第14話に続く第15話。
前回は、2カ月滞在したエジプトの話。
今回は、ヨルダンとシリアを北上してトルコに入った話。
未だに終わりが見えないシリアの内戦がはじまる前の話である。
ハラーム
中東を旅行する時に一番不安に感じるのが、ビールは飲めるかな?豚肉は食べられるかな?というところだろう。
イスラームではどちらも禁忌とされている。
ただ、中東でイスラーム教徒が圧倒的多数であることは確かだが、少数派になってしまっているとはいえキリスト教徒も一定数いる。
エジプトにはコプト正教、シリアにはアンティオキア正教やシリア正教がある。
そんなわけで、ビールはちゃんとある。
エジプトにはステラ、サッカラ、ルクソール。レバノンにはアルマザ、961。シリアはアル・シャーク、バラダ。トルコはエフェスなどなどそれぞれローカルビールが存在する。
一方、イエメンやオマーンは基本飲めない。全く飲めないか?と言えば、輸入ビールを飲めないこともないが、非常に限られた場所で非常に高い金を払わないと飲めない。
そんなわけで、オレはイエメンではフルーツジュースを飲んでいた。
街中のいたるところに目印としてマンゴーをぶら下げたフルーツジュース屋さんがあり、その場でミキサーにかけて作ってくれる美味しい搾りたてフルーツジュースが飲める。しかも、レモンジュースが20リアル(当時約10円)、バナナジュースやメロンジュースだと50リアル(約25円)と激安だ。
が、不純な異教徒であるオレ的にはビタミンよりアルコールを摂取したい…
その点、エジプトからヨルダン、シリア、トルコと移動中はちゃんとビールが飲めた。
エジプトのカイロには1908年創業のクラシックなバーもあったりと、日本ほどには手軽ではないにしてもアラビア半島のがっつりイスラームの国々よりかは全然手軽にありつける。
一方…豚肉はほぼほぼムリである。
エジプトやトルコは買えないこともなさそうだが、ビールを見つけるより大変なことは確か。
豚骨ラーメンなんか絶対に食えない!!
そんなわけで、イエメン以降の中東はぐるぐるチキン三昧。
いや、旨いのは旨いから最初はいいんだけど…何か月もぐるぐるチキンを食ってると、なぜか無性に禁忌食の豚骨ラーメンを食いたくなってくる。
別にアフリカで食っていたわけでもないのに、なぜか急に豚骨ラーメン禁断症状が出てきた地…それがオレにとっての中東。
中東で渇望して以降、一番好きなラーメンは豚骨ラーメンになった。
禁忌キッズとしては、不純なハラーム食を「くっせー!」と言いながら喰らう背徳感には、味噌や醤油ラーメンなんかでは味わえない格別さがある。穢れたチャーシューまで一緒に喰らっちゃって、さらに罪を重ねてやるのだ。デビュー曲はもちろん「Stay with me 豚骨の破片が胸へと突き刺さる♪」と歌う『豚骨の少年』。
まぁ、味噌や醤油がハラール(OK)かと言えば、製造過程で人工的にアルコールを添加しちゃってるものを使っていればハラーム(NG)なのだが…添加レベルの不純さ程度では豚骨ラーメンの外道ど真ん中の不純さには太刀打ちできないだろう。
豚骨ラーメンは存在そのものがハラームであり、ハラール認証を取得できることは絶対にない。
観光
ヨルダンで最も有名な場所といえば、世界遺産ペトラ遺跡。
映画『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』のロケ地で知られる。
シークと呼ばれる狭い岩の裂け目をひたすら歩かされること1km以上。
こんなに歩かされるの?!と文句が出てきた頃、それは突然姿を現す。
2000年くらい前に岩肌を彫って造られた神殿風のエル・カズネ。
中はどうなってるんだろう?とドキドキしながら入ったら、ちょっとした部屋があるだけ。
立派な外側の割に内部はこじんまりしていて正直拍子抜け。
ヨルダンではペトラ遺跡の他に死海にも行っているが、シリアの方が国土が広い分だけ見どころも多い。
世界遺産に登録されている首都ダマスカス。
アッシリア帝国、バビロニア帝国、ペルシア帝国、アレクサンドロス大王、ローマ帝国、ウマイヤ朝、大セルジューク朝、十字軍、オスマン帝国…ダマスカスの歴史だけで世界史のテストで高得点を狙えそうである。
