満開の桜との組み合わせを撮る機会こそついぞ訪れなかったが、冬枯れ間近の桜も、それはそれで絵になるものだ。それにしても、しっかり力行しているにも拘わらず、野焼きの煙の方が存在感があるとは・・・。なかなかやってくれます。【 北陸本線 高月-木ノ本 / Nikon D300 5
愛する蒸機達が国鉄線上から姿を消して35年の節目2011年に始める、想い出の銀塩鉄道写真の旅。
誰からもホメてはもらえそうにない初代の怪しいハンドルネームは、国鉄蒸機終焉時のあの抜け殻のような自分自身を自虐的に表したもので、大学鉄研当時のニックネームでした。このblogはその前後約四十年の写真を公開しています。blog二年目からは、鉄チャン的にはごくありきたり(?)なハンドルネームにしてみました。どうぞお気軽にご来訪&コメントをお願いします!
満開の桜との組み合わせを撮る機会こそついぞ訪れなかったが、冬枯れ間近の桜も、それはそれで絵になるものだ。それにしても、しっかり力行しているにも拘わらず、野焼きの煙の方が存在感があるとは・・・。なかなかやってくれます。【 北陸本線 高月-木ノ本 / Nikon D300 5
黄金のスポットライトを浴びたターンテーブル上から一転、扇形庫に収まるまでのほんの僅かな間に訪れる無彩色の刻。【 梅小路蒸気機関車館 / Nikon D300 16-85mm F3.5-5.6 / Jan '15 】SL・鉄道写真ブログに参加中
あれれ~、こんなの撮ったっけ?デジタル奥手を自認しているので、即ち最近の画。ということで、銀塩の頃ならまだしも、覚えていないことが情けない、ちょっとショックな1枚。【 北陸本線 田村-坂田 / Nikon D300 35mm F2 / Nov.'10 】SL・鉄道写真ブログに参加中
この季節この時間帯に、2号機が一瞬見せるキリリと引き締まった表情は、長万部で下り103レの到着を今や遅しと待ちわびる前補機の幻影か・・・【 梅小路蒸気機関車館 / Nikon D300 16-85mm F3.5-5.6 / Jan '15 】SL・鉄道写真ブログに参加中
高台から見下ろした八百津駅の跡を、今度は近くで観察するために、八百津高校を後にした。程なくして着いたその空地は防草シート様のもので覆われ、“廃線跡あるある”で如何にも不自然な角度で道路と接していたが、位置的には駅舎の跡というよりも、八百津駅の中野方にあっ
え~っと、ごーしちご、五・七・五・・・と。『 黄葉や 撮りに行けない 北びロス 』(泣)【 北陸本線 坂田-田村 / Nikon D300 24mm F2.8 / Nov.'10 】SL・鉄道写真ブログに参加中
八百津駅を見下ろした場所自体はすっかり忘れてしまっていたものの、その同じ場所から少し中野駅方面に目を転ずると、八百津の町の佇まいが何ともphotogenicで印象的だったのは、今も記憶に残っている。朝日に浮かび上がる瓦屋根の家々が美しく、単行のレールバスが家並の間
朝の八百津駅。孫をベビーカーに乗せて、可愛い“電車”を見物に来たお爺さんの姿が微笑ましい。駅前に目をやると、大書された「歓迎・観光八百津・国定公園」の文字も誇らしげなアーチ看板には、丸山ダムや蘇水峡といった名所が列記されている。鄙びたローカル線の終着駅か
黄色いエイリアン、セイタカアワダチソウは余計だが、前景はススキで決まり・・・と。さて背景は、古びた跨線橋メインか、それとも篠原寺の立派な反り屋根にするか?どちらも捨てがたい、“昭和な”虎姫発車シーン。【 北陸本線 虎姫 / Nikon D7200 300mm F4 / Oct.'17 】S
ようやく見つけることができたかつての俯瞰撮影ポイント・美濃金山城跡からは、兼山駅も見下ろすことができたようで、180mmで撮った写真が1カット残っている。名鉄八百津線はかつては八百津支線と呼ばれていたということだが、兼山駅のホームに進入する単行のキハ10は“支線
35年前と言えば、国鉄蒸機時代以来の付き合いのミノルタから最新のニコンAFシステムに買い替えたばかりの頃で、八百津線を訪れたのはそのF-801の試し撮りも兼ねていたように思う。 同時に購入したAFニッコールの内の1本が180mmで、定番焦点距離の200mmではないのが少し気にな
鉄道開業150年と比べれば、東海道新幹線の60年は、未だ60年なのか、それとも、もう60年なのか・・・、私的には後者の感覚だろうか。それにしても、あの衝撃的な分離事故は東の東北新幹線で除外するとしても、皮肉にも60周年という記念すべき年に頻発した計画運休やら保守用車
昭和47年10月1日 日曜日、52年前の今日。秋晴れの爽やかな朝を迎えたこの日は、草津線の定期SL列車最終運行日(信楽線用回送を除く)とあって、貨物ホームで出発を待つ貨786レ牽引のD51145[亀]は、多くの少年達に取り囲まれていた。一方、草津線ホームの方も、「さよならSL近
甲賀市市制施行20周年を記念して、大学鉄研時代の友人A君の作品を中心とした「甲賀市公共交通の歩み」写真展が開催されます。学生時代からとにかくパワフルで行動的だった彼らしい企画で、自治体や鉄道会社も巻き込んで、アクセスし易い複数の会場での展示そして長丁場の開催
初めて名鉄八百津線を訪れたのはもう35年も前のことで、電化された路線を敢えてレールバスに転換して運行するという“枯れた”路線への興味と、その大手私鉄らしからぬ車両への好奇心が撮影の動機だったと思う。ただ、国鉄蒸機が消えてから動態保存機が各地で復活し始めるま
八百津という地名を聞いて、何を思い浮かべるだろうか?「命のビザ」で有名な八百津出身の偉人・杉原千畝。木曽川の水を満々と湛える兼山ダム、丸山ダムそして建設中の新丸山ダムの巨大なダム群と蘇水峡。酷道として全国に名を馳せる国道418号、そのバイパスに架かる新旅足橋
