2018年3月にギラン・バレー症候群を発症してから米国ハワイで治療とリハビリを行なってきた。アメリカと日本の比較も含めて参考までに治療の経緯を記録する。
2019年9月21日 医師から軽い登山をするのはいいと言われていたこともあり、リハビリを兼ねて高尾山に登った。 登り始めて3分ぐらいでしんどいなと思ったが、、、ゆっくりと何とか頂上まで登ることができた。途中、神社の急な階段を登るのが脚の筋肉が疲れて少し大変だった。 そして下りの方が登る時より大変だった。片足でしっかり立てないので体のバランスを取るのに苦労した。少し急な傾斜では転ばないように慎重に下りていった。下りは登山用のストックがあった方がいいかもしれない。 2019年9月27日 4ヶ月振りに神経内科で診察を受けた。 相変わらず体が重くて体のバランスが取り難いと話すと、それは小脳の問題だと言…
2019年9月7日 日本に帰国して5ヶ月が経った。 5年振りに本格的に経験する日本の夏はやはり体には負担がかかかるようである。8月下旬は疲労で体がいつも以上に重い日が多かった。 以下、ギラン・バレー症候群の発症から1年6ヶ月後の状態を記録する。 体全体、筋力、関節は・・・ 関節はまだ弱くてグラグラするので、バランスの悪さは解消しておらず、片足でしっかり立つのは難しい。これに関してはあまり改善している気がしない。以前から思っていたことだが、これで全く転ばないのが不思議に思う。筋肉がある程度支えているのだろうが、人間の体は二足歩行に対応するように良くできていると感心させられる。 筋力は付いてきてい…
2019年5月28日 日本に戻ってきて2ヶ月が経った。 現在は職場から歩いて20分ちょっとの所に住んでいて、歩いて通勤している。ちょうどいい運動になっていると思う。体がとっさに反応する自信がないので、日常的に自転車に乗ったりするのはよくないかなと思う。まだ複視の症状があって、正面以外の方向にある物が2重に見えている。 仕事はハワイにいた時よりも体を動かす仕事が多いし、人と話をする機会も多いので、病気の回復にはいいかもしれない。 体が重くて疲れやすいという状態は変わっていない。日本では階段を上り下りする機会が増えたが、上り階段ではすぐ息切れしてしまう。また片足でしっかり立つことができないので、階…
2018年11月10日 病気を発症してから8ヶ月が経った。 体が麻痺していると体が重く感じるのだが、自分の足が重さで床にめり込んでいくように感じることがある。 リハビリはSTが10月22日に終了して、今後はリハビリ施設には通わずに今までやってきたことを自分で続けていくことになる。一般的な理学療法等であまり回復を促進できないなら、自分で考えていろいろなことを試してみるのがいいのだと思う。 仕事は11月から1日6時間勤務している。疲労度はその日によるが、体調に影響されると感じる。例えば夜にあまり眠れなかった時や頭痛がする時などは疲れやすくなってしまうようだ。 2018年11月26日 神経内科のドク…
2018年9月10日 発症から半年が経った。 顔面の麻痺は少しずつ回復しているように見えるが、それ以外の部分の神経の回復は非常にゆっくりで1ヶ月前と比較してもほとんど変化は見えない。まだ体が重くて仕事や生活で疲れやすいと感じる。仕事は今月も半日勤務を継続している。 下半身は・・・ 歩行に問題はないが、バランスが依然として悪くてあまり変化はない。 上半身は・・・ 上半身全体の重さや手が痺れる感覚は依然として残っている。 筋力、関節は・・・ 関節がまだ弱くてあまり変化はない。今はリハビリで付いた筋肉で回復が遅い神経を補っている感じだと思う。 心肺機能は・・・ 心肺機能は少しずつ回復しているように思…
2018年8月10日 ハワイに戻ってからFitbit(歩数、心拍数、睡眠時間などが測れる)を買ったので常時計測しているのだが、非常にゆっくりしたペースでジョギングしただけでも1分間の心拍数が180位まで上がってしまうことが分かった。心拍数180というと最大心拍数程度に相当する。 最大心拍数というのは、現状の体力の限界まで負荷をかけて運動をしたときの心拍数で、例えば健康な人の場合は短距離を全力疾走した直後の心拍数がこれに当たる。 日常生活では安静時の心拍数は60位だが、家の中で冷蔵庫の中を覗いたりといったちょっとした動作でも100を超えてしまう。 心拍数だけを見ても健康とはほど遠いということが分…
