写真の投稿だけです。...
ますます「写真」が何を指しているのか分からなくなってきました。いずれ「写真」あるいは「photogragh」という言葉はなくなるかもしれません。それはそうとして、個人的には自分の考える写真を撮り続けるだけしかないと思っています。
今日、梅田で2つの商業施設がオープンしました。とても高いビルですから写真に撮ろうとすると縦位置で構えるのが一般的だと思います。私は基本的に横位置で撮るようにしているので遠くから撮るか、広角で撮ることになります。ただそれでは説明的になるのでけっこういい加減なフレーミングで撮ることが多いです。それにしても、ミナミも含めてでっかい建物ばかりで写真を撮っていると、自分がアリンコみたいに思えてくるのでした。...
どうしても自分の思い通りに撮りたいのがカメラマンの素直な気持ちなので構図やボケなどいろいろ工夫して撮影しますよね。それはそれでいいのですが程度問題で、やりすぎると被写体をよそ行きの顔にしてしまうように思います。スッピン顔がいいか、メイク顔がいいか好みの分かれるところではないでしょうか。...
通りすがりの○△□240727・slow dance with summer 1
写真の撮り方で「よく見ましょう」とよく言われます。写真は見ることがすべてと言えるので強調されるのですがそのことを意識し過ぎるのも、どうかなと思っています。土門拳さんは風景か仏像か、どちらかだったと思うのですが「走っている」と言っていたそうです。つまりよく見ている暇なんて撮影ではないのが実際ではないでしょうか。撮影の時はカメラマンも走る必要があると思っています。走るというより動き回ること、ですね。被...
通りすがりの○△□240619・さよならはこんにちはのせい 3
写真は目の前の光景を、そのレンズで写して二次元の平面の静止画像にしたら大体こんなものという像に過ぎません。不完全で、不正確な、あくまでこんなものなので、参考程度にしてくださいというのものなんですね。写っている本体の代わりではなく言葉にすると面倒なので、画像にしているだけなのです。イラストで描くのが苦手なので、画像にしているだけなのです。本体のことについては実際に会ってみること、触ってみること、行っ...
撮影してきました。近鉄生駒駅周辺だけですが駅構内は土曜日ということもあって人が多かったです。ところでアマチュアの人の写真の撮影カット数は夏と冬ではどちらが多いのでしょうか。それともいい勝負なのでしょうか。べつに勝負することもないのですが・・・...
今はテレビの画面で街角の風景の人物にはボカシが入ることが多くなりました。個人情報、プライバシーを考慮してですね。ボカすこととはその人ががそこにいたことを曖昧にすることです。曖昧にすることで、その人はそこにいたのにいなかったことにされるのです。いずれテレビの街角の風景の映像にはAIが作った、街行く人たちが登場するのではないでしょうか。もう、ボカシを入れる手間がなくなって、画面のモヤモヤもなくなり、スッ...
通りすがりの○△□240619・さよならはこんにちはのせい 2
「事実唯真」という言葉を聞いたことがあるのですが今も気になっています。「写真」はそのままに解釈すると「真実を写す、写したもの」ですがよく「写真」は真実を写すのか?と議論されます。でも、その前にハッキリさせないといけないのが「真実」とは何かなんですね。「真実」とは本当のことと言ってしまうと堂々巡りになってしまいます。辞書的な意味からは外れますが「真実」というのは人間の数だけあるのではないでしょうか。...
ある程度の違いはあるにしても人間が見ている世界は、人間たちにとっては共通だと思います。そうでなければコミュニケーションが成り立ちません。では、鳥や魚や昆虫たちにはこの世界はどのように見えているのでしょうか。複眼だからといって世界がいくつにも分かれて見えているわけではないそうです。でも、この世界は、いろんなバージョンで成り立っていて、人間の関わっている写真の世界も今は予想出来ないような世界になってゆ...
写真がウソをつくのではなく人間が写真を使ってウソをつくんですね。あるいは写真に似せて嘘をつくのです。どちらにしても、写真には罪はありません。カメラは、自分の前にあるモノを写しているだけなのですから。カメラは、撮る人のウソを写すことは出来ないのです。...
通りすがりの○△□240517・a dramatic fine day of May 8
最近、写真を撮っている夢を何回か見ました。どうしたんやと思っています。その中の撮り方が全然ダサいのです。撮っている自分が全然カッコよくありません。写真家なら夢の中で撮影のインスピレーションを得るのでしょうが夢で現実を突きつけられるのはツライところがあります。...
