「明成、これは?」 木の根のそばにしゃがみ込み、草をそっとかき分け、そこに見つけたものを指差し、 現代は傍らに立つハイキングルックの男を見上げて言った。 「それはだめだ。 誤って食べたら吐き下しは免れない毒きのこだ。 しかも、最短でも二日間は高熱で寝込むことになる」 「・・・。 なあ、この寂れた町にも一応スーパーは何軒かある」 「だからわざわざ自らきのこ狩り…
コダワリ派女の面倒くさい日常のくだらない話と主にpixivに掲載中の自作妄想小説の解説や進捗状況なんかを日々つらつらと書き殴っています。
「明成、これは?」 木の根のそばにしゃがみ込み、草をそっとかき分け、そこに見つけたものを指差し、 現代は傍らに立つハイキングルックの男を見上げて言った。 「それはだめだ。 誤って食べたら吐き下しは免れない毒きのこだ。 しかも、最短でも二日間は高熱で寝込むことになる」 「・・・。 なあ、この寂れた町にも一応スーパーは何軒かある」 「だからわざわざ自らきのこ狩り…
「その前に、聞こうか。 私の仔猫は、また一体どこで誰にナンパされたのか。 きみの回答によってはご褒美のデザートはもう少しお預けになってしまうかもしれないが」 「・・・あなたを探している人物に会った」 「ほう。 きみは本当によくその手の人物に遭遇するな。 これで何度目だ?」 明成の言うとおり、この流れは過去にも数回あり、互いにすでに免疫がついているため、 毎回尋ね人…
「もしかして、きみ、人生初の恋煩いか?」 「ばっ!! ちがっ・・・ち、ち・・・・・・え、えぇっ?」 どうやら自分が恋煩いをしているという自覚もなかったらしい。 指摘され、両手でカボチャ頭の口元を覆うように驚き、困惑しているラーシュを見て、 久遠はとうとう中指で眉間を押さえた。 さすがにそこまで初心だとは思っていなかった。 とはいえ、初の恋煩いの相手が自分だというの…
「きみが何をするつもりかは知らないし、興味もない。 だが責任を取るというのなら、まずは私の要求に答えることが道理だろう」 「はぁ? 要求ってなんだ、俺はじきに消える。 もう二度とあんたに干渉することはな・・」 「俺は、おまえに楽をさせてやる気はない、と言ってるんだ」 紗城(すずしろ)の言葉を遮り、低く、ゆっくりと含むように言われて全身に緊張が走った。 その言葉が…
「では、桜乃くんは私と設定の認識合わせをしておこうか」 「はい」 モヒートをもう一口飲んで、公央(きみちか)は頷いた。 「今回の上司と部下の設定は、これにも記載のとおり、もともと恋人未満の微妙な関係だ。 もちろんこの部分は、作品とともに掲載される文章で少し書かれるだけで、 実際に撮影するストーリーの内容には含まれない。 ただ、ごく普通の部下ではなく、そうい…
「どうした?」 ん? と問いながら耳たぶを甘噛みされ、そこから全身に甘ったるい痺れが広がっていく。 「うぅ・・・あなたは、昔から意地が悪すぎるんですよ・・・っ」 「表面を取り繕い本性を隠して相手の懐に入るのは簡単だが、 これから長く付き合っていこうと思う相手にそんなことをしても意味がないだろう。 互いに本性を見せ合い本音で語らなければ本物の信頼関係など築けな…
「すごいな、やはりきみのセンスも独特で素晴らしい。 きみはどちらかというと、洗練されたシャープな印象のものが好きなんだな」 動きやすいラフな服装でやってきた近衛はどこか無邪気な瞳で倉庫の中を見渡している。 ほとんど全身ジャージのような格好なのに、それでも品のある紳士にしか見えないから憎たらしい。 所詮住む世界の違う人間だとはわかっているが、 同じ男として、どこか…
「それはそうと、明成、おまえは気が付いていたか? 現代の中の あのパンドラの箱・・・。 あれが、本人の強い自己暗示だけで鎖されていたわけではないことに」 「・・・いや」 またもやほんのりと意地の悪い笑みを浮かべて問われ、明成はうんざりしながら首を横に振った。 「というか、そもそもわからない単語が多すぎる。 地下組織のグループに、オークションに、プレートに、…
「さあ、今日は僕の奢りです。 どんどん食べてジャンジャン飲んでくださいね!」 両手に花というのは本当に気分がいい。 どちらもかなり個性的な花だが、しかしとても美しいということには変わりがない。 一史はご機嫌な調子で、両隣を交互に見ながらにっこりと笑って言った。 しかし。 「嫌だ、奢りなんてお断りだよ」 「私も結構」 ・・・。 「せっかくセッティングしたのに、二…
「この店の前を通るたびにこのことばかり考えてしまって、辛くなるんだよっ。 もしかしたら、あの部屋に行けば何か解決法がわかるかもしれないって思ったけど、 でもあんた、あの部屋はもう使うなって言ったし・・・」 「ああ、約束させておいて正解だったと今改めて実感していたところだ」 「・・・そ、そういうわけだから、最後にあんたの料理が食えてよかったよ。 まだスタッフ…
ナイジェルがほんの一瞬、視線だけで退路を確認した瞬間、ズキッと右腕の古傷が痛んだ。 「暴れないほうがいい」 静かな声とともに腕を軽く捻りあげられて、思わず本気の悲鳴が口から零れてしまった。 「あ゛ッ、つ・・・ぅ」 「待てッ、崇嗣(たかつづ)! 右腕はやめてやってくれ、彼は・・・ナイジェルは、俺の・・・友人だ」 友人・・・? はっきりとそう言われ、心の奥底では…
静思はゆっくりと寝かされていたベッドから身を起こすと、 ほぼ同時に両側からすっと差し出された 時郎と董の手を交互に見た。 少し頑張れば、そのような支えに頼らずとも自分の足だけで歩くことは可能だと思うが・・・ 静思がわずかに迷っていると、逆に董のほうから手を取られた。 すると今度は反対側を時郎に取られる。 「とりあえず目標は十キロ増だな」 「時郎、そういうおまえだって…
「これは、随分大胆な行動に出たな」 陽も落ちた無明ヶ丘の寂びれた駅前。 その言葉とは裏腹に、近衛はとくに驚く様子もなく足を止めた。 「待ち伏せなどしなくても、普通に呼び出せばいいものを。 連絡先は教えておいたはずだが?」 「・・・話が、したい」 「そんな全身に毒がまわったみたいな顔をして。 せっかくの男前が台無しだ」 休日でもきちんとした格好をしているのはさすが…
「十五年も待たせておいて、まだ逃げるつもりか。 おまえが追いかけっこ好きな兎だということはよくわかったが、私はもうそろそろ落ち着きたい」 「だから、何の話を・・・」 「これ以上まだとぼけた態度を取り続けるというのなら、私にも考えがある」 片手でまとめられた手をそのままに、くちびるを塞がれた。 「ぁ・・・ふぅ、んんぅ・・・」 まずい、そう思ったが遅かった。 …
「だから頼れと言っているだろう」 ほんのりとうんざりさを感じるほど呆れた調子で言われて、景都はおそるおそる口を開く。 「・・・えっと、さっき、響生さん、なんて言いました? 接点がなくなるって言いました?」 「言ったが、それがどうした」 ・・・! やはり、聞き違いなどではなかった。 ということはつまり、響生は、自分と会えなくなってもいいのかとそう言ったのだ。 そん…
