日本から世界に伝えたいSDGs ③ 【”普通”じゃないことは可能性 異彩作家が描くアートの輝き】 - 国連広報センター ブログ

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日本から世界に伝えたいSDGs ③ 【”普通”じゃないことは可能性 異彩作家が描くアートの輝き】

田崎飛鳥さんのフクロウのシリーズの作品 © UNIC Tokyo/Ichiro Mae

【団体概要】ヘラルボニー 福祉を起点に新たな文化を創り出す”福祉実験ユニット”。主に知的障害のある作家とアートライセンス契約を結び、彼らの作品を活かした商品や企画を大手企業や行政などと連携して実現。創業者で双子の松田文登(ふみと)・崇弥(たかや)兄弟は世界を変える30歳未満の30人「Forbes 30 UNDER 30 JAPAN 2019」受賞。

“普通”じゃない、ということ。それは同時に、可能性だと思う。

そう掲げて、岩手県盛岡市を拠点に全国へと活動を広げる企業「ヘラルボニー」。日本全国の主に知的障害のあるアーティストと共にアートライフスタイルブランドを作り、商品を生み出しています。

世界保健機関(WHO)によると、世界の人口の15%が何らかの障害がありながら暮らしています。日本には、1000万人近い身体障害者知的障害者精神障害者がいます。企業は、雇用する労働者の2.3%に相当する障害者を雇用することを義務付けられていますが、障害のある人の2人に1人が年収100万円以下で、相対的貧困とされるライン以下で暮らしているという統計もあります。

「誰ひとり取り残さない」を基本理念に掲げられたSDGsの目標には、障害者に関するものも多く含まれます。障害者の包摂性は、多様な人が活躍できる社会や組織づくりの鍵でもあります。

ヘラルボニーは盛岡市に独自のギャラリーを構え、大手企業や公共施設との連携も実現しています。ヘラルボニーの考える可能性とはどのようなものなのか、代表取締役副社長の松田文登さんにお話を伺いました。

 

障害のある兄と生きて

松田文登さんには自閉症で重度の知的障害を持つ兄がいます。小さなころから兄がかわいそうだと言われることが多く、”障害者”の印象がネガティブに捉えられていることを感じてきました。兄の存在を隠し、それに罪悪感を感じる時期もあったという松田さんの転機となったのは、知的障害や精神障害のあるアーティストの作品が多く展示された「るんびにい美術館」を訪れたことでした。松田さんは、支援や社会貢献の文脈ではなく、作品としての素晴らしさを感じ、そのエネルギーに衝撃を受けたと言います。

 ヘラルボニー代表取締役副社長 松田文登さん © UNIC Tokyo/Ichiro Mae

「彼らだからこそ描ける世界があるし、伝えられることがある。障害ではなく、”異彩”と捉えることによって違う見え方になるんじゃないかと。アートという尊敬が生まれる世界と障害者の出会いを多くつくっていくことで、障害のイメージをを変えていけると思いました」

2018年、松田文登さんは、双子の弟の崇弥さんを社長に、障害のある作家の才能から生まれるアートをビジネスに展開するため、「ヘラルボニー」を設立します。福祉施設を回り作家や家族と対話をして、作品のデータを預かるライセンス契約を結び、ネクタイや傘、ハンカチ、エコバック、額絵などの商品を制作、販売するビジネスモデルをつくっていったのです。

人気作家のアートを活用した商品 提供 ヘラルボニー

いま、約40の福祉施設とライセンス契約を結び、保有ライセンス数は2000点を超えています。ライセンス契約によって年収数百万円を超える人気作家も出てきました。

 

震災を経験した作家

ヘラルボニーと契約している作家のひとりが田崎飛鳥さん(41歳)です。生まれながらに脳性麻痺と知的障害があります。幼い頃から絵画や画集に興味があった飛鳥さんは、若くしてアート展で受賞する実力を備えた作家です。

現在の制作活動に大きく影響したのが東日本大震災でした。飛鳥さんの故郷、陸前高田市津波による壊滅的な被害を受け、長年飛鳥さんが描きためていた200点の絵は家と共に全て流されました。町が津波にのみ込まれる様子を高台から見ていた飛鳥さんは家に帰りたがりましたが、被災後に家の跡を見に行った時は、手を強く握りしめて反対側を向き、決して家のほうを向かなかったそうです。

仮設住宅で少しずつ生活が落ち着く中で、飛鳥さんは再び絵を描き始めます。最初にテーマにしたのは、震災前いつも飛鳥さんに声を掛けてくれていた近所の人たちでした。タイトルは「星になった人」。飛鳥さんと同じ町内会には8世帯が暮らしていましたが、そのうち津波によって10人が亡くなりました。

