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時間のしずく time drops https://blog.goo.ne.jp/jikannoshizuku

ココロの風通し的散文です。思うこと/アート/本/映画/音楽/自然など、日常の写真を添えて綴ります。

すきなもの。たいせつなこと。ココロに風を通すと見えていなかったたいせつなことがあぶり出されてきたりします。

miko
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2014/12/01

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  • 加速

    早い、早すぎる!長男の結婚式から一年があっという間に経っていた。第一子というものは全てが初めてのことで、3人の子のうち常に一番心配したり気を揉んだりしたのはいつでも長男Sだった。こんなにあっさりすっかり手もココロも手離してしまえる日が来るなんて、あの頃には想像もつかないこと。時間はめぐる。先へ先へ。彼に関して気を揉んだり案じたりすることをすっかり手離したジブンが不思議なのである。もちろん元気でいてくれよと願ってはいるが。しっかりした看護士の彼女と一緒になったということも大きな要因なのかもしれない。小児喘息だった長男。喘息や急な蕁麻疹など、何度冷や冷やさせられたことか。子どもの頃は毎晩吸入器で薬を吸入させ、大きくなってからも喘鳴がしていないか彼の寝息によく耳をそばだてていたものだ。先日ふたりで家に帰って来た...加速

  • 夕焼けにはまだ早いけれど束の間、商業施設の屋上に出てみる。わぁ〜なんだろね〜やっぱり大きな空はいいね〜薄雲が落ち日をふんわりと包んでやわらかく輝く知らぬ間に凝り固まっていたこころの一部がふわりと解けていくのを感じる。だいじょうぶ所詮全ては小さなこと。空

  • 孤高の画家 田中一村さん

    10月初旬に観てきた田中一村展のこと。東京都美術館「田中一村」展この日は朝から「大地に耳をすます」「東京展(絵本展)」お昼を挟んで「田中一村」展、とアート三昧の至福の1日でありました。12年前、奄美の友人の結婚式に出席するため初めて奄美大島、加計呂麻島を訪れました。友人の勧めで帰る前に立ち寄った「田中一村記念美術館」そこで初めて田中一村の絵と人となりに触れ、すっかり魅せられてしまいました。田中一村記念美術館の誰もいないひろい部屋で鬱蒼とした森の大きな絵を前にしたとき、自分が絵の中に吸い込まれそうな気持ちになったことをよく覚えています。(寧ろ吸い込まれてしまいたいくらいだったかも。笑)今回の展覧会では展示No.298に一番こころを持っていかれました。(購入ポスター)ずっと眺めていたい静けさの中に力強さを感じ...孤高の画家田中一村さん

  • イリュージョン

    偶然の一枚空がにっこり笑ってるカラスが見せてくれてイリュージョン?いろいろあってもね笑っていきましょうーKeepsmiling!!イリュージョン

  • 山アリ谷アリ

    半同居の義父母がふたりとも家にいないなんて嫁に来て30年来はじめてのことだ。先日、地域の大きなお祭りで人混みを行ったり来たり張り切る89歳の義父の生き生きとした姿に、私も油断してしまった。そして、コロナ陽性に。熱もなく咳だけだったので気付くのが遅れ、間を置かず認知症の義母にも感染し高熱、水分も摂れず救急搬送。認知症のため、体調が悪くても自覚がなく、いつも穏やかな義母が理由もなく泣き出したことに違和感を覚え…。数時間後には39℃に上がっていた。認知症のお年寄りは本当に子どもと同じ。コトバには表さなくてもいつもと違うサインを体が発するように出来ているのだな。。。かかりつけ医に電話で相談後、救急搬送で入院。微熱と咳だけの義父は家で過ごしていたのだが…真夜中に、妄想なのかせん妄なのか、はたまた悪夢を見たのかかなり...山アリ谷アリ

  • アート三昧のとある一日

    このところ時間が許せば展覧会へ!ありがたや〜。ココロの充電たっぷり。先日、午前から夕方まで東京都美術館で展示を3つハシゴ。まず友人が絵本を出展している「東京展」の絵本展へ!唯一無二の手づくり絵本、それぞれに味わい深く素晴らしい。ほっこり。そして、会期終了ギリギリに駆け込めた「大地に耳をすます気配と手ざわり」ミロコマチコさんの原画、初めてみました。力強さとエネルギーに感動…!ライブペインティングの映像がこれまた素晴らしく、あんなふうに全身全霊で体を使って大きな絵を描くチャンスがあったならぜひやってみたい〜!と絵描きでもないのにウズウズしてきてしまいました。笑。川村喜一氏倉科光子氏ふるさかはるか氏榎本裕一氏印象的なものを一枚ずつ。どの作家さんも、うつくしくも厳しい自然に深く関わり寄り添って生き、作品を生み出す...アート三昧のとある一日

  • 「ハニワと土偶の近代」東京国立近代美術館

    東京国立近代美術館「ハニワと土偶の近代」展へTheNationalMuseumofModernArt,Tokyo「ModernImagesofAncientclayFigures」ハニワの奥深い世界をのぞいてきました。大量の文献や資料、そして貴重な映像。たいへん勉強になりました。岡本太郎さんの犬の植木鉢にもまた再会!東京国立近代美術館は建築もうつくしく見どころいっぱいです。4階の「眺めのいい部屋」は正にいい眺め。皇居の緑と空が大きなガラス窓一面に広がります。ゆったりと座って暫しアートの余韻に。この展覧会の最初の展示はここ東京国立近代美術館の地面から出土したという土器のカケラから始まります。こんな大都会東京も昔はすべて土の地面だったんだよなぁ…と、いにしえから今日までここに流れた長い長い時間に想いを馳せる貴...「ハニワと土偶の近代」東京国立近代美術館

  • ノーベル平和賞!!

    今日、素晴らしいニュースが日本を駆け巡った。日本被団協にノーベル平和賞が!庶民の我々が求めているのは核のない平和な地球。かつてないほど核の危機を身近に感じる不穏な空気の漂う現在。唯一の核爆弾被爆国でありながら核禁止条約に未だ非加盟な日本。。。さあ、どうする?日本国!ノーベル平和賞!!

  • すてきなブルーハート

    空にハート。こういうの見つけると一気にキモチがあがる。血が駆け巡る?アドレナリン大放出?上を向いて歩こう〜!すてきなブルーハート

  • 「空ばかり見ていた」吉田篤弘著

    電車の中で本を広げているひとを見掛けることが本当に少なくなった。本はどこでもドア。瞬時に違う場所へと連れていってもらえる。電車内はわたしには貴重な読書タイム。「空ばかり見ていた」吉田篤弘著先日電車の中でこの本のなかの「海の床屋」を読んでいたら、何だかひどく郷愁に駆られて小さい頃の伯母の家を連想し、束の間子ども時代にトリップしていた。読み終えた途端、なぜだか懐かしさに涙が溢れそうになって困った。たとえわたしが涙をひと粒落とそうと、車内でそれぞれの画面に目を落としている乗客のうちの誰ひとり気付きはしないだろうけれど。だいすきだった伯母の家。少し離れた商店街にあったクリーニング店の姉弟と仲良くなって、伯母の家に泊まりに行くと度々遊んだ。弟の方はわたしと同い年で、名はかっちゃん。フルネームまで思い出した。人懐こい...「空ばかり見ていた」吉田篤弘著

  • 知らない町を歩く

    氷見駅から富山駅までの乗り換え駅。富山県高岡市を歩く。狛犬と並ぶお馬さん(射水神社)橋の上に立つ鳳凰なぞの男の子タバコの広告に驚く(娘が)時間の止まったお店煉瓦造りの元銀行レトロ建築イロイロ町の中に突如現れる大仏さん(日本三大大仏だそう)誰もいない千本格子の美しい街並み初めて乗る路面電車(娘)どっちを向いても撮りたいものだらけ〜あまりにも歩き疲れすぎてタクシーを探してみても一台も遭遇せず。バス停はあれど日に何本かしかなく、ほとんどひとも歩いておらず。。。ヒッチハイクしようかと思うほど。笑あと少しでやっと高岡駅、というところで路面電車の停留所に遭遇し、一駅だけ乗ってみたのでありました。知らない町への旅。たった一泊でも非日常に身を置くといろんなことがみえてくるような気がします。いつかそのうちと思いがちですが、...知らない町を歩く

  • オノマトペの屋上〜環水公園へ

    富山県美術館にあるオノマトペの屋上広場ここは最高に気持ちの良い場所でした!オトナでもたのしい遊具。子どもならもっと楽しめそうですねー。丸の内OAZOのくまさんと同じ子を発見!(三沢厚彦氏の作品)続く運河環水公園は豊かな水を湛えるのどかな散歩道。ここは、えっと〜ヨーロッパの水の都かな?というような異国情緒のある公園でした。世界一美しいと云われるスタバにも寄り道です。ちょうど暑さのおさまった時期だったのでJR富山駅からぐるりと徒歩にて気持ちよく散策できました。とても久しぶりの未知の町歩き。どっちを向いても知らない道…テンション上がりっぱなしでありました。富山の旅紀行。次は高岡市の町歩きを記します。オノマトペの屋上〜環水公園へ

  • 父のRay Ban を連れて

    父のRayBanを連れて富山へ昨年亡くなった大阪の父が最期まで行きたがっていた富山県。仕事でいろんな国を旅し、日本の津々浦々をよく知っていた父がある時「47都道府県の中で何故か富山県だけ足を踏み入れたことがないんや」と云う。「富山湾の旨い魚を食べに行こう!企画してくれ」と言い出したのは亡くなる半年前のこと。折しも雪の季節に突入しており、体の弱っている車椅子の父を連れて行くには過酷な旅になりそうで、いい季節になってから行こうと父をなだめたのだった。春になり、昔の仕事仲間のOB会に参加するための東京行きは強行できたものの、5月に米寿にて天寿を全うした。そんなわけで、私の中に悔いの残る富山行き。この度思い立って父のトレードマークのレイバンを連れて娘と母娘旅へ。初めての北陸新幹線。あっという間に富山県。北陸がこん...父のRayBanを連れて

