[MV]あいさつメタル/ザ・リーサルウェポンズ&マーク・ハドソン(DragonForce)絶望をぶっ飛ばしたい人たちがあちこちにいるんですね。[MV]あいさつメタル/ザ・リーサルウェポンズ&マーク・ハドソン(DragonForce)
埼玉県所沢市にある椿峰でまちづくり活動に参加しています。その暮らしのあれこれを紹介いたします。
社会は変革のときを迎えています。 私たちは個人として力を蓄えつつ、多くの人たちとつながって行く必要があります。 それゆえ、地域で身近な人間やものに目をしっかり向ける必要があるのではないでしょうか。
このレストランに隣接して、ハーブとバラの「三富月の原ガーデン」が広がっていました。三富は「さんとめ」と読みます。川越藩主柳沢吉保によって開拓が奨励されたこの地は、やはり日本の農業にヒントがたくさんあるように思われます。柳沢吉保は武田遺臣の家系であるとのことで、日本の隠れた一面を持っているといえるのでしょうか。冬に咲こうとするバラに元気をもらうこともあるんですね。どうぞ「柳沢吉保」の検索をお願いいたします。彩の国からその3
パルシステム埼玉の三芳センターで「委員の集い」という勉強会があり、商品開発されたうどんと海鮮丼を試食しました。仕事が忙しいときに安全安心かつ時短でできる食品の開発がいろいろとされています。この集いの後、地区会のメンバーの方の車でセンター近くのお店に連れて行ってもらいました。「農園レストラン伊左衛門」です。たいへんおしゃれなイタリアンレストランでした。広々とした空間です。サツマイモの焼きプリンと狭山和紅茶です。新しい農業のヒント満載のような。埼玉は都会と田舎がミックスしたところです。不動産価格が割安。在宅で仕事をされる方たちにお勧めです。彩の国からその2
11月23日は川越・氷川神社に出かけました。孫の七五三のお祝いです。お天気に恵まれて、たくさんの人たちで賑わっておりました。朝から着付けなどで疲れたらしく、普段はあまり泣かないようなのですが、到着してしばらくぐずっていてどうなるかと思いました。氷川神社境内には柿本人麿神社がありました。お祝いの食事は、料亭山屋でいただきました。城下町川越は、手入れされた古い建物と庭が残っているのですね。駅からすぐ近くなのですが、落ち着いて静かな空間でした。ここでは孫は着替えてご機嫌で、さっそく神主さんのまねをしていました。川越も所沢も日帰りでは見逃してしまうところがけっこうあります。ぜひ宿泊でお出かけください。彩の国からその1
11月7日から10日まで青森に出かけてきました。久しぶりで、その分、老化が進んだのか、帰ってから喉が痛くだるい症状があって、また味覚がおかしくなったのでコロナにかかったのかもしれません。病院には行かずに自宅で自粛しておりました。青森ではあまり写真を撮ることができませんでしたが、紅葉がきれいでした。堤橋の陸橋に上ってみました。階段がちょっとこわかったです。堤川と八甲田山です。このころは、青森も暖かかったのですが、その後急に冬がやってきたようで、きょうは荒れ模様の天気のようです。青森の皆様、雪との戦いが始まっているようですが、どうぞ乗り切ってくださいますように。ふるさとは今もかわらず
義姉の遺品整理の中で、最期まで手許にあった手作りの布製の袋に、テッシュや楊枝などが入っていて処分しようと思ったら、ノートから切り取った1枚分の名簿がありました。私が主人と結婚したころ、戦前からの家の1階に義母と長姉が、義姉は2階を増築して住んでいました。長姉が亡くなって、義姉はその2階を大学生1名に貸して家賃収入を得ていて、その記録だったのです。1982年から1995年の震災まで、平均2年間、家賃35000円で7名の方たちに貸していたようです。主人はそれほど達筆ではありませんでしたが、義母と義姉たちは丁寧で美しい文字を書く人たちでした。ここ数年は高齢になって字も弱ったようにみえたりしましたが、この名簿を書いたころはまだ50代から60代なのでしっかりした記録になっています。7名のうち、男子3名、女子4名で、...義姉の場合〔7〕
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上の姉が亡くなってから、義姉は義母と下で暮らすことにして増築した2階部分を学生に貸しておりました。以前の記事義姉の場合〔7〕はhttps://blog.goo.ne.jp/dorci/e/63ef7061b3fb8f1f2ae5919d54819a3aこのときは写真のアップができませんでしたので読みにくいかもしれませんが・・・・2024年10月神戸その2
