今回は三重県亀山市にある伊勢亀山城跡を歩きます。「亀山城」という名称の城は、全国にたくさんありますね。有名なところでは、明智光秀の築いた丹波亀山城や、奥平...
今回は三重県亀山市にある伊勢亀山城跡を歩きます。「亀山城」という名称の城は、全国にたくさんありますね。有名なところでは、明智光秀の築いた丹波亀山城や、奥平...
もうすぐ紅葉が見ごろの季節ですね。そこで、今回は約2年前の令和4年(2022年)11月27日に訪れた紅葉が美しい摂津池田城です。池田城は室町時代から戦国時...
「その2」のつづきです。佐土原城中の道登山道を進んで、切通にやってきました。 切通です。これが見たかった。 両側は崖のようですね。お隣の薩摩のお城と同じく...
「その1」のつづきです。前稿で麓の遺構を歩いたので、佐土原城の山城に登る中の道登山口からのスタートです。 登山口に設置されていた説明板。 赤色立体図の案内...
宮崎県日南市の飫肥城を訪れたあと、夕方の飛行機までまだ時間があったので、空港のある宮崎市を通り過ぎて北上し、佐土原城に向かいました。ここも、飫肥城と同じく...
「その3」のつづきです。飫肥城城跡公園内はひととおり歩いたので、再び大手門を出て歩いてみました。 大手門の南側の通りは武家屋敷通りと呼ばれています。この日...
「その2」のつづきです。飫肥城旧中ノ丸跡(新本丸跡)をあとにして、旧本丸跡に向かいます。 石段を登ると、ドドーンと大きな枡形虎口があります。おそらく両側の...
「その1」のつづきです。前稿で犬ノ馬場から旧中ノ丸南門を進みましたが、もう一度犬ノ馬場に戻って、今度は西側の門から旧中ノ丸に入ります。なぜ中ノ丸に「旧」を...
過日、仕事で宮崎県に出張の機会があり、せっかく宮崎まで来たので、寸暇を惜しんで城めぐりに。出張と城めぐりはセットです(笑)。この日はあいにくの雨だったので...
「その1」のつづきです。二曲城主郭まで登ってきました。二の郭から主郭への道中も、小さな削平地が複数あったようなのですが、激藪で確認できず。主郭への虎口。主...
鳥越城の支城・二曲城攻城記 その1 <登山口~三の郭~二の郭>
能登七尾城跡からの帰路、石川県白山市にある鳥越城跡に立ち寄ろうと思い立って高速を降り、30分近く車を走らせて道の駅「一向一揆の里」にたどり着いたのですが、...
「その5」のつづきです。七尾城安寧寺跡からさらに北へ向かいます。 七尾城北側の袴腰と沓掛との間の堀切。沓掛場は登城のための衣装を調えたと言われる場所です。...
「その4」のつづきです。七尾城三ノ丸から高い切岸を降りて、北西の安寧寺跡に向かいます。 安寧寺跡です。その名のとおり、ここにかつて安寧寺という寺院がありま...
「その3」のつづきです。七尾城本丸まで制覇したので、「その2」で見た再び遊佐屋敷跡と桜馬場に戻って、さらに北側の城域を目指します。 写真は桜馬場から北へ進...
「その2」のつづきです。七尾城本丸に登ってきました。 本丸には、「七尾城址」と刻まれた大きな石碑があります。裏面を見ると、「昭和十七年仲秋」とありますから...
「その1」のつづきです。能登七尾城調度丸から見た桜馬場北側4段石垣からスタート。 圧巻のロケーションですよね。セットバック石垣は高いところで4mに及びます...
金沢城を訪れた翌日、能登まで足を伸ばして能登畠山氏の居城・七尾城を訪れました。「七尾」という地名は、七尾城が築かれた七つの尾根に由来すると言われます。それ...
