きょうの詩は秋になっても夏が居座り、一向にChangeしないなかで思う秋へのラブコール。秋の中でこの秋ほど感情のない秋はなく夏という過去を引きずり愛してもいないのに別れようとせず私「もう限界」「別れて」告げる私から離れようとせず今日も私を抱きしめて離さない彼女との腐れ縁が秋になっても続く。離れない夏
きょうの詩は秋になっても夏が居座り、一向にChangeしないなかで思う秋へのラブコール。秋の中でこの秋ほど感情のない秋はなく夏という過去を引きずり愛してもいないのに別れようとせず私「もう限界」「別れて」告げる私から離れようとせず今日も私を抱きしめて離さない彼女との腐れ縁が秋になっても続く。離れない夏
きょうの詩は愛する人とのわかれに思う私の想い永遠の別れきょうあなたは私を一輪の花として育てその咲を見届け「良い花となって咲いたね」私に心のコアとなる愛を残していま寂しさのなかで静かに瞳を閉じ土に帰る私の愛する人きょう贈る言葉はさようならではなく私の口づけとありがとう。愛する人とのわかれ
きょうの詩は私の住む近くに在る対の銀杏の黄葉みて思う想い小雪の銀杏季節は小雪である。ああ・・・雨から雪を見る頃になって好きな銀杏を見れば小春日和の下で日差しを浴びながら一葉の色香が別れの彩となって纏い「そろそろお別れだね」別れの一文字を記した一枚を落とし私に話しかける小春の銀杏ああ・・・別れの季節か鮮やかに染まる小春の銀杏に過ぎを見る。銀杏の黄葉
きょうの詩は平常において溜まり心身の支障となる気分転換に思う思うオンとオフひとは緊張感を持ち続けていると心身は疲弊し疲れ自身の方向性を見失い苛立ち周りに当たるそのストレス解除には日々のなかでの気分転換によるリセットが必要そう時にはいまから離れONとOFFで遊びを作りたい。私の気分転換
きょうの詩は私の一日に思う詩、その始まりはいつも朝から一日の始まり私の一日が朝の目覚めから始まる。朝か・・・起きるか・・・それを二つの思いが私の足を引っ張り、睡魔に沈めようと誘う。悪魔のささやきそのささやきを散らす隙間の明かり。このともりから私の一日が始まる。一日は朝から
きょうの詩は秋の別れ彩を創る二人に思う詩染まる晩秋から初冬にかけて染まりを創るのは赤と黄の二人この二人がSoloでコラボで描く秋のオペラはSoloの序曲から始まり大合唱で終わる題名のないオペラオペラの主役は毎回変わるけれど私を楽しませ弄び最後は蛍の光で静かに幕を下ろしアンコールはない。色を創る二人
きょうの詩は町なかに植えられた落葉樹がみせる紅葉に思う詩町の染まり町の至る所に植えられた落葉樹が冬の訪れとともに染まり彼女たちはいまそれぞれの個性に合わせた彩で化粧し街中で社寺で公園でそれぞれが彩で競い美をみせるが声をかけられることなく最後は叫び散る。町の紅葉
きょうの詩は小春日和の温もりを壊す寒気の南下の遅さにホッとする詩訪問者あなたを待っていたわけではないが唯・・・11月らしい顔になってほしい思い来る頃かな・・・空をみて思うが来ずこの燃え始めた焚火の燃えが消えずによかったとホッとする冬の一日。寒気の南下
きょうの詩は降る雨で描くプランが崩れ坦々と過ごす私の一日に対する思い私の一日私の一日はその日の天気で変わりきょうみたいに雨なら途端にプランは失速しそのプランは破棄され頭に残る整理を行うのが常で意外と物事が捗るようで捗らない一日となって「できた」実感が伴わず翌日には元に戻るきょう一日が「ああ・・・やり終えた」実感が伴わない雨の一日。雨の一日
きょうの詩は町で、Soloで静かに楽しむ染まり町の染まり町に長く住んでいると里山が四季の最後に見せる多彩な色が愛おしくなってその人が街のどこかにいないかと求めてしまう私の哀しい性その人を求め歩く中で出会う町の篝火いさり火は燃えの叫びその炎は人知れず消える。町の紅葉
きょうの詩は四季のなかで息づく桜への想い桜に思う私が求めてやまない桜が春には口づけするように近づいて「待たせたね」と優しく話しかけて短い逢瀬を経て花散り後は濃い青葉が想い出のテラスを作り「秋」わかれ色となって想い出を空にまき散らし風に弄ばれて桜の四季が終わる。----私の好きな桜
きょうの詩は四季を通し付き合ってきて、いま別れの時を迎え思う沼杉への想い落葉の染まり寒水が温む春には水芭蕉が咲き生える沼杉に春が萌え夏には樹木を蔽う青葉が木陰を作り多くの族が集う沼杉の林に秋の別れの季節が訪れ染まる青葉が時の中で彩褪せて舞う冬彩に重ねるのは四季の中で繰り返した私の一期一会いま染まり散る一片に唇を重ねる私の別れ。染まる沼杉
きょうの詩は私のStress解消について思う詩私の気分転換私が生を受け成長の過程で生じる帰りから付き合うストレス多少のストレスは私を成長させ活性を生むが負荷はダメージを与えるその負荷の解消のため、私は四季を歩きためたストレスと四季の移ろいと交換し再び新たな一週間を過ごすこれが私のストレス解消であり気分転換。Stressに思う
きょうの詩は晩秋になり、私がよく行く寺の対の銀杏にも別れが訪れ冬に向かう想い。対の木春人目を避け二人で抱き合うように立つ対の木夏二人は適度な距離を保ちながら人が見ない天で愛し合い秋別れの時を察し別れの大粒の涙を落とし冬想い出を捨て別れ春まで静かに眠る対の木。対の銀杏
きょうの詩は晩秋になっても始まらない町の紅葉を求め歩くなかで出会う椛との一期一会、その走り彩に抱かれる立冬。色と出会う立冬を迎え秋も終わりか秋色に出会うことなくきょうは立冬冬か・・・落葉はいまだ別れ彩にならず青く別れ彩になるのはいつごろか自問し独り寂しく一期一会を求め歩くなかで出会う走りの紅葉を見初め遅い秋彩と抱擁を交わす立冬。染まる椛みて
秋に思うこと夏が恋煩いのように長引き北から秋の便りが届いても煩いは収まらず夏日が続くそのなかに秋のともりを探すがともりはなく青草が一面を覆いそのなかに秋あかりを九月の終わりに見て十月は草地に燃える花を見て次は紅葉を求めたが見ることなくもやもやしながら終えた晩秋。十月を終えて
きょうの詩は里山の秋彩、秋は北から、山の秋は山岳から、その始まりを知りそろそろか?知り歩く里山の森はいまだに夏彩が蔽う里山の秋秋か・・・そろそろ里山にも彩りを拾えるかな里山の森に秋を求めるがわかれの色は拾えずいまだに夏彩が蔽(おお)い秋の訪れを阻(はば)む里山の森秋彩に染まるのはいつこの思いに対し応(こた)えはなくまだその季節じゃないし森は清々しい表情で秋の唇を奪うあなたは当分来そうにない里山の秋。里山に秋彩をみる