琵琶湖線の快速に乗って流れる車窓を眺めていると、一瞬目に飛び込んでくるのが、存在感抜群のこの誓念寺。まるで撮ってくれと言わんばかりに・・・ところが、いざ撮影するとなると、これがなかなかの難攻不落。その立派な本堂の反り屋根をバックにする場合、朝の送り込み回
沿線には茅葺屋根の家屋が点在し、未だ国鉄信楽線時代の面影が残っていた三セク化間もない頃。開業当初の車両SKR200も、暖色系をアクセントにした塗色を纏って、意外と好印象だったのだが・・・【 信楽高原鐵道 雲井-勅使 / Nikon F801 180mm F2.8 RFP / Sep.'89 】SL・鉄
だだっ広い構内を往き来して雪まみれになったキューロクが、ホッパーから牽き出してきた幌内炭満載のトラを従えてホームに入線するや否や、乗務員は逃げるようにストーブの燃え盛る駅務室に駆け込んでいった。駅に静寂が訪れ、発車まで暫くの間この59609を独り占め出来る。白
今にもC11が現れて給水を始めそうな、半世紀前と変わらぬこの情景には、派手なラッピング車はちょっぴり不似合いだろうか。それでも、セメント貨物扱いの名残りの広い構内に架かる古びた跨線橋は、昔も今も少年達の“汽車”見物の特等席であることに変わりない。【 樽見鉄道
「さぁて、行くべか。」9時3分、下り225レのD51が発車の汽笛を鳴らすと、反対側のホームで一服していた222レの機関士がようやくC57に乗り込んだ。この駅で30分近く停車して、後続の上り特急「北斗1号」と急行「ちとせ1号」をやり過ごしたというのに、222レを牽くC5738[岩一]の発
日曜16時、2往復の仕業も残すところあと僅か。真夏の太陽は尚高く、華奢なボイラーをジリジリと焦がし、力行の煙も消し去ってしまうが、逆機運転の軽快なシルエットには本来のC56らしさが感じられた。【 北陸本線 田村-坂田 / Nikon F4s 24-50mm F3.3-4.5 RVP / Aug.'95 】
萌える緑の中の第4種踏切は、勝手踏切も顔負けの風情でおよそ人が通りそうな気配がない。「ボーッ!」少しタイミングが遅れたようにも思えたC57144の適度一声は、本来の警笛だったのか、それともオーバークロスから手を振る僕に応えてくれたのか・・・【 室蘭本線 幌別-富
「北びわこ」が運行を始めたばかりの年、あの8月も連日ピーカンでやたら暑かった。心が洗われるような青原山 宗禅寺の木陰でホッと一息ついていると、機関車も一瞬の涼を取って駆け抜けていった。【 北陸本線 河毛-高月 / Nikon F4s 35mm F2 / Aug.'95 】SL・鉄道写真ブロ
EXPO'70から55年になる来年、多くの課題を抱えたまま大阪・関西万博が開催されようとしている。既にリモートは当たり前で、VRも認知されつつあり、国を挙げてDXを推進しようとしている時代に、それでも敢えて、それもこの異常に暑い夏の時期にわざわざ現地を訪れて実際に見て
緑の谷間によく調和した緑色の鉄橋を、単8153レの88623[福]が往く。ハチロク特有の三室汽笛が物悲しく響く・・・日祝日は一往復のみのスジとなることが多かったのに加えて、大野以東は転向のためだけの単機仕業なのだが、それでも敢えて撮りたいと思わせる魅力がこの区間には
由仁の丘に登る道すがら何本か蒸機列車をスナップし、ある程度高度を稼いでから最初に迎えたのが、この上りコンテナ貨物。遥か遠く夕張の山々を望んで、一面に広がる田園地帯。未だ朝の爽やかな冷気が残る中、いい煙を残してデゴイチが由仁の町を後にしていった。【 室蘭本
湖西線が開業してから、今月でちょうど50年とか。「とか」などと、鉄ちゃんにあるまじき言い種をするのには訳があって、その昭和49年7月と言えば、本州の国鉄蒸機は風前の灯火で、尚且つ個人的な事を書けば、全く思うように進まない受験勉強の真っ最中。これでは、道理でそれ
ゴシック様式の尖塔が異彩を放ち、湖北のランドマーク的な存在でもあった東阿閉公民館、通称ヤンマー会館が、有ろう事か取り壊されてしまうという。ヤンマー創業者によってその生誕の地に建てられてから約70年、耐震基準を満たせないのが理由とのことで、既に解体工事も進ん
400Rのカーブが連続する伊吹山麓の区間。485系特急「しらさぎ」とEF66牽引コンテナ高速貨物、客貨両雄の出会い。「しらさぎ」と言えば、今春の北陸新幹線敦賀開業に伴って、後継の681/683系が名古屋-敦賀間の運転に短縮された。相変わらず律義に米原でスイッチバックして北上
煙も期待できない上に、どんよりとした梅雨空ではアイデアも浮かばず、写欲は減退気味。こんな時は、色濃くなった緑でも梅雨空に配して、変化をつけてみようか・・・【 北陸本線 坂田-田村 / Nikon D300 16-85mm F3.5-5.6 / Jun.'11 】SL・鉄道写真ブログに参加中
せっかく社台に来たというのに、牧場にサラブレッドの姿は疎ら。端っこにたった一頭では存在感も無く、やがてやって来た別種のサラブレッドはと言えば、こちらもスッカスカで自己主張まるで無し。嗚呼、無い無い尽しで、役者不在の社台ファーム・・・【 室蘭本線 社台-白老
499仕様の変形デフと集煙装置を纏った山伏498、雨中の力闘。視界も霞む程の本降りの雨が名残りの若葉を叩き、主役の息遣いを妖しく演出する。【 中央本線 長坂-小淵沢 / Nikon D300 85mm F1.8 / May '10 】SL・鉄道写真ブログに参加中
昼下がりの三笠、炎天下のタブレット授受。単5685レのD51414[岩一]は、終点の幾春別で転向した後、今度は貨5692レとなって三笠に戻ってくると、キューロクがヤマから下ろしてきた幌内炭満載のセキやトラを増結して、追分へと向かうことになる。運炭路線としての歴史と栄華を誇