2018年7月11日 ホノルルの神経眼科に行って麻痺している視神経の状態を診察してもらった。ハワイ島には神経眼科の医者がいなくてオアフ島に1人だけいるのだが、こういう場合は飛行機料金を保険会社に負担してもらえる。オアフ島にも医師が1人しかいないので非常に混んでいて予約が2ヶ月待ちだった。 ドクターは視神経の麻痺が専門で僕のように複視の症状がある患者を日常的に診ていると言っていた。麻痺の回復についてはやはり時間をかけて待つ以外に方法はないようで、当面はプリズム膜をメガネの右目側に貼り付けて光を屈折させて矯正することになった。とりあえずはこれで1つに見えるようになって安全面での懸念は解消された。プ…
2018年6月18日 リハビリのスピーチセラピーを英語で受けている。この日は英単語の発音が中心だった。唇をきつく閉じることができないので、Pの音、Bの音、Fの音などは特に難しい。また口を大きく開くことができないので、日本語で言えば「い」の発音が難しい。 日本語でスピーチセラピーを受けられないのは残念だが、英語の発音の練習にもなるのでまあいいかと思う。ちなみにスピーチセラピストは別として、アメリカ人には僕が滑舌が悪くてうまく喋れないことが分からないらしい。英語には色々な訛りがあるし外国人は発音が下手なのであまり気にならないのかもしれない。 通っているリハビリ施設では小さな子供がよくスピーチセラピ…
ギラン・バレー症候群というのは自己免疫疾患の1つであり、自己免疫疾患というのは自己の組織や細胞を異物と誤認して生じる病気のことである。ウイルス感染や細菌感染などがきっかけとなって、本来は外敵から自分を守るためにある免疫のシステムが異常になり自己の末梢神経を攻撃すると考えられている。 僕は2月初めにFlu shot(インフルエンザの予防接種)を受けていて、3月8日に全身の麻痺を発症したので、ワクチンが病気の発症のきっかけになったのはほぼ確かなことだと思われる。 しかし、ワクチンが自己免疫疾患の原因になったというのは違うような気がする。自己免疫疾患は何らかの原因で潜在的に発症していて、ワクチンが引…
2018年6月10日 自宅に戻って1ヶ月が経った。リハビリ施設に通い始めたのは6月4日からで、それまでは自宅でリハビリをしていた。全体的に大きく回復したとは言えないが、神経の麻痺はゆっくり回復していくものなので仕方ないだろう。 下半身は・・・ 毎朝、散歩をしていて歩行は少しずつ安定してきたと思うが、片足立ちはまだ不安定。 上半身は・・・ 上半身全体にしびれがあって体がずっしりと重い。手を使う作業の安定性はまだ不十分。改善しているかどうかは自分ではよく分からない。 筋力、関節は・・・ 毎日トレーニングをしているので、筋力は少しずつついていると思う。関節はまだ弱くてプランクで自分の体を支えるのがつ…
5月10日に2ヶ月ぶりに自宅に戻った。 ホノルルから直接日本に行ってリハビリをすることになっていたら、もう2度とヒロには戻らない可能性もあった。しかしヒロでも自宅から通ってリハビリを続けられることが分かったので、それが一番いいということになった。 日本に戻っていたら、まずリハビリ施設や病院に通うのが大変だったかもしれない。東京でわざわざ車を買おうとは思わないし、電車やバスで通うとしたらそれだけで疲れてしまうかもしれない。 それに対してヒロでは、リハビリ施設も病院も家から車で10分足らずの距離にあって妻の運転で連れて行ってもらえる。この町がこんなに便利だとは今まで気付かなかった! ホノルルのRe…
米国は医療費が高いというイメージがあるので、家族はどうなることかと思ったそうだが、ちゃんとした保険に入っていれば大丈夫である。 アメリカの医療保険は複雑で周りに正しい知識を教えられる人もいないので、退院後に保険会社に行って確認して初めてどれだけの自己負担が必要なのか分かった。僕が入っているHMSAという会社の保険プランでは、年間の自己負担額の上限が$2,500と決まっていてそれ以上は払う必要がない。どれだけ医療費がかかったとしても年間で$2,500だけ支払えばよいと分かって驚いた。 日本とアメリカでは診療報酬に大きな違いがある。 診療報酬というのは医療保険から医療機関に支払われる治療費のことで…