きょうは椛蔦黄、本来なら降る雨に冷たさをみるが温く想い出を引きずる雨となっている椛蔦黄の雨空この雨は色づき始める雨となるか手のひらで受ける雨は温かく北の冷たさはなく夏の思い出を引きずる雨で冬を知る染まりに会えるのはまだ先になるかそう思うと気分は沈み憂鬱(ゆううつ)になる夏彩を消さない今日の雨空。温い雨
きょうの詩は生あるものに来る老いイコール朽ちに対し私が思う詩私の朽ちひとは誰でも老いていくそれは否定できない事実であり宿命そう生あるものは成長し花を咲かせ種子を残し枯れて朽ちるそれが自然の摂理だからそう考えると今の私は枯れ始めているかもそれも一気に枯れないで根から糧を得ながら自然に枯れたいそう自然体で形を保持しながら。枯れ
きょうの詩は雨上がりの空がみせる寝不足の空かな・・・その空の回復の遅さに重ねみるのは時雨れ模様に変わりそうな空晩秋の空晩秋の空ほど私を弄ぶものはない私に期待とワクワクを持たせその気にさせながら一気に奈落の底に沈めて嘲笑う時雨模様の空この季節の空は私の故郷の空を覆う時雨空の走りに似て私の思いをあの頃に回帰させ広がり覆う空に重ねてああ似ているな・・・時が停まる。雨上がりの空
きょうの詩は秋になると咲くヨメナ「いつもこの場所なら」思い訪ねればその場所から消え、思わぬ所で再会する花との想い。ある出会い秋になり、なかなか目にしないというか逢えないひとりかな彼女には逢えそうで逢えないそんなひとかな秋はいつもの場所に行けば会えるそれがいまではなかなか会えない中思わぬところで出会いああ・・・会えたとうれしさが恋心をそそり初恋の時のようにわが心がときめく。野花の想い
きょうの詩は晩秋のなかで最後の咲をみせる野花の想い晩秋の出会い花の少ない季節はいつかな・・・余りそんなことを考えないけれど、晩秋になるとつい考えてしまいまだ見ぬ秋彩を追うそのなかでまだ咲く野花を見てああ・・・まだ残っているひっそり身を隠すように咲く花に見とれうれしくなる秋の終わり少なくなる日和で最後の美を見せる野花から生きる大切さを知る。秋の最後の燈り
きょうの詩は十月にGreenの空に消されるように咲くアーコレード桜への想い10月の桜これ桜かな?初めて10月に出会ったときはそう思い秋に咲く桜の中では質素で春の華麗さはない中彼女の花の咲は疎らでその無垢なほほ笑みがgreenの空に一等星としてともるアーコレード桜。十月の桜
きょうの花は夏日が秋になっても続きいつもなら咲く時期に咲くはずの花の開花が遅れ、その咲を見たのが10月の初め、詩はその花の想い遅れてああ・・・よく寝た眠い目をこすりながら目を覚まし花を咲かせる野花この秋は熱くて・・とても目覚めることはできず目覚めの時をしたのが秋も半ば過ぎあちゃ・・・咲くのが遅れた花に見る戸惑いの花彩がいつもと変わらない深紅の曼珠沙華。遅れて咲く野花
きょうの詩はfrankにラフに使える「好き」という言葉、でもこの言葉はある意味で棘のある言葉、だからこそマナーとruleを知り愛し使いたい。好きこの言葉には深い意味はなくいつも何気なく使うがひとに対しては互いが信頼できる相手に対して会話になるが相手を間違えば誤解と心に傷を負う言葉好きでも私はこの言葉をこよなく愛したい。好きという言葉
きょうの詩は私が思うひとの愛についての疑問と思いひとの愛宗教が説く愛と慈悲に慈善を行う人たちが伝える愛と何が違うのかそれと…動物愛と男女の愛形のない愛などこれらの愛は何が違うのか私は問い病む現実と打算の間で生まれゆれる愛に。----人を知るツール
きょうの詩は秋の寒冷前線が齎す夏の温もりを消す晩秋の一コマをみる雨かな十月の雨南からの雨が北からの雨に変わり温もりを消す冷たい雨がやあ、待たせたね。冷雨が激しく扉をたたくように降ってくる。寒気の雨ああ…これで夏にようやくLullabyか。怒る雨に秋を見る。晩秋の雨
きょうの詩は咲が遅れていたその咲と香る匂いに誘われて咲を知る花への詩誘う花の匂い誘うというか誘惑するというか姿を見せぬまだ見ぬ人から放たれるいい匂いこの香りの人は誰・・・思い探せば愛くるしい笑みをこぼしながらほほ笑む口元から香る心を擽る芳醇(ほうじゅん)な香りが・・・ああ・・・この香りはあの人の匂いか空白の心に花が咲く秋。咲く金木犀
「きょうの花旅」きょう出会う花は金木犀、いつ咲くか・・と思いながら咲く場所を何度か巡るなかで逢えた金木犀の咲と香り、その放つ香りをシャワーで浴びる。きょうの花
きょうの詩は秋になると野でひっそり咲くノコンギクをみて思うこと野花見てわぁすてき・・・そう思う彼女ではないでも彼女もひとりの女性見た目は美しい女性(ひと)でないし顔は薄化粧で奇麗というよりかわいいかなそのひとは愛くるしい顔で草のなかに座りはにかむその顔は数人の童。野花ノコンギク
きょうの詩は私が思う恋は性と心の二つからと思う私恋に思う私が思う恋は性と心の二つの恋から成り性の恋は喜怒哀楽を生み心の恋は情熱を永遠に保つ二つの恋この恋を失くしても生は保てるが活力と覇気が薄れみずみずしさを失い私から四季が消え、冬が続いていく。私が思う恋
私は私で独りであるが、人は家族、友人、仲間など多くの人に愛され、支えられていて独りであってひとりでない私私はひとり私は私で独り生を受け旅立つときもひとり確かに私には愛する家族がいて多くの友人がいて多くの人たちに支えられいまの私が在るが私は独りでも・・・その私を少し愛し思い声をかけてくれるからいまの私は独りではなくひとり。私は独り
きょうの詩は、ようやく秋の訪れをみるなか、里山にその秋の走りを求めて歩く思いの詩里山に秋を求めまだ緑が濃いなひとりぼやきながら歩く雑木の森みる森の四方の空間は狭く圧迫感で息苦しく足掻くように息抜きの空間を探すでも遅い染まりが空間を狭め保つ濃い色合いを別れの化粧を始める気配はなくわかれはまだ先か求めが落葉となって散る秋。里山の秋
きょうの詩は私が友人、知人に対しその人のMemorialな日に作り書いて送る便りに対する思い便り私は否定派でも固守する方でもない。唯、便りは多様性があってもよいと思い、その人に合わせて考え、手法を変えて送る。それは面倒で合理的でないし、確かに機器で全てが完結できるのに。でも私は、あえてその人に合わせて、Memorialの日には自らの手で作り、送る。それもanalogで。letter
きょうの詩は、私が持つ性と心の恋に思う詩ある恋恋を人対人と定義するのではなく恋に多様性もありと思う人の求める恋にいつも喜怒哀楽を見てああ・・・切ないとか思い私はその一面を花に群れる蝶に重ね喜びの後に空いた穴を見てこれも人の恋思い恋には多様性があってもいい私は思う時には人から離れ四季の中に咲く野花を追い求めながら性を捨て、時には野花と戯れる。二つの恋