義姉が亡くなって1年が過ぎ、神戸の家をどうしたらよいか息子たちとも相談して、売却することにしましたが・・・・さて。義姉はアルバムを整理してあって、手元に残した数枚の写真は家族のものでした。考えてみれば両親と4人の子どものうち、義姉は最後になったんですね。80年ほど前の写真です。父親と。母親と。両親は共に小学校教員でした。姉と。この姉は59歳で亡くなりました。弟が震災前の家の玄関に。これが私の主人の子どものころになります。共働きで両親が建てた家で当時は平屋だったようです。妹はたまたま親類に預けられていたときに神戸の水害で亡くなったとのこと。4歳になる少し前の可愛い盛りだったようで、つらい思い出だったからか、妹の写真は以前にも見たことがありません。義母は晩年、その妹の死のつらさを何度か語っていました。親類の女...2024年10月神戸その1
広島駅に到着し、レンタカーを返却してそれぞれが夜のうちに新幹線に乗るためekieで食事をすることにしました。旅行中は生ものは控えるようにしているのですが、広島にやってきたからには、ということで鮨広島あじろやekiet店へ。あれこれおいしくいただきました。広島は穴子がとりわけおいしく感じられます。魚の研究をしている二男には、魚の養殖の話をよくきいたりします。最近は、錦鯉についても研究しているとか。外国人観光客ばかりが日本の食を楽しみ、国民はインスタントの食品や輸入食品多の食事が多くなっているということでありませんように。女性の社会進出のためには、定食が食べられるような地域の食堂が必要なのではないでしょうか。2024年10月広島その10
広島市内のどこかを見学する時間はあまりなくて、最近長男の設計事務所が手掛けた建物の外観をみるだけにしました。経験の乏しい設計事務所に依頼していただけるのは本当にありがたいことだと思います。広島は水の都ともいわれて、1945年の8月に原爆投下、9月には台風による水害があったとのこと。たいへんな時期を経て広島は不況にも負けないような都市になったようにも見えたりします。なるほど橋を架ける技術は昔からのものであったんですね。広島が橋を架けるスキルをもっている、ということも国際的に知られてよさそうです。2024年10月広島その10
呉市街地を通って広島へ戻る途中、呉港に複数の潜水艦を見かけました。こちらは見つけた動画です。↓2022海上自衛隊呉基地5月14日(土)潜水艦呉基地~呉港JMU呉を覗いて見る👀?平和憲法を有する日本は、核廃絶ではなく戦争廃絶を訴えるべきではないでしょうか。2024年広島その8
こちらが倉橋町の春日神社です。主人の両親と長姉、妹が眠るお墓に、10年前に主人、今回は姉の分骨を納めてようやく肩の荷が下りた思いがしました。今回はよく晴れてお墓のあるところから海がよく見えます。主人の従兄の息子さんが地元企業を退職され、春日神社の宮司をされていてご夫婦と長男のお嫁さんと娘さん、5人のお孫さんたちとお会いできました。5番目のお孫さんは生まれて退院してきたばかりでした。一室がお孫さんたちの保育室のように使われていました。みな奈良時代の人たちの整った顔立ち‥‥のように思えたりしました。もうすぐ100歳になられる母上は、5人目のひ孫さんが生まれるとのことで高齢者施設へ短期入所をされているとのことでした。その母上、奥さんは退職されましたが、娘さんも小学校の教師をされていて、子育てを楽しまれているのよ...2024年10月広島その7
桂濱神社に参拝しました。狛犬も独特の表情をしています。本殿は室町時代のもので国の重要文化財となっているとのこと。桂濱神社について詳細に解説されたブログを見つけました。↓桂濱神社(呉市倉橋町) 旅人のブログ室町時代建立の本殿桂濱(かつらはま)神社の本殿が、室町時代の建立と知ったのは、数年前の事ですが、古いも旅人のブログこの桂濱神社と私たちがこれから訪問する同じ倉橋町にある春日神社とは親戚関係にあります。先代の春日神社の宮司をされていた主人の従兄の神葬祭はこの桂濱神社の先代の宮司の方によって行われましたが、遠い昔の絵巻物か何かのような思い出となっています。倉橋島のようなところには、都会とは違う時間の進み方があって、ついつい都会は最先端だと思ってしまっていることを気づかされるというか。2024年10月広島その6
