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  • 「経済の思想」と「教育の思想」

    AIがどんなに発達しても、それを使うのは人間です。人間の心が正しくなければ、科学技術も誤った方向に使われてしまいます。人間の心は体の状態に左右されることも多々あります。だから健康の維持管理ということが大切になります。生身の人間存在は、不安定なものでしかないのです。心・技・体ではありませんが、結局、人間の在り方が問われ、自己をいかに磨いていくかが問われるのだと思います。この普遍のテーマに教育界は向き合い得ているのだろうかと思います。業務はマニュアル化され、誰がやってもできるようにしていくことが、仕事が滞らないためには良きことだと考えられます。つまり、交換可能なパーツのような存在になることが善とされるのだと思います。そして、効率が重んじられます。しかし、そこに人間の幸せがあるようには私には思えないのです。仕事...「経済の思想」と「教育の思想」

  • 開塾20年

    久しぶりの投稿になってしまい申し訳ありません。複数の企業研修と教育機関研修、そして、バッカーズ寺子屋の開塾20年記念ホームカミングデイとで、さすがに更新できませんでした。昨日、無事、開塾20年記念ホームカミングデイは終わりました。200名ほどの会になりました。色々と行き届かぬことがあっただろうと申し訳なく思っています。そして、卒塾生たちの姿を見て、また、保護者の皆様の姿を見て、今日までの人生の選択が間違っていなかったことを改めて思いました。しかし、明日も企業研修が待っています。日曜日はバッカーズ九州寺子屋のホームカミングデイです。少しでも日本の教育をより良いものにすることができるよう、全力を尽くします。開塾20年

  • 人間の感性

    前のブログを書いていて、ふと思い出したことがありました。それは、プラネタリウムのレンズを作るのは、ミクロン単位の正確さが要求されるのですが、それができるのは人間の手仕事だというお話です。一つことを長年続けてきた職人さんの感覚・感性が、機械ではできない正確さを実現しているというのです。恐るべきことだと思います。そんな精緻な手仕事を日本人は強みとして持っていました。それを捨て去って、何を為そうというのだろうかとついつい考えてしまいます。私も及ばずながら、職人の手仕事のように、手間暇をかけた精緻な教育を生み出していきたいと思います。それを求める人がいなくなれば、そこで私の仕事も終わるのだろうと思います。そこまでは全力を尽くします。人間の感性

  • 気が利くということ

    今、心配なことは、「気が利かない」人が増えているように思うことです。「気が利く」とは、細かな変化や違いに、まず気づくことが大切です。汚れやほこりなどに気づき、すぐにきれいにしようと思うような人間の感性です。これまでは、そうしたことに気づくことができる人が多かったから、そのあとに来るであろう機械の不具合や自然災害や人心の荒廃などを未然に防げたことが多々あるのではないかと思います。何かの「兆候」に気づくことのできる感性は、人間や動物にしかないものなのかもしれません。そして、この感性は、四季折々の自然の中で育つことや、細かい目を持つ人から厳しく叱責をされながら身につくようなものかもしれません。言葉では説明できない「感覚」を伝えようと叱責されるので、叱られることに理不尽さを感じることもあるでしょう。私自身、そう思...気が利くということ

  • レポート

    土曜日に小郡寺子屋「志学舎」の講座を行い、最終便で東京に入り、今日はバッカーズ寺子屋の講座を終えて、最終便で福岡に戻ります。火曜日に企業研修を行ったら、水曜の夜から東京と、ドタバタやっています。ホームカミングデイへ向けて東京も福岡も卒塾生交流誌『絆』の原稿が届いています。卒塾して数年が経った卒塾生のレポートも、現役生のレポート、読んでいるとたくさんの気づきと学びがあります。小学生からも中学生からも高校生からも、たくさん学ばせていただくことがあります。子どもたちの「今」も知ることができます。これからも慣れの落とし穴に陥ることなく、慢心することなく、丁寧に教育実践を重ねていきたいと思います。レポート

  • 入塾説明会

    バッカーズ寺子屋(東京)、バッカーズ九州寺子屋(福岡)の入塾説明会が始まりました。10歳から15歳の小中学生の皆さん、そして、保護者の皆様、是非、お運びください。次回の入塾説明会は、次の通りです。バッカーズ寺子屋(東京)は、3月22日㈯に第二回入塾説明会を開催します。バッカーズ九州寺子屋(福岡)は、3月23日㈰に第三回入塾説明会を開催します。詳細は、それぞれの寺子屋のホームページをご覧いただきお申し込みください。おそらく、いや、確実に、入塾説明会に来ていただけなければ、この寺子屋の活動内容は正確には伝わらないだろうと思います。既成概念にはない教育の在り方だからです。しかし、確実に入塾されたお子様方は素晴らしく成長していきます。まずは、親子で入塾説明会にご参加ください。会場でお目にかかれますことを楽しみにし...入塾説明会

  • 本の有難さ

    先賢の書物に触れると心が洗われる思いがします。それは、澄んだ心持から出ている言葉に触れられるからだろうと思います。人の世の浅ましさ醜さを知りつつも、他者を非難せず、自らを深く省みて、高みに登ろうとする高貴な精神がその言葉に宿っているからだろうと思います。本の有難さ

  • 20年

    今年、バッカーズ寺子屋は開塾20年を迎えます。ただ、ひたすらに教育に打ち込んできました。多くの人に支えていただいた日々でした。今、私の心の中にあるのは達成感や満足感などではなく、ただただ「感謝」の思いであり、多くの人たちの教育への「思い」と共に過ごせた嬉しさでしょうか。保護者の方々のアンケートを拝見すると、たくさんのお子様たちの成長の様子と、感謝の言葉を書き綴ってくださっています。それを読ませていただいて、やはり私が感じるのは、有難いなぁといういう拝みたくなるような「感謝」の思いでしかありません。私一人では、到底できなかったことです。皆様、本当にありがとうございました。ただ、私の志は「日本の教育をより良いものにする」ということです。全然それは達成できていません。いかに自分の力が足りないかを突き付けられます...20年

  • 教育の理想

    私の教育の理想は、子どもたちが立派な大人になることであって、先々で、子どもたちが私に何を学んだかさえ忘れてしまっていてもよいと思います。しかし、学んだことがその人の中に沈潜し、その人の人格形成の土台となっていたら望外の喜びです。こうしたおかげでこうなったと因果関係がわかるような教育は、人間教育においては、しょせん浅いものでしかないのだと私は思います。私にできることは、私の教育に全力を尽くすということだけです。それに対する評価は他人のものですから、私にはどうすることもできません。私の知るところではないのです。ただ、何十年かが過ぎて、「あぁ。そういうことだったのか。」と気づいてくれる人が少なからずいてくれたら、私の努力も無駄ではなかったのだろうと思えるに違いありません。その日のために全力を尽くしたいと思います...教育の理想

  • 相手を考える

    子どもたちに、レポートなどを「書く」際、意識して欲しいのは「誰に対して」書いているのかを明らかにして書くということです。これが明確でないことが多いと思います。そこが定まっていなければ、言葉の選び方も、表現の仕方も当然変わってきます。相手を意識するということは、相手を大切にすることでもあります。スピーチでは、ここはかなり改善されるのですが、書くことについては、少し気を緩めるとたちどころによくわからないことになってしまいます。誰に話そうとしているのか、誰に自分の意志を伝えようとしているのかを、曖昧にする日常があるのだと思います。また、書くことについても、誰に対して書いているのかを明確にせぬまま書く習慣が身に着いてしまっているのではないかと思います。しっかりした人間を育てていくということは、そうした細部をいい加...相手を考える

  • 不義にして富かつ貴きは、我に於いて浮雲の如し

    全ては戦いだと感じます。政治にせよ、経済にせよ、医療にせよ、教育にせよ、権力やお金の力が大きく影響する戦いです。その戦いからは決して逃れることはできないのだと思います。であるならば、人として正しく戦っていきたいと思います。目先の利益だけを追うのではなく、みんなの笑顔、みんなの幸せのため、社会の良き発展のための人材育成を大切にしたいと思います。私は、「志の教育」と「学び方の変革」の二つを大切にした教育を広げていきたいと思っています。枝葉ではなく、根っこと幹を育てる教育に力を注ぎたいと思っています。しかし、なかなかそれは難しいことです。やはり目先の利益に人は飛びつくからです。しかし、6・3・3の12年と受験にしか使えない教育ではなく、形骸化した魂のこもらない教育でもなく、生涯にわたってその人の支えとなるような...不義にして富かつ貴きは、我に於いて浮雲の如し

  • コミュニケーション

    コミュニケーション能力の高さとは、「相手の使った言葉の背景、つまり、相手の状況や、そこで持つであろう意図を想像して、相手の気持ちに寄り添えるかどうか」だと思います。言葉には、様々な解釈の可能性があり、相手がどのような立ち位置にあるのか、何を求めているのかを考えようとすることが大切だと思います。確かに、最近は、そこまで考えたコミュニケーションができる人にお目にかかることが少なくなったように感じます。それは、生活全般があわただしくなっていること、相手の立場に立って物事を考えなくなったこと、言葉に対する感覚が雑になってきたこと、実際の人間関係や実体験という経験値が低くなったこと、などが原因のように私は思います。例えば、「確認をする」といったときに、上司なりしかるべき人に確認するのはもちろんのこと、待たせている人...コミュニケーション

