アメリカに来てから、筆頭著者としては2本目の論文が、ほぼ完成した。そして、査読前の論文の投稿サイトであるbioRxiv(バイオアーカイブ)に投稿した。ほぼ、という状態になっているのには、事情がある。本来であれば、完全に完成させて、雑誌に投稿し、それと同時にバイオ
米国イェール大学の生物学ポスドク。日本の博士課程を修了後、3年間の経営コンサルティング会社勤務を経て渡米。新卒内定者時代、コンサルタント時代、アカデミアへの回帰を模索する時代、そして今の海外ポスドク生活を綴るブログ。
細胞生物学、生化学分野の研究で博士号を取得後、「視野を広げたい」という理由だけで、外資系の経営コンサルティング会社に入社。紆余曲折ありつつも3年ほど勤めた後、アメリカに渡って、イェール大学のポスドクとして再びアカデミアの道へ。 このブログでは、学生時代の終盤に会社に内定した頃から始まり、コンサルタント時代、その後の紆余曲折時代、そして現在のポスドク生活を綴っています。
アメリカに来てから、筆頭著者としては2本目の論文が、ほぼ完成した。そして、査読前の論文の投稿サイトであるbioRxiv(バイオアーカイブ)に投稿した。ほぼ、という状態になっているのには、事情がある。本来であれば、完全に完成させて、雑誌に投稿し、それと同時にバイオ
長男は2歳となり、次男も半年を迎えた。子育てに注ぐエネルギーと時間は増す一方であり、それに逆相関して、研究に費やせる精神的な力と時間は減る一方である。深夜、二人の子供が同時に夜泣きを始め、妻と二人で暗闇の中で子供たちをあやす。それが自分の子供であっても、眠
昨日、サウスカロライナ医科大学のラボ主宰者(PI)ポジションの面接と、ジョブ・トーク(オンライン)をしてきた。全体的な印象としては、「とてものんびりとして、若手に優しそうな環境」ということだった。朝10時から開始して、スケジュールとしては、デパートメントのチ
アメリカのとある大学の助教授(ラボ主宰者)ポジションの公募に、何の気なしに応募したところ、書類選考を通り、面接とジョブ・トークに呼ばれてしまった。事の始まりは、先月の末。雑誌Scienceに載っている公募情報をサラサラと見ていると、サウスカロライナ医科大学の助教
育休に入って、はや4週間が経とうとしている。さすがに、この生活をずっと続けるのは無理である。始まる前は、長男を連れてこの緑あふれる街を歩くことに憧れもしたが、それももう満足だ。ラボから離れると、置いてけぼりの気分になる。ラボのスラックでは、相変わらず新しい
現在、National Waiver Interestという枠でグリーンカードを申請準備している。この申請には、"Independent letter"、すなわち「外部推薦人」による推薦書が複数枚(僕の場合は5通)必要になる。外部推薦人とは、下記の条件を満たす大学の教授(PI)である。- 僕が行っている
1年以上前から、ずっと追っている、調べ続けている遺伝子がある。名前をM214という。まるで星雲の番号のような無機質な名前だが、それはこの遺伝子の機能を、人類はまだ何も知らないからである。通常、機能が一部でも解明されると、遺伝子はその機能を反映した名前を与えられ
去年C誌に掲載された論文について、解説記事を日本生化学会の会報に書いてほしいと依頼があり、その原稿を先週に投稿した。春ごろには掲載されるだろう。日本語なので、自分一人で書いた。単著で何かを出版するのは初めてである。学生の時もこうした依頼はあったが、当然、指
グリーンカードの申請(正式にはI-140の申請)の準備が本格的にスタートした。図らずも、その書類の準備過程が、自分の研究の説明能力を問われ、磨く機会となっている。I-140で最も重要なステップは、推薦書の準備である。自分のボスやコラボレーターはもちろん、自分の研究
基本的に、いま自分の何かが上手くいっているとするならば、それは過去の自分の自己投資の結果であるという実感がある。いま書いている論文は、3年以上前に、自腹を切ってEdXのオンラインコースでPythonを学んだ結果である。当時は「将来何かに役に立つかも」という程度のモ
日本では考えられないことだが、今、アメリカでは、大学院生やポスドクが労働組合(Union)を作る動きが全国的に広がっている。その流れの理由の一つが、コロナ以降の、生活費と家賃の異常な高騰である。ニューヨークやロサンゼルスのような都市部だと、従来の学生やポスドク
前の記事の続き。7月論文が正式にPublishされ、知り合いの反応や、Twitter上での「いいね」の数に喜ぶ。しかしそのような外向きの喜びなどはすぐに消え去るもの。ある種の「燃え尽き症候群」に陥り、2020年頃のしんどかった時期に帰りたいと思うようにすらなる。別のプロジェ
恒例の1年の振り返りである。今年はいろいろなことがあり過ぎたので、2つの記事に分けることにする。1月前年末に提出した論文の改訂稿に対する、雑誌からの返事をひたすら待つ日々。1月前半には返事が来るかと期待していたが、時間が経ち、雑誌から何の情報更新もない日が続
今回の学会でのこと。ポスター発表の時間中、あるポスターが目に留まった。見ると、日本の大学から来た人たちだった。内容も、僕の研究内容にかなり近かったので、足を止めて見始めた。すると、ポスターの裏から、発表者らしき女性が顔を出し、"Do you want me to explain?"