きょうの詩は私のいつもの朝の目覚めに思う目覚め眠る頃か・・・私の意識を奪い静める真夜中更けゆくなかで思う長いようで短い夜が私の心を夢で弄びこれは何・・・私に問い昏睡を邪魔する夢おい、起きろ朝の明かりが夢を消し覚醒を促し私の回帰が再び始まる朝。朝の目覚め
きょうの詩は秋になっても秋らしさはなく、夏を思わせる暑い日差しを避け逃避する想いの詩逃避いつもならホッとして浴びる日差しそれが秋のさなかになっても去らず夏の日差しを保ち私たちを痛める嫌な人まるで会いたくない人を避けるように木陰を求めホッとするこの感じは人目を避けての恋の逃避行か。----逃れ
きょうの詩は、私が思い描いていた思案が崩れ否定された季の異変に対する思い思案数枚めくれば彼岸で私が会いたいと思う人に逢える抱いていた思いを思い巡らしそろそろ逢いたい人に会えるかいつもの逢瀬の地に行くとそこにはいつもの彼女の姿はなく更地が広がりいつものほほ笑みはなく静寂な空間が彩を消している。思惑
人が心に秘める恋、恋は人対人に拘らないで熱い想いを続けることで活性を維持し、人の生きる術のなかに恋心として息づく。四季の恋人の感情を昂らせ生きるつてとなる感情と情熱それは恋恋は人の活性をキープする言葉恋を失くしても命は維持できるが心の覇気と活性がうせ鮮度は落ち心に花咲くことなく枯れる恋の対象は何もすべて人に限らず生きる四季のなかにある。四季に恋をみる
きょうの詩は、私が思う出会いは生きるToulであり、ひとが求めてやまない性かも知れない。出会い人は出会いと別れを繰り返し今日を過ごし喜怒哀楽を楽しみ明日のページを無にして開いて再び一期一会の中に夢を求め追い楽しむ私の生求める出会いは花となって咲くか咲かずに終わるか人の出会いはしょせん悲しい性。私が思う出会い
きょうの詩は、夏彩が濃いなかで「季節は秋」告げ、咲、去る野菊の花との出会いとわかれ去るひとこの秋の半ばに私から去るのはひっそり咲いて消える小さな野菊花は残る夏彩に対し薄化粧で優しい笑みをこぼし一時を過ごし旬を終える野菊その散りの一片に去りの寂しさはなく「ありがとう」去る人に贈る私の別れの一言。秋の花の散り
きょうの詩はいつもなら九月半ばに咲く彼岸花が、この秋は遅れ「咲く頃」思い訪ねれば花の代わりに静寂が広がる咲の遅れいつもなら九月半ばにはやあ、会えたねいつもの彼女に声をかけ再会を喜ぶのがいつもの場所にその姿はなくああ・・・いない哀しいというか侘しいというか無言が広がる彼女の不在。ある花の咲遅れ
きょうの詩は私がいろいろ話す友人のために書いた詩わかれきょうあなたを次の花として育てその咲を見届けあなたの大切なひとが咲を終え私に愛を残して散り触れる私の手に温もりを伝え土に帰る私が贈る言葉はさようならでなくIloveyou。永遠の別れ
きょうの詩はいつも九月半ばに、この暑さで遅れ花をみたのが彼岸過ぎ、その咲き始めの花をみての想い咲く萩みて水面に垂れるしなやかな小枝に無数にともる小花が吹く風に身を任せゆれみせる萩咲く小さな花は思いを内に秘め咲く花姿に見るのは花の控えめでこまやかな美しさそのこぼれ落ちる一涙の花を別れた人との想い出を重ねてしまうのは花が持つどことなく寂しげな風情のせいか。萩の咲をみて
秋の七草の一つである芒、近くの里山でも群生することなく一塊となって群れる芒の穂花に秋をみる。尾花いまの私は嫌われ見捨てられている秋の野花その私を見てこれは花・・・花の魅力ないじゃないThroughされ尾花の花穂が寂しく揺れる山野の芒秋の里山に映える芒の花姿がshy。芒の花
きょうの詩は去るひと、それは夏になるといつも咲く場所であう向日葵、それがこの夏は旬にあえずに終わった去りをひとの別れに見立て思う想い。去る人初夏の中であえず少し早いか・・・次に再会を求めて訪ねればいつもの花びらは消え花は頭をうなだれ笑顔はうせさようならの人となって化粧は落ち寂しく見えるけれどその顔は去る人の表情でなくモナリザのほほ笑み。わかれ
私のなかに多くあるメモリのなかで、消せない一つのメモリに対する思い一つのメモリの消そうそう思いながら残るあの人のメモリもう過去のこと今さら使うことのないあの人のことポチ(削除)消すと消滅しゼロ消去がハードまで消すのが怖くポチに迷い続ける私。私のメモリ
私のであいはいろいろありその一つがいつも決まった時期に出会う秋の花、その出会いはひとりの友との再会であり新たな出会い。きょうの出会いきょうの出会いはひとではなくそろそろ逢える秋の人今日は逢えるかな訪ねるとそこには求める相手はいず木立の下で待つ人はいずいたのは人出会いを求める人から人に変え交わす言葉が私のきょうの出会い。私のであい
町の空き地を小さな花で埋める盗人萩の咲を見て秋の野花あなたは邪魔無作為に踏まれ倒れてもそれでも晩夏から蕾をつけ初秋からほほ笑む野花その花に誰も関心を持たず無視される私いま花が旬を迎え別れの季節に想い出を添える。秋の野花
この秋は残暑は厳しく大地を潤す雨も少なく、未だに夏を思わせるなかで思うのは私が好きなヒガンバナへの想い彼岸の一輪朝露を見る頃に土から茎を伸ばしあどけないふくらみを思わせる蕾から肩から衣を脱ぐように現す赤い長襦袢の美を見せる一輪の曼珠沙華花の美はその色その燃える炎のような赤が描く狂おしく燃える花びらに見るのはひとをいちずに思う恋彩か。彼岸の一輪
立秋からはや一ヶ月半が過ぎようとするなかで、その変化に抵抗するように夏彩が至る所で夏模様が居座る居座る暑いいまだに夏模様が広がり彼女がさようならと告げたのに町にいまだに居座り去らない人嫌なやつ夏の終わりに別れを告げたのだからその思いを無視して今日も空の白亜のソファに座り居座り続ける嫌な人。夏彩の残る秋
私の住む町は小高い山と田圃と三川が合流する堤の桜の町、その町で「秋か」そう思うのは秋が最初に口づけする田圃の稲穂から住む町の秋小高い山田んぼ三川が合流する中の長い桜並木秋か・・・知るのは田んぼの稲穂顔となっている桜並木の秋の化粧顔はいがいと映えず春と比較し秋は無粋でつぶやきも出ないわれが住む町の九月半ばの秋。町の秋
いま過ぎるなかで思うのは男の哀しさというか寂しさというか性をみるかけ違いいつもふとしたことで思い出される好きだったひといや、愛したあの人のこと今更何でそう思うけれどなぜかいまは亡き両親のことを思うとの状況を思うと俺はどこでボタンをかけ間違えたのか・・・過ぎた時間に問う私。ボタンのかけ間違い