現代は固く目を閉じた。 もうあの頃とは違う、と何度も自分に言い聞かせる。 当時の、いつ消えてもいいと本気で思っていた 投げやりで、虚ろで、空っぽな自分ではない。 意志を持ち、目的のために生きているのだ。 こんなところで再び昔と同じ罠に落ちてしまうわけにはいかない。 「なるほど、本当にいい表情(かお)をする」 「・・・」 「こう思っているのだろう、どうしていつもこのよ…
「きみ、うちの派遣の女性たち複数人に手を出していたそうだが」 「あ」 それで思い出した。 そうだ、久満子の名刺に書かれていたロゴだ。 となると、久満子と、それ以前に親密な関係になった女子たちがこの男に相談でもしたのだろうか。 「心当たりはあるようだな」 「はぁ・・・まあ・・・」 しかし解せない。 先日の久満子も含め、基本的には誰ともとくに大きな問題も後腐れ…
「・・・殺すなよ」 「しつこいやつだな、おまえも」 景都を抱えながら、夕凪が背後に向かって再び言う。 それに対し返ってきた冷たく硬質な声は、紛うことなき響生のものだ。 「誰が後始末をさせられると思っているんだ。 しつこくもなる。 正直、私もその男がどうなろうと構わないが・・・今は、景都の処置を優先してやるべきだ。 どうせもうすでに関節の一つや二つ外しているん…
「・・・なんだ、ついに出迎えサービスまで始めたか?」 「ひっ、響生(ひびき)さんッ!? なんで・・・」 ドアを開けたのは背の高いハンチング帽の男、響生だった。 いつもなら待ってましたとばかりにカウンタの中で大きく振りまわしてしまう尻尾が、 今日は予想外のタイミングでの来店に驚き、ピンッと上に張っている。 「なんでも何も・・・。 おまえ、ひどい顔色だな。 もしかして…
「それで六年前のそのとき、やつは何をしていたんだ?」 「わかりません」 この質問に対しては御影も淀みなく答えた。 本当に知らないからだ。 「ん、つまりどういうことだ? 釈永紗城は今さら御影の前に現れて、 当時あの研究室に自分が現れたことを逢沢さんには話してくれるなと、そう言ったということか? 先日、あんたが自分と初対面だと思い込んでるのは、あちらさんにもわか…
「あっ、すみません! あとで掃除するときに一緒に片付けようと思って出しっぱなしに・・・」 突然背後から聞こえてきた、少し慌てた声に 秋一郎は振り返った。 そして軽く瞠目する。 「おい・・・」 智が腰にバスタオルを巻き付けただけの状態でこちらに小走りに向かってきたからだ。 「な、何やってるんだ、おまえ」 「え? シャワーしてました」 髪から雫をポタポタと零しなが…
「じきに分かりますって。そんなことよりも、さっきこの近くであの方とすれ違いましたよ。 ほらあの・・・あれ? 顔はしっかり思い出せるのに名前が出てこない・・・えーと、ほら、あのリュクスの・・・」 一史の勤めるジュエル製薬株式会社のライバル会社、株式会社リュクスの営業。 珍しくド忘れしてしまった男の名前を思い出そうとしていると「あぁ、彼ね」と廿楽はすぐにピンと来たよう…
暗い廊下を曲がるところで慣れ親しんだ気配を感じ、足を止めた。 「あ、ボス」 そこにいたのは側近の魔物、相樂(さがら)だ。 ちょうど文明に用があったらしい。 「なんだ」 言いながら、文明は相樂からふわりと漂った懐かしい香りに気付く。 この香りは・・・ 「・・・茶か?」 それも日本茶、緑茶だ。 中国を拠点にしている文明は普段あまり飲む機会はない。 「はい。 …
呆気に取られるフェネルの目の前で、男・・・三峰(みつみね)はスマートフォンを取り出した。 「ああ、リヒトか? たった今、犯罪者を現行犯で一人捕まえた。 先日おまえと飲んだバーの裏だ、おそらく最近世間を賑わせているやつだと思うが・・・ ん? 私は平気だ、でなければこうして電話していないだろう。 被害者は私の知人だ、だが今は・・・とても話ができる状態じゃない、私が…
「あの騒動がなければ二度と会うことのなかった私たちが今ここで再会しているんだ。 しかも、私たちはただの人間同士ではなく、・・・王と��花�≠セ」 語尾を す、と細めた目で言われて、冷たい何かが背を這うように走り抜けた。 防衛本能からか、反射で思わずソファから立ち上がろうとしたが、 まるで身体が金縛りにあったかのように動かない。 「・・・・・・ッ!?」 「そう慌てる…
「おまえは一体何をしているんだ」 大きな厨房で、突然玲良に声をかけてきたのは予想外の人物だった。 いつもなら、このくらいの時間になると料理人や上層部の幹部たちが匂いを嗅ぎつけて、 味見と称して玲良の料理を食べにくるのだが、今日の声は違う。 無意識に背筋が強張ってしまう。 「・・・相樂が厨房に入るなとは言わなかった」 「たしか、金輪際・・・いや、来世以降も会わな…
次に目が覚めたときは牢の中だった。 小さなその部屋の隅で、玲良が目を覚ましたことに気付いた男がふとこちらを振り返った。 「起きたか」 「・・・猫」 「その呼び方はやめろ」 「親しみを込めているつもりだ」 ゆっくりと身を起こしつつ、不機嫌顔の現代に反射的にそう返すと、冷めた目で軽く睨まれた。 「俺には喧嘩を売られているようにしか聞こえない。 大体何なんだ、あん…
「私のエネルギーだけではだめなのか?」 「残念ながら無理だ」 「だが、現代は今ここにはいない」 「ああそうだ。 ・・・おい待て、どこへ行く」 「現代になら連絡は付く。 それに、この件についてはもうすでにある程度の話はしている。 今すぐ事情を話して中国まで来てもらう」 「くだらないことに私の大切な財産を巻き込むな。 それに、この話をもうあの子にしただと?」 現代の…
「明成、俺はあなたをあの男と関わらせたくない」 「なぜ」 「危険だからに決まっているだろう」 「具体的に」 「・・・やつは・・・」 駄目だ、これを言ってしまえば関わらせたも同然ということになってしまう。 やはりこの男をその場凌ぎの言葉で説得するのは不可能だ。 だったらどうすれば。 「明成・・・。 わかって、くれ・・・頼む、このとおりだ」 現代は深々と頭を下げた。…
帰宅した現代は、一度自分の部屋に戻り、手帳を見つめてしばし考え込んでから、 普段は滅多に近付かないある部屋のドアを静かにノックした。 「どうした」 静かな声とともにドアが開き、中から明成が現れた。 ここは書斎兼、明成の仕事部屋だ。 「仕事中にすまない。 その、今夜か・・・明日の朝早くでもいいんだが、時間を取ってもらえないか。 ほんの十分程度で構わない。 少し…
「んまあ、筋トレもするけどさ、俺はほら、一応、昔、全国大会優勝してるからさ。 空手で」 あえてサラリと言うが、これは拓磨(たくま)の最も自慢のアピールポイントだ。 十年前の話だが、盛り無しの実話だ。 当時に比べて筋力は少し落ちたかもしれないが、身体能力的にはまだまだ現役だと思っている。 今、社会人の部で大会に出ても、さすがに優勝とまではいかないかもしれないが、 それ…
心持ち歩くペースを上げた静流の目に一人の青年が映った。 みやげ物屋の前、興味津々といった様子でショーケースの中のかまぼこを真剣に凝視している。 十代後半か、もしかすると二十歳前後で自分とそう変わらないのかもしれないが、 表情や仕草がやけに幼くて、どことなくアンバランスな気がした。 艶やかな黒髪と目を引く綺麗な顔立ちもあり、気になってしばらく見ていると、 何やら店の人…