通りすがりの○△□240425・いつものことだから いつものことだけど 10
ノスタルジー・・・もう取り戻せないあの頃への思いが人間には必要なことがよく分かるのが写真なんですね。不確かで当てにならない、ただ、ただ明るい未来よりたとえちょっぴりうす暗いけれど、確かにあった過去のほうに人は惹かれるのだと思います。ノスタルジーそのものが幻想だったとしてもあったことにしたいのです。若くて、元気で、みんな仲がよくて、ほのぼのとしていた過去でホントの私を生きるのです。...
写真は現実をそのままにした再現ではないけれど現実をもう一つの姿として捉えたものだと思います。だから現実にはこだわる必要があると思うのです。加工がダメなのではなく現実から極端に遊離してしまうのがマズいのだと思います。写真のその人、その場所との何らかのつながりを断ち切ってしまうとそれは写真というよりデジタル画像になってしまうように感じます。...
通りすがりの○△□240425・いつものことだから いつものことだけど 9
写真は記録でもあり、記憶でもあると言われています。発音するとよく似ているんですね。それで同じように思われています。でも、記録はカメラ側に属し、記憶は人間側に属します。そのため微妙にズレが生じることになるのです。そのズレが写真の面白さだと思います。自分の思ったことが写っていないことがあるのは仕方のないことだと思います。...
関東甲信・東海地方は梅雨が明けたのですね。近畿地方ももうすぐだと思います。昨日は祇園祭の前祭山鉾巡行でした。若い時に撮影に行ったことがあるのですがとても今は行くのは無理・無理です。ただ、夏の風景を少しは撮りたくなったので短時間なら大丈夫だろうということでいつもの公園へ、ちょこっと散歩撮影に出かけました。さすがに短時間で帰ってきたのですが写真は現場に出向かないと撮れません。涼しくなってから真夏の風景...
イソップ童話にキツネとすっぱいブドウの話があります。取れなかったブドウにケチをつけたことをあまりいい意味には受け取られていませんよね。キツネが自分の能力不足を認めたくないのであのブドウはきっとマズいんだと決めつけて自分を正当化したのだと。でもそうでしょうか。単なるキツネの自分の負け惜しみだったのではと思うのです。とても人間的なキツネだと思います。むしろ、届かないブドウにいつまでも固執し飛びつきを繰...
「AIに負けない写真の撮り方」を考えていてもあまりいい答えは出て来ないように思います。なにしろ相手は何億人(?)ものデータなのですから戦う相手を間違えている気がするのです。アマチュアは、別にAIに負けてもいいのではないでしょうか。アマチュアの関わる相手は現実に存在する被写体です。仮想現実や拡張現実にも被写体はいるのかもしれませんが今のところよく分かりません。やはり自分の手でカメラを持って、足で歩いて周...
エモさは最初は元気が出てくるけれどいつの間にか逆に元気が出てゆく気もします。多量に摂取すると何も感じなくなって次第に過激化してゆく気がします。やがて中毒化して、それがないと落ち着けなくなって気持ちよくなるために始めたのがいつのまにか苦痛になってしまう気がします。これ、写真の話です。...
世の中は曖昧なことで出来ているのかもしれません。ハッキリと白黒つけることが出来るのはめったにないようです。白黒で連想するのが写真ですよね。モノクロ写真は世の中の曖昧さを写すのに適するのかもしれません。それにしてはハイコントラストで白トビ、黒ツブレの写真が人気なのはそうでもないのかなと、思わせられるのです。ある程度グラデーションがあったほうが世の中の曖昧さを表現できるように思います。ハイコントラスト...
「ダニング=クルーガー効果」というのがあるんですね。実力のない人ほど自分のことをスゴイと思いたがり、実力がある人ほど自分のことに謙虚になるということらしいです。さらっと、説明を読むとなるほどと思うのですがちょっと、立ちどまりたくもなるのでした。写真の場合、よっぽどでなければ誰の評価も得られていない自分の写真をスゴイと思う人はまず、いないと思うのです。それなりの評価がもらえたら自分の写真も結構いいの...
