてくれなかった、とあなたはおっしゃる。 乗るべき人を選べなかった、と。 ・・そうでしょうか?僕はいた!と思います。10年間の戦いの中で全くいなかったことは現実的に考えられない。「乗るべき人を選べる」自分に気がつかなかったためでしょう。 もちろん最初から面従腹背の人はいない(いても極小) 会社をひっかきまわしてやろうという悪意の人はいない(いても極小) 面従腹背も悪意も、雇用後に社内で発症します。 多くの原因は、社長の態度と会社運営のやり方から・・です。これは指導者として強く猛省すべきです。 そんな人が出てこないようにするには、どうしたらいいでしょうか? ここです

  • 若き友への手紙#07/信頼(愛)が育めない奴は「愛が醒めた」という

    人は世間に晒されて傷つきます。そのために仮面ペルソナをつける。 しかし、じつはそのペルソナが大きな重荷になる。 だからペルソナが外せる相手を希求します。 伴侶(共に生きる者)を求める理由でもあります。 例えば男と女は、もっとも自分の恥ずかしい所を相手に晒す。獣のように交尾する。 この「晒す」という行為は、ペルソナを外すためです。 もちろんそれが悪い方へスパイラルすることもある。しかし、ペルソナを外すための行為であることは間違いないです。 結婚という形態を取らない伴侶を求める時、人は慎重に許せる範囲を広げようとします(広げない利己だけのひともいる) 広げようとする意志と努力があれば、

  • 若き友への手紙#06/ペルソナを携えなさい

    人は二つの自分をもっています。 ひとつは自分の中にいる自分です。 もうひとつは他人の中にいる自分です。 自分の中にいる自分について、その責任を取ることは出来る。(比較的) しかし他人の中にいる自分はどうでしょうか?(至難) 責任をどう取ればいいでしょうか? "私人"ではなく"公人"になると・・人はこれに直面します。 語るべきは、独立したことで得た巨大な実績とノウハウの蓄積であるべきです。 「サラリーマン時代はこんなに良かった」ではない、と考えます。 実はですね。これは心してほしいのです。社長職にある者が正直な自分を晒すことは、とても稚拙です。社長として評価されるのは、絶対に「そこ」

  • 若き友への手紙#05/なぜ笛吹けども踊らずなのか

    あなたの口ぐせ。そのことに触れます。 「会社員時代は、それぞれのモチベーションが上がる仕組みを考え、実際に彼らの成長を促していました。 一方でここでは、それが通用しない。いる人種が異なっているとしか思えない」 ・・実は、この言葉を僕は何人もの社長から聞いています。全員が上場会社の管理職だった方です。 こんなはずじゃなかった。こんな人たちではなかったと‥ もちろん違います。上場企業は、そうした環境を生み出すために数十億のお金を注ぎ込み紡ぎあげているのです。その積み上げの上で働いた人は、自分の仕事環境の背景に猛烈な投資がされていることを忘れてしまいます。自分自身のお金で起業すれば、当たり

  • 若き友への手紙#04/あなたは,下りていけますか?

    「辞めたい」と言い続ける社員が、さっさと辞めてくれればこれほど良いことはないのです。しかし、たいていは組織の癌として居残り、会社の進むべき道を阻害します。 困ったもんです。 この"癌"は二種類でして、良性の(諦めが先に立ち、最低限給与がもらえるだけの仕事をする)ものと悪性の(会社へ悪影響を与えることに暗い喜びを感じてその道を行く)ものがあります。二つは峻別しにくく見出すことが難しい。しかし何れであろうと、癌は会社を機能不全にし、大きな阻害となります。 何回もいいますが、会社が儲かっていればいい。癌があっても倒れない。しかし儲からなくなると、突然顕在化します。 前にお話ししたように「

  • 若き友への手紙#03/社長業は親業Parentingだということ

    今の御社の社内体質で、社長が社員に対して「その場でちょっと考えて対応できればいいだろう?俺はそうしてるぞ」と言うのはムリです。 原則として、成人した人は、伸びる素養のある人しか伸びません。大抵の人は年俸200~300万で充足する平・伍長・尉官クラスの人です。やはりスタッフは、平・伍長・尉官そして佐官と、それぞれ別々の理屈/そしてメリットを説くべきかと思います。 できない人に「このくらいのこと出来るだろ?」と云えば、相手は必ず言われたことを曲解する。悪意を抱く。「なに上から目線で偉そうなこと言ってるのよ、自分だってトラブルだらけじゃないのよ」のループになります。それが深い溝・瑕疵になる。

  • 若き友への手紙#02/共に歩く者を選びなさい

    今回面談させていただいた新事業部長Sさんですが、僕が充分信頼に足ると確信したのは、彼の格です。 格は、性格であり人格であり品格ですね。彼の格は、彼の言葉にも彼の視線にも出ています。 信頼するに足る方です。あとは、彼が信頼するに足る我々でいるかですね。 他者は、我々が見ているように、我々を見ている・・ということですね。 信頼は、そう簡単に積み上げられはしないものですが、信頼できる人かどうか、共に手を繋げるか否かは数分で解ります。 魂の希薄な人。魂が言葉で塗れている人。 根底に闇を抱えている人は信頼できません。 今回、我々がSさんにYESを出したことから始まり、今度は彼がYESを出してく

  • 若き友への手紙#01/あなたはどんな気持ちで社員を雇用しているのか?