2019倉橋島桂濱神社例大祭VR360広島弁が聞こえてきます。秋田の「なまはげ」にも似たところがありますね。2019倉橋島桂濱神社例大祭VR360
目的地は倉橋町の春日神社でしたが、少し早く着いたのでもう少し先にある倉橋・桂浜に行ってみることにしました。松林が立派です。美しい海が広がっています。長門の船の歴史館もあるようですが、ゆっくり見学する時間がなくて・・・昔には倉橋島ではなく長門島として万葉集にも登場しているとか。初めてこの桂浜を訪れたとき、帰りに高知・桂浜に寄りました。今や高知のほうが有名だったりするようですが、倉橋・桂浜はどこか神秘的というか謎めいて感じられるのは奈良時代から平安時代にかけての歴史のせいでしょうか。ネットで見つけた記事です。↓倉橋・桂浜、白い砂浜と松原の歴史感じる施設桂浜は、倉橋島(広島県呉市)にある美しい砂浜。「日本の渚百選」にも選定されており、夏には穴場的に海水浴客の利用もあり広島ニュース食べタインジャー2024年10月広島その5
10月12日午前11時広島新幹線改札口集合としていましたが当日は国内外の団体の旅行客がひっきりなしに駅からバスへと移動していましたので、どうなるかと思っていましたが、なんとか息子2人と会うことができました。息子たちがレンタカーを借りに行っている間に、広島駅直結の商業施設ekie(エキエ)にある驛むすびというお店で広島菜とじゃこむすび、穴子むすび、お茶のパックを購入しました。2024年10月広島その4
ラヴェル/ボレロ|沖澤のどか-NHK交響楽団ラヴェル/ボレロ|沖澤のどか-NHK交響楽団
広島駅周辺をパチリ☆歩道が広くて、よく整備されている感じです。全体としてしっかりした建物が並んでいて、かつての軍都の面影が感じられたりしました。所沢の我が家のお隣のご主人が広島出身の方で、もうだいぶ前に亡くなられましたが、四国への橋などの土木関係の仕事をされたという思い出話を聞いたことがあります。ふと広島の方は橋を架けるといった仕事が得意なのか・・・・と思いました。2024年10月広島その3
広島での宿泊は広島ガーデンパレスで、私学共済の年金受給者証が使えたりします。主人が存命中にも何度か泊ったことがありました。駅から歩いて5分とのことで、方向オンチなので夜9時過ぎの暗い中で迷ったらどうしようと心配でしたが大丈夫でした。以前はあったホテル内のレストランがなくなり、また朝食もお弁当とのことで素泊まりということになりました。夕方に大きなお弁当を食べても、眠る前におなかがすいていましたがそのまま寝てしまいました。朝起きて近くのコンビニに出かけてサンドウィッチを購入。広島ガーデンパレス周辺をカメラでパチリ☆後ろの建物は創価学会広島池田平和記念会館のようです。故池田大作氏は平和を第一に望んでおられたようですね。建物が顔に見えたりします。広島弁は元気よく感じられます。広島のお酒はおいしいとか。広島はモダン...2024年10月広島その2
義姉の納骨は所沢で済ませましたが、まだ広島の分が残っておりました。ようやく秋めいてきたので、息子2人と10月12日午前11時に広島駅新幹線改札口集合ということになりました。青森や神戸を往復していたころに利用できればよかったのですがようやく「大人の休日倶楽部」の手続きをして、新幹線のグリーン車特急券と乗車券を前もって購入しておきました。お盆などの期間を除き、東海道新幹線は2割引き、東北新幹線は3割引きとなります。私は前日11日、16時3分発の新幹線岡山行き新神戸乗り換えで広島に出かけました。午前中美容院に出かけ、そのあと急いで東京駅へ。キャリーバッグと大きめのバッグを持っての移動で、無事新幹線に乗り込み席についてほっと一息・・・・そこは、横浜で乗ってこられたご夫婦の席で、私はその後ろの席だったのです💦💦「も...2024年10月広島その1
高波の中どう救助するか?~日本漁船から救助要請~【海上保安庁第二管区】高波の中どう救助するか?~日本漁船から救助要請~【海上保安庁第二管区】
日本育ちのアメリカ人が経験するアメリカの現実!日本とアメリカの人種に関する考えからの違いとは?日本育ちのアメリカ人が経験するアメリカの現実!日本とアメリカの人種に関する考えからの違いとは?