  • 最近、AI技術で出撃前の特攻隊員の写真をカラーにし、表情や幾許かの動きもつけるという動画を見ました。だれがどのような意図で作ったかも知らぬままにしていますが、言えることが一つだけありました。愛と使命感に満ちた人間の表情は、実に凛々しく美しいものだということです。このような顔の人をすっかり見かけなくなってしまいました。私もきっと良い顔をしていない、卑しく貧しい顔つきの日本人の一人なのでしょう。しかし、何とかそれに抗っていきたいと思います。顔は人間の内面から作られていくものですから、学問を深めていかなければなりません。もっともっと教養も身につけていきたい。何よりも自分の使命である、日本の教育再興というテーマに向かって、一心不乱に日々を過ごしていきたいと思います。顔

  • 教育の本質

    今日、バッカーズ寺子屋卒塾生たちの「開塾20年インタビュー動画」を見ていて思ったことがありました。それは、10歳から15歳の子どもたちに、本物の教育を提供し続けなければならないということです。立派な社会人となった卒塾生たちが、口をそろえて言ってくれていたことは、バッカーズ寺子屋の教育は、今の自分の土台となるものを育んでくれたということでした。子どもたちは、その鋭敏な感覚で、大切なものを吸収してくれていたのです。とても嬉しく思いました。そして、20年という歳月があって、それは初めてわかることなのだなと思いました。子どもは、ダイヤモンドもガラス玉も同じように「綺麗」と言うかもしれません。区別がついていないように感じられるかもしれません。しかし、心の奥底では正しく感じ取っているのだと思います。だから、大人は、「...教育の本質

  • 下村胡人の言葉

    子どもは父母の強い影響を受けて育ちます。だから、私のできることなど、たかが知れているとも思います。しかし、家庭で子どもを甘やかしているであろうことが透けて見えるような時があります。甘やかすだけでなく、放任していることが感じられることもあります。親が自分の自由を、子どもの成長よりも、大切にしたいからです。悲しい気持ちになります。「甘い教育によって、いろいろの自由を与えられた子供たちは、将来最も不自由な人間に育つであろう。なぜなら、彼らは、自由の最大の基盤である反省力と意力とが奪われるであろうから。」下村湖人のこうした言葉をお伝えしたいとも思いますが、おそらく、聞く耳はお持ちでないでしょうし、幼時に親としてするべきことをせぬままに過ごしてしまったのだから、時すでに遅しかもしれないと思います。後で、高い授業料を...下村胡人の言葉

  • 学び

    魂を込めた学びの時間を作りたいと思います。子どもにも、大人にも。一人に対しても、千人に対しても。愚直に準備をし、思いを込めて伝え、共に楽しみたいと思います。その先に何があるのかは私の知るところではありません。ただの徒労であるかもしれません。しかし、それでも自分に妥協をし、自分を偽る人生よりは、はるかにマシだろうと思っています。学び

  • バッカーズ寺子屋の教育

    今日は、バッカーズ九州寺子屋の塾生のレポートにコメントを書いていました。地道な作業です。しかし、教育とはそのようなものだと思います。「教育とは流水に文字を書くような果ない業である」とはよく言ったものです。その通りだと思います。見返りを求めることなくやり続けていくことが大切なのです。そこにはお金も何も発生しません。あるのは祈りだけ。しかし、それが教育なのだと思います。政治も行政も医療も何もかもがお金に置き換えられる世の中になりました。人間の命だってお金に換算されているように感じます。命は時間でありお金であるとも言えますが、あまりにも人情酷薄な社会が出来上がりつつあるような気がしています。しかし、私は断じてそんな人間の社会にはしたくないと思います。私も、幾多の先人たちもそうであったように、両親に愛されるのが当...バッカーズ寺子屋の教育

  • バッカーズ九州寺子屋【福岡】・第一回・入塾説明会

    バッカーズ九州寺子屋の第一回・入塾説明会を開催いたします。2025年2月23日㈰の17:00~18:00(多少終了時間が下がることがございます。)福岡市中央区渡辺通りの電気ビル共創館で開催いたします。17期生の募集となります。対象は原則として10歳から15歳の小中学生。受講期間は2025年7月から2026年7月まで。月二回程度、日曜日に開催。受講料は月額5.000円。詳しくは、バッカーズ九州寺子屋のホームページをご確認ください。入塾を希望される方は、まずはお子様と一緒に入塾説明会へお運びください。パンフレットと入塾願書をお渡しいたします。何より、どのような活動なのかをご理解いただくことが大切だと考えています。楽しい学び舎です。そして、生涯役に立つ学びができる場所です。ただし、定員は20名。まずは、入塾説明...バッカーズ九州寺子屋【福岡】・第一回・入塾説明会

  • バッカーズ寺子屋 開塾20年

    バッカーズ寺子屋は開塾20年を迎えます。四月の第一日曜日に開催するホームカミングデイは、今年は「開塾20年記念」の冠をつけて盛大に開催します。卒塾生の皆様、卒塾生保護者の皆様におかれましても、ぜひ、この機会にご参加いただければと心から願っています。この後の開塾30年記念まで、私が元気かどうか定かではありません。(今のところ、ぴんぴんしています。)しかし、私は今回を最後の周年行事のつもりで取り組みますので、一人でも多くの方にご参加いただけたらと思います。ご参加いただくことはもとより、『絆』への執筆による近況報告もよろしくお願いいたします。楽しみにお待ちしています。20年が過ぎ、結婚して子どもが生まれ、父親・母親となった卒塾生たちもいます。やがて孫育ての時も来るでしょう。教育は生涯のテーマと言って過言がありま...バッカーズ寺子屋開塾20年

  • 志の教育

    私の目指す教育は、きわめてシンプルであり、過去の先人たちが語ったものであり、別に目新しいものではありません。しかし、そこに現代の教育が見失った、子供たちが大きく成長していくためのヒントがたくさんあるのだと思います。目指す一つは、「志の教育」です。これも、「志」という言葉がわかりにくいうえに、雰囲気で何となく語られるから、却ってネガティブな感じを持つ人も多くなったのではないかと思います。しかし、それでも私は志が大切だと思います。なぜなら、自分の一度の人生の中で、目指すものがあった方が自分も周りも楽しいし、志があれば放っておいても自ら学び始めていくことができるからです。やらされる勉強、やらされる仕事、やらされる人生ではなく、生き生きと生きて欲しいからです。志を立てるための方法は全部で四つです。これは橋本左内が...志の教育

  • バッカーズ寺子屋・第1回入塾説明会を終えて。補記。

    バッカーズ寺子屋第一回目の入塾説明会が終了しました。来期のスケジュールも出ていますので、早く把握されて、入塾のお申し込みをしていただけたらと思います。ただし、学校の行事予定がわかるのは、どうしても4月以降になりますから、総合的に判断して願書を提出していただけたらと思います。入塾説明会の1時間ではお伝えし切れないことがどうしても出てくると思います。そこで、昨日、お伝えしきれなかった点があるか振り返ってみました。一つ目は、「スピーチが苦手、レポート書くのが苦手、というお子さんにこそ、入塾していただけたら良いな」ということです。全員が必ず成長しますし、失敗を楽しめる空気の中で、どんどんチャレンジして、成長していって欲しいと思っています。ただ、何事も手を抜かずに真剣に取り組むことが、一年後の大きな成長に繋がってい...バッカーズ寺子屋・第1回入塾説明会を終えて。補記。

  • 思うこと

    バッカーズ寺子屋の教育を作ってきた前提として、強い危機感があります。活力無くスマホばかり見ている子どもたちの姿があり、言語力や思考力も低下している姿をよく目にします。一方には目的意識もなく漂うように生きる大人たちの姿があり、勉強も仕事も「やらされる」人々の姿があり、日本という国自体が地盤沈下し、海外での日本のプレゼンスは下がっていく一方なのに、相変わらずの教育や政治は、時代に適応し、ちゃんとやってますと言うばかり。点数が取れて頭が良くとも、面倒くさいことを避け、改革を先送りし、自分の損得しか考えない人たちではどうにもならないのです。だから私は、多勢に無勢だと知りつつも、社会をより良いものにするための教育を実践し続けます。ただ、渋沢栄一のように、義利合一、義利両全ということは思っています。私利は否定しません...思うこと

  • バッカーズ寺子屋の教育 入塾説明会へ向けて

    バッカーズ寺子屋の教育は、おそらく既成の概念にはないものだと感じています。しかし、古今東西の先人たちが大切にしていた教育の在り方であり、古くて新しい教育なだけだと思います。ただ、その良さはなかなかお伝えしにくいものです。だから、まずは入塾説明会にお越しいただきたいと思います。入塾説明会に来てくれた子どもたちは、親御さんから聞いていたものと違うことをまず感じます。そして、楽しそうだから、入塾してみようかと思ってくださいます。ただし、入塾してみても、最初は何を学んでいるかよく分からないままに時が過ぎることも多々あります。しかし、半年も経たないうちに、ここでの学びの楽しさと重要性に気がついてきます。多くの場合、文章力、スピーチ力が飛躍的に向上し、家での会話もものすごく増えていきます。兄弟姉妹で入塾経験者がいらっ...バッカーズ寺子屋の教育入塾説明会へ向けて