子供が生まれてから、研究に充てられる時間は目に見えて減ってきている。彼が自由にハイハイできるようになってからは特に。朝昼晩の食事、オムツ替え、散歩、寝かしつけ、そして怪我や何かの誤飲を防ぐための見張り...こうしたことを、妻が一人でやるのは不可能である。
今回の学会の意外な収穫は、研究者のグリーンカード(アメリカ永住権)申請を専門とする弁護士と会って話せたことだった。学会が公式にその弁護士事務所を呼んで、時間を設けて講演をしてもらい、さらにその日の午後ずっと学会上でフリーの相談を受け付けるという充実したサ
ボストンで行われた、アメリカ細胞生物学会とヨーロッパ分子生物学連合の合同学会に参加し、口頭発表をしてきた。自分が発表したセッション(プログラム)は、その学会で唯一、「脂質」をテーマにしたセッションだった。そして時間は、5日間ある学会の3日目の午後。おそらく
いよいよ来週に迫った、アメリカ細胞生物学会での口頭発表の準備が、大詰めを迎えている。スライドはほぼ完成し、あとは原稿を練り上げていき、ひたすら練習をする段階まで来た。しかし、準備しながら思うのは、プレゼンや口頭発表というのは、どうしてこうも難しく、また、
ChatGPTが世に出てから久しい。世に出た当初、僕も少しだけ使ってみたのだが、当時はどう使ったら良いか分からず、自分の専門分野の文献検索に使ってみて全然ダメだと知り(※)、結局最近はpythonのプログラムの相談をする程度の使い方しかしてこなかった。無料版のGPT-3.5
先日、デパートメント(学部/研究科のようなもの)の泊まりの年次集会で、「ポスター賞」なるものをいただいた。泊まりの年次集会、こちらでは「リトリート」と呼ばれるが、プチ学会みたいなもので、各ラボの代表者(学生またはボス)たちが口頭発表をしたり、有志の人間た
3年ほど前の記事に書いた通り、「一日に一本の論文を読む」という日課を自分に課してから、間も無く3年が経とうとしている(2020年9月「一日に一本の論文を」)。この間、読んだ論文はのべ1,000本近くになり(※)、これはこれですごいことだと思うのだが、最近、少し弊害が
コロナ期間中に、シフト制で午前勤務になって以来、「午前中にラボで実験、午後に家でデータ解析や文献探索」というスタイルが、自分の中に定着している。シフト制はとっくの昔になくなり、午前も午後も自由に実験してできるようになったが、それでも自分の「実験は午前中」
先月末に論文が出版されてから、なんとなく「燃え尽き症候群」のような状態になっている。全体的に、集中力が低い。些細なミスが多くなっている。なんとなく、「気持ちが乗らない」。このようなことは、初めてではないし、特別自分が変だったり、弱いということはないという
ポスドクの契約は基本的に1年ごとの更新であり、その更新のたびに、過去1年間の成果/成長の振り返りおよび今後の計画を書いた報告書を大学に提出しなければならない。その報告書自体は、ボス曰く「誰も読まない」という形だけのもののようである。しかし、報告書を書く過程
土曜日の朝、雑誌からメールが来ており、論文は「正式に」アクセプトされた。前回の記事に書いたように、「アクセプトするつもりです」メールが5月の頭にあったが、そこからさらに1か月かかった。長かった。実は、5月の中旬ごろに、「原則アクセプト」という連絡が来ていた(
論文を投稿していた雑誌の編集部から、「論文をアクセプトするつもりです(we are planning on accepting the paper)」という連絡が来た。Planning...? どういうこと、何その中途半端な状態??という疑問は後に冷静になってから湧いてきたが、それよりも先にあふれて来たの
人生初の、「国際」学会に行ってきた。つまり、アメリカでの、オンラインではない学会に初めて参加してきた。3年半もアメリカにいて、今回が初めてというのは衝撃である。コロナで失ったものは大きい。よく学会について、特に欧米で開かれる国際学会については、ネットワーク
改訂版を投稿した12月から2ヶ月余り、ようやく雑誌編集部から返事があった。結論は、リジェクト(掲載却下)だった。驚いたことに、元々の4人の査読者に加えて、新たに5人目の査読者が入っていた。そして、その5人目が非常に否定的なコメントをしており、それを踏まえてリジ
自分が所属するデパートメント(日本で言うところの学科)で、ポスドク・アソシエーションを作ることとなり、自分はその主要実行委員を務めることになった。ポスドク・アソシエーションとは、所属するポスドクの有志が集まり、ポスドク向けの様々なイベントを企画、開催した
年末恒例の、この一年の振り返りである。大きなハイライト:・論文の投稿(6月)・論文の審査員のコメントに対応する格闘と、再投稿(8月〜12月)・妻の妊娠(2月)と息子の誕生(10月)・プログラミングの幅の広がりと、それを活用した研究が一部開花、一部は依然成長を続け
先月、息子が生まれた。産声を聞いた瞬間に、涙が止まらなくなった。あんなに美しい泣き声は聞いたことがない。漫画「ドラえもん」の中で、しずかちゃんのお父さんが、娘の産声を「天使のラッパのようだった」と表現していたが、それは本当だったのだと知った。よく、赤ん坊