埼玉・三芳町にある「三富今昔村」へ。広くて、子どもたちが自然や生き物にふれる場所としておススメです。ミニSLやまゆり鉄道三富今昔村(YouTubeより)私までこのミニSLに乗ってみました。2024年所沢「母の家」からその5
埼玉・入間市(だと思いますが)の茶畑です。水田同様に美しい光景です。緑茶の効用はすばらしいものだと感じます。先人に感謝を。2024年所沢「母の家」からその4
長男と孫が来ているとき、新潟にいる二男もやって来て車を運転してもらって、まず墓参りに出かけました。相似形みたいな後ろ姿というか。今年の夏は長く暑かったですね。2024年所沢「母の家」からその3
10月5日は、義姉の家に出かけてご近所のSさんにご挨拶、遺品整理の検討、自治会費の支払いをしました。自分の家の片付けが済んでいないのに、義姉の使っていたミシンを持ってくるとなるとと考慮中。主人の著書「ヒトラーの青年時代」を主人が送っていたのとは別に3冊ほど買い込んでいたのにびっくり。それぞれ別の本屋さんのカバーがかけてあって、売れ行きを心配してくれたんでしょうか。かなり高額な本だったので申し訳ない気がしました。長男や私の本もありました。義姉の亡くなった友人に服飾関係で大学の教員の方がおられたようですが、義姉もどこかではもっと勉強をしたかったのかもしれません。建築などについてはかなり詳しかったのを思い出します。Tさんご夫婦と一緒に、義姉がお世話になっていたグループホームへご挨拶に伺いました。行き届いた施設で...義姉の場合〔6〕
10月3日の昼、クレリ灘ホールへ出かけました。横たわった義姉は義母そっくりに見えました。生前はあまり似ていないように思っていたのですが。義母は昔の小学校の教師だったので威厳といったものをよく感じましたが、義姉はその母親に反発していたことがよくありました。義母の口から、自分が他人に頭を下げて頼むことができなかったために、娘たちは結婚しそびれてしまった・・・・・と聞いたことがあります。担当してくださる方と打ち合わせをして、その後Fさんと娘さんが来られました。Fさんは東北の出身の方で、義姉に悩み事をいろいろと相談していたようです。お2人で涙を流してお別れの言葉をかけていただきました。義姉にとって、ありがたい家族のような存在であったのだと思います。10月4日の葬儀・告別式のスケジュール表は以下のようになりました。...義姉の場合〔5〕
高齢になってくると、病気見舞い、介護、葬儀といったことで出かけることが多くなり、疲れで気分が落ち込み、体調を崩すといったことになりかねません。姉や妹がいない私の場合は単独行動になるので、気分転換を兼ねて窓からの景色がよいホテルでの連泊で、そのようなときをしのいできました。観光旅行も行けなかった、と後々に嘆くことの防止にもなります。たとえば、ホテルオークラ神戸がそういう宿泊には便利です。遊覧船やクルーズ船が見えたりしました。今回は、観光シーズンでホテルも外国人旅行客や団体客で混んでいたりすると時間が心配になったりするので、思い切ってルームサービスの朝食付きにしてみました。こういった非日常の贅沢は、ブランド品の買い物よりも安上がりで薬になるような気がします。義姉の場合〔4〕
今年の2月にだいぶ衰弱しているのでそろそろ準備をという連絡を受け、義姉は長く生協の宅配を利用していたので神戸の生協関連の葬儀社を調べました。家族葬では「クレリ灘ホール」というところがよさそうだと思い、パンフレットを取り寄せ、連絡のタイミングや大まかな費用の見積もりなど教えてもらうことができました。その後、回復して行事に参加したりしている、発熱している、といったよくなったり、悪くなったりの報告を受けて、洋裁の弟子で娘のような存在であったFさんや息子たちが義姉の見舞いに出かけてもらうことになりました。グループホームからは毎月の請求書と共に担当の方の報告と医師の治療や必要品の領収書などが郵送され、イベントの写真もあって、丁寧な介護をしていただいて過ごしているのがわかりました。コロナに感染して施設内で治療を受けた...義姉の場合〔3〕