  • 画面の中にあがる黒煙

    性懲りもなく繰り返す戦争。理不尽な攻撃。こんなに文明が進んだというのにニンゲンの愚かさは変わらない。画面いっぱいに映し出される空爆の煙…。なぜこんなことが許されるのか。戦争は殺人であり、最大の環境破壊。哀しい。ニュースの中で自国を正当化し、相手が悪いと声高に主張しているのは常に男性主導者である。戦争を始めるのは庶民ではなく国の上層部だ。そして、過去も現在も理不尽な戦争を止めない国のトップにいる者は皆男性だ。世界中のトップを一斉に女性にチェンジしたなら・・・と想像してみる。罪なき人々を、子どもたちを無差別に殺傷することを選ぶ女性主導者が多数いるとは到底思えない。流血を回避できる道を探すべく、チカラではなくコトバで折り合いをつけることが可能となるに違いない。性差別するつもりはないけれど、血肉を分けてその身でニ...画面の中にあがる黒煙

  • 日曜早朝のRockたち

    日曜日の朝はよく階下から聞こえてくる大音量のロックのレコードの音で飛び起きた。まだ父が日常的に家に帰ってきていた小学生の頃のこと。早起きの父は何故か日曜の早朝にロックをかけるのがすきだったのだ。1970年代後半頃の話。山の中の一軒家じゃあるまいしあの大音量が隣近所に恥ずかしくて飛び起きて音量を下げに一階へと駆け下りたものだ。機嫌良く踊る父はほとんど音量を下げさせてはくれなかったけれど。笑。思えばあの頃父はかなりのオーディオマニアでいろんなオーディオ機器を繋げて大きなスピーカーでレコードを聴いていた。広いリビングの壁一面の作り棚に大量のレコードと本がぎっしり詰まっており、万年不良の父があまり家に帰らなくなった頃には、中学生のわたしが片っ端からレコードをかけるようになっていた。父がかけていたあの日曜日の朝のロ...日曜早朝のRockたち

  • 背中をどついてくれる曲

    かつて15歳のわたしの背中をどついてくれた一曲。「HoldOnTight」ELO久しぶりにレコードで聴く。(数年前に買ったトランク型プレーヤーで)音楽ってものはつくづく匂いと同じだ。その時のココロモヨウをそのまんま連れてくる。アクセルぐんぐん踏むみたいに連呼されるHoldontighttoyourdream!いくつになろうと人生イロイロ。HighもあればLowもある。30年以上経っていてもこの曲はわたしの背中を相も変らずどついてくれるわー。15のわたしではなく58現在のわたしらしいテンポでがんばりまーす。背中をどついてくれる曲

  • 月待ち時間

    のぼりたての中秋の名月が見たくて自転車を飛ばす。うちからは残念ながらビルの影になり天上に上がるまで月はみえないのだ。早く着いてしまってひとり階段に座って月の出を待つ。空がオーロラみたいにふしぎなピンク色に染まり、空がストライプ模様に。月灯りのスポットライトね。のぼりたての月ほやほやのうつくしい月すきだなあ。写真はボケボケだけれど実物はなんともうつくしい。正に中秋の名月ねぇ。それにしてもこんなに暑い日の中秋の名月。。カレンダーと肌感覚がズレてきているなぁ。お月見と言っても、まだススキの穂も若いまま。なにはともあれ今年も名月を見上げられたことに感謝しよう。満月みたいなガーベラ月待ち時間

  • TOPコレクション「見ることの重奏」

    お馴染み、東京都写真美術館エントランスのアプローチ。ここはうつくしくてだいすき。行くたび写真を撮ってしまう。『TOPコレクション見ることの重奏』へ。コレクション展っていろいろ観れてすきなんだなぁ。今回マン・レイとウィリアム・クラインの作品以外は撮影可。ウジェーヌ・アジェアジェの階段シリーズは以前やはりここのコレクション展で観てからすっかりファンに。奈良原一高[デュシャン/大ガラス]なんか、刺さる。寺田真由美[curtain]今回一番惹かれたのはこのcurtainのシリーズの中の一枚。切り取られ止まっているはずの過去の中に見える時間の流れ…。いい写真に出逢えた。ずっと眺めていたい一枚だったなぁ。帰り路の恵比寿ガーデンプレイスの影写真。写真展を観た後は、日常の中の影がより色濃く視えてくる感化されやすい体質です...TOPコレクション「見ることの重奏」

  • [昭和モダーン モザイクのいろどり]板谷梅樹の世界

    『昭和モダーンモザイクのいろどり板谷梅樹の世界』泉屋博古館東京うつくしいモザイクにうっとり。色合わせもめちゃ好み。板谷梅樹氏は陶芸家板谷波山氏の御子息。解説文によると、父波山の砕いた陶片の美しさに魅了されモザイク作品を創るようになったとのこと。なるほど。なるべくして生まれた作家さんなのだなぁ。それにしても梅樹氏は末っ子の五男、五人の息子が誰も陶芸家にならなかったというエピソードにも何だか感慨深いものがある。人生イロイロだなあ。構図や色合わせをもっとじっくり観たくなって図録も購入。初めて訪れた泉屋博古館。行きは六本木一丁目下車。空へと続くようなエスカレーターで上へ上へと上り、橋を過ぎるとシンプルな景観の建物が見えてくる。残暑の強い陽射しに陰影の色濃いアプローチがとても美しい…。帰り路は往きとは反対の神谷町駅...[昭和モダーンモザイクのいろどり]板谷梅樹の世界

  • モノクロ/カラー

    空へ続くエスカレーターモノクロとカラー暑さが伝わるのは案外モノクロのほうかも?想像力が加わるからかな。正午過ぎの六本木一丁目。多分35℃くらい。熱され続ける地球。もう9月も半分なのにねえ。モノクロ/カラー

  • 折り紙とAha体験

    折り紙の本を見ながら折ることがとても苦手だったのに、最近克服しつつあるような気がする。物心がついた頃から持っている「おりがみブック」昭和44年の日付が母の文字で書かれている。これがなかなかいい。園で子どもたちに教えてあげたいシンプルで個性的な折り紙が色々載っているのだ。いすとテーブル。できたできた!今度コレを教えてあげよう。以前は複雑な折り方を見るだけでムズムズしちゃって拒否反応を起こしていたのに、脳が変化してきたのかな。それとも年を重ねて短気が解消されてきたのか。説明を理解して折り上がった時の「YES!」な気分がいい。茂木さんの説く「Aha体験」はコレかな。あ!こうするのか!と突然理解出来て脳がピカッと活性化されるような?わたしの脳は脳トレを欲しているのかも。こりゃ苦手だったあやとりにも挑戦しようかな〜...折り紙とAha体験

  • 終わらない夏

    熱風の夏空にスックと立つすすきの勇ましさよ!頼もしい〜9月も半ばになろうというのに35℃超えの日々。。秋を連れてきておくれ〜酔芙蓉の花。ころんとした蕾の中にこのフワフワの花びらが収納されていると思うと⋯つくづく生命のふしぎを感じますねぇ。ヨリミチ公園のわたしのすきな「ヨリミチ芙蓉さん」はなぜか今年は成長が遅い。いつもならわたしの背丈を越えるほど大きくなってあの薄ピンクのかわいい花を咲かせている頃のはず⋯。やはりこの異常な暑さのせいなのか??生き物たち。めげずに生きて。終わらない夏

  • 箍が外れる。実写版

    『タガが外れる』実写版!コトバとしては数知れず聞いたり言ったりしては来たけれど、目にするのは人生お初です。箍ってホントに外れるんだ〜。貴重なシーン。(でも板がバラバラにはならず?)この後、夫が直しましたこの桶は昔母にもらった手巻き寿司セットの酢飯を作るためのもの。久しぶりに出してみたらいつの間にかこんなことに〜。昔後輩に多賀くんという男子がいて、酔うとはっちゃけちゃうから「タガのタガ外れ」なんていじっていたもんだ⋯な〜んてことまで思い出してしまった。人生、突然タガが外れるようなことはなかなか起きないもんだ。。たまにはジブンで外してみるつてのもアリかもね。笑箍が外れる。実写版

  • 発見!はにわさんの謎

    常設展示のはにわさん達にご挨拶。以前ひと目見てお気に入りになった「にっこりさん」は今は控え中みたい。今回ずらりと並ぶはにわを眺めていて気付いたことがある!皆さん総じてとても鼻が高い!!縄文時代の日本人は皆さん鼻が高かったのかしら。それとも高い鼻を持ちたいという希望的観測の賜物か。埴輪は見るたびに新たな発見があり、沸々と知識欲が湧いてくる。埴輪には家や馬、犬、などいろんな形がある。犬も馬もこの頃からもうニンゲンには身近な生きものだったんだなぁ。東京国立博物館、常設展示もたいへん見応えがあります!大抵、特別展でおなかいっぱいになっちゃうんだけどね〜笑それでも、ぐるりと観ることをお勧めいたします!ツボる。このお方。発見!はにわさんの謎

