今回は2020年の1月から始まったテレビアニメ『映像研には手を出すな!』のアニメ版の感想記事になります!
すんごい高い人気を誇る作品だな
カエルくん(以下カエル)
「これほどまでに話題になるとは……さすがは湯浅政明監督だよね!」
主
「2010年代を代表する監督なのは間違いないし……作品の質・量ともに突出しているものがある監督でもある。
そういえばこちらも現代を代表する同年代の名匠・水島努監督もしんちゃんに関わっていたし……あの時代のシンエイ動画やしんちゃんに、何かあるのかねぇ」
カエル「しかも、2020年だけで『日本沈没』も監督して、さらに2021年には『犬王』の監督もして……映画だけでも2年に1作ペース、そこにテレビアニメスケールの作品を何作も挟むんだから……超人としか言いようがない……」
主「どうか、お体にお気をつけください、としか言いようがないです……
それでは、感想記事のスタートです!」
TVアニメ「映像研には手を出すな!」PV 第3弾【1/5(日)24:10~NHK総合テレビにて放送開始】
感想
それでは、Twitterの短評からのスタートです!
#映像研
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年3月22日
大団円のラスト、ケチなんてつけようがない
空想と現実の両方を大切にバランスよく描き抜き、クリエイターのみならずアニメを愛する人々にも祝福を与えてくれる
“魂を込めた妥協と諦めの結晶“の積み重ねによって今のアニメ界があると改めて認識する作品となった
お疲れ様でした pic.twitter.com/q92iL5sq0G
おそらく、2020年のテレビアニメを代表する作品になるのではないでしょうか?
カエル「元々、高い評価を獲得している湯浅監督ということもあって、注目度は高かった印象だけれど……それを大きく超えてきたかも。もしかしたら、湯浅作品最高峰という人もいるのではないでしょうか?」
主「とはいっても、湯浅作品は代表作が選ぶことができないほそ、他のどの作品も優れているし、一般層への知名度はあまりないように思われるかもしれないけれど、間違いなく現代を代表するアニメ監督の1人であり、至宝といっても良い才能だろう。
自分も大好きな『ピンポン』とかもあって、本作が飛び抜けているかというと……ちょっと言葉に困る。ハイレベルにまとまっているから、1作を選ぶことができないかな。
しかも、今回は”アニメを作るアニメ”ということで、作り手側も、そして受け取る視聴者側も色々と思うところがあるだろう」
カエル「結構、アニメ関連の雑誌やネットサイトだけでなく、多くの媒体で語られている作品な印象もあるかなぁ……。ツイッターなどでも盛り上がっているし」
主「語る側も語りやすいんだよ。
内部にいる人は当然のことながらも、外部でアニメを楽しんでいるファンだからこそ色々と思うところはある。
その意味では今のTwitterなどで感想を共有する文化に合致している作品とも言えるのではないだろうか?」
全体の評価としては、やはりうちも絶賛ということだよね?
批判する要素がまるでないからな
カエル「4話の時はこんなTweetもしています」
#映像研
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年1月26日
……4話にして2020年最高の物語作品が決まってしまった気がする
湯浅監督はどんだけ名作を量産するのだろうか
物作りへの思い
クリエイターのこだわりと工夫
限りある納期と予算と人的リソース
バチバチと複雑に絡み合い「魂を込めた妥協と諦めの結石」が観客に与える影響力に…呆然となる
主「この4話以降、4話ごとまとめて見るようにしていたんだよね。だからこそ、色々と見えてきたものもある……のかもしれない。だけれど、自分の中では熱量は減ったかなぁ……それでも、十二分に面白い作品だったけれど、やっぱり4話が個人的にはピークだったかも。
それはリアルタイムでテレビアニメを見ることの意味、みたいなことに話が行くのかもしれないけれど、それは今回は逸れるのでやめましょう。
今作を観ていて特に思ったのは、空想とリアルの境目のあやふやさ、そのバランスが素晴らしい。
あの街の造詣はリアルではないんだけれど、だからこそアニメーションの面白さに満ちていた。
そしてアニメーション賛歌としても面白く、最後には観客も巻き込んだ作品となっている」
4話、8話、12話の衝撃
全体を見渡した時、 やっぱり印象に残るのは4、8、12話ということになるのかな
流石に作中作のアニメが完成した瞬間は上がるよね!