季は秋だけれど、店先で秋をみても秋らしさはなく実感は夏、早く秋を私の五感でみたい楽しみたいと秋を待つ私の待ち人いま私が待つのは店先を飾る食べる秋でなく冷めこの乾いた夏土に潤いを与え一葉に別れの下絵を描く一雨その待ち人をきょうも阻み笑い私から想い出を奪い嘲笑う嫌なやつ。実感する秋
秋になると咲を待つ好きな花、それは美しいというか人の性の燃える美しさにみえる花が私の待ち人私が待つ人再び訪ねても逢えない私の待つ愛おしい人はいつもの場所に来てもきょうもいない「なぜ」問う私に「私がいる限り彼女は来ないから」私の待ち人を阻む憎い夏の居座り。秋の一花を待つ
一年も残りは三か月と1/2のなかで秋の半分を過ぎたが「秋か」その思いになかなかなれい日々が続く「きょうの詩」みえない秋秋の半分が過ぎたけれど町に居ると知る秋が見えてこないが店先を飾る早生の果実で「秋か」と思うが火照る心身を和らげる北からの風が齎す変化の便りはなく見る一コマ・・が移ろいを止め化粧を待っている秋。みえない秋
季は秋、町を離れれば秋のテーマは拾えるが、描く一コマは以前として似られない夏がまだ留まり節は白露になったけれども・・・露をもたらす涼しい空気はまだ訪れず草には涙もなく乾燥しているああ・・・空を仰げば、青空に映えるのは青さを際立たせる積乱雲このままでは秋は遠い夏の恋がまだ続く初秋。居座る夏
きょうの詩は、里山に広がる主の不在の森がみせるその一コマの風景主の不在暗い森からともりが消え足の踏み場もないほど荒れ、哀しいいまでは森に流れる風は止まり誰も住まない主の消えた森寂しいというか悲壮というか温もりと明るさが消えた家は主を失い朽ち荒れ、形を失いつつある里山の森。主不在の森
きょうの詩は白露の節になっても他人事の顔でいる空何も変わらない日中の気温は夜になっても下がらず暑い夜が彼岸まで続くのか・・・そう思うと気がめいりモチベーションは下がりああ・・・暑いいつまでこの暑さは続くのか私の思いなど気にしない演奏に見るのは表情を変えない他人事の演奏。みえない白露の顔
きょうの詩は、去りは定刻で、知る、みるの訪れの遅さに思う白露の訪れ白露日々のページはめくられても暑く苛立ちを覚えた夏蝉はうせ、寒蝉が鳴く。季は白露か、見るもの何も変わらず。陽が落ちても蒸し暑く、火照る体を冷ます露の降りはなく。わが身は燃え続け、この満たされない火照りを冷ます。白い裸体が愛おしい。みる訪れは遅く
きょうの詩は、夏と秋の間で咲く野花が告げる秋の始まり季の間で互いの季の重なりあうなかでほほ笑む花にまだ見ぬ人を重ね求める私の哀しい性それって「素朴な小さな花じゃない」そう・・・でもこの花は残る夏に口づけをして別れを告げる花。季節を知る
きょうの詩は、私の誕生日に対する思い生まれた日今日は私が生まれた日そして私がこの世に一歩踏み出した日そして私が未知数のページの一枚をめくった記念の日私の始まりは愛する人の手によって育まれページのめくりは関わりあう人たちの愛で私の容姿は作られていくそう誕生日は私を生み、基盤を作った両親に「ありがとう」と告げて感謝し、愛する人を忘れない日。BIRTHDAYに思う
きょうの詩は、親しい人たちに節ごと送る私の手作りカードに対する思い送る一枚いまでは親しい人に対し何もanalogの紙で送らなくてもいまではすべてが機器で事足りるのに何で今さら紙でそれは機器では送れない心の温もりを一枚のCardにインクで知るし温もりを添えるこれは機器では取り組めない心のインプット。送る一枚のCard
きょうの詩は私、私は一人ではなく善と悪のソフトとハードで成り立ち、いまの私は二人で一人と思うひとり。もう一人の私「私は私」そう思うが時々もう一人の私が間違った方向に行くと私を諫める善という私もうひとりの私は私の生を維持する欲その欲をセーブしたりコントロールするのがもうひとりの善私はこの二人で一人その一人が私のパートナーであり分身そう、私は善と悪でひとり。私は二つでひとり
きょうの詩は悩む若いひとへの私の応援歌戦士になれ人が生きるということは戦い何も武器を持って戦うのではなく自らが生きるために幅広い知識と強い心を得て愛する人たちのサポートで戦える術を得て社会で戦うこの戦いは生きるためであり得るのは愛に満ちた幸せ。立ち向かえ
きょうの詩は、晩夏から咲く南国生まれの空と海の青に映え、無垢の美をみせる百合の思い無垢の百合仲間が初夏から一足早くスポットライトを浴びながら散る中私を忘れないでそう言って咲く白い百合からこぼれる偽りのないほほ笑みその笑みに最後に見る寂しさはなく咲く花彩に見るのは汚れのない無垢の美しさ。初秋の百合
きょうの詩は、季の間で探す秋の一コマへの思い秋を探す季の間で探す秋は愛し合って別れた恋人との再会に似て「会いたい」が先行し、ときめきが燻る忘れられない恋人の面影に似ているもう忘れて「秋か」来るのを待てばよいのになぜかいつも季の間で燻る哀しい性「なぜだろう」訪れを待てばよいものをなぜか思いを捨てられない今の私。まだ見ぬ街の秋
きょうの詩は、八月の終わりに来て聞く蝉の声で思う一コマ消えるひとあれほど激しくラブコールを送り相手を求めていた彼らが今日は静か森に佇み耳を澄ませば聞こえるのは秋蝉以前の騒がしさはなくトーンの落ちたカフェで聴くBGMかな優しい心地よいピアノソナタではないが夏の怒りを静めてくれる曲耳を傾けると忘れていたあの人との一時を思い出させてくれる奏でかな。夏のひとりが消える」
きょうの詩は、私がめくるいまの日々を四季の恋に重ねあわせ思う想い。私のめくり私が日々をめくりながら思うのはうせたときめきと燃える思い思いは和ろうそくのともりとなり明かりは穏やかなほのぼのとした一日となってゆっくりめくられる穏やかで波風の立たない一日その一日を恋する四季に合わせわくわくとときめきで日々をめくっていきたい。私がめくる日々
きょうの詩は秋になってもなかなか去らずに居座る夏色に思う留まる夏秋になっても何も変わらない天には積雲が浮かび日差しはダイレクトに落ち蝉は離れたくないと駄々をこね樹木の衣替えは遅く愛してくれる人のため、夏は留まる縋る秋の思いなど無視して。去らないひと
きょうの詩は、乾く大地を潤いで満たすように激しく降った風景を消すように夏彩が眩しい朝。雨の後この空の崩れは怒りかな・・・日中過ぎから天は怒り喚き崩れは満杯のバケツを蹴とばしてこぼれ落ち喜怒哀楽を秘めて降る流れ落ちる雨にチェンジを夢見るが目覚める朝に見るのは居座る夏奴らは今日も宴をしながら笑う。予期せぬ訪問者の後は
きょうの詩は夏色のなかで待つ秋を想う淡い恋心淡い期待いつも何となく距離感を保ちラフに夏の逢瀬を楽しみそろそろ別れ時かなそう思い会いたい相手を心待ちするが彼はなかなか距離を取ろうとせず私の待ち人を拒み私が待つ淡い心待ちを蹴散らす、淡い恋心