ひとり暮らしをして、神戸市灘区で在宅介護を受けていた義姉が徘徊が始まったとのことで、介護の仕事もされているTさんのお世話でグループホーム「サンライフさくら魚崎北町」に入居したのは2年前の3月のことでした。コロナ全盛期のころで、なかなか神戸に出かけられず、Tさんご夫婦に入居の荷物運びなどをお願いしてまずは一安心。それまでは、やかんをかけて火の消し忘れをしたとか徘徊の兆候が見られたとかで、ケアマネージャーさんにさまざまにお世話になっておりました。義姉は用意のよい人で、私に葬儀代の通帳を預けており、当分はその通帳から施設の費用を毎月払うことにしました。コロナ禍のため、出かけられないでいるうちに認知症が進み、耳が遠かったこともあって、本人の意思というものが確認できない状態になっていたためです。また、施設の入居にあ...義姉の場合〔2〕
2014年に亡くなった主人の姉藤村攝子(ふじむら・せつこ)が9月29日に97歳で兵庫県東灘区のグループホーム「サンライフさくら魚崎北町」で老衰のため他界いたしました。生前、お世話になりました多くの方たちに心より御礼を申し上げます。義姉は結婚適齢期と戦争が重なったせいもあって、独身で過ごしました。洋裁の腕を磨き、たくさんの仕事をこなしたようです。手持ちのアルバムから、神戸の震災後に仮設住宅の前で、見舞いに出かけた主人と一緒に映っていたこの写真を選びました。70歳ぐらいのはずです。神戸市灘区の平屋の住宅に2階を増築し、学生が1人下宿していて震災で全壊。その前年に義母が亡くなっていて、義姉とその学生の方は無事であったのが不幸中の幸いといえるかもしれません。この写真の洋服は自分で作ったものだと思われ、気力も充実し...義姉の場合〔1〕
工事車両が我が家のそばに止まったので出てみたら、お隣の電話引き込み線を外す工事だとのこと。コンパクトな工事車両です。婆さんが工事車両の写真を撮るのは、ちょっと珍しいかもしれません。工事車両は頼もしい気がします。最近、最近の固定電話は停電で使えない場合があります。災害時、携帯電話がつながらなかったこともありました。工事の方に聞いてみたら、停電でも使える高くない固定電話があるとのこと。時代が進むと、効率化でかえって災害時に通信手段を確保するのは難しかったりすることもありそうです。あるいは電話で詐欺や脅迫などの犯罪が増えていくことがあるのかもしれません。経済的に行き詰った日本がいつの間にかどこかに切り売りするみたいなことになりませんように。電話線工事
お彼岸のお墓参りに出かけました。残暑が厳しく、いつもより花や樹木が弱っているようにもみえます。ヒガンバナです。ニラの花はさすがに元気です。我が家の墓は高台にあり、所沢市内がはっきりと見えます。10月に移転予定の明生病院です。主人は何度か入院し、私も貧血の治療で通院してお世話になりました。いろいろなことが思い出されます。跡地には、別の病院と複合施設が予定されているとか。9月24日のまち
主人の遺した本やコロナ禍の引きこもりで購入した本など本棚からあふれてしまっていて、ここのところ何度か「松尾堂」さんに買取をお願いしております。主人は気になる本にシールを貼っていました。太宰治関係の本がだいぶ集まりました。松尾堂さんは行政書士の資格もお持ちだとか。高齢化社会に頼もしい仕事をされています。こういった仕事はさまざまなご苦労があるようで、またコミュニケーション能力も必要のようです。最近の若い方たちには国語力というものが不足しているとか。スマホを見つめる時間を減らして読書へどうぞ。未知の世界で大きな発見することが必ずあって、あなたの能力を引き出してくれることになるでしょう。読書の秋に
