棚底城跡の攻略は、まだまだ続いております。まだ、半分しか攻略しておりません。。。あまりの暑さに、帰りたくなった。織田信長は、この時代・・・お茶を楽しんでいたのカナ?この上が、城主の居住地らしい。。。もう一息だな。。。この上らしい。。。ついに、到着。。。では
棚底城跡の攻略は、まだまだ続いております。まだ、半分しか攻略しておりません。。。あまりの暑さに、帰りたくなった。織田信長は、この時代・・・お茶を楽しんでいたのカナ?この上が、城主の居住地らしい。。。もう一息だな。。。この上らしい。。。ついに、到着。。。では
天草は、棚底城跡へと到着した。こんな田舎の山城跡が、国指定史跡とは・・・山全体が、ご神体の倉岳の麓にある。中世の天草は、上津浦氏・栖本氏・大矢野氏・天草氏・志岐氏などの国人(豪族)が分割して統治し、天草島内で領土争いを繰り返していました。その中でも棚底城
ちと・・・琉球疲れが出て・・・書く気力が萎えていた。。。と・・・言う事で、ボケて忘れてしまわないうちに福州園へとやって来た。。。中国で、嫌というほど見た光景ですが・・・なぜか?懐かしい。ww入口で、アホの習近平を褒めているパネルがあった。10年後には、歴史がど
沖縄世界遺産 識名園に到着では・・・入園です。楽しみです。識名園には、今も水が湧き出る「育徳泉(いくとくせん)」があります。きれいな淡水にしか生息しない「シマチスジノリ」という紅藻類の発生地として、国の天然記念物に指定されました。後方には、この泉を称えた
首里城を後にして・・・次の世界遺産の「玉陵」に来た。。。世界遺産ですがな。。。ではでは・・・神聖なる場所ですからね。。。ここですか。。。では・・・中に入ってみます。。。歴代王様達の墓ですね。。。沖縄の首里に佇む玉陵は、1501年に尚真王によって建てられた、琉
首里城内を出て、弁財天堂へとやって来た。。。では・・・橋を渡ってみましょう。。。もうね・・・言葉は要らない。wwやはり・・・お城はイイ!!お城巡り ブログランキングへ
首里城内は、観ましたので・・・売店で、一休み。。。大金払って、記念メダル作りました。。。他の観光客は、誰も見向きもしない。。。おっちゃん・・・ちと、恥ずかしい。(笑)では・・・城の外観を楽しみ隊!!w淑順門を通ってしかし・・・この石垣の美しさは・・・何とも言え
ついに・・・40年ぶりにやって来ました。。。(笑)首里城です!!一番乗り??(笑)「守礼(しゅれい)」とは「礼節を守る」という意味で、門に掲げられている扁額(へんがく)には「守礼之邦(しゅれいのくに)」と書かれている。「琉球は礼節を重んずる国である」という意味である
ついに・・・首里城を残して、ラストの城回り。。。たどりついた「具志川城跡」なるほど・・・道は、整理されているみたいですね。えぇぇぇぇぇぇハブだとー!!正確な居城年代は不明ですが、伝承によると、久米島具志川城の按司(あじ:領主的豪族)が久米島を追われて喜屋武に
糸数城(いとかずぐすく・いとかずじょう)は、沖縄県島尻郡南城市糸数にあったグスク(御城)の城趾である。城跡は1972年(昭和47年)5月15日に国の史跡に指定。との事で・・・迷いながら、ようやく城内に辿り着いた。。。んー読めん!!wおっちゃんの仮の愛車と城壁だ。wwで
ここも、車のナビでは厳しかった。ww結局、ギガを使い果たしたスマホでグーグル先生のお世話になってもーた。実際の築城年数や城主などは不明であり、琉球の創世神である「アマミキヨ」が築いたという伝説が残るお城です。紀元前0世紀(2000年前)頃には拝所として、使用されて
やって来ました「知念城跡」ちと・・・デイズのカーナビでは無理でしたが・・・グーグル先生の案内でたどり着いた。wwいやー、結構膝に来る下り坂です。。。さすが沖縄ですね。。。筍が・・・ついに・・・見えました「知念城跡」知念城は代々の知念按司の居城であったと思わ
ホテルを出て・・・高速を飛ばして、やって来ました。。。こんな場所。。。マンホールの蓋もお洒落ですな。。。ここで入場料を支払い・・・そう本日の世界遺産の旅「斎場御嶽」に到着。。。沖縄に来て、毎日、城巡りで15,000歩以上歩いてますからね・・・ちと、膝に来ていま
勝連城を後にして、次の世界遺産を目指す。。。と・・・言う事で、ついに・・・座喜味城跡へと、たどり着いた。。。いいねぇ~世界遺産だよ~ではでは・・・城へと突撃致します。見えて来ました。。。ちと、今まで見て来た城よの小ぶりですが・・・この石垣に痺れますなぁ~
2024,3/23日、本日2城目に突入です!!勝連城跡へと到着。。。おぉぉぉ凄いぞー!!ワクワクするねぇ~と、言いつつ・・・城の前までカートに乗って来た。wwではでは・・・登りますかね~この階段・・・斜めになってて後ろにひっくり返りそうですがなー!!いいですね~ここに舎殿
さて・・・今回の旅のイベントが1つ終わりましたので・・・いよいよ、「沖縄世界遺産制覇の旅」の再開です。やって来た中城城跡・・・山の頂上に見えてます!!w入場料を払いすぐそばに、カート乗り場が。。。一番乗りの為に誰も居ない。。。と・・・思ったら、先に行っていた