カエル「明確に4話構成だったけれど、これについてはどう思うの?」
主「単なる4話構成というわけではないだろう。
この4話で1つのパートで色々なものを感じさせるように作られている。
- キャラクターの内面や成長を語る
- アニメの歴史を語る
- 制作方法の進化
同時に、この作品は……やはり湯浅監督のことを語っているようにも感じられた」
カエル「まず、誰について語るのか、ということかな。
当然映像研の3人について語っているけれど、それそれピックアップされる人物が違うという話だよね?」
主「1話〜4話が浅草氏が監督として覚悟を固めるまで。
5〜8話が水崎つばめが家族を説得するまで。
9〜11話が金森を語る物語になっている。
まあ、金森が特に成長もしていないんだけれど……彼女は、一貫して成長しきった存在だったからね」
そして、その話ごとにアニメの作り方も変化していく、と……
徐々に現代化していくというかな
主「現代化といっても、割と序盤からデジタル化されているけれど、最初は3人の小規模な制作体制の自主制作。最もシンプルな形だよね。アマチュアの手法というか……
次に人を入れての大規模制作・セクションごとの管理が入ってくる。あとは文化祭上映であり……あれはグロス受け(テレビアニメの担当話数を受注し、制作すること)ということもできるのかな?
で、最後にDVDを売るための商業アニメの世界。これは元請け(テレビシリーズ全体の制作を担当すること)だろう。
このように、次々とステップアップしていく姿を描くわけだ」
カエル「ふむふむ……」
主「ただし、これはあくまでも”商業アニメーションの世界”であるわけだ。
日本……というか、世界には個人制作で賞を競い合う個人制作やアートアニメーション・短編アニメーションの世界もある。日本では広島国際アニメーションフェスティバルなどが評価する作品たちだね。
金森氏が語ることは、あれは商業の理屈なんじゃないかな。
別に個人制作や短編アニメーションを無視しているわけではなくて、今回は湯浅監督が主戦場としている商業アニメを語る作品だということは、改めて語っておく必要があるだろう。日本ではどうしても商業アニメが目につくし、壁があるように見受けられるけれど……近年は短編アニメーションのクリエイターが長編に参加したり、あるいは長編のクリエイターが短編アニメーションに挑戦する例も出てきており、より活発な交流があるんだ」
アニメの歴史を語る映像研
宮崎駿・庵野秀明などの衝撃
そして、映像研はアニメの歴史を語る
とても簡略的に、ではあるけれどね
カエル「浅草氏などが感動していた1話の宮崎駿の『未来少年コナン』のガジェットの動きとかだよね?」
主「そうだね。自分なんかは『宮崎駿以後のアニメ』を生まれた時から観ているから、子供の頃から普通のもののように眺めている部分もある。絵も描けないから、本当の意味でその凄さを理解しているかというと難しいんだけれど……大人になって改めてマジマジと観るとわかる、圧倒的なエネルギーがある。
それは日本のアニメを作り上げてきた人たち特有の……表現を切り開いてきた人のエネルギーが映像に宿っていると言えるだろう」
カエル「4話までは先ほども語っていたように、全工程を3人で分割するような、シンプルな手法だったね」
主「そして8話までは……明らかにガイナックスを立ち上げた、庵野秀明や岡田斗司夫たちの時代を反映しているよね。7話におけるロケット発射シーンは『王立宇宙軍 オネアミスの翼』だったし。
ガイナックスはある種大人になり切れない、オタクの少年の心を持っていた大学生たちや、体だけ成長した大人たちの会社だとも言える。
あの時代の熱さを文化祭というもので表現したのではないか?」
今でも語り継がれるエピソードの多い、伝説的な制作会社だもんね
70年代・80年代の宮崎駿・高畑勲の時代の次、と考えると80年代・90年代のガイナックスは納得するものがある
カエル「湯浅監督にとっては少し上の世代だからこそ、色々と感じることがあるんじゃないかなぁ」
主「ちなみに、8話において自分が好きなのはつばめの話で……アニメ好きはよく語るんだけれど、一般的な層に見逃されがちなこととして”アニメーターは役者”なんだよ。役者というと、自分で役になりきって演技するようなことを思い浮かべるかもしれないけれど、アニメーションの場合はキャラクターをいかに動かすか、ということで演技させる。
見た目が綺麗で実写の役者としても通用するルックスを持つ水崎がアニメーターを目指すことで、両者が”演技を披露する”という点では何も遜色ないことを表現している」
9話以降の現代的なアニメ制作
今のアニメの作り方、と言えるのかな
主「ロケハンを重ねて、芝浜を舞台にしたように現代においては実際に存在する場所を舞台にするということは、けして珍しく無くなってきた。
それ自体は宮崎駿たちが『アルプスの少女ハイジ』の頃だったと思うけれど、ヨーロッパにロケハンに行ったり、あるいは『機動警察パトレイバーThe Movie』で押井守たちが当時の東京をロケハンした、という話もあるけれど……普通のテレビアニメで緻密にロケハンすることが一般的になってきたのは、2000年以降、特に近年の流れだと記憶している」
カエル「オマージュする作品も『AKIRA』とか、あの自転車のシーンは『茄子 アンダルシアの夏』なのかな? 90年代以降の比較的近年の作品になってきたよね」
湯浅政明作品として
そういえば、過去作の湯浅作品を思わせる描写もあったよね?