きょうの詩は、いまだに秋とのChangeを拒む夏彩に初秋を夢見る八月の終わり夏残る夏がいまだに残るいや、留年かなかなたには積乱雲が居座り日差しは土砂降りとなって降り蝉がまだ鳴く大地は渇き夜露は残る吐息に消される朝に冷えはなく夏が私に「残念でした」と笑いかけるきょうもChangeを拒む夏。残る夏彩
きょうの詩は、初秋になっても夏が居座る、いや初秋を認めないというか、なかなか譲らない夏と秋の間を覗いた一コマ。季の思い季節も「じゃきょう交代します」仲良く握手して交代してそう思うがなかなかうまくいかず感情とプライドをぶつけ互いが譲らず意地を張る夏と秋夏は居座り秋はひとり…が秋彩を灯すが開店休業が今日も続く。季は初秋
きょうの詩はフジバカマの咲に集うアサギマダラの群れの風景の一コマの思いある花に思う彼女は秋の七草のひとりでいまではなかなか会えないひとりでなぜその人に彼女に口づけするひとに逢いたいからでも・・・思う花に会うことはなく時が過ぎ秋になると「ああ・・・咲く季節か」思う心が夏色の中でときめく。秋のフジバカマ
きょうの詩は1年を12冊の本に例え、いま8冊目の半分を読み終えそれを花に見ての想い。思う手にした12冊も7冊を読み終え後は5冊その8冊の半分を読み終えて思うのは過ぎる1年の早さいま去り行くなかで苦悩するのは花びらと彩りのないイチジク咲は心の内に咲き恋となっていつも熟れる。過ぎる1年
きょうの詩は、夏が居座るなかで秋の始まりを優しく笑みをこぼしながら語りかけるように咲く野菊。残夏にみる野菊町にいるとなかなか見えてこない初秋居座る夏にいつも脅かされ言いなりになって過ごしそれももう限界で「去って」・・・縋る私の言うことなど聞かず何かと理由をつけ居座る夏その残夏のなかで素朴な野菊が人目を避けるように一輪が樹木の下で優しい笑みをこぼしている。----残夏にみる野菊
きょうの詩は夏彩のなかで生まれ求める一夏の恋がこの夏彩から生まれる。夏の恋彩町の中で知る夏彩は天と樹木と川の不透明色の清美が描く一夏の恋恋は清々しい濃い原色の色たちの中で生まれ太陽の下で激しく燃える恋は夏色の中で愛おしく燃えるはかなく尾を引く切ない恋彩。色のなかの恋
きょうの詩はめくりは秋になっているが、いまだに夏から秋にChangeされないなかでみる夏の朝。秋の朝それにしても秋というのに夜明けから蝉が鳴いて暑く秋か・・・思う音色も聞こえない乾いた朝町に住んでいると秋はなかなか拾えず自然の変化から知るがその朝はいまだに夏彩で夜露が静める爽やかさが遠い朝。秋のみえない朝
きょうの詩は好きでよく歩く森の小路の想い出私の好きな路私の好きな森の細い路は至る所で消えたり現れたりしながら稜線(りょうせん)に続いているこの路は私をみちくささせたりなぞかけしたり私を子供の頃に帰す路街の路地裏の路と違い楽しさはないがこの路は歩くプロセスが楽しい。森の散歩道
きょうの詩は私がmail、電話などで済むことなどをCard、手紙にして親しい人たちに送る文への想い。文今では文の送りは紙から多種多様な機器で送る時代に代わり文字は打つことで個性が消え書くことも少なくなった文でも私は機器でも送りけれど大切な人と友人に対しては自らの手で思いと感謝をインクに託し文字にして伝え送る文それは支えられているありがとうが私が書く文でありマイハート。手紙への想い
きょうの詩は朝咲いてより夜にはしぼむ一日で終わるフヨウの花に思うほほ笑む一日花暑い日差しを全体に浴びながら表情を崩さず夜明けとともに笑みを開き日中は微笑を絶やさず陽の落ちるとともに微笑を閉じる晩夏から咲くフヨウその閉じに哀しい表情はなく私のはかない一日が終わるが明日は再び私の詩会が始まる。花は一日
きょうの詩は夏を空白に見てそのなかに探すのが私の好きな秋の一輪季節の空白ページのめくりは秋を告げても野で見るもの全てが夏彩でなかなか秋が見られないまだ夏か・・・染まる夏彩の中に好きな秋の一輪を探すが夏色にできる秋の告白はなく空白ああ・・・探す野菊の一輪はなく代わりに夏草が笑う。空白に探す秋
きょうの詩は女性に例える花言葉を持つ芙蓉の花見て思う想い繊細なひと柔らかな花姿で一夏の恋を楽しむようにすてきなほほ笑みで私を一夜の恋に誘い陽の落ちとともに無言で私の瞳から消え一夜の逢瀬が終わる二人の出会いは短く一日で燃え尽き萎れてしまう別れは余りにはかなく寂しい。---繊細な美を持つ芙蓉
きょうの詩は私の住む町で待つ秋の訪れ、それは「ああ・・・秋か」そう思う余り人が気にしない小さな花の野花に対する思い私の待ち人季は立秋を過ぎたけれど野を歩いても夏彩でいまだに彼女たちに譲る気配はなく蝉が鳴く陽が落ちても気温は下がらず虫は眠りこれでは・・・彼女の音楽を聴きながら晩酌し草の中で笑みをこぼす初々しい人はいまだに逢えない私の待ち人。秋を待つ
きょうの詩は私が走る堤下に間隔をおいて植えられている数本の向日葵の内の一本の咲を見て思うこと一輪挿しそろそろ彼女は咲いて活けられているかな訪ねてみればすてきな笑顔で素焼きの花瓶に一本挿され満面の笑みが美しい向日葵が一本でかい顔でこの夏の私をみてみてと言って誘いツーショットをせがむ向日葵が一輪挿しに活けられる夏。一本の向日葵
きょうの詩は晩夏ごろから咲き始めるシロガネヨシの咲く花見ての思い花穂が美しいひと私もひとりの花と暑い日差しの中で真っすぐ茎を伸ばし白い花穂を咲かせ凛と咲く花に派手さはないが風雨で倒されることなく立ち続ける強気な心を持つ花は強気で負けが何より嫌いなともに贈る一束。夏のシロガネヨシ
きょうの詩は立秋の過ぎたなかで迎える夜明けにみる朝への思い立秋の朝の始まり閉め切ったわずかな隙間からこぼれる微かな明かりで「朝か」知り見る時計は五時を指し蝉の目覚ましがけたたましく鳴り私を起こすこの奴らの罵声と早い一日の夜明けで立秋の一日が始まる。立秋の朝
きょうの詩は積乱雲が住む町の地平に湧きながら飛んでこない雲見ての雨を重ねる私の想い。夏の雨地平より積乱雲が湧き隙(げき)あれば降るぞとうかがいながら天に向かって背伸びするが雲は暑さに阻まれ目線の先で不平不満をゴロゴロこぼし時には怒りあたり散らすが降雨にならず日差しが土砂降りの光雨となり夏の街が光雨に沈む。日差しの雨
きょうの詩は住む近くに在り私が四季を通し歩く里山の変化にみる私の想い里山の森は森は雑木と植林で構成されている。里山の森は毎日、四季を通して見守り手を加え育て顔を創っていった里山の森。その森には表情があり顔がある。いまでは森は育児放棄され至る所で痛々しい表情を見せる森。その森も四季を迎えるとそれぞれの季節の顔を見せてくれる。里山
