赤裸々な17歳の地球の裏側への移住体験談(7年間にわたる学校でのボッチ生活、外人から見たら私が外人、海外で恋人なんか作れない、友達が出来たら成績が上がった、etc...)
卒業式が12月!?ドライブスルー形式の卒業式はカップ麺を作るより短かかった。
あけましておめでとうございます🌸今年は私の最後の高校生活ですが、一年中ネットで授業を受け、結局学校に通ったのは一学期の最初の2週間くらいでした、そしてあっという間に1年がすぎ卒業してました。いつの間にか…(本当にあっという間だった)なんと、最後の投稿が10月
パナマに来てよかったと思ったこと第一位は…「夏休みが三か月近くあること(宿題なし)」です!もう…これは最高です、日本の夏休みは一か月以下で宿題もたくさんあるのに対してパナマでは三か月近くあるどころか宿題もないのですから!!日本の夏休みと言えば八月だと
毎週、水&土曜日に更新していますが、得意の三日坊主のおかげで先週の土曜日は更新ができなかった…(´・ω・`)まあ、それはおいといて…高校生になってからよく聞かれるようになった「大学はどうするの?」っていう質問、自分でもなんて言えばいいのかあまりわからない
知り合いにお願いされて中島みゆきさんの「糸」を訳してみました、英語版はあるけどスペイン語版はないそう…パナマに移住して八年ですが、歌をスペイン語に訳すなんて初めてで2時間くらいかかりました。直訳するとリズムがおかしくなったり逆に伝わりづらくなるので、ニ
学校を早退したら友達の親に私がコロナ感染者だと言われた件。その1
まず初めに、今年の12月に我が家はサンフランシスコで二週間滞在した後、日本に里帰りしました。そして二月、ちょうどコロナが流行っているころ私と父が体調を崩し咳が止まらなくなりました、しかし、熱はないし、親せきの家(祖父母、叔父叔母、その息子と孫の大所帯)に泊
学校を早退したら友達の親に私がコロナ感染者だと言われた件。その2
さて、前回の続きです。どんなにコロナにかかっていない、と説明しても全く理解してくれない友人Gの母親…(Zoomで友人Gが私から聞いたことをそのまま母親に伝えている)そして友人Gが私がパナマに帰ってきた日と体調を崩した日を聞いてきました、そして私が教えると、
パナマでは三月の半ばから何故かアルコール飲料の購入が禁止になり、それを知っていた隣人はあらかじめ買いおきをしていましたが、それを知らずに我が家はアルコール切れになりました…白ワインとか料理に使うのに…それだけではなくて:――――――――――――――
パナマでのコロナ禍 その1(日本と海外のコロナに対する違い)
去年の12月に私たちは家族でパナマから日本へ、私は1年ぶり、両親は4年ぶりに兄が結婚するので里帰りしました。その頃はコロナのことはまだ知らなかったと思います、そして二月初めにニュースなどでコロナが目立つようになり、二月末にパナマに帰りました。 正直パナ
パナマではアジア人が道を歩いているとそこらへんにたたずんでいるパナマ人の男性やおじさんなどに口笛を吹かれて「Hey, China!(おい、中国人!)」などヤジを飛ばされたり、あまり意味の分からない言葉(たぶんろくでもない言葉)言われるのは日常です。これは差別とかアジア
こんにちは、boboです。私が住んでいる国はバナナが10本で1ドル(約100円)の国です。それだけ物価が安いということは賃金も安くて、インディアン(先住民、北海道のアイヌのようなもの)を一日20ドル(2000円)で雇って庭仕事や掃除、家事、洗濯などさせるのが当たり前です。
私が初めて通った学校は、私立で「いい」学校らしいのだが、私にとっては、椅子と机にありえないくらいコケ(?)が生えている、埃がひどい学校だった。物凄くテキトーな先生達、平気でゴミをポイ捨てしている生徒たち、学校にはそこらへんにポイ捨てされた菓子の袋がたくさ
学校で歩くとき、何というか、しゃんとして歩けなかった、自分の居場所ではないと言うか真っ直ぐ前を向けなかった、意味がわかる人がいるだろうか。(こうしてみるとなんかポエムというか詩みたいだけど、本当にそうなんです、現実感がないというか地に足が着いてない感じ)
外国の学校でボッチだった私にとって本は友達というか、友達は本でした。
外国の学校でボッチだった私にとって本は友達というか、友達は本でした。ボッチだった私の学校生活は小説にハマるまでは最悪で、特に休み時間が死ぬほど嫌いでした。でも小説を読むようになってからは学校での生活が4割減になって少し楽になりました、「何か」をしている
私9歳から外国に住んでいますが、他の人から見れば私はどんな風に見えているのでしょうか。もう移住して7年、あと2年で日本に住んでいた時間と同じくらい海外にいることになります。現地の学校に通っているので流石に喋れるようになりました、日本にいる人から見たらあ
今でも覚えてる。少4の時、漢字テストで100点満点取れるまで4回くらい書き直しして最後の数人まで残ってたのを。もともと国語は嫌いだったけど、ますます嫌いになった。ちょうどその頃、父がよく「アメリカ行きた〜い?」って猫なで声で聞くようなりその度に「行きたい!(
さて、アメリカに行く気満々だったのになぜかついたのは中南米…そこはどこかというと、「パナマ」です。はい、あの有名なパナマ運河とかパナマ文書のです。とは言ってもなかなかピンとくる人は少ないと思います。実はパナマ、あの有名なドラマ「プリズンブレイク」のシー
私が小学生低学年の頃の父の口癖は「アメリカに行きたい?住む?」でした。それに対して私は即答で「行きたい!(これ以上、漢字勉強しなくて済むやん、ラッキー)」と、そんな軽い気持ちで答えてました。アホです、はい…そして小4の頃アメリカへ、10時を過ぎても空が明るい
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