「その7」のつづきです。金沢城西側の兼六園を歩きます。説明するまでもないですが、水戸偕楽園、岡山後楽園とならぶ日本三名園のひとつですね。 江戸時代の代表的...
加賀百万石の金沢城を歩く。 その7 <いもり堀・辰巳櫓台・鯉喉櫓台・百閒堀>
「その6」のつづきです。玉泉院丸の石垣から東側にも石垣はつづいています。 土手の上部に見える石垣。鉢巻石垣ですね。彦根城や江戸城にもありますよね。 鉢巻石...
加賀百万石の金沢城を歩く。 その6 <玉泉院丸庭園・鼠多門・金谷出丸>
「その5」のつづきです。前稿で見たいもり坂から西側を見下すと、優雅な日本庭園が広がります。ここは玉泉院丸庭園と呼ばれる藩主の内庭だったところです。 ここは...
加賀百万石の金沢城を歩く。 その5 <本丸石垣・東ノ丸下石垣・薪ノ丸石垣>
「その4」のつづきです。金沢城本丸まで制覇したので、次は本丸の石垣を下から見て歩きます。 まずは、本丸北西側の戌亥櫓台石垣。出隅はきれいな算木積みです。 ...
「その3」のつづきです。金沢城本丸付段にやってきました。 極楽橋を渡ってすぐの本丸北西側付段にある三十間長屋。万延元年(1860年)に建てられたもので、国...
加賀百万石の金沢城を歩く。 その3 <二ノ丸・五十間長屋内部・極楽橋>
「その2」のつづきです。金沢城二ノ丸にやってきました。 向こうに見えるのは、二ノ丸側から見た五十間長屋です。 ここを訪れたこの日は令和5年(2023年)4...
加賀百万石の金沢城を歩く。 その2 <三ノ丸・五十間長屋・橋爪門・裏門>
「その1」のつづきです。金沢城三ノ丸広場にやってきました。 三ノ丸広場に入ってすぐに目を引くのは、正面にドーンとそびえる巨大な建物。五十間長屋です。平成1...
今回は加賀百万石のシンボル、金沢城です。過日、仕事で金沢に出張の機会があったのですが、せっかく金沢に来たので、金沢城を歩きました。いうまでもなく、前田利家...
暑中お見舞い申し上げます。毎日暑い日が続きますね。そこで今回は、兵庫県佐用町の利神城跡の麓にある光明寺で毎年行われている風鈴まつりの写真で、涼をお届けしま...
「その1」のつづきです。高遠城本丸をもう少し歩きます。 太鼓櫓です。時を報じる太鼓を打っていた櫓ですね。江戸時代には搦手門の傍らにあったそうですが、明治1...
松本城、諏訪高島城をめぐった帰路、高遠城に立ち寄りました。高遠城は三峰川と藤沢川が合流する河岸段丘の突端に築かれた平山城。北・南・西の三方を河川に囲まれる...
「その2」のつづきです。諏訪高島城本丸内をもう少し歩きます。 庭園跡から復興天守を見ます。 説明板には「能舞台跡」とあります。ここにかつて能舞台があったそ...
「その1」のつづきです。諏訪高島城本丸外周を一周したので、次回は本丸の中に入ります。 冠木橋と冠木門。どちらも現在の復興天守と共に昭和45年(1970年)...
信州最大の湖、諏訪湖。厳冬期には湖面の氷が大音響とともに山脈のように盛り上がる「御神渡り」が見られることで有名ですね。近年では、アニメ『君の名は』の舞台に...
国宝天守の松本城を歩く。 その3 <二の丸御殿跡・太鼓門・外堀・総堀>
「その2」のつづきです。本丸を出て、東側の二の丸御殿跡にやってきました。 二の丸御殿絵図です。二の丸御殿は初めは藩の副政庁として造営されましたが、享保12...
「その1」のつづきです。本丸から天守内部に入ります。 その前に、大天守を下から見上げます。 こちらは乾小天守と渡櫓。 さて、天守内に入ります。 天守1階は...