2024,3/21日 快晴外からだけでも、感動しまくりだった。。。ここでチケットを見せて・・・いざ、入城です。。。平郎門ここから狙い撃ち?wいいですね~外郭階段の右側には、旧道が通ってます。。。昔は、大変だったんでしょうね。。。新しく道を作ったんですね。。。当然、お
日本の名城回りの旅を完結させようと・・・ついに、沖縄にやってまいりました。。。そして・・・沖縄世界遺産制覇の旅が始まった。。。2024,3/21日 快晴今帰仁城(なきじんぐすく)に到着。。。ここで、入城券を(600円)購入。。。いよいよ、スタートだ。。。模型があります。
城郭の形式は梯郭式平山城。日本三大平山城のひとつ。津山盆地の中央部に位置し、城の東部を流れる吉井川支流の宮川及び丘陵の天然の断崖を防御線に取り入れている。城の南部を流れる吉井川とその支流で西部に位置する藺田川(いだがわ)を外郭とし、その内側に城下町の主要
次の目的地、「津山城」を目指そうとするがバスの運転手(女性)の方の勧めで城下町を少し、散策してから出かける事にする。ww城下町の面影を残すのが、高梁高校の南側に位置する「石火矢町(いしびやちょう)ふるさと村」。白壁の長屋門や土壁が続く町並みで、「旧折井家」と
ありがとう!! 現存天守12城!!痺れたよ~♪って事で、天守閣の回りを散策致します。まっ、小城ですけどね。。。趣がありますね。なんせ、本物だ。ww塀沿いに・・・裏に回る。凄いよね・・・岩を利用して建ててる。。。土台が強いはずだ。ww二重櫓にたどり着いたが・・・ここま
2023,11/9日日本100名城の一つ。現存天守12城の一つでもあり、この中で唯一の山城である。臥牛山山頂(標高487m)から南稜線にかけて遺構が残っており、そのうち一つである小松山城跡に現存天守(標高430m)がある。見事ですね。 よくぞ保存してくれました。。。8:30開城な
2023,11/9日国指定重要文化財の備中松山城は「現存12天守」の一つで、天守が現存する“唯一の山城”です。標高430mの臥牛山小松山山頂にそびえ、9月下旬から4月初旬(とくに10月・11月)には雲海に包まれる幻想的な姿を見ることもでき「天空の山城」とも形容され親
2023,11/8日津和野城の主郭は近世城郭の石垣造りが良好な状態で保存されている。城の最高所は「三十間台」であり、津和野城下を一望できる。また、三十間台の南側には南門(三の丸)などを見下ろせる「人質郭」が、北側には「太鼓丸」がある。との事。いざ!! 本丸目指します
2023,11/8日見えて来ました・・・本丸跡。。。やっぱ、山道だな。。。あーあの上か~道は悪いけど・・・イイ雰囲気ですね。w石垣が崩れてます。。。とても、修復は厳しいでしょうねー北から続く尾根(織部丸の方向)から本城への出入口となるのが「東門」で、坂崎氏時代以降
2023年11月8日 ついに・・・津和野城跡へと到着。。。行き方が、イマイチ不明だったが・・・先客が、階段を登って行くのでついていった。。。リフトがありましたがな~♪ありがたやーwwこれから先を思うと・・・気が重い。。。ボチボチと行きますか。。。果たして・・・膝は
「神瀬熊野座神社」は、そんな山あいを流れる球磨川のほとりに鎮座する神社です。参道は、川を背に山へ向かう坂道。奥にわずかに見えているトンネルのようなものが、熊野座神社の本殿がある洞窟の入口です。現在、参道は崩れ果てており・・・危険な道となっていました。w何と
では、東側を攻めてみましょう。。。こちらは、西側の相良藩方面が見えます。気分は、1万円入れたいとですが・・・もうね・・・言葉は、あれこれ要らない!!楽しすぎて・・・笑いが出るわぁ~wwやはり・・・お城はイイ!!お城巡り ブログランキングへ
久しぶりに「佐敷城跡」へと突撃致しました。。。では・・・早速討ち入りしたいと思います。ここから、薩摩の動きが丸分かりでありますな。。。見晴らしが最高です。佐敷城跡は加藤清正が島津氏に備え肥薩国境防備のために築城したもので、島津・加藤両氏の戦いの場となりま
富岡城は慶長6年(1601年)に天草の領主となった、肥前唐津藩の寺沢志摩守広高によって慶長7年(1602年)頃から築かれた。寺沢氏は、富岡城に藩代を配置し天草を統治したが、寛永14年(1637年)島原・天草一揆で一揆軍から攻撃を受けた。 この乱後、山崎甲斐守家治の領
天草は、五和町の御領城跡へとやって来た。。。戦国時代に天草下島の北部を治めた志岐氏が城を構えました。 この高台が城跡で、現在はお寺になっています。やはり・・・お城はイイ!!お城巡り ブログランキングへ
おっちゃんの、金運UP神社仏閣巡りの旅2023年バージョンの締めは・・・熊本最強金運UPパワースポットとして、人気が出ております。これは、福岡のテレビで放送したのが口コミで広がったとかで・・・す。よー知らんけど。。。へびの皮は、その辺で拾っとけ!!ってなもんですね
竜王神社巡りラストは・・・阿蘇三宮神社内にある竜神さん。。。金運が付くように・・・お参り。wwやはり・・・神社仏閣はイイ!!お城巡り ブログランキングへ
グーグル先生のお導きにより・・・古麓稲荷神社へとたどり着きましたが!!駐車場が分らず・・・この急階段をひぃ~ひぃ~言いながら、上りました。。。もうね・・・膝がガクガクですがな~!!えっ?ここまで、車で来れたの??キツネにつままれたような気分です。wwもう・・・最後