飛鳥さんが震災後に描いた作品「星になった人」 提供 ヘラルボニー

作品は以前の優しい柔らかいタッチと全く違う荒々しい筆運びで、強い線で輪郭を引き、人物の唇は紫に塗られています。

津波で流されてしまった作品「フクロウの家族」も描き直しました。以前の作品とは変わってフクロウの表情は鋭く、背景は真っ赤になりました。

飛鳥さんと「フクロウの家族」(背景右)  © UNIC Tokyo/Ichiro Mae

気持を整理するかのように描く飛鳥さんに、父の實さんは飛鳥さんがアートによって震災を乗り越えていると感じたと言います。徐々に、色使いが落ち着き始め、柔らかい感じが戻ってきました。

いま、飛鳥さんの作品は、対象物の実際の色ではなく違った色で表現することが多いそうです。なぜその色を使うのかと聞かれた飛鳥さんは「聞こえてくるから」と答えたそうです。何を表現しているのかという問いに、飛鳥さんは「心です」と返しています。

津波被害から1本だけ耐え残ったを木を描いた飛鳥さんの作品「希望の一本松」 
©UNIC Tokyo/Ichiro Mae

 

厚い社会の壁を越える

倒壊した市庁舎を新築する工事現場の仮囲いに「絵を飾ろう」と飛鳥さんに提案したのがヘラルボニーでした。ヘラルボニーは行政や建築会社と連携し、建設現場や商業施設内の「仮囲い」を期間限定の「ミュージアム」とするアート・プロジェクトを展開しています。色鮮やかな絵が展示されることで現場の雰囲気は華やかに一変します。

岩手県陸前高田市内 飛鳥さんの作品が展示された仮囲い 提供 ヘラルボニー 

以前、父親の實さんは、障害者やその家族と地域の壁は分厚いものだと感じていました。陸前高田市の調べでは、市民の中で障害のある人の震災時の犠牲者の割合は、市民全体での犠牲者の割合の1.3倍とされ、障害者のほうがより高い割合で亡くなっているのがわかりました。

「障害者がいる家庭はどうしても地域の中でも遠慮してしまう。避難所に行けば、パニックになるだろうし、大きな声を出すだろう、それなら傾いていても家にいることを選んでしまう。普段の生活の中では理解されているように思われても、非常時には孤立してしまうこともあります。だから横につながりたいんです。だけど横に連なるのには一歩踏み出さなくちゃならないんです。その一歩がなかなか難しいんですよね」

實さんは、ヘラルボニーの事業が、飛鳥さんに新たな道を作ってくれたと感じています。

「ヘラルボニーとの出会いで人とのつながりがすごく広がりました。見知らぬ方が飛鳥くんの作品を見かけた、あの商品買ったよと声を掛けてくれるようになりました。アートを通じて飛鳥の絵がいろいろな目に触れることによって、ああいう人がいるんだ、こんな絵を描いているんだと理解してもらえる。何かあった時には声を掛けてくれる。そんな状態になっていると思います。アートは大きな一つの道だと思いました」

 

”ふつう”とは何か 

障害をあえて”特性”と言い切り、それを可能性として、「”異彩”を、放て。」という理念で活動するヘラルボニー。作家に光が当たる「ハレの場」を作ることで障害のある人に対する社会の壁を低くしたいと、作家による作品の公開制作やトークイベントなどを開催しています。

百貨店内でのイベントで作品を描く作家 衣笠泰介さん 提供 ヘラルボニー 

関西の大手百貨店でイベントを開催した際には、周りに迷惑をかけてしまうかもしれないという不安で百貨店に来られなかった障害のある人と家族が、ヘラルボニーが開く場だから安心だと足を運んでくれたそうです。障害のある兄弟がいると話してくれた来場者もいました。作家のファンたちもかけつけるようになりました。松田文登さんは事業への抱負を改めてこう語ります。

「私達の事業の大きな価値は、心理的ハードルが高かった人達が、そのハードルを飛び越えやすくすることなんじゃないか。障害のある人と一緒に働く価値観を作っていくとは、すべての人達を受け入れ、色々な人がいていいんだという価値観が広がっていくことだと思っています。そして、チャレンジしたいと思ったら、どんな人もチャレンジできる権利が同じようにあればいいなと願っています」

ヘラルボニー代表取締役副社長の松田文登さんと広報担当の玉木穂香さん 
© UNIC Tokyo/Ichiro Mae

障害のある人など、多様な背景の人と一緒に商品や企画の開発、サービスの改善などをデザインし、課題解決していくアプローチを「インクルーシブデザイン」と呼び、いまいくつもの連携が生まれています。ヘラルボニーは現在、金沢21世紀美術館での初となる展覧会で、知的障害のある人の日常の行動から生まれる音を紡ぎ、音楽にして届ける実験的展示も行うなど、美術館とのコラボレーションも進めています。

岩手県盛岡市内のホテルではヘラルボニーの作家の作品が様々な形で使われている
© UNIC Tokyo/Ichiro Mae

背景の違いを活かしてパートナーシップを組むことは、それぞれの力を活かし高め合う、より面白い社会の実現につながるのではないでしょうか。