きょうの詩は私が好きなアジサイの終演をみて思うことある花の枯れ桜やバラのように彩を残し散る花は美しく魅せられる一面があるがこの花にはそれが鳴く終演は見捨てられ寂しい花の色褪せそして彼による消失ああ・・・終わりか訪ねる人は少なく大粒の涙が残る樹木に見るのは眠りこの花には初夏に目覚めがあるが私にはない・・・・花の枯れ
きょうの詩は四季の二番目の夏にみる私の想い四季の二番目空は青く広がり地平から湧く積乱雲に夕立を見て川辺の樹木の下で風の爽やかな清涼感に抱きすくめられ樹木から聞こえる蝉の鳴き声でああ・・・まだ夏か春から燃えているときめきが熱い炎で消される。四季の二番目の夏
きょうの詩は明るくなると毎日・・SETしたように鳴りおこす蝉の第九夏の第九夜明けと同時に夏の目覚ましが明けから一斉になり起きろ・・と鳴く蝉たち奏でる単一楽器は声楽のみで朝から歌う曲は定番の第九でその歌声は朝から日没まで続く夏のオープン第九は息が長い。----鳴く蝉で
きょうの詩は私が生きるために必要な善と悪の二つについて思うこと私の心私の心を創る善と悪この二つで私の心は構成されどちらかのウェイが高まればいずれかが優位に立ち心のバランスが崩れ、私が私を忘れるこの二つが私の性と生この二つは倫理でコントロールされ今を維持している。私が持つ善と悪
きょうの詩は毎日続く夏日の朝にみる朝模様の一コマ夏の朝涼感の漂う部屋でまどろんでいると隙間から差し込む日差しが私の体をジリジリと焼いて覚醒を促す。ああ……朝か。思うと同時に耳に刺さる彼らの鳴き声が朝だ……起きろ……喚く。その鳴き声に堪らずに目は開くが虚ろで、体は目覚めを拒否し起きるか、それとももう少しこのままで、反応と抵抗を繰り返し夏の朝。毎日同じ仕様の朝
梅雨明けを告知するように毎夏鳴く蝉の鳴き声を聞き想うきょうの詩セミ浅い湖底に沈み、寝入り暫し眠りの中で朦朧としていると起きろ…と夜明けから覚醒を促す嫌なやつ奴らは夜明けから日中のともりが消えるまで鳴いてイライラさせる蝉たち彼らの恋も命も賞味期限は短いそう思うと私の思いやりのなさに反省し彼らの音楽会を楽しむ。蝉鳴く夏
梅雨入り前に咲き始めた紫陽花のひとりが、夏のなかで終わりを迎え再び咲前の色に戻る想いを書いてみました白から緑に私の好きなアジサイのひとつが緑から白になり和みのほほ笑みで夏を告げ燃え盛る熱さのなかで白から緑に変わるアナベルこの忘れ人となった花に見る花の老いと夏の盛り花は散ることなく変わる彩で季を告げいま秋に向け化粧するひとりのアジサイ。私の好きなアジサイ
梅雨入りを告げた大輪の紫陽花が明けを前に彩を消していく梅雨明け、その思いというか過程を書いてみましたある花の終演人の終演はおくりびとが集うがこの花に集うものはいない確かに来夏には会えるが「すてきな彩り、ありがとう」そういう声もかからない私私を見る人の忖度にも左右されず季の始まりを感じ旬の訪れを咲く彩で知らせ枯れで花の終えを告げて消えるその自然体の色の消えが美しい。季節花の散り
きょうの詩は梅雨明けでのなかでみる夏の思い夏広がる青空のかなたでうかがう真綿の入道雲をちぎって空にばらまいて夏の空を作り空から小雨となって降る日差しがさらす肌を焼き抱きしめて離さない暑さが私の体からこんこんと汗を湧かせ全身を濡らし私から覇気を鈍らせる夏の到来。夏到来
きょうの詩は堤を走りながら暑さを避け桜の樹の下で休み思うこと樹の下で太陽の光がダイレクトに届く夏日差しは熱く近いな・・・そう思う夏の日差しその日差しを受け止め散らし和らげる木の葉夏の木の下は快適で傘となって光を流し日陰を創るその下に集う者は少なく今ではオアシスに蝉が集い夏・・と喚く。木陰
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きょうの詩は秋になっても夏が居座り、一向にChangeしないなかで思う秋へのラブコール。秋の中でこの秋ほど感情のない秋はなく夏という過去を引きずり愛してもいないのに別れようとせず私「もう限界」「別れて」告げる私から離れようとせず今日も私を抱きしめて離さない彼女との腐れ縁が秋になっても続く。離れない夏
きょうの詩は愛する人とのわかれに思う私の想い永遠の別れきょうあなたは私を一輪の花として育てその咲を見届け「良い花となって咲いたね」私に心のコアとなる愛を残していま寂しさのなかで静かに瞳を閉じ土に帰る私の愛する人きょう贈る言葉はさようならではなく私の口づけとありがとう。愛する人とのわかれ
きょうの詩は私の住む近くに在る対の銀杏の黄葉みて思う想い小雪の銀杏季節は小雪である。ああ・・・雨から雪を見る頃になって好きな銀杏を見れば小春日和の下で日差しを浴びながら一葉の色香が別れの彩となって纏い「そろそろお別れだね」別れの一文字を記した一枚を落とし私に話しかける小春の銀杏ああ・・・別れの季節か鮮やかに染まる小春の銀杏に過ぎを見る。銀杏の黄葉
きょうの詩は平常において溜まり心身の支障となる気分転換に思う思うオンとオフひとは緊張感を持ち続けていると心身は疲弊し疲れ自身の方向性を見失い苛立ち周りに当たるそのストレス解除には日々のなかでの気分転換によるリセットが必要そう時にはいまから離れONとOFFで遊びを作りたい。私の気分転換
きょうの詩は私の一日に思う詩、その始まりはいつも朝から一日の始まり私の一日が朝の目覚めから始まる。朝か・・・起きるか・・・それを二つの思いが私の足を引っ張り、睡魔に沈めようと誘う。悪魔のささやきそのささやきを散らす隙間の明かり。このともりから私の一日が始まる。一日は朝から
きょうの詩は秋の別れ彩を創る二人に思う詩染まる晩秋から初冬にかけて染まりを創るのは赤と黄の二人この二人がSoloでコラボで描く秋のオペラはSoloの序曲から始まり大合唱で終わる題名のないオペラオペラの主役は毎回変わるけれど私を楽しませ弄び最後は蛍の光で静かに幕を下ろしアンコールはない。色を創る二人
きょうの詩は町なかに植えられた落葉樹がみせる紅葉に思う詩町の染まり町の至る所に植えられた落葉樹が冬の訪れとともに染まり彼女たちはいまそれぞれの個性に合わせた彩で化粧し街中で社寺で公園でそれぞれが彩で競い美をみせるが声をかけられることなく最後は叫び散る。町の紅葉
きょうの詩は小春日和の温もりを壊す寒気の南下の遅さにホッとする詩訪問者あなたを待っていたわけではないが唯・・・11月らしい顔になってほしい思い来る頃かな・・・空をみて思うが来ずこの燃え始めた焚火の燃えが消えずによかったとホッとする冬の一日。寒気の南下
