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2018/05/05

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  • 大雨で翌日に順延も7人が元気に参加 「パークゴルフ楽しむ会」6月定例競技会

    大雨で翌日に順延も7人が元気に参加「パークゴルフ楽しむ会」6月定例競技会白井健康元気村の「パークゴルフ楽しむ会」(代表・岩崎邦子)は6月29日、前回と同じオスカーパークゴルフ場八千代コースで第22回競技会を行いました。レポーターは同会代表の岩崎邦子さんです。▲前列左から岩崎利明さん、優勝した釜原紘一さん、桜田浩子さん、岩崎邦子さん。後列左から岩尾光昭さん、根本保さん、岡米男さん後競技会報告/岩崎邦子本当は第3金曜日の28日に行う予定でしたが、悪天候のために翌日の開催となったもの。突然の日にち変更で都合が悪くなった方があり、参加者が7人と少なったことが残念でした。でも、前日の大雨にも関わらず、芝の状態が悪くなかったのが幸いでした。前日の大雨が嘘のように、この日は好天に恵まれました。組み合わせはジャンケン。2...大雨で翌日に順延も7人が元気に参加「パークゴルフ楽しむ会」6月定例競技会

  • 快適な対人距離とは… 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(59)

    【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(59)快適な対人距離とは…世界前回「韓国人との付き合いは、心理的にも身体的にも驚くほど距離が近い」と書いた。次の原稿の題材を考えていたら、「ラテンワルツ」という言葉が浮かんできた。例えば、英国人とイタリア人が歩きながら話をすると、いつの間にかワルツを踊っているようにくるくる回り出すという現象だ。パーソナルスペース(PS)が広い英国人と狭いイタリア人がお互いに快適な身体的距離を保とうとして無意識に動いてしまう結果らしい。言い得て妙だ。「ラテンワルツ」という言葉は、学生時代に読んだ開高健か伊丹十三のエッセイに書かれていたように思うのだが、定かではない。「パーソナルスペース」とは、他人に侵入されると不快に感じる空間を意味する。スイス人の動物心理学者、H.ヘディガーの研究をヒント...快適な対人距離とは…【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(59)

  • 次世代露光装置の競争が始まった! 【連載】半導体一筋60年⑥

    【連載】半導体一筋60年⑥次世代露光装置の競争が始まった!釜原紘一(日本電子デバイス産業協会監事)▲熊本に建設中のTSMCの工場(西日本新聞より)水平分業で台湾TSMCが大躍進1990年代になるとファブレス半導体とファンドリー半導体が生まれました。半導体設計を担う「ファブレス」とそこが設計した半導体の製造(ウエハ工程)を受託して製造する「ファウンドリ」に分かれる水平分業の時代の始まりです。ここで注目を要するのは、受託するのがウエハ工程である事です。というのも、実は組立工程については協力工場に委託する事が一般的だからです。品種によって違いますが、1枚のウエハから数百のチップが取れるので、組み立て工程では大量の品物を扱う事になります。自動化ではカバーできない作業も多くあり、協力工場に委託することも。もちろん半...次世代露光装置の競争が始まった!【連載】半導体一筋60年⑥

  • 空母インヴィンシブルはどこへ消えたのか 【特別企画】42年前のフォークランド紛争から学ぶ③

    【特別企画】42年前のフォークランド紛争から学ぶ③空母インヴィンシブルはどこへ消えたのか『週刊ポスト』で筆者が英国海軍の空母インヴィンシブルが炎上する写真を捏造だとした。同じ小学館が出していた写真雑誌『写樂』も、筆者の取材をきっかけに、駐日英国・アルゼンチン両大使館などに取材した記事を掲載する。今回は『写樂』の記事を筆頭に、「インヴィンシブルはその後、どこへ消えたのか?」「英海軍駆逐艦シェフィールドは核兵器を搭載したまま海底に沈んだ」といった疑惑に迫った。そして、インヴィンシブルから離着陸したヘリの副操縦士として活躍し、「フォークランドの英雄」となったアンドルー王子の身から出た錆ともいうべき醜聞にも触れたい。(本ブログ編集人・山本徳造)▲写真雑誌『写楽』も取り上げた写真雑誌もインヴィンシブル炎上の疑惑を検...空母インヴィンシブルはどこへ消えたのか【特別企画】42年前のフォークランド紛争から学ぶ③