晩秋から冬にかけての夜明けに見るこのシーンは実に感動的だが、初夏の爽やかな朝も捨てたもんじゃない。やがて河畔に絶気合図が響くと、朝の瀬田川の短いドラマが終演を迎える・・・【 東海道本線 石山-瀬田 / Nikon D300 85mm F1.8 / Apr.'12 】SL・鉄道写真ブログに参加
セキを連ねた下り貨5785レと、函館を目指すキハ82上り特急北斗2号の出会い。空荷のセキは却って空気抵抗が大きいことを裏付けるかのように、海風を受けたD51は平坦区間でも力行を続けている。「おおぞら」、「北斗」、「おおとり」・・・80系気動車が一番輝いていた頃、山線経
いくつになっても心臓バクバク鼻血ブーで、とっくに平常心は何処へやら。一方、石山発車の勇壮な汽笛も、瀬田川を渉る豪快なドラフトも、我関せずとひたすら川面に集中するBasser。 朝の瀬田川畔、それぞれの休日・・・【 東海道本線 石山-瀬田 / Canon EOS 50D 105mm F2.5
Nikon D700デジタルに奥手と自認する我がカメラ遍歴、ようやく最後にデジタル一眼レフの話です。名鉄パノラマカーがブームとなっていた頃、周りの同業者さん達は撮影を終えるや否やほぼ例外なく「下を向いて」いました。そう、デジイチの液晶モニターで撮影結果のチェックで
Nikon F10050年程前のSLブームの頃は、春夏秋冬、朝な夕な、蒸機の日常の姿を撮っておきたいと思っても、土地勘もない撮影地ではそれどころではなく、残された僅かな日々がただ慌ただしくそして虚しく過ぎていきました。ところが、その頃の事を想起させるようなブームが30年
Fuji CARDIA mini Elite OP10台だけに絞るとなるとなかなか悩ましいところですが、半世紀に亘る我がカメラ遍歴を振り返る企画も残り僅か。その中でも忘れてはならないのは、何もコーワシックスやニコンF4のような重量級の分不相応なカメラの事ばかりではなく、むしろ身近なコ
大会でもあるのだろうか、東海道線の橋梁の下では何艇ものボートがオールを漕いで練習中。一方、橋梁上では、この区間は舵手に徹する惰性のEF65PFを、漕手のC56が懸命にロッドを漕いでプッシュする。こちらも北び本番前の朝のウォーミングアップ中。【 東海道本線 石山-瀬田
Canon EOS RT購入の経緯は此処でも触れていますが、要するにレンズありきのほぼ俯瞰専用機。ニコンがAF単焦点の400mm F5.6を出してくれなかったので、止むを得ずキャノンの白玉を購入したため、とにかく安いボディなら何でも良かったという虐げられた扱いのカメラで、アサヒ
Nikon F4/F4s西のC56160の活躍に負けじと、東でもD51498が動態復活し、地方巡業的な出張運転だけでなく特定線区での季節列車としての運転が定着したのが90年代で、とりわけ積雪が期待できる磐越西線や上越線の冬季運行の恒例化には狂喜したものでした。更には北のC623も・・
Nikon F-801JRが発足したバブル真っ只中の'80年代末期以降は、それまで限られた線区で偶に走る程度だったC56160のイベント運転も俄然活性化し、運転頻度が増えると共に全国各地へ出張するようになると、週休二日の定着も手伝って「行きたい」と思える線区での撮影機会に恵ま
瓦屋根が印象的な牛飼の集落。その上にチラリと見える33‰の築堤を駆け上がり、喘ぎ喘ぎ登ってきたキハが、新緑の山間からようやく顔を出した。毎年この時期になると思い出す、この新緑の大パノラマ。そして、あの痛ましい事故のこと・・・【 信楽高原鐵道 貴生川-小野谷(
FUJICA GS645 Professional コーワシックスは、バケペンことペンタ67やマミヤRB67に比べると、小型軽量な部類に入る中判カメラだったと思いますが、流石に常に持ち出す気にはなれず、蒸機という絶対的な被写体が消滅すると、殆ど出番がなくなりました。それでも、ブローニー
Minolta XD社会人に成り立ての1980年代は、可処分所得だけはそれなりに余裕があったので、マイカーを手に入れ、カメラ機材も自分の意志で気兼ねなく買うことができました。当時はまさかミノルタブランド(SRマウント)が消滅するなど夢にも思わなかったので、SR-T101の流れで
Kowa SIX MMSLブームの真っ只中の1970年代、田舎町の本屋にも並ぶようになった鉄道雑誌の一つが「鉄道ジャーナル」でした。「今月のフォト」、後に「トップ・アングル」となった月例フォトコンテストはカメラ好きにとっては楽しみな連載で、中でも入選の常連・窪裕文氏が6x6
※何度も訪れた能登そして七尾線・・・その思い出多き地を元旦に能登半島地震が襲いました。年初から始める予定だったカメラに関する周年企画記事は、その中で七尾線の写真をいくつか取り上げるつもりだったこともあり、UPを見合わせていましたが、先頃のと鉄道七尾線が全線
主役のC11155の陰に隠れて目立たないが、青ナンバーやランボードの白線、そして随所に施されたシルバーの塗装は前機155号機と同様で誇らしげ。52年前の今日、重連さよなら運転の朝。そんな次位355号機の表情を、順光側で取り囲む大勢のギャラリーの邪魔にならないよう、遠慮
河畔に重なり合う見事な枝振りのソメイヨシノ。この時期ばかりは、此処の主役は存在感抜群のこの桜、心なしか特急電車も隅っこで小さくなっているように見える。敢えて逆光となる午後もずっと粘った甲斐があった、郷瀬川の夕暮れ・・・【 名鉄犬山線 犬山-犬山遊園 / Nikon
