お昼の12時過ぎ、ダルエスサラームの街中にいたわたしは、シャワルマモードになっていた。 還暦すぎたせいか、あまり量が食べられなくなってきていて、先日入った街中のタンザニア料理の人気店シェフズチョイスのヤギビリヤニ(ビーフの方がよかったけど、その日はないと言われた)は量が多めなのもあって、おいしいのだけど、半分しか食べられず、ピリピリが効いた味付けがちょっとお腹に染みるのだった。(食べられなか…
タンザニア在住のasamiの綴るタンザニアの日常生活、音楽、美術、自然、旅、動物などなど。
タンザニアは日本の2.5倍の大きさのある国。見どころ、行きどころも満載です。キリマンジャロ山もセレンゲティ国立公園もあります。そんなタンザニアを日ごろの暮らしの中から、あれこれ、ご紹介していきたいと思ってます。 読んでみてタンザニアにいってみたいなあああと思っていただけたら、嬉しいことこの上なしです。
お昼の12時過ぎ、ダルエスサラームの街中にいたわたしは、シャワルマモードになっていた。 還暦すぎたせいか、あまり量が食べられなくなってきていて、先日入った街中のタンザニア料理の人気店シェフズチョイスのヤギビリヤニ(ビーフの方がよかったけど、その日はないと言われた)は量が多めなのもあって、おいしいのだけど、半分しか食べられず、ピリピリが効いた味付けがちょっとお腹に染みるのだった。(食べられなか…
ドドマの街中のダルエスサラームのカリアコー地区を新しめに、そしてきれいであまり混んでなくしたような通り(名称未確認)を歩いていた。居並ぶ洋品店や靴屋などがお得意のぶら下げるディスプレイでお客を誘っている。
”changamoto(チャンガモト)”というスワヒリ語がある。日本語だと「挑戦」「チャレンジ」などと訳されるようだけど、英語の"challenge"が実は日本語の「チャレンジ」「挑戦」よりも、もちっとマイナス面も含めた大変そうな「困難な課題」という意味があるように、”changamoto”にもそういう意味合いが含まれているようだ。例えばよく使われるフレーズに”Kuna changamoto nyingi”っていうのがあるけど、これは「(乗り越…
土曜日早朝のSGR(準高速鉄道)に乗ってドドマに朝10時に到着!!一緒に列車に乗ってきた旅友、三浦砂織さんが、今回の我らのドドマ行きを、タンザニア在住50年になるドドマ在住の我らが大先輩、椿延子さんに連絡したら、なんと彼女の活動を手伝うマイコ青年と一緒に駅まで迎えにきてくださってたのだ。ありがたや。椿さんにお会いするのも久々で、嬉しい。
ドドマからはSGR(準高速鉄道)の普通列車のちょっと贅沢ビジネスクラスで!
ドドマで充実した滞在をした後(今後のブログでそのことを披露できたら。。)、ダルエスサラームへの戻りは、行きと変えて、普通列車でちょっと奮発してビジネスクラスを選択した。チケット代は、普通列車のエコノミークラスは31,000シリングだが、ビジネスクラスは70,000シリング。2倍以上だ。結構根が張る。しかし経験してみたかったのだ。ちなみに特急だとビジネスクラス料金は、80,000シリングになる。(1円=約18シリング…
ダルエスサラームから、SGR(準高速鉄道)の特急に乗ってドドマへ!
ダルエスサラームからドドマへ向かうSGRの特急列車に乗る当日。午前6時発の電車。まだ暗い中、キラキラ光るタンザナイトという宝石をモチーフにしたというダルエスサラーム駅に着いたのは午前4時50分。
今年の6月にダルエスサラーム/モロゴロ間が開通したSGR(Standard Gauge Railway:タンザニアとウガンダ、ルワンダそしてブルンジ、DRコンゴとの輸送を活性化する目的の最高時速160kmの準高速鉄道システム)は、その後、ダルエスサラームから約400kmの首都ドドマまで開通し、高速鉄道で約3時間半で行けるようになりました。 というSGRに乗ってドドマ往復してきました!
市場調査をしたわけではもちろんなく、あくまでもわたしの感じたところのお話です。 ヨーロッパなどでも人気という「おむすび(おにぎり)」は、タンザニアの人にも受けるんだろうか。 わたしはずっと否と思ってた。 20年ほど前にタンザニア人の友人と日本を巡っていたことがあった。わたしがその日の予定をタイトに入れてしまったため、お昼ごはんタイムは特急列車の中ですごすことになり、友人に「時間があまり…
ダルエスサラームのカンガストリート*1は、いろーんなデザインや色合いのカンガやキテンゲで溢れているから、こんなものが欲しいという目的を持って行かないと襲ってくる色柄にクラクラしてしまう。
先日のブログでも触れたけど、BRT(高速バス)フェーズ3のために絶賛工事中のダルエスサラーム。その工事の通り道には、ダルエスサラームのシンボル的存在であるアスカリ モニュメントがある。ダルエスサラームでこの記念碑を知らない人はまずいないので、道を説明するときなどにも助かる存在でもある。
なんとダルエスサラーム滞在中に虫垂炎になってしまい、当地で手術を受けました。無事に終わり、経過良好です。 病院のすぐ前の中央分…
「タンザニアの子どもたちに自分たちが使った古着や古靴を送り、プレゼントしたい」という相談を受けたら、わたしは賛成しない。 ザンジバルで見か…
平日の午前9時のダルエスサラームの街中心。ダラダラ(乗合バス)の停留所付近には、バスから降りてくる人々に、朝食用のマンダジ(揚げパン)などを販売しようとしている女性たちが待ち構えてた。