もう一度店内を振り返ると、またもやあの男と目が合った。 と、いうよりも男がじっと現代のほうを見ていた。 そして静かにこちらを指差し、先ほどの女性店員に一言。 「そうだな、彼のイメージでもらおうか」 それは命令することに慣れた温度を感じさせない口調だった。 訝しげに男を見ると、男はやけに冷たい表情で現代の視線を受け止めた。 見るからに大企業の上層部といういで…
とりあえずこの短時間で男についてわかったことは、 何らかの望みがあることと、やけにマイペースな性格であるというこの二点だ。 さて、どう話を進めるべきか。 「ふむ。 では、あなたは? あなたもそれの一員ということですか? それともチームBの新メンバー?」 「俺は違う」 これは即答。 表情からも嘘ではなさそうだが、しかしそこから自己紹介が続くわけでもない。 ふむ、…
「それで、そいつはおまえにあえてそんな風に絡んできて、一体何がしたかったんだ? というかその手口は・・・引き抜きの誘い、か」 「な、なんでわかるんですか!?」 「なるほどな。 だったらある意味、成功かもしれないな。 誰だか知らないが、理季に目を付けたこととあえてその攻め方を選んだことは、 ビジネス戦略的には上出来だ。 ただ・・・」 東條の表情が、すっと冷た…
「おい何考えてんだ?」 「楽に死ねる薬が欲しい」 「馬鹿かおまえ、さっきの俺の話聞いてたのか?」 「あんたが男役スターに惚れる変態だって話ならテキトーに聞いてた、どうでもいいと思いながら」 どうせきっともう死ぬのだ、今さら上司だからといって気を使う必要もない。 優明希(ゆめき)はキッチンのほうに目を向けた。 包丁で首か腹を切れば死ねるだろうが痛いのは嫌だ。 何かも…
「巽、私にはわからないんだ。 何が自分のエゴで、何がそうでないのか。 何が最善で、誰のために選択することが真の意味で正解といえるのか・・・本当に、わからない」 自分にとってのエゴとは何か。 視点と角度を変えれば、何を選択しようと明成のエゴだ。 それこそ、何も選択しなかったとしてもエゴだ。 逆にこの状況では、何を選択しても間違いや判断ミスとは言えないのかもしれない…
「身体が何ともないのなら、まずは食事を摂ろう。 現代はもう出かけたから私と二人でランチだ。 といっても、きみは数日間何も胃に入れていなかったから、食べられるものは限られてくるがな。 本当はきみの好きなキッシュでも焼いてやりたいところだが・・・」 「そんな・・・、明成さんも忙しいんですから、僕にあまり気を遣わないでください。 それに あれは・・・僕の、自業自得だ…
男はぼんやりと一史の手元を見つめている。 あえて心を覗かなくてもわかる。 今、この人はなぜか相当落ち込んでいる。 「どうしました、瑞貴(みずき)さん。 あなたの行きつけはあのワインバーのはずでは?」 努めてさらりと訊いてみる。 瑞貴とは、瑞貴の栄転がきっかけで上司部下の関係ではなくなってからも、 たまに会って酒を酌み交わす間柄だった。 しかしその際に瑞貴は必ずとい…
「夕方、きみは帰宅後に買ってきた食材を持ってキッチンに来ただろう。 あのときの顔は、とくにひどかった。 今すぐに抱いてくれとせがんでいるようにしか見えなかった」 「はあっ? なぜそうなるんだ・・・」 すっかり息があがってしまった現代は、肩で呼吸をしながら本当に解せないといった声を出す。 たしかにこめかみを押さえて何やら物憂げな顔をしているから、 余計なことをし…
「ところで、その様子は本当に用事があったわけでないんだな」 「うん。 最初にそう言っただろ。 ・・・その、やっぱり、いけなかった? ごめん、ちゃんとアポ・・」 急に少し不安そうな声を出す巽に明成は小さく苦笑した。 いいかげんに明成という人間をわかってほしい。 「いや違う、そうじゃない。 たしかにきみがアポ無しでやってくるとは少し意外だったが、むしろ・・・嬉し…
「すっげ・・・すげーよ、マスカット! 本物のヒーロースーツみたいだ!」 「陽翔くん、そろそろビショップと呼んでくれませんかね」 「いーじゃん。 マスカットで。 ねー、丈一狼?」 「俺を気安く呼び捨てるなと何度も言っていると思うが」 「ねーねー、俺、カッコ良くない!? これで、あんたの父親助け出して、悪者倒して、俺、一躍有名になったりして! あー・・・そしたらまた名…
明成の手の甲が、今度は瑞貴の頬を すうっとなぞり、そして顎に触れる。 火照った顔に明成のひんやりとした指が少し心地いいと感じた。 「ちなみに、今のきみの頭の中はこうだ。 大丈夫と答えれば嘘がバレる。 かといって、大丈夫じゃないとは言えない。 なぜなら、私に子供だと思われたくないからだ」 「・・・はあっ。 あなたは本当に意地が悪い人だ・・・」 まるで一史(いつし…
「や、やめてくださいッ! 離して・・・!」 「色素が薄くてとても綺麗な身体だ。 想像以上に中性的で少し驚いているよ」 自分でもよく見たことのない最奥までまじまじと見られて顔から火が出そうになる。 「見ないでくださいっ、こんな・・・っ、犯罪ですよ!!」 「犯罪? はて、きみは誰かに拘束されて身動きが取れない状態で辱められたかったのでは?」 「ちが・・・っ、俺は一人で・…
「必要なのは稀有な魂。 身体ではなく、穢れていない魂、つまり魂の潔白を意味する。 たとえばおまえのような花や王といった、特殊な過去や計画を持っていたり、 何者かとの強い縁や契りを魂に刻まれていないことが生娘の最低条件になる」 「そうか・・・ならばむしろ範囲は広いな。 私があの男に施した罰を解いてやれば巫女などすぐに見つかるだろう。 となるとやはり問題はあの目…
「あの、俺、このソファで寝ま・・」 「大手から引き抜きの話でもあったか」 二人の声はほぼ同時だったが、先に相手の言葉に反応したのは理季のほうだった。 「えっ、どうしてそれを?」 「やはりそうか。 きみのダブルワークを認めたのは私だからね。 その程度のことはあらかじめ予測の範囲内だよ。 よそで仕事をする機会があればきみの仕事ぶりもいろんな人の目に触れるわけだから…
東條にはわかった。 近衛は東條の口からあの言葉を引き出したいのだ。 ここまで辱めて、さらにまだ情けない姿を自らの前で晒せというのか。 本当に、どこまでも性悪な男だ。 しかし今日はこの男と駆け引きをしに来たわけではない。 純粋に解決策を・・・いや、もっと平たく言えば助けを求めに来たのだ。 恥を忍んでその言葉を言う覚悟ならば、出来ている。 「どう、すればいいんだ・・…
「うちは銀行員の父と看護師の母で、彼らはごくごく普通の人間だったが・・・、 私には四つ離れた兄がいてね、その兄が普通ではなかった」 「どういう意味?」 「生まれつきの超人だったんだ」 なぜだか半笑い気味に明成が答える。 「超人? 怪力とか、そういうこと?」 「いや、なんというか、何もかも人より秀でてできる男だったんだ。 簡単にいうと天才だな。 勉強や運動…