今年度は自治会役員であるため、椿峰小学校で行われたこの地区の総合防災訓練に久しぶりに参加しました。自治会であらかじめ回覧で参加・不参加を記入してもらい、名簿作成して、ということなのですが、残念ながら防災委員長と自治会役員の5人だけの参加となりました。隣接する北打越町内会では家族で参加されている方たちも多く、高齢者が多い私たちの自治会はいざというときには大きな自治会にくっついていくことも考える必要があると思い、顔見知りの方たちに挨拶をしたりしました。自治会だけではなく、地域のまちづくり活動はけっこう大事そうです。高齢になると、体育館にすわる、ということもけっこう苦痛になるのですね。折りたたみ椅子が高齢者用に用意されていたので借りました。災害用のトイレやテントが展示されていました。この日も暑かったので、日陰で...9月2日のまち所沢市総合防災訓練
猛烈な残暑と感じられる8月28日、29日に「所沢エイジングサポート」の皆さんにお世話になって、無事荷物の移動ができました。午前中3時間、28日は6人、29日は4人の方たちにお世話になりました。思いがけず、2021年5月から2年3カ月ほどの長い仮住まいからの帰還です。28日の朝の朝顔から、激励されているようにも思えたりします。この朝顔の苗は、JAいるま野日所沢西支店に隣接してあった所沢西農産物供給所の閉店セールで購入したものです。長男の設計した部屋にあった棚をとりはずし、スライド式の本棚を設置してもらって、やれやれです。記憶力にあまり自信がない私にとってはこの本棚を手放すことができないからと、なんとか認めてもらいました。主人の遺した本は仮住まい中に処分しようと思っていたのですが、箱詰めのままに戻ってきたりし...戻りました。
椿峰コミュニティ会館別館ホールで、地区計画の移行に向けた地権者説明会が主催:椿峰まちづくり協議会(オブザーバー:所沢市街づくり計画部都市計画課)第1回8月18日(金)18:00~20:00第2回8月19日(土)14:00~15:30第3回8月20日(日)10:00~11:20に開催されました。出席者・椿峰地区在住者・地権者など:第1回14名、第2回20名第3回22名合計56名・所沢市:所沢市街づくり計画部都市計画課、所沢市街づくりアドバイザー椿峰まちづくり協議会から、これまでの経緯と住民意向調査の結果の説明があり、所沢市街づくり計画部都市計画課から、周辺の地区計画区域および今後の流れについての説明がありました。質疑応答では、以前と重なるものもありますが各回に質問をしてみました。以下は私の質問に対する所沢市...椿峰ニュータウン地区計画地権者説明会
狭山丘陵での風があって、木陰になった主人の墓で、草取りができました。墓石会社の方から、しばらく経つと字がはっきりしてくると聞いていましたがなるほど、と思います。家に主人が植えたサカキ(モドキ?)を供えましたがこの暑さで・・・・・「瞬」とは?限りある時間を大切に、ということでしょうか。あるいは、一瞬で命を奪うような兵器は作るべきではないということを訴えているようにも思えたりします。17歳で広島の原爆に遭遇した主人の名前に「瞬」の字が使われていたというのは不思議な気がしたりします。2023年8月16日墓参りなどその4
近くの新しいお墓に、白い聖マリア像がおかれています祈りとは無限に広がるものなのかもしれません。2023年8月16日墓参りなどその3
ヒマワリは葉が黒くなって辛うじて立っているような。ヒマワリはウクライナとロシア双方の国花だとか。何かを訴えているような気がしました。2023年8月16日墓参りなどその2