何やら、雰囲気のあるお寺にたどり着きました。。。八代城主松井家の菩提寺で、臨済宗南禅寺(京都)の末寺。寺名は松井家初代康之の法名「春光院」にちなみ、久美浜(京都)、木付(杵築)、小倉、熊本を経て、延宝5年(1677)、この地に移った。本堂の背後に、松井家歴代夫
八代宮と八代神社は別ものなんですね。。。って事で・・・八代妙見宮にたどり着きました。。。八代神社であって、妙見宮??県指定重要文化財。 文治2年(1186)、後鳥羽天皇の勅願により検校散位(けんぎょうさんみ)の大江高房(おおえのたかふさ)が建立しました。この妙見宮近辺
城内にある八代宮にお参り致します。。。戦没された英霊に・・・ご挨拶。。。後醍醐天皇の皇子で、征西将軍としてこの地で足利軍と戦った懐良親王を主祭神とし、懐良親王歿後に征西将軍職を継いだ良成親王を配祀する。こんなとこでも、足利軍と戦ったんですね。。。主祭神に
久しぶりに、八代城跡にやって来た。。。くまモンの説明を読みながら・・・いざ!!やはり、世の中お城ファンと言う人は、一定数居るらしく・・・私の前を、親子連れが歩いてます。wwでは・・・横から、入城致します。ww振り返れば、こんな感じ。。。ではでは、攻め入ってみま
久しぶりに、面白いパワースポットが有ると言うので、出かけてみた。八代市・・・到着しました~な・・・何んじゃコリャーー!!ド派手で御座います。ww社務所は、お留守のようです。。。黒と金を基調に作られています。。。これは・・・中国人が大好きなやつですね。wwえーと
和水町散策・・・神社仏閣巡りです。wwあちゃー、眩暈がしますわ。では・・・お参り致します。田舎なのに・・・立派な楼門です。楼門の両サイドには・・・こんなお方達。。。誰かは、不明。。。ネット見ても、不明。楼門は、県内最古との事。。。ご神体はなく、古墳が神体と
昔の豊前街道との事。。。山の中の田舎道でした。。。恐ろしいほど、何もない。。。豊前街道腹切り坂に来ましたが・・・軽トラが道をふさいでましたので・・・歩いて行く気力もなく・・・断念。ww腹切り坂の由来も不明。。。少し戻って・・・官軍墓地へとやって来ました。。
国の史跡「田中城跡」へと、久しぶりに訪れました。。。こんな辺鄙な田舎の山城が、なぜ国史跡かと言いますと・・・昭和61年(1986年)に熊本県の史跡指定を受け本格的な発掘調査が始まった。平成元年(1989年)、山口県文書館『毛利家文庫』から攻城戦の様子を描いた絵図『
男には隠れ家が必要だ。。。まだ・・・3000歩も歩いてないので・・・更に、散策を続ける。では・・・山を下ってみましょう。色んな場所が、公園化されてます。これは・・・巨石です。wこちらは、更に巨石です。。。石に穴が2つあります。。。これが、門の基礎に使われてたの
鞠智城跡散策男には隠れ家が必要だ。。。昔から、朝鮮人に関わると、ろくな事はないのです。。。って・・・誰かが言うてました。そんな訳で、本日は・・・百済を助けようとして、唐にけちょんけちょんに負けた大和朝廷が、ビビリまくって作った城跡を散策してみた。。。ww鞠
本日も、一人寂しく徘徊するおっちゃんです。。。史跡「咸宜園」へとやってまいりました。私の後ろから、パンティーが見えそうなオネエチャンと、頭の悪そうな兄ちゃんがいちゃいちゃと歩いて来ます。。。こんな史跡に・・・来るんかーい!!って事で・・・到着!!w【遠思楼】遠
久しぶりに、永山城へとやってまいりました。。。結構立派な石垣かが現存しております。wようやく城跡と解ります。では・・・いざ!!もうね・・・ここまで歩くのが嫌になるくらい暑い。。。結構立派な城だったんですね。お濠も一部残ってます。陣屋跡??では・・・城内散策と行
大分県日田市へと「鮎を食べに」やって来た。と・・・その前に、「日隈城跡」を見学この公園が、城跡みたいです。では・・・登ってみます。おおー大手門跡とあります。ようやく城跡の感じがしてきました。桝形虎口が現存してました。大手門のすぐ前は、川です。ここが大手門
夫婦岩を後にして、櫻井神社へやって来ました。何だか・・・立派そうです。この石橋もなかなか良いですね。この石畳は・・・萌えです。wおぉぉぉ ご立派皆さん・・・なかなか移動せず・・・楼門だけ取れなかった。。。良いお顔でございます。こっも、凛々しい。ww正面から、
日置市に入り、良さげな看板を発見!!w早速、お邪魔してみます。。。創建は不明ですがニニギノミコトが霧島に降臨した後、しばらく宮居されたと言われる場所です。明るい赤塗りと彫刻の美しい宮で、古事記に記されている貝のモニュメントもあり、毎年元旦に吹上浜の砂を盛った
【日本遺産】加世田麓の武家屋敷群めぐりやってまいりました。。。重要伝統的建造物群保存地区の加世田麓で御座います。イイ感じです。金髪美人と歩いてみたいものです~♪明治時代の近代的な建築物も残っています。旧鯵坂正一郎邸鯵坂正一郎邸は明治36年頃、旧川崎邸の敷地