    起業を目指す人間は、その根底に「自分勝手に業務をしたいのではなく、自分の思う社会をつくりたい、という目標」を持っています。しかし起業という発想を持つこともない/起業とは何かを熟考したこともない人々にその気持ちはありません。理解することもないのです。どんなに大きな声を上げても、どんなに人を集ってもです。徒労に終わります。 従業員は自分と同じ視線から会社を見つめられない。それを正鵠に知るべきです。 その視点の違いを理解できないまま、頑張れ頑張れを唱えても、じゃ自分でやれば?と、不満しか言わなくなります。協力を求めれば、それが曲解されます。泥沼の関係になります。実は、これが個人商店が陥る一番

  • 夫婦で歩くパリマルシェ蚤の市散歩

    夫婦で歩くパリマルシェ蚤の市散歩: 19世紀パリを偲びながら 夫婦で歩く歴史散歩 www.amazon.co.jp 300円 (2024年08月08日 23:29時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する

  • パリのマルシェ歩き#50/ヴァンプの蚤の市

    https://www.youtube.com/watch?v=hFatxo-gD7E ブランション公園の古本マーケットの前にイタリアンがある。Trattoria Toscana(101 Rue Brancion, 75015 Paris)という。ここが滅法すてきな店だ。ランチは12時からなので予約しておいた。ここのParigiana di melanzaneは絶品だ。雰囲気はラザニアに似ているが茄子が基調だ。当家でも嫁さんが時折出してくれてる。食べ慣れた料理だ。これをトスカーナ・ワインと一緒に頂いた。 「お腹いっぱいだし、帰りたい気分」と嫁さん。 「まあ、そういうな」と僕が笑い

  • パリのマルシェ歩き#49/ヴァンヴの古本マーケットと蚤の市

    「ヴァンヴの古本マーケットに行きたい。で、午後から蚤の市にも寄りたい」 「古本探し?」 「ん。最近、ブキニストが失速してるからな。ヴァンヴまで行きたいんだ」 「そうねぇ、セーヌの周りは観光客用のお土産ばかりですものね」 「ん~、開いてないとこも増えた」 「いいわよ。でもいっぱい買い込むと帰りが大変よ」 帰りはUberで‥と思ったけど、言わなかった。 Marché du Livre Parc Georges Brassens(104 Rue Brancion, 75015 Paris)は14区。地下鉄は13番Porte de Vanvesが一番近い。距離的には、Marché Puce

  • パリのマルシェ歩き#48/マレの蚤の市05

    Le Village Saint-Paulをシャルマーニュ通りへ抜けると、すぐ右前にもう一つ路地が有る。エジナール通りRue Eginhardという。入るとすぐT字路になっていて、左側は小さな泉台が有って行き止まり、右側はサンポール通りへ抜ける露地である。 「エジナールの泉Fontaine Eginhard(6 Rue Eginhard, 75004 Paris)と言うんだ。最初に観た時は、滔々と湧き水が有った」 「いまはないのね。それにちょっと臭い」 「ん。サンポール通りへ出よう」 そのままサンポール通りへ出た。 「パリってどんな短い通りでも名前を付けるのよね」 「ん。一番短いのはデ

  • パリのマルシェ歩き#47/マレの蚤の市04

    Bistrot cache(13 Rue Saint-Paul, 75004 Paris)を出て、そのままシャルマーニュ通りRue Charlemagneへ向かって歩いた。 「もうひとつ場所が分からないけど‥サンポール・サンルイ教会はもう少し北でしょ?」 「ん。この小路をぬけてぶつかったシャルマーニュ通りの向こうにあるのがサンポール・サンルイ教会だ。その横にあるのがVestige de l'église Saint Paul des Champs(41 Rue Saint-Paul, 75004 Paris)があった場所だ。それを囲むように、向こう側にもLe Village Saint