タンザニアのカレンダーにはイスラームとキリスト教の祝日が同じ日数だけある。昨日17日月曜日は、イスラームのEid al-Adha(犠牲祭)の祝日だった。Eid al-Hajj(メッカへの巡礼の日)の最終日に行われ、山羊などが屠られ、家族、親戚、友人、そして貧しい人たちとも分かち合うという祝日だと聞いている。この日はモスクの前などにもサダカ(喜捨)を待っている多くの人々を見かけた。 この祝日に3年前のブログ
ダルエスサラームの街中から住んでる家まで徒歩30分。ウォーキングディスタンスなのかもしれないし、実際に歩いてもいる。けれど、街にいるとき、日中の太陽カンカン照りのときとか、ちょっと疲れた気分のときには、街から帰るときに馴染みのタクシー運転手さんの車を見つけて乗って帰ることもある。馴染みの運転手さんの車は、エアコン効かないかなりの年代物で、運転手さんもしかり(!?)。「家に連れてって」って言うだけ…
フランス政府は、いまだフランス領となってるニューカレドニアや、旧宗主国だった西アフリカの国々などにおいてもけっこう大変な局面に立っているけど、フランスの人々には、働く中でもマニュアルや規則に縛られず、自分たちの身は自分たちで守る、自分の領域を守っていくという頼もしさを感じることがありました。 フランスで娘とともに地方を結ぶ中距離バスに乗る機会が、何度かありました。運転手さんは、いづれも制服…
パリにはおいしいアフリカ料理のお店がいくつもある!と教えてくれたのは、東京は渋谷のアフリカ、カリブ&アラブ料理のお店「ロス・バルバドス」の大将と女将さん。 その中の一つ、パリ東駅の近くにあるBMK-PARIS-BAMAKO(パリに2店舗あるBMKのうちの一つ)というお店に娘と行ってきました。
到着した4月半ばのパリは夏日なのだった!半袖やノースリーブの人々が嬉々として街を散策していて、ジェラート屋の前には長い行列ができていた。 パリには全部で7泊したのだけど、太陽サンサンの夏…
娘がフランスに留学中で、息子がドイツで仕事をしていたので、娘のお休みに合わせて、家族に会いにフランス、ドイツへ行ってきました。 パ…
タンザニア生まれの息子の中学、高校時代のタンザニア人の親友が結婚することになり、招待状をいただいた。親友一家とは家族ぐるみで親しくしている。友人一家はムスリムである。 スケジュールは、1日目、ヘナパーティ、2日目、モスクで結婚の誓いの後、女性だけのパーティ、3日目、ホールで披露宴という3日間にわたる式典! (それでも短い方らしい。。ちなみにヘナパーティというのは、ヘナという植物の染料を使って…
もう2月となってしまいましたが、今年もよろしくお願いします。 お正月を日本で迎え、1月半ばにまたもやタンザニア、ダルエスサラームに戻ってきました。1月20、21日には、ダルエスサラームでは橋が流されるなどの被害も出るほどの豪雨があったりと、落ち着かない気候となっています。その後も雨が降る日も多く、葉っぱや木々などの水を得た魚のように緑はわさわさと生い茂った様子を見せています。
彫刻家マティアス ナンポカの末っ子ネモトちゃんも今年いよいよ小学校の1年生!となった。(ご存知の方もいらっしゃると思うけど、マティアスがわたしの亡き夫の名前を我が子につけてくれたのだ。名前というより名字なんだけど) タンザニアの公立学校は1月が新学年の始まりなので、今ちょうど一年生が終わったところ。 わたしはネモトちゃんからビビ(Bibi=おばあさん)と呼ばれている。ネモトちゃんがそう認識し…
千葉の柏でアフリカに浸る〓️コンゴ(民)料理店『MOTINDI』
噂に聞いていた千葉の柏にあるコンゴ(民主共和国)料理のお店「Motindi/モティンディ」に友人と二人で初訪問!! 柏駅から徒歩5分ほど。お店の外にもマスターの似顔絵らしきペイントなどがカラフルに…
「我々の世代は我々自身の国の独立のために闘うナショナリストの世代だった。しかし、パレスチナの人々の窮状は非常に異なっていて、はるかに悪い。。 彼らは彼らの国を奪われ続けている、彼らは自身の土地を持たない国民となっている。 だからタンザニアと世界中が彼らを支援する価値があるのです」※1 ジュリアス ニエレレ タンザニア初代大統領の言葉 1984年 ニエレレの呼びかけにも関わらず、そのおよそ40年後の…
日本ではライドシェアを解禁するかどうかが話題になっているそうだけど、タンザニアでUberなどの配車アプリサービス(ライドシェア)が始まったのはいつだったのかだろう?わたしの記憶では8年以上前だと思う。 アプリで出発点、目的地を記入すると、出発点の近くにいる車が名乗りをあげ、その車のドライバー名とプレートナンバーが送られてくる。ドライバーから確認の電話やメッセージがあることもある。待ち時間がちと…
3年ぶりにリランガカレンダーがシェタニ(精霊)たちと共にやってきます! 2024年は、ちょっとパステル調の作品の中で、シェタニなのに人間くさいところがあり愛嬌あって憎めないヘンドリック リランガのシェタニたちがあんなことやこんなことをやってるカレンダーとなっています。久しぶりのカレンダーでの登場なので、シェタニたち、ちょっと緊張してたり、ええカッコしいになったりしてるかなと思ったりしたけれども、…
カリアコーにアフリカ布を中心にした生地屋さん街が、Wanyama(ワニャマ=動物たち)ホテルの周辺にあるという。ワニャマホテル!そんな名前のホテルがあったのねえ。キリンやゾウたちがホテルのフロントで並んでチェックインしている姿を想像してしまった。
ガザへの空爆の即時停止、停戦を求めます。Ceasefire NOW!!