過日、仕事で長野県に出張の機会があったのですが、せっかく長野県に来たので、1日主張を延長して、まだ行ったことがなかった松本城まで足を伸ばしました。松本城は...
毛利氏の本拠・吉田郡山城攻城記 その5 <旧本城・興禅寺跡・毛利元就火葬場跡・毛利隆元の墓・>
「その4」のつづきです。尾崎丸から少し南下すると、「旧本城」と書かれた誘導看板が現れます。 毛利氏の本拠として知られる吉田郡山城は、14世紀半ばに毛利時親...
毛利氏の本拠・吉田郡山城攻城記 その4 <勢溜の壇~尾崎丸>
「その3」のつづきです。南西の勢溜の壇にやってきました。 勢溜の壇は本丸の峰から南西に長く伸びる尾根上に10段の大型の曲輪からなる壇です。 その説明板。 ...
毛利氏の本拠・吉田郡山城攻城記 その3 <三ノ丸、二ノ丸、本丸>
「その2」のつづきです。吉田郡山城三ノ丸へ登ってきました。 石碑には「三之丸跡」と刻まれています。「本丸・二ノ丸・三ノ丸」という呼称は豊臣時代以降の言葉で...
毛利氏の本拠・吉田郡山城攻城記 その2 <御蔵屋敷跡・釣井の壇、姫之丸壇、釜屋の壇、羽子の丸、厩の壇>
「その1」のつづきです。毛利元就の墓所から登山道を登ること約15分、曲輪に到着しました。 吉田郡山城の城域は東西約1100m、南北約900mに及ぶ広大な規...
8戦国時代、中国地方の覇者として君臨した毛利氏の本拠として知られる吉田郡山城。江の川(可愛川)と多治比川にはさまれた吉田盆地の北に位置し、城域は郡山全体に...
龍野古城(鶏籠山城)を下山しました。せっかくなので、麓の龍野城にも立ち寄ります。 写真は西側の模擬二重櫓。その背後に見えるのが、山頂に龍野古城のある鶏籠山...
龍野古城(鶏籠山城)から紅葉谷を下山する途中に、野見宿禰と書かれた誘導板がありました。せっかくなので、行ってみることに。 しばらく進むと、「力水」と書かれ...
「その2」のつづきです。龍野古城Ⅰ郭エリア北側から、搦手道を下山します。 Ⅰ-8郭まで降りてきました。ここは主郭並みに広い曲輪です。 縄張り図を載せます。...
「その1」のつづきです。龍野古城Ⅰ郭エリア南側虎口から段曲輪を登ります。 Ⅰ-3郭切岸に、立派な石積みが残っています。 おおっ、これはスゴイ! 石積みの上...
今回は姫路の西に位置する兵庫県たつの市にある龍野城です。龍野城には、鶏籠山山頂の山城と山麓の平山城の時代があり、山城は鶏籠山城、朝霧城、麓の城は霞城と呼ば...
嘉吉の乱によって赤松満祐に謀殺された室町幕府6代将軍足利義教の首塚が、兵庫県加東市にある安国寺にあります。全国各地に「安国寺」という名称の寺がありますが、...
兵庫県姫路市のお城といえば、誰もが思い浮かべるのは世界文化遺産の姫路城ですが、戦国時代より前の15世紀には、姫路城の少し北西に位置する坂本城が播磨国の守護...
今回は兵庫県小野市にある河合城跡を歩きます。堀殿城ともいいます。ここも、播磨守護職の赤松氏が東播磨の拠点として築いたとされ、赤松氏一族の上月氏が城主を務め...
「その2」のつづきです。小谷城第5郭まで降りてきました。 縄張り図では、この東側に大堀切があって、西小丸と分断されています。 ここで、山頂にあった縄張り図...
「その1」のつづきです。標高は218mの小谷城城域に入りました。 麓から見えた看板。第3郭の南側に設置されています。 その看板の南側は、帯郭が東西に伸びて...