「忘れものだ」 「忘れたんじゃないですッ、おれ、受け取れないってちゃんと書置きして帰りましたよねッ!?」 「はて、そうだったか?」 「近衛さんッ、駄目です。 これ・・・このお金は、絶対に受け取れません」 少々乱暴に封筒を近衛の胸に当たりに押し付ける。 近衛はそんな智の言動をどこか楽しげな顔で見つめてくる。 まるで小動物と遊んでいるかのような眼差しだ。 「どうして?…
まだ少し重い瞼をゆっくり開けると、ぼんやり天井が見えた。 目が慣れるまでには少し時間がかかる。 身体を起こし、男たちの声がする方向を見て静かに言った。 「そう、あんたは俺の曽祖父にあたる」 三人の男たちは一斉にこちらを見る。 探し人はわざわざ確認するまでもなく一目でわかった。 祖母にはいつも若い頃の父親に生き写しのようだと言われていたが、まさかここまでとは。 こ…
「さあ、今日は僕の奢りです。 どんどん食べてジャンジャン飲んでくださいね」 両手に花というのは本当に気分がいい。 どちらもかなり個性的な花だが、しかしとても美しいということには変わりがない。 一史はご機嫌な調子で、両隣を交互に見ながらにっこりと笑って言った。 しかし。 「嫌だ、奢りなんてお断りだよ」 「私も結構」 ・・・。 「せっかくセッティングしたのに、二人…
ここの飯はまずくはなかったが、明成の料理と比較すると差は歴然だった。 ただその差は、料理の腕というよりも、温度だと思った。 料理の温度という意味ではなく、人の心がこもっているかどうかという意味だ。 明成の料理にはいつも温かさがあった。 さらに、皆で食卓を共にするという時間がそれをより強く感じさせていたのだろうと思う。 あれと同じことがここでできるとは思っていないが、…
「褒美は要らないのか」 「えっ。 そんな、滅相もありませんっ、僕はあなたに選んでいただけ・・」 「まあ、それがおまえの本心なのだろう。 だが先に言っておくが、このようなチャンスはもう二度とないぞ。 それでも何も要らないというのなら私は構わないが・・・」 「・・・あ・・・はい・・・。 要りま・・・」 少し迷ったように瞳を彷徨わせ、そこまで言いかけて静思(せいし…
「ふう、涼しい・・・」 風呂から出てきた朝陽(あさひ)がエアコンの前に立つ。 その表情から、少し落ち着いたことがわかって紀葉人もほっとした。 「ね、ねえ、紀葉人(きよと)さん・・・」 「うん?」 「どうしてその、あんなに強いっていうか・・・喧嘩慣れ? してるの?」 朝陽が不思議に思うのは当然だろう。 紀葉人自身、カッと頭に血が上った瞬間に、昔と何も変わらずに身体…
「さあ、食べよう」 にこやかに食事を運ぶ近衛の姿はもうすっかり健康体だ。 しかしそれは見た目だけの話で、数値で見ると不安定な日もまだ多い。 とくに体内のパイライトの濃度が上昇すると、 左半身にかなりの痛みが出るようで、それを放置すると意識混濁からの記憶喪失は免れない。 さらに厄介なのは、本人の意識がない間に左半身が完全にパイライト化し、暴走を始めることだ。 しかも…
ガラスの向こう側の自動ドアが開くのが視界の端に見えた。 無意識に身体が緊張する。 コツコツと足音がして、何やらパスコードのようなものを入力し、ガラスの内側に入ってきたのは、 白衣を着たロマンスグレーの髪が特徴の、細身の外国人男性だった。 「Hi,Haruto(やあ、陽翔くん)」 やけにフレンドリーな調子で声をかけられ、陽翔は返事のかわりに思い切り怪訝な顔をした。 人をこん…
「あのー、そこのおにいさん」 「!?」 公園とビルの間の歩道で思い切って声をかけると、相手の男はぎょっと驚いた顔で数歩後ずさった。 年齢も三十前後で、獅子丸とあまり変わらないようだ。 「ね、あんた、探偵? この会社について詳しい?」 「ち・・・違う・・・」 小声で問うと相手も同じように小声で返してくる。 視線が忙しなく彷徨っている。 「え、そうなの? だけどあ…
「ほう。 ちなみに、さっき、というのはいつのことだ?」 眉を寄せ首を捻る現代と玲良の顔を見比べながら、明成がさらに問う。 「あなたが外風呂で私を発見する直前だ」 「ほう?」 「はあ?」 興味深げな明成の声と、何か言いたそうな現代の声が重なった。 「し、現代。 とにかく玲良の話を聞こう」 「だが・・・」 「玲良、続きを話してくれないか。 なぜきみは私の家の庭の風…
キャンペーンの詳細がある程度まとまってきたとき、希は はやく営業所に帰りたい一心で、 わかりやすい��そろそろお暇します�≠フサインでもある、他愛ない世間話を振った。 「そういえば先日ここの付近にあるワイナリーが話題になっているとテレビで見ました」 「ああ、有名だね」 藤咲が薄い笑みで頷く。 「ちなみに藤咲社長は赤と白ではどちらがお好きです?」 さり気なく資料を鞄…
「俺、実際に入園するまで、あの人があんなに意地悪だなんて、知らなかった・・・」 「うん? まあ、そうだろうねえ・・・。 彼は普段、極端に口数が少ないからそういう情報が外部に漏れ出にくいのはあるかもね」 セドが苦笑いし、どこか曖昧な口調で答える。 「毎日死ぬ思いで地獄みたいな授業受けて、やっと解放されると思ったら、俺一人だけ居残り。 今日みたいに骨折してたらさ…
「さっきの話だと、廿楽先輩が俺に引き抜きの話をしてくるって、近衛部長は事前に知ってたみたいですが・・・」 「彼はそういう男なんだよ。 そのくらいのことは東條でも気が付いていたんじゃないか? 廿楽くんのことだから、また何か新しいプロジェクトでも思い付いたんだろう。 それには人員の確保が必須だ、しかし使い物にならない素人は要らない。 欲しいのは動かしやすい有能な人材…
どうやら今日は本当に留守のようだ。 マナトは暖炉のあるリビングの三人掛けソファの中央にどかっと腰をおろし、大きな溜息をついた。 「はあっ、なんだよもー。 ちょっとぉー、魔術師サーン? 勘弁してよねー。 せっかくこのマナト様がわざわざ殺しにきてやったってのに、どこほっつき歩いてんだよー」 「すみません、少し買い物に出ておりました」 「ひいいーーッ!?」 突如真…
「きみがなぜ先ほどの質問をしたのかはなんとなくわかる。 だが、運命と計画からは誰一人逃れられない。 それは龍神も、王も、花も、皆同じだ。 わかっているはずだ、大切な何かを捨てねばならない瞬間が必ず訪れる。 残念だが、これに関して例外はない。 私も、きみも、尊彦もだ」 「・・・そうだな」 珍しく少し真面目な顔付きで、明成がどこか少し遠くを見るような目で小さく言…
「現代、口を開けなさい」 食卓から何かを手にした明成が現代に静かに命ずる。 その瞳が優しげに細められているところがまたさらに恐怖心を煽る。 「い、嫌だ・・・っ。 俺は納得がいかない! それに御影もいるんだ、おい、離せっ。 大体俺は、負傷した馬が玄関先で待ち伏してたなんて状況に出くわしたことはないっ。 それに、いつも俺たちのことを猫だの狐だの鹿だの言っておいて、 …