  • 内藤礼「生まれておいで 生きておいで」

    内藤礼「生まれておいで生きておいで」東京国立博物館インスタレーション作品が館内の空間を取り込んで展示されている。コトバを超えた内藤礼氏の世界観の時空間に暫し漂う。。。展示品とその名前の間には計り知れない思惑や考察が詰まっているのであろう。例えば、まぶたという題名を作品番号を頼りに探してみると、糸につるされた小さな銀紙だったりする。ゆるりと風が吹くたび小さな銀紙がひっそりと揺れて光るのだ。まぶた。。。(ココロの中でまぶた、まぶたと唱えるうちに、小川洋子氏の小説『まぶた』を思い出したりする。関係ないのに。)ありのままにうけとめる。そんな中、重要文化財の土製品なども作品としてぽつんと展示されている。ただの土くれのようでいて、よく見るとそれは縄文時代の幼児(赤ちゃんかな)の足形である。確かに存在したヒトの証。。。...内藤礼「生まれておいで生きておいで」

  • PINK SKY

    台風の影響の雷雨直後まだ降っているのに空にはピンクの夕焼け。街がすべてピンクに染まる。空も道路もヒトも車も。さよなら8月。暑すぎた夏も連れていって!PINKSKY

  • 曲がり角

    もうすぐアノ子の命日。もう13年も時間が積もったのね。そんなに経ったとまるで思えない。ずっとアノ子がこころの中に住んでいるから。二十歳で出会ってから46歳で天に昇るまで友だちというより同い年のイトコのような…そんな間柄だったような気がする。互いの子どもたちも親戚のようだったな。もし、とかたら、とか考えても仕方がないのは十分わかっているのだけれど。あったはずの時間を思わずにいられない。人生はあみだくじか?ひとつ角を曲がり間違えるとその先の道筋はすべて違うものになってしまう。あの時、道を間違えなければ…と考えても時間は決して巻き戻すことはできない。そんなこともう嫌と言うほどわかっている。いつか自分の番が来てアノ子に会えたならきっとわたしはアノ子に怒りをぶつけて、わんわん泣いてしまうだろう。いつもヘラヘラ笑って...曲がり角

  • 安堵を連れてくるコトバ

    「だいじょうぶ、だいじょうぶ」わたしは基本的に楽観主義。大抵のことは「だいじょうぶ」だと信じてる。「だいじょうぶ」は安堵を運んでくる魔法のことば。幼稚園のシゴトでも転んで泣いてるこ、ママに会いたいと泣いてるこ、いろんな場面で気づけば「だいじょうぶだいじょうぶ」と背中をさすってあげてる。折り紙が上手く折れずにイライラしているこにも「だいじょうぶだいじょうぶ、ここまで出来た!だんだんできるようになるよ!」と励ます。何かとトラブルを起こして他の子に言い付けられてばかりのこ…そういうこは、落ち着いてから「だいじょうぶだよ。せんせいは◯◯くんがいいこだって知ってるからね」とそっと寄り添う。だいじょうぶ大丈夫そういえば、介護している義母にも同じ。「悪いねえ」「ごめんねえ」と云われる度に「だいじょうぶだいじょうぶ」と返...安堵を連れてくるコトバ

  • 雑草パラダイス

    通りすがりの路地からふと目に飛び込んできた空き家の庭の光景。なんてすばらしい緑の海。雑草たちが自由に生きる楽園だ。このまま物干し台を飲み込んで緑のモンスターに変身してしまいそう。わたし、前世は雑草かな。雑草たちがイキイキとしている様をみるとこんなにも気持ちがアガルとは!もしくはバッタだったかもね。空き地ってものがほぼない街の中のこういう光景はほのぼのしちゃうなぁ。また見に来るとしよう。雑草パラダイス

  • セミレスキュー隊

    わたしは自称セミレスキュー隊員である。夏限定&蝉限定のレスキュー隊員。子どもの頃からずっと、夏の道路でひっくり返っている数々の蝉たちを助けてきた。短い成虫の時期を力の限り生きた蝉はいよいよ最期が近づくと力尽きて地面に落下してしまう。林や公園ならいいが、炎天下のアスファルトや歩道にひっくり返っている彼らはなんとも憐れである。うっかり車やヒトに踏まれてしまう前に、せめて最期は日陰の草の上で迎えさせてあげたい。誰でもできるレスキュー方法は簡単!ひっくり返っている蝉の足に指を近づけてあげよう。すると彼らは必死に掴まってくる。チカラの残っている蝉は、眠りから覚めたようにとつぜん羽ばたき飛んでいく者もある。灯火の消えかかった者たちは大人しく指に掴まっているので、木陰のなるべく葉の上にそっと下ろしてあげよう。亡き後はい...セミレスキュー隊

  • 夢の中の写真の中の懐かしい面々

    ふしぎな夢をみた。亡き父の古いカメラに入っていたフィルムを現像すると懐かしい親戚の面々の写真が写っていた。という夢。夢の中とはいえ写真の中で楽しげに笑う叔父や従姉妹たちの姿が懐かしくて胸が熱くなる。優しかったあのおじさん。亡くなってからもう20年程経つ。「ほらほらみて〜!昔のおじちゃん!」と、夢の中で叔母に見せるわたし。亡き母の故郷、鳥取。行きたいなぁ皆んなに会いたいなあと常に思っているからユメにみたのだろう。何とかして行くべきということだな!よし、計画しよう。夢の中の写真の中の懐かしい面々

  • 新宿の夏

    わたしの夏休みは新宿での展示にスポッとそっくりそのまま充てた。ものづくりのシゴトへとシフトしただけだから休みとは呼べないかもしれないけれど。ものづくりの対面イベントはすきだ。ジブンの手からうまれた作品を手に取って目を輝かせてくださるひとの笑顔は、作り手にとって最高のごほうびだ。老若男女たくさんの方と話をしながら、改めてこうしてこの場に居ることを有り難く思う。思えば突如始まったコロナ禍時代には、こうしたイベントは全て中止となりいつ再開出来るかまるでわからない状態だった。老舗デパートさえ全て休業していたなんて…!外国人の行き交う新宿の街角でこうして今振り返ると本当にあったことだったのか、人類皆で霧の中で夢でもみていたのではなかろうか…なんて思ってしまうくらいだ。(コロナが消えたわけではないけれどね)つくづくい...新宿の夏

  • 夏帽子

    久しぶりに遠回りしたら見慣れたご近所の御宅の屋根にすてきな夏帽子ノウゼンカズラと思われる。去年は気付かなかったのか、一年でこんなに伸びたのか。芙蓉の蕾。まだまだ暑いから咲き急がないでね地震豪雨熱中症…心配ごとは尽きませんがお互い今日をたいせつに生きましょう残暑お見舞い申し上げます夏帽子

  • 今日いち-2024年8月9日

    すてきなお帽子ね!今日いち-2024年8月9日

  • 4歳のわたしに教えられる

    ふと奈良のコドモだった頃に自分が通っていた幼稚園のことを思い出して初めて園名をネットで検索してみたら…なんと、閉園となっていた。しかもほんの昨年度末で。ふしぎ。よばれたかな。1970年代初頭、昔々のお話。伊丹から引っ越してきたばかりの奈良の団地での新しい暮らし。姉は小学校に入学。4歳になったばかりのわたしは初めての幼稚園に入園。小高い丘の上にあった幼稚園への長い坂道をぼんやり覚えている。母はだんだん大きくなるお腹を抱えてよっちらよっちらわたしの手を引いて坂を登っていたものだ。わたしは昔の細々としたなんでもないようなことをよく覚えているほうなのだと思う。この頃とても人見知りだったわたしは、きっと黙って周りをよ〜く観察しているようなコドモだったのだろう。担任の先生となんて臆してしまってまともに話せていなかった...4歳のわたしに教えられる

  • ねこトラ

    巨大な肉球〜!トラは大きなネコ。なんてかわいい伸びなんでしょ。このこは春に訪れた「神戸どうぶつ王国」のスマトラトラ。ちょうどおねむの時間だったのかこんなに無防備にまったりしてる猛獣を間近で観たのは初めて。「神戸どうぶつ王国」はこの夏10周年なのだそうだ。4月末、父の法事で大阪入りする前に娘と初入国!ここはどうぶつとニンゲンが驚くほど近い!写真は望遠ではなく、ガラス越しほんの50cmほどの距離。そして動物や鳥たちが割と伸び伸びと暮らしている。ここへ行ったのはだいすきなハシビロコウが目的だったのだが、他の動物たちもすごく魅力的で思いの外すっかり長居してしまった。写真を見返していたら…また訪れたくなっちゃった。近かったら、間違いなく通ってしまうであろう!(お目当てのハシビロコウはまたの機会に記します〜)ねこトラ

  • 乱歩に墜ちる夜

    古本市でなんとなく買ってしまっていた「江戸川乱歩傑作選」をふと読み始めたら…。これが止まらない。オモシロイ。江戸川乱歩の物語は明智小五郎で有名だし、テレビドラマやなんやかんやで知ってはいたけれど、きちんと江戸川乱歩自身の文章で読むのは人生初のこと。(読んでみたいと思ったから手に取ったのだろうけれど自分。買ったことを忘れていた〜笑)十代の頃、海外ミステリにどっぷりハマったせいかどうも日本の古典的な推理小説には食指が動かないまま大人になってしまった。特に江戸川乱歩には何となくジメジメと気味悪いイメージを持っていたせいで、ずっと遠巻きにしてきた。初期の作品を集めた9編の短編からなるこの傑作選、乱歩初心者にはぴったり丁度いい塩梅でありました。「二銭銅貨」「心理試験」が特に面白かったかな。「人間椅子」はただの異常者...乱歩に墜ちる夜

  • 木もひとも。

    「talking」こころ惹かれる木には勝手に名前をつける。「talkの木」彼らはいつみても寄り添っておしゃべりしている。長年の友人、若しくは友人のような伴侶。夏は葉を触れ合わせ冬は労り合うように寄り添う。いつしか片方の木に少し元気がなくなり葉が茂らなくなっていったことに気づいていたのだが…。ある日忽然と姿を消した。近づいてみるとあっさり伐採されていた。生きとし生けるもの。。。いつかお別れがくる。彼は今、独り佇む。今でも彼女に語りかけるように優しく腕を伸ばしながら。木もひとも。

  • 朝顔の木?!

