第20話に続く第21話。
前回のバルト三国からフィンランドを通ってロシアに入った話の続き。
帰国
その日、オレはモスクワの国際空港にいた。
ミュンヘンからモスクワまで転がしてきたスーツケースは、これから日本に向かうフライトに預けられてコンベアで流れて行った。
これ以上、重い荷物を持って旅を続けることは体力的に厳しい。
そう、日本に帰国するのだ。
実は…イエメンからずっと二人で旅をしてきた。
サナア国際空港へ迎えに行き、中東からヨーロッパを通ってモスクワに来るまでの約半年間を一緒に旅した。
彼女かどうか問われれば答えに窮する。
もともと知り合ってからは長く、オレがバンコクで月収1万8千円のスーパーブラック企業で働いていて極貧生活で栄養失調になって入院した頃から知っている。
バンコクで同棲していた時期もあるが、友だちに「二人って付き合ってるの?」と聞かれてもお互いに否定してきた。
知り合ってから今までに「付き合う」とか「付き合わない」とかそういう話になったことは一度もなく、そもそも付き合ったことがない女性を彼女と呼ぶものなのか?と悩んで答えに窮するのだ。
逆もしかりで、相手にとってもオレが彼氏かどうかは答えに窮するところだろうが、たぶん「違う」と否定したと思う。
色々あって同棲は解消して、オレは引き続きバンコクに住み続けて単身生活を始め、彼女は仕事を辞めて日本に帰った。
ケンカをしたわけでもないし、そもそもが付き合っていないので「別れた」というのは正しくなく、純粋に同棲を解消しただけである。
その数年後、バンコクでの生活に終止符を打って引っ越した先のケープタウンで、オレが中古の四駆を買ってアフリカ諸国をキャンプしながら旅行した時、助手席には仕事を辞めて日本から来た彼女がいた。
キャンプ旅の後、オレはケープタウンに残り、彼女は日本に帰った。
今回も日本からイエメンまで飛んできて、ここモスクワから日本に帰る。
モスクワから飛行機で日本に帰国するのはオレではない。
旅の移動を苦痛にしてきた大量の荷物は彼女が日本に持って行ってくれる。
かなり身軽になったことで、これからのオレの移動も速度アップが期待できそうだ!!
いよいよ出発の時、保安検査場に向かう彼女がオレに言った。
えっ?!
け、け、け、けっこん?!
動揺するオレの反応を待たずに彼女は背を向けて保安検査場に消えて行った。
藪から棒に弩級の爆弾を放り投げるだけ放り投げて。
まるで決定事項のような一方的な宣告であった。
これが、オレ史で言うところの『モスクワの変』である。
ここだけの話、この世の中に結婚願望のある男なんて一人も存在しない。
「いや、いる」とか「私は男だが結婚願望がある」とか異論はあるだろうが、そんなのは全部DS(ディープステート)の陰謀である。DSが男にも結婚願望があるかのように錯覚させるために用意したコロナワクチンの副作用による幻覚だ。
結婚制度はDSの…ユダヤの…フリーメーソンの…イルミナティの陰謀っ!!
結婚というか…婚姻なんてのは、賃貸借契約みたいなもんだ。
双方が同意しているなら勝手に住めばいいものを、契約を交わすことで後々のトラブル発生時に備える。
結婚は愛の形だとか何だとか言っているが、それなら愛し合う二人で仲良くやればいいだけの話で、婚姻の必要性は絶対ではない。つまり、婚姻も賃貸借契約と一緒で後々のトラブル時に備えているだけの…いや、トラブルを前提としたトラブル発生ありきで法でお互いを縛って牽制し合うためであって、相手を信用していないからこそ婚姻したがるのだ!!