兵庫県加西市の中心市街地の北条町北側の標高218mの城山山頂に、かつて小谷城がありました。有名な北近江の小谷城は「おだに」と読みますが、ここは「こたに」と...
「その1」のつづきです。善防山城主郭まで制覇したので、次は尾根伝いに東郭を目指します。 主郭東側の虎口跡。一応、左へ曲がって右へ曲がる食い違い虎口になって...
もすぐ桜の季節になりますが、今回は2年前の桜のシーズンに訪れた善防山城を攻めます。今回も赤松氏の城です。善防山城はかつての播磨国、現在の兵庫県加西市にある...
古代城と中世城が混在する城山城。 その3 <主郭・井戸跡・石塁>
「その2」のつづきです。石塁のあった城山城Ⅱ区からさらに南下します。 説明看板が現れました。現在地と書かれているところがこの場所です。広い削平地になってい...
古代城と中世城が混在する城山城。 その2 <石塁・門の築石>
「その1」のつづきです。城山城跡の北側城域に入りました。 堀切と土塁と書かれた看板があります。 まあ、たしかに堀切っちゃあ堀切かな。薄いけど。 土塁です。...
古代城と中世城が混在する城山城。 その1 <古墳群・登山道>
西播磨を南流する揖保川と、北西より合流する支流の栗栖川が形成する平野を東に臨む標高458mの亀山(きのやま)の山頂に、かつて城山城がありました。ここは、奈...
「その2」のつづきです。楯岩城本丸エリアに入りました。 ここは北西段曲輪のいちばん下の曲輪です。本丸エリアは、頂上の主郭を中心に北西南の三方に段郭が伸びて...
「その1」のつづきです。楯岩城三ノ丸エリアに入りました。本丸、二ノ丸、三ノ丸といった呼び方は豊臣時代以降のものですが、麓にあった縄張り図と鳥観図にそう書い...
今回も播磨国の赤松氏の城・楯岩城を攻めます。別名「太田城」ともいいます。播磨の山城のほとんどは、赤松氏の嫡流、庶流のどこかに関連していますが、ここは、赤松...
光る君へ 第10話「月夜の陰謀」 ~花山天皇の出家(寛和の変)~
久しぶりに大河ドラマのレビューです。第10話では花山天皇の出家事件が描かれましたね。寛和2年(968年)6月23日の丑剋(午前1時から3時)花山天皇が秘か...
播磨守護赤松氏の本城・置塩城。 その4 <Ⅲ曲輪群(三ノ丸北曲輪群)~Ⅶ曲輪群>
「その3」のつづきです。置塩城の南側と東側を攻略したので、次は西側曲輪群に向かいます。 誘導看板には「伝三ノ丸跡」とあります。 虎口っぽい切岸を登ると・・...
播磨守護赤松氏の本城・置塩城。 その3 <Ⅳ曲輪群(二ノ丸北曲輪群)~Ⅰ曲輪群(主郭)>
「その2」のつづきです。Ⅱ曲輪群(伝二ノ丸)まで攻略したので、続いてその北側のⅣ曲輪群を歩きます。 Ⅳ-3郭です。何か水たまりがあります。井戸跡でしょうか...
播磨守護赤松氏の本城・置塩城。 その2 <南西Ⅵ曲輪群~Ⅱ曲輪群(伝二ノ丸)>
「その1」のつづきです。置塩城南曲輪群を攻略しましたが、この城は東西約600m、南北約400mの範囲に70前後の曲輪があります。 次は南西曲輪群を目指しま...
播磨守護赤松氏の本城・置塩城。 その1 <登山道~南曲輪群>
姫路の北約8㎞、夢前川を遡った山間の小盆地に面した標高370mの城山山頂に、かつて播磨国守護として栄えた赤松氏の本城・置塩城があります。「おじおじょう」と...