    一瞬、木に花が咲いているのかと思ったわ〜近づいてみると木にぐるぐる巻き付いて咲いている朝顔でありました。植物の生きるチカラはたくましい!見倣おう。こちらは2日程でサドルまで到達した蔓草。目に見える生命力!アッパレ!朝顔の木?!

  • ぺんぺん草モドキ

    数年前に空き地で初めて見掛けてからかわいいなぁ〜と思っていたこの野の花、この1年程であらゆる場所に爆発的に殖えてきたように思う。ぺんぺん草にとても良く似ているのだけれど、もっとしっかりしていて一本の茎から放射状に数本が生えている。葉っぱはぺんぺん草みたいにハート型ではなく丸い。名前を調べてみたらマメグンバイナズナというナズナの仲間ではあるのね。かわいいのだけれど、もしかしてキミらの超繁殖の陰で普通のぺんぺん草(ナズナ)は衰退しているような。。。ぺんぺん草を目で探しながら歩いていても最近なかなか出会わないのだ。ちょっとサミシイ。今年は暑さのせいで畑の野菜が巨大化したり様々な変化が起きているというし、街の雑草たちにも少しずつ何かが起きているのだろう。短すぎる梅雨も明けた様子。やってくる酷暑、がんばって乗り切り...ぺんぺん草モドキ

  • 人間味を増す 我が家の洗濯機

    うちの洗濯機の具合が悪い。時々水を出す機能が効かず途中で止まってしまう。それでもチョロチョロと水を出す努力はしてくれるのでバケツで他の水道から水を汲んで水量を満たしてやれば元気よく洗ってくれる。時に濯ぎの水足しを手伝うことなく洗濯終了のブザーが高らかに鳴ると「おぉー!よしよし!よくがんばった!」とねぎらいの言葉が自然と出てしまうよ。問題なく動いていた時には当たり前に思っていた機械の動きも少し不具合が生じて来ると途端に機械に人間味みたいなものが現れてくる。そんな時に脳裏に蘇ってくるのが10代の頃にテレビで観た「マニトウ」という映画。ストーリーはよく覚えていないのだが、「機械にもココロがある」という宗教的(?)な設定で、機械(の精霊)が悪魔みたいなものと対峙してヒトの味方になって闘ってくれるシーンが何だかとて...人間味を増す我が家の洗濯機

  • 縁の下の護り神

    朝の光をまとった雨粒は最強のうつくしさ。そのまま掬ったら水晶玉になりそう。なんて…洗濯物を干した後で庭の植木鉢の雨粒に見惚れていたらなんと!ヘビに遭遇!こんな狭い庭で出逢うのは初めてのこと。写真を撮ってイキモノに詳しい長男に即送信。すぐにアオダイショウと判明。まだ細いカラダ。こどもに違いない。ということは…お母さまがいらっしゃるのね。この十数年の間に近所の古いお屋敷が取り壊され周り中マンションとなり、土の地面の少なくなってしまったこの界隈。知らぬ間にうちの縁の下は行き場のなくなった近所の主たちの避難場所となっていたのかもしれない。アオダイショウなら毒を持たないから居てもらうのは全然構わない。その代わり、うちの護り神として害のあるヤツをいろいろ食してしまってくださいませ。よろしく。笑。縁の下の護り神

  • 本の中には。。

    本は時に普段ぼんやりと想っていたことを唐突に文字化してくれる。「妄想は想像であり、想像は創造に転じる」電車の中で読んでいた物語のなかの一文がずっと昔からの宿題の答えみたいにピカリと光る。きっとこういう時、脳のシナプスはあっちとこっちを繋いでビビビと電気を発生させていることだろう。そうそう、そうなんだよ。だから妄想はたいせつなんだ。夢想も空想もね。と、ココロの中で大きくうなづいてから物語へと戻るのであった。わたしの半分は妄想夢想空想でできている、と自覚している。残りの半分で現実を生きているようなもの。ま、そういうふうにできているのだから仕方がない。ちなみにこの物語は吉田篤弘著「つむじ風食堂の夜」このほど、吉田篤弘氏の物語に続けて潜っている。今のわたしにはとても居心地の良い場所なのである。本の中には。。

  • ほどける

    ほどけゆく蓮の花びらぎゅ〜っと堅いつぼみも時期がくればゆるやかにほどけてゆく花もヒトも同じねぇ。ほどける

  • キモチを飛ばす

    夕やけのはじまりがすきだ。義父母に夕食を運んだ後、思い立って30分の夕やけウォーキングへ。「夕焼けが見たい」と思って自分の足で出向いて行けることが既にありがたい。空の高いところで小さな飛行機がオレンジ色に染まって飛ぶのを見た。地上のここからは太陽はもうビルの向こうへ落ちていて見えないがあの上空の機内からは黄金色に染まる雲がずっと向こうまで見えることだろう。空を往くあんなに小さく見える飛行機でもあの中にはヒトが何百人も座っているのだ…と想像すると改めて途轍もなくフシギな気持ちになる。そしてあの位置から見える夕やけ雲を想像してみる。昔、夕方離陸した便の窓からどこまでもどこまでも続く夕焼け雲を見ていた光景を思い出す。地べたから夕空を見上げているジブン。今空の上で飛行機の窓から夕焼けを眺めているであろうヒトビト。...キモチを飛ばす

  • 伝えるたのしさ、伝わるうれしさ

    預かり保育の現場でおしごとをしていると実に多様な…というよりもひとりひとりが正に唯一無二の存在なのだと実感する。子どもは毎日変化を遂げて進化する。幼虫がサナギになり羽化して羽ばたいていくのを目の当たりにしているよう。入園以来ずっと園ではことばを発せないとあるひとりの男の子。あっという間に年長さん。預かり保育にはほんのたまに顔をみせる。最初の頃は固まったまま笑顔を見せることもなかった彼。。。でも成長と共に最近表情がとても豊かになってきて、話しかけると目を見て伝えようとする仕草をするようになった。先日、子どもの人数が少なくなった夕方、床でごろごろしていた彼にわたしが指で蟻の真似をして「アリさんがチョコチョコチョコ〜〇くんに登ってくよー」とくすぐろうとするとクククッと笑って違う違うと手を振る仕草。小さな親指と人...伝えるたのしさ、伝わるうれしさ

  • ふわりと。

    あ、トンボ!と見上げた途端フワリとわたしの日傘にとまった。立派なオニヤンマだ。この辺りでみるのは珍しい。道端に立ち止まり暫し眺めてから、そうっとスマホを出して1枚パチリ。すてきなモデルさん。昔から蝶やトンボなどが近づいてきてくれると何だかとてもウレシイ。そしていつもダレカナ?と想う。アチラにいってしまったわたしを知る誰かなのかもしれない。なぁんて想う。以前奄美を旅した時、不思議と何度も蝶がふわりと近くに来てくれた。奄美では蝶はヒトの霊(たましい)なのだと云われていると聞いた。以来特に自ら近づいてきてくれる蝶やとんぼには何だかとても親近感が涌くのだ。1周忌を過ぎてもうすぐ誕生日が近づくオヤジさんかな〜?お寺の蓮ももうすぐ咲きそうです。ふわりと。

  • 可愛いすぎてビックリ

    え?あなた誰?と二度見!庭の片隅に何とも可憐な小さなお花を発見。よく見たら見慣れた多肉植物からニョッキリ伸びて咲いているのだった。義父が趣味で育てているいろんな植木鉢が庭に無造作に置かれているので、洗濯物を干しながら時に可愛い花にビックリさせられるのだ。植物はナゾと驚異に満ちている。雨粒をまとってうつくしいなぁ。君は葉が既に花だよね。よくよく見たら、葉の先のピンクとお花のピンクはお揃いなのね。DNAってすごいなあ。可愛いすぎてビックリ

  • 六月の球体

    ひとには幾つもの顔がある。それはウラとかオモテとかではなく、どれもそのひとなのである。ひとのココロは多面体ではなく球体なのだ。というわたしなりの持論。我が身に於いても。今日は母の命日。いつも亡くなった時刻に覚醒してしまう。出来れば泥のように眠ったまま過ぎてしまいたいのに。そしてまだ生きていた母のココロを想う。母もまたわたしの知らない顔をたくさん持つひとりのヒトだったのだ。わたしの「母」である以外のヒトとしての彼女。わたしが「ただのアタシ」でありたいと時に思うように母もまたわたしの知らない「ただのアタシ」を持っていたはずなのだから。母のすきだった蒼い紫陽花。あちらにも紫陽花は咲いているのだろうか。それとももう別の姿になって此の世で今年の紫陽花をみているのだろうか。19回目の命日間もなく午前4時。道路に響く新...六月の球体

  • スターに変身!

    木の花って豪快だ。想いもよらないカタチの花を突然咲かす。何度も通った道でいつも素通りしていた街路樹がにわかにスターに変身だ。モシャモシャのふわふわのお花をつけておしゃれしているのはネムノキ。ネムノキってこんなフシギなお花をつけるのねぇ。以前から思っていたけれど、ネムノキとオジギソウって葉っぱのカタチがよく似ている。親戚なのかな。ネーミングも何だか同じにおいがする。一度認識すると、途端に目に飛び込んできやすくなるもの。たまに通リかかる公園のこの木もふわふわのおしゃれさんに束の間へ〜んしん!スターに変身!