  • 教育の成果

    教育は成果が出る間までに時間のかかるものです。子どもも大人も直ぐに成長できるものではありません。自分自身のことを考えてみれば、そんなことは直ぐ分かるはずなのに、他人のことになるとたちまち目が曇ります。「直ぐに」変わることを期待してしまいます。1人の人間の人格が形成されるまでには、長い時間と様々な人との出会い、そして、時の過ごし方があったのです。それが残念なことに、必ずしも良き人たちとの出会いばかりではなく、良き時の過ごし方ばかりではなかったから、今のところ、時に他人様から非難されるようなことになったのだとしても、それを変え得る可能性もあれば、成長の可能性もあるわけです。だから、信じて待つことが大切なのです。そして、ただ待つだけではなく、良き影響を与え続けることが大切です。それ以外に、教育の道はありません。...教育の成果

  • テーマ

    教育を通しての日本再興。それが私の人生のテーマです。1人1人がしっかりした人物に育つよう心血を注ぐこと。影響力は小さくとも、あと数年で、その道を作りたいと思います。政治家も経営者も教育者も役人もマスコミ人も、教育によってその価値観が築かれていっています。今まで失われてきたものは何だったのか。私は私なりの考えとやり方で進んでいきます。テーマ

  • 都合良く

    「都合よく使われている」などという唾棄すべき言葉があります。自身の人生や仕事に対する「定見」が無いから出てくる言葉なのだろうと思います。ちなみに私にはそんな意識は全くありません。都合よく使われている覚えもありませんし、都合よく誰かを使った覚えもありません。見方によっては、私も都合良く使われていることが多々あるのかもしれません。しかし、私は私のやりたいことに邁進しているだけですから、何の問題もありません。損しているどころか、むしろ得ばかりしていると思います。有り難いなとしか思えませ。困難なことも自分の成長の糧だと思えば何でもありませんし、感謝しかありません。とにかく「教育をより良いものにしたい」という思いに呼応してくれた人と共に、私は歩みたいとは思いますし、私に出来ることは限られていますが、その恩に応えたい...都合良く

  • バッカーズ寺子屋の教育

    バッカーズ寺子屋の教育は、なかなかお伝えしにくい内容です。ただ、入塾されたお子様の兄弟姉妹はかなりの確立で入塾してくださいます。それが何よりの寺子屋への評価だと思っています。この寺子屋のことを少しでもお伝えしようとすれば、次のような表現になります。まず、プリンシプル(人としてのあるべき行動の原理原則)を学び、身につけていきます。次に、年6回の経営者講話、年6社の企業訪問、年3回の合宿、年2回のスピーチコンテスト、テーブルマナー、『論語』の素読、時事問題、様々なことを学びます。結果として何が得られるのかと言うと、聴く力、書く力、話す力、読む力が向上し、考える力が成長します。また、人間がしっかりします。将来のことを考えるようになっていきます。勉強は教えませんが、多くの塾生は成績も上がっているようです。・・・と...バッカーズ寺子屋の教育

  • 勤勉ということ

    かつて日本人は勤勉であると言われていました。正直で、礼儀正しく、正義感が強く、時間に厳格で、勤勉であると。これが日本の強みになっていたのだと思います。この一週間で、私は別の人からそれぞれに「日本人は働かないと言われている」という言葉を耳にしました。海外での評価です。そんな人ばかりではないとは思いますが、もう一度、自分自身を鏡でよく見て、反省してみた方が良いと思います。全体の評価はそれとして、「私はどうか。」ということを常に思う必要があると思います。「○○さんは勤勉だ。」と思われるところから始めるしかないのです。私は、まだまだ努力が足りません。過去の先人たちのように勤勉でもありません。しかも、自分には能力が無いのだから、もっと頑張ろうと思います。勤勉であろうと思います。「日本人は勤勉である」という言葉はもう...勤勉ということ

  • 志は気の帥なり

    「志は気の帥なり」孟子の言葉です。「帥」は「統帥」の「帥」ですから、「志」はあらゆる気を率いているもの、指揮統率しているものだというのです。「気」を使う言葉は様々にあります。元気、根気、本気、気力、気迫、活気、気概、覇気、etc.「気」という言葉自体、人間の諸活動に大きな影響があるものです。というより、人間存在の本質に近いものなのかもしれません。辞書には、「生命・意識・心などの状態や働き。」という説明から、「天地に生じる自然現象。」「あたりに漂う雰囲気。」まで様々な説明があり、広範な意味を持つ言葉だということが感じられます。社会全体から活気が失われていくということは、個人個人の「気」が衰えているからなのかも知れません。そして、それは1人1人に「志」がないからなのかもしれません。元気には様々なものがあります...志は気の帥なり

  • 志の教育

    志を立てることは、そう簡単なものではありません。一生涯かけて、成し遂げていくものですから当然のことです。学び抜き、考え抜き、行動しなければ、志など見えてくるはずがありません。倒れても立ち上がり、また立ち上がり、不屈の闘志で自分を鍛え上げて、前進していかなければ、志を達成できるはずがありません。志の教育というものは、その人の中で、志が確固たるものになってきて、初めて全てのことが繋がって見えてくるものだと思います。オセロゲームのように、黒が一気に白にパタパタと変わっていくような感覚のものだと思います。困難なものですから、志の教育に対して、多くの人は手をつけないか、分かったような顔をして、浅くやっていくだけのように感じています。しかし、志の教育ほど大切なものは無いと思います。だから、志の大切さに気づくのが、10...志の教育

  • 思想

    私の思いは思いとして、私はあまり思想的なことには触れないようにしています。私と共に学んだ後の出会いで、右に行ったり、左に行ったりする人もいると思います。それはそれで仕方の無いことです。ただ、いずれにせよ、社会がより良いものになるようにという意志と、人々のために生きようという思いだけは忘れないようにしていただきたいと念じています。最後には、世のため人のためという意識になっていただきたいと思います。日本に生まれ育てば、結局は、日本の自然や歴史や文化と共に生きた祖先たちの思いと共に生きる、ということにならざるを得ないと思いますので、いつかは保守への回帰という道筋になるのかもしれません。ただ、天寿を全うできるかどうかもわかりませんから、結局、人間は、その時々に最善を尽くしていくしかない、不確かな存在なのだろうと思...思想

  • 三島由紀夫氏の言葉

    「このままいったら日本はなくなって、その代わりに、無機質のからっぽな中間色の富裕な抜け目がないある経済大国が極東の一角に残るのであろう…」悲しいことに、日本は、故三島由紀夫氏の、この言葉の通りになりました。いや、それどころか経済大国ですらなくなっていく哀しい姿の日本が見えてきました。日本の先人たちは、貧しくとも、誇りを持っていました。忍耐強く、謙虚で、勤勉で、思いやり深い心を持ち、未来の子々孫々のことを考えることの出来る人たちでした。今、この三島由紀夫の言葉を知る人が何人いるのだろうかと思います。そして、その言葉に危機感を持つ人が何人いるのだろうかと思います。ささやかですが、私は教育を通して、少しでも何とか出来たらと思って持っています。それだけです。三島由紀夫氏の言葉

  • 孔子の言葉

    ■「子曰く、人の己を知らざることを患(うれ)えず。人を知らざることを患うなり。」現代語訳「孔子が言った。他人がこちらの真価をしってくれなくとも、気にかける必要はない。それよりも、自分が、他人の真価を認めないことを、心すべきである。■「子曰く、位無きを患(うれ)えず、立つ所以を患う。己を知ること莫(な)きを患えず、知らるべきことを為すを求むるなり。」現代語訳「孔子が言った。自分の社会的地位のないことを悩むことはない。それよりも、地位に立つための人間性がないからであることを、悩むことだ。また、世間の人が、自分の真価を認めてくれないことを悩むことはない。それよりも、人から認められるだけの行いをするよう、心がけることだ。」これらは紀元前に語られた孔子の言葉です。孔子は、門下生が沢山他国に召し抱えられていく中、出世...孔子の言葉

  • 反省

    「そもそもわれわれは、真の確信なくしては、現実の処断を明確に断行することはできないのです。ところが真に明確な断案というものは、どうしても道理に通達することによって、初めて得られるものであります。そこで偉大な実践家というものは、一般に大なる読書家であり、さらには著述をもなし得るていの人が多いと言えるわけです。」(『修身教授録一日一言』)より。最近、自分の読書量が減っていることを感じています。森信三先生のこの言葉に改めて触れて反省しました。読書と執筆に、今年は改めて向き合っていきたいと思います。私の意識の中では「実践」という言葉が大きなウエイトを占めているのですが、それは教育というものは、あくまで「実践」であり、評論していても何も変わらないという思いがあるからです。しかし、実践の忙しさにかまけて、読書と著述を...反省

  • 教育をより良いものにするために

    教育をより良くする道は、つまるところ自分をより良くする道でしかありません。自分の至らなさに気がつかず、自分を成長させることも出来ない程度の人間に、どうして他人様を成長させることなどできましょうか。できるはずがありません。自分の浅さや未熟さは、他人様には誤魔化しようもなく、正確に伝わっていくものだと思います。教育をより良いものにするために

  • 全力で

    日本の今を嘆き、日本の未来を憂う声が、巷に満ち満ちています。その通りだと思います。昭和の残滓のようなと言えば失礼ですが、昭和を生きた素晴らしかった人たちの多くは鬼籍に入り、残った大人たちの右往左往する情けない姿が巷にあふれています。では、どうするのか。批判をしても何も変わりませんから、実践あるのみです。イノベーションについて行くことも大切だと思います。しかし、今、問われているのは、人間としての在り方であり、気概や、生き様であると私は思います。日本人としての教養や、国家観・世界観をもった、プリンシプルのある人間が出て来なければ駄目なのだと思います。まずは、自分がどこまでやれるか、とにかく教育実践に全力を尽くします。そして、その結果、その思いが周りにも伝わっていけば良いなと思います。それが何も持たない市井の一...全力で