最近、怒りぽくなったなと思う。自分も、世間も。特に、他人の「発言」に対する怒りの沸点低下が、顕著であるように思う。そうした、自分や他人の怒りが、どのように起きているのかを冷静になった後に振り返ると、自分の脳がまるでGoogleやYahooのような「検索エンジン」化し
前の会社でよく言われていた「合言葉」の中に、"Conquer complexity"という言葉があった。直訳すれば「複雑さを制せよ」ないしは「混沌を乗り越えろ」とでもなろうか。噛み砕いて言えば、「複雑な、混沌とした状況にうろたえてはいけない。理知と冷静さを以て、混沌の背後や
論文がなんとか通りそうだ(今の雑誌なのか、また別の雑誌かは不透明だが)ということで、今のポスドク後のことを考え始めた、すなわち就活を始めた。就活と言っても、ポスドクの就活は、日本の新卒のようにエントリー期間があって一斉採用される訳でもなく、企業から企業へ
投稿中の論文の、査読の結果が返ってきた。査読とは、科学雑誌(有名どこではNatureやScienceなど)に投稿された論文がその雑誌への掲載にふさわしいかどうかを、専門家が判断する審査のことである。少なくとも生命科学の分野では、投稿時の状態で「ふさわしい、ちょっと修正
アメリカの共和党支持州を旅行してきて、「トランプ支持層」に対する考えが少しだけ変わった。先週までの10日間、アメリカの北中部に位置する、ワイオミング、サウスダコタ、ノースダコタの3州を旅行してきた。そこで驚いたのは、目にする人たち、出会う人たちのほぼ全員が
今日、ポスドクとしては初めての論文を雑誌に投稿した。アメリカに来てほぼ3年。その3年の集大成、そう言って大袈裟であれば、一つの目の一里塚の記念である。感情的、あるいは感傷的なことは以前に点(ドット)はいつか繋がるに書いたので、もうそれほど残っていない。しか
先日、うちのボスが、とある「ビッグラボ」向けに研究発表を行った。そこで、彼らの「オープンさ」に感銘を受けた。そのビッグラボは、細胞生物学界にその名をとどろかせている超大御所のラボである。僕は、まだコンサルにいた頃に、ポスドクとして雇ってもらえないかと打診
スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で行った有名な演説で、"Connecting dots"(点が繋がっていく)ことについて述べていて、それは僕のいくつかの座右の銘の一つであるのだが、最近、それがいい形で自分に起きていると感じている。1. コンサル時代の数値解析
最近、知り合いから「中学受験したんだよね?息子/娘に中学受験をさせようか迷ってるんだけど、かつらぎさんは中学受験してよかったと思う?」と聞かれることが増えた。「中学受験してよかったか」と問われれば、答えは「よかった」で間違いがない。ただ、その理由は、中学
先週の水曜日、Yale Nucleus Clubでの3回目の研究発表をした。前回が去年の4月だったので、ほぼ1年ぶりだった。あれから大きく進展はあった一方で、より分からないことも増え(1つ分かると新たに2つ分からないことが現れるのは科学の性質である)、何となくモヤモヤした中で
2020年は濃密だったが、2021年もまた濃かった。1月中旬に、初の "Yale Nucleus Club" 内での発表を控え、その準備に追われる。ボスの助言もあり、上々の評判。自分の研究成果を対外的に、かつ詳細に話すのはこれが初めてだった。ようやく、アメリカの研究者コミュニティの一
日本語話者にとって英会話学習が困難であることは言うまでもないが、実験科学者、特に生化学などの伝統的な生物学を生業としている研究者にとっては、プログラミング言語というもう一つの言語を学ぶこともまた、生易しいものではない。しかし、ここ1年半くらいでプログラミン
「頭脳流出」という言葉が少しトレンドになっているらしい。日本から海外に出た研究者が、以降に日本に戻って来ないと。あるいは、日本の優秀な研究者が、海外に「引き抜かれる」と。僕はあまりこの言葉にピンと来ない。僕から見ると、日本で起きていることは頭脳流出ではな
先日、少し恐ろしい経験をした。僕が属するラボは、イェール内の他の3つのラボと、定期的に合同セミナーを行なっている。みな、細胞核について研究しているので、Yale Nucleus Clubと呼んでいる。そこでは、基本的に「最新のデータ」を担当者が発表することになっている。「
PI (Principal Investigator. ラボの主宰者。教授や独立准教授など)になるか、企業の研究職として勤めるかという二項対立も極端が、もっと広くいうと、アカデミアかインダストリー(営利企業)か、という二択も極端というか視野狭窄なのだなと、今週気付かされた。アメリカ
...アメリカで就職するのもありかもしれないと、最近思っている。日本の研究環境の厳しさは深刻である。「アカデミアを離れてみたら」(岩波書店)という本に書いてあったが、いわゆる地方国立大学である山形大学では、財政難ゆえの電気代節約のため、事務室は昼休みに消灯、