  • 引き寄せられる場所

    またまた都会のジャングルに吸い込まれて来ました。ここは近年とてもお気に入りの場所、南青山にある「岡本太郎記念館」先日乃木坂駅近くのギャラリーに行った後、あまりの良い天気青い空にわたしの脳裏に浮かんできたのは緑の大きな葉の繁る南国のようなあの庭。歩こうと思えば歩けそうな距離ではあるけれど方向音痴のわたしには辿り着けそうにないので潔く一駅電車に乗っていつもの表参道下車。思えば初めて訪れたのも丁度この時期。バショウのバナナみたいな実の成る季節に久しぶりに会ったトモダチと訪れたのでした。この庭には太郎氏の立体作品が所狭しと置かれていて、時間とともに草に覆われているのがまたいい感じなのだ。太陽の塔に親しんで育った大阪のコドモだったわたし。太郎さんの作品は平面より立体やタイルの作品が好み。油絵はちょっと強すぎるものが...引き寄せられる場所

  • ひととひと、つながる時間

    ものづくりの活動を拡げていくなかで出逢ったひとびとがこの10年余りでたくさんいる。それぞれに魅力的な作家さんたち。わたしがすきになるひとは皆自分の分野で日々切瑳琢磨し、向上心がありながら謙虚さを忘れないひとたち。そして何よりものづくりがスキで作家活動をたのしんでいることが皆の共通点だ。この日は丁度同じ方面に3人それぞれの作家さんの展示が重なっていたのでお昼前から夕方まで三件ハシゴしてきた。一件はカフェ展示だったため美味しいものをいただきながらおしゃべりは尽きず、その場でまた輪が広がっていく。コロナ禍を越えてこうしてまた普通に集うことが出来るようになったことを改めて実感する。こうして他愛のないおしゃべりができるってしあわせなことだ。コロナ禍の数年、正に「不要不急」の代表格だったアートの世界。先の見えない時代...ひととひと、つながる時間

  • 夜の子ども部屋

    真夜中に目覚めてしまい眠ろうとしているのに勝手に思考が彷徨う子どもの頃夜更けに母が戸締まりを確認しにそっと子ども部屋に入ってくる光景を何故かふいに想い出す。母は毎夜窓の鍵を確かめカーテンをきちっと閉めてからベッドで寝ているわたしたちのふとんを掛け直してくれた。近づく母の気配。ふとんを掛け直してくれた時の手の重み。ドアを出ていく逆光の後ろ姿のシルエット…あたたかなしあわせなこどもの頃の想い出思春期くらいになってからも真夜中に母の気配を感じると小さいころみたいにふとんを掛け直してとんとんしてほしいな…と感じていたことも覚えている。そう言えば子どもたちが小さいころ、絵本を何冊も読んだ後で寝かしつける時にわたしも同じようなことをしていたなぁ。3人の子どもたちに順番に布団を首まで掛け直すとみんな「ぎゅっぎゅってして...夜の子ども部屋

  • かかりつけ医難民

    かかりつけ医難民となって数年。年一の健康診断もさぁ今年は何処へ行こうかと迷う有り様。かつていつも診ていただいていた町医者の先生はとても大らかな御方で、毎年話をしながら気になる検査項目を増やしたり臨機応変に対応してくた。検査結果も細やかに説明してくださり最後に「合格!」と太鼓判を押してもらえると、スキップして帰りたくなるような気持ちになったものだ。ご病気で急に休業されたあと、あっという間にお亡くなりに…。まだ60代だったと思われる。とても残念だ。今でもそう思っている人はかなりの数に上ることだろう。あの先生にかかっていた友人知人皆同様に「かかりつけ医難民」だ。さて、今年行ってみた病院は長男を出産した産院併設の内科。近年立派に建替えられ健診も多く受け入れていると聞いて行ってみた。問診にあたった先生は健診の為だけ...かかりつけ医難民

  • MICHAEL KENNA氏の写真

    マイケル・ケンナ氏の写真展へ数年前、写真美術館での展覧会を拝見してからすっかりファンに。少し前の代官山で展示は行けなかったので、今回こそは!と滑り込み。乃木坂のGalleryArtUnlimitedさんへ。以前とても惹かれたこの1枚。(この木はもう伐採されてしまっているのね…。)この写真がまた観れてうれしい。すぅーとココロに入ってくるマイケル・ケンナ氏の写真の数々。スキに理由はないんだなぁ。MICHAELKENNA50YEARS&JAPANありがとうございましたMICHAELKENNA氏の写真

  • 夢の中のジブンの姿

    夢をみた夢のなかでわたしはすっかりおばあさん。同じく歳をとった友達らしき仲間とビンテージなおもちゃ屋にいる。棚にずらりと魅力的なソフビやら置物やらが並んてる。なんて魅惑的な光景。そしてなんていい味わいの色の洪水。皆で懐かしがって見ている。ガラスの置物を欲しがる友に欲しいなら買ってしまいなさいよと勧めてるわたし。お金はふんだんにあるようだ。そして自分も昔欲しかったリスのソフビ人形を手に入れようか迷ってる。(現実では見たことないけれど)けれども同時に自分のものにしてしまっても年齢的にこの先長く持てるわけではない…と身に沁みて感じて躊躇している。何だか掲示的なゆめだ。実は潜在意識では断捨離を望んでいるのか。いよいよ必要な時期に来ているのかもしれない?近頃あちこちカラダにガタが来ているせいでジブンが年寄りになった...夢の中のジブンの姿

  • アートの泉

    先日池袋の東京芸術劇場のギャラリーへ。Instagramで知り合った知人のアートを観に。公募入選のいろんな作家さんの現代アート展。つくづくアートって幅広いなぁと感心しつつ眺める。アートってなんだろね。自分がアートと思えばヒトが何と言おうとそれはアート。なあんて考えていたら奄美の孤高の画家田中一村の言葉を思い出した。「自分のこころを納得させるために描く」奄美旅行で訪れた田中一村記念美術館。静かな時間の流れる広々としたとても素敵な佇まいだったな。丁度ツバメが建物のそばを舞っていて、絵の中から出てきたような…フシギな錯覚を今でも覚えている。あの濃厚な奄美旅行、ついこの前のように思い出せるのに考えてみればもう12年も前の4月。。。月日の流れる早さと言ったら!!奄美の空気を吸いにまた行きたいものだなぁ。アートの泉

  • ちびお稲荷さんたち

    早朝にぱっきり目覚めた日は朝さんぽへ時折霧雨が風に舞う気持ちの良い朝。近所の神社の小さいお稲荷さんたち。わたしのお気に入りさん。かつては境内の古い小さなお社の暗がりに鎮座していた彼ら。近年一新されみんな並んでアウトドア生活に!笑日を浴び雨にも雪にも打たれどんどんいきいきとしてきたようにみえます。少しずつうっすらと緑をまとってきてこれから時間をかけて苔むすお稲荷さんへと味わいを増すことでしょう。ちびお稲荷さんたち

  • 紫陽花に人生を思う!

    紫陽花。初夏の咲き始めの初々しさはなんとも可憐だ。これから時間をかけて滋味深い秋色へ、そして天然ドライになるまで季節を超えてずっと魅惑的なお花ってそうそうないんじゃないかなずっと観察していたいのに大概花盛りの後バッサリ伐られちゃう。。。何だか若さばかりもてはやされるニンゲン界の駄目なところに似ているようで残念だなぁ。なぁんてしみじみ思ってしまうのはジブンがいつの間にか人生の晩秋ど真ん中にいるからなのでありましょう。滋味深い秋色にちょびっとは染まっているだろうか〜。う〜む。紫陽花に人生を思う!

  • ヴェネツィアングラスの鳥たち

    ヴェネチアングラスの置物長男Sとお嫁ちゃんNちゃんからのイタリア土産。わかってるなぁ。長男が幼い頃、デパートで催された「イタリア展」で本場のガラス細工職人さんの実演を観たことがある。その時に彼が気に入って選んだのも鳥の置物だった。その時のことを覚えていたのか定かではないけれどこういうのスキなことに変わりはないね。そして、きっとわたしが気に入るだろうとふたりで選んでくれたことが何より嬉しい。他のものを入れていたレトロな棚をガラス細工専用飾りにしつらえました。ヴェネツィア繋がりでモネのヴェネツィアの絵も一緒にね。そして!先月もうひとりのムスコモドキYくんからいただいた香川旅行のお土産もガラスの鳥さんなのでありました。この偶然もふしぎなものだなあ。このコもケースに一緒に入れましょうね。ヴェネツィアングラスの鳥たち

  • ピンク空

    久しぶりのピンク空にうっとり。夏の夕空だなぁ。日本の季節感、もうめちゃくちゃだ〜。4月の夏日、5月に30℃とかなんやそれ。紫陽花が咲き始めたのを見てそう言えば梅雨ってこれからなんだっけと思い出す。紫陽花も年々早まっている。母の命日頃にしっとりいい色のなるはずなんだけどな。よそのお宅の紫陽花を通りすがりに毎日鑑賞。暫く前に見たかわいい紅葉プロペラたちはもう旅に出たかしら。ピンク空

  • 水たまりワールド

    雨上がりヨリミチ公園水たまりの空の欠片がすきだ。水の中逆さまに生える木々覗き込んだら真っ逆さまに落ちていきそうフシギな束の間の別世界水たまりワールド

  • ユリノキのハナ

    なんてかわいい!ユリノキの花。実は毎年見ているのに花が咲いているところは初めて見た。よっぽど時期が短いのだろうか。不思議な南国フルーツのようなムードの大きなお花。ユリノキはどの季節に見ても存在感あるなぁ!ユリノキのハナ