  • バッカーズ寺子屋(東京)・入塾説明会

    バッカーズ寺子屋20期生の入塾説明会を来月から開始いたします。日程・会場は下記の通りです。◆第1回入塾説明会2025年2月15日(土)15:00~16:00◆第2回入塾説明会2025年3月22日(土)16:00~17:00◆第3回入塾説明会2025年4月25日(金)18:30~19:30◆第4回入塾説明会2025年4月26日(土)11:00~12:00◆第5回入塾説明会2025年4月26日(土)16:00~17:00入塾説明会会場建装工業株式会社1階会議室〒105-0003東京都港区西新橋3-11-1お申し込みはバッカーズ子屋事務局まで。お電話の場合、03-3434-1341までお願い致します。入塾を希望される方は、保護者の方と、必ずいずれかの入塾説明会にご参加下さい。(対象は入塾時10歳から15歳です。...バッカーズ寺子屋(東京)・入塾説明会

  • バッカーズ九州寺子屋・入塾説明会

    バッカーズ九州寺子屋の入塾説明会を来月から開始いたします。日程・会場は下記の通りです。◆第1回入塾説明会2025年2月23日(日)17:00~18:00◆第2回入塾説明会2025年3月9日(日)17:00~18:00◆第3回入塾説明会2025年3月23日(日)17:00~18:00◆第4回入塾説明会2025年4月12日(土)17:00~18:00入塾説明会会場電気ビル共創館〒810-0004福岡市中央区渡辺通2-1-82電気ビル共創館お申し込みはバッカーズ九州寺子屋事務局までHPの「入塾のご案内」をクリックしてお申し込み下さい。お電話の場合、092-791-3440までお願い致します。入塾を希望される方は、必ずいずれかの入塾説明会にご参加下さい。入塾説明会の場で、入塾願書・パンフレットを配布致します。皆様...バッカーズ九州寺子屋・入塾説明会

  • バッカーズ九州寺子屋・入塾説明会

    バッカーズ九州寺子屋の入塾説明会を来月から開始いたします。日程・会場は下記の通りです。◆第1回入塾説明会2025年2月23日(日)17:00~18:00◆第2回入塾説明会2025年3月9日(日)17:00~18:00◆第3回入塾説明会2025年3月23日(日)17:00~18:00◆第4回入塾説明会2025年4月12日(土)17:00~18:00入塾説明会会場電気ビル共創館〒810-0004福岡市中央区渡辺通2-1-82電気ビル共創館お申し込みはバッカーズ九州寺子屋事務局までHPの「入塾のご案内」をクリックしてお申し込み下さい。お電話の場合、092-791-3440までお願い致します。入塾を希望される方は、必ずいずれかの入塾説明会にご参加下さい。入塾説明会の場で、入塾願書・パンフレットを配布致します。皆様...バッカーズ九州寺子屋・入塾説明会

  • 言論

    人間が言葉を使って考えを確立していく生き物である以上、言論は不可欠です。しかし、同時にこれほど不毛になるものもないと思います。だから私は言うことよりも、やることを大事にしたいと思います。大事なことは、何を言っているかではなく、何をやっているのか。言論は共感も呼べば、誤解も招きます。口舌の徒と言われる人間だって沢山います。論陣を張るというのは立派なことだと思いますし、それだけの信念があることは良いことだと思います。しかし、それ以上に「言行一致」した人間であることが大切だと思います。だから多くの経験と多くの苦労をして、人間というものが分かってこなければ、その人間の言説は虚しいものになってしまうのだと感じています。しかし、ものが分かるには「時間」と「経験」が必要です。その人の成長を長い目で見ようと思います。言論

  • 民主主義

    民主主義の危機が叫ばれています。しかし、有権者に良き判断力を身につけるのは教育の役割だとは誰も指摘をしません。政治不信も強いけれど、教育不信はもっと強いと言うことなのだろうかと思います。「かつて松下幸之助は、『PHP』誌に、「国民が政治を嘲笑しているあいだは嘲笑に値する政治しか行なわれない」「民主主義国家においては、国民はその程度に応じた政府しかもちえない」という二つの言葉を毎号掲載し、国民一人ひとりがもっと自分のこととして政治に関心を寄せなければならないと呼びかけた。家庭においても学校においても政治の大切さを啓発するとともに、何が正しいか、何が国民全体にとって利益となるのかを見極める眼を育てる教育が大切だと訴えたのである。」こいういう文を目にしました。これは、サミュエル・スマイルズの『自助論』が背景にあ...民主主義

  • 十五歳までの教育

    「私の考えでは、人間の一生の基礎は、大体15歳までに決まるものだと思うのです。したがってその年頃になるまでの教育は、相手の全人格を左右して、その一生を支配する力を持つわけです。ところがそれ以後の教育は、結局相手の一部分にしか影響しないと言ってよいでしょう。人間も15、6歳をすぎますと、急に批判的になるものです。ところが、そのように批判の芽が出だしてからは、もう教育の影響力は部分的になって、全面的には及びにくいのです。」(『修身教授録一日一言』森信三著より)バッカーズ寺子屋の対象年齢を10歳から15歳にと考えたのは、私の直感でしかありませんでした。ただ、「つの付く年までに躾は終えよ」「我、十有五にして学に志す」という言葉は知っていましたから、そのあたりで決断したのでした。後になって、森信三先生のこの言葉に触...十五歳までの教育

  • 学問

    学べば学ぶほど、自分が如何に大したこともないことを教えているかに気がついてきます。先人たちの学問の業績と、学問への姿勢に対して、私は心から敬意を表します。そのことに気づかないようでは駄目なのだと改めて思います。学問

  • 感謝と共に

    バッカーズ寺子屋の足立美術館への研修を終えて、福岡に舞い戻ってきました。今年も多くの方々に支えていただき、活動を続けることが出来ました。本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。2024年もあとわずかで終了いたします。また新しい歳神様がやってこられます。2025年は更に充実した一年になるよう全力を尽くします。夢や志の持つ力を、「志の教育」が大切だと言う私自身が証明しなければ嘘になります。結果を出します。形に遺します。そのために考え、行動していきます。これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。感謝と共に

  • 虚無との戦い

    2024年の日本の出生数がついに70万人を下回りました。日本は滅びてしまうのかもしれません。日本人がいなくなれば、日本という国も滅びていくのが道理です。子育て世代にお金を出そうという施策ばかりが目につきますが、お金の問題だけなら、戦後、焼け野原になって、本当に貧しかった中で、子どもが生まれるはずがありません。「希望」。この有無が問題の本質ではないかと思います。ミヒャエル・エンデの「ネバーエンディングストーリー」では、おとぎの国ファンタージェンが「虚無」によって滅びていきます。人々が希望を失い虚無に支配され、国が滅びていったのです。国民から税金を吸い上げて再分配するシステム、変わることなくいじめ・不登校を量産し続ける学校教育制度、既得権益の維持と保身しか考えない官僚や政治家、その間隙を縫って、国家を弱体化さ...虚無との戦い

  • アップデート

    企業研修やバッカーズ九州寺子屋の合宿その他で、すっかり更新が滞ってしまいました。メルマガのリリースも遅れています。慌ただしい師走というわけではありませんが、自分の処理能力の低さに歯がゆい思いをいつもさせられています。とにかく私は教育をできれば良いと思っているような人間です。ということは、自分が学び続けられたら良いという人間でもあります。ただし、その学んだことが、世の中のため、未来の子どもたちのために還元されていくようなものでなければならないと思っています。一人でも多くの方にこの教育を理解していただけたら良いと願いつつも、一切の妥協はしたくないと思う自分もいます。後者であることは、自ずと理解者を狭めているのだろうとは思います。しかし、知名度を上げんとの下心を持った教育が、本物になり得るとも思えないのです。アップデート

  • 大河の一滴

    少し古い情報ですが、文科省の発表によれば、昨年度の小中学校のいじめ件数は73万2568件とのこと。そのうち自殺や不登校につながる「重大事態」は1306件。小中学校の不登校は34万6482人で前年より15.9%増。小学校の不登校は13万370人、中学校は21万6112人。高校でも不登校は68,770人。「不登校への理解が広がったことで、無理に学校に行かせなくても良いと考える保護者が増えた」ことなどから件数が増えたと文科省は説明しています。これだけ実績が出ず、業績の改善がなければ、会社であれば当然誰かが責任を取って辞任する事態だと思います。しかしながら、文科省の説明によれば、学校なんか無理に行かなくてもいい程度の場所のようです。終わってるなと思います。そんな場所なら、学校に縛り付けず、もっと自由に選択させたら...大河の一滴

  • 負荷をかけ続ける

    私は東京と福岡の間を最低でも月2回は往復しています。それ以外にも全国各地に講演や研修にお邪魔することがあります。キャリーバックはいつも20㎏をを超えるので、手にはキャリーバックだこ?ができています。ゴルフもテニスも野球もしませんから、キャリーバック以外に手のひらにたこができるようなことは何一つしてはいません。また、萩往還道を萩の涙松から山口市の瑠璃光寺五重塔まで約36㎞を1日で歩く研修を、最低でも年に5回はやっています。勿論、私も歩いています。講演・研修のための準備や下調べなども沢山ありますから、「大変ですね」と声をかけていただくこともあます。しかし、体に負荷をかけ、頭に負荷をかけることで、私はまだまだ気力体力共に充実しています。有り難いことです。もう62歳になりましたが、これからも日本の未来のためにやり...負荷をかけ続ける