2018年5月10日 いよいよRehabを退院する日が来た。ヒロメディカルセンターも含めると2ヶ月に及ぶ入院生活が終了する。 米国のリハビリ病院は患者をどれだけ早く自宅に戻せるか?で評価されるらしく、入院日数の短さを売りにして病院が競っているようである。Rehabも平均の入院日数は12日間と短い。考えてみれば患者が求めていることは早く自宅で生活できるようになることなので、当たり前の評価基準なのだろう。でも日本ではこういう評価の仕方はしないんじゃないかな? 僕は体の運動機能の状態から言えばすぐに退院させられてもおかしくなかったが、おそらく目に問題があったので3週間も入院させてもらったのだと思う。…
Rehabには3週間入院してリハビリを行った。その間の回復状況をまとめると、 下半身は・・・ 入院時も器具無しで何とか歩くことはできたが、どうすれば自然に歩けるのか分からなくなってしまっていた。 セラピーでは廊下や屋外で自然に見える歩き方の練習から始めて、退院時にはある程度意識せずに歩けるようになった。階段は手摺りがあれば上り下りできるようになった。また多くのバランストレーニングを行ったが、片足で立つことは難しかった。 上半身は・・・ 入院時から箸を使って食事をすること、風呂で自分の体を洗うことなど生活に必要なことはひと通りできていた。 退院時でも上半身全体にしびれがあって体がずっしりと重い感…
いよいよ本格的なリハビリが始まる。 最初に説明を受けて、リハビリの時間は1日3時間で基本的には、理学療法(フィジカルセラピー:PT)、作業療法(オキュペーショナルセラピー:OT)、言語療法(スピーチセラピー:ST)の3つをそれぞれ1時間ずつ受ける。そして休みが週に2日ある。それを聞いて、 「何だ、そんなに休みがあるのか。休みなんていらないからもっとリハビリをやりたい。」 なんて思ったけれど、すぐにアメリカのリハビリの恐ろしさを知ることになる。。。 Rehabilitation Hospital of the Pacific(以降、Rehab)はハワイ州で実績No.1と言われるリハビリ専門病院で…
2018年4月17日 午前中に飲み込みのX線テストが行われて合格した! 経鼻チューブはテストの前に外されていたので、昼ごはんから普通の食事をすることになった。普通というのが本当に普通のご飯やおかずを食べていいということでびっくりした。日本だとおかゆ等から始めるのだと思うが、アメリカは違うらしい。 久しぶりに口からご飯を食べてうれしかったが、口が麻痺しているため食べ物を噛むのがとても大変だった。疲れてしまうので、半分位は残した。 昼ごはんのメニュー・てりやきチキン・ミックスベジタブル・ごはん・スープ・オレンジジュース これでホノルルのリハビリ病院に行く準備ができた。ドクターにもリハビリ病院側の準…
2018年4月12日 スピーチセラピーでは、小さい氷を飲み込むトレーニングをしている。口を洗浄して雑菌を除去しておけば、飲み込んだ氷が間違って肺に入ってもあまり問題はない。 この頃は手がしびれていて手作業がうまくできなかった。PTではセラピストに補助されながら歩行器無しで歩く練習を始めた。 2018年4月13日 PCUから一般病棟に移動した。 少しずつ目は開いてきていたが、まだ文字を読んだりテレビを見たりするのは難しかった。スマートフォンを見たり、本を読むことができないのは退屈だった。 妻は毎日、朝8時半頃に来て夜8時頃まで病院にいた。ICUでも一般病棟でもアメリカの病院には面会時間の制限が無…
2018年4月9日 前日に引っ越して来た病室にはシャワー室があったので入院してから初めてシャワーに入った。それまでは、ベッドに寝たままの状態で洗剤やイソプロピルアルコール!を使って体を洗ってもらっていたので、シャワーは気持ちよかった。 スピーチセラピーの時に、明日嚥下(飲み込み)のX線テストをすると言われた。飲み込んだ時に誤嚥(誤って食道ではなく気道に入ってしまうこと)すると肺炎になることがあるので、正しく飲み込めているかどうかX線画像を見ながら確認するのである。このテストをクリアすると、経鼻チューブを外して口から食事をすることができるようになる。 2018年4月10日 嚥下のX線テストを受け…