  • ウエスタンなヒカリ

    メタセコイアの若葉西陽を浴びてなんてきれいなんだろう見上げるとこころがスゥ~と透明になるよありがたやありがたやウエスタンなヒカリ

  • 鹿の木と積もった時間

    きみに出逢ってからもう30年になるんだ。わたしのすきな木。近年は「鹿の木」と呼んでいる。長く伸びた幹が鹿の後ろ姿みたいだから。春過ぎて、きみが緑の葉に包まれるのを見るとほっとする。今年も元気そうだ。たくさんの想い出が沁み込んでいる木。子どもたちが小さい頃、ここで母が握ってきてくれたおにぎりを皆で食べたよね。子どもたちが木登りをすきになったのはあなたのおかげ。(約20年前の子どもたちと鹿の木)いつも変わらずそこにいてわたしたちを迎え入れてくれた。わたしには特別な木。そして、驚いたことにこの木の話をしたこともなかったのに亡き父のパソコンの中に一枚のこの木の写真があったのだ。10年程前、弟の家に大阪から泊まり掛けで上京した時のもの。そういえば、早起きして公園を散歩したと言っていたことがあったなあと思い出す。大き...鹿の木と積もった時間

  • Ray-Ban

    早起き恒例朝さんぽへ。暦がぐるりと巡って父が旅立った朝から一年。一年前の前夜、新幹線に飛び乗って夜中に病院に着いた時「なんだ、来たんか」とちょっと嬉しそうに苦笑いした父。「死ぬんはムズカシイなぁ」と父らしく軽口。「大丈夫だよっ」と言うわたしに「だいじょうぶ言うな」となだめるように静かに笑った。。姉とふたり、朝まで父の手を握って過ごした。だんだん、だんだん、遠くへいくのがわかった。最期に自分の口から出る言葉はありがとうしかなかった。何度も何度もありがとう父の最期を思い出しながら朝の緑の空気を胸いっぱい吸い込む。公園のすきな場所をぐるりと歩いて自転車を停めたベンチまで戻ると…えっ?ベンチにぽつんとレイバンのサングラス。目を疑う。レイバンは父の代名詞ともいうべきサングラス。さっきはなかった。よね?それとも気づか...Ray-Ban

  • 預かり亀の亀吉

    新婚さん長男夫婦が可愛がっている石亀の亀吉。彼らがイタリア旅行に行っている間、うちでお預かり。可愛くてつい水槽から出して遊んじゃう。今は世界のどこにいても簡単に連絡ができる。珍しく息子からLINE。イタリアの様子でも知らせてくれるのかなと開いてみたら、一言「亀吉げんき?」亀吉溺愛されています。笑亀吉は心配いらないよー!それより写真でも送ってと返信したらローマでにっこり微笑む可愛いお嫁さんの写真が送られてきた。しあわせねぇ。それにしても世界はホントに近づいたんだな。30年前、丁度息子たちと同じ歳にわたしたちもヨーロッパを40日余り旅をした。いろんな街から、いつ届くとも知れず、両親や友人に絵はがきを書き送ったものだ。街から街へ列車で移動し、あんなに毎日疲れることもなくたくさん歩けたのは若かったからなんだなぁ〜...預かり亀の亀吉

  • 想い出のひやしあめ

    ひやしあめ。久しぶりだなぁ。やっと飲めた!大阪のコドモだった頃、母について市場へ行くと時々冷やしあめを買ってもらって一緒に飲んだ。あの頃は商店の軒先で一杯50円くらいでよく売られていた。懐かしいな。八百屋さんの軒先にぶら下がるカゴの光景まで思い出した。お釣りはぐい〜んと引っぱったカゴから取って渡されたものだ。天王寺公園。ここは今や「てんしば」と呼ばれるすてきな公園。広い芝生広場、お洒落な店が並びLIVEなども行われるそう。昔、両親のマンションが近くにありこの公園は何度か通ったことがあったけれど、当時は公園に住んでおられる(?)人も多く少し近寄りがたい場所だった。時代は変わりました。通天閣界隈の新世界も昔は女性独りではとても歩ける場所ではなかったもの。今や外国人ひしめく観光地。昭和レトロが売りなのかゲーム感...想い出のひやしあめ

  • ONE WAY MIRROR

    川の街。大阪へ来るといつもそう思う。父の一周忌法要のため約一年振りの大阪入り。父がお世話になった方々にご挨拶に。わたしたち子どもの知らない父の姿を知るひとに話を聞くのはとても貴重なこと。父を懐かしく恋しく思ってくださる人々が家族以外にもいてくれるのだと実感することは、とても慰めになる。空の上で父も照れ臭く嬉しく思っているに違いない。笑父のいない大阪。この川沿いを歩くのももうあと何年か先なんだろうなぁと思いながら早朝の散歩に出る。よく晴れた青い空。父の一周忌にはぴったりな天気。法要後の説法にて「亡くなるというのは、隣の部屋へ移るというだけです」とご住職さん。今までの慣れ親しんだ呼び名で呼び掛けてください。亡くなったひとはあなたと生前の関係のままでいてくれます。いつか必ず会えますので楽しみにしていてください。...ONEWAYMIRROR

  • 都会の片隅で。

    ひっそり繁る小さい小さいガーデン。歩いていてこういうの見つけるたびになんだか嬉しくなる。通り過ぎかけておっと!とっとっと後退。パチリ。都会の路上の片隅。誰にも気づかれなくても小さな世界で小さな花たちが咲き誇る。小さな平和に感謝!都会の片隅で。

  • 「都市と廃墟の写真展」へ

    2週間参加していた丸の内でのイベントの最終日、搬出までのスキマ時間にあ!間に合う!と思い付いて山手線で二駅、秋葉原へ。「都市と廃墟の写真展」秋葉原書泉ブックタワー9Fにて以前からインスタで拝見していた写真家さんの展示へ。Instagram@toshiboさん時間の止まったような廃墟で植物だけが時を刻んでいる…朽ちゆく建築物と今を生きる緑のフシギなハーモニー。こんな場所に身を置いて、朝のヒカリから夕暮れの茜までをみていたい…と、想いながら写真を眺める。束の間、旅してきたような気持ちになる写真展でありました。(会期終了しています)「都市と廃墟の写真展」へ

  • 「キネマの神様」原田マハ著

    「キネマの神様」原田マハ著2011年文春文庫発行これはこれは!久しぶりにワクワクする物語に出逢ったキモチ。後半は滂沱の涙を流しながら一気にエンドロールへ。(本だけど笑)家で読んで良かったわ〜。なんだろ、知ってる人たちみたいに思えてきて勝手に凄い臨場感に包まれてしまった。映画を愛する人たちばかりが出てくるこの物語。映画好きだった父がこの物語のゴウちゃんに被る…。そして同じくヘップバーンがすきだったわたしの母。振り回されっぱなしだったところまで似ている。新社会人になったばかりの1980年代の終盤頃、仕事帰りに足繁く通った銀座文化劇場。古き良きたくさんの名画を銀幕で観ることができたのはあの銀座文化のお陰。往年の映画ファンに混じってハタチそこそこの私も昔の映画にすっかりハマっていた。2週間毎に名画が入れ替わるので...「キネマの神様」原田マハ著

  • あたらしきを知る

    普段の生活圏では会わない人々とたまに交流すると新しいことを知れてとても興味深い。アイドルヲタクの知人と話していたら、聞き慣れないコトバが。「DD」それってなんだ?と思ったらヲタク用語で「誰でも大好き」なんだそうだ。推しを絞らず、誰彼構わず推すアイドルヲタクを卑下するコトバなんだって。へぇ〜〜!還暦超えて益々ド派手になってきたF氏はもとはお硬い聖職者!何はともあれすきなものがあるってエネルギーの源だ。「スキ」のチカラは偉大。また、経営コンサルタントを生業としているトモダチと久しぶりに話していろいろアドバイスをもらったのだが、ヒトとヒト、ヒトと仕事のマッチングアプリの話から、面白いアプリを見せてくれた。それはAIとチャットで話すアプリなのだが、相手を芸能人やすきな有名人などを自分で設定し、まるで今話しているか...あたらしきを知る

  • ももいろさくら波

    さくらの波風に吹かれてくるくる踊る花びら桜は散る様もうつくしい今年のソメイヨシノはのんびり咲いたかと思ったら、春の嵐であっという間に散り始めた。押せ押せで八重桜ももう満開。おかげで枝垂れ桜とソメイヨシノと八重桜の豪華な三重奏が観れた。こんなことは珍しいかも?オマケにツツジも咲きだし道端ではコーラルオレンジのナガミヒナゲシまで揺れている。今日ご近所の軒先に藤の花が咲いているのを見掛けて「えっ!!?」と思わず二度見。正にお花のラッシュアワー。夏も早くやって来そうだしお花も急ぎ足ね。もっとゆったり流れてほしいものだなぁ…地球の時間。ももいろさくら波

  • さくらと「人間の建設」小林秀雄 岡潔著

    先日、公共施設から車椅子をお借りして義母を近所のお寺までさんぽに連れて行った。ここの枝垂れ桜はとてもきれい。「さくら見に行こう!」と着替えをさせて準備していると「もう咲いてるの〜!」「わぁ〜ありがたいねぇ」と喜ぶ。桜を見上げてにこにこ嬉しそう。でも、家に帰りお茶を一服する頃には桜を見たことはすっかり忘れている。それでも、桜の下にいたその瞬間は確かにあった時間。記憶にあろうとなかろうとね。ふしぎなものだ。あったけどないジカン。認知症の義母を看ていると時間が連続して流れていないことがよくわかる。彼女の時間は今の一瞬だけ。有無を言わせぬ完璧なマインドフルネス!素晴らしい!時間という観念がない世界に生きている。それは赤ん坊に時間の観念がないことと同様だ。それはとても平和な世界。いやなことも憂うこともない。一瞬あっ...さくらと「人間の建設」小林秀雄岡潔著

  • 野菜のヘタの生命力にアッパレ!