通りすがりの○△□240517・a dramatic fine day of May 7
写真に向いている人と向いていない人がいるそうです。向いていない人については書くと炎上するから書けないと言っています。その発言を読んでいたのですが、いくらプロでもなんでそんな思わせぶりの言い方するんだろと思いました。写真に向いているか、向いていないかはそれぞれ自分で決めればいいことではないでしょうか。プロやベテランから「あなたは写真に向いていますよ」と言われて出たやる気は、あまり持続力はないと思いま...
無駄を排除するのがビジネスだとしたら無駄を歓迎するのがアートだと思います。フィルム写真に惹かれるのは無駄の存在に魅力を感じるからではないでしょうか。無駄の面白さを味わえるということだと思います。効率を優先すればデジカメのほうが明らかに適切です。ほぼ確実に綺麗に撮影できます。今は、フィルムは高価になったのですからそれを承知でフィルムの無駄が楽しいのです。出来上がるまで待たなければならないという、時間...
ビジネスは失敗はダメですよね。途中の試行錯誤の失敗は許容されても最終的には成功が求められ、評価されます。いっぽうアートには失敗はありません。むしろ失敗が評価されることがあるのです。いかに失敗するかがアーティストに問われるのです。成功と思われていることに対して「はて?」と疑問を投げかけるのがアートの役割だと思います。ただ、アートとビジネスを結びつけることは出来ますし、アートとビジネスを完全には引き離...
デジカメはいろんなことが出来るようにしてくれました。そのいっぽうで、フィルムカメラやチェキやポラロイドも人気があります。人は何でもできるようになるとかえってつまらなくなるところがあるのではないでしょうか。不自由なほうが、思い通りにならないほうが楽しかったり、きれいに、鮮明に写らないほうが、エモかったりするのです。...
どうして雑誌の表紙の人物はたいてい笑って写っているのでしょうか。まず、笑顔がいちばん好感度を与えるからだと思います。それと笑顔は人に安心感をもたらします。あなたとは敵ではないので争うつもりはありませんよ、ということです。でも、それを逆手に取って相手を油断させることもできますよね。笑顔は悩ましい、表情だと思います。さらにマスク顔は表情そのものが分からないので「マスクの下は笑顔です」という相手を信じる...
通りすがりの○△□240517・a dramatic fine day of May 6
「頭ごなしに写真とはこういうもんだ!と、自分の考えを押し付けてくる、おじさんカメラマンって、嫌だよね?」と言っている人がいたとします。そしてそのあとで、そのカメラマンおじさんは「そうじゃなくて、オレは写真はこうあるべきだと思うんだっ!!」などと言ったりするのです。ん?...
じつは写真そのものに興味がある人はそれほどいないのではないでしょうか。写真はイラストや絵のように腕前みたいのものがなくても手軽に自分の思うように描けるアイテムなのだと思います。それで、写真でいろいろ出来れば写真を作ることにもあまり抵抗がないのだと思います。写真は撮る時代から作る時代になって久しいのですが最初のころにあった、ためらい感みたいなものは無くなってしまったのでしょうね。何しろ、AIに話しかけ...
撮影しました。途中、ひどい露出オーバーになっていることに気づきませんでした。もっと早く気付けばよかったのですが。私はあまり撮影ごとにモニターをチェックしないからですがまあ、これはこれでいいかなと思って投稿します。...
通りすがりの○△□240425・いつものことだから いつものことだけど 8
毎年、7月7日が近づくとなぜだかワクワクしてきます。じっとしていても何かいいことがやってきそうな気分がしてくるのです。「たなばた」を「たなぼた」と勘違いしているんですね。天の二人には失礼なカメ爺です。そんな私の撮る写真ですから「たなぼた写真」です。運任せで、楽して「いい写真」を撮りたいという、他力本願の虫のいい話です。でも、世の中はもちろん、写真の世界もそんなに甘くはないのでした。...
晴れの日は影の部分がつぶれたり光の当たったところが飛んだりしますよね。コントラストの強い、見た目はインパクトのある写真になります。曇りの日は光はフラットになるのですが見た目は少し大人しい感じのする写真になります。雨の日は、曇りの日よりはコントラストが付くようでメリハリが出るように思います。被写体の輪郭がハッキリしていいですね。それに、公園には人がほとんどいないのでとても撮りやすかったです。雨の日を...