725レを牽引してきたD51が転向所へ向かうのを見届けると、今度は急いで草津線ホームへと移動する。というのも、そろそろ単762レのC58が発車する時間で、7時過ぎからの小一時間に4本もの蒸機が発着する草津名物の朝のゴールデンアワーが、これで一段落となる。東側にある行き止
EF58が725レに連結されると、EXPO'70を契機とした輸送力増強により複々線化成った広い構内を転線して、145号機が戻ってきた。この亀山区D51第1仕業は、転向と給炭給水を済ませると11時過ぎの貨788レで亀山に戻るまで、草津転向所で暫しお昼寝タイムとなる。今となっては旧客を
D51から725レを引き継ぎ、草津から京都までの牽引を担当するのは右手奥、天井川の草津川隧道手前で勢い良くSGの蒸気を上げて待機しているEF58。それにしても、この時のD51145[亀]の純白の煙と長く尾を引くドレインは美しく、今も印象に残っている。よく見るとテンダにはもう1
眩い朝日に純白の煙を輝かせながら、725レの客車から開放されたD51145[亀]が誘導掛の手旗に導かれて引き揚げていく。柘植方面からやってくる朝の京都直通客レは721、723、725レの3本で、蒸機はいずれも草津で御役御免となるが、信楽線にも入線する仕業の721レはC58牽引。そして、
蒸機には似つかわしくない真新しい橋上駅。その薄暗いホームに草津線の京都直通通勤通学列車のしんがり、725レが到着した。客車9両の堂々たる編成だが、この日は春分の日で日曜日ということもあって乗客が少ないのか、牽引機のD51145[亀]は安全弁を吹いたままで余裕綽々のよう
期待していた雪も無ければ、端から期待していない煙も勿論無し。終にはドラフト音も途絶えて、瓦屋根の美しい千田集落にスハフ12の騒々しいディーゼル発電機の音だけが響く・・・【 北陸本線 高月-木ノ本 / Nikon D300 135mm F2.8 / Feb.'10 】SL・鉄道写真ブログに参加中
紀勢線亀山口に疎遠だった後悔の最たるものは、本州では既に珍しくなっていたC57、それも希少な四次型198号機を撮り逃がしたことだろうか。とは言え、C57198ならぬ若番DF50の4号機が、荷物車を含む旧客に10系軽量客車を加えた雑多な出で立ちの編成を牽く姿は、今となっては記
紀勢本線亀山口は、本州では比較的遅くまで蒸機が残った線区。なのに結局一度も足を延ばすことがなかったのは、蒸機末期の加太越えの喧騒で亀山行きを躊躇したからだったと思う。そんな疎遠を後悔する悪循環は無煙化後も続き、初めて訪れてDF504の牽くこの普通列車を撮ったの
妙蓮寺本堂の立派な屋根も、伊吹山に負けじと雪化粧した絶好の撮影日和。それならと、大勢の同業者さんが集う定番撮影地の隅っこでのんびり待つことにした。ところが、ご丁寧な事に肝心な時だけ日が陰り、あちこちから声にならないため息が漏れて、orz・・・【 北陸本線 長
煙は消え、DD50やED70といった古豪もいなくなったが、相変わらず交直接続の機関車達が行き交い、国鉄マンの心意気が垣間見える職員の営みがある田村に、まだまだ活気が感じられた頃。【 北陸本線 田村 / Minolta SR-T Super 50-135mm F3.5 Neopan SS / Feb.'80 】SL・鉄道
撮ろう撮ろうと思いつつ、C58の頃はついつい33‰ばかりに目が行って、結局撮ることはなかった、典型的な信楽の構図。ようやく実行に移すことができたのは、国鉄色の気動車も貴重になりつつあった頃のことだった。【 信楽線 勅旨-雲井 / Minolta XD 50-135mm F3.5 Neopan SS
雪が降りしきる12月の運転日。雪の造形美に魅かれて、小さな踏切で撮ることにした。列車を待つ間、ふと気がついた。「そうか、今日は12月14日か・・・」あの日から、かれこれ40年。12月14日という忘れ得ぬ日に、再び雪景色の中で蒸機と相見えていることに、ちょっぴり感慨に
たった1両のワフをED31が牽く模型のような編成が、佐和山隧道への勾配に挑む。東海道線や道路の旧隧道跡が物語るように、佐和山・弁天山・物生山と連なる山塊はなかなかの難所。開業当時の勢いの表れか、近江鉄道はそこを急勾配の築堤と隧道で一直線に貫いているところが潔く
荷は上得意、鳥居本にある日本石油の油槽所向けのタキ3両とワフ。いつもの編成で、ED312が雪晴れの築堤を佐和山隧道から駆け下りてきた。【 近江鉄道本線 彦根-鳥居本 / Minolta XD 50-135mm F3.5 Neopan SS / Feb.'80 】SL・鉄道写真ブログに参加中
撮影場所を決めあぐね、あてもなく車を走らせて河毛辺りまで来てしまった時、堤防道路から必ず目に留まるのが、小今集落の入口にある日吉神社。高時川は天井川で、堤防からちょっぴり見下ろすように撮れるアングルはそのお陰。四季折々、幾度となく被写体となってもらった。
クリスマスツリーと化した木々と余呉名物のハンノキが流れる、モノトーンの車窓。足回りに雪を纏わりつかせながら、俊足の485系L特急上り「加越」が米原を目指す。【 北陸本線 余呉-木ノ本 / Minolta XD 50-135mm F3.5 Neopan SS / Feb.'80 】※地震により被災された皆様に
周囲を山に囲まれた余呉湖では、冬に快晴無風の好条件が揃った夜明け後しばらくは濃霧に覆われることがあるが、鉄道写真で表現するとなると、なかなかシャッターチャンスには恵まれない。この時は、EF70の牽く長大貨物がやってくる直前に運良く霧が晴れ始め、まるで雲海を見
降り止まない牡丹雪、耐え忍ぶ駅名標。辺り一帯のハンノキも白一色に塗り込められ、押し黙る。余呉は冬が似合う、それも豪雪のイメージがしっくりくる駅だった。【 北陸本線 余呉 / Minolta XD 50-135mm F3.5 Neopan SS / Feb.'80 】※地震により被災された皆様に心よりお
