今回は漫画『ニャリウッド!』の2巻のレビューとなります!
これはとても面白かったので、思わず筆がのっちゃいましたね
カエルくん(以下カエル)
実は漫画レビューは難しいところもあって……というのも、完結していないので語りにくい部分もあるんでしょね
主
映画のいいところは基本的に1作で完結しているところだからね
カエル「その意味では、今作は1巻ずつで完結しているので語りやすいのと、あとそれでも語りたいと思うほどの強いエネルギーを感じたんだよね!」
主「すんごくいい作品だったので、是非とも多くの人に読んで欲しい作品だね。
それでは、さっそくレビューを開始しましょう」
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chatGPTによるこの記事のまとめ
- 「映画大好きポンポさん」シリーズは、クリエイターの情熱やメディアミックスの理想的な形を示しており、作品のオリジナリティとメディアミックスの相互影響が、エンタメ産業の発展に寄与している。
- 『夢がない人』と『夢に敗れた人』への対比構造が鮮やかで、現代のクリエイターのあり方や自己表現の重要性を描き出している。
- 銀行側のビジネス視点と、クリエイターの意見が対立し、投資と経営に関する考え方が問われ、ビジネスとしては銀行側の意見が理解できるが、クリエイターの純度と投資の目的についても考えさせられる。
- 数字を追い求めることの重要性は否定できないが、創作物を観る人々は数字だけでは語れない感動や魂を求めている。創作にはクリエイターの魂が宿り、人生の喜怒哀楽や孤独感などが反映される。作品を通じて観客とクリエイターが繋がり、共鳴することで感動が生まれる。その魂のぶつかり合いが創作の真髄であり、観客との共感をもたらすのではないだろうか。
感想
それではX(旧Twitter)の短文感想からスタートです!
ニャリウッド2巻を読了しました
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2024年2月5日
もうー、最高ですよ😭
夢を持てない銀行マンのアランと夢を捨てた元子役コレットの2人を対比させ映画文化の興行というビジネスと創作者の一種のエゴイズムとも言える情熱がバトルしていく中に『なぜ人は創作するのか』という魂を感じました🔥https://t.co/brwTU3Xgvp
アランくんは特にそうですけれど基本フォーマットは映画のオリジナル部分を踏襲しつつそこから外れていって1つの別の物語として構築されながらも、魂が混じり合いメッセージが響くのは、まさに媒体と創作者の魂が共鳴しあって変化していく本来のメディアミックスのあるべき形だと感じました
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2024年2月5日
『大人も夢を見るの?』というテーマを作者が明かしていますが、まさにそこが今作では花開いているというか
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2024年2月5日
個人的には創作は人に残された最後の聖域だと信じているのですが、まさにその思いを強くする作品でした
絶賛ですねhttps://t.co/6ofZO9u5Ap
やっぱり、ポンポさんシリーズはとても心躍るような作品ですよ‼️
カエル「うちはポンポさんシリーズは、2021年に劇場映画で公開された『映画大好きポンポさん』から入門していますが、年間ベストに選定するくらいにどハマりしました。
その後原作を読んで、やっぱり大好きで……今作もとても高く評価したい作品だね!」
ポンポさんシリーズは徹底したクリエイター讃歌だからね
主「超面白かった‼️
このシリーズは映画業界を舞台にしているけれど、全くリアルじゃないし、理想論で積み重ねられているのは、とてもよくわかる。だけれど……いや、だからこそ、その映画制作に賭ける情熱がとても伝わってくる作品なんだ」
何かを創作したいという情熱が伝わってくる作品だよね
胸が熱くなって、自分も何か作りたい、と感化される作品だよ
主「特に今作に関しては当たり前のように映画オリジナルキャラクターだったアランくんも登場していることも、面白いよね。
ここは後に詳しく話すけれど、原作→映像化→原作のいい影響を与え合っている姿が感じられたことも、大きなポイントだね」
メディアミックスのあるべき姿
今作からはメディアミックスの理想的な形が見えたという話ですが……
今、とても話題になっているけれど、本来あるべきメディアミックスって、今作のようなことを指すんだよ