上月城攻めの毛利方陣城・仁位山城。 その2 <③郭④郭と畝状竪堀>
「その1」のつづきです。仁位山城②郭から③郭へ向かいます。 ③郭です。ここも傾斜がついていて、自然地形って感じなんですよね。経年の堆積物でそうなってしまっ...
前稿で紹介した上月城の北東約500mという至近距離に、仁位山城跡があります。ここは、上月城の援軍として駆け付けた羽柴秀吉方が陣を布いたという説もあれば、上...
「その1」のつづきです。上月城主郭まで攻略したので、つづいて尾根伝いに西側の郭を攻めます。 主郭西側の虎口。縄張り図では桝形虎口になっていますが、微妙。。...
播磨国佐用町上月。現在の兵庫県佐用町には、かつて荒神谷川を挟んで北に大平山上月城、南に荒神山上月城がありました。城ははじめ大平山に築かれ、のちに荒神山に本...
長水城、篠ノ丸城を攻略したので、続いて聖山城を攻めます。聖山城は篠ノ丸城の出城だったともいわれ、天正8年(1580年)の羽柴秀吉による長水城、篠ノ丸城攻め...
西播磨守護代宇野氏の本城・長水城跡攻城記。 その2 <主郭・2郭>
「その1」の続きです。登山開始から約70分、長水城跡主要部に到着しました。 主郭下です。標高584mの長水山の山頂に築かれた城で、現在、主郭跡には信徳寺本...
西播磨守護代宇野氏の本城・長水城跡攻城記。 その1 <大手道>
前稿で西播磨の篠ノ丸城を攻めましたが、今回はその本城・長水城を攻めます。長水山城、広瀬城とも呼ばれます。長水城は篠ノ丸城とともに播磨国守護の赤松氏庶流の西...
紅葉が美しい篠ノ丸城跡を歩く。 その4 <三重堀切~畝状竪堀>
「その3」のつづきです。篠ノ丸城二ノ丸の西側にある三重堀切を見にいきます。 二ノ丸(主郭という説も)の西側を見下ろすと、さっそく大きな堀切が。 降りてきま...
紅葉が美しい篠ノ丸城跡を歩く。 その3 <主郭周り~二ノ丸>
「その2」のつづきです。篠ノ丸城主郭まで攻略しましたが、城域はまだまだあります。 主郭西側の横堀。南側から見ています。右側が主郭を囲う土塁です。往時はもっ...
「その1」のつづきです。麓の最上山公園(通称もみじ山)で紅葉狩りを堪能したので、最上山北の通称「一本松」山頂に築かれた篠ノ丸城跡を目指します。 登山口です...
今回は2年前の紅葉の季節に訪れた、西播磨の篠ノ丸城です。篠ノ丸城は播磨国守護の赤松氏庶流の宇野氏の城と伝わりますが、近年の研究で、その宇野氏滅亡直後、あの...
先日、神戸海軍操練所跡の発掘調査現場公開に行ってきました。神戸海軍操練所といえば、幕末、江戸幕府軍艦奉行の勝海舟の建言により幕府が神戸に設置した海軍士官養...
近江美濃境目で要塞化された寺・弥高寺 その2 <本堂跡~大門跡>
「その1」のつづきです。弥高寺大門跡の南側には、大きな横堀が東西に構えられています。 大門跡の土塁上から見下ろした横堀。 大門跡を降りてきました。横堀ウォ...
近江美濃境目で要塞化された寺・弥高寺 その1 <本堂跡~大門跡>
上平寺城から谷を隔てた西側に、かつて城郭なみに要塞化された弥高寺がありました。ここも、京極氏、浅井氏に関係の深い場所です。 写真は本堂跡。最も広い削平地で...
第1話のヘビーな出来事から6年の歳月が流れましたね。永観2年(984年)とありましたから、天禄元年(970年)生まれ説なら15歳、天元元年(978年)生...