自分が所属するデパートメント(日本でいう学部や研究科のようなもの)の全体集会(リトリート)での、口頭発表を終えた。去年はオンラインで、今年こそは集まって、ということだったのだが、デルタ株の急激な広がりにより、最終的にオンライン開催になった。去年は、このリ
常々頭にあるのは、「どれくらい英語を話せる、使えるようになればいいのか」という疑問である。日本には、「英語をペラペラに話す」ことを過剰に奨励、崇拝しすぎの嫌いがあるように思う。しかしだからと言って、「英語なんて通じればいいのさ」と開き直るのも、またなかな
前の記事に書いた、Computational Biophysicsのワークショップに参加してきた。4日間、自分の研究を離れて、ひたすら異分野の研究者たちと異分野の研究の話をした時間は、まるで海外旅行のような、普段の現実を離れて異邦人となった感覚に似ていた。Biophysicsというタイトル
来週月曜から木曜まで4日間行われる、アメリカ国立衛生研究所(NIH)が主催するComputational Biophysicsのワークショップに参加することになった。Computational Biophysicsと言われてもピンと来ないと思うが、要は種々の生命現象を、物理法則に基づいてコンピューター上で
とある日の午後、実験をしていると、実験の待ち時間で暇を持て余していた学生のJが話しかけてきた。"K(僕のこと)はさ、ポスドクの後はどうしたいと思っているの?"僕) " 独立したいと思っている。別に大学教授でなくてもいいんだけど。今よりももう少し独立性が欲しいと思
と問われた時に、1文で(1行で)答えられるかが、独立した研究者すなわちラボのボスになれるかどうかを左右するという話を、8つ上の先輩から聞いた。何の研究者なのかって、そんなの聞くまでもないんじゃないの?と思われるかもしれない。確かに、私は「細胞生物学者です」「
での発表を終えた。通常は半年に1回の発表なのだが、元々去年の10月に発表するはずだったものを1月に延期してもらい、その後のスケジュールは変わっていないので、今回は間隔が短くなった。注)Yale Nucleus Clubとは、イェール内で細胞核について研究している4つのラボが合
この4ヶ月ほど、ある問題を抱えてきていたのだが、今週、トンネルの出口が見え始めて来た。それは、以前の記事にも書いた、A -> X -> Bの因果関係の問題。Aの条件下でBが起きるのは、Xが機能不全だからではないかと考え、「Aに依存しないX」を入れればBが起きなくなるかを調
ちょっと速く走りすぎだろうか。データが出ていることは、いいことである。しかし以前にも書いた通り、自分は「データが出ていればそれでいい」という時代をとうに終えている。その上の次元にいなければならない。前職の言葉を借りるのならば、"So what?"(それってどういう
パンデミック後のラボの再開以来、うちのラボで敷いて来た「シフト制」が、今日をもって解除された。これまでは、コロナウイルスの感染を防ぐため、「ラボの中に同時にいる人数は、ラボ所属人数の半数以下でなければならない」という制約があり、それを守るためにラボメンバ
アメリカに来て良かったと思うことの一つは、電車内でスマホをいじる集団の光景を見なくてよくなったことだろう。日本では、それが苦痛だった。ホームに電車が来る。ドアが開き、電車に乗る。周りを見渡す。お客はみな、首を30度ほど下に傾かせ、スマホを見ている。微動だに
先日、とある地方国立大学で講師をしている、大学院時代の先輩から連絡があった。「Developmental Cellに載った〜〜という論文を送ってほしい。うちの大学ではこの雑誌の論文が読めない」びっくりした。Developmental Cellとは、生命科学の世界では世界最高の科学雑誌Cell誌
先週の水曜日、初めて、「4ラボ合同セミナー」で自分の研究の発表をした。この4ラボ合同セミナーは、イェールの中で、「細胞核」という共通の研究対象を主戦場としている4つのラボが、2週間に1度、自分たちの最新の研究成果を発表する場である。細胞核がテーマなので、"Yale
次期副大統領のカマラ・ハリスの話を聞いて、アメリカという国が心底うらやましくなった。動画がこちら(ツイッターに飛びます)以下、彼女の言葉の抜粋:"私の母はサイエンティストでした。(中略)サイエンティストとして、母は私に大切なことを教えてくれました。それは、
Keep the faith! - 「信じない」が蔓延する時代に
2021年のアメリカは、衝撃的な出来事で幕を開けた。アメリカの民主主義が進行される、その中心的な場所である議事堂(Capitol)が、トランプ支持者たちの暴動によって破壊されてしまった。今のアメリカが危機的な状況にあることを世界に知らしめるには十分すぎただろう。民主
2020年をいい1年だったなんてことが言えるのは、そもそも、自分や自分の身内に、コロナウイルスによる不幸がなかったからである。それは全く運がよかったとしかいいようがない。ただ、自分や自分の身内に不幸がなかったのであれば、この人類史に残る災禍の中、なんとか1年を
