今回はアニメファン大注目の『きみの色』の感想記事になります!
2024年最大の注目作じゃな
カエルくん(以下カエル)
うちは『映画 聲の形』の時から山田監督は10年以内に日本のトップに立つと評価しているからね!
亀爺(以下亀)
台風も心配したが、なんとか1日目に観に行くことができたの
カエル「それでは、早速ですが感想記事のスタートです!」
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Xの短評
#きみの色 を観ました
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2024年8月30日
山田尚子作品・および演出が網羅され、絵コンテが1人ということでまさに山田作品の集大成といっても過言ではないでしょう… pic.twitter.com/yfMZro8j5i
Xに投稿した感想
#きみの色 を観ました
山田尚子作品・および演出が網羅され、絵コンテが1人ということでまさに山田作品の集大成といっても過言ではないでしょう
今作のテーマを一言で表すならば”信仰”であり、それは宗教としての信仰もそうですが人が何を信じ、何を願い、どのように生きるのかということをテーマにしており過去の山田尚子作品とも共通する部分でしょう
その意味で演出家、映画・映像監督としての山田尚子の持ち味が遺憾無く発揮されており、彼女がなぜアニメ界において注目されているのかがわかるでしょう
一方で今作はさまざまな要素が絡み合います
映像と音声
具体と抽象
作家性と商業性
サイエンスSARUと京都アニメーション
それらの色が混合していると感じるか、あるいは反発していると感じるかで評価が分かれるでしょうが、ボクは混ざりあっていないと感じるシーンもあり、その点でノイズが大きい作品でもありました
感想
それでは、感想からのスタートです!
う〜〜〜〜〜む……とても評価が難しい作品じゃな
カエル「山田尚子作品をいつも高く評価してきて、とても好き! と公言しているけれど、それでも難しいという評価になるんだ……」
亀「逆に言えば、さまざまな思い込みが……山田作品はこういう傾向がある、あるいはさらに突っ込んでしまえば、こうでなければいけない、くらいの感覚が、すでにうちの中で生まれてしまっているのかもしれんな。
また、主がこの前の記事で今作の宣伝について文句を言っておったが、それも意識下にあったのかもしれん。
そういうさまざまな要因が複雑に絡み、評価が難しくなっているといえるかの」
良かった・悪かった、面白かった・つまらなかった、みたいな感想も難しい?
そういう境界線にある作品ではない、というのがワシの評価じゃな
亀「もちろん娯楽として面白い、つまらないというのはあるじゃろうが……ワシは今作は、そういった要素を混ぜ込んで曖昧にした作品という評価になる。
なので面白い・つまらない、あるいは良い・悪いという評価は、あまり意味をなさない。その中間というか、余白というか……そういった部分を追求した映画という評価であるかの」
今作を語る上での4つの視点
この記事では、この4つの視点について語っていきましょう
これらは時に反発しながらも、時には相乗効果として強みを発揮する
カエル「必ずしも対比関係となる概念ばかりではないね」
亀「そうじゃな。
これらの組み合わせがうまく混ざり合っていると感じるか、あるいは反発していると感じるかによって、今作の評価は大きく変わると感じておる。
そしてわしは、混ざっている部分もあれば、相反している部分もあるという評価じゃ。
ここについて、どうしてもネタバレありになってしまうが、具体的に語っていければいいの」
以下ネタバレあり
視点① 映像と音声
まずは映像と音声ということだけれど、ここがイマイチだったの?
評価を難しくしている要因の1つじゃな
カエル「ここでいう音声とは、役者の演技のこと? それともBGMなどの音楽や、効果音のこと? それとも楽曲のこと?」
亀「ここでは主に役者の演技について語っていくとするかの。
本作の映像については、紛れもなく繊細で山田尚子演出が行き届いておる、どのシーンも見応えがあるものじゃ。エンドクレジットでは1人絵コンテでクレジットされていたが、それもわかるくらい、山田演出がまさに100分間続いているような感覚であった。
しかし……これはうちが前回挙げた記事の、悪い思い込みもあるかもしれんが、やはり役者の演技がついてこなかった印象じゃな」
はっきりというと、芸能人声優が悪いってことなんだね
いや、そこまではっきりと悪いというほどのことではない
カエル「……なんだか煮えきらないなぁ‼️
はっきりといったらどうなの⁉️」
亀「良い悪い、合う合わないとはまた違う問題じゃな。
確かに基本的には演技が良いか悪いか、合うか合わないかが重要な問題になっており、その意味では今作は演技が悪いとは言わんし、キャラクターに合ってはいた。
しかし……映像や音楽の繊細さと、音声・セリフが合致していないという印象じゃ」
複雑な映像に求められる、複雑な演技
それは下手とは違うの?