大体・・・もし将来的にトラブルになって裁判をしたとして…負ける気しかしない。
ひとり空港に残されたオレは、モスクワから日本へ脳内帰国してみた。
モスクワからウラジオストクまで、シベリア鉄道で1週間。ウラジオストクから日本まで船で2~3日なので、これだと最短で10日後には結婚してしまう。
これが俗に言うスピード婚ってやつか…
10日後は早い!早すぎるっ!!
日本に帰るの怖ぇー!!
完全に日本に帰ることにビビったオレは、最終的に10日で帰れる距離を1年かけて日本に帰った。
荷物が減って身軽になったはずなのに、モスクワからのオレのスピードはとにかく遅い。
“急いでいない”とかの次元ではない、いかに日本に帰らないか…遅延行為である。
特に中央アジアは4カ月もグルグルしている。
中央アジアと中国の間には天山山脈が物理的障壁となってそびえているが、オレにとっては心理的障壁でもあった。中国に入ってしまえば、日本はすぐ隣である。
中国に入ってもいいが…日本帰国間近と見せかけておいて、急に進路を南に変えてタイに帰国してやろうか!?とか色々考えていた。
結局、天山山脈を越える決心がなかなかつかず、中央アジアをムダにグルグルしていた。
牛歩戦術!!
だが、中央アジアをグルグルするのもまだだいぶ先の話である。
1人になったオレは、まずモスクワから南下することにした。
トルコのイスタンブールを目指してゆっくりと南下してゆく。
ベラルーシ
モスクワ発ベラルーシの首都ミンスク行きの寝台列車に乗り込んだ。
同じコンパートメントになったのは男2人、女1人の3人組のベラルーシ人で、3人ともベラルーシの食品会社で働く社員で、モスクワ出張からの帰りらしい。
オレが日本人だと知ると「おぉー!」ということで宴が始まった。さぁ、酒飲め、飯食え、と至れり尽くせり状態。
「真珠湾攻撃ベリーグッド!!」
あれ?オレが気付いていなかっただけで、今世界では真珠湾攻撃が流行ってるのか?
ロシア人に続きベラルーシ人にも褒められた。
ミンスクの政府庁舎前には今もレーニン像が建っている。
政府庁舎前から軍事パレードに最適そうな片側4車線もある大通りを歩くと、ソ連時代の巨大な建物が姿を現す。
ベラルーシの諜報機関KGBの巨大な本部があり、さらに進めばレトロなソビエト・テーマパークと化したベラルーシ祖国防衛博物館がある。
入り口に共産主義っぽい大きな赤い星のマークが掲げられ、前に戦車が置いてある面白そうな建物を見つけた。
近づいていくと、何やらスーツをビシッと着込んだ屈強な男たちが沢山ウロウロしていて、ただならぬ雰囲気だったが、そんなことには気付かぬふりをしてカメラを取り出す。
すると直ぐに取り囲まれ「写真を撮るな」と怒られたが、アホなふりをして戦車を指差して「戦車撮りた~い」と駄々をこねると「そっちの方向だけだぞ」みたいなことを言って許してくれた。
知らなかったのだが、戦車の置いてある建物の直ぐ隣が独裁者ルカシェンコの大統領官邸らしく、スーツを着た人たちはSPであった。
そういえば、皆さん片耳にコードがクルクルってなってるイヤホンをしてた。
この写真を撮っているオレの背後には大統領官邸があり、SPたちに取り囲まれながら(監視されながら)撮った。
しかも、これも少し後になってから知ったのだが、ちょうどルカシェンコが大統領官邸に戻ってくるところだったようで、道路を全て封鎖して一帯はピリピリモードだったようだ。
SPたちに「ありがとう」と言って大通りに戻ると、ちょうどルカシェンコが大統領官邸に戻ってきた。飛ばし過ぎなんじゃね?と思うくらいスピードを出して、キキーッとタイヤを鳴らしながらパトカーと黒塗りの車の集団が先ほど写真を撮っていた建物の方に走って行った。