2020年が終わろうとしている。新型コロナウイルスに翻弄され続けた1年だったが、「自分個人としては」いい1年だったと思う。ここでは、この1年を時系列的に振り返りたい。1月:日本での休暇を終え、アメリカに戻る。早々にラボ内の発表があるため、その準備で図書館にこもる
2020年が終わろうとしている。新型コロナウイルスに翻弄され続けた1年だったが、「自分個人としては」いい1年だったと思う。ここでは、この1年を時系列的に振り返りたい。1月:日本での休暇を終え、アメリカに戻る。早々にラボ内の発表があるため、その準備で図書
先生のご研究は独創性にあふれていますが、その着想はどのように得ているのですか?とある大御所(といってもまだ40代の方だが)の先生のキャリア講演で、上記のような質問が出た。先生の答えは明快だった。着想なんて、していないと思います。その先生が言うには、自然科学
少し前のボスとの会話(対話)。ボス「あなたの研究のモチベーションは何?」自分(少し考えて)「目の前にあるものを知りたい、メカニズムを解き明かしたい、という気持ちだと思います」ボス「他には?」自分「その結果を、科学コミュニティーに共有して、皆がどう考えるか
ポスドクという期間を「成功裏に」終えたいのであれば、とにかく論文を出さねばならないと言われる。それも、いい論文をである。"Publish or Perish" (論文を出すか、さもなくば死ぬか)という言葉は、それを端的に表現している。しかし、他の研究分野ならいざ知らず、現代
今日は自分が住んでいる町、ニューヘイブンの名物である「イーストロック」の「山頂」に登った。イーストロックとは「ロック(岩)」というその名の通り、見た目は巨大な岩石のような風貌の丘である(地質学的には丘ではないかもしれないが)。ニューヘイブンの街の北側にあ
ボスと自分とで、研究における「音楽性」が少しずつ違って来ているのを感じている。いや正確に言うと、音楽性が違うことが顕在化してきている。いま自分はNIH(National Institute of Health)という、日本でいう厚労省のような機関(正確にはだいぶ違うが)の拠出する研究費
科学雑誌ネイチャーの記事で、1日に必ず1本の論文を読むことを自分に課している教授がいるということを知った。こちらの記事:This scientist read a paper every day for 899 days. Here’s what she learned実は自分も、3月のコロナシャットダウン以来、「なるべく毎日論文
昨日、うちのデパートメント(日本の大学の学部のようなもの)の全体集会があり、そこで初めて自分のラボ以外の人向けに発表をした。全体集会は、例年は1泊2日の泊まり込みでやるのだが、今年はそれは無理なので、例のごとくZoom開催である。去年参加したときに、「来年はこ
一昨日から、こちらアメリカでは民主党大会が開かれている。大会といってももちろんバーチャルなのだが、そのおかげで、登壇者がテレビ画面いっぱいに映し出されてこちらを見ながら語りかけてくる様は迫るものがある。一昨日の第一日目の目玉の登壇者は、何といってもオバマ
昨日、このラボに来て5回目のラボ内発表をした。うちのラボは小さいので(ボス以外で8人)、発表は2ヶ月に一度回ってくる。学生時代のラボは大きかったので(学生だけで25人くらい)、発表は3ヶ月に一度くらいしか回ってこなかった。さすがに5回も発表していると、慣れてはく
自分の研究の日々の「あーでもない、こーでもない」の試行錯誤や議論を見ていると、どうも昨年M-1王者のミルクボーイの漫才に似ているなと思うことがある。研究のはじめに何かふと面白い現象を見つける。と同時に仮説が湧く。(その特徴は完全にコーンフレークや!)↓検証1
質の高い、あるいは価値の高い研究論文とは何かという議論は昔からある。大雑把に言えば、「皆が関心のある大きな研究課題に答えを提示していて、その答えの出し方(研究手法)が洗練されていて、データに説得力がある論文」ということになるだろうし、その考え方には反論す
10日ほど前に、日本からアメリカに戻ってきた。戻ってきてすぐに目の当たりにしたのは、コロナウイルスによって冷え込んだ街ではなく、黒人差別問題に関する運動と、それがもたらす街や国全体の緊張感である。今月に入り、他の大学の例に漏れずイェールでも、この長らく続く
うちのボスから学ぶことはたくさんあるが、その中で一つ大きなことは「知らないことは知らないと認めて周りに聞く姿勢」だと思っている。ボスは、とにかくよく質問をする。セミナーに参加すると、学生よりも誰よりも一番質問している。それも、偉そうに質問をするのではなく
コロナウイルスが世界中で強いている「研究者の自宅勤務」は、第二、第三、のアイザック・ニュートンを生むだろうか。そして、自分はその中の一人(っぽい人)になれるだろうか。ニュートンは、英国で大規模な疫病が蔓延し大学が閉鎖に追い込まれたため、やむを得ず故郷に帰
こんなときだからこそ、今大切にすべきこと。小さな目標と行動指針。1. 健康でい続けること。自分も、家族も。三食、屋外での運動、笑い2. 目の前の引越しと、ビザ更新を無事に終わらせること3. ボスとの密なコミュニケーションを続けること。週一のZoomコールを続けること4.