カエル「『映画大好きポンポさん』はアニメ映画が公開されていますが、原作者の杉谷庄吾は一才関与することなく『何か質問があっても知らぬ存ぜぬで返した』『意見を出すものが多くなればなるほど作品は角が取れて凡庸なモノになる』と劇場公開時にXでポストしています。
そうすることでアニメ映画版が平尾監督の個性がとても強まった結果、大傑作が誕生しました」
アニメ
— 杉谷庄吾 「映画大好きポンポさん」 pompothecinephile (@pompothecinema) 2023年1月1日
ポンポさんと
作者の関係を
簡単に描きました
劇場版
映画大好きポンポさん
本日
よる8時00分~9時45分
BS11にて放送ですよ!! pic.twitter.com/oZVfYbOlOu
あの作品は明確に平尾監督のアリア(独唱)だったからね
主「もう、原作のことを分かった上で、自分のアリアを、オリジナルシーンを継ぎ足して、平尾監督の作品にしてしまった。
まさに見事だった。
そしてその後に生まれた本作でも、その流れは続いている」
原作生み出す
↓
原作からインスパイアされた映像化(二次創作)などを行う
↓
映像化に影響を受け、原作も変化する
この流れこそが、本来のメディアミックスのあるべき形だよね
カエル「ただ単に映画化、アニメ化などの他媒体にすることだけでなく、その段階で変化をもたらしながらも、その変化によって原作も好影響を受ける、ということだね」
主「これができていないから、メディアミックスの是非の議論が生まれてしまう。
もちろん、全てが名作になるわけではないし、メディアミックスがクソの山だという意見だってあるだろう。それはそれで否定し難いものがあるのも事実。そのクソの山の極一部の光る作品が生まれることで、日本を含めた世界中のエンタメ産業は成立してきた。
だけれど、それが生まれることによって、原作そのものも影響を受ける。
構成が変化することでより物語がまとまって作者自身も認識したり、あるいはキャラクターが変化して影響を受けることだってある。
その最も幸福な形でのメディアミックスの例として、ポンポさんは最適なのではないだろうか」
夢を見つける者と夢に敗れた者
ここまでのポンポさんシリーズは『夢追い人』の物語でしたが、今作は『夢がない人』と『夢に敗れた人』の物語となっています
この対比構造がとても痺れたね
カエル「特に映画版もそうだったけれど、アランくんの『夢をもてなかった人が夢を応援する仕事』という構図も素晴らしかったよね」
主「現代はまさに、応援してもらう時代の到来だからね。
一昔前はクリエイターというのは、限られた人しかなれなかった。個人事業主として企業に所属して、小説にしろ漫画にしろ映画にしろドラマにしろ、その資本や団体の元で発表することが前提で、その狭き門を潜り抜けるしかなかった。
でも現代はネットの発達で全く違う世界が広がっている。
それこそ個性を発揮して、SNSや各種サイトに発表することで、コメントや投げ銭などで応援してもらえる。その分、毀誉褒貶も激しくて消耗するだろうけれど……でも、うちがよく言う”市井の天才”がたくさん活躍できる余地が生まれているわけだ。
それこそ、ポンポさんだってネット漫画ということを考えたら、それこそ市井の天才から生まれた作品だからね」
さらに今作で痺れたのはこのセリフです
『願いも望みも心の中から生まれるものです。
だから心が解放されても自由で幸せな人よりも
苦しくて辛くて心が締め付けられている人の方が
より高く純度の高い夢が
生まれてくるのかもしれませんね』
創作は決して明るい、認められた人だけのためのものではない
主「むしろ、自分にとっては真逆で……それこそジーンくんのような、映画しかないと決めた、それ以外に何もない、いらない人に残された、最後の社会への抵抗手段であり、自己表現であり、魂の拠り所だ。
だから時にはその魂が露出した結果、側から見たら後ろ暗い、気持ち悪い、存在そのものが許せないような表現もあるかもしれない。だけれど、それが法に触れていない限り、その表現そのものを発表することを認めなければ、その人が壊れてしまう。
そんな……美しいだけではない、表現の暴力性を宿しながらも、それすらも称賛した作品と受け取っているから、自分はポンポさんシリーズが大好きなんだよね」
興行面と作家性の二律背反
”商品”と”作品”の対立
作中では映画をビジネスと捉える銀行側の意見と、クリエイター側の意見であるポンポさんやミスティアが対立します
この商品と作品は、とてもよくわかる
カエル「うちもちょいちょいこの話をするけれど、クリエイターファーストで作るのが、正解なんじゃないの?」
主「そうだね……と言いたいけれど、自分は投資も好きだから、銀行側の言い分もわかる。