    野菜のヘタからジャングル!ニンジンは以前から時々葉っぱの成長をたのしく鑑賞していたのだけれど、小松菜のヘタもこんなにぐんぐん芽を出すとは!生きてるなぁ〜!ヘタからまだまだこんなに成長するチカラを持つ新鮮野菜をこうしてお腹に入れることができるってしあわせなことだよなぁ〜と改めて実感。ありがとう!野菜たち。このベビー葉っぱたち小鳥が居たならよろこんでついばむだろうな。また小鳥を飼いたくなっちゃう。それにしても、こんな健気な生命力を目にしちゃうと野菜のヘタ捨てられなくなっちゃいそう。野菜のヘタの生命力にアッパレ!

  • 催花雨を実感す。

    春の気まぐれな風雨の後晴れ渡った空はサッパリと顔を洗ったような清々しさ。久しぶりに会った友人とお喋りランチの後、ぶらぶら歩いて桜の様子を見に公園へ。枝垂れ桜もソメイヨシノも!催花雨ってまさにこのことね。雨が上がってお日様が出た途端ぐんぐん気温も上昇!この1、2時間でぽんぽん開いたんじゃないかな〜という様子でありました。近年、早い早いと云われ続けた桜たち、今年はこの10年で最も遅い開花宣言とのこと。今年は昔のように入学シーズンに桜の下を歩けるかもしれませんね。催花雨を実感す。

  • ムットーニワールド

    先日八王子市夢美術館にて「ムットーニワールド」を鑑賞。ムットーニさんのからくりシアターはとてもふしぎな夢の世界。いつだったか世田谷文学館の常設展示(?)でたまたま観たことがあり、前情報なしに観るムットーニさんのからくりシアターには度肝を抜かれたのでありました。小さな箱の中に繰り広げられる物語は途轍もなく美しく情緒あふれる夢の世界。またいつか観たいと思っていたのでありました。丁度ムットーニさんご本人の生語りを拝聴できました。しかし、ぎゅうぎゅうの聴衆、小さなボックスシアターの前で皆で床に座ったり立ったり移動したりの見学。密集の人混みの中、床に靴のまま体育座り…なんてちょっと前のコロナ禍の頃は100%有り得ないことですねぇ。そんなこんなの臨場感あふれるムットーニさんのストーリーテリングと音楽にすっかり引き込ま...ムットーニワールド

  • ぽつん

    ぽつんと赤ポスト公園の植込みの向こう側記念に遺したものかな現役ではなさそうなんだかかくれんぼで隠れてるうちにみんな帰っちゃった…感あり。ちょっと淋しいねえ。ぽつん

  • 月とあっかんべー

    月のきれいな晩。暗い空に浮かんだ下弦の月を見ながら自転車を漕ぐ。じっと見ていたらなんだか半月が「あっかんべー」とおちゃめに出した舌に視えてきた。ひとりでクスッと笑っちゃう。こういうとこだよなーコドモみたい、と云われる所以。ま、ひとりで可笑しくなってなんだか余計なチカラを抜くことが出来るんだからコレはコレであり!ってことにしておこう。月とあっかんべー

  • 森の天然芸術

    先日のこと。森を歩いていてふと見上げたら…!おぉー森の主??ジブリ映画に出てきそうな大きな木の鹿が空を見上げてた。自然の創る天然アートにはびっくり!のち、ほっこりです。自然はいいです。森の天然芸術

  • ユキヤナギ

    時々、自分の寝言で目が覚める。こういうこと、誰にでもよくあるのだろうか。笑。久しぶりのぎっくり腰でよく眠れなかった明け方、夢のなかで怖い目にあって「おかあさん!おかあさんおかあさん!」と懸命に声を振り絞ってお母さんを呼んでいた。三度目の「おかあさん!」の自分の声で目覚めた。ぎっくり腰の痛みのストレスのせいなのだろうけれど、あまりにもストレートすぎる。わたしはなんて単純なのだろう。そして、自分の中のコドモさ加減に呆れてしまう。幾つになろうと母の存在は大きい。この世にもういなくてもわたしの中にちゃんといてくれる。それはわたしが望んでいるからか。わたしってニンゲンは、ジブンも母親のくせにいつまでも母が恋しいコドモだ。この先ジブンがいなくなった時、子どもたちの中にわたしもちゃんと居てやれるのだろうか。いや、母親を...ユキヤナギ

  • カワセミに出会う

    漫画家鳥山明さんの訃報に続いてまる子の声優Tarakoさんも逝去された。同じ時代に活躍された方々。アラレちゃんもまるちゃんもガッツリ観ていた世代だもの。早すぎる旅立ちのニュースに朝から気持ちが沈む休日。家のこと、いろんなことちょっと横に置いて森を歩く。近場でも自然はいい。近所の川の水面がきらきら光る。まだ寒いけれど陽射しは春だ。川沿いを散歩していた女性が「今、きれいな鳥がいたんですよ〜!」と話し掛けてきた。「カワセミかもしれませんね〜!」と一緒に川をのぞき込む。この川で以前2度だけカワセミを見たことがある。暫し話しているうちにツーーーと低空飛行していくカワセミが!美しい小さな生命体の姿になんだか元気をもらった。写真は間に合わなかったけどね〜。その後、大きなカワウにも遭遇。カワウが殖えていると聞いたけれど、...カワセミに出会う

  • キリンの木との遭遇

    キリンみたいにひょろりと首のなが〜い木に出会った。時々会いにいく「魔女の木」のすぐそば。今までも居たはずよねぇ。なぜか急に存在感を増してわたしの視界に入ってきた。木肌はすべすべ、枝葉も伸ばさずただただ真っ直ぐ上へ上へ。見事に天に向かってすくすく育ってる。こうして見ると、なんだか魔女の木に寄り添うように伸びてる。頭だけもしゃもしゃなのもよく似ている?もしや、キミは魔女の木のお子さん?なのか?これからニョキニョキと枝を伸ばすのだろうか?キミは「キリンの木」と命名してこれからを楽しみに観察するとしよう。わたしにはあちこちに勝手に命名したお気に入りの木がある。「魔女の木」もどうか元気でねキリンの木との遭遇

  • 吉祥寺美術館「出久根育展」と「わたしたちの帽子」と奥野ゆ

    かわいいなあ〜買ってきた図録を眺めてまたまたかわいいなあ〜とひとりごと。先日吉祥寺美術館で「出久根育展」を観てきた。出久根育さんの絵には『カワイイ』と『ちょっとブキミ』が混在してる。出久根育氏を知ったのは児童書「わたしたちの帽子」の挿絵から。そしてこの本を知ったのはほんの一年ほど前にひょんなきっかけで知りあった妙齢の女性との会話の中でのこと。なんの話からこの本に行き着いたのかは覚えていないのだけれど、多分わたしが古いビルの話をしたのだと思われる。すると、子どもの頃に何度も読み返した好きな本に古いビルが出てくるのです、と彼女。聞けば聞くほどそのお話の舞台はわたしのすきなレトロビル「奥野ビル」ではないかと。。。彼女はその本をわたしは奥野ビルをふたりの間の空中に思い浮かべながら話を擦り合わせていくとまるでパズル...吉祥寺美術館「出久根育展」と「わたしたちの帽子」と奥野ゆ

  • 焼きリンゴにはまる

    焼きリンゴがどうしてもどうしても食べたくなってフライパンで作れる簡単レシピでチャレンジ。いやはや〜これはこれは!!なかなか美味しい。焼き過ぎたのがよかったのかカラメル状態になって、冷めるとりんご飴の親戚的な感じもある。タルトタタンはこんな感じ?そしてやはり本格的に丸ごと作ってみたくなって後日トライ。色はイマイチだけどおいしい〜!アイスを添えていただきます。両方とも美味しいのだが家族の評価は前者に軍配があがった。芳ばしい味わいが良かったみたいだ。わたしは両方ともすき。こんなふうに作っちゃうほど焼きリンゴが食べたくなったのには理由があり…。先日吉祥寺で通りかかった喫茶店の手書きの張り紙を目にしてぐ〜んと時間を遡って30数年前にタイムスリップ。ここで食べた焼きリンゴの味を思い出したのだった。あれから何故かついぞ...焼きリンゴにはまる

  • 寝言で目覚める

    「泣いてんのだぁれかなぁ〜?」真夜中、自分の大きな寝言で目が覚めた。幼稚園の預かり保育のおシゴト。この日は凄い人数な上に手のかかる子も多数。あっちのケンカ、こっちの困りごとに飛びまわり、おむつ交換にお迎えの保護者の対応。。。自覚のないまま多分わたし脳疲労状態。眠りながらも夢の中で園児に振り回されているとはかなりいただけない状況である。子どもがすきだからしているシゴトとはいえ限度ってものがあるわけで。そろそろ働き方を考える時かな、と思うのだけれどしゃがんでるわたしの背中に急に抱きついてきて「せんせいだいすき〜」なんて言われちゃうと…まあ、もうちょいがんばるか〜となる毎日なのであります。寝言で目覚める

  • 今生に来た日

    令和になってから誕生日は祝日!長男S、結婚して初めての誕生日。Nちゃんとふたりしあわせなバースデーだったことであろう!あっという間に28歳かぁ。長男とわたし、同じ誕生日。一週間遅れてわたしの誕生日を選んで(?)生まれてきた彼。20代ラストに初産!と思っていたら分娩台で30代に突入したのであった。お陰でジブンの歳を忘れない。長男の年齢+30だから!というわけで58歳となったわけなのだけれど、何故かわたし暫く前からジブンが既に58だと思い込んでいたようで、何かに記入するたび58と書いていた〜。「57」とコトバにした記憶がない。失われた一年?まぁ、ここまできたら1歳くらいどうってことないけど。誕生日は生んでくれた親を想う日。自分をこの世に送り出してくれた両親がふたりとも今生にいない誕生日は初めてのこと。こうして...今生に来た日