最近、ボスと一緒に小さな論文解説記事を書いた。論文解説記事は、英語ではCommentaryとかPerspectiveとか、掲載される雑誌によって様々な呼び方をされる。要は、最近出た大きな論文について、その論文の著者とは無関係の第三者の研究者が「最近、こんな論文が〜雑誌に掲載さ
明日、日本に一時帰国するので、なんとなく、部屋を片付け、ゴミを捨て、一つの「区切り」を付けた。空になったゴミ箱を床に置き、ふと窓の外を見ると、いつも通りの、しかし今日はなぜだかすごく愛おしい、夕空の景色があった。ふと、「自分がイェールを辞め、このニューヘ
賢者「久々だな。実に3年ぶりじゃないか」自分「そうですね」「前回話をしたときは、ずいぶんと病んでいたが、あれから本当にいろんなことがあったみたいだのう」「はい、前回話をしたときはまだコンサルタントでした。あれから3年の間に、コンサルタントを辞め、結婚し、医
「研究なんてしている場合じゃないよな」3.11の震災の直後、当時自分が所属していた研究室の助教の先生が口にした一言が、今でも忘れられない。彼は非常にストイックで厳しい人として通っていて、それこそ朝から夜までを研究に費やすことを是とし、それを学生に暗に強いるよ
日本人は働きすぎだ、欧米人はオンとオフを切り替えてやっていて、それでも結果を出している。誰もが一度は聞いたことのある言説だと思う。本当だろうか?今日、日本で博士号取得後、ポスドクとしてアメリカに来て、その後業績を積んで今はイェールでラボを持っている日本人
日々ラボに来て、実験をしたり論文を読んだりして、結果をラボ内でディスカションするという生活のリズム自体は、学生時代と殆ど変わるものではなく、そういった意味では学生生活に戻ったようではある。しかし、3年間のコンサル生活を経て(うちコンサルタントとしての勤務は
現代の生命科学では、いわゆる「培養細胞株」を使って研究を行うことが多い。培養細胞株(単に細胞株とも。英語ではCell line)とは、元々人間や動物などの体の一部だったものを、手術/解剖で取り出した上で、培養液の中で無限に増えるように「飼いならされた」細胞たちのこ
ここのところの過剰労働が少し体に来ているようなので、今日は平日だが思い切って休むことにした。ラボに来て以来、丸一日休むのは初めてだ。自分では学生のときか、それ以下のペースでやっているつもりなのだが、どうも20代中盤のような体力はないらしい。量ではなく質で勝
現在自分がいるDepartmentでは、新しいラボのボスを公募しており、その選考の最終段階にある。新しいボスを、と言っても、今すでにいるボスが辞める/辞めさせられるということではなく、新しいビルに移ってスペースが余っているので、そこに新しいラボを立ち上げさせる、と
先日、日本人の集まる新年会があり、そこで面白い話を聞いた。その中の一人のポスドクが、自分のボスのことを話していた。彼曰く、ボスは「サイエンスを知らない」らしい。ボス、つまり医学のプロフェッサーが、サイエンスを知らないなんてことがあるかと思ったが、彼は本当
人生も30年経つと、人間関係の有様も多様化し、かつ生成と消滅と再生を露骨に繰り返すようになる。かつて大学にいた頃には「友達」だと思っていた人たちが、大学卒業と同時に急激に疎遠になり、一切の連絡を取らなくなったりする。たまに連絡を取って会ってみても、首をかし
アメリカに来て以来こちらの人たちの研究発表プレゼンを見ていて、驚き、かつ違和感を未だに拭えないことが、みなPowerpoint(パワポ)のアニメーション機能を多用することだ。パワポのアニメーション機能とは、プレゼン中に、スライド上にある文字や図や絵などを、ワンクリ
日本に戻って来た。久々、という感じが全くしなかった。自分には人生が2つあり、片方の人生から、もう一つの別の人生に戻って来たような感覚である。日本を出発した、7月16日の続きとして。太平洋によって分かたれている空間同様に、アメリカでの自分と日本での自分は不連続
アメリカに来て5ヶ月。いったん実験を休止し、明後日に一度日本に帰る。束の間のオフである。5ヶ月間、本当にいろいろなことがあった。5ヶ月前、キャンパス内の土地勘もなく、街のどこに何があるかも分からず、全てが未知の状態で飛び込んで来た。今は、当初ボスに車で案内さ
こちらに来て、日々アメリカ人たちと接していて痛感するのが(幸い今のラボはボスを含めてアメリカ人だらけでネイティブの用例に困らない)、自分が日本の学校教育でいかに変な英語を習って来たか、そして実際に使われている英語をいかに習って来なかったかということである
アメリカに来て驚いたことはたくさんあるが、その中の最大のものの一つは、ラボ間の垣根の低さである。特に、以前にこちらの記事にも書いたが(日本の学会と欧米の学会との違い(仮説))、未発表データをお互いにガンガンと見せ合う姿勢はすごいなと思った。イェールは非常
昨晩から今朝にかけて、一晩中、生きた細胞を動画で撮影する実験を行った。一晩中と言っても、夜に細胞をセットして撮影の設定をすれば、後はコンピューターが自動で撮り続けてくれるので、自分はそこにい続ける必要はない。そんなことをしたら体力が持たない。実験の目的は