Twitterではガザの病院が燃料切れでシャットダウンしたというニュースが流れてきました。UNRWA(国連パレスチナ難民機関)は、燃料がガザ地区に入らなければ、明日、水曜日の夜に活動を停止せざるを得なくなると警告しています。 そして「ガザへのイスラエルの攻撃で少なくとも5,791人のパレスチナ人が死亡し、10月7日以降、イスラエルでは1,400人以上が死亡した」
タンザニア人知人のCさんが夕食に招いてくれるという。今はダルエスサラーム在住だけど、ザンジバル出身の人だ。 前もって「何が食べたい?」と聞かれたので「ビリヤニ!」と元気に答えてしまった。 わたしと同じ年(1961年)生まれの彼女の夫は、しばらく調子を崩していて入退院を繰り返していたのだけど、2ヶ月前に旅立ってしまった。彼は、豪快で明るく、お料理の上手な人だったので、元気に「ビリヤニ!」と答えて…
タンザニアにいた時でさえ、こんなに迫力ある様々な異形を抱えるマコンデ彫刻たちに見つめられたことはない。見ているのはわたしのはずなのに、わたしを飛び越えたところに彫刻たちが醸し出す大いなるエネルギーが満ちている感じがしてならないのだ。広いフロアに並ぶ様々な大きさ、形を持つ彫刻たちはとても雄弁に力強くその存在を物語っていた。
キューバ南東部、第二の都市であるサンティアゴデクーバは坂がとても多い。だから、ハバナやトリニダではたくさん見かけたチャリンコタクシーも少なめだった(人を乗せての上り坂はきついからねえ)。長ーい坂道が広い海に繋がる光景は壮観だ。
キューバでは、ハバナの他にも行きたいと思っていたトリニダと「革命と音楽と坂の街」サンティアゴデクーバに行けたのだが、移動手段がかなり限られていた。国内線も本数がとても少なかったので、「旅の準備@キューバ」でも書いたようにViazulという大型長距離バスを利用した。 現地に着いてからでも購入できるようだが、売り場まで…
キューバのトリニダの街、真っ青の空の下、強い太陽の光に、パステルカラーやさまざまな空色などに塗られた歴史ある建物たちが照らされている。道いっぱいに広がる石畳が眩しく映る。その鮮やかな光景に見惚れて、自分も太陽に焼かれつつあることを忘れてしまいそうになる。
滞在3日目、5月14日の日曜日の午前中にキューバの古くからある街トリニダ(今までトリニダッと表記してましたがタイピングがちょっとたいへんなので変更)へ向かう。ハバナから南東へ約300km。石畳のある街の佇まいの写真を見て、ぜひ行きたいと思っていた。世界文化遺産にもなっている。
彫刻家マティアス ナンポカの次男坊、20歳になるというヨハナ。彼も彫刻家になりたいという。 父マティアスは今年52歳、彼の父、エバリストもシェタニ(精霊)の作品ば…
7月7日はスワヒリ語でサバサバ。それを挟んで毎年開催されているダルエスサラーム国際見本市(Dar es Salaam International Trade Fair )は、通称サバサバと呼ばれている。今年は47回めという。今年の会期は、6月23日から7月13日まで。そのサバサバになんと9年ぶりに行ってきた。 入場料は大人3,000シリング、子ども(何歳までか未確認)1,000シリング。(1円=約17シリング)、10年前の
日中のネプトゥーノ通りのカサ(民宿)の近辺にはネコや犬がのんびり寝転んでいた。 ある日の昼間、カサの部屋の中にいたら、とてもとてもリズ…
夜ものんびり歩けることの幸せ。 それって日本に住んでいるとあまり感じないかもしれない。でも、今、わたしのいるタンザニアでも暗くなってからは徒歩では外に出ないようにして…
メキシコシティ11時25分発ハバナ行きの飛行機はほぼ予定通りに離陸した。メキシコシティからハバナまでの飛行時間は約2時間半。国際線だし、お昼が出るかなと期待してたけど、小さな袋入りピーナツ×2と飲み物のみだった。この時、時差は3時間あったようで(サマータイムなどがあるので時々変わる模様)、雨がパラつくハバナには16時50分頃に到着。空から見えた珊瑚礁に囲まれた陸地が、空きっ腹も忘れさせ「ああ、とうとうハ…
①ともかくカラフル! お土産物やお店の壁絵、国立人類学博物館で見た先住民たちの絵画や仮面(③の三番目写真)など、これでもかってカラフルさで、すごく楽しい。
メキシコシティに着いた5月10日は小雨が降っていた。 日本から約13時間のフライト。久々に乗った日本のキャリア(ANA)は、サービスがきめ細かく(飲み物やおやつなどのサービスがしょっちゅうあるなど)物腰も丁寧で、タンザニア往復に利用してるキャリアとの違いにちょっとびっくり。 同年代(アラカン)の友人Sさん、20代の我が娘の3人旅である。
霊長類学者・人類学者である伊谷原一さんと作家・疫学者である三砂ちづるさんの対談形式で綴られた本『ヒトはどこからきたのかーサバンナと森の類人猿から』(亜紀書房)が今年4月に刊行された。 「ヒトはどこからきたのか」という壮大なテーマを軽快な対談で俯瞰してゆける嬉しい一冊である。
〓キューバへの旅の準備のお話〓 ハバナのカサ(民宿)のベランダから見た景色 ①どのルートで日本から行くのか キュ…
キューバへ行きたい!と思い続けてきたのは、どうしてだったんだろう。 キューバにはアフリカルーツの人たちが多くいるし、様々な文化の混じった魅力的な音楽があることに加え、身近にキューバを知る人が結構いたことや、カストロやゲバラ、革命によって独立し、独自路線を歩む国であることに惹かれたからだろうか。
わからないことにワクワクする絵本『どうぶつのわかっていること・わかっていないこと』
絵本『どうぶつのわかっていること・わかっていないこと』は不思議な絵本だ。 本を読むとわからなかったことがわかってくる!ことが多い気がするのだけど、この絵本を読むと「動物に関することでも世の中にはまだまだこんなにわからないことがあるんだー」ってことにびっくりして、そしてその「わからなさ」にワクワクしてくるから不思議。
アフリカの若手監督らによる珠玉の短編映画たち”African Folktales Reimagined(アフリカの民話再考)”@Netflix
タンザニア、ケニア、ウガンダ、ナイジェリア、南アフリカ、モーリタニアの6つの新世代の映画制作者たちの短編作品がNetflix上で上映されている。世界各地で視聴可能(とはいえ字幕にはアラビア語、英語、欧米の主な言葉しかなかった)とのことだ。残念ながら日本語字幕はないのだけど、英語設定にすれば日本で観られるそうだ。
12歳のユスフ(Yusufu)少年の視線は平らかだ。例えばモハメドという”物乞い”と仲良くなるのだが、ボロボロな服を着た彼の表面ではなく、彼のたどってきた歴史や冒険譚などを聞くことによって、一人の人間としてのモハメドを浮かび上がらせる。彼の母も敬意を持ってモハメドと接するというまだ出だしの数ページでの心惹かれるシーンだ。そのころ、ユスフ一家も困難に直面していたのだが。。 20世紀初頭のドイツ領東アフ…