8話の文化祭のシーンは明らかに『夜は短し歩けよ乙女』のセルフオマージュがあったし、11話のダンスシーンは『夜明け告げるルーのうた』の中盤のダンスシーンと酷似している
カエル「記憶に新しい作品だし、ブログに記事も書いたから印象に残っていますが、もしかしたらもっと多くのパロディ・セルフオマージュがあったかもしれません」
主「じゃあ、あの12話のアニメってなんだったのか? というと……自分としては、やっぱり『DEVILMAN crybaby』だったと思うわけですよ」
2018年ベストアニメにも選んだ、Netflixで配信されている大傑作シリーズだね
あの宇宙船が光り輝く浜辺を飛ぶ姿なんて、デビルマンの神回9話を連想させるじゃない?
主「正直いうと、9話の作中作を観たときには、ちょっとよくわからないなぁ……と思う部分もあった。
セリフなし、音楽も1曲のみ、その前の作品が4話は美少女とメカを、8話は少し前のアニメの代名詞と言えるロボットを出してきたのに対して、12話の場合は細かいこだわりが多く詰まっているけれど、戦闘シーンばかりとなっている。映像やアニメーションをより見せようという意図は、よくわかるし1流のものになっているけれどね。
で、その映像には……ちょっとした、ある種の諦念みたいなものも感じさせられた」
カエル「……諦念」
主「でも、この諦念というのは映像研のモチーフの1つだったと思うんだよね。それこそ4話の大名言である『魂の込めた妥協と諦めの結石が出てくる』という言葉があるように、どこかでこのアニメ熱と裏腹に、冷めた部分が感じられた。
それは後述のポイントでもあるんだけれどね。
で、自分は湯浅政明の作家性って……”絶望を描きながらも、その中に希望を高らかに語る作家”だと思っている。
だからこそ、自分は大好きで、それは”物語とは祈りであり、願いである”と信じている自分の心情とも合致する。
そういった様々な諦念の中に……最後に人類は分かり合えるかもしれないし、分かり合えないかもしれないという含みを持たせ、それでも勝利や敗北などではなく、優しく物語を終えて希望を残そうとする作家性が感じさせた」
ふむふむ……
デビルマン9話っていうのは、最も現代的で重要な描写だとも思っているんだ
カエル「あんまり深くはいえないけれど、原作の『デビルマン』にもあるような、人間の醜さと希望の両者を高らかに語りきった名シーンの山だよね……」
主「自分は9話で泣いたんだけれど、9話、10話と同じことをやっている。より、マイルドな形ではあるけれどね。
湯浅監督の作家性は何かというと、一言で表すならば”壮大な人間賛歌”なんだよ。
だけれど、それはけして人間の美しい部分だけを捉えるものではない。醜く、汚い部分もこれでもかと抉り出す。そしてその上で歓びを高らかに歌い上げる。
それがこの作品でも描かれていたのではないだろうか」
狂気に満ちた映像研の世界
……狂気っていうほど、狂っているの?