科学の実験においては、実験を行う温度がしばしば問題になる。試験管内の化学反応や、動物や細胞の飼育・培養において、「何℃で行うか」は結果を大きく左右することが多い。「25℃ならいいけど、26℃だとダメ」な実験があったりする。しかし、そんな温度に敏感な科学(特に
アメリカに来て、間も無く4ヶ月になる。自分自身の現在地を見直し、鼓舞と反省の材料のするためにも、この4ヶ月を時系列に沿って振り返ってみる。と同時に、「果たして自分はここまで生産的に働けているだろうか」という問いにも答えてみたい。7月中旬、アメリカに到着。最初
前の記事で、素晴らしく希望が持てる実験結果が出たと書いたが、先週、その実験結果の正しさを検証する実験を行った。すなわち、分子Xを見るためのツールが、「本当に」分子Xを見ているのか否かを、2種類の方法で確認しに行った。結果としては、片方の実験は「分子Xを見てい
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アメリカに来てから、筆頭著者としては2本目の論文が、ほぼ完成した。そして、査読前の論文の投稿サイトであるbioRxiv(バイオアーカイブ)に投稿した。ほぼ、という状態になっているのには、事情がある。本来であれば、完全に完成させて、雑誌に投稿し、それと同時にバイオ
長男は2歳となり、次男も半年を迎えた。子育てに注ぐエネルギーと時間は増す一方であり、それに逆相関して、研究に費やせる精神的な力と時間は減る一方である。深夜、二人の子供が同時に夜泣きを始め、妻と二人で暗闇の中で子供たちをあやす。それが自分の子供であっても、眠
昨日、サウスカロライナ医科大学のラボ主宰者(PI)ポジションの面接と、ジョブ・トーク(オンライン)をしてきた。全体的な印象としては、「とてものんびりとして、若手に優しそうな環境」ということだった。朝10時から開始して、スケジュールとしては、デパートメントのチ
アメリカのとある大学の助教授(ラボ主宰者)ポジションの公募に、何の気なしに応募したところ、書類選考を通り、面接とジョブ・トークに呼ばれてしまった。事の始まりは、先月の末。雑誌Scienceに載っている公募情報をサラサラと見ていると、サウスカロライナ医科大学の助教
育休に入って、はや4週間が経とうとしている。さすがに、この生活をずっと続けるのは無理である。始まる前は、長男を連れてこの緑あふれる街を歩くことに憧れもしたが、それももう満足だ。ラボから離れると、置いてけぼりの気分になる。ラボのスラックでは、相変わらず新しい
現在、National Waiver Interestという枠でグリーンカードを申請準備している。この申請には、"Independent letter"、すなわち「外部推薦人」による推薦書が複数枚(僕の場合は5通)必要になる。外部推薦人とは、下記の条件を満たす大学の教授(PI)である。- 僕が行っている
1年以上前から、ずっと追っている、調べ続けている遺伝子がある。名前をM214という。まるで星雲の番号のような無機質な名前だが、それはこの遺伝子の機能を、人類はまだ何も知らないからである。通常、機能が一部でも解明されると、遺伝子はその機能を反映した名前を与えられ
去年C誌に掲載された論文について、解説記事を日本生化学会の会報に書いてほしいと依頼があり、その原稿を先週に投稿した。春ごろには掲載されるだろう。日本語なので、自分一人で書いた。単著で何かを出版するのは初めてである。学生の時もこうした依頼はあったが、当然、指
グリーンカードの申請(正式にはI-140の申請)の準備が本格的にスタートした。図らずも、その書類の準備過程が、自分の研究の説明能力を問われ、磨く機会となっている。I-140で最も重要なステップは、推薦書の準備である。自分のボスやコラボレーターはもちろん、自分の研究
基本的に、いま自分の何かが上手くいっているとするならば、それは過去の自分の自己投資の結果であるという実感がある。いま書いている論文は、3年以上前に、自腹を切ってEdXのオンラインコースでPythonを学んだ結果である。当時は「将来何かに役に立つかも」という程度のモ
日本では考えられないことだが、今、アメリカでは、大学院生やポスドクが労働組合(Union)を作る動きが全国的に広がっている。その流れの理由の一つが、コロナ以降の、生活費と家賃の異常な高騰である。ニューヨークやロサンゼルスのような都市部だと、従来の学生やポスドク
前の記事の続き。7月論文が正式にPublishされ、知り合いの反応や、Twitter上での「いいね」の数に喜ぶ。しかしそのような外向きの喜びなどはすぐに消え去るもの。ある種の「燃え尽き症候群」に陥り、2020年頃のしんどかった時期に帰りたいと思うようにすらなる。別のプロジェ
恒例の1年の振り返りである。今年はいろいろなことがあり過ぎたので、2つの記事に分けることにする。1月前年末に提出した論文の改訂稿に対する、雑誌からの返事をひたすら待つ日々。1月前半には返事が来るかと期待していたが、時間が経ち、雑誌から何の情報更新もない日が続
今回の学会でのこと。ポスター発表の時間中、あるポスターが目に留まった。見ると、日本の大学から来た人たちだった。内容も、僕の研究内容にかなり近かったので、足を止めて見始めた。すると、ポスターの裏から、発表者らしき女性が顔を出し、"Do you want me to explain?"