「彼・・・おっと、ご主人様は現在お食事中です」 わざとらしくご主人様などと言い直して羽角が答える。 「はあ? 人をこんな場所に幽閉して自分は呑気に食事だと?」 諦めたような冷めた顔をしているが、現代の口調はとても忌々しげだ。 黄金の花である現代もまた、玲良と同様にこのような目に遭うのは初めてではないのだろう。 「彼の食事は決して呑気ではありませんよ、とても神経…
人間の男は感情のこもらない声で言った。 その声を聞いた途端、零陵の足が一歩、そしてまた一歩と無意識に後ずさる。 「・・・どうして・・・あんたが・・・もう、ハンターは辞めたんじゃ・・・」 顔が青ざめ、声も勝手に震えてしまう。 「招集がかかった。 悪戯狐たちの悪さが止まらないから手を貸してくれと。 先日から現役の妖魔ハンターたちが必死で守っていた村もついに攻め落と…
「今月も俺の勝ちだな」 会社のリフレッシュルーム。 腕組みをして はつきがやってくるのを待ち構えていた同僚の祥(しょう)が薄く笑って言った。 身長差があるため、睨むとどうしても見上げる形になってしまうのも腹が立つ。 ちなみに祥は、はつきの幼馴染でもある。 「ぐ・・・っ、今月こそは絶対に負けないと思ってたのに! てか、一番でかい取引先が改装工事で休業してんのにどう…
こんなことになるくらいならば、最初から粉砕して海に撒き散らし、 魚の餌にでもしてやればよかったと激しく後悔している。 「尊彦。 おまえはすでに気が付いているはずだ、自分が何者であるかを。 だから目を抉った。 しかし、そんなことをしても無駄だ。 おまえには平穏など許されない」 「はあ・・・あんたも大概執念深い男だな。 昔、あんたの使い魔にちょっかいかけたことをまだ…
しかし、今日に関しては何かが少しおかしい。 気分は落ち着いているし、仕事も普段通り問題なく捗ったが、何かいまいち調子が出ない。 とくにどこかが痛むわけでもないが、なんとなく息苦しさを感じる。 我ながら珍しい感覚だ。 「それを人は不調というんだ」 突如背後から聞こえてきた冷えた声に、明成はほんの一瞬だけ身を固くした。 この書斎兼仕事部屋の入口は、今明成が向かってい…
「嘘つきペナルティ」 「いッ!?」 慎重に一定の距離を保ちながら話す尊彦の言葉を途中で遮って男が放った一言は、 尊彦を瞬時にして硬直させる威力があった。 「はあっ、尊彦。 この私につまらない嘘をついたらどうなるか・・・ この世で、きみが最もよく理解していることだと思っていたが、片目を失ったら、 そのことも忘れてしまったか?」 わざとらしく溜息をつきながら探る…
志信が先日の様子を思い出しながら話していると、突然小部屋の扉が大きく開かれた。 開いた扉から強い陽光が差し込み、眩しい光の中に一人の男のシルエットが浮かび上がる。 「ああ、失礼。 静かだったからてっきり誰もいないのかと思ったら。 こんなところで大の男二人がかくれんぼとは・・・」 扉を開けた本人も少し驚いた顔をして、部屋の中の逢沢と志信の両方の顔を交互に見て言った…
「きみは美術部かな」 「え、アタリ・・・とはいえ、僕はピアノを習っていたからほとんど帰宅部だったけどね。 ・・・って、僕の話はいいんだよ!! きみのことを知りたいんだ」 「今さら私の何を知りたい? 私が今ここで可愛いペットたちと幸せに暮らしていることを知っているのは、 きみと、本当にごく少数の限られた人間だけだ」 「だってきみはすぐに僕のこと、なんでもわか…
改めて貰った名刺に視線を落とすと、字面だけは見覚えのある名前が真ん中に書かれていた。 「高階現代? というと、有名なジャーナリストと同じ名だ。 以前は主に経済関係のネタをよくすっぱ抜いていたイメージだが・・・ そういえば最近は紙面であまり名前を見かけなくなっていたな」 つぶやくように言いながら明成は男の全身をもう一度、下から上までさらりと見た。 線が細く、聡明…
「それはそうと、・・・志信、ひとつ頼みがある」 「?」 「黄金の花のエネルギーが欲しい」 「なに?」 「どうせ持っているんだろう、全部よこせとは言わない。 このキューブに入るだけでいい」 そう言って文明はサイコロより二回りほど大きなクリスタルの立方体を手のひらに乗せ、 怪訝そうな表情の志信に見せた。 「私としては直接本人を抱いて採取しても構わないのだが・・・、この…
「先生、今日はありがとうございました」 「あ、お疲れさまでした。 御影さん、どうでした? 初めてのヨガってことでしたけど、やっぱり少しきつかったですか?」 「いや、僕にはちょうどいい強度だったけれど、現代と社長さんには少しハードだったかもね?」 小さく笑いながら御影が答えると、どこからともなく情けない声が聞こえてくる。 「どうしてこの僕までこんな目に・・・」…
「私にはそれが、彼だけへの罰だとは思えないのだが」 今の志信の言葉にはとくに嘘はなかったが、だがそれだけが本心ではない。 志信はじっと明成の瞳を見据え、そして再びゆっくりと口を開いた。 「・・・そうだ。 そうして先日までのあの子をたっぷりと甘やかし、 おそらくこれからもそうするだろうきみと・・・ そして、このような方法を取ることしかできない、私自身への罰だ。 …
「きみが落ちるのは一向に構わないが、私の友人を巻き添えにするのはやめてもらいたい。 落ちたいのなら、地獄へでもどこへでもきみひとりで勝手に落ちろ」 どこかで聞いたことのあるような声がして、千歳(ちとせ)の動きがぎくりと止まった。 「そんな、どうやってここに入っ・・・、って、あっ、おまえ、は・・・!」 目の前にいる千歳の身体が邪魔になって新参者の姿は見えなかっ…
「今日は会長と社長に呼ばれていたんだ。 最近はデパートもなかなか厳しいからな」 東條(とうじょう)の仕事はフリーの経営コンサルタントだ。 出会いはもうかれこれ十七年前に遡る。 当時、理季(まさき)は学生でまだ十五歳。 初めて始めたバイト先で、東條は二十五歳で独立したての駆け出しコンサルタントとして雇われていた。 それが今では敏腕の経営コンサルタントとして、大企業にも…
もうすでに時間がない。 名残惜しいという言葉では到底表現しきれない感情を押さえつけて馨(けい)は御影を見た。 そろそろ夢路がここへやってくる時間だ。 早々に具体的な契約の話に移ろうとした馨の言葉を、高階が「待て」と遮った。 −−− その契約だが、御影があの坊やを引き取るのはいい。 だが・・・その前に、ひとつ気になることがある。 −−− あるねぇ。 僕も聞きた…
興味がないとは言えないが、あのストイックな現代がああなってしまうほどの薬を作り出し、 それを蔓延させ、ある意味すでに世界を征服している男に関わる勇気は御影にはない。 「ですが、僕には引き継いだ研究も・・・」 「嘘をつけ」 冷たい表情で一蹴されて、ぎくっとした。 「アカデミーは今、おまえの扱いに手を焼いている。 俺が脱退して久しいとはいえ、内部にはまだ俺に情報…
「あのままにしたら・・・明成が、壊れそうだった」 ぽつりと零すように言うと、文明は無言になった。 そして再び動きが激しくなり、またもや強制的な絶頂へと導かれた玲良は強い快感に必死に耐える。 文明は小さく痙攣するその身体を見てどこか満足そうに瞳を細めると、 玲良の横に並ぶようにして仰向けに寝転んだ。 「私は、目が覚めた瞬間にやられたと思った」 「?」 「明成…