今のアニメ業界への批判もある作品だったからね
カエル「4話における『あいつらに金を与えたら何ができるだろう?』というのは、しっかりとしたスポンサーなどがお金を回してくれるという構図だけれど……実際はコストカットが叫ばれる世の中だから、一円でも安くできるならばそうしろ! という労働環境にどこもなっていて、特にアニメ業界はブラックな環境が問題になっているよね」
主「そこに違和感がある人はたくさんいて、少しずつ改善しようとしてはいるけれど、なかなか簡単ではないよね。
あの4話はとても素晴らしかった。
アニメを作る人たちの熱量を感じた。
それと同時に、その熱意をいいように使い、安いお金でこき使う姿も見えたわけだ」
……業界を描くからこその批判精神なのかな
それは8話でも同様だ
主「8話はアバンが顕著だけれど、顔のアップの際などで、暗闇の中で顔に光が当たるという描写が多い。だけれど、顔全体は光が差す、あるいは闇の中というライティングのシーンが多い。
しかし8話のラスト付近のつばめの『これはもう、どうしようもない』のシーンでは殆どが影に隠れており、光が差すものの影の方がより濃いように感じられる。
これは、アニメを作るという……ある種の業に包まれたおり、未来が確定した瞬間ということもできる」
カエル「……その未来は明るいものではないの?」
主「それはなんともいえないけれど、今のアニメ業界にいることって、ある種の狂気だと描いているのかもしれない。
ただ、1つ間違いなく言えるのは……多くの仕事って、みんな嫌々ながらも生活のためにやっていると思うんだよね。だけれど、アニメーターは好きだからこの仕事をしているという人も多いときく。
それって、やっぱり他の仕事とは少し違うわけで……何か、こう、狂気と呼ぶ他ないものに苛まれているのではないだろうか。
そういったある種の暗い部分を、瞬間的に抉り出しながら、それすらも祝福する。
これが湯浅監督の作家性と言えるだろう」
世界と繋がるアニメへ
そういえば、12話のラスト付近において視聴者とも繋がっていたよね
あれが現代的な要素だな、と感じた
カエル「それこそデビルマンとも通じそうな表現かなぁ」
主「『SHIROBAKO』と対比して語ることも多い作品だろうけれど……どちらも比較をすれば長所があれば欠点もあるものの、卓越したアニメ史に残る傑作だと思っている。
で『SHIROBAKO』が描くことが難しかったのは……視聴者の反応なんだよね。
作り手の話に終始しているから。それが良さでもあるんだけれどさ。
この点はお仕事ものでは難しいバランスが求められる。だって、直接視聴者を代表するようなキャラクターに『面白かった〜!』と言わせるのは、それはそれで興醒めじゃない?」
カエル「『いや、何も面白くねえ!』って声もありそうだし、ちょっと語りすぎな印象もあるかなぁ」
主「その点において、テレビから塔が出てくるという端的な描写は視聴者を巻き込む形としても良かった。
今はTwitterですぐに情報や感情を共有できる社会だからこそ、あのような描写のこともあるかもしれない。
世界中の視聴者と作り手が、アニメを通して繋がるわけだ」
カエル「ふむふむ……」
主「あとはさ……自分は色々な作品を観て、あれこれ語っているけれど、そういう人には多分物語の神様の祝福って訪れないと思っている。それはあくまでも作り手側のものであり、どんな批評家であろうが、知識の神様には愛されても、物語の神様には愛されないであろうという確信がある。
どれほど物語を愛したところで、ね」
……急に観念的な話が始まった
それでいうと、映像研のラストって自分にとっては結構な救いなんだよ
主「作り手側のサークルというか、あの熱意には絶対に加わることができない。どれほど『物語る亀』というブログが大きくなろうが、それはグダグダいうだけの感想サイト・あるいは紹介サイトでしかないわけだ。
その祝福は物語を作る人の特権であって、外側の存在には与えられないんだよ。
だけれど、湯浅監督はその祝福は……作り手側の思いは、視聴者を巻き込み、それも含めてアニメだと語りきった」
カエル「視聴者あってのアニメという意味では、当然のことかもしれないけれど……」
主「その祝福を当然って言い切ることが、自分には難しいかなぁ。
だけれど、そのように描ききってくれた作品であり……だからこそ、感謝の思いが絶えないね」
最後に
ちなみに、映像研は実写版も4月より放送&映画も公開します!
自分は超楽しみにしています!
カエル「漫画・アニメの実写化となると色々な人が嫌悪感を抱く印象もあるけれど、そんなの関係なしに観て欲しい作品だよね!」
主「実写版の監督は英勉が担当するけれど、今の実写邦画では漫画原作映画の名手の1人だと言えるだろう。アニメ的な作品の肝をきちんと捉えて、実写映像化することができる監督でもある。
だからこそ、実写映画もぜひチェックしてください!
あとは……最後に語ることとしては、今作も様々な人種が登場するけれど、この辺りもワールドワイドだよなぁって。最近、世界市場をとりにいく作品が増えたけれど、湯浅作品もそうなっているんだな、という感覚になったね」