勝負事にご利益がある神社として親しまれており、スポーツ選手やアスリートたちが多く訪れる神社として有名。正式名称は「射楯兵主(いたてつわものぬし)神社」であるが、直径30cmほどの木造りの蓋を頭上に載せて、それが落ちることなく鳥居から拝殿までの8mを進むことがで
池田湖へ行く途中に、突然良さげな神社発見。。。牧聞神社(薩摩一宮)ここも、一宮で御座いますか?御鎮座年代は社伝によれば遠く神代の創祀という。既に貞観二年三月、薩摩国従五位下開聞神加従四位下と三代実録に載せられているのを始めとして、同書には数度の神位昇叙の事が
長崎鼻には・・・龍宮神社がありました。なかなか良さげです~なるほど・・・素敵です。w龍宮神社から見る開聞岳熊本では、見る事のない景色です。やはり・・・神社仏閣はイイ!!お城巡り ブログランキングへ
翌日、朝食後開聞岳を目指す途中に、南方神社なる看板を発見。創建年代は不詳である。永正六年伴氏再建の棟札がある。往古、当社は大社にして神領も若干有ったが、文禄年間に官に没収された。明治六年、諏訪大明神を南方神社と改めた。手を洗い旅の無事を願って、お詣り。。
立派な鳥居です。。。広い!!ご立派木馬が・・・ではでは・・・いざ!!手を洗い・・・汚れを落として・・・立派ですね綺麗です神社の周りをぐるっと・・・やはり・・・神社仏閣はイイ!!お城巡り ブログランキングへ
筥崎神社を後にして、ようやく辿り着いた、国宝「霧島神宮」鳥居が立派です。wあ・・・足湯に入りたい衝動を抑えて・・・いざ!!龍馬のハネムーンロードも巡りたいのだが・・・久しぶりです。まだかろうじて桜が・・・いつものお姿です~綺麗です。この先に入りたいものです。
鹿児島神社仏閣巡りにて霧島神宮を目指す途中に、「重文」の文字発見!!ちょっと寄り道してみました。。。古びた石像が出迎えてくれました。国の重文指定をうけてますね。◆本殿(附:宮殿) - 室町時代後期(1467年-1572年)の建立。三間社流見世棚造、桟瓦葺。三間社流造の社
コロナ禍の世界ですが・・・第七波が始まっている気もするが、対策は部下まかせでウクライナで胡麻化して、何もしない岸田さん。。。って事で・・・つい最近、国宝に認定された「霧島神宮」を目指す事にした。。。おっちゃんも、ついに無職となりましたので・・・行きは、一
名将「甲斐宗運」の居城であった「御船城跡」を訪ねてみた。門をくぐり・・・なんか知らんおっさんの銅像を眺めつつ見晴らしは抜群だ。WW甲斐宗運を合祀した天満宮にお参りし・・・御船城跡を後にした。。。やはり・・・お城はイイ!!お城巡り ブログランキングへ
塚原古墳群は国指定史跡で、熊本県内最大規模、全国でも有数の古墳群です。その中の一つ、りゅうがん塚古墳へと突撃。。。シンプル意外と涼しそうですね。これは、現代でも住みやすそうな様式ですね。ここが、古墳。。。説明書がありますね。室内は、こんな感じ。。。誰が埋
意外と身近なところに、色んな史跡がある。。。甲佐町探訪だ~♪現存すれば超国宝級の壮大な伽藍があったそうです。白鳳時代~奈良時代(約1200~1300年前)に建てられた熊本県最古の寺院跡です。規模は、160m四方にも及びその中に金堂や塔が立ち並んでいました。現在は、五
日中戦争(支那事変)における第二次上海事変から徐州会戦に至るまで、八九式中戦車をもって戦車長として活躍。戦死後、軍部から公式に「軍神」として最初に指定された軍人として知られる。先人たちのお陰で、平和な日本があるんですね。。。横暴な支那がきな臭い世の中です
熊本県は甲佐町の「陣ノ内城跡」が「国の文化審議会が国史跡指定」を受けましたので・・・早速出かけてみた。ww道は、普通車だと脱輪しそうなくらい狭い道でした。。。こんな山の上に、大規模な空堀。。。規模がデカい。。。おっちゃんのN-VAN号が頑張ってくれました。。。こ
小国って・・・落ち武者たちの歴史があったんですね。。。勉強不足です。。。と・・・言う事で、小国から万願寺へと突撃。。。万願寺の起源は・・・面倒なのでウィキペディアより拝借。ww小国郷は鎌倉時代に北条氏の所領となった。満願寺は文永11年(1274年)、文永の役の際
恋木神社は日本で一社のみ。お守りのご授与や恋愛成就、良縁成就、結婚、夫婦円満 ... 恋の神様 恋木神社へと、突撃致しました。。。あれ?水田天満宮だよね。。。ん?どうやら、境内の末社に「恋木神社」がありそうです。。。天満宮ですからね・・・頭が良くなるように・・・
肥前國一宮 與止日女(よどひめ)神社へとやって参りました。。。おっちゃん・・・変態ですからね。。。西門から入りました。ww神社の裏から入るって・・・どーよ。wここにも、歴史を感じさせる「巨根」が・・・いや、大木が・・・では、やり直しで・・・鳥居をくぐります。な
肥前一之宮を目指してますと・・・何やら良さげな寺発見。フムフム・・・一見の価値ありそうです。ムム・・・これは、なかなかの味わいですね。仁王さん・・・山門をくぐると・・・こんな感じ。諸般の事情により、寺の内部は散策しなかった。おっちゃんのN-VANが、呼んでます
世界中からの疫病退散を願う為、佐賀県は「白髭神社」へとやって来た。。。小さな神社ですが、綺麗に保たれています。なんか・・・ちと、違う。ww狛犬様に、マスクです!!疫病退散じゃ~♪あんたも、なかなかイイ面構えの・・・ハズ。ww少し化粧してますがな。。。世界中の疫