  • 読書の難しさ

    読書の難しさは色々とあります。まず、日頃から、読書嫌いの人に、良かれと思って本を勧めても、読みたくないものは頭に入りにくいということです。読書そのものが嫌いという人は、そうした機会でもなければ、そもそも本を読むこともないわけですが、勧めるべきか、勧めざるべきか。難しい問題です。次に、読書が好きで多くの本を読んでいる、ということは良いのですが、そうした人は私も含めて、読む本の傾向が偏りがちだということです。人間は、聞きたいことを聞きたいように聞き、見たいことを見たいように見ることしかできない。とはよく言われることですが、偏りを避けるべきか、避けずに強みとするかは、人によって判断が異なり、これもまた難しい問題です。結局、自分の判断に委ねるしかないと言ってしまえば、身も蓋もなくなるわけで、実に悩ましく思います。...読書の難しさ

  • 世の中は公平

    ちょっとしたことで、噓や誤魔化しはわかってしまうものです。自分ではうまく取り繕っていると思っても、それは無駄なことです。「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉の通りだと思います。だから、小さな嘘もつかないことです。それでは、信用という大きな財産を失ってしまうからです。そうした道理が分かるようになる人もいれば、分からぬままに人生を終える人もいると感じます。世の中は思いの外、実に公平なのだと思います。世の中は公平

  • 人財育成の本道

    人財育成に関して、様々な研究や学説や言説があります。私はHowtoの人財育成は好みません。なぜなら、人間というものは、そんなに単純なものではないと思っているからです。一時的に意識が向上して上手くいったとしても、それが継続しなければ、元に戻っていくだけでしょうし、カンフル注射のようなものでは、長続きしないと思います。北大路魯山人の言葉の通り、「立派な人間は立派な仕事をする。下らない人間は下らない仕事をする。」というのが、「確定的」な事実だと思います。精神修養というものは地道なものだと思います。また、教養を身につけていくことも一朝一夕ではできないものです。教養があり、人間として修養が積まれた人の言葉や表情や顔つきは、素晴らしいものになり、どんな場面でも、同じように人に接していくことが出来るものだと思います。ス...人財育成の本道

  • 親の心配・子の不安

    親御さんが子どもを心配する気持ちはよくわかります。しかし、その心配が子どもの不安な心を生み出したり、その過保護が子どもの自立心を損なったりするということも、ままあることです。叱ることや褒めることをもって、教育をしている気になりがちですが、褒めようが叱ろうが、それは手段であって目的ではありません。いずれにしてもバランスと目的意識が大切で、自分は子どもに何を伝えたいのか。どうなってほしいのか。よくよく考えておかなければならないことだと思います。親の心配・子の不安

  • 恵まれていることに気づく

    富士山も自分の立っている位置からしか見ることはできません。世の中もやはり自分の立っている位置からしか見ることは出来ないのだと思います。正しいか正しくないかではなく、良いか悪いかでもなく、ただ自分の立っている場所で、それぞれが力を尽くしていくしかないのだと思います。批判をしたり、誹謗中傷したりしていても何も変わりはしないのです。私は私の与えられた場での教育に全力を尽くします。ただ、それだけです。一つ言えることは、学校の先生は、校舎があって、教科書があって、生徒が目の前にいてと、恵まれた環境にいます。自分一人で世間を相手にして、「私が数学を教えます」「私が国語を教えます」と言って、いったい何人の人が学びに来てくれるでしょうか。教室を借りるのにも家賃、光熱費、コピー機リース代、コピー代、用紙代、様々な費用が必要...恵まれていることに気づく

  • エクスプレッションアカデミー2024

    エクスプレッションアカデミー2024in福岡全4講座が終了しました。最終講座は満員御礼でお席がなくなってしまい、お断りした方には申し訳ありませんでした。高校で現代文を教えていた生徒で、今は教師となっている方の参加もいただきました。それを機に17年前のレポートを懐かしく読み返しましたが、当時から揺るぎなく「志の教育」を志向していたこと。そして、それが生徒たちにも良く伝わっていたことが改めて感じられました。教育の成果と言うものは、直ぐには分からないものです。しかし、信念を持って全力で伝え続けなければならないのだと思います。それが10年、20年経って、伝わっていたと感じられることがあったら、それで良しとすべきなのだろうと思います。エクスプレッションアカデミー2024

  • わかったこと

    「教育を良くする」というと「子どもたちを良くする」と思うことが多いと思います。しかし、そうではありません。「子どもに影響を与えている自分(大人)自身が良くなる、立派な人間になる」ということ以外には、教育を良くする方法などないのです。自分自身が、子どもや親や多くの人たちに、良き影響を与えられるよう、自分自身を磨き、その結果、自分の言葉と行動が教育と呼ばれるに足るものになり得るかどうか。それだけなのです。「教育が良くない」ということは、自分自身の生き方や考え方が未熟であるのだと、大人が我が身を省みるべきだったのです。学び精進すべきは、子どもでは無く、親であり教師であり、全ての大人たちだったのです。私にも、ようやく、そんな当たり前のことが分かるようになってきました。そのためには、広く、深く学ばなければならないと...わかったこと

  • エクスプレッションアカデミー福岡

    明後日は福岡でのエクスプレッションアカデミー最終講座。今年は「教育において大切なこと」をテーマに全4回で話をさせていただきました。家庭教育にも、学校教育にも、社員教育にも大切なことです。第1講座のテーマは「志」、特別講座は、鹿児島への宿泊研修、第2講座は「教養」、第3講座は「修養」、そして、今週の第4講座が「仁と感謝」です。私自身、話をさせていただくにあたって沢山の気づきと学びがありました。久しぶりに、亡くなった渡部昇一先生の謦咳に接し(残念ながらCDですが)、懐かしいお声を聴きつつ、新渡戸稲造や幸田露伴、その他の先人に学ばせていただきました。もっともっと私も学びを深めなくてはならないと思いました。そして、吉田松陰の言葉が思い起こされました。「而して近時に至り師道益々廃す。余因って其の源を洞察し、亦一説を...エクスプレッションアカデミー福岡

  • 寺子屋講座

    今日は小郡寺子屋志学舎の講座でした。前回のスピーチコンテストを経て、みなさん一回り大きく成長した感じを受けました。楽しく、活気のある学び舎、一人一人が尊重され、自由で伸び伸びと学ぶことが出来る場に、また一歩近づいたように思います。明日はバッカーズ寺子屋の講座です。今から東京に飛びます。こちらは、出雲(出雲大社)、松江(小泉八雲記念館)、安来(足立美術館)の事前学習の講座です。話したいことが沢山あります。日本の自然、歴史、文化、伝統、そうしたものを感じ取ることの出来る学びの1日を創り上げていきたいと思います。寺子屋講座

  • さようなら

    谷川俊太郎さんが亡くなりました。私たちもいつの日にか、この世に、そして共に生きてきた皆さんに、「さようなら」を告げる日が来ます。現代の社会においては、私たちの生活から死の匂いが遠ざかってしまい、死を色濃く感じる機会が失われたように思います。しかし、死は万人に平等に訪れるものです。だから、できる限り死を身近に感じていなければならないと思います。命を大切にする心、二度と無い生を大切にする心というものも、そこから生まれてきているように感じます。死に対する感性を失わないために、そして、生に対する感性を失わないために、谷川俊太郎さんの「さようなら」を読み返してみたいと思います。さようなら谷川俊太郎「ぼくもういかなきゃなんないすぐいかなきゃなんないどこへいくのかわからないけどさくらなみきのしたをとおっておおどおりをし...さようなら

  • 道を歩く

    人生は道に例えられることが多くあります。私も「萩往還を歩く」研修をした時には、歩き終えて、松下幸之助さんの「道」を皆さんと共に改めて味わっています。『道』松下幸之助「自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。広いときもある。狭いときもある。のぼりもあればくだりもある。坦々としたときもあれば、かきわけかきわけ汗するときもある。この道がはたしてよいのか悪いのか、思案に余るときもあろう。慰めを求めたくなるときもあろう。しかし、しょせんはこの道しかないのではないか。あきらめろというのではない。いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。自分だけしか歩めない大事な...道を歩く

  • 誤解と孤独を恐れずに

    事実は一つであっても、一人ひとりの立ち位置から、それは違ったものに見えるのだと思います。富士山にしても、どこから見るのか、いつの季節に見るのか、どのような天候の時に見るのか、そうしたことで、当然、見え方は変わってきます。自分の立ち位置によって、それは変わっていくしかないものだと思います。だから「富士山はこうである」という言説も色々なものになるはずです。そこで議論したところで、結局、自分が見た姿が、その人にとっての富士山になるだけです。あとは、信じるものを貫くか、色々あるよね~と様々な意見を、バランスよく良しとするのかになるのだろうと思います。私は私のこだわりをもって自分の信じるものを貫いていかなければならないと思います。人生の時間には限りがあります。だから、一人になってでも歩き続けなければならないのだと思...誤解と孤独を恐れずに