  • 白井市の情報はスマホで登録しよう! 『広報しろい』は月2回から1回に

    白井市の情報はスマホで登録しよう!『広報しろい』は月2回から1回に白井健康元気村の有力メンバーで白井市議会議員でもある平田新子さんからのお知らせです。9月から『広報しろい』の発行が月2回から月1回になるため、白井市では情報の伝達をデジタル化で一段と活発にする必要に迫られていました。そこで白井市では、「市公式LINE」「市eモニター」「白井市議会」などがスマホを用いてQRコードで読み取って利用してもらうことにしたのです。これで各種情報を入手しやすくなったのは言うまでもありません。●市公式LINE(タイムリーな情報を気軽に入手)●市eモニター(市民の声をアンケート形式で収集し、市政に生かす)●白井市議会(市議会でのやりとりをリアルに見聞きすることで、市政の今と将来を知る)集団検診の予約もLINEで集団検診の予...白井市の情報はスマホで登録しよう!『広報しろい』は月2回から1回に

  • やたら距離が近い「韓国式付き合い」 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(58)

    【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(58)やたら距離が近い「韓国式付き合い」ソウル、密陽(韓国)ソウルのホテルの一室。早朝、目が覚めた。目覚めたというより突如意識が戻ってきたような感覚である。ベッドではなく、木の床の上だった。身につけているのはパンツと靴下だけというなんとも情けない格好だ。歯ブラシを咥えたままで、歯磨きのペーストがカペカペに乾ききって口の周りが引きつっている。歯を磨こうとしたところで、力尽き意識を失ったらしい。鏡に映る自分の顔、姿がなんとも惨めで、そして滑稽だ。東京行きフライトの搭乗時刻まで、5時間ほどある。顔を洗い、口をゆすぎ、そして靴下を脱いでベッドに潜り込んだ。頭痛はするし、固い床の上に寝ていたので体中が痛い。徐々に記憶が蘇ってきた。昨夜は、お客様、ビジネスパートナー、東京からの出張者...やたら距離が近い「韓国式付き合い」【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(58)

  • 微細化競争に負けた日本 【連載】半導体一筋60年⑤

    【連載】半導体一筋60年⑤微細化競争に負けた日本釜原紘一(日本電子デバイス産業協会監事)潮目が変わって日本は長期凋落へ!1990年頃をピークに日本半導体のシェアは低下していき、今日に至るまで復活することなく落ち続けています。では何故こうなったのでしょうか。この原因として、いろいろな議論があります。例えば―-①日米半導体協定の影響(韓国、台湾の台頭に有利に働いた)。②ビジネスモデル(ファブレスとファンドリー、水平分業化)の変化に対応できなかった。③半導体消費市場がAV関係から情報機器(パソコン、携帯電話等)へ変わったが、日本企業はその動きに取り残されているガラパゴスの携帯電話は世界では売れない!④経営の問題(スピードが遅い、投資せず内部留保を増やすのみで成長できない)。ここではビジネスモデルの変化について説...微細化競争に負けた日本【連載】半導体一筋60年⑤

  • 小澤征爾の父親は民族派学生運動の支援者だった! 小澤開作の満洲人脈と日本学生同盟との関係

    今年2月6日、世界的名指揮者の小澤征爾が死去しました。彼の父親は満洲国と深いつながりがある小澤開作です。近現代史研究家の田中秀雄さんは、小澤開作夫人や他の兄弟とも面識があり、『石原莞爾と小澤開作―民族協和を求めて』(芙蓉書房出版)の著作もあります。そこで本ブログでも「父親の小澤開作は満洲建国の功労者だった!世界的指揮者の小澤征爾逝去に想う」という題の一文を4月20日に寄稿してもらいました。ところで、70年安保闘争を前にして大学紛争の嵐が全国の大学に吹き荒れたとき、学園正常化を目指して起ち上がった組織があったことをご存じでしょうか。日本学生同盟(日学同)です。つい最近、その機関紙「日本学生新聞」の創刊号を田中さんが入手し、小澤開作が日学同を応援していたことを改めて確認しました。小澤開作・征爾親子の名刺広告が...小澤征爾の父親は民族派学生運動の支援者だった!小澤開作の満洲人脈と日本学生同盟との関係