噴火湾に降り注ぐ、朝の光芒。車窓右手、内地の旅人が渡道して最初に目にする北海道らしい雄大な風景。そして、旅のフィナーレの余韻に浸るのもまた、車窓左手の噴火湾になるはず・・・北海道の旅の重要なプロセス。【 室蘭本線 大岸 / Minolta X500 50-135mm F3.5 PKR / D
軋む旧客、白熱灯。ニス塗りのモケットシートから眺めるは、駅舎の灯。漏れるスティームに尾灯が滲む・・・どれも欠くことができない、夜汽車の旅の最上のアコモデーション。【 大井川鐵道 家山 / Nikon D700 35mm F2 / Feb.'16 】※地震により被災された皆様に心よりお見舞
眠らない音威子府。冷気に支配された真夜中の構内に、キハのアイドリング音が響く。かつてキューロク達が老体を休めた庫はタラコの塒となり、始発の仕業に備える。【 宗谷本線 音威子府 / Minolta XD 50-135mm F3.5 KR / Jan.'89 】※この度の地震により被災された皆様に心
昨年の正月は、blogの引っ越しで恒例の周年企画をスキップしてしまいましたが、その前年は40年間の愛車、その前は50年の愛玉(?)と長年の鉄道写真趣味の相棒達を正月記事で取り上げました。でも、何か肝心なものを忘れていやしないかって?・・・はい。愛機、カメラのこと
「正攻法で撮れ」とでも言っているかのように、ドーンと伊吹が迫ってきた快晴の穏やかな朝。さてどうしたものかと、あてもなく集落を彷徨っている内に時間切れとなってしまい、庭木と生垣を前景に拝借。【 北陸本線 坂田-田村 / Nikon D300 135mm F2.8 PL / Feb.'10 】SL・
2週連続の積雪となった日曜日。程々の雪化粧で、宇賀野神社と薬師堂の瓦屋根の紋様が美しい。雪晴れの下、前週のドカ雪の鬼気迫る走りとは打って変わって、C56160の足取りも如何にも軽そうだ。【 北陸本線 坂田-田村 / Nikon F100 35mm F2 RVP100 / Feb.'08 】SL・鉄道写
力行が確実なこの場所は、悪名高いあの「スカび」でも、冬場ならハズレはない。ハイテンポなブラストと予想通りの白煙でやってきたC56160。桜の枝越しのフレーミングも、すっかり落葉したこの時期なら自由自在・・・【 北陸本線 高月-木ノ本 / Nikon D300 50mm F1.8 / Feb.
おでかけは、パパと大好きなパノラマカーの先頭車に乗って。「パパ、ほら見て! 窓の外にも真っ赤なパノラマカーがいるよ。」【 名鉄津島線 甚目寺 / Nikon F100 24-50mm F3.3-4.5 RVP100 / Jan.'08 】SL・鉄道写真ブログに参加中
振り返ると、冬枯れの棚田を背景に、片持ちポールの美しい弧を描くカーブを見下ろせた。バラエティーに富んだ貨車を従えた編成は、135mmの画角にピッタリ収まってまるで模型のようで、この専用線で撮った走行写真の中では思い出に残る1枚となった。【 大阪セメント伊吹工場
採石場跡らしき斜面を登ってみると、山裾に沿って敷かれた専用線が見下ろせ、背後に東海道新幹線の築堤も望むことができた。やがて、近江長岡を発車した「いぶき501」が山陰からゆっくり現れたが、こういう時に限って0系新幹線が来てくれないのが世の常。左下に写っているホ
伊吹を背に、タキを従えて工場から下る。検査上がりなのか、艶やかなマルーンの塗装が美しい。「いぶき501」が大井川で送る余生は、元西武のE31にすっかりその役目を譲った感があるが、新金谷に留置された色褪せて生気のない姿は痛々しい。【 大阪セメント伊吹工場専用線 /
秋晴れの下、幾重もの稲架掛けが辺り一面に広がり、眩いばかり。12系は原形スッピンで飾り気がなかったが、C57には全く似合わない不細工な集煙装置が玉に瑕。それでも、昭和の原風景の中で汽車を待つ幸せを感じられた頃。【 山口線 宮野-仁保 / Minolta XD 50-135mm F3.5
久々のパノラマカー入線、それも復刻白帯車のスーパースター7011Fがやってくるとあって、イベント列車「いちょう号」の終点となった森上は、このフィーバーぶり。老若男女誰もが別れを惜しみ、まるでSLブーム末期の再来のように名古屋が熱くなったのは、15年前のことだった・
朝方うっすらと雪が積もった日。東海道線の道床の雪が消えた頃、自らの影を落としてD51625[奈]が新線の高架を往く。草津線の新線は東海道本線との平面交差解消のために前年に開通したばかりで、真新しいコンクリート製の高架には架線も張られていて蒸機には不似合いなように
手前に見える大動脈東海道本線の線路を一気にオーバークロスすべく、草津を発車してすぐ新線の上り勾配をダッシュするD51718[亀]。草津線に入る上り貨物列車は、この新線が出来るまではポイントを幾つも渡って草津線旧線へと分岐しなければならなかった。【 草津線 草津-手
重連運転や3往復の日だけを狙って訪れては、やれ紅葉の色づきが悪いだの、やれ大井川の水が濁っているだのと贅沢を言っていたのは、かれこれ30年も前の事。その報いか、本来あるべき旧客の塗色すら今では運任せ。それどころか、まさかこの絶景区間が不通となり復旧も見通せな
住宅地の中にひっそりと残る船着場跡に建つ鳥居は、山上の大洞弁財天 長寿院への入口。短くなった弱々しい秋の陽を浴びて、仕業を終えた安堵のロッド音が軽やかに駆け抜ける。【 東海道本線 米原-彦根 / Nikon F100 35mm F2 RVP100 / Oct.'07 】SL・鉄道写真ブログに参加中