タンザニアでは人の名前が通り(道路)の名前になっていることがよくある。 街中からインド洋沿いを通って走る幹線道路は第二代タンザニア大統領の名前を冠したアリハッサンムウィニ通りだし、ムササニ半島へ向かうのはエチオピア帝国最後の皇帝の名前を冠したハイレセラシェ通りだ。ケニア初代大統領のケニヤッタ通りもあるし、空港へ向かう道路は独立闘争を初代大統領ニエレレとともに戦った女性であり後に政治家となっ…
ダルエスサラーム在住のタンザニア人友人Bさんが、バガモヨまで魚を買いに行くという。
ダルエスサラームの街中の対岸にあるキガンボーニ地区に住むタンザニア人の絵描きさんに聞いた話。 キガンボーニ…
ダルエスサラームのサモラアベニューにあったサラマンダーカフェを覚えている方はどのくらいいるだろうか。 今はなきサラマン…
ザンジバルはストーンタウンのメインバザールのダラジャニ市場へ。 東海岸パジェにあるパラダ…
Zawose ReunionとSauti za Busara2023〓️その2
Sauti za Busaraは2004年から毎年2月にザンジバルはオールドフォートの野外特設ステージで行われている音楽祭。来年で20周年を迎える。ザンジバルをベースとする文化NGO”Busara Promotion"が主催するこの音楽祭は、スワヒリ音楽の豊さと多様性の素晴らしさを多くの人に知ってもらうために始まったそうだ。タンザニアのみならず、アフリカ各地、世界各地からのミュ…
Zawose ReunionとSauti za Busara 2023〓️その1
昨年9月にザウォセファミリー五人によるZawose Reunionのコンサートがダルエスサラームのフランス文化センター(Alliance Française) で行われると言う情報を得、練習を見に行ったり、彼らのTシャツ作成にちょっと資金を出して恩を売ったり(?)してきた。それらの出来事をこのブログにも記したつもりになってたけど、なんと記してなかったのだね。(最近、自分で自分のことが信頼できないことがよくあります。メガネがない…
タンザニア人知人Sさんが自分の小さな店で焼いているチャパティはちょっと中国のネギ餅にも似たような(ネギは入ってませんが)層が重なった弾力もあり、程よい噛みごたえもあって、その焼きたてのものはかなり美味しい。
日本の大学生たちに伝えたいタンザニアってなんだろう。 昨年12月に学習院女子大学で、「タンザニアの歴史、文化、暮らし」の話を学生さんたちにする機会に恵まれた。津山直子さん(アフリカ日本協議会副代表)が担当する「アフリカ文化論」の授業に招いていただいたのだ。(津山さんとは20代の頃、反アパルトヘイト運動で知りあった) 実は2020年12月にも同授業でお話しする機会を得たのだけど、その時はZoomを介…
お正月明け、1月半ばにタンザニア、ダルエスサラームに戻ってきました。 雲多めのダルエスサラームの街中…
ザンジバル、お気に入りのお店たち②手作りサンダル屋さんなどなど
歩くの大好き!になる革製のサンダル。ザンジバル、ストーンタウンはギゼンガ通りにある手作りサンダル屋さん「Suti & Son」は1976年創業だそうだ。ずっとザンジバルやそこにまつわる人々に愛されるサンダルを作り続けてきたのね。
ザンジバル、ストーンタウンに来たら必ず立ち寄りたいお店の一つにホテル エマーソン スパイスのすぐそばのムコバ(ザンジバルのかごバック)屋さんがある。(一度店名を聞いてみたことがあるけど「Mbele ya Emerson Spice:エマーソン スパイスの前」だと返ってきた)
前々回のブログにあったネコたちを尋ねてJaws Cornerに向かう道すがらのソコムホゴ(Soko Muhogo)通りにザンジバルにしてはちょっと前衛的雰囲気のおしゃれ店を発見。壁がスモーキーにカッコ良くペイントされ、キッチュな感じの絵が飾られたこのブティックの名前は「M2MOKO」(人間って意味だと解説してもらったような気が。。説明聞いて…
土曜日の午後のザンジバル、ストーンタウンの海に面したフォロダニ公園は賑やか。 公園の高台から海に飛び込む10代と思しき若者たちは、すでに…
今回、ストーンタウンでやりたかったことの一つに2017年に『岩合光昭の世界ネコ歩き』の番組のお手伝いをした時に出会ったネコたちの消息が知りたかったってことがある。その後も何度か訪れていて、健在を確認してきたネコたちもいるけれど、“今”はどうしているのだろうと気になったのだ。
Kelele Square ( ケレレ スクエア)というホテルの名前を初めて聞いた時、「え!そんな名前のホテルがあるの!?」とちょっとびっくりした。Kelele というのはスワヒリ語で「騒ぎ」とか「騒音」と言った意味なのである。しかし、評判はいいようだし、立地もストーンタウン内の便利な場所にある。そして宿代が安めなのが魅力だった。
今回の滞在でザンジバルには何度か行ったけど、友人知人に会うために行くことが多かったので、週末でストーンタウンをじっくり歩きに行ってきた。なんと二日間で26,000歩も歩いたよん!以前に知り合った(向こうは覚えてないだろうけど)ネコたちの消息を尋ねたり、代替わりしたというお気に入りだった店にも足を運びたいなどの野望を持って。これからそのお話を数回に分けてできたらいいなと思ってるのでお付き合いいただけた…
ダルエスサラーム、ウパンガ地区のアリカーン道路沿いにもう何年も続いているザンジバルミックス(Urojo)の人気店”Kenge International Mix”がある。何度か行っているけど、ブログに書くにあたって初めて正式な店名を知った(google 地図で場所を確かめたら店名が出てきた)。この店ではその料理はミックスと呼ばれている。
JATAツアーズの運転手のBさんの息子Fさんが結婚するという。 「まだ22歳なので早すぎるって言ったんだけど、彼女の家業(宿泊業だったような?)で仕事をするうちに彼女だけでなくそのご家族ともすっかり仲良くなって、どうしても結婚したいっていうから『わかった』って言ったんだ」とBさんは言う。 そして、10月末の結婚式に招かれたのだった。 教会でのお式には都合が合わなくて参列できなかったのだけど、夜の披…
ケニア映画〓️SUPA MODO〓️ヒーローになりたい女の子とそれを取り巻く人々の喪失と再生の物語
日本とタンザニアを行き来する国際線の中でこのケニア映画SUPA MODOに巡りあい、感激して2回も観てしまった。その映画が、今、Netflixでも観られるようになっていることについ先日気づいて3回目の鑑賞をした! リンク→https://www.netflix.com/title/81630002 いつも涙なくしては観られない。でもそれは悲しいだけの涙ではなく、むくむくと起き上がれそうな希望の涙でもある。
10月31日に8月に行われたタンザニアの国勢調査の集計結果の初めての発表(第一次発表)がドドマのジャムフリ・スタジアムでサミア大統領によって行われました。前回の国勢調査(2012年)の速報発表はその年の大晦日だったから2ヶ月早い!