  • 体験型研修

    萩往還を歩く研修、今年、5回目を終えることが出来ました。春に子どもたちと3回、秋に企業研修で2回歩きます。涙松から瑠璃光寺五重塔まで、約36㎞をひたすらに歩き続け、ゴールを目指していく研修です。この中に沢山の学びがあります。それは、体験してみなければ全く分からない質のものです。歩き終えた翌日に、「美しいゴール(志)を持つことの大切さ。」「一歩を踏み出すことは簡単だが、踏み出し続けることは大変なことであること。」「愚痴を言ってもぼやいても、道は短くならないし雰囲気が悪くなりモチベーションが下がるだけなので、どうせなら共に明るく励まし合って歩いた方が良いこと。」様々なことをお伝えします。ただし、受け取るのは自分次第なので、何を手に入れられたかは一人一人違います。体力によっても、心の持ち方によっても、みんな違う...体験型研修

  • バッカーズ寺子屋・第一回スピーチコンテスト

    第19期生・第一回スピーチコンテストが終わりました。テーマは「伝えたい感謝の言葉」。やはり、思いのこもったスピーチが上位に入りました。しかし、塾生本人は失敗したと思っているであろうスピーチ、例えば、言うことが頭から消えたり、焦って早口になったりというようなことも、それはそれで良いのです。バッカーズ寺子屋のスピーチコンテストでは、原稿を見ずに、自分の心からのメッセージを3分間話すのですから、本当に大変なことです。私は、当たり障りのない、言い間違えないスピーチに価値があるとは全く思っていません。仮に、言い間違えないことを成功というのならば、それは価値のない成功です。それより価値のある失敗をしてくれた方が、本人にとっては得るものが多く、よほど良いのです。私も価値のある失敗の方をとても嬉しく思います。これまでに私...バッカーズ寺子屋・第一回スピーチコンテスト

  • 企業研修

    2日間の企業研修を終了しました。「学び方の変革」「志の教育」がテーマです。締めくくりの受講者の皆様の3分間スピーチは、とても素晴らしかったです。昨日の朝の段階のスピーチとは、明らかに、内容も、声のトーンも、力強さも、大きく違っていました。とても嬉しい時間でした。50歳手前のミドルリーダーの方々研修でした。講演も研修も私の書く文章も、人によって受け止め方は千差万別です。受け入れてくださったら有り難いと思うだけです。否定的にとらえられても、それはそれで仕方ないと思います。私としては、わかっていただけるように全力を尽くしますが、あとは、受け手が決めることですから、どうしようもありません。受け入れられなければ、寂しい思いはしますが、それはそれで仕方の無いことです。そもそも万人受けするようなことを私はやっていません...企業研修

  • 教育改革

    「いにしへの道を聞きても唱えてもわが行ひにせずばかひなし」(日新公いろはうた)学ぶことは大切です。しかし、その上で何をするか。それしかありません。自分自身がどのような人間になり、どのように成長していくのか。その上で、他人様に何らかの影響を与えられるのかどうか。それしかないのだと思います。結局は自分の心一つであり、行いの一つ一つだということです。教育改革

  • 甘い教育

    甘い教育の広がりには恐るべきものがあると思います。一人一人が、「教育」の本質を考えておかなければ、どうにもならないことになるのだろうと思います。歳を経て大切さ気づいたときには、同時に、手遅れであることに気づくということになると思うからです。私の両親は有り難いことに厳しかった。そして、あたたかかった。真心を込めた丁寧さがあった。そう思います。その有り難さなどは、時が経たないとわからないものなのです。下村湖人という人は、そうした教育の本質を鋭く言葉にして下さっています。(以下、Vision&Education,Ltd.メールマガジンより転載)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私の尊敬する人物の一人に、下村湖人(しもむらこじん)という人がいます。小説家であり社会教育家です。明治17年10月3日に...甘い教育

  • 伝える難しさ

    教育者というのは、誰かに何かを伝える存在ですが、伝えること一つをとってみても簡単なことではありません。1.シナリオスキル、2.デリバリースキル、といったスキルの問題もありますが、3.プレゼンスの問題も大きく存在しています。そもそも伝えたいことは本当にあるのか。そこに自分の思いや信念といったものはあるのか。語り得るだけの経験をしてきたのか。そうしたことが問われてしまいますし、それは、誤魔化しようもなく、他人に伝わっていくものです。「わかること」と「できること」は違います。そして、「できること」と「伝えること」も違います。話がわかったからといって、それが出来るかどうかは別の次元の問題です。出来たからといって、そのことを第三者に分かり易く伝えられるかというと、それもまた別次元の問題です。この三者の間には、いくつ...伝える難しさ

  • 教育改革

    教育を変革していくためには、ものすごい勉強量が必要だと思います。それは、世界の中の日本、日本の中の子どもたちをどう育てるかということにならざるを得ないから、世界という空間について色々なことを学ぶ必要があるからです。また、私たちは現在を生きていますが、子どもたちは未来を生きます。過去は現在につながり、現在は未来に繋がっていますから、過去を学ぶことも大切ですし、未来を考えていくことも大切です。この空間軸と時間軸を意識して学び、教育を考えて、実践にまで落とし込んでいくとすれば、日々、必死の努力が必要になります。しかし、目先の利益、自分の豊かな生活しか考えなければ、誰もそんなところまで極めていこうとは思わないでしょう。それでなくとも、日々の生活や子育てなどにも追われていくこととなりますから大変です。しかし、だから...教育改革

  • 教育とは

    教育というものは、日々の地道な実践の積み重ねです。もっと言えば、子どもに何かを伝える側が、自分自身の言葉と行動を磨き続ける営みでしかありません。イベントも時には必要ですが、やはりそれは一過性のものでしかありません。そして、その大人の達成感は、子どもを育てることには、ほとんど影響してはいないというのが本当のところです。世の中には、本当のことは言わない方が良いと思われることが多々あるようですが、私は常に本気で臨みたいと思っています。本当に子どもの未来を思い、教育をより良いものにするためには、いつも本気で物を言うしかないのだろうと思います。教育とは

  • 企業研修

    明日明後日は、2日間連続の企業研修です。企業は利益を生み出さなければ成り立ちません。国内での競争、国際間の競争にも打ち勝って行かなければなりません。そのための力が求められています。その力とは何か。渋沢栄一は、義理合一、義理両全ということを提唱しました。資本主義において、利潤だけを追求すれば、人間の欲望を剥き出しにした、弱肉強食の世界になりかねないからです。そこで渋沢栄一は、資本主義に道徳的考え方、「義」を注入しようと考えます。これが、前述した、「義理合一」「義理両全」ということです。組織の意志というものも、結局は、個々の人間の在り方に由来しているわけですから、人間を育てなければなりません。稀代の美食家・芸術家である北大路魯山人は、まず人間を育てる事の大切さを、次のように語っています。「人間が創作する以上、...企業研修

  • 言葉の力

    言葉に力がないということは、土台となる体力・気力がないということです。また、自分の考え・思い・信念・志・愛情・希望など、あらゆる人としての心の要素が磨かれていないということです。私も若い頃は、全く駄目でした。そして、何が足りないのかもわかりませんでした。自分の考えや信念を鍛え、思いを強くすることは簡単なことではありません。しかし、誰にでもできることであり、やらなければならないことだと思います。言葉の力

  • 教育が良くなるということは

    教育が良くなるということは、一人ひとりの子どもたちの表情や姿勢や生き方が良くなるということだと思います。しかし、それは結果なのであって、そのプロセスとして、当然に、子どもに影響を与え続けている一人ひとりの大人が良くなるということがなければなりません。そして、大人に学校という場がない以上、一人ひとりの大人の厳しい自己陶冶に、それは委ねられているということになります。教育問題とは、実は自分自身の問題でしかなかったのだという、残酷な現実を大人が直視して初めて、教育は良くなり始めるのだろうと思います。教育が良くなるということは

  • もの言わぬ日本人から脱却を

    先日の講演の資料に入れそびれていた新聞記事はこちらでお読みいただくことが出来ます。解答乱麻 【V&E】Vision&EducationOfficialWebsiteご笑覧いただけたら幸いです。もの言わぬ日本人から脱却を

  • 全附P連・全国研修大会 講演終了

    全附P連の全国研修大会の講演が終わりました。まず、この会は本当に素晴らしい会だと感じました。今日まで、誠実に実践を積み上げ続けてこられているのだなぁということが肌で感じられたからです。参加者が600人を越える規模の会を素晴らしく運営され、私以外の講演や分科会も内容が深く、かつ、テーマに沿ったものであり、素晴らしいなと思いました。私も全力で伝えさせていただきましたが、言葉足らずの部分もあったこと、色々な立場の方への配慮が十分でなかったことをお詫び申し上げます。また、もっとお伝えしたいことがあったのにお伝えしきれなかったことを残念に思っています。時間の関係で、所々、内容を割愛していたので、わかりにくくなったこともあったことと思います。ただし、全ては私の嘘偽りのない直言であり、その思いに邪(よこしま)なものは何...全附P連・全国研修大会講演終了

  • いよいよ明日

    いよいよ明日

  • いよいよ明後日

    いよいよ明後日

  • 文明

    明治維新をどう見るかという問題は、実に難しいものです。近代化を成し遂げ、アジアで唯一の工業国になったのは賞賛されるべき事でしょうし、そのことによって西欧列強の植民地にされなかったことは、全く非難されるべきことではなく、むしろ賞賛されてしかるべき事です。しかし、近代化を成し遂げ、西欧列強と伍していくためには、西洋と同じような振る舞いをせざるをえなくなり、やがては、西欧と権益を巡って衝突せざるを得なくなったことは残念なことです。ただ、それもまた、やむを得なかったことだと思います。島国であることを奇貨として、鎖国を続けていれば、戦争などにならなかったかと言えば、やはりそうは行かなかったと思います。国際化、グローバル化の波に飲み込まれていく以外の選択肢はなかっただろうと思います。ただ、そこで思い起こされるのは、西...文明

