南アから日本に帰る【27】婆にゃん爺にゃん

南アから日本に帰る【27】婆にゃん爺にゃん

スポンサーリンク

第26話に続く第27話。

前回は南オセチアに行って迷子で保護された話。

今回はナゴルノ・カラバフに行って迷子にならなかった話。

アゼルバイジャン

アゼルバイジャンに入国する前からイライラしていた。

それはトビリシにあるアゼルバイジャン大使館でビザを取る時からはじまった。

当時の領事はめちゃくちゃアホなことで有名だった。

まず、申請日の天気によってビザの滞在可能日数が変わる。

同じ種類のビザなのに、天気によって3日だったり5日だったり1カ月だったりする。

雨の日に申請すると滞在日数3日のビザしか発給してくれない。

なぜか?あいつの気分と天気が直結しているからだ。

だからオレは快晴の日を狙って申請して滞在日数1カ月のビザを発給してもらった。

ちなみに女性は即日発給だが、男性は同じビザでも3日後の発給。

なぜか?あいつは申請者が女性だとムダにカッコつけるからだ。

他にも、ビザ代を振り込む指定銀行の住所をなぜか教えてくれず、ざっくりとした通り名しか教えてくれないから探しまくったら外観が全く銀行とは思えない怪しい建物だった…という謎解きゲームもさせられる。

文句は色々あるが、ビザさえ無事に取得できたらあとは国境を越えるだけだ。

トビリシから4時間かけて国境に行き、グルジアを出国。

さぁ、入国するぞ!とアゼルバイジャン側のイミグレに行ったら「入国不可」。

は?!

「ほら、おまえがこれまで行った国のビザには必ずスタンプが押されているだろ?発給した大使館領事部のスタンプがあって初めてビザとして有効になる。でも、アゼルバイジャンのビザにはスタンプが押されていないから無効だ。領事部が押し忘れたんだろう」

あいつ・・・想像以上にアホだった!!

今まで色々な国のビザを幾多も取ってきたが、こんなことは初めてだ。

これ、陸続きの隣国だからよかったものの、空路で行った末に入国できていなかったら…と考えると恐ろしい。

さらに言うと、もしグルジアもビザが必要な国だったら…グルジアを出国してしまっているから戻ろうとしてもビザがないから再入国できない!と、国境でどちらにも入国できなくなって死ぬほど面倒くさいことになっていた。

こうして、あいつのせいでトビリシと国境を1往復半して時間とお金をムダにしたオレは、かなりイライラした状態でアゼルバイジャンに入った。

そんな状態だから、当然嫌なところの方が目につきやすかったのは仕方がない。

アゼルバイジャンにはもちろん良い人もいるが、お金が絡むと話は別だ。

外国人に対してボってくる国は世界中に沢山あるが、アゼルバイジャンはその中でも面倒くさい部類の上位にくる。

例えば、チケットを買ったとする。駅でもバス・ターミナルでもよいのだが、壁には料金表が貼られていて買う人は正規料金を知ることが出来るし、チケットにも値段が印字されている。

それなのにお釣りを出さない。

ここまでは他の国にもあるかも知れないが「お釣りが少ないですよ」と催促しても、1度に全部出してこないところがむちゃくちゃうざい! 催促する度に、小出しにする意味が分からん。何度も催促すると逆ギレしてくることもある。

なぜ、一回で全部出してこない? 地味だが買い物の度に繰り返していると、ボディーブローのようにイライラが蓄積されてくる。

他には、値段交渉してタクシーに乗ったら、途中下車するにも引き返すにも微妙というか絶妙にオレが困るところまで行った後で急に運賃を倍額にしてくるとか…

ちなみに、そもそもがそういう人たちのようで、同胞に対しても同じことをするらしい。外国人に対するほどは酷くないらしいが、ガス会社や電力会社も集金時に3倍くらい吹っ掛けてくるのはよくある話とか。

商業民族らしいと言えばらしいけど…相手にする身からすると面倒くさいことこの上ない。

お金さえ絡まなければ良い人は多いんだけど。

世界遺産にも登録されている古都シェキで泊まった宿。

19世紀に建てられたキャラバンサライ(隊商宿)。

シェキ・ハーンの夏の宮殿の外壁。

アルメニア

アゼルバイジャンとアルメニアは犬猿の仲なので(国交がない)、直接の行き来が出来ない。

アゼルバイジャンからグルジアを経由してアルメニアに入った。

ちなみに、アルメニアは隣国トルコとも国交がない。

アルメニア北部のハフパット修道院。

意外と知られていないが、アルメニアはキリスト教を国教にした世界最古の国だ。

2番目はグルジア。

アルメニアは国土の90%が標高1,000m以上の高地にある内陸国だ。

オレが行ったのは5月だったが、それでも国内の移動は雪山の景色を眺めながらだった。

山の上にある小国だが、ユダヤ人と並んでアルメニア人のディアスポラは多い。

アルメニアにいるアルメニア人より、世界に散らばっているアルメニア人の数の方が遥かに多い。

お騒がせセレブのカーダシアン家とかアルメニア系アメリカ人だし…

滋賀県彦根市のご当地キャラ『ひこにゃん』も、福井県の『さばにゃん』も多分アルメニア系だろう。アルメニアのパシニャン現首相、ダルビニャン元首相、アルズマニャン元議長の流れで、ひこにゃん、さばにゃんが日本に来たと思われる。