前々回、キスツ市場の話をしたけど、今、わたしが滞在しているダルエスサラームのウパンガ(Upanga)地区は、徒歩5分圏内にキオスク数軒、小さなスーパーマーケット、道端で店を広げてる野菜や果物、卵売りの人たちがいるので、日常の買い物には困らない。近所のキオスクだと大型スーパーマーケットより一つにつきなんと400シリングも安くトイレットペーパーが買えたりすることもある!
マコンデ彫刻を売る店が並ぶ通称マコンデ村(GoogleマップにはMWENGE WOODCAVERS MARKETと記載されてた)。 ダルエスサラームの街中からは約10kmのムウェンゲ地区にあるマコンデ彫刻を売る店…
立派なビルの中に入ったキスツ市場。昨年2021年2月23日にオープンしたとのこと。昨年タンザニアに来た時にも通りかかってはいたけど、以前の長く親しんだ市場が変わってしまったんじゃないかという思いがあり、なかなか中に入る気がおきなかった。
友人であり親指ピアノの師匠でもあるマリアム(タブ)ザウォセの一番上の子どものハッピーが結婚するという。そのセレモニーが金曜日にあるからおいでよと誘われた。赤ちゃんの頃から知っているハッピーも23歳になったという。時の経つのは早い。 ザウォセ一家はクリスチャンだ。と言ってもマリアムの父、フクウェ ザウォセには5人の妻がいたので、昔ながらの慣習や宗教がそこに重なっているのだろうと思う。ハッピーの夫…
日本にいる友人にカンガのお土産を頼まれた。色は青系統で楽しい(笑える)メッセージ(ジナ/カンガセイイング)のあるものがいいなとのリクエスト。楽しいメッセージというリクエストもちょっと難しそうな気がするんだけど。。 ダルエスサラームのカンガストリート(本名:Uhuru St.)で探してみると、これが予想以上に難しいのだった。なぜかというとほとんどのジナにMungu=神様が登場していたから。
ビーチ沿いにどこまでも続くような”海の家”。チップス(フライドポテト)や揚げキャッサバ、ムシカキ(焼き鳥の牛肉版)、ヤシの実ジュースなどを出す店が数多く並ぶのは、ダルエスサラームはムササニ半島に向かうToure Drive(トゥーレドライブ)沿いのココビーチ(Coco Beach)。 土日には多くの人で賑わう。
タンザニアでは調理に卓上のガスコンロを使っている。中国製で火力が強い。タンザニアでは、各家庭にガス管を配備するシステムはないので、LPガスのボンベを購入して繋いで使っている。のだが、先日の午後、ガス台とボンベを繋ぐビニールのホースがガス台に接続する部分が根本からポッキリ折れて取れてしまった。もう5年近く使っているから古くなってきてたのかもしれない。
さて、国勢調査の日、8月23日(火)は休日となった。調査員が来るのを家で待つ日なのだという。
タンザニアの国勢調査が10年ぶりに今年8月に行われた。ずいぶん前から「今年は国勢調査だよ!みんな、準備はいいかい?」みたいなキャンペーンが行われていたようだ。今年に入ってからタンザニアの政府関係のサイトを開くと下記の国勢調査のステッカーが現れてきた記憶がある。sensaはスワヒリ語で国勢調査のこと。
先日乗った配車アプリのドライバーさんが20分くらいの乗車の間に語ったこと。 アプリのリクエスト後の配車確認のドライバーさんからの電話はいきなり「アッサラームアライクム」という挨拶で始まった。ムスリムだったとしても初対面の人にそれも配車アプリのお客に電話でその挨拶をいきなりしてくるタンザニア人はなかなかいないのではないか。ちょっと詰まりながらも「ワレイクンサラマ」と返事した。 (それともAsami…
ザンジバルはストーンタウンの庶民的通りムテンデニストリートを友人の音楽家マリアム ザウォセとの散策(前回のブログ)。午前9時過ぎから3時間くらいいろんな店に立ち寄りながら歩いた。歩き出す前にザンジバルフェリーの港からもほど近い人気食堂パッシングショー(Passing Show)でチャイとひき肉のカトレシ(Cutlesi?Katlesi?) をいた…
民族音楽グループCHIBITEのタブ ザウォセは今はマリアム ザウォセという名前で主にザンジバルで音楽活動をしている。CHIBITEの本拠地はダルエスサラームの海沿いを70kmほど北上したバガモヨという所なのだが、新型コロナの中、ザンジバルにいた方が音楽活動のチャンスが多いということで、部屋も借りてザンジバルのストーンタウン郊…
メロンパンもある幸せパン屋さんJOY BAKERYが開店!!
日本人女性、松浦由佳さんがオーナーのパン屋さん、JOY BAKERY がダルエスサラームのマサキ地区に先週開店しましたー!!〓〓〓 おめでとうございまーす!!!〓〓〓 松…
愛らしくてとっても楽しいタンザニアの絵本に出会えました! 今までは、タンザニアの絵本や児童書は絵も内容もほんわかしたところが少なくて、妙に現実的なもの…
ザンジバルのパジェの海は満ち引きが激しい。満ち潮の時にはググッと海が迫ってくるが、引き潮の時には水平線まで歩いて行けそうに思えるほどだ。 そして潮が引いてくる…
ザンジバルはウングジャ島の東海岸パジェの夜が明ける。 パラダイスビーチバンガローズの空も幻想的に染まってゆく。 6/15 6:00…
色とりどりのプラスティックでできた食器たち、不規則に入れられている食べ物や飲み物たちの下には新聞紙にビニールクロス。動かないものたちであるのに息遣いがが感じられる。その周りにいるはずの気取りのない庶民的な人々の息遣いや話し声、生活のようすまでが伝わってくる気がする。 仲尾友貴恵さんの『不揃いな身体でアフリカを生きる』の表紙写真だ。(カバー下の写真も実はまた素敵なのよ)
アフリカ最高峰のキリマンジャロは雲に隠れていることが多く、なかなかその美しい姿を見せてくれない。 先週木曜日に急に旅立ってしまったJATAツアーズで20年以上も一緒に仕事をしてきたドライバーのアーサー(Arthur)さんの葬儀の日には雲を押し退けて輝く姿を現してくれた。山もこの人は見守らなきゃと思ったのだろう。
10年ほど前にダルエスサラーム郊外でハリマさんとハミシさん夫妻が始めた幼稚園。小さな教室からスタートし、少しずつ手作りで建物や遊具を整えていったそうだ。 ハミシさんはジャタツアーズの経理担当のスタッフでもある。
シェタニ(精霊)も絵を描く〓️ヘンドリック リランガのアートスタジオ再び!