2018年4月6日 スピーチセラピー(ST)が始まった。食べ物、飲み物を飲み込むことができなくなっていたので、まずは主に飲み込みのトレーニングが行われた。リンゴピューレで練習をして、約1ヶ月振りに口から食べ物を入れたのがうれしかった。 またこの日から急にたくさん喋り始めた。口が麻痺していて呂律がまわらず聞き取りづらいが、口頭でコミュニケーションが取れるようになって非常に楽になった。 2018年4月7日 病室で妻とPT、STの自主トレーニングを毎日行うようになった。この頃の目の状態は、左目だけまぶたが半分位開いていて右目はまだ閉じたままだった。 早ければ来週にホノルルのリハビリ病院に転院できると…
2018年4月4日 前日に口から肺と胃まで通していたチューブを取り外したが、栄養を胃に送るチューブはまだ必要なのでそれまでより少し細いチューブが新たに鼻から胃まで通されていた。 まだあまり喋ることができず、妻の名前を呼んだり、Cough(咳)、Yes、Noと言っただけだった。この日は頭痛がひどかったようである。 2018年4月5日 人工呼吸器が外れたので、病室に看護師が常駐する必要はなくなった。 入院してからずっと使用していた尿バッグの管を取り外した。この日から便器で尿を足すことになった。それはいいのだが、夜はあまり眠れていなかったので頻繁に看護師を呼んで用を足すのは面倒だった。 目が見え始め…
2018年4月2日 朝7時からリハビリで椅子に座る練習をした。また午後には理学療法士(PT)が来て歩行練習が行われた。この日は歩行器を使って38m歩いたのだが、もっと歩きたかった。 もう2、3日前から悪夢は見ていなかったので、両腕をベッドに縛っていた紐を外してほしいと言った。紐が外されて腕が自由になりうれしかった。人工呼吸器に触らないでねと看護師に言われた。 人工呼吸器のチューブを口から挿管している状態は体に負担がかかるので一般的に14日が限度と言われている。この日ですでに22日経っていたので、普通であれば気管切開手術をして喉からチューブを挿管しなければならない。しかし、まだ若くて体力があるの…
2018年3月30日 前日の夜に便が出たのだが、昼の看護師さんがお腹をポンポン叩いてまだ残っていると不吉なことを言った。 朝のエクササイズで椅子に1時間半座った。これまでで一番長い時間座ることができた。午後のエクササイズでは病室から少し外に出たところまで歩行器を使って歩いた。少し歩いただけでも息が切れて、手も足も疲れてしまった。 2018年3月31日 Self Suctionを習った。Suctionというのは吸引器で吸引することで、咳をした時に痰を吸引するものと口の中に溜まった唾を吸引するものがある。唾を飲み込むことができない患者にとってSuctionは必須であり、頻繁に看護師さんにSucti…
2018年3月29日 便器に腰掛ける練習をした。しかし便を出そうとしても腸の機能が麻痺しているので出ない上に、背もたれがない便器に腰掛けるのは体力的に辛くてとても疲れてしまった。 そして、この日急に目が見えなくなったと言い出した。 「さっきまで見えていたのにどうして見えないんだろう?」 すると次のように言われてショックを受けた。 「今までもずっと目は見えていないんだよ・・・顔が麻痺していてまぶたが開かないから・・・」 すでに入院して20日経っていたが、何と僕は自分の目が見えないことをこの時まで知らなかった。 今まで見ていた物はすべて幻覚だったのだ。 これが夢と現実を全く区別できなくなっていた理…
2018年3月27日 日本に帰りたいと言った記憶がある。この時点で自分の病気や容態を理解していなかったので、死ぬ前に日本に戻ろうと思っていたのかもしれない。 日本への移送について産業医を通して神経内科の先生の見解を伺った。人工呼吸器を付けたままの搬送は危険を伴うので勧められないということだった。また費用が700万円かかることも分かった。 また、妻によればヒロの病院の医療レベルや対応は満足の行くものだったそうで、無理に日本に搬送する必要はなかったようである。 2018年3月28日 職場から上司など3人が見舞いに来てくれた。僕は半分眠っている状態だったが、みんなの話し声は少し聞こえていた。病院のド…