  • 映画「PERFECT DAYS」

    ヴィム・ヴェンダース「PERFECTDAYS」西荻の委託先に用事で行ったあと、ふと思いついて調べたら丁度いい時間に吉祥寺で上映しているとわかり、これは導かれた〜とギリギリに窓口でチケットを購入。しかも誕生月割引ってのがあってなんと1200円也!ラッキー!やっと観れた。よかった。やはりスクリーンで観てよかった〜。役所さんの演技はもちろんのこと、すべてのシーンが美しいphotographを観ているよう。こういうふうにシンプルに暮らしたくなるなぁ。そして主人公の平山さんが聴く古いカセットテープがそのまま挿入歌となって流れるのだが、これがまたいい。何でもない東京の街が60〜70年代の名曲に彩られドラマティックに見えてくる。なんでもない同じ日々に見えても全部あたらしい日々。。。ヴェンダース監督、やはりいいわ〜「パリ...映画「PERFECTDAYS」

  • 「未明の砦」太田愛著

    「未明の砦」太田愛著2023年角川書店発行夜な夜な読み進め、やっと読み終えた。この一冊で日本の労働問題についてすこぶる知識を得た気持ち。読みながら「小説」だということを何度も忘れてしまいそうになる。まるで経済学書か労働問題の学術書を読んでるんだっけ?と錯覚が起きる。腐敗した日本政治の現状。怒りを知らない従順な民、ニホンジン。。。『日本には民主主義は根づかなかった』『この国の民主主義が国民の手で勝ち取られたものではなかったから』何度もハッとさせられガツンとやられてしまう。。。確かにそう。ニホンジンは気がついたら生温い生活の中に身を置きこういうもんだと思い込んで暮している。だから権利を主張する貪欲さがないのか…。『政治家という名の利権分配屋は何をしても処罰されることなく、もはや法治国家でさえなくなりつつある』...「未明の砦」太田愛著

  • おかえり太陽

    立春を過ぎると我が家に太陽が帰って来る。近辺にマンションが建って以来、真冬の数ヶ月直射日光をあびることのない我が家。やっと帰ってきた陽の光を毎年有り難く想う。なんて温かいのだろう。日光はイキモノが生きる上で必要不可欠だなぁとつくづく実感する。おかえり太陽。まぁそれも束の間、あっという間に今度は夏の太陽に「暑い暑い」と文句を言うようになることだろう。あかんあかん。ありがとう太陽!今日も感謝して過ごしましょ。おかえり太陽

  • 一陣の爽風

    シゴトからへとへとになって帰ったある日、届いた一枚の絵葉書が一陣の爽やかな風を運んできてくれました。お友だちIさんのフィンランドの旅先からのポストカード!娘さんとふたり旅とのこと。すてきだなぁ〜シゴト先の状況に閉塞感をうっすら感じている今のわたしに、この北欧からの一陣の風はドアをバーンと全開にしてくれるほどの威力がありました。そうだよねー行こうと思えば何処へでも行けるんだよね〜ここにずっと居なくちゃいけないなんて誰も言ってない。とっくの昔に外したと思ってたジブンの枠をいつの間にかまた嵌めなおしてしまっていたのか?ジブン?フィンランドからの気付きの風をありがとうございました一陣の爽風

  • 根っこのジブン

    大阪からの転校生だった9歳のわたしが一番最初に仲良くなったともだちは、同じように背が小さくておちゃめでカワイイみんなの妹分的なN子。彼女の小悪魔的なワガママに振り回されながらもわたしは彼女がだいすきだったんだ。同じ2月生まれだったので、子どもの頃毎年「ふたりだけのバースデーパーティ」をどちらかの家で計画したものだ。あれからなんと、もうすぐ半世紀が経つのか。。去年父が亡くなって少し経った頃、めちゃくちゃ会いたくなったのは彼女だった。生活リズムの違う彼女とは近年なかなかゆっくり会うこともないままコロナ禍も過ぎ、一体何年ぶり?かに待ち合わせた。ちょっとお茶して喋ろうってはずが積もる話に気がついたら夕やけ間近。人生で一番長いともだちだもの。べったりな関係ではなくとも互いの初恋も失恋も彼女の離婚劇も再婚も人生の節目...根っこのジブン

  • 変わらずあってほしい場所

    やさしく揺れる葉陰冬枯れの蔦影の作るアート窓からのぞく白梅川音のセレナーデずっとそのままそこに。。。変わらずあってほしい場所

  • 空を見上げて。

    西陽の空を龍の家族が往くようにみえたある日の日暮れ前。雲の行方を見上げてゆっくり歩くのは久しぶりな気がする。世の中がコロナ禍から日常へと戻り、いつの間にか我知らずわたしもまたせかせかと急ぎ足で生きてしまっているのだろう。家から出ることもままならず、スーパーへの行き帰りに目にする小さな草花や樹木にあんなにもこころを動かされていた日々…。あのセンシティブな感覚を忘れてしまいたくはないのだけれど。まるであの数年がなかったかのようなこの頃の世の中の動向に少し違和感を感じてしまう。歩く歩道に乗りそびれたような感覚とでもいうような。自分の最適な歩幅を忘れてしまったような…。あたらしい日が誰にでも平等に訪れるとは限らないのだから、今生きているこの時をしっかり目を開けて見て感じて味わいたい。二十代の頃、同僚に「君って生き...空を見上げて。

  • 野生馬の群れ。のようなすすき

    すすき。風になびいた形のまま枯れている。眺めていると何故か佇む野生馬の群れを連想してしまった。野生馬なんて見たことはないのだけれど以前広大な荒野を野生馬の群れが駆けてゆくのを夢でみた。ふしぎだなぁ。夢でみた光景なのに時間が経つと本当にみたような気になってくる。危険だ。記憶の改ざんが始まっている?笑夢でみた光景と現実にみた光景は、きっと遠い先には混ざり合ってどっちだろうと構わなくなるに違いない。まあ、それもオモシロイかもね。野生馬の群れ。のようなすすき

  • 年齢に気付かされる!

    シゴト先の幼稚園で園児が「せんせい」と呼びかけるつもりで「ママ」とか「おかあさん」と間違えて呼ぶのはよくあること。だったのだが…!最近なんどか「ばぁば…」と間違えて呼ばれることが。。。そうかぁ。無意識下でそう間違えるってことは、わたしはもうおばあちゃん感を醸し出しているってことなんだな。まぁ、こどもたちがばぁば的な安心感を持ってくれてると思えば嬉しいことではあるのだがね。ちょっとフクザツ。思えばこの仕事に就いてもうすぐ八年になるのか。確かにその間にわたしも八年分歳を取り園児の保護者たちとの年齢差もその分広がり、ママたちよりもお迎えにみえるおばあちゃんたちのほうが断然年齢が近くなっている〜。普段あまり自分の年齢を気にしないばかりに時にこうして突如として浦島太郎的に実年齢に気付かされるのであった。キモチは子ど...年齢に気付かされる!

  • 空を泳ぐもの

    今年は辰年。龍は神の使い的な想像上のイキモノとされているがいないと誰が言える?恐竜だって存在していたんだもの。テレビを観ながら娘とそんな話をしていたら娘がオモシロイことを言い出した。「十二支って龍以外全部実在してるじゃん。昔は龍も現実にいたってことだよ。」確かにー!龍だけ架空ってほうが不自然だ。世の中にはびっくりするような不思議なイキモノがたくさん存在する。ただヒトが知らないってだけで、未知のイキモノがこの地球上にはたくさんいるに違いない。空を見上げて竜が悠々と泳いでいく姿を暫し思い描いてみよう。カッコイイだろうなあ。竜っぽい雲。あ、でも空から急降下して捕食されるのは勘弁願いたい。草食ということにしておこう。笑。空を泳ぐもの

  • 『みちのく いとしい仏たち』東京ステーションギャラリー

    如来立像(青森市)ポストカードより一見、無表情に見えても近づいてよく見ると小さいお目と無造作にひと彫りしたお口が!なんとも味のある仏さまや山神様の並ぶ展覧会。『みちのくいとしい仏たち』東京ステーションギャラリーにて。写真不可だったので、こちらを。たくさんの仏さまを拝見しつつ、何だかだんだん観るだけで拝みもせず歩みを進めるのが申し訳なくなってきて、こころのなかで合掌。くすっとこちらも笑顔になっちゃうにっこり微笑む仏さま。強がってるのに全然怖くない鬼の表情。どの仏さまも地元の方々にたいせつにたいせつに祀られてきたお方たち。じっくり拝見しつつも、出品リストを何度も確認。これまでたくさん展覧会を観てきたけれど、こんなにもどこの所蔵なのかが気になって手元の出品リストを覗き込むのはわたし史上初のこと。あぁこの方は八幡...『みちのくいとしい仏たち』東京ステーションギャラリー

  • 黒澤映画に潜る

    年末に「七人の侍」を観てからというもの今更ながら黒澤明監督作品にハマり、夜な夜な深夜のひとり映画鑑賞会。観たいと思った順で年代はランダム。「天国と地獄」1963年「生きものの記録」1955年「野良犬」1949年「用心棒」1961年「椿三十郎」1962年「どですかでん」1970年とりあえずここまで。それぞれ素晴らしい〜!黒澤映画を語るのはおこがましいのでやめておく。どれも面白いが、これまでみた黒澤映画の中でわたしのNo.1は…「椿三十郎」!題名は昔から知っていたけれど、普通の時代劇としか思っていなかったわたし。こんな痛快でスペクタクルなエンターテイメントコメディ映画だったとは!今まで観なかったことがなんとも勿体ない!エンドロールで「あー!面白かった!」と独り言をいいつつひどく残念に思ったのは、父とこの映画の...黒澤映画に潜る

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