いつもは雨の日の撮影は避けているのですが久しぶりに撮影したくなりました。予想で数時間は小雨の状態が続きそうなのでいつもの公園に出かけることにしました。左手に軽量の折り畳み傘、右手にカメラを握っての撮影です。その体勢で何とか撮影を続けることが出来ました。あとはいいカットが撮れていれば言うことがなかったのですが言うことはいっぱいあったのでした。...
世の中、「たら・れば」があふれているように思います。写真も例外ではなく「たら・れば」が元気です。「もう少し早くシャッターを切っていたら」「あの時、いい光線状態であれば」・・・...
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写真の投稿だけです。...
カラーは色が邪魔をするからと言われていますがモノクロは線や形が邪魔をする気がします。黒い、あるいは白い線や形が目立つのをモノクロで避けるのは難しい気がするのです。...
誰にでもわかりやすい言葉で説明されると何となく分かった気になりますよね。例えば、ネットで見かけた次のような言葉です。「いい写真は伝わる写真、伝わるってどういうことかっていうと、あとで撮ったときのこと、感情とかを思い出せること」。分かりましたか?要するに「いい写真=伝わる写真=思い出せる写真」ですよね。でも、伝わると思い出せるは違う気もするのです。伝えるのは普通、相手の人、他人ですよね。伝わるなら、...
写真は基本的には横位置で撮ったほうがいいと思います。そのほうが情報が一杯写ると思います。縦位置は隙間から覗いているように感じるので除き写真になりやすい気がします。...
人を撮る時には適切な距離感を考えて撮りましょうというアドバイスがあるんですね。近すぎないようにということのようですが人によって違うのではないでしょうか。「適切な」という言葉自体があいまいな気がします。たいていの人はカメラを向けられると緊張するのですから数字的な距離は分からないと思います。...
寒いです。でもあと1週間で春です。確実に日差しの光量は増えています。今年は撮影にあまり出かけていませんがまあ、寒気の顔色をうかがいながら出かけたいと思っています。...
以前は憧れの写真家がたくさんいました。この人のような写真、撮りたいなあと目標にしました。でも、今、そのような人がいなくなってきています。まあ、自分は成れないというのが分かったこともあります。もっと早く気づけよ!です。その一方で、ガッカリすることも起こるようになりました。偉そうですが・・・。例えば、世界の森山大道です。森山さん、人気が出るにつれて「アレ?」でした。トイレの設計に参加したり、カレーのパ...
進歩というのは、実質的にはあるのだろうかと思います。良くなったところには目が行き喜んでいても必ずどこかで不都合が起こっているからです。写真もデジタルになったことを進歩と捉えることも出来ますがその反面、つまらなさも増した気がするのです。それを証明するのがフィルム人気ではないでしょうか。人は10歩進むと影は10歩下がるのだと思います。...
記憶という、あいまいで、無責任で、独りよがりのものに人は振り回されているように思えます。なぜなら記憶は感情とセットですからありのままの記憶というのはないのではないでしょうか。その記憶を裏付けるものなんてもうこの世にはないのですから事実を証明することは出来ないんですね。唯一、写真はそう思われていますが写っているのはカメラの前にあった一瞬の平面画像です。撮った本人は記憶を再現してみることは出来るのです...
いろいろ定義があるのですが「スナップ写真」とは「切羽詰まり写真」だと思っています。どこをボカすとか、どこにピントを合わせるか、構図は?とかアレコレ考える余裕がなく撮るのが「スナップ写真」です。実際は何かを考えているのですが感覚的には、サッサと撮ることだと思っています。...
写真の投稿だけです。...
言うまでもないことですが写真は視覚の表現です。今は視覚が過度に目立つようになりました。音楽にしろ、グルメにしろ視覚も重視されています。それでも、人間は五感の生き物であり視覚を支えているのは触覚だということを忘れたくないと思います。...
写真でポイントになるのは写らなかったコトやモノなんですね。正確には写せなかったコトやモノです。写ったコトやモノはそれほど取り上げることではないのかもしれません。あくまで写真というイメージなのですから。あくまで写真上の演出なのですから。...
写真で1カット、1カット、すべてが傑作でなくてもいいと思っています。サビばかり続く曲って、疲れますよね。...
写真の投稿だけです。...
写真の投稿だけです。...
不便さの中にも豊かさがあります。便利さの中にも貧しさがあります。写真を取り巻く諸々がそのことをよく分からせてくれていると思います。...