というか、ビジネスとしては銀行側が正しいとすら思う」
『そもそも自分の頭で判断して映画を選択する観客なんてまずいない(一部のマニアだけだ)
誰々が主役だ
誰々が監督だ
何々賞を取った
ネットで評判だ
誰もがそういう理由で観る映画を選ぶんだよ』
<p
このセリフは、紛れもない事実だ
カエル「この発言を認めたくはないけれど……でも、実態としては認めざるを得ないのかなぁ」
主「実際、その通りだからね。
興行収入ランキングを見ても、有名シリーズやIPの作品ばかり
オリジナルと思ったら監督が有名人。
オリジナル企画なんて求めているのはマニアとクリエイターだけで、ほとんどの観客は”お馴染みのあの作品”を求めている。
観客にしてみれば、面白ければオリジナルか既存IPかなんて関係ない。
そして、数字を追うならば……優れたオリジナルよりも、凡庸なIPの方が興行的に計算できる。
自分が投資としてお金を出すならば、断然凡庸なIPだ」
冷たいようだけれど、それも1つの意見としてあるわけだよね
結局、投資も経営も数字のお話だからね
カエル「だからこそ、少しでも売り上げに貢献できるように、周知するという意味も含めて、うちのようなブログもあるわけで……」
主「効果があったのか、なかったのかはわからないけれどね。
商品として優れれてば優れるほど、クリエイターの作品としては純度が下がる。
その逆もまた然り、クリエイターの作品としての純度が上がれば、商品として計算できなくなる。その両方を達成したのはスタジオジブリがあるけれど、あれはまさに奇跡だったんじゃないかね。だからこそ、再現性が全くない。
だから銀行側の意見はビジネス、数字の面では同意で……多分、自分も同じことを言う」
投資のあるべき姿とは?
話が逸れるけれど、自分は今の投資の形ってなんかちょっと歪だなって思っている
カエル「ちょっと経済的な、投資話になってしまうけれど、大事なことなので言っておきましょうか」
主「何のために投資をするのか? という話なんだけれど……それ第一はお金を増やすためだよ。それは間違いないし、絶対正義で、文句のつけようがない。
だからインデックス投資が絶対正解と言う風潮があるし、まあ、それはそうだ。
でもさ、本来投資って『何か変化を期待できそうだからやる』って支援するものじゃないのか?」
応援したい企業や個人に対する支援の形であるべき、と言う話だね
社会を変える、困っている人を助けるために企業があるという、理想論が前提だけれどね
主「そりゃインデックス投資すれば儲かるけれど、それでは富める大企業がますます富んでいく。それ自体は間違いじゃないし、資本主義社会ってそういうものだから。
でも同時に、人は夢を見たい、その夢を叶えたい、応援したい……そのために投資をすると思っている。
なのに、お金を増やすことだけを第一目的にするのは、何かおかしいのではないか、とね。
ただ、おそらく多くの人にとっては、この考え方は多分間違いだし、理想論だし、おそらくハズレ馬券にロマンを見出す考え方だから非難もあるだろうけれど、でもそういう理想をポンポさんシリーズは見せてくれるんだよね」
『それでも』『だからこそ』と求めたい姿
数字を追い求めることも大事なのは否定できないのかなぁ
でも、数字だけでは語れないものが見たいからこそ、創作物を観るんだと思うんだよね
カエル「稼ぐことを重要視するならば、確かに創作にこだわる必要はないのかもしれないけれど、それでも創作が見たい、やりたいという人が多いから成立しているわけだしね」
主「創作に重要なのは最後はクリエイターの魂だよ。
ビジネスは大事、売り上げは大事、それがないとスタッフを食べさせられないし路頭に迷わせてしまう。
でも、人が作品に感動するのは、最後はクリエイターの魂だと、自分は信じている」
基本的に、創作とは『それでも、だからこそ』の塊なんだよ
主「人生の苦悩、社会への不満、自分が馴染めないもの……そういった一種の孤独感だったり、喜怒哀楽に寄り添いあうものが創作だ。
その意味では今作はまさにクリエイターの理想郷すぎて空想・妄想にしか見えないという意見もあるだろうけれど……でも、だからこそ響くものがある。
会ったこともない、話したこともない人たちが作品を通して繋がり、最大の理解者だと感じられるのが創作だ。
その魂のぶつかり合いが、この作品には宿っている。
『物語とは願いであり、祈りである』だよ」
命を賭けて創作を求める魂が、観客と共鳴する現象にこそ、人は感動するのではないだろうか
ポンポさんシリーズはこちら!
(読むべき順番に並べています)
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