きょうの詩は降る雨で描くプランが崩れ坦々と過ごす私の一日に対する思い私の一日私の一日はその日の天気で変わりきょうみたいに雨なら途端にプランは失速しそのプランは破棄され頭に残る整理を行うのが常で意外と物事が捗るようで捗らない一日となって「できた」実感が伴わず翌日には元に戻るきょう一日が「ああ・・・やり終えた」実感が伴わない雨の一日。雨の一日
きょうの詩は町で、Soloで静かに楽しむ染まり町の染まり町に長く住んでいると里山が四季の最後に見せる多彩な色が愛おしくなってその人が街のどこかにいないかと求めてしまう私の哀しい性その人を求め歩く中で出会う町の篝火いさり火は燃えの叫びその炎は人知れず消える。町の紅葉
きょうの詩は四季のなかで息づく桜への想い桜に思う私が求めてやまない桜が春には口づけするように近づいて「待たせたね」と優しく話しかけて短い逢瀬を経て花散り後は濃い青葉が想い出のテラスを作り「秋」わかれ色となって想い出を空にまき散らし風に弄ばれて桜の四季が終わる。----私の好きな桜
きょうの詩は四季を通し付き合ってきて、いま別れの時を迎え思う沼杉への想い落葉の染まり寒水が温む春には水芭蕉が咲き生える沼杉に春が萌え夏には樹木を蔽う青葉が木陰を作り多くの族が集う沼杉の林に秋の別れの季節が訪れ染まる青葉が時の中で彩褪せて舞う冬彩に重ねるのは四季の中で繰り返した私の一期一会いま染まり散る一片に唇を重ねる私の別れ。染まる沼杉
きょうの詩は私のStress解消について思う詩私の気分転換私が生を受け成長の過程で生じる帰りから付き合うストレス多少のストレスは私を成長させ活性を生むが負荷はダメージを与えるその負荷の解消のため、私は四季を歩きためたストレスと四季の移ろいと交換し再び新たな一週間を過ごすこれが私のストレス解消であり気分転換。Stressに思う
きょうの詩は晩秋になり、私がよく行く寺の対の銀杏にも別れが訪れ冬に向かう想い。対の木春人目を避け二人で抱き合うように立つ対の木夏二人は適度な距離を保ちながら人が見ない天で愛し合い秋別れの時を察し別れの大粒の涙を落とし冬想い出を捨て別れ春まで静かに眠る対の木。対の銀杏
きょうの詩は晩秋になっても始まらない町の紅葉を求め歩くなかで出会う椛との一期一会、その走り彩に抱かれる立冬。色と出会う立冬を迎え秋も終わりか秋色に出会うことなくきょうは立冬冬か・・・落葉はいまだ別れ彩にならず青く別れ彩になるのはいつごろか自問し独り寂しく一期一会を求め歩くなかで出会う走りの紅葉を見初め遅い秋彩と抱擁を交わす立冬。染まる椛みて
秋に思うこと夏が恋煩いのように長引き北から秋の便りが届いても煩いは収まらず夏日が続くそのなかに秋のともりを探すがともりはなく青草が一面を覆いそのなかに秋あかりを九月の終わりに見て十月は草地に燃える花を見て次は紅葉を求めたが見ることなくもやもやしながら終えた晩秋。十月を終えて
きょうの詩は里山の秋彩、秋は北から、山の秋は山岳から、その始まりを知りそろそろか?知り歩く里山の森はいまだに夏彩が蔽う里山の秋秋か・・・そろそろ里山にも彩りを拾えるかな里山の森に秋を求めるがわかれの色は拾えずいまだに夏彩が蔽(おお)い秋の訪れを阻(はば)む里山の森秋彩に染まるのはいつこの思いに対し応(こた)えはなくまだその季節じゃないし森は清々しい表情で秋の唇を奪うあなたは当分来そうにない里山の秋。里山に秋彩をみる
きょうは椛蔦黄、本来なら降る雨に冷たさをみるが温く想い出を引きずる雨となっている椛蔦黄の雨空この雨は色づき始める雨となるか手のひらで受ける雨は温かく北の冷たさはなく夏の思い出を引きずる雨で冬を知る染まりに会えるのはまだ先になるかそう思うと気分は沈み憂鬱(ゆううつ)になる夏彩を消さない今日の雨空。温い雨
きょうの詩は生あるものに来る老いイコール朽ちに対し私が思う詩私の朽ちひとは誰でも老いていくそれは否定できない事実であり宿命そう生あるものは成長し花を咲かせ種子を残し枯れて朽ちるそれが自然の摂理だからそう考えると今の私は枯れ始めているかもそれも一気に枯れないで根から糧を得ながら自然に枯れたいそう自然体で形を保持しながら。枯れ
きょうの詩は雨上がりの空がみせる寝不足の空かな・・・その空の回復の遅さに重ねみるのは時雨れ模様に変わりそうな空晩秋の空晩秋の空ほど私を弄ぶものはない私に期待とワクワクを持たせその気にさせながら一気に奈落の底に沈めて嘲笑う時雨模様の空この季節の空は私の故郷の空を覆う時雨空の走りに似て私の思いをあの頃に回帰させ広がり覆う空に重ねてああ似ているな・・・時が停まる。雨上がりの空
冬の風音寒々とした夜のなかで聴くのは好きなモーツアルトではなく風の音このリズム感のない風の音は無粋でものに当たり散らし喚く罵声は冬の海辺で聴く海鳴りとなって聞こえ私を過ぎた過去に回帰させ嘲笑う嫌な奴。冬の風の音寒気の南下が齎す冬の風は勢いが強く、ところかまわず吹きながら障害があっても避けず、当たる相手の悲鳴を楽しむ嫌な冬の風。冬の風
年一度四季のなかで出会いながらいつも気にすることなく彼女の前を通り過ぎる私に秋が来るとおい・・待てよ甘い匂いで私を誘う花咲く金木犀との一年に一度の彼女と私の儚い逢瀬。出会いは年に一度花を落とし匂いを消した金木犀にいまでは誰も見向きもしない初冬、樹木を蔽う常緑は染まるなかでも平常心を保つその無言が美しい。一年に一度
秋との別れ訪れた初冬のなかで小春日和が私を優しく抱きしめ冬を忘れさせてくれる温もりは長くは続かず彩を深め別れ彩となって舞い積る秋との別れ拾う落ち葉の寂はなく私から温もりを奪いはしゃぐ。秋との別れ時間の流れと季の移ろいは早く、否応なしに私から生を貪っていくが、彼等は私と違い素直で自然体でその表情は素直だ、その素直さがいまの私にはない。秋との別れ
私の気分転換私の気分転換は集い飲み食べ歌いではしゃぐのではなく週に一度の野山歩き目的はpeakの走破でなくその登る過程のProcessを楽しむことpeakは過程の通過点」この歩きができなくなったとき私の気分転換が終わる。私の気分転換私の気分転換は街中でするのではなく近郊に広がる野山が気分転換のField。私の気分転換
わかれ染まる彩のなかにみる春の芽吹きから続いた逢瀬と想い出その染まりのなかでみる色褪せて散る彼女とのわかれああ・・・きみとの逢瀬もこれで終わりか思い手にする一葉にみる一滴の彩に残るわかれの温もり。わかれ紅葉というなの落葉樹とのわかれ、そのわかれに悲しみではなく一抹の寂しさを感じる街の染まりの秋。わかれ