ヘンドリック リランガは忙しそうだった。今(訪問したのは5月中旬)、韓国で個展が開かれていて、また韓国からの絵の注文もきているそうだ。
彫刻家マティアス ナンポカの家を訪ねた。家はダルエスサラーム州とすぐ隣のプワニ州の境あたりにある。幹線道路のモロゴロロードは、昨年はまだ工事中だったけれど、拡張されて広々として風を切るようにドライブでき、ダルエスサラームの街中から車で約1時間弱で行けるようになった。
午前中の用事が済んだけど、お昼にはまだちょっと早い平日の11時半頃にダルエスサラームの街中にいた。午後の予定を考えると、なんかお腹に入れておきたい。でもあんまり脂っこいものや重たいものは食べたくないかなあというときに浮かんだのが、シャワルマだった(わたしはこのブログでもずっとシュワルマと表記してその発音でも通じてたから疑問に思ってなかったんだけど、スペリング(Shawarma)を再確認したらシャワルマの…
ダルエスサラーム街中で朝のチャイをいただく。朝の7時半。ダルエスサラーム街中のソコイネ・ドライブ沿いにある食堂”MTWANA TASTE FOOD"は混み合っていた。3人で行ったわたしたちは店を出る人と入れ違いにちょうど座席にありつけた。
(新型コロナ関連のお話を書きますが、あくまでもわたしが見聞きした範囲のことであって、裏付けをとったりちゃんと調査したり、しているわけではありません、のであらかじめご承知おきいただければありがたいです) 今回の日本からタンザニアの渡航は、飛行機の中は食事などの時以外は、マスクは必ず着用とのことだった。もちろんキャビンクルーも皆、マスク着用。 トランジットのドバイ空港でもマスクはマストだった。…
新型コロナの中に関わらず、昨年も3ヶ月ほどタンザニアに滞在していていましたが、今年も諸所の用事でタンザニアはダルエスサラームに来ています。ダルエスサラーム空港に到着してから、一週間が経ちました。 タンザニア、ダルエスサラームは相変わらずというか、誰もマスクをしていず(昨年はそれでも50人に一人くらいはしていた気がするけど、今年は本当に見かけない)、日本ではまだ新型コロナ陽性者が毎日2から3万人…
500年生きてるバオバブと『アフリカ文学叢書』のリーフレット
大きな木、たとえばバオバブの中にはシェタニ(精霊)がいるという。樹齢500年の木の中にいるシェタニってどんなシェタニなのだろう。 88歳になる父は、グラフィックデザインを生業にしていた。「先日、現役の頃の自分の『作品たち』を整理していたら、出て来たんだよ」と、わたしに見せてくれたのが、下記のリーフレットだ。
ナイジェリア出身の1986年生まれの作家チゴズィエ オビオマ氏の小説、栗飯原文子さんの訳による『ぼくらが漁師だったころ』(原題はThe Fishermen)を読んだ。
お礼!『陽気な精霊たち ヘンドリック・リランガ展』〓アフリカンアートミュージアム、無事終了しました!
早4月となってしまいましたが、先月の27日(日)に、山梨県の八ヶ岳南山麓の早春の空気をたくさん吸い込んだリランガのシェタニ(精霊)たちの賑やかな展示『陽気な精霊たち ヘンドリック・リランガ展』@アフリカンアートミュージアムがおかげさまで無事に終了いたしました。
はじまりました!【陽気な精霊たち ヘンドリック・リランガ展】〓アフリカンアートミュージアム
アフリカンアートミュージアムの広々とした陽の光の入る白い壁、テラコッタ色の滑らかな床の空間の中で、リランガのシェタニ(精霊)たちものびのびと彼らの持ち味を遺憾無く発揮してくれそうです。
『陽気な精霊たち ヘンドリック・リランガ展』〓アフリカンアートミュージアム、もうすぐです!!
少しずつ暖かくなってきていますね。アフリカンアートミュージアムのある八ヶ岳南山麓でもチューリップの芽が出てきたとの便りが。 春めいてきたのに世の中はますます混沌としていて、シェタニ(精霊)たちはどう見ているんだろうと思ったりもします。わたしはシェタニじゃないのでわからないですが、ずっとシェタニの絵画を描き続けている
『タンザニアのシェタニ(精霊)アート』@ピースボート”オンライン”勉強会!!
シェタニ(精霊)は、あらゆるところに出没するようですが、4月6日(水)には、ピースボート主催のオンライン勉強会にも現れることに!
夫、根本利通の5回目の命日の2月24日にロシアがウクライナに侵攻した。ショックが大きく、思いが交錯してブログが、なかなか書けなかった。
「ブログリーダー」を活用して、asamiさんをフォローしませんか?