暑い日が続き、なかなか墓参りができませんでしたが、8月16日午後3時過ぎに何とか出かけました。サルスベリはけっこう元気よく咲いています。ポーチラカも何とか。ヒガンバナの新しい種類のものなんでしょうか。白いユリが咲いていました。コスモスは咲き始めだったんでしょうか。畑仕事中の女性の方が、暑さで土かけなどの作業ができなかったと話しておられました。2023年8月16日墓参りなどその1
この夏の暑さがピークを迎えたころ、お向かいの塗装工事が始まり、職人さんが熱中症になったりしたとお聞きしました。カバーがかかっていて、日光の関係で残念ながら塗装工事の写真を撮ることができませんでした。台風が近づき、雨の予報がある日でしたが、足場の解体が始まりました。カバーシートを外したものを丁寧にたたみます。昔の足場よりも連結部が複雑なようです。黒い雲が出てきました。時々、土砂降りで中断しつつも解体が終わりました。こちらがその後に撮った完成の写真です。築40年でもしっかりしています。何度も洗濯を繰り返した木綿の生地のように、住宅も古い方が落ち着くということがあります。材料高騰の折、良質の中古物件の選択もお考え下さい。埼玉・所沢小手指南M邸外壁足場解体工事
天井の断熱、2重窓の後付けは、前の工事でしてもらっておりましたが、今回は2つの洋室の壁紙と床貼り、和室の襖の作り替え、洋室の1つにっルームクーラーの取り付けをお願いしました。主人の使っていた洋室にあったスチール製本棚3つを解体し、2つを和室に移動するといったことを頼んでもよかったのですが、自分で少しずつ作業してみることにしました。スチール製本棚は、昔のものは頑丈だったりして解体に時間がかかりました。小さな家具などは解体でも組み立てでも、老若男女に関わらずできるようにするのが望ましいように思います。お盆前の暑いときに、壁紙や床の工事をしていただくことになりました。さすがに職人の方たちは手早く、きれいに仕事をされます。ある程度、時間の自由がきく仕事のようにも思います。なかなか若い方たちがこういった仕事をしたが...2階部分のリフォームでその2
仮住まいを続けておりましたが、ようやくこの8月の下旬に戻る予定にしておりまして、暑い中、少しずつ準備をしております。2階部分に一時的にたくさんの建築模型を預かっていたため、長男の設計事務所の若い方たちにそれを移動してもらいました。所沢から暑さで有名な鳩山までワンボックスカーで2回往復。2回でも運びきれるかと心配しましたが、さすが建築専門の方たちでサイズがいろいろの箱を詰め込むことができてほっとして・・・・写真を撮るべきだったのを忘れました。その後、2階から洋服ダンスと木製の本箱を粗大ごみに出すのに、運び出しをNPO法人「エイジングサポート」に依頼しました。粗大ごみの申し込みを市役所に依頼すると回収日と料金を示される→コンビニで粗大ごみ添付のシールを購入→エイジングサポートに粗大ごみの運び出しを依頼し、料金...2階部分のリフォームでその1
椿峰ニュータウン北自治会に隣接する小手指第6区自治会は大きな自治会で、いろいろな行事に近くの家族も長年楽しませてもらってきました。コロナ禍でしばらく行事の自粛が続きましたが、今年の盆踊り大会には多くの人たちが小谷公園に集まって、とりわけ子どもたちが祭りを楽しんでいたように思います。高齢になって、盆踊りや祭りとは亡くなった人や幼いころを思い出させたりするものだと感じたりします。楽しいひとときをどうもありがとうございました。ふと昔の盆踊りのあれこれを思い出しました。タイムスリップとはこんなところに入り口が?数年前よりは父親の子供連れが多く感じられました。また、コロナ禍の影響が長かったからか、男の子たちが全速力で周囲を走り回ったりするので、夏休みに事故が起こらないことを祈るばかりです。この調子で学校の廊下でぶつ...2023年7月22日小手指第6区盆踊り大会