近しいように感じるかもしれんが、ワシは別物として考えておる
亀「声を専門としてない俳優の中でも、できる人はできるのじゃが……やはり経験が浅いと、演技プランが1種類しかない場合がある。
そして今回は、そのパターンに入ってしまったという印象じゃ。
これはワシが『リズと青い鳥』を追い求めすぎているのかもしれんが……例えば『リズ〜』の後半にある、みぞれと希美の演技、特に希美役の東山奈央の演技には、様々な感情が込められているわけじゃな」
「ごめん、それよく覚えてないんだよ」とか「みぞれのオーボエが好き」に漂う複雑な感情の込め方ってことかな
それでいうと、本作はそれほど複雑な感情がセリフの中で込められていないように感じた
カエル「頑張って感情を込めていたと思うけれど……」
亀「複雑性の問題じゃな。
その意味では、単色のキャラクターとしては良い演技ができたと感じておるが、その内面の複雑性を兼ね備える演技ができていたのか? という問題じゃ。そしてそれはキャストを責めるのも少し酷で、本職の声優でも全員ができるとは思わん。
それこそ山田尚子を追ってきたファンは今作でも起用されている悠木碧や寿美菜子を、そして黒沢ともよなどの名演技を知ってしまっておる。
その意味ではハードルがあまりにも高いということになるかもしれんが、映像表現の複雑さと比較すると、特にセリフの演技が軽く、単調に聞こえてしまったという印象じゃな」
となると、声の演技がないシーンは引き込まれたということ?
そういうことになるかの
カエル「それは、確かに『芸能人声優だから〜』という先入観もありそうだね」
亀「山田作品……というよりも京アニ作品は『けいおん!』にしろ『たまこまーけっと』にしろ、主要声優に関しては当時の新人・若手声優を積極的に起用して育ててきた歴史がある。それを知るからこその思いかもしれんな。
1600人から選んだということで、芸能人声優だからダメだと断じるのは不適当かもしれんが、だとしたら監督などの役者選定の問題ということになるのではないかの」
視点② 作家性と商業性
次は作家性と商業性で、ここは反発しやすいと言われる箇所でもあるよね
必ずしも対立するわけではないが、本作は夏の大作オリジナル映画という枠組みじゃからの
カエル「それでいうと、やっぱりその枠組みが評価の邪魔になっている部分もありそうだね」
亀「そうじゃな。
今作は作家性をとりにきたのか、商業性をとりにきたのかが、イマイチわかりづらい。もちろんその両立は可能じゃろうし、狙っているとは思うが……しかし山田監督の作家性は発揮されておりながらも、過去作ほどの尖りを感じられなかった。
そして商業性は……あまりない、ないのではないかの。本作がキャッチーに盛り上がることは、あまりないのではないかの」
その辺りは監督などの現場というよりも、もっと上のプロデューサーだったり、宣伝担当が考えることかもしれないけれどね
作家性と商業性のバランスを取ろうとして、中途半端になってしまったという印象じゃな
亀「もっと作家性を尖らせた方が面白かったともいえるし、逆に商業性を意識するならば作家性を抑えた方が良かったかもしれん。
ワシとしては山田尚子ファンとして、作家性バリバリの作品が観たかったから、今作ではさらに作家性の方向を強くしてほしかったかの。
ここではバランスを取ろうとした結果、中途半端になり、どちらも尖れなかったことが惜しいという話じゃな」
視点③ 具体と抽象
次は映像表現における具体と抽象のバランスについてのお話です
ここはそのまま、④のサイエンスSARUと京都アニメーションにも繋がる話じゃな
カエル「ここでいう具体とは、現実の表現を模索するようなリアルな作画のことであり、抽象とはデフォルメを効かせた作画表現のことだと解釈してください」
亀「今作は基本的には具体表現がなされており、路線としては『リズと青い鳥』にも近い作画がなされている。しかし……残念ながら『リズ』ほどの圧倒的なリアルな作画表現は、達成されなかった。
いや、今となっては、あの表現は日本どころか世界のどこでも達成できないものになっているのかもしれんがの」
作画監督を務めた小島崇史は、オールマイティになんでもかける中堅アニメーターという印象かな
