究極的には生命を維持していく上で不可欠となる生理学的衝動を満足させること以外の何も習慣化され得ないのだ、この怠惰な生においては。とすると習慣と呼びうるものは本当に食事とか睡眠とかだけになってくるが、毎食思わず舌を唸らせるほどの美味しい食事にありつけるということはないだろうし、そもそも食が細いのもあって、前者に関して積極的な楽しみを見出しているわけではないし、じゃあもう入眠時に意識が暗闇に飲まれようとする数瞬の間に知覚される、自室の矮小な空間を遥かに越え出た魂が日常の意識的な遂行によっては目に見えない光り輝く純生命的な諸力と戯れることによって、ほんの僅かの間だけであるが記憶に生き生きと刻印される…