写真の面白いところは見せようとすると、相手には見えにくくなってしまい見せまいとすると相手に見透かされてしまうところです。伝えたいと工夫し過ぎると伝える内容よりも、ウケたいという本心が見え見えになってしまうように思います。「秘すれば花」とカッコつけてもその花は枯れていたり、造花だったりということはないでしょうか。...
エモさとノスタルジーは、よくいっしょに語られます。ノスタルジーは過去に結びつけられもう今の日常の中では取り戻せないという希少感がココロを揺さぶらせるのです。過去には時間という重みがあり進行形の今、現在は薄っぺらく感じさせます。デジタルがいくら威張ってもフィルムの持つ歴史の重さには叶いません。デジタルはどれだけ豪勢でも軽すぎるのです。...
「一を聞いて十を知る」という言葉があります。察しがいい人に対して使ったりしますよね。ところで写真です。一枚の写真から十を知ることは出来るのでしょうか。よく写真はストーリーだと言われるのは見た人が自分の見たいようにその人なりの九を加えて見ているのだと思います。一枚の写真にストーリーを読み取ろうとするのはほとんど無理だと考えたほうが写真は面白くなる気がします。ストーリーは動画のほうが合っているのではな...
写真はカメラマンがほとんど関われないメディアだと思います。自分が作り出したものがほぼ無くても成立するからです。被写体・・・料理など自作のものって限られますよね。カメラやレンズ・・・まず無理です。器用な人が作るとしたらピンホールカメラではないでしょうか。お天気・・・神様、お願い!そうなんです。自分が撮った写真がカッコいいと褒められたたらそれは被写体がカッコいいからなんですね。カメラマンは自分が撮った...
人は複雑すぎることを嫌います。たいていは面倒くさいことは嫌なのです。人は簡単すぎることを嫌います。たいていは物足りないのが嫌なのです。人はややこしい生き物だと思います。写真も簡単に綺麗な写真を撮れるようになりましたがただの簡単を通り越し、超が付くくらいの簡単になりました。簡単が人を追い越してしまったと思います。「お~い!待ってくれ!」たぶん、待ってくれないと思います。落ち着いて考えている暇はありま...
写真ではよく「ストーリーがあって、いいですね」などと言う感想が聞かれます。写真に限らず人はストーリーが大好きです。あらゆることにストーリーを見出します。ドラマ、ゲーム、スポーツ、ゴシップ、アート・・・ストーリーの中に入り込むことで「退屈」という名の存在から逃れることができるのです。...
フェイクというのはニセモノのことですよね。と言うことはホンモノが存在するわけです。そうだとすると写真そのものもフェイクなのかもしれません。被写体=ホンモノとすればです。人物の写った写真を破いても「痛い!」なんて叫ばないです。写真を使ったフェイク画像がニュースになったりしますがそれが問題視されるのは社会にマイナスの影響を与えるからです。でもふつうは写真は思い出であったりするわけですから写真そのものが...
言葉は「それ」の代わりをしてくれるので省エネにぴったりのアイテムです。何しろ「それ」についていちいち説明にエネルギーを使わなくても済みます。「アレ」は「アレ」なのですから。写真でも「上手くなりたい」と言えば「分かりました」と言ってその方法をいろいろ教えてもらえますよね。でも「上手くなる」って何なのでしょう?バエる写真が撮れるようになることいいね!がたくさん付くようになることフォトコンテストに入選す...
「写真する」=「カメラを持って撮影する」ではないと思っていますカメラを持っていなくても、「写真する」ことはできるのです。「写真を撮る人」=「写真家」ではない時代なのですから。...
デジカメになって、さらにスマホカメラになってモニターを見て写真を撮るほうが圧倒的に多くなってきました。でも、個人的にはファインダーを見て撮るほうが写真を撮っている気がするので、そうしています。一時期、モニターを見て撮っていましたが被写体を視線で優しく押してる気がして頼りない感じがしました。写真はシャッターを切るという言い方があるようにもっと鋭利な感覚が伴うものだと思います。それにはファインダーを覗...
写真を撮ろうと思うならものをよく見なさいと言われます。でもよく分かっていないものは目には入らないのではないでしょうか。見たいものを優先してみている以上、ものを平等に、よく見るのは困難な気がします。...