日本にモンゴル軍が襲来(元寇)してくる10年前には、ダマスカスもモンゴル軍に蹂躙されている。その140年後には、モンゴル帝国を継承したウズベキスタンの英雄ティムールが攻めてきて再び蹂躙。
世界最古のモスクであるウマイヤ・モスクとか、中東最古の市場スーク・ハミディーエ(写真)とか、見どころはあるが…
数千年続く激動の歴史ゆえか、都市全体としてみるとイエメンのサナア旧市街の方が歴史的建造物がごそっとまとまって残っている印象。
ゴラン高原にある非武装地帯クネイトラはダマスカスから車で1時間ほどのところにある。
第4次中東戦争で破壊された町を「イスラエルの残虐性」を示すためにあえて廃墟のままで残しているプロパガンダ・タウンだ。
その後にはじまったシリア内戦で、わざわざシリア内務省の許可をとってクネイトラに行かなくても廃墟になった町はシリア国内にたくさんあるし、“破壊の残虐性”をアピールすることが目的なら自国を破壊したアサド政権はどうなるんだ?という矛盾が生じるのでプロパガンダとして説得力はもはや失われていると思われる。
ダマスカスから東の砂漠地帯に行くと世界遺産パルミラ遺跡がある。
オレが見たこの記念門も…
この四面門も…
手前のバールシャミン神殿は完全に、奥の山頂に建つパルミラ城は一部が…
イスラーム国(ISIL)が爆破破壊した。
元々、パルミラ遺跡自体は瓦礫がほとんどで、形として残っている建造物はその広さの割に少なかったのだが、さらに瓦礫だらけになってしまったようだ。
ホムスの西30kmのところには、十字軍時代に聖ヨハネ騎士団が築城したクラック・デ・シュヴァリエがある。
小高い丘の上に建つ名城は、世界遺産にも登録されている。
流行
当時、アラブ圏全体で流行っていた曲がある。
レバノンの歌手で、アラビアン・ポップスの女王ナンシー・アジュラムの『ヤ・タブタブ』だ。
イエメンからはじまり、アラブ圏ではミニバスで移動中から食堂で食事中まで『ヤ・タブタブ』を聴かされ続けて…
もう、いいって!!
洗脳されるんじゃないか?ってくらい、ずっとヤ・タブタブされていた。
オレの中東旅にバックグラウンド・ミュージックを選ぶとしたら、間違いなくこの曲一択。
この曲を聴けば、当時を思い出す。
自分の嗜好に合った音楽を発見できる手段が多様化して、トレンドが分散化している今の時代と違って、以前はメガヒットするとゲロ吐くくらい同じ曲が町中で流れ続けていた。
「あなたの青春の1曲は?」と問われれば、オレは間違いなくLOSOの『ซมซาน(ソムサーン)』を選ぶ。
南アフリカ時代は、Malaika『Destiny』だな。
売上データとしてみると、LOSOは200万枚、Malaikaは35万枚の大ヒットとなっているが、これまではあくまで正規品として売れた数字。
著作権に対する意識など皆無で海賊版というか違法コピーが全盛期だった当時、どれほど大ヒットしたかはこの数字だけでは分からない。
LOSO『ソムサーン』もMalaika『Destiny』も、軽い拷問レベルで町中に溢れてたから。
ちなみに…ナンシー・アジュラムは2000年代のアルバム・セールスが3000万枚を誇る怪物クラスのスーパースター。
イエメンのダッバーブ(ミニバス)の運ちゃんが、シリアのセルビス(ミニバス)の運ちゃんが正規品を買っているわけがないんだから、実質的なヒットは数字として表れている以上である。
どんだけヤ・タブタブを聴かされたことか…
自分の嗜好に合った音楽ばかりを聴ける今もそれはそれでいいのだが、その国その地域でその時にヒットしている曲を否応なしに聴かされ続ける強制性も、それはそれで旅の音として思い出に残る。
地中海
シリアから国境を越えてトルコのアンタキヤ(古代アンティオキア)に入った。
少し内陸に入ってカッパドキアとパムッカレに寄り道した後は、地中海に出て海沿いを西に向かいトルコのマルマリスから船でギリシャのロドス島に入った。
イスタンブールには行っていない。
イスタンブールに行くのはこれから約半年後のこと。