2018年3月25日 この頃からは自分が話したことや聞いたことを記憶している。それまでも耳は聞こえていたはずなのに何も記憶に残っていないのは、病室の会話のほとんどが英語だったことが理由の1つかもしれない・・・。 使用されている薬についてや悪夢を見ないようにするにはどうしたらいいか話したり、毛布をかける場所を具体的に指示したりして、筆談でコミュニケーションが取れるようになってきた。 2018年3月26日 この日も妻や看護師さんにたくさん質問をして、例えば自発呼吸をした方がいいのか?午後は何をするのか?と聞いたり、どこかが痛いと訴えたりという具合であった。 またリハビリで手足のエクササイズを1日に…
2018年3月24日 この頃から少しずつ現実を認識し始めていた。 覚えているのは、なぜか分からないが何も見えなくて真っ暗闇の狭い場所で1人で座っていた。自分はもう死ぬんだろうなと考えていた。その時に、 「吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐いてー」 という声が聞こえてきた。 夢の中での状況とその声のトーンには大きな隔たりがあって何かおかしいと思った。それは僕の自発呼吸の練習のために妻が掛け声をかけていたのだった。 少しずつ現実を理解し始めて、自分でも悪夢を見ているとはっきりと自覚したのだろう。ひどい悪夢を見ていると初めて周囲に訴えた。抗不安剤が原因かもしれないということなので、薬の投与を止めるよう…
2018年3月23日 この日の午前11:50頃大きな事件が起きた。 自発呼吸の練習に付き添っていた妻が席を外した一瞬の隙に僕は自分で体を起こして人工呼吸器のチューブを口から引き抜いた。チューブは肺に空気、胃に栄養を送っているもので簡単に抜けるようなものではない。戻った妻が、チューブを抜いて苦しんでいる僕を見つけて絶叫して看護師を呼びに行った。 僕には知る由もないが事件はこれだけでは終わらず、医療ミスを疑った妻が病院側の責任を追求する事態になった。病院側は訴訟になることを懸念して病院長、弁護士と各部門の責任者を揃えてこちらと話し合いをすることになった。 僕はスヤスヤと寝ていたはずで役に立たないの…
2018年3月21日 日本へ移送する選択肢もあると看護師さんに言われた。米国の治療費が高いことを心配していて、また日本に戻れば家族のサポートも受けられると考えたようだ。ハワイは親日の人が多いので日本を過大評価する傾向がある。医療レベルもヒロよりも日本の方がずっと高いと考えているようだが、実際はそんなことはないだろう。 ヒロメディカルセンターではたくさんの医療スタッフにお世話になった。日本と比較して仕事が分業化されていてスタッフの人数が多くその点で安心できる体制だった。ICUのナースマネージャーさんの配慮のおかげで、ICUの中でも優秀な看護師を担当に付けてもらった。ヒロNo.1ナース、マジックの…
2018年3月16日 妻が僕の職場に行って日本の本社の産業医を通じて神経内科の先生から電話で話を聞いて以下のようなことを言われた。 ・今の状態が1ヶ月程度続いて、その後回復していくだろう。後遺症が残るかもしれないが1ヶ月位経ってみないと何とも言えない。半年から1年で60%の人が自立して歩けるようになる。非常にゆっくりと回復していく病気である。 ・ミラー・フィッシャー症候群は米国の方が症例数が多いので、日本と同等かそれ以上の治療が米国の病院で受けられる。人工呼吸器は日本では最終手段のように思われがちだが、アメリカでは助かる見込みのない患者には絶対に使用しない。 2018年3月18日 顔面は麻痺し…
2018年3月11日 この時点でホノルルの病院でより良い治療が受けられるのであれば転院することが検討されたが、ヒロの病院と変わらないことが分かった。 引き続きIVIG(免疫グロブリン製剤)が点滴で投与されている。これは5日間連続で行われたが、症状の改善が見られなかったため、その後19日から2回目の投与が実施された。 また、喉の筋肉の動きが弱くなってきて唾を飲み込むことができなくなり、呼吸ができなくなる危険があるので、午後に人工呼吸器を口から気管挿管した。この日から口から食べること、喋ることができなくなった。 人工呼吸器を挿管してから痛みを伴う激しい咳が出て苦しむようになって、ずっと鎮静剤や鎮痛…
「ブログリーダー」を活用して、aka-penさんをフォローしませんか?