  • パリのマルシェ歩き#46/マレの蚤の市03

    https://www.youtube.com/watch?v=BlBMw_2v16g サンポール通りをセーヌに向かって歩くと、セーヌにそって走るセルスタン通りにぶつかる。その直前・右側にアベマリア通りRue de l'Ave Mariaがある。角にSur le fil de Paris Livres anciens(2 Rue de l'Ave Maria, 75004 Paris)という僕が大好きな古本屋が有る。 https://www.surlefildeparis.fr/ 大抵はこの本屋で小一時間ほど使うのだが、今回はそのままスルーした。そして少し先のビル右側アーチ道へ入

  • パリのマルシェ歩き#45/マレの蚤の市02

    僕らはAu Bouquet Saint Paul(85 Rue Saint-Antoine, 75004 Paris)を出てサンポール通りをセーヌへ向かって歩いた。通りの全長は300m程度。ギャラリーとアンティーク・ショップが軒を並べている。 アンティーク・ショップについて、名前を挙げたい。 ➀Coté Cailloux(15 Rue Saint-Paul,75004 Paris) https://cotecailloux.fr/ 宝石のブティック。展示を見るとアール・ヌーヴォー、アール・デコが得意なようだ。同時にその雰囲気をオマージュしたオリジナルなものもあった。こちらは充分に日用

  • パリのマルシェ歩き#44/マレの蚤の市

    マレ、サン・タントワーヌ通りで開かれる蚤の市は、広報も定期的もない。いかにも"パリ的"だ。出会ったらいいね。買えたらいいね。売れたらいいね・・を通している。 もし出会えたら・・その僥倖に感謝しょう。でも必ず天気の良い日です。 通りに、雑然とスティールの骨枠と紙や布で仕切られた露店に、古着やアンティークが並ぶ。いかにも手作りの工芸品や不思議なコレクションや古本などが、オジヤのように不規則に並んでいるのだ。出店者はどうやらプロとアマチュアが混在していて、もちろん言葉は当たり前のようにフランス語だけ。でも・・例えば・・古いロートレックのポスターが無造作に置いてあって、ずいぶん昔のだなぁ~だと

  • パリのマルシェ歩き#43/キッチン付きのアパートのこと

    https://www.youtube.com/watch?v=N9eQ9vxaOaQ パリ市内で泊まるのは殆どキッチン付きのアパートにする。嫁さんがマルシェなどで買ってきた食材で色々と実験するからだ。我が家のパリの楽しみ方は、この嫁さんのレシピ開発に依ってることが多い。 利用するアパート紹介会社は ➀Paris Attitude(21 Rue Vauvenargues, 75018 Paris,) https://www.parisattitude.com/ ②Lodgis(27-29 Rue de Choiseul, 75002 Paris,) https://www.lod

  • パリ・マルシェ歩き#42/サン=トゥアン03

    「ラック虫Laccifer laccaを普通に見かけることはない。とても小さいし、生息地も東南アジアの亜熱帯地域が中心だ。樹木の幹や枝に寄生しているため見分けにくい。生息する樹木も限定的で、余計難しいる。シソノキSchleichera oleosa/インドタゴノキFlemingia macrophylla/パラシューバルタZizyphus mauritiana/アカシアAcacia spp/クヌギQuercus incanaなどに寄生している」 「ふうん」 「どンなもンかは、国内なら福岡の動植物園昆虫館や伊丹の私立昆虫館、大阪の私立科学館あたりで見れる・・かな。岐阜セラツク製造所が献身

  • パリ・マルシェ歩き#41/サン=トゥアン02

    Rue Albert Dhalenneを歩くと、グラン・パルク・デ・ドックGrand Parc des Docks de Saint-Ouen(12 Rue Albert Dhalenne, 93400 Saint-Ouen-sur-Seine)という広い公園が左側に見える。少し先にサン=トゥアン城Château De Saint-Ouen-Sur-Seine(12 Rue Albert Dhalenne, 93400 Saint-Ouen-sur-Seine)が公園の脇にぽつりとある。 「ここは工場地帯だった。幾つもの業種の工場が有った。次第に無くなったのは第二次世界大戦後なんだが、

  • パリ・マルシェ歩き#40/サン=トゥアン01

    ロジェ通りを北西に歩くとMOB HOUSE(70 Rue des Rosiers, 93400 Saint-Ouen-sur-Seine)がある。 https://www.mobhouse.com/ サン=トゥアンでは一番お気に入りのホテルだ。ここはベッド/デスク/ミーティングスペースが一体となった3in1の客室がある個性的なホテルだ。長期滞在しても、此処ならわざわざレンタルオフィスを探したりしない。ビジネス・ユースを狙ったコンセプトである。 「ここは仕事でパリに来た時によく使うんだ。しかしお客さんにはサン=トゥアンのホテル?とビックリされるがな」 「サン=トゥアンって、第一印象は蚤

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