お昼の12時過ぎ、ダルエスサラームの街中にいたわたしは、シャワルマモードになっていた。 還暦すぎたせいか、あまり量が食べられなくなってきていて、先日入った街中のタンザニア料理の人気店シェフズチョイスのヤギビリヤニ(ビーフの方がよかったけど、その日はないと言われた)は量が多めなのもあって、おいしいのだけど、半分しか食べられず、ピリピリが効いた味付けがちょっとお腹に染みるのだった。(食べられなか…
ドドマの街中のダルエスサラームのカリアコー地区を新しめに、そしてきれいであまり混んでなくしたような通り(名称未確認)を歩いていた。居並ぶ洋品店や靴屋などがお得意のぶら下げるディスプレイでお客を誘っている。
”changamoto(チャンガモト)”というスワヒリ語がある。日本語だと「挑戦」「チャレンジ」などと訳されるようだけど、英語の"challenge"が実は日本語の「チャレンジ」「挑戦」よりも、もちっとマイナス面も含めた大変そうな「困難な課題」という意味があるように、”changamoto”にもそういう意味合いが含まれているようだ。例えばよく使われるフレーズに”Kuna changamoto nyingi”っていうのがあるけど、これは「(乗り越…
土曜日早朝のSGR(準高速鉄道)に乗ってドドマに朝10時に到着!!一緒に列車に乗ってきた旅友、三浦砂織さんが、今回の我らのドドマ行きを、タンザニア在住50年になるドドマ在住の我らが大先輩、椿延子さんに連絡したら、なんと彼女の活動を手伝うマイコ青年と一緒に駅まで迎えにきてくださってたのだ。ありがたや。椿さんにお会いするのも久々で、嬉しい。
ドドマで充実した滞在をした後(今後のブログでそのことを披露できたら。。)、ダルエスサラームへの戻りは、行きと変えて、普通列車でちょっと奮発してビジネスクラスを選択した。チケット代は、普通列車のエコノミークラスは31,000シリングだが、ビジネスクラスは70,000シリング。2倍以上だ。結構根が張る。しかし経験してみたかったのだ。ちなみに特急だとビジネスクラス料金は、80,000シリングになる。(1円=約18シリング…
ダルエスサラームからドドマへ向かうSGRの特急列車に乗る当日。午前6時発の電車。まだ暗い中、キラキラ光るタンザナイトという宝石をモチーフにしたというダルエスサラーム駅に着いたのは午前4時50分。
今年の6月にダルエスサラーム/モロゴロ間が開通したSGR(Standard Gauge Railway:タンザニアとウガンダ、ルワンダそしてブルンジ、DRコンゴとの輸送を活性化する目的の最高時速160kmの準高速鉄道システム)は、その後、ダルエスサラームから約400kmの首都ドドマまで開通し、高速鉄道で約3時間半で行けるようになりました。 というSGRに乗ってドドマ往復してきました!
市場調査をしたわけではもちろんなく、あくまでもわたしの感じたところのお話です。 ヨーロッパなどでも人気という「おむすび(おにぎり)」は、タンザニアの人にも受けるんだろうか。 わたしはずっと否と思ってた。 20年ほど前にタンザニア人の友人と日本を巡っていたことがあった。わたしがその日の予定をタイトに入れてしまったため、お昼ごはんタイムは特急列車の中ですごすことになり、友人に「時間があまり…
ダルエスサラームのカンガストリート*1は、いろーんなデザインや色合いのカンガやキテンゲで溢れているから、こんなものが欲しいという目的を持って行かないと襲ってくる色柄にクラクラしてしまう。
先日のブログでも触れたけど、BRT(高速バス)フェーズ3のために絶賛工事中のダルエスサラーム。その工事の通り道には、ダルエスサラームのシンボル的存在であるアスカリ モニュメントがある。ダルエスサラームでこの記念碑を知らない人はまずいないので、道を説明するときなどにも助かる存在でもある。
なんとダルエスサラーム滞在中に虫垂炎になってしまい、当地で手術を受けました。無事に終わり、経過良好です。 病院のすぐ前の中央分…
「タンザニアの子どもたちに自分たちが使った古着や古靴を送り、プレゼントしたい」という相談を受けたら、わたしは賛成しない。 ザンジバルで見か…
平日の午前9時のダルエスサラームの街中心。ダラダラ(乗合バス)の停留所付近には、バスから降りてくる人々に、朝食用のマンダジ(揚げパン)などを販売しようとしている女性たちが待ち構えてた。
タンザニアのカレンダーにはイスラームとキリスト教の祝日が同じ日数だけある。昨日17日月曜日は、イスラームのEid al-Adha(犠牲祭)の祝日だった。Eid al-Hajj(メッカへの巡礼の日)の最終日に行われ、山羊などが屠られ、家族、親戚、友人、そして貧しい人たちとも分かち合うという祝日だと聞いている。この日はモスクの前などにもサダカ(喜捨)を待っている多くの人々を見かけた。 この祝日に3年前のブログ
ダルエスサラームの街中から住んでる家まで徒歩30分。ウォーキングディスタンスなのかもしれないし、実際に歩いてもいる。けれど、街にいるとき、日中の太陽カンカン照りのときとか、ちょっと疲れた気分のときには、街から帰るときに馴染みのタクシー運転手さんの車を見つけて乗って帰ることもある。馴染みの運転手さんの車は、エアコン効かないかなりの年代物で、運転手さんもしかり(!?)。「家に連れてって」って言うだけ…
フランス政府は、いまだフランス領となってるニューカレドニアや、旧宗主国だった西アフリカの国々などにおいてもけっこう大変な局面に立っているけど、フランスの人々には、働く中でもマニュアルや規則に縛られず、自分たちの身は自分たちで守る、自分の領域を守っていくという頼もしさを感じることがありました。 フランスで娘とともに地方を結ぶ中距離バスに乗る機会が、何度かありました。運転手さんは、いづれも制服…
パリにはおいしいアフリカ料理のお店がいくつもある!と教えてくれたのは、東京は渋谷のアフリカ、カリブ&アラブ料理のお店「ロス・バルバドス」の大将と女将さん。 その中の一つ、パリ東駅の近くにあるBMK-PARIS-BAMAKO(パリに2店舗あるBMKのうちの一つ)というお店に娘と行ってきました。
到着した4月半ばのパリは夏日なのだった!半袖やノースリーブの人々が嬉々として街を散策していて、ジェラート屋の前には長い行列ができていた。 パリには全部で7泊したのだけど、太陽サンサンの夏…