  • 質問

    私は、「どう思いました?」といった、漠然とした質問を意図的にするようにしています。なぜなら、自分で切り口を絞り込んで答えるしかなく、そこに答える側の問題意識、理解度などが、良く反映されるからです。学校教育では、こうした曖昧な感じで問われることはあまりないと思います。学校では正解が明確にあるから、自分の思考と、判断と理解度において、答えを作っていくことは求められないからです。こうした質問に反発を示す人は、自分の考えがないから答えられないことに苛立ち、「質問が悪い」といった反応を示すことがよくあります。正解があることを前提とした学びが、社会人になってからも、自由な発想に縛りをかけ続けているのだと思います。質問

  • 学校教育批判

    私はいつも、自分が教育実践の中から実感したことを話します。それは時として、教員批判や学校教育批判に聞こえると思います。しかし、私は元来一人の教員でした。そして、今もなお、「生涯一教師」と思い続けています。だから、それら批判に聞こえるであろう言葉は、決して無責任な悪口などではなく、自分自身へも刃を突きつけての言葉です。改善して欲しいという思いに満ちた言葉でもあります。私はかつて、企業の社長さんたちが、学校に講演に来て下さることはあるが、その逆はあるのだろうかと思ったことがあります。つまり、学校の先生が、「さすがは教育のプロだ。我が社の社員にも話をしてやって欲しい。」と言われ、会社に招かれることがあるのだろうかということです。残念ながら、実績を出した部活動の監督さんなどを除いて皆無です。それを私は「悔しい」と...学校教育批判

  • バッカーズ寺子屋での学びについて~レポート~

    バッカーズ寺子屋の学びは、自分の力でつかみ取っていくものであり、時間がかかるものでもあります。まだ、今回は第5講座ぐらいですが、変化は少しずつ生まれてくるものです。最近は、Howtoの「こうしたら、こうなる式の、教育と称するもの」が流行っています。しかし、人間というものは、そんなに単純な存在ではないと私は思います。私は、教育を単純なものと考えて、人間を機械の部品か何かのように扱うのは好みません。また、すぐにわかることを良しとする気もありません。簡単にわかることは、簡単に役に立たなくなるような代物でしかないからです。ただ、難解でも本質的なことを、わかりやすく伝えようとは思います。レポートを書くのも大変だと思います。「聴いていないから書けない」ということを、まずは体感する必要がありますが、そのためには、書けな...バッカーズ寺子屋での学びについて~レポート~

  • 日本の未来のために

    「日本の未来のために」教育をより良いものにするための実践をしていくというと、何やらご大層なことをしている感じに受け止められるようですが、私にはそんな気負いも悲壮感もありません。おそらく国のために尽力している多くの人たちも同じなのだろうなと思います。もちろん私はそんな大した事も出来てはいません。しかし、そのようになりたいとの願いは持っています。与えられた一度の人生を生きるのに、自分のため「利」のためだけに生きていても面白くはありません。なぜなら、自分のためにやっている人には、多くの人たちの賛同や協力は集まらないし、未来への希望や大きな達成感や利他の心、そして、感謝心も無縁のものとなるだけだからです。見返りを求めず、日本の未来のために没頭する人生が、こんなに楽しいものだとは思ってもいませんでした。ただひたすら...日本の未来のために

  • 医食同源

    「医食同源」という言葉があります。人間の体を健康にするために病気になれば医薬の力が必要となりますが、病気にならないためには日頃の食事が大切だと言うことになります。また、病気になった時に何を食べたら回復できるのかという知識と行動も大切だと思います。なかなか慌ただしい日々の中で、食事に手間暇かけるということが失われてきました。しかし、やはり、食事にも教育にも手間暇が大切だと思います。効率を追求して人間を育てることはできません。時が必要ですし、matureという言葉のように、時を経て熟成することも大切です。また、人間の心と体を作るのは、「体に取り入れているもの」ですから、旬のものなどは体にとっても心にとっても最高の食べ物の一つだと思います。だから、私は会社でも「栗ご飯」「栗の渋皮煮」「鯛のあら炊き」など、手間暇...医食同源

  • 九月~秋~

    九月に入りました。子どもたちとの合宿漬けの日々だった八月から、大人の人たちとの企業研修漬けの日々に変わります。ただ、私は子どもも大人も、基本的な課題は同じだと思っています。子ども時代の教育問題が、大人の問題を生み出しているというのが、因果関係に沿った見方だと思うからです。私が行うのは対処療法的な研修ではありませんし、表面的でわかりやすいHowtoの研修でもありませんから、本気で社員の人間的成長を考えている企業とのご縁しか生まれてはいません。子どもにも大人にも、一人の人間として、全力で向き合う自分であり続けたいと思います。暦の上ではもう秋です。日本の秋には美味しいものがいっぱいです。皆様も旬を大いに楽しみ、健康に留意されてください。九月~秋~

  • リーダー不在の悲哀

    次の日本のリーダーが決まろうとしているのだが、メディアが喧伝している人たちは、アメリカやロシアや中国のリーダーたちと対峙した時に、とても互角に渡り合える人材がいるようには見えない。私は政治向きのことに対して発言をするつもりはない。なぜなら、政治向きのことには疎く、よくわかっていないからだ。しかし、人間としての迫力や、信義を重んじる心、国家観・世界観・人間観などは、その人の顔つきや言動や立ち居振る舞いから、なんとなく滲み出てきて伝わってくるものだと感じている。だから、直感的に思うことは、長年の「教育の不毛」によって、国家のリーダーの不在という現象が引き起こされたということである。私は教育を何とかしたい。良き人間教育の裾野が広がっていないから、頂点も駄目だということだと感じる。結局は、国家間の事といえども、人...リーダー不在の悲哀

  • 合宿終了。夏の終わり。

    24日に、小郡寺子屋「志学舎」の合宿が終わりました。バッカーズ寺子屋、バッカーズ九州寺子屋を含め、三つの寺子屋全ての、今期の夏合宿が終わったことになります。今年も私の夏が終わったような気がしています。この一年間の始まりの合宿は、塾生(10歳~15歳)たちにとっても、とてもハードな三泊四日です。そして、支えてくださる引率スタッフにとってもハードな三泊四日だと思います。なぜなら、できる限り手作りでやる合宿だからです。大人がいかに楽に引率できるかを考えているようては、本物の体験は作れないのだと、私は痛切に感じてきました。だから、出来合いのもの、予定調和のものは何もない合宿です。だから、子どもより、引率の大人の方が大切な合宿です。その際には、後ろ姿の教育が一番大切になりますから、私自身が誰よりも汗をかこうと思って...合宿終了。夏の終わり。

  • 東京から福岡に戻ってきましたが、福岡は雨が降っています。久しぶりの雨です。「五風十雨」という言葉があります。五日ごとに風が吹き、十日ごとに雨が降ることが、農作に都合が良いと言われていて、そこから生まれた言葉です。日本人は、自然と農耕と共に生きてきました。「五風十雨」のように気候が穏やかであれば、農作物がすくすく成長して、沢山収穫が出来、人々の暮らしを安んずることが出来ます。この言葉は、『論衡』という書物が出典だということです。人間も自然の一部に過ぎない存在です。野外活動の多い子どもたちとの合宿を三回も実施する八月において、雨は天敵です。しかし、雨音に耳を傾けつつ、植物の喜ぶ声にも耳を傾けられる自分でありたいと思います。「逆境良し、順境もまた良し」ではありませんが、「晴れも良し、雨もまた良し」と思える自分で...雨

  • 教育問題

    「教育問題」とは、「人が人として立派に育たぬこと」を言うのだろうと思います。そして、子どもに大きく影響し、育てているのは、大人の言葉と行動です。その意味で、教育問題とは、断じて子どもの問題ではなく、大人の問題であるはずです。因果関係から言ってそうでしかありません。しかし、教育問題はいつも子どもの問題と見なされたり、学校の問題と見なされたり、施設設備や制度の問題と見なされるようです。そのことに大人が気づいていないことはないと思います。ならば、見て見ぬふりをする卑怯さや、問題をすり替えていく小狡さから、如何にして大人たちが脱却できるかということしか、教育問題の解決方法はないはずです。教育問題は自分自身の問題だと、己に刃を突きつけたときに、初めて問題は解決に向かうのだろうと思います。教育問題

  • 天命を知る

    自分で起業して、会社を経営し続けていくには、心からやりたいことを持っていなければなりません。それは、人間や社会に対する、祈りにも似た強烈な願いでもあります。そして、学び続け、人格を磨き続けなければならないと思います。それは厳しい道でもあり、孤独な道でもあり、同志と共に歩む、楽しく充実した道でもあります。人間教育を生業とし、世の教育をより良いものにしたいと願う会社であれば、尚更のことだと思います。それは、簡単な言葉で言い表せば、志の高さが必要だということです。そうやって懸命に歩いているうちに、自分に与えられた天命というものが見えてくるのだと思います。天命を知る