福岡県みやま市瀬高町上庄に鎮座する「八坂神社(上庄祇園宮)」へとやって来ました。なかなかの趣がありますね。歴史を感じます。ここでも、今回の旅の無事を願いつつ・・・大金100万両を寄付。本当は、フェラーリで金髪美女と来たと嘘を書きたいところ・・・うっすらと、おっ
岩戸山古墳へとたどり着いた。。。岩戸山古墳は、福岡県八女市にある前方後円墳。八女古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている。 九州地方北部では最大規模の古墳で、6世紀前半の築造と推定される。古墳に吉田大神宮なる神社があります。。。狛犬も、年季が入っ
久しぶりに、阿蘇方面へ・・・あ゛ー神社に来るのも久しぶりです。。。手を洗います。。。この神社には、巨大な木が立ってとか・・・元、天然記念物。。。凄まじい大きさです。。。御神木こんなんが立ってたの??まさに・・・巨大な根。。。巨根です!!元ですが・・・国指定の
おっちゃんのライフワーク「石橋巡り」小浜温泉の南方を流れる金浜川(かなはまがわ)には、弘化3年(1846)に地元の有力者岡右衛門が架けた金浜眼鏡橋が残っています。二重の完全な弧を描きつつ薄身に整えられたそのフォルムは、日本に石造の眼鏡橋は少なくないといえども
では・・・本丸攻略へ。。。階段を登り・・・ここが虎口みたいです。。。何て書いてあるかと言うと・・・だ・・・そうです。wwイイですねー石垣。。。ようやく「本丸」へ・・・城は・・・日本の宝だぞぅぉー!!wよく読んで・・・勉強して下さいね。。。おっちゃんは、脳ミソが
やってまいりました、世界遺産「原城跡」皆さん、健脚なんですね・・・歩きで本丸まで行かれるようです。。。誰も利用しない「電動自転車」を借りて・・・ここが「大手口」跡・・・そして、「三ノ丸跡」を過ぎしばらく行くと、「二ノ丸跡」電動自転車は、快適です。。。晴れ
先月「延岡城」を訪れたので・・・有馬家繋がりで、400年間居城した史跡「日野江城跡」へと突撃した。車一台がやっと通る道を上り・・・柵がしてありますが・・・勝手に入れとあります。。。痛い膝を庇いながら・・・階段を、えっちらおっちらと・・・振り返れば・・・到
九州の城は、ほぼ制覇していたと思いきや・・・延岡に城が有ったとは。。。っという事で、延岡へ。。。駐車場から・・・歴代の城主たち。。。ん?熊本の侍が出張で来てる??実質、天守閣。。。痛い膝も、この時ばかりは忘れて・・・登る。ようやく登り切りました。。。天守台跡
御茶屋を後にして・・・いよいよ登山です。。。途中東屋で・・・ようやく、山頂に到着。。。西南戦争時のお墓があります。。。なぜ、官軍だけなんでしょう。。。到着です。。。この城も、かなり大きな規模だったようです。。。小心者の細川氏によって、徹底的に破壊されたと
南関町にやってまいりました。。。豊前街道南関御茶屋跡で御座います。。。これは・・・お城ですか??石垣の坂を登れば・・・これが、御茶屋跡・・・とな?ではでは・・・お邪魔します。殿様しか座れなかった床の間を背に、抹茶を頂く。。。この欄間は、同時のままだそうです。
続100名城の一つ、角牟礼城にやってまいりました。。。三の丸跡の駐車場にやってまいました。。。由緒。。。この城は・・・難攻不落の城であったとか。。。分る気がします。。。今度時間があった時には、本丸跡まで行ってみたい。。。麓の庭園裏に・・・前回は気づかなかった
やってまいりました、中津市は大貞八幡宮薦神社で御座います。おぉぉぉー立派な楼門が見えてまいりました。。。いやはや・・・ご立派。ww神社をぐるりと一周。。。中には入れません。。。くぐれない門は・・・ただのお飾りですね。ww国の重文だそうです。。。最後に、もう一
道の駅いんないで一服。。。と・・・すぐ近くに城跡があると言うので・・・なんか・・・良さげwしかーし!!看板は、文字が消えてて全く読めない!!w何でも、「副城址」との事。。。道の駅で、「どじょう」を食べて、双葉山の里へ出かけるが・・・休館日!!元の道を引き返して、
宇佐に出かける途中、良さげな神社発見。。。「宝八幡宮」『開運橋』は八歩で渡れば八方円満に開運が開け『合格橋』は五歩で渡れば願いが丸く収まるそう。との事。。。いよいよ本殿へ。。。718年に創建されたそうで・・・歴史を感じますね。今回の旅も、無事に過ごす事が
大原八幡宮を後にし・・・日田では一番有名だと言われる「高塚愛宕地蔵尊」へ。。。階段をひぃひぃ言いながら・・・何とか到着。。。この寺は、神仏混交とかで・・・戦前の日本の神社仏閣のようです・・・左に、鈴。。。右にドラが・・・笑二礼拍手一礼する人、ただ手を合わ
大分県は、日田市にやってまいりました。。。日田市最大の神社「大原八幡宮」です。。。手を洗い・・・・いざ!!!こ・・・これは、かなり大きくて立派な神社です。。。広くて、綺麗な境内です。。。立派な楼門です。今回の旅の無事を祈りつつ・・・大金を投入。。。いやはや・
西の正倉院を後にし・・・降りていく。。。ここは・・・裏門らしいが・・・ここから、入館。。。受付のおばちゃまが簡単に説明してくれたが・・・全部、ニセモノだ。笑とりあえず・・・2分で見てしまった。。。何だか・・・アノ国に来たような気が、一瞬した。。。宮崎の山奥