漂うのはあの香ばしい石炭の匂いではなく、煙室扉と煙突は焼け爛れて痛々しかった。黒煙を吐く793号機の傍らには食用油の一斗缶と廃タイヤが無造作に置かれていて、「火が入った」からくりは、煙室に直接それを放り込んで燃やしただけの、言わば水無しの空焚きだった。SL=煙
ちょうどSLブーム真っ只中の頃。静態保存機とは言え、キャブ内の見学は大人気で長蛇の列。793号機に付きっきりで昇降の手伝いをしているのは、神領電車区の有志やOBの方々と伺った記憶がある。金鉄局管内のイベント・カマに名鉄局の電車区が世話役という組み合わせの経緯は聞
それは、雲一つない秋晴れの鉄道記念日のことだった。公式側デフの下部に切り欠きがあった金鉄局の異形D51の内の一両793号機は、昭和45年にこの地に静態保存で永住することになった後、一度だけ火が入った(?)ことがあった。【 長浜市 豊公園 / Minolta SR-T101 28mm F3.5
非煙ながら、木曽の紅葉が恋しくなって、毎年この時期になると訪れたくなる王滝。今秋は、コロナ渦による中止を挟んで7年振りの「林鉄フェス」となり、10月上旬の開催。加えて、異常な「終わらぬ夏」の影響もあってか、見頃には未だ未だ早かった。キラキラ輝く透き通るような
急行色で統一された三両は、キハ55と58だろうか。その後ろにへばり付くようなキユニが愛らしい。タラコになる前の雑多な高山線普通列車が秋を往く。これぞ、正しい昭和の農村風景。【 高山本線 上枝-飛驒国府 / Minolta SR-T101 100mm F2.5 Plus-X / Sep.'77 】SL・鉄道写
由緒ある立派な揖斐川橋梁と単行のちっぽけな軽快気動車の組み合わせは、この鉄道ならではの妙味。それも、吸い込まれそうに空が高くなるこれからの季節が一番だ。【樽見鉄道 横屋-東大垣 / Nikon D300 16-85mm F3.5-5.6 / Sep.'15 】SL・鉄道写真ブログ参加中
46年前の9月末。京都駅前では、さよならの装飾を付けた市電と笑顔で記念写真に収まる観光客の姿が見られた。脱炭素シフトの潮流の中、昨今のLRT化の流れにも象徴されるその後の路面電車の復権は、当時の市電廃止反対派の主張を改めて聞くまでもなく、ある程度予見できた事だ
色付き始めた飯村の秋。蒸機が似合う昔ながらの家屋が多く残るこの集落の中では、お化粧直しされた蔵と横超山・徳善寺の立派な本堂は、ひと際目立つ存在。【 北陸本線 米原-坂田 / Canon EOS 50D 105mm F2.5 マウントアダプター / Sep.'10 】SL・鉄道写真ブログに参加中
昭和45年9月20日、日曜日。53年前の今日。この日はD51の牽く「いもほり号」の2回目の運転日だった。その復路は、客扱いの始発となる近江長岡を出てすぐのカーブで狙うことにした・・・蒸気機関車EX誌Vol.40に、D51で関ヶ原越えをしたというこの謎めいた蒸機快速いもほり号に
荷レを牽くかつてのお召専用機・EF5860を迎え撃つカメラの砲列。ところが、中にはカメラもセットせず、この貴重な列車を何故か余裕で見送る人の姿もチラホラ。それもそのはず、実はこの日の主役はC571牽引の「京阪100年号」で、このEF5860は、往路のC57が通過した後の予期せぬ
「小鮒釣りしかの川・・・」そんな、幼い頃の夏を思い出させてくれるような、ちょっぴりセンチな気分になる小川のあった、千田の里の風景。【 北陸本線 木ノ本-高月 / Nikon F4 85mm F1.8 RVP / Aug.'95 】SL・鉄道写真ブログ参加中
臨貨8791レを牽いて、相生線の終点北見相生まで上がってきた29694[北]のキャブ内。アッシュピットから戻ってきた機関士から長いポーカーを託されて、長髪の若い機関助士が火室内にできたクリンカーに悪戦苦闘している。外では燃料掛や助役も何事かと心配そうに見守っている。
賤ヶ岳に連なる水墨画のような山本山を背景に、上り北びわこ4号の煙が棚引く。木々のシルエットと逆機のC56のコンビネーションが印象的だった、夏の午後のワンシーン。【 北陸本線 木ノ本-高月 / Nikon F4s 180mm F2.8 RVP / Aug.'95 】SL・鉄道写真ブログ参加中
貨物用の立派なホーム上屋と側線の跡がある終着駅、美濃神海に佇むキハ17。C11重連はさておき、国鉄時代の樽見線の印象は?と問われれば、キハ07の後を継いだくたびれた10系気動車が先ず思い浮かぶ。あのビニール張りのへたったクロスシートの乗り心地は、盲腸線内の短時間乗
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満開の桜との組み合わせを撮る機会こそついぞ訪れなかったが、冬枯れ間近の桜も、それはそれで絵になるものだ。それにしても、しっかり力行しているにも拘わらず、野焼きの煙の方が存在感があるとは・・・。なかなかやってくれます。【 北陸本線 高月-木ノ本 / Nikon D300 5
黄金のスポットライトを浴びたターンテーブル上から一転、扇形庫に収まるまでのほんの僅かな間に訪れる無彩色の刻。【 梅小路蒸気機関車館 / Nikon D300 16-85mm F3.5-5.6 / Jan '15 】SL・鉄道写真ブログに参加中
あれれ~、こんなの撮ったっけ?デジタル奥手を自認しているので、即ち最近の画。ということで、銀塩の頃ならまだしも、覚えていないことが情けない、ちょっとショックな1枚。【 北陸本線 田村-坂田 / Nikon D300 35mm F2 / Nov.'10 】SL・鉄道写真ブログに参加中
この季節この時間帯に、2号機が一瞬見せるキリリと引き締まった表情は、長万部で下り103レの到着を今や遅しと待ちわびる前補機の幻影か・・・【 梅小路蒸気機関車館 / Nikon D300 16-85mm F3.5-5.6 / Jan '15 】SL・鉄道写真ブログに参加中