子供が生まれてから、研究に充てられる時間は目に見えて減ってきている。彼が自由にハイハイできるようになってからは特に。朝昼晩の食事、オムツ替え、散歩、寝かしつけ、そして怪我や何かの誤飲を防ぐための見張り...こうしたことを、妻が一人でやるのは不可能である。
今回の学会の意外な収穫は、研究者のグリーンカード(アメリカ永住権)申請を専門とする弁護士と会って話せたことだった。学会が公式にその弁護士事務所を呼んで、時間を設けて講演をしてもらい、さらにその日の午後ずっと学会上でフリーの相談を受け付けるという充実したサ
ボストンで行われた、アメリカ細胞生物学会とヨーロッパ分子生物学連合の合同学会に参加し、口頭発表をしてきた。自分が発表したセッション(プログラム)は、その学会で唯一、「脂質」をテーマにしたセッションだった。そして時間は、5日間ある学会の3日目の午後。おそらく
いよいよ来週に迫った、アメリカ細胞生物学会での口頭発表の準備が、大詰めを迎えている。スライドはほぼ完成し、あとは原稿を練り上げていき、ひたすら練習をする段階まで来た。しかし、準備しながら思うのは、プレゼンや口頭発表というのは、どうしてこうも難しく、また、
ChatGPTが世に出てから久しい。世に出た当初、僕も少しだけ使ってみたのだが、当時はどう使ったら良いか分からず、自分の専門分野の文献検索に使ってみて全然ダメだと知り(※)、結局最近はpythonのプログラムの相談をする程度の使い方しかしてこなかった。無料版のGPT-3.5
先日、デパートメント(学部/研究科のようなもの)の泊まりの年次集会で、「ポスター賞」なるものをいただいた。泊まりの年次集会、こちらでは「リトリート」と呼ばれるが、プチ学会みたいなもので、各ラボの代表者(学生またはボス)たちが口頭発表をしたり、有志の人間た
いよいよ来週に迫った、アメリカ細胞生物学会での口頭発表の準備が、大詰めを迎えている。スライドはほぼ完成し、あとは原稿を練り上げていき、ひたすら練習をする段階まで来た。しかし、準備しながら思うのは、プレゼンや口頭発表というのは、どうしてこうも難しく、また、
ChatGPTが世に出てから久しい。世に出た当初、僕も少しだけ使ってみたのだが、当時はどう使ったら良いか分からず、自分の専門分野の文献検索に使ってみて全然ダメだと知り(※)、結局最近はpythonのプログラムの相談をする程度の使い方しかしてこなかった。無料版のGPT-3.5
先日、デパートメント(学部/研究科のようなもの)の泊まりの年次集会で、「ポスター賞」なるものをいただいた。泊まりの年次集会、こちらでは「リトリート」と呼ばれるが、プチ学会みたいなもので、各ラボの代表者(学生またはボス)たちが口頭発表をしたり、有志の人間た
3年ほど前の記事に書いた通り、「一日に一本の論文を読む」という日課を自分に課してから、間も無く3年が経とうとしている(2020年9月「一日に一本の論文を」)。この間、読んだ論文はのべ1,000本近くになり(※)、これはこれですごいことだと思うのだが、最近、少し弊害が
コロナ期間中に、シフト制で午前勤務になって以来、「午前中にラボで実験、午後に家でデータ解析や文献探索」というスタイルが、自分の中に定着している。シフト制はとっくの昔になくなり、午前も午後も自由に実験してできるようになったが、それでも自分の「実験は午前中」
先月末に論文が出版されてから、なんとなく「燃え尽き症候群」のような状態になっている。全体的に、集中力が低い。些細なミスが多くなっている。なんとなく、「気持ちが乗らない」。このようなことは、初めてではないし、特別自分が変だったり、弱いということはないという
ポスドクの契約は基本的に1年ごとの更新であり、その更新のたびに、過去1年間の成果/成長の振り返りおよび今後の計画を書いた報告書を大学に提出しなければならない。その報告書自体は、ボス曰く「誰も読まない」という形だけのもののようである。しかし、報告書を書く過程
土曜日の朝、雑誌からメールが来ており、論文は「正式に」アクセプトされた。前回の記事に書いたように、「アクセプトするつもりです」メールが5月の頭にあったが、そこからさらに1か月かかった。長かった。実は、5月の中旬ごろに、「原則アクセプト」という連絡が来ていた(