ナゴルノ・カラバフ共和国

2023年に事実上滅亡した自称国家ナゴルノ・カラバフ共和国(アルツァフ共和国)。

アゼルバイジャンとアルメニアを犬猿の仲にさせている主因である。

第二次ナゴルノ・カラバフ戦争が始まる前の、まだ現役自称国家としてアゼルバイジャン領の14%を実効支配していた頃の話。

“入国”にはビザが必要だった。

アルメニアの首都エレバンにあるナゴルノ・カラバフ“大使館”でビザが取得できるのだが、面倒だったので事前にビザを取得せずに行った。

アルメニア本国とナゴルノ・カラバフを結ぶ唯一の道であると同時に、ナゴルノ・カラバフに入る唯一の道であるラチン回廊を通って“入国”。

イミグレもなく、国内移動と同じ素通りでアルメニア本国からナゴルノ・カラバフに入れた。

一応途中に検問があって、そこで「ビザがない!」と指摘されたが「後で取るから」と言ったら納得してすんなり通してくれた。

“首都”ステパナケルト(アゼル名・ハンケンディ)の目抜き通り。

ちょうど滞在中に、この目抜き通りを全面通行止めにしてナゴルノ・カラバフ国防軍の閲兵式が行われた。

警官がうじゃうじゃいて「写真撮っていい?」と聞きまくったが、ことごとく「ダメ」と拒否られた。

実際には軽戦車部隊がいたりヘリコプターの編隊が空を飛んでいたりしたが、『日いずる国からやってきたスパイ』容疑をかけられそうだったので写真は撮っていない。

そんなナゴルノ・カラバフ国防軍も2023年に解散・武装解除され、今はもう存在しない。

ステパナケルト最大の見どころは、カラバフの山々を表現した『我らの山』モニュメント。

通称タティク・パピクだっ!! 訳すと、ばあさん・じいさん。

ださっ・・・

とは思っても、あまり口にはしない方がいい。

ひこにゃん、さばにゃんなど軽く凌駕するナゴルノ・カラバフのご当地キャラばあにゃん・じいにゃん・・・いや、シンボルであり、アルメニア人ディアスポラに無言でタティク・パピクの写真を見せれば「ナゴルノ・カラバフに行ったのか?!私は行ったことがないのに!」とすぐにナゴルノ・カラバフを連想する。

逆に言うと、タティク・パピク以外に一発でナゴルノ・カラバフを連想できるものはない。

ステパナケルトから南に20分ほど行ったところにシューシ(アゼル名・シュシャ)という“ほぼ”廃墟の町がある。

破壊されたキャラバンサライ跡。

戦争の傷跡と一言で片付けられるほど単純ではない。

1918年にアゼルバイジャンがシューシのアルメニア人地区を破壊してアルメニア人を虐殺したが、1992年にアルメニアが町を占領してアゼルバイジャン人地区を破壊。

下手すると100年以上破壊されたままになっている“歴史ある廃墟”だってあるかもしれない。

Unknown Soviet photographer, Public domain, via Wikimedia Commons

1920年撮影のシューシが既に廃墟だから。

これは・・・建物自体が古くないので1992年に破壊された集合住宅だろうけど。

基本的に廃墟の町だが、ゴーストタウンではない。

オレが行った当時で4000人ほどが住んでいる町だった。

廃墟を散歩していると、時たま住民に出会う。

廃墟に住んでいるがゆえに心が荒んで中指を立てているのではない。

ただの山奥のど田舎に住んでるガキだから、珍しい外国人への表現方法を少し間違えているだけだ。

大人たちにはビールをおごってもらった。

おごってもらったところまではいいのだが、ずっとアゼルバイジャンの悪口を聞かされながら飲むビールというのもなかなか苦痛である。

アゼルバイジャンにいる時はアルメニアの悪口を聞かされ、アルメニアに来たらアゼルバイジャンの悪口を聞かされてお腹いっぱい。

オレが行った時は廃墟の中にも再生があったが、再びシューシは破壊されたようである。

2020年に勃発した第二次ナゴルノ・カラバフ戦争で、勝敗を決定づけた3日間のシューシ攻防戦が戦争中で最も激しい戦闘だったようだ。

2020年11月8日、アゼルバイジャン軍がシューシ掌握。

これはシューシから北のステパナケルト方向を撮った写真だ。

手前の丘が邪魔でステパナケルトの町自体は見えないが、丘を下った盆地にステパナケルトがある。シューシが敵の手に落ちれば、ステパナケルトは上から見下ろされて丸裸になる。

アゼルバイジャン軍が戦略的要衝のシューシを掌握した時点で、ナゴルノ・カラバフ共和国の運命は決したのかもしれない。

2023年9月20日に自称国家ナゴルノ・カラバフ共和国は事実上滅亡した。

そのうち外国人もシュシャ(アルメニア名・シューシ)やハンケンディ(アルメニア名・ステパナケルト)に観光で行けるようになるはずだ。

ただし、アルメニアからラチン回廊を通ってではなく、アゼルバイジャンのバクーから行くことになるし、現地で出会うのはアルメニア人ではなくアゼルバイジャン人になっている。

そもそも昔はナゴルノ・カラバフで共存していたアルメニア人とアゼルバイジャン人が、お互いにお互いを追放し合う歴史を繰り返している。

投げ銭Doneru

書いた人に投げ銭する

スポンサーリンク
広告(大)
広告(大)

この記事をシェアする

フォローする

関連コンテンツユニット
スポンサーリンク
広告(大)