もちろん、映画館で観るべきクオリティにはなっておる
亀「しかし……本当に面白い作画表現が多かったか? と問われると、ワシにはなんともいえんかの。
むしろ、もっとも特筆する作画表現の1つが今作の1人原画のPVになってしまっておる」
山田尚子絵コンテ・演出で、小島崇史が1人原画としてクレジットされているPVだね
この映像が今作でもっとも特筆すべき映像表現になっておる
亀「その意味では、やはりリアルな作画、具体表現に限界があったということじゃろう。
小島崇史クラスのアニメーターが、そうそうたくさんいるわけではないからの。
元々100分の映画表現を成立させることができるアニメーターはそこまで多くない上に、かなり限定された能力の、しかも上澄みを要求するような作品になっておるからの。そして先にも挙げたように、キャストの演技が一辺倒になってしまっておるから、より映像表現の複雑さを単調に感じさせてしまったのかもしれんな」
視点④ サイエンスSARUと京都アニメーション
そして話はそのまま制作スタジオの個性にも及びます
この2つのスタジオは真逆の個性を持っておるわけじゃな
カエル「元々サイエンスSARUは湯浅政明監督を中心としたスタジオとして設立されており、その作家性に合わせて自由自在なアニメーション表現が特徴的です。
実際に山田尚子監督もサイエンスSARUで制作した『平家物語』は一転して、デフォルメの効いたデザインのアニメーション表現を行なっています」
京アニ時代の作品
もしかしたら、演出などに興味がなければ同一監督作品とは思われないかもしれないくらい、ガラリと変化しているよね
ワシは山田尚子監督がサイエンスSARUで制作すると知った時、驚きと共に非常に面白い試みだとじゃと評価したんじゃよ
カエル「京アニは……もちろん抽象表現やギャグ描写も行うけれど、リアルな、現実に即した動きなどの作画表現が特に注目を集めるスタジオだからね。もちろん、山田尚子監督はその個性を高めた人の1人でもあるわけで。
そういう人がサイエンスSARUの、抽象的で個性的な動きが多いスタジオに行くというのは180°方向性が変わる話だよね」
亀「しかし、ワシはここが少し上手くいかなったように感じてしまった。
どうしてもワシは……『リズと青い鳥』の幻影を追いかけてしまう。
しかし結果論になるが目指すべきは『けいおん!』であり『たまこまーけっと』であり『平家物語』であり『Garden of Remembrance』のような、抽象を含む表現だったのではないか。
ワシが今作でもっとも面白いと感じたのは、後半の演奏シーンじゃが……あそこは具体だけでなく、観客のダンスも含めたサイエンスSARUの良さ、つまりアニメーションの面白さが発揮されていると感じた」
観客であるうちが、京アニ時代の山田尚子の幻影を追いかけすぎているだけかもしれないけれど……
やはり水沢悦子や高野文子のように、現実から大きく離れたキャラクターデザインが必要だったのではないじゃろうか
まとめ
以上のことが気になったんだね
今作と比較であれば、ワシは『平家物語』『Garden of Remembrance』『彼が奏でるふたりの調べ』の方が、素直に褒めたいの
カエル「ふむふむ……」
亀「もちろん、何度も言うようにワシが過去の山田作品を追い求めすぎているのかもしれんが、京アニ時代に通じる具体表現を目指した結果だとすれば、それは京アニだからできることであった。
これが川村プロデューサーの意向も絡むのか、山田監督の思いからなのか、それとも色々な事情があるのかはわからんが、その絵コンテのカロリーに作品がついてきているとは、ワシは思えなかった」
それらのワシの懸念が、全て今作で出てきた、ということかの
亀「”いろいろな色を混ぜてみよう”という試みは、非常に評価したい。
山田尚子という作家性とTOHOの300館超えという商業性、あるいは具体表現と抽象表現など、さまざまな色があって、そのどの色でもないものを目指すということは伝わってきた。
その結果としては……よくいえば複雑な色合いとなった、悪くいえば色合いや個性が薄くなった、ということになるのかもしれんな」