もともと荼枳尼天の祈願をする際に、そのパワーが強烈すぎるゆえにその「抑え」として師僧のご助言もあり文殊菩薩を作成し、お招きするに至った。 つまりは荼枳尼天祈願をするために、荼枳尼天の本地仏として修行させていただくこためです。一門では聖天様を拝むためには、十一面観音さまを拝むことが必須であることに近しい意味です。 ただ、文殊様は荼枳尼天の本地として「しっかり修行させていただく」ことはもちろん生涯継続しつつも、本来的には「智慧の尊格」として衆生を導く存在です。だから本来のお働きとして「衆生を導く」ために活躍いただくのが本義と思い至りました。 勝手な妄想かもしれませんが文殊菩薩さまを目の前に修法する…