「雨の日こそ、写真を撮ろう!」のような記事を見かけます。なるほど雨の日は、しっとりした情感のある光景になりますよね。晴れの日はコントラストのきつい、よく言えばメリハリの利いた画面、別の言い方をすれば、ちょっとキツイ画面になります。どちらがいいとかではないのですが個人的には雨の日は、めったに撮影はしませんね。カメラに雨は大敵というのがあります。傘をさしたりして対策はできるのですがそこまでして・・・と...
私の写真は横位置ばかりですが縦位置で撮るのが苦手です。縦位置はどうしても画面が上下に分割されてしまうように感じます。それと縦に長いものだから縦位置で撮るのも少しストレートすぎる気もします。縦に長いからこそ横位置で撮る・・・そういう発想の写真もあっていいかなと思っています。縦位置は視線を集めやすい気がしますが逆に言うと扱いの難しい画面ではないでしょうか。...
写真を撮るということは画面を整理して撮ることとイコールではないと思っています。画面を整理するという発想は構図法を不可欠のように思わせてしまうのではないでしょうか。それが間違っているとは思いませんが写真を撮るということをフレーミング作業、つまり切り取るという感覚で見たほうがより適切ではないかと思います。なぜなら写真を撮るというのは誤解を怖れずに言うと、ある意味で暴力的なことだと思うからです。繋がった...
見てあっさり分かってしまうと物足りないです。見てまったく分からないとイラ立ちます。写真の話ですが中間の落としどころが悩ましいです。...
私自身も以前はよく言っていたことなのですが今、違和感を感じるようになったことがあります。「下手だけどいい写真を撮れればいいんですよ」という言い方です。特に上手い人、プロの人が言うのは少し違うのではないかなと思うようになったのです。下手であることを悩んでいるのに上手いことで余裕のある人からのアドバイスとしてはふさわしくない気がします。やはり単刀直入に「こうしないと上手くなれませんよ」と教えてあげるほ...
写真を4つに分ける考え方があります。①うまくて良い②うまいけどダメ③へたでダメ④へただけど良い・・・だそうです。なるほどと思うのですが、そんなに単純でもない気もします。うまい、へたを技術的な面では言えても表現的にうまい、へたというのは微妙ですよね。まして、良い、ダメというのはさらに分かりにくいです。良い、ダメはとても主観的なのです。ほとんど好き、嫌いと言い換えてもいいようなことが写真の場合、頻繁に起こ...
写真の世界もずいぶん窮屈になってきたなと思います。写真の世界もずいぶん不自由になってきたなと思います。それはたぶん、昭和カメ爺の感覚であって時代錯誤なのでしょうね。それでも、デジタルになって多様な写真表現が可能になったと思うのですがなんだか一様な写真表現へ向かっている気もするのです。昭和カメ爺のどうでもいい独り言でした。...
行ってきました。誰かに「行ってらっしゃい」と言われた気がしたので。多分、幻聴だと思います。歳は取りたくないですね。写真は撮りたいけれど。...
ネットで見かけたコピーで気になったので書いてみます。「うまくてダメな写真・・・」???えっ?上手いことがなぜダメなの?上手いことは十分、価値があることなのに。そうではなくて「うまいけれどダメな写真・・・」のようです。結局、上手いということと、いい写真は別のモノなのに一つの文章で言うとややこしくなるんですね。上手いの反対語は下手でわかりやすいのですが、いいは良いではありません。良いの反対語は悪いなの...
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夜、といっても夜の入り口で帰宅したので何とも言えないのですがミナミ、難波もずいぶん変わったなと思いました。昼間の撮影は時々しているのですがその時感じなかった空気みたいなものがありました。暗くなってきて照明の明るさに変わったこととは別に自分はここにいるという感じがしなかったのです。よそ者というのでしょうか、ふさわしくないというのでしょうか。まあ年齢的なことが大きいと思います。それでも、ミナミはミナミ...
写真の撮り方を説明する時に「画面がゴチャゴチャしていると伝わりにくいのでちゃんと整理して撮りましょう」と言われます。何気に聞いていると正論なのですが、最近になって「整理」というのは少し暴力的な意味合いに思えてくるようになりました。「そこ」は「そうである」訳ですから、人間側、つまり写真を撮る側が「そこ」を自分の都合で変えないほうがいいと思うのです。仮に人間側から見てゴチャゴチャしていても「そこ」が「...