もしルカシェンコの車を撮っていたら「日いずる国からやってきた諜報員」として拘束されて、ベラルーシの国営放送で『東京から来たサムライの失敗』という特別番組を放送されて時代を先取りしていたかもしれんが、とてもカメラを向けれるような雰囲気ではなかった。
ベラルーシで日本人拘束 「情報機関員」と国営放送(2024年9月5日)意外と皆さん気にしていないが、海外では軍事施設はもちろんのこと空港、港湾、橋、鉄道、政府施設等も実は撮影が禁止されている場合が多い。アフリカもそういう国は多いが、ウガンダなんかは郵便局すら政府施設くくりで撮影禁止だった。
普段はそこまで厳格に取り締まっていないというだけで、捕まえようと思えば捕まえられることだけは気に留めておいた方がいい。戦争に間接的にでも関係している国で鉄道の写真を撮れば「日いずる国からやってきた諜報員」になり得る。
ウクライナ
ロシアとベラルーシの国境にはイミグレや税関の類いが一切なく、国内移動みたいな感じで出入国できたのだが、ベラルーシとウクライナの国境ではがっつりパスポートチェックをされた。
それが普通ではあるけど。
ミンスクからウクライナの首都キーウへ向かう国際列車では、国境で係官が列車に乗り込んでくるので列車内で手続きが済む。
ベラルーシの係官は、ルーペを取り出してオレのパスポートを調べたり、光に透かして見たり、色々調べていた。オレのパスポートは増刷されていて、これまで通って来た各国のビザやスタンプでほとんどのページが埋まっているので怪しまれるのは毎度のことで慣れている。係官はため息をついたり、「分からん!」みたいな感じで首をひねっていたが、最終的に時間はかかったものの出国スタンプを押してくれた。
一方ウクライナの係官は、他の乗客たちのパスポートに入国スタンプを押し始めたが、オレのパスポートにだけは入国スタンプを押さず「ちょっと来い」。
車両の端にオレを連れ出した係官は、結露した窓ガラスに指で『20$』と書いて「よこせ」というジェスチャー。
おぉーっ、南アフリカから今まで数々の国境を越えてきたが、金をせびってくるイミグレはウクライナが初めてだ!!
いやだ。
拒否すると、係官は「お前に入国スタンプは押さない」と次の車両に行ってしまった。
まぁ・・・入国スタンプくらいどうでもいいや、また寝よう。
ところが、しばらくすると同じ係官が現れて再び呼び出し。今度は自分の手のひらにボールペンで『20$』と書いてきた。
だからー、何のための20ドルなの? 「ビザ代?」と聞くとそうではないらしい。そりゃそうだ、日本人はウクライナ入国にビザは必要ないからな。
理由を言わないまま、20ドル出すか出さないかファイナルアンサーを迫られた。
係官:「イエス or ノー?」
オレ:「んー…じゃあ『ノー』でお願いします!」
係官:「ファイナルアンサー?」
オレ:「ファイナルアンサー!」
係官がみのもんたに見えてきた。
目を見開いて大きく頷く係官。おぉ、正解かっ?!
係官:「ノー・ウクライナ!!」
あら…残念ながら不正解だったようで「荷物を持って列車を降りろ!」と入国拒否された。
そうですか…不正解だったなら仕方がない。
大人しくコンパートメントに戻って身支度をし「さぁ、降りるか!」と思ったところへ、係官がやって来て「戻れ」だって。
どっちだよ?!
係官が返してきたパスポートには、しっかりとウクライナ入国のスタンプが押されていた。
列車から降ろして国境に足止めにすればオレが困って20ドルを払うとでも勘違いしていたようだが、『モスクワの変』以降のオレは足止めされたところで困るどころかウェルカムである。
牛歩戦術!!
首都キーウの独立広場。
世界遺産のキーウ・ペチェールシク大修道院。
かなり広く教会がいくつもあるが、その中でも最大の生神女就寝大聖堂。