  • 明かされた心理情報戦の実態 【特別企画】42年前のフォークランド紛争から学ぶ②

    【特別企画】42年前のフォークランド紛争から学ぶ②明かされた心理情報戦の実態アルゼンチン軍は1982年4月2日、英国が実効支配しているフォークランド(アルゼンチンは「マルビナス」と呼ぶ)諸島に上陸したことで、この紛争が始まった。英国のサッチャー首相は英サッチャー政権は島々を奪還するため軽空母を中心とする艦隊を紛争地に向かわせる。空爆やミサイルが飛び交う超近代戦に、世界中のマスメディアが注目したのは言うまでもない。英国機動部隊がフォークランド諸島に上陸した5月21日、筆者もブエノスアイレスでの取材を開始した。派手な火力戦の裏で行われていた心理情報戦の取材が中心である。そして、勝敗はあっけなく決着した。6月14日、アルゼンチンのガルチェリ大統領が敗北を認めたのである。この夜、カサロサダ(ピンク色の大統領官邸)...明かされた心理情報戦の実態【特別企画】42年前のフォークランド紛争から学ぶ②

  • 楽しく話して 楽しく歌って② 【村民の声⑬】

    【村民の声⑬】楽しく話して楽しく歌って②岩崎邦子私がパークゴルフをするようになったきっかけなどは、以前に「村民の声」にも書いている。まだ、元気村に入村する前のことであるのだが、パークゴルフの会を立ち上げた人は、Iさんという方で、「是非に」と、入会させてもらった。その会で楽しく過ごして、私達夫婦は、体調も良くなり、元気になれた。だが、ある時プレー上で、迷惑と困惑が起きて、その会は退会をしてしまった。この経緯は、私の過去のエッセイに細かく書いている。話は戻るが、Iさんご夫婦は、かつて「歌声喫茶」に通っておられたのではないだろうか。「楽譜なんか分からないけどね」そう言いながら、Iさんはアコーディオンを器用に弾き、リクエストをすれば、ほぼどんな曲でも伴奏をしてくれる人だった。パークゴルフの会の総会などの後には、ア...楽しく話して楽しく歌って②【村民の声⑬】

  • イムジン河の水清く 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(57)

    【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(57)イムジン河の水清く坡州(韓国)板門店のある軍事境界線(38度線)を隔てて北朝鮮と接する最前線の地、坡州(パジュ)を訪れたのは、2009年2月10日のことだった。坡州は、現在人口50万の大都市で、市域に非武装地帯(DMZ)がある唯一の市である。▲臨津江平和ヌリ公園の案内図の前で韓国の協力会社、代理店、ソウル駐在員らと共に市の北部臨津江(イムジン河)を臨む一帯は、臨津江平和ヌリ公園として整備され、多くの観光客や朝鮮戦争で離ればなれになった北に住む家族に思いを馳せる人々で賑わっている。私たちは、公園内を言葉少なに散策し、イムジン河に架かる臨津江鉄橋に辿り着いた。そこには、河に沿って張り巡らされた鉄条網に様々なメッセージが記された無数の紙片、リボン、太極旗などが貼り付けられ...イムジン河の水清く【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(57)

  • 「失われた30年」への序章 【連載】半導体一筋60年④

    【連載】半導体一筋60年④「失われた30年」への序章釜原紘一(日本電子デバイス産業協会監事)「第一次半導体協定」は米国の宣戦布告だった私は昭和60(1985)年10月、半導体工場から本社半導体マーケティング部門に異動となったのですが、それは日米半導体摩擦が続いている時期でした。その4カ月前の同年6月、米国半導体工業会(SIA)は「米国市場において日本がDRAMをダンピングして売っている」と米通商代表部(USTR)に提訴しました。1970年代後半から80年代にかけて、日本の半導体、特にDRAM(DynamicRandomAccessMemory)は米国市場において売り上げを急速に伸ばします。DRAMとは、半導体素子を利用した記憶装置の一つ。主にパソコンのメインメモリ(主記憶装置)として用いられています。この...「失われた30年」への序章【連載】半導体一筋60年④

  • 日系人も元自衛隊員も戦った 【特別企画】42年前のフォークランド紛争から学ぶ①

    【特別企画】42年前のフォークランド紛争から学ぶ①日系人も元自衛隊員も戦った今から42年前の1982年、フォークランド諸島を実効支配するイギリスと領有権を主張するアルゼンチンが武力衝突した。いわゆるフォークランド(アルゼンチン側は「マルビナス」と呼ぶ)紛争である。結局、この紛争にイギリスが勝利し、フォークランド諸島は英国系住民のもとに戻った。紛争直前まで支持率低下に悩んでいたサッチャー首相は一躍「救国の英雄」に。敗北したアルゼンチンのガルチエリ大統領は政権の座から引きずり降ろされ、しばらくしてアルゼンチンは軍政から民政に移行する。私は当時、週刊誌の特派記者として紛争終結までの約1カ月間、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに滞在した。マルビナス諸島での取材は禁止されていたので、もっぱらブエノスアイレスと隣国...日系人も元自衛隊員も戦った【特別企画】42年前のフォークランド紛争から学ぶ①