皆さんは、正倉院がもう一つあると言う事をご存知でしょうか・・・・。神門神社を降りて、隣は「西の正倉院」へとやって来た。。。ここで、怪しげな爺さんが、どこから来た?と、聞くので「4時間もかけて、熊本から来た」と答えるとじゃー、特別に入館料は510円でイイ!!大サー
なに~こんな辺鄙な山奥にも、重文の神社があるなんて・・・知らなかった。。。汚い看板ですが・・・一応読めます。。。何だか、色々と書いてありますが・・・とっとと、本殿を拝んでみたいと・・・拝殿は、ごく普通です。。。奥の本殿が重文ですね。。。良さが・・・よく・
佐賀市内を抜けて・・・小城市へとやってまいりました。。。途中、我が愛車のボクラナビが、道を間違えまして・・・ようやく清水観音宝地院へとたどり着きました。。。途中、アイスクリーム売りのお姐さんからアイスを購入して・・・鳥居をくぐれば・・・仁王門。。。なかな
何だか・・・神社密集地帯に来てしまいました。。。松原神社(日峯大明神)さすが、佐賀ですね。韓国系の観光客が、じーっと見てました。ww泥棒か~何だか、味があります。。。ここでも、旅の無事を祈りつつ・・・大金を投入。。。そして・・・お隣、佐嘉神社へ。。。この日・
佐賀市内の與賀神社には、立派な楼門があると言うので・・・出かけました。。。何と言う事でしょう・・・修復中との事で・・・全く見えませんでした。。。今回も、旅の無事を祈って・・・大金を投入してお詣り。。。この神社・・・あちらこちらに、樹齢1400年近い大木が・・
やってまいりました。。。大内館跡。。。時間が遅かったので・・・取りあえず、寺の中へ。。。本堂は、氏子だけでっせーと・・・ありましたので、お参りだけ。。大内君ですね。。。ここの本堂も重文ですね。。。次回は・・・ゆっくり見てみたい。。。やはり・・・神社仏閣は
やってまいりました。国宝「瑠璃光寺」五重塔。。。全国に現存する五重塔のうちで10番目に古く、美しさは日本三名塔の一つに数えられ、室町中期における最も秀でた建造物と評されています。見事です。。。惚れ惚れします。。。中国の覇者大内君。。。明治維新の史跡とかもあ
やって来ました、東光寺。。。重文の総門。。。素晴らしいです。残念な「常念寺」を観た後だけにテンション( ̄ー ̄)ニヤリッ総門を潜って、拝観料300円を支払い。。。三門へ。。。左右を合わせて、三門ですね。。。立派だねぇ~もうね・・・重文オンパレード興奮します。ww疲れも
重文だとあるではないですか・・・ナビを駆使して、ようやくたどり着いた。。。物凄く狭い道というか・・・路地に。。。車を止めるのも、憚られる場所にありました。。。久しぶりに、重文なのにワクワクもドキドキ感もなく・・・立ち去った。。。やはり・・・神社仏閣はイイ!
萩城内にある「花江茶亭」残念ながら、閉まってました。。。萩は観光地と言いながら・・・ちと、観光資源が活きてないような。。。今回の旅で、一番ガッカリした場所。。。そのまま放置しているところが残念です。wwやはり・・・お城はイイ!!お城巡り ブログランキングへ
萩城跡から駐車場へと戻り。。。萩城跡の入場券とセットだった旧厚狭毛利家萩屋敷長屋へ向かいます。せっかく展示してありますが・・・ここも、何だか残念な感じ。。。昔の長屋の生活を知る事が出来て、勉強になりました。だからって、なんの役にも立たないんでしょうが・・
萩城内に、ある神社。萩城跡、指月公園内にある神社。かつての県社で、毛利元就、隆元、輝元、敬親、元徳を5柱として、初代から12代まで萩藩歴代藩主が祀られています。一つ一つ、何でも大きく・・・立派ですが・・・何だか、寂れている雰囲気です。。。毛利家ゆかりの有志で
ついに・・・やってまいりました。「萩城跡」毛利君です。。。ではでは・・・おぉーーーー到着。何だか・・・いい雰囲気。水は・・・汚い。ww入場料を支払い、いざ入城。ww天守閣へ。。。石段を登ります。見晴らしが良い。。。イイですねーしばし、ベンチに座り毛利ハー
角島から萩を目指す途中で、めまいが・・・は・・・腹減った~って事で、コンビニへ入った。。。そこで、何気にグーグル先生に聞くと・・・何やらインスタ映えする神社があるらしい。。。山道をクネクネと・・・5キロほど走りますと・・・こんな場所に出て来ました。隣に居
萩を目指す途中、良さげな神社発見。。。阿川八幡宮と言う神社です。あらら・・・口の部分が壊れています。。。手は・・・洗えません。旅の無事を祈って後にする。。。イヌマキの巨樹群が県の天然記念物との事。。。さぁー、次は萩城だー!!やはり・・・神社仏閣はイイ!!お
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棚底城跡の攻略は、まだまだ続いております。まだ、半分しか攻略しておりません。。。あまりの暑さに、帰りたくなった。織田信長は、この時代・・・お茶を楽しんでいたのカナ?この上が、城主の居住地らしい。。。もう一息だな。。。この上らしい。。。ついに、到着。。。では