「やれやれ。 私の身分証を確認しなかったのか。 見ず知らずの男を安易に自宅にあげるとは、この若い博士は随分お気楽な性格をしているらしい。 雀瓜アカデミーといえば、世界屈指の機密組織のはずだろう。 そんなことでリスク管理の面は大丈夫なのか」 嫌味というよりは心底疑問といった口調で言い、男はどこか冷めた顔で改めて御影を見た。 その瞳は数分前よりもしっかりと御影の顔…
「適当に座っててもらって構わない。 あ、先に言っておくが、メニューにあるようなものは期待するなよ? 味は同じだが、余っているのは肉やテリーヌの端、その他 中途半端なものばかりだ」 そういって厨房に入った櫻井が、しばらくして持ってきたのは美味そうな牛の煮込み料理と、 前菜に出されるような、野菜のジュレや生ハム、チーズの盛り合わせだった。 「・・・あんたは? 食っ…
「最低だな」 「歪んでいるのは事実だな」 「なんだってそんな鬼畜なやつのところに戻ったんだ。 ここにいれば、そんな目に遭わずに済むし、大体、それが嫌で出てきたんじゃないのか」 「そんなもの、好きだから以外にないだろう」 「だとしたら とんだ筋金入りのマゾヒストだ」 「あちらのサディスト具合も同じく筋金入りだから、相性は最高ということになってしまうな。 ・・・…
「ねえ、もしかしてあの子に何か言った?」 海鮮の黒胡椒炒めを食べながら親良はカウンタの中の知郎に声をかける。 「ラストオーダーもとっくに終わった閉店間際に来る非常識な客とは喋りたくねえ」 「仕方ないでしょ、僕も自分の店を閉めてから来てるんだもん。 ここ数日、ぱったりと姿を見なくなったんだよねえ、あの子・・・。 少し前にお店掃除してたから、良い兆候だなあと思…
指示された場所にいくつか封筒とチラシを置くと、楠瀬はぐるりと店内を見渡して言った。 「チッ、うるさいな・・・。 あんたに関係ないだろ、用が済んだならもう行けよ」 「関係ないことはないよ、うちも同じビルで飲食店をやっているんだ。 虫やねずみがいたら死活問題なんだよ、わかってる?」 「なんなのあんた、なら大家に言えよ。 あんたじゃなく、大家に言われりゃ出て行くよ」 …
気に入りの高級ブランドのノベルティでついてきて気に入っていたが、 つい最近どこかで落として失くしてしまったものにそっくりだ。 というか、おそらくこれはそのキーホルダーだ。 「・・・どこで拾ったか知りたいか?」 再び椅子にゆったりとかけ直し、男は意味深に笑った。 なんだろうか、この妙な余裕は・・・。 「406号室」 「!?」 その部屋番号は忘れたくても忘れらるれは…
「いやあ、やっぱりここのお風呂は気持ちいいですねえ」 「・・・榊さん、しばらく見なかったけど、忙しかったの?」 「そうなんですよ。 ちょっとバタバタしてて・・・ほら、前に話した相棒のこと、覚えてます?」 「あー、アメリカ人のビジネスパートナー?」 「そう。 彼が急に出て行くことになって、それで一時期テンテコマイになっちゃって。 お店の運営も危機的状況で、もうお風呂…
「・・・パーティでもするのか?」 「あ、お久しぶりです、玲良さん・・・って、パーティなんかしませんよ。 この家では、朝は基本的に全員集合、夜は家にいる人が揃って食事を摂るルールなんです。 ていうか、組織の重鎮というのも大変ですね。 僕の見張りの次は、真冬の無明ヶ丘をパトロールですか? 小さいとはいえ、あんなにたくさんの生傷まで作って、まったくご苦労なことで…
紙袋を開けて中を覗くと、いくつかのパンが入っていた。 ふわりと小麦の香りがする。 「なんだこれ。 これ、おまえんとこのバーガーのバンズじゃねえのか」 「そうです、試作なんです。 その・・・昨日もらったエビチリ、あれが美味しすぎて」 「あんなもん、まかないだろ」 「いえ、そうじゃなくて・・・その、えっと・・・あれで、エビチリバーガー作ったら絶対に美味しいと。 もち…
��コルシカの悪魔�≠ナ久しぶりに友人たちと過ごした夜から数日後、その事件は起こった。 いつもより少し早めに自分の店に向かった知郎は、 相変わらず人の店の前にまで長蛇の列を作る、バーガーショップ��満月�≠フ人気ぶりに、 うんざりするような嫌気がさしていた。 しかし、よく見ると何やら様子がおかしい。 「ああっ、��錦�≠フ柁野(かじの)さんっっ!!」 血相を変え、慌てふため…
パシンッ!! 乾いた音が静かな部屋に響き渡る。 文明の左の頬を打った、玲良の右手の手のひらがじんじんと熱く痺れている。 「・・・」 思い切り叩かれ、わずかに右を向いたまま少しも表情を変えない文明を、 玲良は大量の涙を瞳いっぱいに溜めたまま、強く睨みつけた。 王相手にこんなことをして、ただでは済まないことくらいわかっている。 だが、殺すのなら殺せばいいと開き直っ…
「不眠不休で昼夜研究に明け暮れる変わった男だと聞いていたから、 てっきりもっと小汚い場所と男を想像していたが・・・」 「ッ!?」 あまりに驚いて、その場から飛び退く。 一体どこから侵入したのか、 全身真っ黒の服を着た、見たこともない男が壁のキャビネットに背を預け、腕を組んで立っていた。 ごくり、と唾を飲む。 そこにいるはずなのに気配がしない・・・。 この男…
「コホン・・・。で、何か買って帰るものは?」 その台詞に明成は苦笑する。 なるほど、現代は最初からそれを聞きたかったらしい。 わざわざこのようなまわりくどい話から始めずに、ストレートに聞けばいいものを。 しかしそこがまた妙に律儀な現代らしいといえば現代らしい。 「とくにないが・・・きみ、アポが入っているんじゃなかったのか」 「ああ、夕方だ。 煙草と薬を切らしてるか…
「こんなところで会うとはな」 やはりこれも死を目前にした気まぐれか。 いつもなら気が付いてもとくに絡むこともなくスルーするところだが、 今日はなぜだか少し話してみたい気分になった。 「・・・赤い花の王」 相手も会議中から文明の存在には気が付いていたのだろう。 声をかけられ、相手も足を止めた。 そして、自分よりもほんのわずかに身長が高い文明のことを、 特徴的なダ…
驚いて明成を見ると、いつもと変わらない表情でこちらを見ている。 まな板の上には明成が飾り切りしていた二十日大根・・・。 「おい・・・、食べ物をむやみにパイライト化するのはやめろ」 現代が低く抑えた声で言う。 大体、当たったらどうするつもりだ。 こんなものがこめかみや首の血管にでも刺さったら即死だ。 「私がそんなミスをすると思うか」 「人の心を勝手に読むな、・・…
「なるほど、最近『藤のや』で現代を見かけなくなった理由がようやくわかりましたよ。 こういうことだったんですね」 「・・・そういうことだ」 ふーふーとグロッギにそっと息を吹きかけて冷ましながら、 現代がどこか気まずそうに視線を逸らしつつ答える。 やはり猫舌というのも事実らしい。 「ちなみに、近衛さんのごはんで一番好きなメニューって何です?」 「それは私も今後の…