  • 楽しく話して 楽しく歌って① 【村民の声⑫】

    【村民の声⑫】楽しく話して楽しく歌って①岩崎邦子小・中学時代の初めての同窓会の案内が来たのは、私が40歳になった1980年の夏のことである。まずは、9年間という子供時代を共にした仲間たちと会えるのだ、という懐かしさが先立った。会場は故郷のО市の中心から少し離れたホテル。ロビーで出会った友たちは、すぐに、誰ちゃん、何君と分かる人が大半で、手を取り合って懐かしんだ。小学校時代には、何かが気に入らないと、すぐに拳を振ることで怖い存在だったU君が私の顔を見て、「あ、あんた誰?」すると近くにいた誰もが、「クンちゃんが、分からへんの?〇〇(学校の名前)のもぐりだよ~」と、笑いたてている。当時は接点がなかったとはいえ、U君とは「お互いに元気で良かったネ」と、握手を交わした。こんな有様からの同窓会は、懐かしさと元気であっ...楽しく話して楽しく歌って①【村民の声⑫】

  • 天国に一番近い島? 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(56)

    【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(56)天国に一番近い島?ニューカレドニア▲放火により燃えさかるヌメア市街▲フランス領ニューカレドニアで大規模な暴動が発生した。5月13日のことである。テレビ画面には、暴徒によって放火された街や路上に放置され燻っている自動車などの映像が流れ、アナウンサーが淡々と暴動の背景を説明する。そんな信じがたい光景を目にして、台北駐在時代の1992年頃に家族旅行で訪れた彼の地の光景が脳裏に浮かんだ。しかし、それは意外なことに、美しいビーチや珊瑚礁、荘厳な夕焼けなどではなかった。▲ニッケル鉱山▲内陸部に広がる赤茶けた大地ヌメアのトントゥータ空港からホテルに向かうバスの車窓から見る海は、ニッケル精錬所から出る廃液に汚染されたのか、赤茶けた色に濁っていた。寂れた街道沿いには、小規模なニッケル...天国に一番近い島?【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(56)

  • かつて世界を席巻した日本の半導体企業 【連載】半導体一筋60年③

    【連載】半導体一筋60年③かつて世界を席巻した日本の半導体企業▲筆者が入社後に配属された三菱電機北伊丹製作所ウエスティングハウス社と技術提携パワーデバイスの技術者として体験したことを踏まえ、且つ半導体マーケティングを担当した者の視点から歴史を振り返りたいと思います。私が三菱電機に入社した昭和39(1964)年当時、米国ウエスティングハウス社(以下=ウ社)と技術提携を結んでおり、パワーデバイスの開発はウ社からの技術導入により行われました。入社後に北伊丹製作所(半導体工場)に配属され、最初に任されたのが、ウ社の技術仕様書を日本語に翻訳する事でした。部品の寸法はインチをメートルに換算するので、23.1センチなどと端数のついたまま使っていました。先輩技術者達がウ社半導体工場を視察した調査結果を報告書にしたり、説明...かつて世界を席巻した日本の半導体企業【連載】半導体一筋60年③

  • 続・ジョークでビジネスを円滑に 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(55)

    【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(55)続・ジョークでビジネスを円滑に英国、イタリア小学校時代、毎週土曜日は授業が終わると一目散に家に帰っていた。私だけではなく、私が育った大阪の子供たちの多くがそうだった。当時大人気だった「吉本新喜劇」を見るためである。「そんなことばっかりしてたら、ヨシモトに売るで!」嘘かホントか、子供たちが親の言いつけを聞かなかったり、悪さをしたりすると、母親達は子供を脅していた。吉本新喜劇を見なくなって久しいが、今でもお笑いは好きだ。しかし、好きなのは、落語や講談、ヤスキヨのような昔の漫才で、最近のおどけた仕草やつまらないギャグばかりの漫才には興味が無いどころか、見ていると不愉快にさえなる。テレビでナントカ漫才選手権のような番組を見ていると、会場を埋めている殆ど女性ばかりの観客達や審...続・ジョークでビジネスを円滑に【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(55)

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