「その1」のつづきです。上平寺城主郭まで登ってきました。 主郭は伊吹山より派生した標高699mの尾根頂部にあります。面積はざっと見たところ、50m×50m...
地域タグ:米原市
京極氏館跡からのつづきです。近江と美濃の国境にそびえる標高1377mの伊吹山の南、弥高山の「刈安尾」と呼ばれる尾根の先端に、かつて京極氏の居城・上平寺城が...
地域タグ:米原市
大河ドラマ『光る君へ』が始まりましたね。年始でバタバタしていたこともあって、昨夜ようやく観ました。毎年当ブログにて大河ドラマ解説をしてきたわたしですが、...
「紫式部」という名を知らない人は少ないでしょう。紫式部といえば、いうまでもなく『源氏物語』の作者であり、平安時代を代表する女流作家ですが、じゃあ、紫式部...
あけましておめでとうございます。皆さま健やかに新春をお迎えのこととお慶び申し上げます。と、いいたかったところでしたが、新年早々たいへんな地震が起きてしまい...
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し 最終回の冒頭のナレーションにもあった言葉ですが、これは、神君御遺訓の冒頭の一文として今日に伝わる有名な言葉です...
「その1」のつづきです。 徳川家康がこの世を去ったのは、大坂夏の陣から1年足らずの元和2年(1616年)4月17日。同年1月、鷹狩に出た先で倒れ、その後...
大坂夏の陣の戦いの火蓋が切られたのは、慶長20年(1615年)4月26日。豊臣方の大和郡山城攻めからでした。その後、4月29日には紀州路方面での樫井の戦...
過日、インスタの城友さんよりお誘いを受け、かつて北近江を支配した京極氏遺跡めぐりのオフ会に参加させていただきました。近江と美濃の国境にそびえる標高1377...
地域タグ:米原市
徳川方の砲撃に恐れおののいた淀殿は、一転して和議の申し出に応じます。そして、徳川、豊臣両者による和議の話し合いが行われたのは、慶長19年(1614年)1...
「その3」のつづきです。田丸城本丸まで制覇しましたが、その北側にある北ノ丸に向かいます。 北ノ丸には、現在、稲荷神社が鎮座しています。 北ノ丸です。 田丸...
地域タグ:三重県
どうする家康 第46話「大坂の陣」 その2 ~真田丸の戦い~
「その1」のつづきです。 方広寺鐘銘事件で徳川との関係が急速に悪化した豊臣方は、旧豊臣恩顧の大名たちを味方に引き入れようと試みますが、そのすべてに拒否さ...
地域タグ:三重県
どうする家康 第46話「大坂の陣」 その1 ~方広寺鐘銘事件~
今回は方広寺鐘銘事件から大坂冬の陣の終結まで一気に話が進みましたね。平成28年(2016年)の大河ドラマ『真田丸』のときはこの間だけで5話ぐらい費やしてい...
「その2」のつづきです。田丸城本丸に向かいます。 本丸虎口です。右折すると・・・。 おーっ!!! いしがっきー!!!! 虎口に設置された説明板。どうやらこ...
地域タグ:三重県
慶長16年(1611年)3月28日、古希を目前にした徳川家康は、京の二条城にて19歳の豊臣秀頼と対面しました。関ヶ原の戦い以後、わずか65万石となり、実...
「その1」のつづきです。田丸城三ノ丸から西側を見上げると豪壮な石垣群が目に入ります。石垣を見て歩きましょう。 写真は本丸東下の石垣群。櫓台のような野面積石...
地域タグ:三重県
伊勢神宮を抑える要衝として築かれたという田丸城。太古の昔より、この地は伊勢神宮への参宮本街道と熊野街道の分岐点として栄えました。今回はその田丸城を歩きます...