娘がフランスに留学中で、息子がドイツで仕事をしていたので、娘のお休みに合わせて、家族に会いにフランス、ドイツへ行ってきました。 パ…
タンザニア生まれの息子の中学、高校時代のタンザニア人の親友が結婚することになり、招待状をいただいた。親友一家とは家族ぐるみで親しくしている。友人一家はムスリムである。 スケジュールは、1日目、ヘナパーティ、2日目、モスクで結婚の誓いの後、女性だけのパーティ、3日目、ホールで披露宴という3日間にわたる式典! (それでも短い方らしい。。ちなみにヘナパーティというのは、ヘナという植物の染料を使って…
カリアコーにアフリカ布を中心にした生地屋さん街が、Wanyama(ワニャマ=動物たち)ホテルの周辺にあるという。ワニャマホテル!そんな名前のホテルがあったのねえ。キリンやゾウたちがホテルのフロントで並んでチェックインしている姿を想像してしまった。
Twitterではガザの病院が燃料切れでシャットダウンしたというニュースが流れてきました。UNRWA(国連パレスチナ難民機関)は、燃料がガザ地区に入らなければ、明日、水曜日の夜に活動を停止せざるを得なくなると警告しています。 そして「ガザへのイスラエルの攻撃で少なくとも5,791人のパレスチナ人が死亡し、10月7日以降、イスラエルでは1,400人以上が死亡した」
タンザニア人知人のCさんが夕食に招いてくれるという。今はダルエスサラーム在住だけど、ザンジバル出身の人だ。 前もって「何が食べたい?」と聞かれたので「ビリヤニ!」と元気に答えてしまった。 わたしと同じ年(1961年)生まれの彼女の夫は、しばらく調子を崩していて入退院を繰り返していたのだけど、2ヶ月前に旅立ってしまった。彼は、豪快で明るく、お料理の上手な人だったので、元気に「ビリヤニ!」と答えて…
タンザニアにいた時でさえ、こんなに迫力ある様々な異形を抱えるマコンデ彫刻たちに見つめられたことはない。見ているのはわたしのはずなのに、わたしを飛び越えたところに彫刻たちが醸し出す大いなるエネルギーが満ちている感じがしてならないのだ。広いフロアに並ぶ様々な大きさ、形を持つ彫刻たちはとても雄弁に力強くその存在を物語っていた。
キューバ南東部、第二の都市であるサンティアゴデクーバは坂がとても多い。だから、ハバナやトリニダではたくさん見かけたチャリンコタクシーも少なめだった(人を乗せての上り坂はきついからねえ)。長ーい坂道が広い海に繋がる光景は壮観だ。
キューバでは、ハバナの他にも行きたいと思っていたトリニダと「革命と音楽と坂の街」サンティアゴデクーバに行けたのだが、移動手段がかなり限られていた。国内線も本数がとても少なかったので、「旅の準備@キューバ」でも書いたようにViazulという大型長距離バスを利用した。 現地に着いてからでも購入できるようだが、売り場まで…
キューバのトリニダの街、真っ青の空の下、強い太陽の光に、パステルカラーやさまざまな空色などに塗られた歴史ある建物たちが照らされている。道いっぱいに広がる石畳が眩しく映る。その鮮やかな光景に見惚れて、自分も太陽に焼かれつつあることを忘れてしまいそうになる。
滞在3日目、5月14日の日曜日の午前中にキューバの古くからある街トリニダ(今までトリニダッと表記してましたがタイピングがちょっとたいへんなので変更)へ向かう。ハバナから南東へ約300km。石畳のある街の佇まいの写真を見て、ぜひ行きたいと思っていた。世界文化遺産にもなっている。
彫刻家マティアス ナンポカの次男坊、20歳になるというヨハナ。彼も彫刻家になりたいという。 父マティアスは今年52歳、彼の父、エバリストもシェタニ(精霊)の作品ば…
7月7日はスワヒリ語でサバサバ。それを挟んで毎年開催されているダルエスサラーム国際見本市(Dar es Salaam International Trade Fair )は、通称サバサバと呼ばれている。今年は47回めという。今年の会期は、6月23日から7月13日まで。そのサバサバになんと9年ぶりに行ってきた。 入場料は大人3,000シリング、子ども(何歳までか未確認)1,000シリング。(1円=約17シリング)、10年前の
日中のネプトゥーノ通りのカサ(民宿)の近辺にはネコや犬がのんびり寝転んでいた。 ある日の昼間、カサの部屋の中にいたら、とてもとてもリズ…
夜ものんびり歩けることの幸せ。 それって日本に住んでいるとあまり感じないかもしれない。でも、今、わたしのいるタンザニアでも暗くなってからは徒歩では外に出ないようにして…
メキシコシティ11時25分発ハバナ行きの飛行機はほぼ予定通りに離陸した。メキシコシティからハバナまでの飛行時間は約2時間半。国際線だし、お昼が出るかなと期待してたけど、小さな袋入りピーナツ×2と飲み物のみだった。この時、時差は3時間あったようで(サマータイムなどがあるので時々変わる模様)、雨がパラつくハバナには16時50分頃に到着。空から見えた珊瑚礁に囲まれた陸地が、空きっ腹も忘れさせ「ああ、とうとうハ…
①ともかくカラフル! お土産物やお店の壁絵、国立人類学博物館で見た先住民たちの絵画や仮面(③の三番目写真)など、これでもかってカラフルさで、すごく楽しい。
メキシコシティに着いた5月10日は小雨が降っていた。 日本から約13時間のフライト。久々に乗った日本のキャリア(ANA)は、サービスがきめ細かく(飲み物やおやつなどのサービスがしょっちゅうあるなど)物腰も丁寧で、タンザニア往復に利用してるキャリアとの違いにちょっとびっくり。 同年代(アラカン)の友人Sさん、20代の我が娘の3人旅である。
霊長類学者・人類学者である伊谷原一さんと作家・疫学者である三砂ちづるさんの対談形式で綴られた本『ヒトはどこからきたのかーサバンナと森の類人猿から』(亜紀書房)が今年4月に刊行された。 「ヒトはどこからきたのか」という壮大なテーマを軽快な対談で俯瞰してゆける嬉しい一冊である。
〓キューバへの旅の準備のお話〓 ハバナのカサ(民宿)のベランダから見た景色 ①どのルートで日本から行くのか キュ…
キューバへ行きたい!と思い続けてきたのは、どうしてだったんだろう。 キューバにはアフリカルーツの人たちが多くいるし、様々な文化の混じった魅力的な音楽があることに加え、身近にキューバを知る人が結構いたことや、カストロやゲバラ、革命によって独立し、独自路線を歩む国であることに惹かれたからだろうか。