「ち・・・違うんだ、これは・・・てか、なんでおまえら勝手に人の部屋に・・・」 この状況はあまりにも分が悪い。 祐季也が三悠と二人を交互に見ながらしどろもどろになって言うと、 ジュンが何かを思い付いた顔をした。 「・・・あ、そうだった。 ユキちゃんにこれを返そうと思って来たんだった。 はい、ありがとう」 「へ?」 とことこと歩いてきたジュンに渡されたものを反射…
年配の店主の声に、一史は「こんばんは」とにこやかに会釈しつつ、 ベンチに腰かけて左隣の先客のほうを見た。 だが、相手のほうは一史の視線になど全く気が付かない様子で、 ぼんやりと目の前のおでんの具材を見つめている。 そういえば、この男にはまだ一史がこの土地で新たな生活を始めていることを 知らせていなかったことを思い出す。 「寂しいなあ。 僕の声と空気感忘れちゃいました…
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「明成、これは?」 木の根のそばにしゃがみ込み、草をそっとかき分け、そこに見つけたものを指差し、 現代は傍らに立つハイキングルックの男を見上げて言った。 「それはだめだ。 誤って食べたら吐き下しは免れない毒きのこだ。 しかも、最短でも二日間は高熱で寝込むことになる」 「・・・。 なあ、この寂れた町にも一応スーパーは何軒かある」 「だからわざわざ自らきのこ狩り…
「その前に、聞こうか。 私の仔猫は、また一体どこで誰にナンパされたのか。 きみの回答によってはご褒美のデザートはもう少しお預けになってしまうかもしれないが」 「・・・あなたを探している人物に会った」 「ほう。 きみは本当によくその手の人物に遭遇するな。 これで何度目だ?」 明成の言うとおり、この流れは過去にも数回あり、互いにすでに免疫がついているため、 毎回尋ね人…
「もしかして、きみ、人生初の恋煩いか?」 「ばっ!! ちがっ・・・ち、ち・・・・・・え、えぇっ?」 どうやら自分が恋煩いをしているという自覚もなかったらしい。 指摘され、両手でカボチャ頭の口元を覆うように驚き、困惑しているラーシュを見て、 久遠はとうとう中指で眉間を押さえた。 さすがにそこまで初心だとは思っていなかった。 とはいえ、初の恋煩いの相手が自分だというの…
「きみが何をするつもりかは知らないし、興味もない。 だが責任を取るというのなら、まずは私の要求に答えることが道理だろう」 「はぁ? 要求ってなんだ、俺はじきに消える。 もう二度とあんたに干渉することはな・・」 「俺は、おまえに楽をさせてやる気はない、と言ってるんだ」 紗城(すずしろ)の言葉を遮り、低く、ゆっくりと含むように言われて全身に緊張が走った。 その言葉が…
「では、桜乃くんは私と設定の認識合わせをしておこうか」 「はい」 モヒートをもう一口飲んで、公央(きみちか)は頷いた。 「今回の上司と部下の設定は、これにも記載のとおり、もともと恋人未満の微妙な関係だ。 もちろんこの部分は、作品とともに掲載される文章で少し書かれるだけで、 実際に撮影するストーリーの内容には含まれない。 ただ、ごく普通の部下ではなく、そうい…
「どうした?」 ん? と問いながら耳たぶを甘噛みされ、そこから全身に甘ったるい痺れが広がっていく。 「うぅ・・・あなたは、昔から意地が悪すぎるんですよ・・・っ」 「表面を取り繕い本性を隠して相手の懐に入るのは簡単だが、 これから長く付き合っていこうと思う相手にそんなことをしても意味がないだろう。 互いに本性を見せ合い本音で語らなければ本物の信頼関係など築けな…
「すごいな、やはりきみのセンスも独特で素晴らしい。 きみはどちらかというと、洗練されたシャープな印象のものが好きなんだな」 動きやすいラフな服装でやってきた近衛はどこか無邪気な瞳で倉庫の中を見渡している。 ほとんど全身ジャージのような格好なのに、それでも品のある紳士にしか見えないから憎たらしい。 所詮住む世界の違う人間だとはわかっているが、 同じ男として、どこか…
「それはそうと、明成、おまえは気が付いていたか? 現代の中の あのパンドラの箱・・・。 あれが、本人の強い自己暗示だけで鎖されていたわけではないことに」 「・・・いや」 またもやほんのりと意地の悪い笑みを浮かべて問われ、明成はうんざりしながら首を横に振った。 「というか、そもそもわからない単語が多すぎる。 地下組織のグループに、オークションに、プレートに、…
「さあ、今日は僕の奢りです。 どんどん食べてジャンジャン飲んでくださいね!」 両手に花というのは本当に気分がいい。 どちらもかなり個性的な花だが、しかしとても美しいということには変わりがない。 一史はご機嫌な調子で、両隣を交互に見ながらにっこりと笑って言った。 しかし。 「嫌だ、奢りなんてお断りだよ」 「私も結構」 ・・・。 「せっかくセッティングしたのに、二…
「この店の前を通るたびにこのことばかり考えてしまって、辛くなるんだよっ。 もしかしたら、あの部屋に行けば何か解決法がわかるかもしれないって思ったけど、 でもあんた、あの部屋はもう使うなって言ったし・・・」 「ああ、約束させておいて正解だったと今改めて実感していたところだ」 「・・・そ、そういうわけだから、最後にあんたの料理が食えてよかったよ。 まだスタッフ…
ナイジェルがほんの一瞬、視線だけで退路を確認した瞬間、ズキッと右腕の古傷が痛んだ。 「暴れないほうがいい」 静かな声とともに腕を軽く捻りあげられて、思わず本気の悲鳴が口から零れてしまった。 「あ゛ッ、つ・・・ぅ」 「待てッ、崇嗣(たかつづ)! 右腕はやめてやってくれ、彼は・・・ナイジェルは、俺の・・・友人だ」 友人・・・? はっきりとそう言われ、心の奥底では…
静思はゆっくりと寝かされていたベッドから身を起こすと、 ほぼ同時に両側からすっと差し出された 時郎と董の手を交互に見た。 少し頑張れば、そのような支えに頼らずとも自分の足だけで歩くことは可能だと思うが・・・ 静思がわずかに迷っていると、逆に董のほうから手を取られた。 すると今度は反対側を時郎に取られる。 「とりあえず目標は十キロ増だな」 「時郎、そういうおまえだって…
「これは、随分大胆な行動に出たな」 陽も落ちた無明ヶ丘の寂びれた駅前。 その言葉とは裏腹に、近衛はとくに驚く様子もなく足を止めた。 「待ち伏せなどしなくても、普通に呼び出せばいいものを。 連絡先は教えておいたはずだが?」 「・・・話が、したい」 「そんな全身に毒がまわったみたいな顔をして。 せっかくの男前が台無しだ」 休日でもきちんとした格好をしているのはさすが…
「十五年も待たせておいて、まだ逃げるつもりか。 おまえが追いかけっこ好きな兎だということはよくわかったが、私はもうそろそろ落ち着きたい」 「だから、何の話を・・・」 「これ以上まだとぼけた態度を取り続けるというのなら、私にも考えがある」 片手でまとめられた手をそのままに、くちびるを塞がれた。 「ぁ・・・ふぅ、んんぅ・・・」 まずい、そう思ったが遅かった。 …
「だから頼れと言っているだろう」 ほんのりとうんざりさを感じるほど呆れた調子で言われて、景都はおそるおそる口を開く。 「・・・えっと、さっき、響生さん、なんて言いました? 接点がなくなるって言いました?」 「言ったが、それがどうした」 ・・・! やはり、聞き違いなどではなかった。 ということはつまり、響生は、自分と会えなくなってもいいのかとそう言ったのだ。 そん…