地域タグ:三重県
どうする家康 第44話「徳川幕府誕生」 ~征夷大将軍就任と世襲~
関ヶ原の戦いに大勝利を収めた徳川家康は、慶長8年(1603年)2月12日に朝廷より征夷大将軍の職に任ぜられ、事実上、江戸を中心とした武家政権を開始しまし...
蒲生氏郷が築いた伊勢松坂城を歩く。 その6 <御城番屋敷跡>
「その5」のつづきです。「その2」で見た松阪城裏門の南側にある御城番屋敷跡にやってきました。 ここはかつて、松坂城三ノ丸でした。 御城番屋敷は、松坂城を警...
地域タグ:松阪市
「その4」のつづきです。松坂城本丸西側にある、きたい丸を歩きます。 きたい丸とは、古田重勝の子である古田重恒の幼名、「希代丸(稀代丸)」に由来するといわれ...
地域タグ:松阪市
どうする家康 第43話「関ヶ原の戦い」 その2 ~エピローグ~
「その1」のつづきです。 慶長5年(1600年)9月15日、美濃国は関が原において、東西両軍15万人余の軍勢が衝突した関が原の戦いは、わずか半日、徳川家...
地域タグ:松阪市
関が原で東西両軍が激突する4日前の慶長5年(1600年)9月11日、徳川家康は清州に到着し、翌12日もそこに逗留しました。ところが、中山道を進軍している...
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今回は三重県亀山市にある伊勢亀山城跡を歩きます。「亀山城」という名称の城は、全国にたくさんありますね。有名なところでは、明智光秀の築いた丹波亀山城や、奥平...
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「その1」のつづきです。二曲城主郭まで登ってきました。二の郭から主郭への道中も、小さな削平地が複数あったようなのですが、激藪で確認できず。主郭への虎口。主...
能登七尾城跡からの帰路、石川県白山市にある鳥越城跡に立ち寄ろうと思い立って高速を降り、30分近く車を走らせて道の駅「一向一揆の里」にたどり着いたのですが、...
「その5」のつづきです。七尾城安寧寺跡からさらに北へ向かいます。 七尾城北側の袴腰と沓掛との間の堀切。沓掛場は登城のための衣装を調えたと言われる場所です。...
「その4」のつづきです。七尾城三ノ丸から高い切岸を降りて、北西の安寧寺跡に向かいます。 安寧寺跡です。その名のとおり、ここにかつて安寧寺という寺院がありま...
「その3」のつづきです。七尾城本丸まで制覇したので、「その2」で見た再び遊佐屋敷跡と桜馬場に戻って、さらに北側の城域を目指します。 写真は桜馬場から北へ進...
「その2」のつづきです。七尾城本丸に登ってきました。 本丸には、「七尾城址」と刻まれた大きな石碑があります。裏面を見ると、「昭和十七年仲秋」とありますから...
「その1」のつづきです。能登七尾城調度丸から見た桜馬場北側4段石垣からスタート。 圧巻のロケーションですよね。セットバック石垣は高いところで4mに及びます...
金沢城を訪れた翌日、能登まで足を伸ばして能登畠山氏の居城・七尾城を訪れました。「七尾」という地名は、七尾城が築かれた七つの尾根に由来すると言われます。それ...
「その7」のつづきです。金沢城西側の兼六園を歩きます。説明するまでもないですが、水戸偕楽園、岡山後楽園とならぶ日本三名園のひとつですね。 江戸時代の代表的...
「その6」のつづきです。玉泉院丸の石垣から東側にも石垣はつづいています。 土手の上部に見える石垣。鉢巻石垣ですね。彦根城や江戸城にもありますよね。 鉢巻石...
「その5」のつづきです。前稿で見たいもり坂から西側を見下すと、優雅な日本庭園が広がります。ここは玉泉院丸庭園と呼ばれる藩主の内庭だったところです。 ここは...
「その1」のつづきです。田丸城三ノ丸から西側を見上げると豪壮な石垣群が目に入ります。石垣を見て歩きましょう。 写真は本丸東下の石垣群。櫓台のような野面積石...