高台から見下ろした八百津駅の跡を、今度は近くで観察するために、八百津高校を後にした。程なくして着いたその空地は防草シート様のもので覆われ、“廃線跡あるある”で如何にも不自然な角度で道路と接していたが、位置的には駅舎の跡というよりも、八百津駅の中野方にあっ
え~っと、ごーしちご、五・七・五・・・と。『 黄葉や 撮りに行けない 北びロス 』(泣)【 北陸本線 坂田-田村 / Nikon D300 24mm F2.8 / Nov.'10 】SL・鉄道写真ブログに参加中
八百津駅を見下ろした場所自体はすっかり忘れてしまっていたものの、その同じ場所から少し中野駅方面に目を転ずると、八百津の町の佇まいが何ともphotogenicで印象的だったのは、今も記憶に残っている。朝日に浮かび上がる瓦屋根の家々が美しく、単行のレールバスが家並の間
朝の八百津駅。孫をベビーカーに乗せて、可愛い“電車”を見物に来たお爺さんの姿が微笑ましい。駅前に目をやると、大書された「歓迎・観光八百津・国定公園」の文字も誇らしげなアーチ看板には、丸山ダムや蘇水峡といった名所が列記されている。鄙びたローカル線の終着駅か
黄色いエイリアン、セイタカアワダチソウは余計だが、前景はススキで決まり・・・と。さて背景は、古びた跨線橋メインか、それとも篠原寺の立派な反り屋根にするか?どちらも捨てがたい、“昭和な”虎姫発車シーン。【 北陸本線 虎姫 / Nikon D7200 300mm F4 / Oct.'17 】S
ようやく見つけることができたかつての俯瞰撮影ポイント・美濃金山城跡からは、兼山駅も見下ろすことができたようで、180mmで撮った写真が1カット残っている。名鉄八百津線はかつては八百津支線と呼ばれていたということだが、兼山駅のホームに進入する単行のキハ10は“支線
35年前と言えば、国鉄蒸機時代以来の付き合いのミノルタから最新のニコンAFシステムに買い替えたばかりの頃で、八百津線を訪れたのはそのF-801の試し撮りも兼ねていたように思う。 同時に購入したAFニッコールの内の1本が180mmで、定番焦点距離の200mmではないのが少し気にな
鉄道開業150年と比べれば、東海道新幹線の60年は、未だ60年なのか、それとも、もう60年なのか・・・、私的には後者の感覚だろうか。それにしても、あの衝撃的な分離事故は東の東北新幹線で除外するとしても、皮肉にも60周年という記念すべき年に頻発した計画運休やら保守用車
昭和47年10月1日 日曜日、52年前の今日。秋晴れの爽やかな朝を迎えたこの日は、草津線の定期SL列車最終運行日(信楽線用回送を除く)とあって、貨物ホームで出発を待つ貨786レ牽引のD51145[亀]は、多くの少年達に取り囲まれていた。一方、草津線ホームの方も、「さよならSL近
甲賀市市制施行20周年を記念して、大学鉄研時代の友人A君の作品を中心とした「甲賀市公共交通の歩み」写真展が開催されます。学生時代からとにかくパワフルで行動的だった彼らしい企画で、自治体や鉄道会社も巻き込んで、アクセスし易い複数の会場での展示そして長丁場の開催
初めて名鉄八百津線を訪れたのはもう35年も前のことで、電化された路線を敢えてレールバスに転換して運行するという“枯れた”路線への興味と、その大手私鉄らしからぬ車両への好奇心が撮影の動機だったと思う。ただ、国鉄蒸機が消えてから動態保存機が各地で復活し始めるま
八百津という地名を聞いて、何を思い浮かべるだろうか?「命のビザ」で有名な八百津出身の偉人・杉原千畝。木曽川の水を満々と湛える兼山ダム、丸山ダムそして建設中の新丸山ダムの巨大なダム群と蘇水峡。酷道として全国に名を馳せる国道418号、そのバイパスに架かる新旅足橋
琵琶湖線の快速に乗って流れる車窓を眺めていると、一瞬目に飛び込んでくるのが、存在感抜群のこの誓念寺。まるで撮ってくれと言わんばかりに・・・ところが、いざ撮影するとなると、これがなかなかの難攻不落。その立派な本堂の反り屋根をバックにする場合、朝の送り込み回
沿線には茅葺屋根の家屋が点在し、未だ国鉄信楽線時代の面影が残っていた三セク化間もない頃。開業当初の車両SKR200も、暖色系をアクセントにした塗色を纏って、意外と好印象だったのだが・・・【 信楽高原鐵道 雲井-勅使 / Nikon F801 180mm F2.8 RFP / Sep.'89 】SL・鉄
だだっ広い構内を往き来して雪まみれになったキューロクが、ホッパーから牽き出してきた幌内炭満載のトラを従えてホームに入線するや否や、乗務員は逃げるようにストーブの燃え盛る駅務室に駆け込んでいった。駅に静寂が訪れ、発車まで暫くの間この59609を独り占め出来る。白
今にもC11が現れて給水を始めそうな、半世紀前と変わらぬこの情景には、派手なラッピング車はちょっぴり不似合いだろうか。それでも、セメント貨物扱いの名残りの広い構内に架かる古びた跨線橋は、昔も今も少年達の“汽車”見物の特等席であることに変わりない。【 樽見鉄道
秋晴れの下、幾重もの稲架掛けが辺り一面に広がり、眩いばかり。12系は原形スッピンで飾り気がなかったが、C57には全く似合わない不細工な集煙装置が玉に瑕。それでも、昭和の原風景の中で汽車を待つ幸せを感じられた頃。【 山口線 宮野-仁保 / Minolta XD 50-135mm F3.5
久々のパノラマカー入線、それも復刻白帯車のスーパースター7011Fがやってくるとあって、イベント列車「いちょう号」の終点となった森上は、このフィーバーぶり。老若男女誰もが別れを惜しみ、まるでSLブーム末期の再来のように名古屋が熱くなったのは、15年前のことだった・