現代は固く目を閉じた。 もうあの頃とは違う、と何度も自分に言い聞かせる。 当時の、いつ消えてもいいと本気で思っていた 投げやりで、虚ろで、空っぽな自分ではない。 意志を持ち、目的のために生きているのだ。 こんなところで再び昔と同じ罠に落ちてしまうわけにはいかない。 「なるほど、本当にいい表情(かお)をする」 「・・・」 「こう思っているのだろう、どうしていつもこのよ…
「きみ、うちの派遣の女性たち複数人に手を出していたそうだが」 「あ」 それで思い出した。 そうだ、久満子の名刺に書かれていたロゴだ。 となると、久満子と、それ以前に親密な関係になった女子たちがこの男に相談でもしたのだろうか。 「心当たりはあるようだな」 「はぁ・・・まあ・・・」 しかし解せない。 先日の久満子も含め、基本的には誰ともとくに大きな問題も後腐れ…
「・・・殺すなよ」 「しつこいやつだな、おまえも」 景都を抱えながら、夕凪が背後に向かって再び言う。 それに対し返ってきた冷たく硬質な声は、紛うことなき響生のものだ。 「誰が後始末をさせられると思っているんだ。 しつこくもなる。 正直、私もその男がどうなろうと構わないが・・・今は、景都の処置を優先してやるべきだ。 どうせもうすでに関節の一つや二つ外しているん…
「・・・なんだ、ついに出迎えサービスまで始めたか?」 「ひっ、響生(ひびき)さんッ!? なんで・・・」 ドアを開けたのは背の高いハンチング帽の男、響生だった。 いつもなら待ってましたとばかりにカウンタの中で大きく振りまわしてしまう尻尾が、 今日は予想外のタイミングでの来店に驚き、ピンッと上に張っている。 「なんでも何も・・・。 おまえ、ひどい顔色だな。 もしかして…
「それで六年前のそのとき、やつは何をしていたんだ?」 「わかりません」 この質問に対しては御影も淀みなく答えた。 本当に知らないからだ。 「ん、つまりどういうことだ? 釈永紗城は今さら御影の前に現れて、 当時あの研究室に自分が現れたことを逢沢さんには話してくれるなと、そう言ったということか? 先日、あんたが自分と初対面だと思い込んでるのは、あちらさんにもわか…
「これは、随分大胆な行動に出たな」 陽も落ちた無明ヶ丘の寂びれた駅前。 その言葉とは裏腹に、近衛はとくに驚く様子もなく足を止めた。 「待ち伏せなどしなくても、普通に呼び出せばいいものを。 連絡先は教えておいたはずだが?」 「・・・話が、したい」 「そんな全身に毒がまわったみたいな顔をして。 せっかくの男前が台無しだ」 休日でもきちんとした格好をしているのはさすが…
「十五年も待たせておいて、まだ逃げるつもりか。 おまえが追いかけっこ好きな兎だということはよくわかったが、私はもうそろそろ落ち着きたい」 「だから、何の話を・・・」 「これ以上まだとぼけた態度を取り続けるというのなら、私にも考えがある」 片手でまとめられた手をそのままに、くちびるを塞がれた。 「ぁ・・・ふぅ、んんぅ・・・」 まずい、そう思ったが遅かった。 …
「だから頼れと言っているだろう」 ほんのりとうんざりさを感じるほど呆れた調子で言われて、景都はおそるおそる口を開く。 「・・・えっと、さっき、響生さん、なんて言いました? 接点がなくなるって言いました?」 「言ったが、それがどうした」 ・・・! やはり、聞き違いなどではなかった。 ということはつまり、響生は、自分と会えなくなってもいいのかとそう言ったのだ。 そん…
現代は固く目を閉じた。 もうあの頃とは違う、と何度も自分に言い聞かせる。 当時の、いつ消えてもいいと本気で思っていた 投げやりで、虚ろで、空っぽな自分ではない。 意志を持ち、目的のために生きているのだ。 こんなところで再び昔と同じ罠に落ちてしまうわけにはいかない。 「なるほど、本当にいい表情(かお)をする」 「・・・」 「こう思っているのだろう、どうしていつもこのよ…
「きみ、うちの派遣の女性たち複数人に手を出していたそうだが」 「あ」 それで思い出した。 そうだ、久満子の名刺に書かれていたロゴだ。 となると、久満子と、それ以前に親密な関係になった女子たちがこの男に相談でもしたのだろうか。 「心当たりはあるようだな」 「はぁ・・・まあ・・・」 しかし解せない。 先日の久満子も含め、基本的には誰ともとくに大きな問題も後腐れ…
「・・・殺すなよ」 「しつこいやつだな、おまえも」 景都を抱えながら、夕凪が背後に向かって再び言う。 それに対し返ってきた冷たく硬質な声は、紛うことなき響生のものだ。 「誰が後始末をさせられると思っているんだ。 しつこくもなる。 正直、私もその男がどうなろうと構わないが・・・今は、景都の処置を優先してやるべきだ。 どうせもうすでに関節の一つや二つ外しているん…
「・・・なんだ、ついに出迎えサービスまで始めたか?」 「ひっ、響生(ひびき)さんッ!? なんで・・・」 ドアを開けたのは背の高いハンチング帽の男、響生だった。 いつもなら待ってましたとばかりにカウンタの中で大きく振りまわしてしまう尻尾が、 今日は予想外のタイミングでの来店に驚き、ピンッと上に張っている。 「なんでも何も・・・。 おまえ、ひどい顔色だな。 もしかして…
「それで六年前のそのとき、やつは何をしていたんだ?」 「わかりません」 この質問に対しては御影も淀みなく答えた。 本当に知らないからだ。 「ん、つまりどういうことだ? 釈永紗城は今さら御影の前に現れて、 当時あの研究室に自分が現れたことを逢沢さんには話してくれるなと、そう言ったということか? 先日、あんたが自分と初対面だと思い込んでるのは、あちらさんにもわか…
「あっ、すみません! あとで掃除するときに一緒に片付けようと思って出しっぱなしに・・・」 突然背後から聞こえてきた、少し慌てた声に 秋一郎は振り返った。 そして軽く瞠目する。 「おい・・・」 智が腰にバスタオルを巻き付けただけの状態でこちらに小走りに向かってきたからだ。 「な、何やってるんだ、おまえ」 「え? シャワーしてました」 髪から雫をポタポタと零しなが…
「じきに分かりますって。そんなことよりも、さっきこの近くであの方とすれ違いましたよ。 ほらあの・・・あれ? 顔はしっかり思い出せるのに名前が出てこない・・・えーと、ほら、あのリュクスの・・・」 一史の勤めるジュエル製薬株式会社のライバル会社、株式会社リュクスの営業。 珍しくド忘れしてしまった男の名前を思い出そうとしていると「あぁ、彼ね」と廿楽はすぐにピンと来たよう…
暗い廊下を曲がるところで慣れ親しんだ気配を感じ、足を止めた。 「あ、ボス」 そこにいたのは側近の魔物、相樂(さがら)だ。 ちょうど文明に用があったらしい。 「なんだ」 言いながら、文明は相樂からふわりと漂った懐かしい香りに気付く。 この香りは・・・ 「・・・茶か?」 それも日本茶、緑茶だ。 中国を拠点にしている文明は普段あまり飲む機会はない。 「はい。 …