街の秋街のなかの樹木が描く一枚のArtその絵の前に立ち止まり楽しむゆとりはなく視界に入れながら通り過ぎる私をみて素通りか・・・秋が呟くそのゆとりのない私をみて自然体で染まる落葉樹が話しかける街の染まりと散り。街の紅葉数の少ない街の落葉樹が魅せる紅葉、山野のスケールはないが、その一つ・・の個性を一枚のArtにしてゆっくり楽しみたい街の秋。街の秋
銀杏の黄葉私がこの時期になると気になって撮るのが寺の黄葉主役の銀杏は大木の対でその染まりは一本目から始まり彼は導師となって華麗な袈裟を纏い謡いながら宴に導くその宴の始まりが銀杏の黄葉。最近撮った写真遅い街の黄葉、その黄葉を告げる主役の染まりも遅く、毎日・・逢瀬を繰り返しながら染まる一枚を、思うがなかなか撮れずいたなかでようやく撮れた銀杏の黄葉。銀杏の黄葉
私の一言きょうの私の一言はいつもの愚痴を一日こぼさないことこれが簡単なようで難しく私の哀しい性の一面が出て朝の目覚めからああ・・・から始まり走り・・で一言がこぼれ悔いる一日できょうも終わる。。一言きょうはいつも行く山と素直に向き合い歩いて一日を過ごすように、日常も過ごしたいと思うがなかなかそうはいかず、走り走りについ一言がこぼれる私の日常。私の一言
街の染まり街の染まりは遅くいつも峰々が紅葉を終えた頃から北からの寒気に乗って粗熱を冷ましに舞い降り落葉が化粧を始めるああ・・・街にも秋彩が思う染まりは薄くラフスケッチしながら塗りをはじめ別れ彩になる日が近い街の染まり。街の紅葉住む街にはいろいろな落葉樹が植えられ山野の華やかさはないが、それぞれ個性ある落葉樹が、秋になると秋の染まりを街中でもみせてくれる。街の染まり
染まる落葉樹落葉の木の葉の一枚・・を彩で染め染まりが別れ彩になってラフスケッチを秋のなかで初めているその淡彩の素描は美しく日々の深まりのなかでで素描はArtになり鮮やかな紅葉となってみせ森を焼き尽くす彩の炎それは作られた創作か落葉の性か。落葉樹春の芽吹きから始まった落葉樹の一年、その落葉樹が冬を前にして描く別れ彩のArt、私には描けない感情豊かな秋の彩。染まる落葉樹
私のStress発散私は生を受けた時から受診削除受診削除を繰り返しながらStorageを満杯にして苦悩するでその手法は換気好きな山を歩くことで日常を忘れProcessを楽しむことで空にし0から始めるのが私のStress発散。私のStress発散は毎日生活しているとストレスの多少はその日々の暮らしのなかの癒しとか楽しむことで改善はされるが、それは100%でなく溜まっていくもので、そのストレス発散を好きな山歩きで気分転換しRESETしている私。私のStress発散
私の自遊な一日人の内面で溜まるストレスは知らず内に蓄積され私の自由を奪うその手法として私は自遊な一日を作りSoloで自由気ままに好きな里山を四季を通し歩くことでその溜まりを自然換気で空にして日常に戻るのが私の自遊な一日。私の一日日常における生活で溜まるストレスを飲み、歌う、騒ぐ、遊ぶなどを街中で騒ぐことで解消するのでなく、私は好きな里山を歩くProcessのなかで換気しリセットするのが私の一日。私の一日
寺の対の銀杏まだ染まる気配がない寺の銀杏その顔は素顔で笑顔がないそれも有りかそうは言っても化粧顔が気になりきょうは立ち止まって「おい」化粧はいつから「知るか」気になれば毎日逢いに来いそう言っている気がする寺の銀杏。寺の銀杏私の住む近くに在る寺の対の銀杏、昨年その大木が剪定されて少し小さくなり、この秋はどのような化粧をするのか楽しみで、毎日見に行くが未だに化粧を始める気配がない。対の銀杏
秋との出会い秋に求める出会いは人ではなくこの時期別れ彩に染まる美しいドウタンツツジの染まりその別れ彩を求め逢瀬を繰り返しああ・・・きょうも彩は変わらないか落ち込む私が日々変わる秋彩を拾う11月の出会い。私の出会い私が思う出会いは人との出会ではなく、この時期春の花より魅力的に染まるドウタンツツジの染まり、このツツジの紅葉がMaxになる時の鮮やかさは美しくその時の瞬間を求めるのが私の11月の出会い。秋との出会い
思うこと10月が終わって思うことは何だろういつも自問自答する月の終りの思いこれといった思いはなく10月が終わったのか月日の過ぎに実感し後二ヶ月で23年を閉じるか寂しい思いに駆られる10月の閉じ。。10月に思うこと9月までは秋というのにこの暑さはいつまでかと嘆き、それが10月に入ると性格が変わるように秋らしくなり「あの暑さは何だったのか」そう思う秋を身近に感じ実感した10月の思い。10月に思うこと
私の持ち時間あるようでない私の持ち時間は推測に過ぎずきょうの時間は24時間で朝起きて行動するこの16時間が実感できる時間で残りの8時間は眠りで使う私が確認できない時間外。持ち時間生を受けてから私が手にするのはまずは24時間、その後ほ補助を得て加算され積みあがっていく私の持ち時間は基本24時間。私の持ち時間
私に来る朽ち生あるもの全てに訪れる朽ちその朽ちが私にも訪れるそう思うと素直に受け入れるか思考が残っていればおそらく嘆き足掻き苦悩し病み果てるかその答えがみえるようでみえないその朽ちが近い私。朽ち生あるもの全てに訪れる朽ちという終焉、私もその一人でその朽ちが近いひとりであり、その思いというか心の内を書けばこうなるかな。私の朽ち
空の青秋晴れの青は醒めた蒼で冬の冷たさはないがきれいで少し温もりを秘め朝のキャンバスを青でベタ塗しているこの不透明色の青は染まりいく多種多様な色彩に美を与え濁りのない微弱な潤いを含む秋空の青に忍び寄る別れをみる。秋の空10月も終わりになると夏彩と混濁した空に冬彩が混ざり、冬彩に変わっていく立冬が近い秋の空。秋の空
秋の花秋の花のひとりである彼岸花花を彩で捉えるか群れでみるかSoloを一輪差しに活けてみるかその観かた捉えはみる人の想いと感性で違い咲はArtになり山野が絵画展二なり私は一枚のArtから秋を知り咲きから冷めとときめきを味わう。ヒガンバナこの秋の彼岸花の咲は九月の暑さで開花が遅く、その花の赤に酔ったのが10月に入ってから、その褪めは一週間ほどで冷めた花との別れ。秋の花
10月の桜秋に咲く桜もあるなかいつも私がこの時期見に行く桜は春の桜と違い鮮やかさも華やかさもなく山間の崖で人目を避けて数輪の花を点け淡い花彩をみせる咲く花姿はでしゃばらず控えめで別れを指折り数える秋の桜・さくら私の住む町の谷間に在る小さな桜の一本が10月のこの時期花をパラ・・咲かせる、その咲は春の桜と違いでしゃばらず、控えめにひっそり咲く、その花との逢瀬が楽しい。10月の桜