伊勢神宮を抑える要衝として築かれたという田丸城。太古の昔より、この地は伊勢神宮への参宮本街道と熊野街道の分岐点として栄えました。今回はその田丸城を歩きます...
関ヶ原の戦いに大勝利を収めた徳川家康は、慶長8年(1603年)2月12日に朝廷より征夷大将軍の職に任ぜられ、事実上、江戸を中心とした武家政権を開始しまし...
「その5」のつづきです。「その2」で見た松阪城裏門の南側にある御城番屋敷跡にやってきました。 ここはかつて、松坂城三ノ丸でした。 御城番屋敷は、松坂城を警...
「その4」のつづきです。松坂城本丸西側にある、きたい丸を歩きます。 きたい丸とは、古田重勝の子である古田重恒の幼名、「希代丸(稀代丸)」に由来するといわれ...
「その1」のつづきです。 慶長5年(1600年)9月15日、美濃国は関が原において、東西両軍15万人余の軍勢が衝突した関が原の戦いは、わずか半日、徳川家...
関が原で東西両軍が激突する4日前の慶長5年(1600年)9月11日、徳川家康は清州に到着し、翌12日もそこに逗留しました。ところが、中山道を進軍している...
「その3」のつづきです。松坂城本丸下段中御門跡に戻ってきました。 「その3」の冒頭で見た中御門は、さらに本丸上段に続いています。 まずは右折。 そして左折...
「その2」のつづきです。いよいよ松坂城本丸へ向かいます。 二ノ丸から本丸へ向かう中御門です。 ここを訪れたのは令和4年(2022年)7月2日。このとき中御...
阪神タイガースが38年ぶりの日本一になりましたね。あっ、38年ぶりのAREのAREですか(笑)。前回の日本一のとき18歳だったわたしも、56歳になってしま...
徳川家康とともに会津の上杉景勝討伐に向かった諸将に、上方で石田三成が挙兵したとの報せが入ったのは、慶長5年(1600年)7月20日過ぎのことでした。この...
「その1」のつづきです。松坂城外周を歩いて、再び表門跡に戻ってきました。 表門です。大手門ではありません。古地図の縄張り図によると、大手門はこの北西の水堀...
三重県松阪市といえば松阪牛・・・ではなく、松坂城です。松坂城は近江国日野城よりここへ移ってきた蒲生氏郷が築いた城です。 表門前の石碑には「松坂城」と刻まれ...
石田三成の失脚から約半年後の慶長4年(1599年)9月、今度は徳川家康を暗殺しようとする企てがあることが発覚します。その首謀者は金沢に帰国している前田利...
「その2」のつづきです。津城本丸跡の一角に、藤堂高虎の騎馬像があります。 藤堂高虎は、弘治2年(1556年)に、近江国犬上郡藤堂村(現在の滋賀県甲良町)に...
「その1」のつづきです。津城内堀外周をめぐったので、本稿では本丸内を歩きます。 写真は前稿の冒頭でも紹介した本丸北東の丑寅三重櫓。藤堂高虎が築いた櫓とは似...
豊臣秀吉の喪は、ただちには発表されませんでした。その理由は、今なお朝鮮に10万の将兵が留まったままで、戦場を混乱させないための配慮でした。慶長3年(15...
前稿で藤堂高虎が築いた伊賀上野城を歩きましたが、同時進行で高虎が伊勢国に築いた城が、現在の三重県津市にある津城です。高虎は関ヶ原の戦い後の慶長13年(16...
「その3」の続きです。伊賀上野城本丸西側を制覇したので、続いて本丸東側の城代屋敷跡を歩きます。ここは藤堂高虎が改修する以前は、筒井氏の城がありました。その...
昨日、谷村新司さんの訃報がありましたね。驚きました。今の若い人らにとっては24時間テレビの「サライ」のおっちゃんといったイメージかもしれませんが、わたしら...