天草は、棚底城跡へと到着した。こんな田舎の山城跡が、国指定史跡とは・・・山全体が、ご神体の倉岳の麓にある。中世の天草は、上津浦氏・栖本氏・大矢野氏・天草氏・志岐氏などの国人(豪族)が分割して統治し、天草島内で領土争いを繰り返していました。その中でも棚底城
ちと・・・琉球疲れが出て・・・書く気力が萎えていた。。。と・・・言う事で、ボケて忘れてしまわないうちに福州園へとやって来た。。。中国で、嫌というほど見た光景ですが・・・なぜか?懐かしい。ww入口で、アホの習近平を褒めているパネルがあった。10年後には、歴史がど
沖縄世界遺産 識名園に到着では・・・入園です。楽しみです。識名園には、今も水が湧き出る「育徳泉(いくとくせん)」があります。きれいな淡水にしか生息しない「シマチスジノリ」という紅藻類の発生地として、国の天然記念物に指定されました。後方には、この泉を称えた
首里城を後にして・・・次の世界遺産の「玉陵」に来た。。。世界遺産ですがな。。。ではでは・・・神聖なる場所ですからね。。。ここですか。。。では・・・中に入ってみます。。。歴代王様達の墓ですね。。。沖縄の首里に佇む玉陵は、1501年に尚真王によって建てられた、琉
首里城内を出て、弁財天堂へとやって来た。。。では・・・橋を渡ってみましょう。。。もうね・・・言葉は要らない。wwやはり・・・お城はイイ!!お城巡り ブログランキングへ
首里城内は、観ましたので・・・売店で、一休み。。。大金払って、記念メダル作りました。。。他の観光客は、誰も見向きもしない。。。おっちゃん・・・ちと、恥ずかしい。(笑)では・・・城の外観を楽しみ隊!!w淑順門を通ってしかし・・・この石垣の美しさは・・・何とも言え
ついに・・・40年ぶりにやって来ました。。。(笑)首里城です!!一番乗り??(笑)「守礼(しゅれい)」とは「礼節を守る」という意味で、門に掲げられている扁額(へんがく)には「守礼之邦(しゅれいのくに)」と書かれている。「琉球は礼節を重んずる国である」という意味である
ついに・・・首里城を残して、ラストの城回り。。。たどりついた「具志川城跡」なるほど・・・道は、整理されているみたいですね。えぇぇぇぇぇぇハブだとー!!正確な居城年代は不明ですが、伝承によると、久米島具志川城の按司(あじ:領主的豪族)が久米島を追われて喜屋武に
糸数城(いとかずぐすく・いとかずじょう)は、沖縄県島尻郡南城市糸数にあったグスク(御城)の城趾である。城跡は1972年(昭和47年)5月15日に国の史跡に指定。との事で・・・迷いながら、ようやく城内に辿り着いた。。。んー読めん!!wおっちゃんの仮の愛車と城壁だ。wwで
ここも、車のナビでは厳しかった。ww結局、ギガを使い果たしたスマホでグーグル先生のお世話になってもーた。実際の築城年数や城主などは不明であり、琉球の創世神である「アマミキヨ」が築いたという伝説が残るお城です。紀元前0世紀(2000年前)頃には拝所として、使用されて
やって来ました「知念城跡」ちと・・・デイズのカーナビでは無理でしたが・・・グーグル先生の案内でたどり着いた。wwいやー、結構膝に来る下り坂です。。。さすが沖縄ですね。。。筍が・・・ついに・・・見えました「知念城跡」知念城は代々の知念按司の居城であったと思わ
ホテルを出て・・・高速を飛ばして、やって来ました。。。こんな場所。。。マンホールの蓋もお洒落ですな。。。ここで入場料を支払い・・・そう本日の世界遺産の旅「斎場御嶽」に到着。。。沖縄に来て、毎日、城巡りで15,000歩以上歩いてますからね・・・ちと、膝に来ていま
勝連城を後にして、次の世界遺産を目指す。。。と・・・言う事で、ついに・・・座喜味城跡へと、たどり着いた。。。いいねぇ~世界遺産だよ~ではでは・・・城へと突撃致します。見えて来ました。。。ちと、今まで見て来た城よの小ぶりですが・・・この石垣に痺れますなぁ~
2024,3/23日、本日2城目に突入です!!勝連城跡へと到着。。。おぉぉぉ凄いぞー!!ワクワクするねぇ~と、言いつつ・・・城の前までカートに乗って来た。wwではでは・・・登りますかね~この階段・・・斜めになってて後ろにひっくり返りそうですがなー!!いいですね~ここに舎殿
さて・・・今回の旅のイベントが1つ終わりましたので・・・いよいよ、「沖縄世界遺産制覇の旅」の再開です。やって来た中城城跡・・・山の頂上に見えてます!!w入場料を払いすぐそばに、カート乗り場が。。。一番乗りの為に誰も居ない。。。と・・・思ったら、先に行っていた
2024,3/21日 快晴外からだけでも、感動しまくりだった。。。ここでチケットを見せて・・・いざ、入城です。。。平郎門ここから狙い撃ち?wいいですね~外郭階段の右側には、旧道が通ってます。。。昔は、大変だったんでしょうね。。。新しく道を作ったんですね。。。当然、お
日本の名城回りの旅を完結させようと・・・ついに、沖縄にやってまいりました。。。そして・・・沖縄世界遺産制覇の旅が始まった。。。2024,3/21日 快晴今帰仁城(なきじんぐすく)に到着。。。ここで、入城券を(600円)購入。。。いよいよ、スタートだ。。。模型があります。