  • 承認欲求について思うこと

    「自分を見て欲しい」「認めて欲しい」「他人から認められたい」と思っている内は、まだまだ、ものにならないのだと思います。SNS全盛期ですから、大人たちもPRのために、FacebookやXを大いに活用しています。私も背負っているチームのために活用しなければと思った時期もありました。しかし、どうも私は自己顕示欲が低いようで、すっかり更新しなくなってしまいました。ただ、自分と向き合い、自分の思想を鍛えるために、ブログは書き続けています。自分がどう見られるかは、若い頃はとても気になっていました。それは当然のことだと思います。今、若者時代が遠い過去になって言えることは、自分がどう見られるかではなく、自分のやりたいこと、やるべき事に、なりふり構わず没頭しているようでなければ、大したものにはならないと言うことです。承認欲求について思うこと

  • バッカーズ寺子屋の四日間の合宿、バッカーズ九州寺子屋の四日間の合宿が終わりました。全力は尽くしましたが、私の能力不足のために、十分なことは出来なかったのかも知れません。万人に受け入れられる教育はありません。そして、子どもが瞬時に変わる魔法のような教育もありません。ただ、一人一人と真っ直ぐに向き合い、相手に通じる言葉を持つことが出来るように、また、多くの人たちの期待に応えられるように、自分自身を磨いていくだけです。そして、十年、二十年、三十年と時が経って、その痕跡が少しでも認められるのであれば、望外の喜びです。私はこの道を一歩一歩歩き続けていく以外に特段の望みはありません。道

  • ブログ更新について

    思うところあって、今期は、バッカーズ寺子屋、バッカーズ九州寺子屋のブログも積極的に更新しています。こちらのブログはV&E代表としてのブログですが、更新がお留守になっているときには、両寺子屋のブログ更新に勤しんでいる可能性がありますので、そちらもご覧いただければ幸いに存じます。それぞれのサイトから入っていただくと、塾長ブログのアイコンがありますので、そちらからお入りください。よろしくお願い申し上げます。(木村貴志)ブログ更新について

  • ギアを上げる

    今年は、私が塾長を務めている全ての寺子屋で、更にギアを上げた感じで、大切なことを全力で伝えていこうと決意しています。塾生の皆さんは、ついてくるのに大変かもしれません。私も還暦を二年も過ぎてしまいました。人間はいつまでも生きてはいませんから、高いパフォーマンスをやれるうちに、全力を尽くしてみたいと思うのです。この寺子屋が、私のいなくなった未来の社会でも残り続けていることを願います。日本の教育をより良いものにしようという意志を持ち、既成の枠組みに囚われることなく、力強く行動できる若者たちの出現を心から願っています。それが実現すれば、捨て石のように生きてみようと思った私の人生も、多少は意味があったのだと、笑顔で終わることが出来るのかもしれません。それにしても、教育とは手間暇のかかるものであり、職人の手仕事のよう...ギアを上げる

  • 小郡寺子屋「志学舎」第1講座終了

    小郡寺子屋志学舎の第1講座が終了しました。今日は、中富記念くすり博物館に訪問して、くすりの歴史などについて学んできました。小郡市の生涯学習センターに戻ってきてからの講座の中では、レポートの書き方、和食のマナー、箸使い、硬筆など、色々なことをお伝えしました。これらはすべて、一年間の学びに必要なものであり、人生に必要なものであり、当面、夏の合宿で必要になることです。受験勉強以外に大切なことが沢山あることに少しずつでも気づいてくださったら良いなと思っています。人生で大切な学び方、教養、考え方などを多感な時期の子どもたちに伝えていくことが本当に大切だと、最近、益々痛感しています。あと何年フルパワーで共に学べるかはわかりませんが、一日一日を大切にしていこうと思います。一人一人を大切にしていこうと思います。小郡寺子屋「志学舎」第1講座終了

  • 個の確立を目指す

    私が思うことは「個の確立」が喫緊の課題だということです。一人一人の人間が、考え、良き意志を持って、行動を起こしていかなければならないのです。政治家も、メディアも、教育者も、親も、子どもも、一人の例外もなく、自分で考え、私利私欲のためではなく、社会全体としての理想を考え、人のため、国のため、世界のためという思いを持つことが大切だと思います。「君子は義に喩り、小人は利に喩る」(『論語』)という言葉がありますが、君子(立派な人間)になることを理想だ絵空事だと嘲笑し、みんなが小人(つまらない人物)で良いじゃないか、人間そんなもんだと易きに流れ続けてきたのが、日本の戦後から今日に至るまでの日々だったように感じます。それが戦後の貧しさから抜け出したい、人並みの暮らしをしたいということと相まって、誰もが悪気なく利に走り...個の確立を目指す

  • 9月の講演

    9月に全国国立大学附属学校PTA連合会様にて話をさせていただきます。今、教育について思う事どもを全力でお伝えしたいと思います。私も私の長男も附属中学校卒業生ですので、ご恩返しという思いもありつつ、この19年間のバッカーズ寺子屋の教育実践を通じてわかったこと、考えていることを、子どもたちの成長の姿と共に、全力でお伝えしていきたいと思います。9月の講演

  • 寺子屋の教育

    バッカーズ寺子屋、小郡寺子屋「志学舎」で実践している教育方法は、私が高校教師であり続けたら、決して見出すことのできなかったものだと確信しています。そして、子どもの教育と企業教育を同時並行的に実践してきたからこそ見えてきたものだとも思います。私が本当に嬉しく思うのは、教育への批判、評論に終わらずに、19年間、社会の中で教育を実践し続けてこられたということです。教育への批判や評論は、世の中にいくらでもあります。そして、それは、それぞれに正しかったり、鋭い指摘であったりもします。けれども教育は実践しなければ何も変わらないのです。ただ、教育は、既存の枠組みや、現在の教育思想の中ではもはや変わることが出来ないのだろうと思います。そこまでわかったとしても、リスクを取ってまで新しい教育実践を作り上げようという人間など誰...寺子屋の教育

  • 教育を良くする

    「教育を良くしたい」という言葉を使うときに、気をつけなければならないのは、「自分以外の人々を良くしたい」という不遜な願望を持たぬ事だと思います。教育の本質は、その人の「言葉と行動」であり、親も教師も「言葉と行動」で教育するしかありません。それが良きものになるということは、「言葉と行動」の土台にある、自分自身の「考え方」を磨き、良きものにするしかないということです。そして、その「考え方」も、結局は「言語」によるものであり、生まれてからずっと影響を受けてきた、他者の「言葉と行動」によって形作られたものでしかありません。ということは、「教育を良くしたい」という願いは、つまるところ「自分自身をより良い人間にしたい」と願い、努力し続けることでしかないのだと思います。また、その意識を持たず、偉そうに他者に説教するがご...教育を良くする

  • 範を示し、共に学ぶ

    昨日、東京で地下鉄を待っていて、私ともう一人20歳ぐらいのスポーティーな女性が先頭に並んでいました。ドアが開くと、女性は脱兎のごとく、空いた優先席に座ってスマホを熱心にいじっていました。すぐ近くには、お年寄りの女性が立っていらっしゃいましたが、20歳ぐらいの女性は、帽子を目深にかぶって、何も見えないよ~という感じでした。ふと見れば、優先席に座っているのは三人とも若い女性でした。たまたまだったのはわかりますが、世も末だなと感じました。また、どんな教育を受けたらこうなるのだろうと思ってしまいました。自分優先、権利優先、私利優先の浅ましさを感じてしまいました。そして、それは、親の世代の教育の問題だろうとも思いました。しばらくして、その20歳ぐらいの女性は降りていき、空いた席を前に、私は立ったままでした。そんなこ...範を示し、共に学ぶ

  • 小郡寺子屋「志学舎」三期生・入塾式

    明日は、否、本日は、小郡寺子屋「志学舎」の第3期生入塾式です。全力でこの寺子屋の意義をお伝えしようと思います。私は、教育が良くなるということは、あるいは、教育の成果とは、一人一人の子どもの姿が変わるということだと考えています。大人が何をしたか、ではないのです。ともすれば、仕組みを変えたり、機器を導入することをもって、教育の成果とすることが多々あります。それは、行政の成果としてはその通りです。しかし、教育者の仕事はそうではありません。良い点数をテストで取ること、偏差値を上げることが教育の目的ではありません。私の寺子屋では、その子の、何気ない立ち居振る舞い、目の輝き、言葉の強さや、自分の考えを持っているか否か、そうしたことを大切にし、成長の尺度としています。小郡寺子屋「志学舎」三期生・入塾式

  • 志の教育

    私はあまり声高に志の大切さを叫びたくはありません。これほどに手垢のついた、誤解されやすい言葉は無いからです。ただ、言えることは、佐藤一斎、吉田松陰、橋本左内と言った先人たちの言葉の重みに静かに耳を傾けようという事ぐらいです。後は、眉間にしわ寄せて「志を持たねば!」と言うのではなく、「志があると、めちゃくちゃ楽しい!」「自分も楽しいし、周囲の人たちに役立つし、感謝もしていただける!」という感じを目指しています。世のため人のために生きるということは、そういうことだと思います。志の教育

  • 自嘲

    人生の時間は有限です。日々を全力で生きなければ私など何事も為すことなく人生が終わってしまいます。能力がないから努力でカバーするしかないだけのことですが、その現実から目を背けずに立ち向かっていく自分でありたいと思います。しかし、それでも大したことはできないものだなぁと、自嘲している私がいます。自嘲

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