朝方うっすらと雪が積もった日。東海道線の道床の雪が消えた頃、自らの影を落としてD51625[奈]が新線の高架を往く。草津線の新線は東海道本線との平面交差解消のために前年に開通したばかりで、真新しいコンクリート製の高架には架線も張られていて蒸機には不似合いなように
手前に見える大動脈東海道本線の線路を一気にオーバークロスすべく、草津を発車してすぐ新線の上り勾配をダッシュするD51718[亀]。草津線に入る上り貨物列車は、この新線が出来るまではポイントを幾つも渡って草津線旧線へと分岐しなければならなかった。【 草津線 草津-手
重連運転や3往復の日だけを狙って訪れては、やれ紅葉の色づきが悪いだの、やれ大井川の水が濁っているだのと贅沢を言っていたのは、かれこれ30年も前の事。その報いか、本来あるべき旧客の塗色すら今では運任せ。それどころか、まさかこの絶景区間が不通となり復旧も見通せな
住宅地の中にひっそりと残る船着場跡に建つ鳥居は、山上の大洞弁財天 長寿院への入口。短くなった弱々しい秋の陽を浴びて、仕業を終えた安堵のロッド音が軽やかに駆け抜ける。【 東海道本線 米原-彦根 / Nikon F100 35mm F2 RVP100 / Oct.'07 】SL・鉄道写真ブログに参加中
漂うのはあの香ばしい石炭の匂いではなく、煙室扉と煙突は焼け爛れて痛々しかった。黒煙を吐く793号機の傍らには食用油の一斗缶と廃タイヤが無造作に置かれていて、「火が入った」からくりは、煙室に直接それを放り込んで燃やしただけの、言わば水無しの空焚きだった。SL=煙
ちょうどSLブーム真っ只中の頃。静態保存機とは言え、キャブ内の見学は大人気で長蛇の列。793号機に付きっきりで昇降の手伝いをしているのは、神領電車区の有志やOBの方々と伺った記憶がある。金鉄局管内のイベント・カマに名鉄局の電車区が世話役という組み合わせの経緯は聞
それは、雲一つない秋晴れの鉄道記念日のことだった。公式側デフの下部に切り欠きがあった金鉄局の異形D51の内の一両793号機は、昭和45年にこの地に静態保存で永住することになった後、一度だけ火が入った(?)ことがあった。【 長浜市 豊公園 / Minolta SR-T101 28mm F3.5
非煙ながら、木曽の紅葉が恋しくなって、毎年この時期になると訪れたくなる王滝。今秋は、コロナ渦による中止を挟んで7年振りの「林鉄フェス」となり、10月上旬の開催。加えて、異常な「終わらぬ夏」の影響もあってか、見頃には未だ未だ早かった。キラキラ輝く透き通るような
急行色で統一された三両は、キハ55と58だろうか。その後ろにへばり付くようなキユニが愛らしい。タラコになる前の雑多な高山線普通列車が秋を往く。これぞ、正しい昭和の農村風景。【 高山本線 上枝-飛驒国府 / Minolta SR-T101 100mm F2.5 Plus-X / Sep.'77 】SL・鉄道写
由緒ある立派な揖斐川橋梁と単行のちっぽけな軽快気動車の組み合わせは、この鉄道ならではの妙味。それも、吸い込まれそうに空が高くなるこれからの季節が一番だ。【樽見鉄道 横屋-東大垣 / Nikon D300 16-85mm F3.5-5.6 / Sep.'15 】SL・鉄道写真ブログ参加中
46年前の9月末。京都駅前では、さよならの装飾を付けた市電と笑顔で記念写真に収まる観光客の姿が見られた。脱炭素シフトの潮流の中、昨今のLRT化の流れにも象徴されるその後の路面電車の復権は、当時の市電廃止反対派の主張を改めて聞くまでもなく、ある程度予見できた事だ
色付き始めた飯村の秋。蒸機が似合う昔ながらの家屋が多く残るこの集落の中では、お化粧直しされた蔵と横超山・徳善寺の立派な本堂は、ひと際目立つ存在。【 北陸本線 米原-坂田 / Canon EOS 50D 105mm F2.5 マウントアダプター / Sep.'10 】SL・鉄道写真ブログに参加中
昭和45年9月20日、日曜日。53年前の今日。この日はD51の牽く「いもほり号」の2回目の運転日だった。その復路は、客扱いの始発となる近江長岡を出てすぐのカーブで狙うことにした・・・蒸気機関車EX誌Vol.40に、D51で関ヶ原越えをしたというこの謎めいた蒸機快速いもほり号に
荷レを牽くかつてのお召専用機・EF5860を迎え撃つカメラの砲列。ところが、中にはカメラもセットせず、この貴重な列車を何故か余裕で見送る人の姿もチラホラ。それもそのはず、実はこの日の主役はC571牽引の「京阪100年号」で、このEF5860は、往路のC57が通過した後の予期せぬ
「小鮒釣りしかの川・・・」そんな、幼い頃の夏を思い出させてくれるような、ちょっぴりセンチな気分になる小川のあった、千田の里の風景。【 北陸本線 木ノ本-高月 / Nikon F4 85mm F1.8 RVP / Aug.'95 】SL・鉄道写真ブログ参加中
臨貨8791レを牽いて、相生線の終点北見相生まで上がってきた29694[北]のキャブ内。アッシュピットから戻ってきた機関士から長いポーカーを託されて、長髪の若い機関助士が火室内にできたクリンカーに悪戦苦闘している。外では燃料掛や助役も何事かと心配そうに見守っている。
賤ヶ岳に連なる水墨画のような山本山を背景に、上り北びわこ4号の煙が棚引く。木々のシルエットと逆機のC56のコンビネーションが印象的だった、夏の午後のワンシーン。【 北陸本線 木ノ本-高月 / Nikon F4s 180mm F2.8 RVP / Aug.'95 】SL・鉄道写真ブログ参加中
貨物用の立派なホーム上屋と側線の跡がある終着駅、美濃神海に佇むキハ17。C11重連はさておき、国鉄時代の樽見線の印象は?と問われれば、キハ07の後を継いだくたびれた10系気動車が先ず思い浮かぶ。あのビニール張りのへたったクロスシートの乗り心地は、盲腸線内の短時間乗