城郭の形式は梯郭式平山城。日本三大平山城のひとつ。津山盆地の中央部に位置し、城の東部を流れる吉井川支流の宮川及び丘陵の天然の断崖を防御線に取り入れている。城の南部を流れる吉井川とその支流で西部に位置する藺田川(いだがわ)を外郭とし、その内側に城下町の主要
次の目的地、「津山城」を目指そうとするがバスの運転手(女性)の方の勧めで城下町を少し、散策してから出かける事にする。ww城下町の面影を残すのが、高梁高校の南側に位置する「石火矢町(いしびやちょう)ふるさと村」。白壁の長屋門や土壁が続く町並みで、「旧折井家」と
さて・・・今回の旅のイベントが1つ終わりましたので・・・いよいよ、「沖縄世界遺産制覇の旅」の再開です。やって来た中城城跡・・・山の頂上に見えてます!!w入場料を払いすぐそばに、カート乗り場が。。。一番乗りの為に誰も居ない。。。と・・・思ったら、先に行っていた
2024,3/21日 快晴外からだけでも、感動しまくりだった。。。ここでチケットを見せて・・・いざ、入城です。。。平郎門ここから狙い撃ち?wいいですね~外郭階段の右側には、旧道が通ってます。。。昔は、大変だったんでしょうね。。。新しく道を作ったんですね。。。当然、お
日本の名城回りの旅を完結させようと・・・ついに、沖縄にやってまいりました。。。そして・・・沖縄世界遺産制覇の旅が始まった。。。2024,3/21日 快晴今帰仁城(なきじんぐすく)に到着。。。ここで、入城券を(600円)購入。。。いよいよ、スタートだ。。。模型があります。
城郭の形式は梯郭式平山城。日本三大平山城のひとつ。津山盆地の中央部に位置し、城の東部を流れる吉井川支流の宮川及び丘陵の天然の断崖を防御線に取り入れている。城の南部を流れる吉井川とその支流で西部に位置する藺田川(いだがわ)を外郭とし、その内側に城下町の主要
次の目的地、「津山城」を目指そうとするがバスの運転手(女性)の方の勧めで城下町を少し、散策してから出かける事にする。ww城下町の面影を残すのが、高梁高校の南側に位置する「石火矢町(いしびやちょう)ふるさと村」。白壁の長屋門や土壁が続く町並みで、「旧折井家」と
ありがとう!! 現存天守12城!!痺れたよ~♪って事で、天守閣の回りを散策致します。まっ、小城ですけどね。。。趣がありますね。なんせ、本物だ。ww塀沿いに・・・裏に回る。凄いよね・・・岩を利用して建ててる。。。土台が強いはずだ。ww二重櫓にたどり着いたが・・・ここま
2023,11/9日日本100名城の一つ。現存天守12城の一つでもあり、この中で唯一の山城である。臥牛山山頂(標高487m)から南稜線にかけて遺構が残っており、そのうち一つである小松山城跡に現存天守(標高430m)がある。見事ですね。 よくぞ保存してくれました。。。8:30開城な
2023,11/9日国指定重要文化財の備中松山城は「現存12天守」の一つで、天守が現存する“唯一の山城”です。標高430mの臥牛山小松山山頂にそびえ、9月下旬から4月初旬(とくに10月・11月)には雲海に包まれる幻想的な姿を見ることもでき「天空の山城」とも形容され親
2023,11/8日津和野城の主郭は近世城郭の石垣造りが良好な状態で保存されている。城の最高所は「三十間台」であり、津和野城下を一望できる。また、三十間台の南側には南門(三の丸)などを見下ろせる「人質郭」が、北側には「太鼓丸」がある。との事。いざ!! 本丸目指します
2023,11/8日見えて来ました・・・本丸跡。。。やっぱ、山道だな。。。あーあの上か~道は悪いけど・・・イイ雰囲気ですね。w石垣が崩れてます。。。とても、修復は厳しいでしょうねー北から続く尾根(織部丸の方向)から本城への出入口となるのが「東門」で、坂崎氏時代以降
2023年11月8日 ついに・・・津和野城跡へと到着。。。行き方が、イマイチ不明だったが・・・先客が、階段を登って行くのでついていった。。。リフトがありましたがな~♪ありがたやーwwこれから先を思うと・・・気が重い。。。ボチボチと行きますか。。。果たして・・・膝は
「神瀬熊野座神社」は、そんな山あいを流れる球磨川のほとりに鎮座する神社です。参道は、川を背に山へ向かう坂道。奥にわずかに見えているトンネルのようなものが、熊野座神社の本殿がある洞窟の入口です。現在、参道は崩れ果てており・・・危険な道となっていました。w何と
では、東側を攻めてみましょう。。。こちらは、西側の相良藩方面が見えます。気分は、1万円入れたいとですが・・・もうね・・・言葉は、あれこれ要らない!!楽しすぎて・・・笑いが出るわぁ~wwやはり・・・お城はイイ!!お城巡り ブログランキングへ
久しぶりに「佐敷城跡」へと突撃致しました。。。では・・・早速討ち入りしたいと思います。ここから、薩摩の動きが丸分かりでありますな。。。見晴らしが最高です。佐敷城跡は加藤清正が島津氏に備え肥薩国境防備のために築城したもので、島津・加藤両氏の戦いの場となりま
富岡城は慶長6年(1601年)に天草の領主となった、肥前唐津藩の寺沢志摩守広高によって慶長7年(1602年)頃から築かれた。寺沢氏は、富岡城に藩代を配置し天草を統治したが、寛永14年(1637年)島原・天草一揆で一揆軍から攻撃を受けた。 この乱後、山崎甲斐守家治の領